2020年06月16日

コロナウィルスの観光業の打撃


コロナウィルスの観光業の打撃

(観光の宿のホテルの原点は何だったのか?)      


観光とか飲食業とかがコロナウィルスで一番影響をうけた、水商売の歌舞伎町なども影響が大きかった
観光というときそれは江戸時代とか戦前でもなかった
ただ旅することは古くからあったしお伊勢参りとかもあった、それは巡礼の旅である
現代の観光ブームは何かこれまであったものと別なのである

なぜそうかとなるとまず人間が移動することは歩くことしかなかった、江戸時代までがそうだった、だから観光ということはない、歩くとなれば苦行なのである

「トラベル(Travel)」の語源を遡ってみると、古いフランス語の「トラバーユ(Travail)」という言葉に行き着きます。この意味はなんと「苦しみ」  

「Hotel」という言葉は中性ロマンス語(フランス語)の「Hostal」から転じたものです。元々はラテン語の「Hospitale(旅人や客人を暖かくもてなす)」という意味の言葉です。つまり、「Hospital(ホスピタル)」とは主人が客を持て成す意味であり、親切に「もてなすというホテル業界の根本理念とも言える言葉なのです。

次に、旅先での人との関わり方から来ている言葉もあります。昔は旅先の民家で食料や寝床の施しを求めることも多々ありました。時代が進むにつれ街道や宿場は整備され、その分苦労も減っていきましたが、古い時代であればあるほど民家を訪ねることも多かったのでしょう。こうしたことから、他の家の火で「他火(たび)」、物を乞う「給べ(たべ)」といった言葉が由来になったのではないかという説があります。

旅は苦しみであったというときいかに今の観光とはかけ離れているかである
だから旅は何か苦しくても行かねばならないという強いられたものだったとなる
旅などしたくないというのが普通である
重い荷物をもって旅などしたら苦しいだけである、旅は苦行だったのである
それでなぜ旅籠とか宿ができたかとなるとそうして苦しい旅をしてきた人をねぎらうものとしてあった
草鞋をぬぐとか宿で足を洗うとかそれを旅籠の人がするときねぎらいがあった
疲れたでしょうご苦労さんとかなり、ゆっくり休んでくださいとなる
それは旅とは苦行でありそれを知っているからおもてなしの心が生れたのである

今こうして旅する人はいない、みんな電車であれ車であれ移動自体が楽なのである
車などは神経を使うから楽ではないというものもあるか平均して40キロも歩くのとは大違いなのである
そして今はこうして旅する人はいない、確かに歩いて旅している人はまれにいる
それはあえて旅したいからそうなった、でも何か歩いて旅していたりすると浮浪者のように見られたりする、実際本当にそういう人がみかけるのも確かなのである
借金から逃れて歩いていた人がいた、その人は金がないのだからどうして食べていたのかとなる、今思うと犯罪者になっていたと思う
そういうふうにすでに歩いて移動している人は何か怪しいとなる
また自転車で旅している人も胡散臭いとみられる
まずホテルでも旅館でもそんな人を歓迎しない、でも江戸時代の旅人のように相当に疲れている、でも疲れたでしょうかとかねぎらいの言葉があったことなど一度もない
なんかいやいやながら金になるから仕方がないとして泊めてやっているというだけである

一方で観光となると立派なホテルに泊まりそこでいいものを食べるとかになる
それは旅とは違う、ホテルで宿でくつろいでおいしいものを食べることに目的があるともなる、旅とは歩いていればそれ自体が旅になる
今は電車とか車で途中を飛ばしてただ目的地に着くことが優先されるのである
観光とはこうして贅沢をすることであり苦しむことではない、そこにもてなしなど必要ないのである、むしろ自分のように倒れるくらい疲れている旅人をもてなすことなのであるそれが全然ないのである、だからホテルとか旅館をいいものに見えないのである
本当の旅人は無視されているのである

観光業とか何かこういうものにかかわる仕事が本来何も目的としているのか?
またどうしてそうした宿が生まれたのかとなる
それは40キロも歩いて旅して来た人をもてなしその疲れをいやすものとしてあったのだ
だから旅人が来たらそういう心をもってもてなしするのが当たり前だった
ホテルもホステルから生まれたのであり巡礼の人とかをもてなす癒すことから始まっていた、ホスピタルが病院でありここから来ていることでもわかる
病院には癒しが必ず必要だからである
今なら電車であれ車であれ別に疲れてもいない、確かに車だと疲れることはある
ただ歩く旅とは余りにも違っている  
温泉にしても必ず伝説で傷ついた鹿が温泉につかり直したとかある
また湯治宿があり農家の人たちが日ごろの農作業の疲れをいやす場としてありまた病気の治療としてもあんた、なぜなら必ず温泉には効能書きがあり何に効くのか書いてあるからだ、つまり温泉宿はやはり一つのホスピタルだったともなる

語られる湯殿にぬらす袂かな 芭蕉

それでこの句が生れたのである、語られぬ苦労があり温泉で癒すということである、東北には湯殿の碑が多い
湯治に行ったからそれが残ったともなる

だから観光というのは何かこうした時代とは相当に違っている、そういう面が残っていたとしても癒すとかもてなすというのがあったとしても切実ではないのである
40キロも歩いて来た人とは余りにも違っている
確かに乗り物は疲れる、だからそういうことはある
でも江戸時代とかなるともうふらふらになっているかもしれないのである
自分自身が自転車ではそうだった、体力がないからふらふらになっていた
でも別にそうであってもそんな人を歓迎しない、ただこの時代に胡散臭い奴だとしかならないのである、またバイクだと北海道だとライダーハウスがあったするからそういう金のない人でももてなす、ただバイクと自転車の差も大きいのである
バイクは楽過ぎるのだ、自転車は本当にトラベルの苦しみなのである

ともかく旅しなくても自転車に乗っているだけで変な奴だと見られることがある
そして今日も警察に職務質問を受けた、何の違反もないのにそうなった
人も通らないのに走り交通違反もしないのにである
ただ駅で自転車が盗まれたとか警戒しているからと言っていた
ところが車だと怪しいという人もわからないのである
車は乗っている人が見えない、それで犯罪にはいいのである
自転車は目立つから警察に目をつけられるのである
それより今時車に乗らない人は変な奴だ底辺だと見られてしまう、それは底辺層を見ていると車を運転しない人が多いことも確かなのである

いづれにしろ観光業の原点は何かをふりかえる時期なのかもしれない、それは旅人が旅すること自体が歩くことであり疲れているから疲れをいやすということから始まっている
そういう心があって宿もあった
今はそういうことはなくなるとただうまいものを提供するとか何か本来の目的とはずれたものにもなる、ただ別に江戸時代でも旅すれば土地の物を食べるという水戸黄門のドラマにあるようにないことはない
でもそんなことより歩いて移動することは苦しいことだったのである

今の宿はホテルでもホスピスとか必要でもない、だからうまいものを提供して贅沢させるのがホテルの役割にもなる、もちろん場所が変われば心も変わるからそれは気分転換になる、でも旅の本来の役割は喪失した
やたら立派なホテルを建てる、そこで金持ちが金を使わせるのが役割になる
星野リゾートなどがそうである、リゾートというときそれは旅人をいやすものではなく
そこに滞在して癒されるという空間の提供なのである

私は旅したいからでありうまいものを食べたいとも思わなかった、だから金がないから
最低の食事しかしていない、それでも今なら栄養はとれるのである
ただ宿はビジネスホテルでも最低5000円とかなり節約できなかったのである
それで外国まで行って安宿を探していた、ところが外国の方が本当に旅しやすい
安いホテルが多いからである、ユースホステルも多く老人も普通に泊まっているからである、ただ高いホテルは豪華であり馬鹿高いとなる
中国だったら100円くらいで泊まれる宿があった、それは20年前とかであり高いホテルもあるが中国でぱ貧乏人は貧乏人用に安いの食事でも宿でもある
だから暮らしやすいとなる、別に雨露がしのげればいいということがあるからだ

観光業はコロナウィルスで廃業するのがおおくなるという時、どうして観光業を維持できるのか?それは原点に帰ることかもしれない、時代が違うともなるが本来は貧しくても疲れた旅人をいもてなす癒すことから始まっている、外国だとホスピスでありホスピタリティになるからだ                                        
だからうまいものだけを提供するとかではない、貧しくても相手が疲れているからもてなし癒すというのが基本になる、そういう心をもたないと成り立たないだろう
でも今は金持ち優先でありホテルにも宿にも格差がある
金持ちは優遇される、江戸時代は殿様は別格として他は同等だった
ただそこには疲れた旅人をもてなすということはなくなる、金持ち優先であり貧乏人はもてなさいなとまでなったのである
それを自転車旅行で感じたのである、つまり自転車旅行など胡散臭い奴で粗末に扱えばいい、どうせ金もないだろうとかなって冷たく扱われるだけだった

でもコロナウィルスで観光業やホテルや飲食業が窮地に立たされている
別に観光とかホテルでも旅館でも社会にとって必要ではないとはならない
ただ不要不急という職業だったのかともなる
観光には多分にそういうことがあった、ただ旅には何か歩いても移動しなければならない用事があり仕事がありそうなったともなる
それは不要不急ともならない、もし宿がなかったらへとへとに疲れてもう動けずに旅もで
他の家の火で「他火(たび)」、物を乞う「給べ(たべ)」といった言葉が由来になった
乞食がいたというとき旅することは物を乞うことをしないとできないこともあった
つまり宿ができる前にはそういうふうに旅する人を無料で農家の人がなどが助けたということがある、そういう人が増えた結果、有料の宿が生れたのである
だからどうしてもともといろいろな仕事が生れたのか、その由来を知る、そこに原点がありそこからまた再興がありうるともなる

ただコロナウィルス以後は遠くへの旅とか海外旅行でも敬遠される、内向きになりステイホームになり狭い範囲での生活が基本になる
それは江戸時代とかヨ−ロッパ―の中世に返るともなる
グロ−バル化というのはやはり極限状態になっていた、観光公害にもなっていた
それで観光業はインパウンドでもばったり来なくなったというのも驚きである
つまりそれはやはり不要不急の要素が大きかったからともなる
だからコロナウィルス以後は何が不要不急でないのか知るべきだとなる
そこに生きる術を見出すべきだとなる変化があった
江戸時代のような時代になるとしてもそこからまた新しいものが生れる
時代は絶対に元にはもどらない、でも江戸時代のようなものが新しい時代に別なのもとして再現されるということである



posted by 老鶯 at 21:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

立葵の咲く場所(花の写真の撮り方)


立葵の咲く場所(花の写真の撮り方)

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日のさして立葵咲く空高く伸びて影なく真昼に映えぬ

これは下からとったからうまくいった

クリック拡大するときれいに見える

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高松の青田酒店は岩と松の写真をとった場所であり
そこからますぐ行くと写真をとった場所がある
ここはわかりやすい場所である



立葵が今咲いている、これは夏にふさわしい、これは光の中に咲くと映える
それで昨日高松の方に行って撮った
その撮り方がわからなかった

花は遠くからとっても小さくなり見栄えしない
クローズアップしないと映えない、それでそれを今回は試してみた
立葵は高く咲くので下から撮ったのも良かった
角度を変えて撮る、接近して花をクローズアップする
そしたらやはり花は映えた、カメラはソニーのα6000でありそれほどいいものではないが高いものではないが映りがいい 

写真もちょっとした工夫で撮り方で見栄えが違ってくる
簡単なのはとにかく接近してクローズアップすることである
小さいと花は映えないのである

プログとかなると映像の時代だから写真が欠かせない、写真と一緒に出せば訴えるものが作れる
それでソニーの広角レンズを買った、今度はキタムラで買った、それを仙台の支店で受け取る、前もキタムラから買ったことがあった
キタムラの支店が相馬市にあったからだ、今はなくなった
やはりカメラ店があるとないでは違ったものになる

とにかくレンズが高いのには驚いた、ただ中古品がある、それにしても高い、カメラとレンズは中古市場があり中古車と同じく高く売れるのである
あとは中古品でもただ同然ともなる、カメラだけは違っていたのだ