2020年06月08日

海老村ー八沢浦ー磯部村を夏に回り俳句と短歌を詠む (津浪から9年半過ぎた変化)

                            
海老村ー八沢浦ー磯部村を夏に回り俳句と短歌を詠む

(津浪から9年半過ぎた変化)

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ここは金沢へゆく六号線の脇

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この薔薇はブルーバリューと名である

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鹿島区の仮設がみんな壊された
その跡が広いのである、だからその空地をどう利用するのかとなる
家はまだ建っているがこれ以上はそんなに建てる人はいないだろう
でも鹿島区の人口は二割以上が外から来た人になった
だから都会化したのである



磯部村(寄木神社)

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家囲み紫菖蒲の色深む

街中の空地の広く夏雲

外へ出て今日も飛び交う夏燕

黄菖蒲や沖行く船を海老に見ゆ

(磯部村寄木神社)

老鶯や石段上り社古る              


我が庭に薄紫の薔薇一輪奥にそ咲きてつつみ隠さる

我が家の廊下の広く真夜中に夏満月を見て歩むかな

灯のともし月影さして夏の夜や町は眠りぬ音もなくして  
  
(八沢浦)  
         
新しき道まっすぐに八沢浦都草咲き我が行きにけり

湊村消えしもあわれ誰が語るその跡もなく消えてなしかも

(磯部村)

磯部村消えて悲しもその思いいづこに残る社訪ねき

磯部村社の樹々の森なして残るも人は消えて悲しも

ハマヒルガオあまた咲きにつ海広く鴎の群れの鳴きて飛び交ふ   



八沢浦から磯部村に行った、八沢浦の湊村は消えた、磯部村は余りにも悲惨だった

「相馬沖は遠浅だから津波は来ない」。地域の多くの人たちが、そう信じていた。1960年のチリ地震でも津波は防潮堤を越えなかった。経験則があだになった。

相馬市磯部地区では約2000人の住民のうち、251人が大津波の犠牲になった。 市全体の死者・行方不明者458人の半数を超える。

海老村も消失した、崖の高台が避難場所として指定されたのが大失敗だった
あそこで30人くらい死んだ、でもうしろの森に逃げた人は助かったのである
危機一髪で助かった、あそこを津波の避難地として指定したのは津波のことをこの辺では全く知らなかった、まず400年前にあったとしてもそんなことを知る人は学者でもいなかったのである
津波の後に相馬藩政史に二行だけ津波で700人溺死という記録を発見したからだ
だから津波は来ないという確信になってしいたから磯部では逃げなかった
津波の恐ろしさは村ごと消えてしまうことである
磯部村は消え八沢浦の湊村は消え、海老村も消え烏崎村も消えたのである
これほどの被害があったならあんな海岸線に家を建てない
だからなぜあんなに家が密集して建てていたのかという疑問になる
それは日本が全体でもそうである、津波の被害は常に日本であったけど忘れられていたのである

とにかく災害は忘れたころやってくるというのは本当である
コロナウィルスでもそうである、スペイン風とかコレラとかで被害があっても忘れていたそして今回でいろいろとウィルスの怖さを言うのである
つまり人間はこうした自然災害とか定期的にくる、カルマとして来ることなのである
カルマは必ず苦しみとなってくるときそのカルマを自覚するのである
そうしないと自覚できない、昔の人が津波であれ苦しんだとかウィルスでもそうなのである

磯部村ではただ寄木神社だけが残った、あそこは森になっていて何か古さを感じる
でも事実上磯部村は消滅した、丘の方は残ったとしても村として維持できるのかとなる
磯部地区全体としては2000人いたとなると人口としては多い
その大部分が海岸地帯に住んでいたから悲惨だった
ともかく磯部村にはあの寄木神社が残るだけである、ただ丘の上の小学校とかは残っている、もともと磯部村は古磯部がありそっちの方が古いとなる
だからあの海岸線に住んだのは新しいとなる、でも実際はそこでも慶長津波の前から人は住んでいたから古い場所なのでなのである
古磯部とあるのはそこに新しい町が生まれたからである、そっちの方が中心となったから
である、寺も高台にあったことでもやはり古く住んだ場所は高い場所だったとなる

とにかく何か磯部村ではそこはソーラーパネルが一面にしきつめられそこに多くの住んでいた跡がなくなった、だからもうここにあれだけの家があったことを後の人は知ることもできない、つまり偲ぶものがないからだ
神社が残ったとしてもそこに人が住んだ跡とはならない、それは別だからである

なぜか磯部の海に鴎が群れて飛んでいた、あんなに多く飛んでいるのはなぜなのか?
浜昼顔が防潮堤の隙間から咲いていた、砂浜に咲くといいがそれもない
松川浦の海には咲いている

夏は写真とか花を見るにはいい、それで原町へ行く六号線の脇の金沢の坂を上る所の堤の側に新しい家ができた、それは大工の家だった、庭に畑がありその家を囲んで紫の菖蒲が咲いていた、それを写真にとらないんのが失敗だった
人間は何気ない所に美があるが見逃しているのである
あまりに平凡だとそこに美があると感じないのである
ただあそこは前がソーラーパネルになったから景観としては良くない

夜は満月であった、広い家の二階の廊下から見る、まずテレワークとかなると家で仕事するとなると静かな広い空間と部屋が必要になる
子供もいたり何か煩いと仕事ができないからだ、私自身は知的作業するが誰もいないからかえって集中できる、でも家事とかやるのに追われる
これだけの文章でも写真でもプログに出すとなるとそれが一仕事になる
それでフェスブックとかはじめたが一回も見ていない、やり方がわからない
それよりいちいんち答える時間がないのである
まずプログに書くことが一仕事なのである
それでプログの人気者がyoutubeで5000万一年に稼いだという人がその苦労話を語っていた、最初プログの記事を書くために8時間かかったというのもわかる
プログとかインタ−ネットとかで表現する問題はやはり手間がかかり時間がかかるのである、この時間だけは手間だけはいくら便利になってもできない
それはどんな仕事でもそうである、いくら機械化しても人間の手間がかかるのである
その手間がなくなることはないのである