2020年06月23日

ボランティアは一人ではできない (JRとか会社や地域でも自治体の許可がないとできない)


ボランティアは一人ではできない

(JRとか会社や地域でも自治体の許可がないとできない)


たまたま無人駅で聞かれたことがあり案内があったりして無人駅にかかわった
でもそれで認められたことはない、むしろ嫌がられたりそこで何をしているのかととがめられたりするだけだった
ただ外から来た人はそれなりに認めて案内するとありがとうと言われた
こんなことでありがとうといちいち言うのかと意外だった
それだたけ自分はなにか社会性に欠けていたしそんなことでありがとうなど言ったことないからである

無人駅にいてこれまでも書いてきたが何から用があった、それを指摘して直したことがあった、そのことを書いてきた、実際は何かそんなことあるのかと自分で思ったいた
でも意外とたりないことがありこうすればいいということがそこにいてわかったのであるだから現場にいないとわからないものだと思った
現場にいるということ現場で仕事している人がわかっている
それで原発では2000人もの電気関係者が働いていた、その人たち原発の内部を知っていた配管などが老朽化しているとか見て知っていたのである
でも上の方の幹部はそういうことを知らなかったのである
そして現場の人は上の人に何も言うことができないということが事故にもつながったのである、東電の幹部の権力に逆らうことができなかった、なぜなら下請けであり仕事をもらえなくなるからである、そういう上下関係が明確だったのである

無人駅でボランティアしてそこを管理している人が無人駅でもいる
それはJRであり駅長とかである、他の線路と電気の管理している人もいる
それはJRの管轄下にある、また掃除しにくる人もやはりJRとかの許可を得てしている
それで金をもらっている、今度高校生の見守り役としてNPOの人もJRの許可を得てしている、あとは南相馬市の行政の許可を受けてしている、金をもらっているからだ
つまり何かしらかかわれるのはこうして許可を得た人でありそれには金を払われているのである
商工会でもかかわっているが掃除してもJRで頼んでいるのであり金をもらっている

それでホームにゴミ箱がありそれをかたづけることをしている、そのことでゴミをなげることで良く聞かれたのである、ゴミ箱のある場所がわからないのだ
ホームにあるからだ、そういう案内もしてきた
それは聞かれるからそうしたのである

でも駅長とか高校生の見守り役にそのゴミ箱を見るためにホームに入った時監視カメラに映りホームに入るなと言われたのである
ホームに入るのは高校生の見守り役である

あとは許可がないかぎりホームには入れない!

でも昼間の二三時間は誰もいない、無人駅になっている、だから勝手に入る人がいるかもしれないが監視カメラで見ているから注意した方がいい

いづれにしろ無人駅でも許可なしで勝手に駅にかかわることはできない、商工会ならJRと交渉しているからできる、花壇とかも作ったからである
でも個人的には何もできない、無人駅でも管理しているのがJRであり駅長の権限がある
だからゴミ箱がどこにあるかと聞かれて案内したりしたができない
要するに個人的にはボランティアするのは不可能である
何かボランティアするときは市町村でも受付で許可してボランティアをさせるからである勝手に被害のあった家に手伝いますとかはできないのである

おそらく個人的にボランティアはできるのは市町村内でゴミでも落ちていたら拾いかたづけるくらいである、何かどこでも個人的には勝手にできない
下手すると怪しいとして通報されて警察が来てみんなの前で職務質問されるようになる
そして何より駅を利用する人もなんら認めないから余計にできないとなる
外から来た人を案内してもその人はここに住んでいないから後は関係ないからである
ここに住んでいる人でもお前はなにしているのだしなくていいとかもあからさま言われたからだ、ただいろいろ風で遅れたとか案内することはあったのである

他でも個人的にボランティアは保証もなにもないとか言う人がいた
ボランティアはとにかくNPOになると10人以上必要でありそうなると認められる
個人ではなにもできない、誰も許可しないからである
そこに住む住人すら認めないとしたらただ怪しいとなり警察に通報されるだけになる
つまりそこに住む住民が認めまたJRでも会社の人が認めない限りできないのである
ただ駅で別に外から来た人と話はできるのである
だからそういうことは別にとがめられないがその他何かしようとしてもできない

ただJRとか鉄道の問題はいろいろある、コロナウィルスで急激に乗客減ったことは驚いたスーパーヒタチに乗る人は数人とかなのも残念なことだった
東京と通じること東京の人が来ることはどうしてもうつされるとなるから嫌がる
解除になっても何か依然としてゼロにはならないのだから嫌がるとなる
だから新幹線などは痛手であった、ただ解除されたから増えたとういこともある
もう鉄道自体維持できないというところも北海道など前から廃線寸前の線があった
そういうところは維持できないとなる

ただ観光用として必要だとかはある、鉄道がないと遠くから観光に来ないというのもそうである、でもインパウンド観光はなかなか回復しにくいだろう
それともう鉄道だけでは維持できない、私鉄の収入はホテルとか売店とか多角経営をしてその収入の配分があり成り立っている、JRとかそれがないから鉄道だけに輸送だけに頼る経営は苦しいとなる
でもJRには何かそうした人にサービスするという観点が欠けている
人に対してはただ乗せてやっているだけだとなる、ただ技術的な点では絶えず点検して
安全を計っている

これから鉄道が生き残るという時そうした多角経営が必要だというとき人へのサービス精神はないから問題になる
まずこれは鉄道だけではない、何でも機械化して無人化して人がいなくなる
それで人件費をはぶけるとなる、でもそもそも人件費を考慮する前に人はいらないと思っているのがJRなのである、ただ鉄道の機械だけに運行だけに力を注げばいいとしているからである、そういうことで人へのサービスは欠如しているのである
それは他の人も指摘しているからわかる

これは鉄道だけではない、コンビニでもどこでもみんな機械化する、あとAI化する
すると人間はコストだからいらないとなる
そういう世界がどうなるのか?まず人間の情とかが消えた殺伐とした世界になるかもしれない、人間をただコストとみるのが資本主義社会なのである
そういう社会は今やゆきづまっている、すべてを機械にロボットに代わることはできない人間にしかできないことがありそれがあってこそ人間の社会なのである
人間をただコストとしか見ない社会は殺伐としてくる
そこに人間的なものが排除されてゆく、情もなにもない、愛もなにもない
そこにはただ無味乾燥な情も愛もないロボットしかいなとなるのである

ただ機械化とかロボット化AI化とかをすべて否定することができない、それが極端になるとそればかり追求するとそういう社会がどうなるのか?
それは決していい社会ではないし人間にとってそんな社会に住みたいかともなる
鉄道にもいろいろな問題がありただ無人駅とか鉄道から見える社会があった
鉄道というのはいろいろ社会と広範囲にかかわる
それでもコロナウィルスはショックだった、これは遠隔交通は不利になる
東京の行き来がどうしても敬遠されるからである
でもコロナウィルスで社会全体が見直されるから交通関係の見直しも要求される
現実に常磐線で名取で乗り換えて仙台空港に行く路線があるがそれも急激に減った
飛行機に乗らなくなったからである、つまり鉄道と空港も結びついていた
交通はパスでもタクシーでも何でも結びついているから影響が大きかったのである 




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この決まりで高校生の見守り役をしている
つまり駅の業務をするなかかわるなということである
でも実際は特に切符売り場の所にいれば必ず何かを聞かれる
だから今では聞いている
それをさけることができないのである
だからこの契約は守れないのである

ただなぜこの決まりにしたのか?

それはJR側で切符を売るとか頼むと金がかかるとかあった
また私のボランティアが拒否されたように何か高校生だけの見守りだけということで
駅の業務にかかわらさせたくないということがあった

そこは無人駅でいいのであり何か案内などでもするな、かかわるな!

こういうことがここにはあるのかもしれない、それは自分にもされたことだからである
でも盲目の人が電車に乗るのを助けてくれというときわざわざ連絡すれば原町駅から来ていたし車椅子の人でも原町駅から連絡があれば手伝うために来ていたのである
だから無人駅では何もしないが原町駅の駅員は来るのである
ただそこの無人駅ではJRの許可なしでは何もしていけない、するなということなのである



トンネルの話 (トンネルは国境ともなり闇をぬけることで人生の象徴にもなる)


トンネルの話

(トンネルは国境ともなり闇をぬけることで人生の象徴にもなる)

旅の思い出として残るのが境として意識するのが山国の日本だと峠になりそれは国字である、峠を上るきるとそこに視界が開け別世界になる
もう一つ境とか意識するのは山国ではトンネルなのである
日本は山国だから本当にトンネルが多い、トンネルは電車の旅で意識する

仙台市から山形県へ向かう面白山のトンネルが宮城県と山形県の境界である
それは地理的にも意識しやすい、また季節的にもその境界辺りは寒く雪が春でも残っている、つまり面白山を境に気候も違っているのである
そして福島市に向かう電車が峠駅でとまる、そこは無人駅だけどそこから盆地の福島市に向かう境界なのである、だから峠駅なのである

トンネルの不思議は真っ暗な闇の中をゆく、そして闇をぬけたときほっとする
やはりトンネルをぬけると新しい視界が開ける、別世界に来たような感覚になる
自転車でトンネルをぬけるのは怖い、とても長くなると車道を走れない、それで脇の歩道を行くにしても怖いし長いと早く出たいというだけになる
そしてトンネルをぬけたときほっとするのである

とにかく日本にはいたるところにトンネルがある、それは山が多いからそうなる
それで日本がではトンネル技術が進歩したというのもわかる
技術も風土によってその土地に見合ったものが開発されるからだ
砂漠地帯だと中東から風車が生れたというのは絶えず風が吹く場所だから適していたとなる

トンネルは何か神秘的である、それは暗いからである、その暗い所をぬけると解放された気分になるのである、だからトンネルは国と国の境になる
そして村と村でも道がないときトンネルをほって道を作る、そこで村と村が道で結ばれる何らか日本では山とかでさえぎられどうしてもトンネルをほって道を作ることになりやすいからである
日本ではやまのあなたに幸いありという地形なのである 

人間の一生でも暗いトンネルに入ることがある、それは抜け出せないという恐怖に通じている、でもトンネルには出口がありそこに光りがさして新しい世界に向かっている
ただ苦しい時はどうしてしもその暗いトンネルから抜け出せないような感覚になり重苦しいものになる、病気とかになったりするとそうである
介護ではそういう苦労を自分はしてきた、介護はいつ終わるかわからない暗い長いトンネルだったのである、そういうことをみんな人生で経験する   

不思議なのはトンネルでも電車でぬけるトンネルと歩いたり自転車で行くトンネルは違った感覚になる、自転車を引っ張り歩いたりしてぬけるトンネルは電車とは違う
電車はあくまでもレールの上を走るから必ず抜け出られるという前提があり安心である
歩いたりしてぬけるトンネルはぬけだせるにしても遠く感じるのである
そしてかなたに出口があり一筋の光明がみある、光りがさしてかなた明るくなっているからだ、

その感覚は電車にはない、つまりなんでも機械に頼ると人間的感覚が失われるのである、だから本当に旅したいなら歩くほかないのである
そこに人間の感覚でとらえられるものが生れるからである
でも自分自身がこれほど旅しても歩いた旅はしたことがない
例えば陸前浜街道にしても10キロの道も歩いたことがないのである
それだけ今は歩くということをしない時代なのである
それで車であれバイクであれ自転車でさえ何か人間的感覚を感性を失ったのである

人間はこれだけ電気社会になると暗いという場所がめずらしくなる、暗さを体験しない
時代をさかのぼれのぼるほど人間は暗い世界に住んでいた
それでかえって人間の感覚が鋭敏になり感性が磨かれた、それで谷崎潤一郎の 「陰窮 礼讃」などが生れた
人間は今や本当に暗い世界を体験しない、都会だと不夜城になり暗さを追放している

ぬばたまの夜の更けゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く 山部赤人

これも闇が深くまた騒音もない古代の景色がありその清涼感がでている
ここには久木とあるがこれは何かわからないにしろ植物としてありその他に人気もない
原子のままの状態をイメージさせる、つまり人間がいない原初の自然の清涼さがある
その河原には人の足跡はなくただ千鳥の足跡だけがある世界である
それは闇が深いとういことでもそういう手つかず自然の中で歌われたのである

トンネルというときこの闇と深く関係している、闇の世界がトンネルである
そこを抜け出すということでトンネルがある
いづれにしろ日本にはトンネルが多い、トンネルで村と村も結ばれたということがある
そのトンネルほるために大変な労力をはらったことが伝説ともなっている
それは中国でもあった、その時機械もないから人力だからトンネルをほることは大事業になったのである

九州の大分県の耶馬渓(やばけい)にある“青の洞門”でしょう。
 今からおよそ250年ばかり前のこと、耶馬渓をおとずれた一人の僧がいました。
 名を禅海(ぜんかい)といい、 耶馬渓は山国川にそう険しい台地で、そそり立つ岩の間を何本も川が流れています。
 昔から交通の難所として知られていましたが、中でも険しい崖をつたう鎖渡しとよばれる桟道は、命がけで渡らなければならない難所でした。
 この難所で多くの命がうばわれることを聞いた禅海は、ここにトンネルを掘ろうと決心しました。
 洞門を切り開くことに手をつけたのは、1720(享保5)年で、禅海は50歳くらいでした。
 ツチとノミを使ってただ一人で、禅海はトンネルを掘り進めました。
  こうして30年、1750(寛延3)年に、トンネルはついに完成しました。

 トンネルの歴史

トンネルを作ることは大事業だった、30年かかって完成した粘り強さには驚く、つまり今は機械でするけど人力の時代になるとこれだけの労力と歳月が必要だったとなる 
ヨ−ロッパだと運河のトンネルがあるのも川が道になっていたからである
だから運河のトンネルというのもやはりトンネルでありそこをぬけると別世界に出るという感覚になる





posted by 老鶯 at 09:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅の記録