2020年06月01日

規格が統一されないと何でも使いにくい (カードでもケーブルでも数が多いと使いにくい)


規格が統一されないと何でも使いにくい

(カードでもケーブルでも数が多いと使いにくい)

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デジタルカメラのケーブル
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平均の規格を出す数式


一度スーパーキクチのカードを無くした、それが偶然見つけた、でもまたなくした
そうなったのはカードで買い物する場合、私はキチクスーパーとシシドスーパー両方に行く、それで一枚のカードで買えるビザカードだと便利でとなる
何か何枚もカードがあると使いにくいからなくしたりする
10枚くらいカードをサイフに入れている人もいる
そうなるといちいち選び使うからめんどうになってなくしたりする
一枚だったら楽なのである

だから金でも本当はグロ−バル化したらドルが世界貨幣として通用させた
でもそうなるとアメリカの金融支配となる
石油がドルでのみしか決済できないとなったからだ
それでイランの石油は世界で買えなくなった
ただイランと中国とは石油の取引を独自の銀行を通してしていた
中国はこうしたしアメリカの一局の金融支配に対抗して独自のデジタル貨幣を使用するように動いた

今日見た妙法でその仕組みが語られていた、SWIFTというブラットホームを通じて外国からの送金を仲裁している、そこはアメリカの手中にあり手数料がとれる
また銀行が日銀を通して金のやりとりしていることも説明した
つまり日銀を通してのみ銀行が金のやりとりができない
それと同じように世界でも仲介する銀行が必要でありそれがSWIFTだという
アメリカの強さは金融を支配してドルが世界貨幣になっているからである
それをつぶそうとするとアメリカはその国を許さない、だから中国を敵視する
イランでアメリカ軍に殺された人は軍人ではなくこうしてアメリカを通じて取引することを拒否した人だったという
とにかくここにも根深い対立が生れていた

たしかにユーロ―になる前にヨ−ロッパを旅行した時は不便だった、いちいち国が変わると両替しなければならなかった、ただそれで国が変わるということでコインを集めたりして楽しんだ思い出となった
その国に旅したという記念ともなった
でも人間社会はどうしても一つの規格になると何でも使いやすい、でも規格化することはその規格化をする国が力をもつことになる、今はアメリカなのである
ただ規格化しないと大量生産だってできないのである

それで困っているのはデジタルカメラのケーブルである
パソコンに取り入れるのにケーブルがみんな違っている、十個くらいケーブルがある
他にも使うからある、もしこれが一つで間に合うなら楽である
なぜメーカーごとに違っているのか?それが理解てきないのである
それで記録するusbメモリーカードでもカードリーダーを使うようになった
一部ソフトの具合でパソコンにケーブルを通じてとりこめなくなったからだ

ともかく規格化すれば日本の企業でもそれによって富を独占できる
日本の規格化だからである、そういうことで日本でデジタルコインの規格化しろというのもわかる、日本の円の方が世界で信用できるからだとしている
また香港が金融のハブでなくなるときシンガポールに移行するとか今度は日本に移行するようにするとか画策する
金融を握るだけで送金したときなど銀行のように手数料が入るからだ

ともかく紙幣とかコインはコロナウィルスで嫌われるようになった
だから余計にデジタル化とかIT化が進むようになる
ただカードでも一つになると使いやすい、それでカード会社もしのぎをけずった
つまり他者との競争でも一つのカードで使えるといいからである
その一つの規格が選ばれると利権を独り占めになるからである

ただ金融というのはわかりにくい、だからこそ国際資本家に莫大な金が流れて格差社会になる、その金は実際は汗水たらしてためた世界の人たちの金なのである
世界規模になると何かその不正すら見えない、そんなグロ−バル化経済とか市場とかは成り立たなくなる、それでグロ−バル資本主義は行き詰まり自壊してゆく
今こんなにコロナウィルスで困っているのに景気が落ち込んでいるのに株だけがあがる
ここにも株とか金融は実体経済と乖離している
いくら株が上がっても実質経済は巷では失業者が増えているのに株が上がる
そういうことは何かもうグロ−バル経済市場とかは作られた虚構の世界、イリュージョンなのである、つまり紙幣は紙きれになる、紙幣がいくら貯えられてもそれでもう経済は成長したり豊かになれないのである

金はこうして仲介業者により世界でもぬきとられている
                                                                          

 SWIFT(国際金融決済機関)

2020年06月02日

権利と責任(カルマ) (過剰な権利の要求が民主主義になった弊害)


権利と責任(カルマ)

(過剰な権利の要求が民主主義になった弊害)

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今回のコロナウィルスでも政府からの給付金、支援金がもらいとなるとあらゆる人が要求した
こういうときもらわなければ損だとなり権利があるとして要求する
それで京都の寺でも拝観料をが入らなくなり政府から給付金を出してくれと訴えた
ところが寺では拝観料に税をかけようとしたとき寺の組合がみんなで反対してとめた
つまりもしここで税金を払っていればもらう権利が出ていたかもしれない
それを今さらまた拝観料が入らなくなったから支援してくれというのは虫がよすぎるとして政府の担当の政治家が怒ったのもわかる

芸能人でも給付金を要求した、芸能人は一応税金は払っている
でもネットでは批判が多い、収入が大きかったし芸能人は河原乞食でなくてもどうでもいいんだとして批判が大きいのには驚いた
なぜならち芸能人だとその批判している人でも見ているのかと思ったからである

そしてなぜ芸能人がこれほど批判されるのか?

それは収入が馬鹿高いとかもともとその仕事に一般の人も評価していなかったのである
ではなぜそうして批判があるのに認められるのかというと一般の人が批判してもやはり
一般向けに大衆向けに面白おかしく政治のことでも語り影響力があるからだとなる
それで政治家でもカルト宗教の団体でも芸能人を宣伝役に使うのである
それで影響力があるから政府でも芸能人を宣伝役として使う、また支援金を出すというのはそのためである

結局そうして影響力があることが政治家を動かし現代の民主主義となる
何か一人の人間が熟考したことを言っても無駄である
なぜなら民主主義は数で決められるからであり多数決だからである
すると政治家でもとにかく数を集めようとする、一人の人間よりどうしたら数を集めるのかとなる、これはマスコミでも視聴率をとることが宣伝費も入るからいかにみんなにみてもらうかで芸能人をテレビに出すのである
それがポピュリズムにもなりファシズムにもなってゆく、そこに民主主義の限界があってもそれに代わるものがないからそうなっているだけなのである

ともかくこの支援金問題は原発事故でも起きた、それは何度もしつこく追及して来た
つまり原発の補償金は避難区域で大きかったからである
それであらゆることに補償を要求したのである
それで一番矛盾したのが漁業権をもった漁業組合なのである
なぜなら漁業権が大きな権利でありそれを東電に売ったからである

そのことが何を意味していたのか?

その意味も何も考えない、漁業だけではやっていけないとなりそれなら金になればいいとしかなかった
つまり金になるなら何でもいいとなっていた、それは地元でもみんなそうである
金になればいいしかないのである、そのために権利を主張する
家の前の海でも権利あるとか日ごろ関心もない私道にも権利があるとありあらゆるものに補償を要求したのである
ただ東電でも仏壇とかいろいろな物に補償を与えたのである

それに対して何の疑問も感じなかった、つまり権利を法律的にも何でも主張できると思っていたからである、そこに悪びれることもなにもない、当然でありそれに後ろめたいものも何も感じなかったのである
つまりこれは民主主義がただ権利を主張するものとして受け入れた結果なのである
だから原発事故になり海が放射性物質で汚染されて魚がとれなくなった
でも事故前も事故後の十分な補償金をもらえるから困らないのである
いち早く立派な新しい家を建てたのは船主だということがわかった
その人たちは補償金で困ることがないからである

でもここでわかったことは権利を主張するのはいい、でも権利と責任は一体だったとういことである
寺で支援金を要求するのはいい、でもその権利には責任がともなっていた
拝観料に観光税を払うことを拒否した、税金を治めなかった
それなのに観光客が来ないから税金で補償してくれというのは虫が良すぎる
なぜなら市の行政でも観光客の便宜を図り税金を使っているからである
寺だけで観光客を呼べるもてなすこともできないからである
だからこそ京都市でも観光客があれだけ多いのだから税金をとろうとしたのは納得する
別に拝観料とることは宗教活動でもないからである

つまり権利を主張するのはいいとしてその権利に正当性があるのか?

これが問題になっていたがそれを深く検討などしない、金になればいいしかないのであるこのことはあらゆることにある
第一弁護士自体がなぜ相談に行ったら相談料として百万も最初にとったのか?
その正当性がどこにあうったのか?
その弁護士は詐欺だったのである、弁護士自体がそうして金のためなら法律に違反していることを平気でしているのである
だから弁護士自体が何かうさんくさいとされるのである
弁護士は何か法を守る番人でもない、金で動くこと自体弁護士という資格をもって利権を得て金を得るともなっている
今の世の中はあらゆるところでこうして金を得るために権利が主張されているのである

ところが怖いのは金をもらえばいいとなってもそこに何らかのカルマが付加されている
カルマとは責任なのである、金は具体的だからカルマがわかりやすく付加されている
10万の金には10万のカルマが付加され、百万には百万のカルマが付加され
一億には一億のカルマが付加されているのである
カルマとは責任のことなのである、だから金を得て良かったと普通はなるがそうなっていない、後でそのカルマがア苦しみとなって現れる
逆にみんなから責められるのもカルマだったとなる

そういうのは自分自身にもあったのだ、親の遺産問題でそうなった、ただ自分は懸命に介護したから遺産を受け継ぐ権利を得たともなる
親が認めてくれたからである、でももし肉親でも介護をしなかったどうなるのか?
それは確かに法律的に権利があったとてももし他人が介護したらやはりその人にも権利が生じる、それで法律でも遺産を得る権利があるとして認めるようになったのはわかる
つまり権利には何であれ責任がともなっているのである

つまり権利と責任は一体なものである、そして現代では金がすべてとなったとき権利ばかり主張する、それが民主主義であり当然だとしている
でもその権利を主張する責任のことが欠落しているのである
ドラマにしろヤクザが親分から5両でも金をもらった義理があるとかで人を殺した
つまり5両をもらっただけで人を殺してしまうという責任が課せられていたのである
こうなると怖いことである、そんな金をもらうこと自体普通だったらもう拒否する
そな責任は負えないとなるからだ、ドラマにしてもやはり金というのはそうして怖いものをもっているのだ
江戸時代は5両盗んだら死刑とかなったのもそうである、金の額で刑罰が決められる
しかしほとんど金を得られれば何でもいいしかないのが現実であり権利だけを主張するのが民主主義として受け入れた戦後があった

権利というとき不思議なのは法律ではあらゆることに権利が主張される
日本国民は労働の権利と義務があるというのもそうである
実際このことでも労働は権利だというのが理解しにくい、労働はやむをえざる強制となっているのが普通である、私に労働の権利があるから職を与えてくださいとか言わない
そんな権利など与えてくれない、職が得たかったら国が職を与えることなどないからである、ただ労働の義務は課せられているだけである

だからとにかく「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」こんな権利があるだろうか?日本貧困化してくるときどうしてそれが保証できるのか?
貧乏な国ではそういう保証は不可能である、なぜなら戦前は貧乏だから普通に乞食がいたそれを国で保証したりしなかったからである、国でできなかったからである
だから日本が画貧困化ししてくればそんな金を出すことができなくなる
つまり何でも国で保証できるわけがないのである
それで政府では紙幣をすればいくらでも金を作れるというのも疑問になることは確かである、そんな魔法のようなことができるのか、それなら誰もこんなに苦労しないだろう
紙切れの紙幣をすればいくらでも金が生れ解決するとかならないというのは小学生でもわかる、それでMMT理論はありえないとしているのもわかる

とにかく金を得ればいいというとき権利を主張するときその正当性が問題になる
なぜ漁業権を得たのか?資源保護のためにである、でも東電に売ることが資源保護になったのか?それが原発事故以後問われたのである
なぜ寺で拝観料から税金をとることを拒否したのに国に給付金を要求するのかとなる
権利を主張するのはいいとしてその正当性が問われたのである
だから日本は民主主義が何かを理解しないでただ権利だけを主張することを要求するものだとなったのである
そして権利というとき反対は利権になる、そこに漁業組合であれ宗教団体の組合であれ
その活動には税金をかけない、そういう権利を得ている
でも今回別に京都の寺で拝観料をとることが宗教活動でもない
また宗教団体でも給付金を要求して得られというのも理にあわない
もともと税金を宗教活動なら免除されているからである
でもまたなぜそういうことが通るかとなるとそれが団体化して数で影響して権力化して政治家を動かすからである、そこでまた政治が歪められるのである

とにかく様々な利権を主張することが民主主義でありそのために数を集める、それは宗教団体でもそうである、それで利権を得て金を得る、利権団体民主主義になったのが日本なのである、その問題は社会自体を歪めるから問題なのである
何も権利を主張するのがいいことだと悪びれることもなにもないのである
それが正義だとなっているからだ
ただ何かをしたら権利を主張できる、何も草取りを頼まないのに勝手に草取りした
だから金をくれと要求された、つまり勝手に草取りしてその権利を得たとなる
何もしないのに金をくれとは言えないからそうなった
これも変なのだけど一応権利を得たとはなっていたのである 

他にもマスコミでも六局に特別放送する権利が与えられた、その権利は大きいものだったそれでマスコミに左右される結果になった、つまりそれは特別の権利である
でもその権利がマスコミで勝手に解釈して公共の利益になるとはならなかった
NHKは特に国民から平均して金をとって放送しているから中立の立場で放送するべきである、それもしなかったので批判される
その影響が大きいから問題になる、それでインタ−ネットが出てきて万人に放送の権利を与えたことは民主主義の大きな進歩になった
テレビだけを見ていると社会がわからなくなるからだ
テレビ自体がいかに映像で操作できるものか知ったからである
それはネットから指摘されるようになったからである
テレビは大きな権利を与えられていた、でもその権利を悪用したということがあった
つまり権利が大きければ大きいほど責任も重くなっていたのである   

ところがまたインタ−ネットでも誰でも発言することができるようになった
するとそこに権利を得たとしてもまた責任が生じるようになった
それでネット上の発言で責められて自殺した女性のプロレスラーがいた
それはネットだと何でも発言できる、誰かわからないとか匿名だとかでそうなった
これまではネットで発言してもそんな影響がなかったのである
でもスマホであれ一般化すると何んでも発言していい環境でなくなったともなる
それが広まり安くなったからである、ただその発言がそれだけ影響するとは思わない
それがネットの盲点である、面と向かって言うわけではないからそういうことはこの通信世界には常にあった、顔も見えないからである
ただyoutubeは顔を出しているから責任が生れているとなる
ただインタ−ネットだとそれだけ読まれるとか見られるとかない、そこで責任が軽減されている、でもだんだん一般化してきたからそういうことが起きてきた
つまり権利を得ることは責任も生じるということである
権利を主張のはいいとして責任をとかその主張する正当性をrightを自覚して発言するべきだとなる
それが意外と後で大きな問題となる、得したと思ったことが大損にもなるから気をつけるべきだとなる、つまり重いカルマとなりのしかかることになるからだ


生活保護って何なの? (権利ばかり主張するようになった現代) 





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2020年06月03日

summer forest

summer forest

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summer wind in the forest

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ruin road
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スーパーヒタチは絵になり写真に映える


スーパーヒタチは絵になり写真に映える

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夏菊にスーパーヒタチ映えて去る

夏燕スーパーヒタチの走りさる

吹きぬける風や青葉に映えて去る  


スーパーヒタチは見ていて気持ちがいい、それじ写真をとる、写真撮るためにいい場所を決めて写真をとる
写真がむずかしいのは場所の選定とか構図とかいろいろ要素がありそれがうまくいかないそれでし写真のプロは何百万のカメラをもっているとyoutubeで説明してい
メカに左右されるとある
なかなか大きな画面になると花などはとりにくいことがある
ただそこまでやるとなるとめんどうである

今は駅には行っていない、このスーパーヒタチの写真をとることが鉄道に関係することである、これは絵になる、走っているのを見ているだけで気持ちいいのである
でもまだスーパーヒタチに乗っていないのである
乗っているのは一人とか本当にがらあきである

とにかく今の季節は写真とるにはいい、花とかいろいろ映えるからである
今は映像の時代だから俳句でも写俳と言われたように写真と俳句が一体化する
だから写真は欠かせないのである、ただ重いととりにくい、私は自転車だから重いカメラはもちにくい、それで落として一部レンズが壊れたからである


記者の避くべきこと (公正中立を保つためには隠者になること?)


記者の避くべきこと

(公正中立を保つためには隠者になること?)

有名な新聞記者スモレー氏は,ハーバース雑誌上に記者の資格について論述するに当りて
記者こるの避くべきこと、二ケ条をあげたり

一、多く人と接すべからず
一、問をかくべからず

而して記者と深報者との肝要なる別あるべし
公平独立の観察は隠遁者流の者ののみに世に供するを得べしと述べたり、卓見と謂うべし
(内村鑑三)

これは意外である、なぜこのことに共感するかというとき何か自分でホームページを立ち上げてプログでいろいろ書くようになった
その時、自分が記者の端くれになったと自覚した
記者の様なこたとをして報告するようになった
それは津浪と原発事故が起きてそれが地元の自分が住んでいる場所だから否応なく地元のことを報告することになった

なぜ一、多く人と接すべからず・・とか言うのか?

普通は記者とはいろいろな人と逢い情報を仕入れてみんなに知らせるのが役割である
まず人と接しないとしたら何ら情報は得られないのである
でも黒川検事とマージャンしていた新聞記者が批判されたのはそこで客観的な立場ではなく親しい仲間となった、そうなると新聞記者として真実を追及して報告することはできなくなる
でもまたそうした検事でも接しなければ情報は得られないのである
新聞記者の仕事は第一多くの人と接することなのである
取材とかでもそうである、だから人と接しないでこの職業が成り立つのかとなる
それで意外と思ったが自分自身がまず人と接しないから共感する
引きこもりのような状態をづっとつづけてきたからである

問をかくべからずとはよくわからないけど深報者とは仏教者のことらしい、とすると何かそれは常に問うものである、
人生にいかにあるべきとか問うものである、でも記者は何かを問うのではなく真実を事実を伝える者でありそこが違っているとなる、だから何か勝手にマスコミが編集して操作して事実を曲げて粉飾してもフェクニュースにすることは一番記者とてはしてならないことである、でも現実は事実を事実として伝えない、マスコミの意図があって編集して操作して伝えている
それが巧妙でわからないことがある、そのトリックに気づかいなのである
マスコミはただ事実を伝えることに生きがいを感じない、社会を政治でも自民党なら時の権力者なら攻撃して転覆させるとかの意図があって報道しているのである
だからその意図にかなわないものは報道すらしないのである
そこに視聴者は相当に不満になっていたのである、それでインタ−ネットが出てきて様々な個人がそこで経験したことを知ったことを報告するようになったのである、だからマスコミの比重は相当に低下してゆく
マスコミ自体が常に批判の対象になってしまったのである

この意味するところは記者が公正な立場に立って報告をするというとき情実が生じて来るまた権勢家と権力者とかかわるとどうしてもその権勢に従うようになりそこから利益を得るようにもなり公正な立場がそがれる
そもそもマスコミが批判されるのはまさに独立の立場をとれないからである
会社の様々な団体の宣伝費によって運営すること自体がそうである
また視聴率第一になるのもそうである、そこで本来の趣旨より面白おかしく芸能人を呼んで大衆向きにする
つまり娯楽番組であり何か政治とか現実の様々な問題を真剣に追求することはなくなる
そこから原発事故でも800億円という宣伝費がマスコミに費やされていた
そのことから原発の闇が生れて真実は報道されず大事故になりとりかえしのつかないことになった          

おそらくどうしても公平になるにはある団体とか組織とか派閥に入ると公正さが失われる第一にその所属する組織団体の利益を利権を優先するようになるからである
だから公正中立になるには何かの派閥とか党派に組みしないことである
でも実際は何らかの組織とか党派に派閥に属していないと力をもてない
それで一個人が取材させてくださいとしてもそんな人を受け入れないのである
門前払いで終わりである
でもそもそもそうして団体に組織に派閥に属しているから取材を受け入れるというのも
すでにその時偏っているのである、取材される方も相手を受け入れるのは権力をもっているからだとなるからだ
そこで権力ある者と権力ある者が利益を共有するようにもなる
それが黒川検事とマージャンするということで起きた
新聞記者と検事のなれ合いとなりもともとは不正を追及する立場の人ができなくしていたのである

とにかく「神は偏り見ない」というとき人間がこれを実行するのは至難である
なぜなら内輪のことでも家族のことになると家族に属していれば家族が悪いことをしてもそれを正すことがしにくいからである、家族だとどうしても利益共同体だからそうなる
そこに肉親の情もあり余計に偏り見ないことができない、偏って見てしまうのである
それで裁判では肉親は弁護できないのである
私が原発事故の補償金で追及した時でも自分の住んでいる区で自分自身が不満でありそれで他の区を批判したともなる、人間はなんらか必ず利益を得たいとなるから公正に見られない、ただそういうことがあっても私自身が特別の利益を要求したわけではなく不公正が大きかったからそれは偏ったものではなかったと思う
ただコロナウィルスの支援金でも必ず公正にはならない、不公正が生まれるのである

現代の退廃はあらゆる部門で場所で職業倫理でも喪失した
その職業が何を目的として何を期待されて何を果たすべきなのかわからなくなった
ただ金をもうければいい、金を得ればいい、利益がすべてだとなってしまった
利益をあげれば金を得ればそれでいいしかないのである
それは社会全体でそうでありグロ−バル経済になると全くそうした倫理的なことが消失した世界の経済なのである
見えざる手によって導かれるとういがそんなものは成り立たないのである
だから一握りの人に世界の富が収奪されている
つまりカンジ―の言う道徳なき経済(商業)なのである

「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である(二宮尊徳)」

@ 原則なき政治

A 道徳なき商業

B 労働なき富

C 人格なき教育

D 人間性なき科学

F 犠牲なき信仰 

二宮尊徳はまさに道徳なき経済は犯罪だと言っているのだから手厳しい
現実にグロ−バル資本主義とは本当に犯罪だともみる
一部の詐欺集団が犯罪者であり莫大な富が収奪されているからである
公正な市場などでありえないのである
また金融資本主義には労働などない富なのである
なにか世界的ギャンブルのようになっているからだ、市場が賭博場のようになっているからだ

だから記者とか報道関係に従事するものではモラルが喪失している
真実は追求されずそれが原発事故にもなって甚大の被害を与えた
何かモラルの退廃がそれが大きな事故とか崩壊に通じている
ローマ帝国もモラルの退廃で滅びた、もともとは質実な農民が基となり建国したからである

記者のミッションがあるがこれも何か失われた、真実を追及して真実を明らかにして世に貢献する、そういうものがなくなった
マスコミはテレビは大衆に娯楽を提供する場となった、そうしたのはまた大衆の方でもある、いくら高等なことを言っても大衆が欲している低俗な娯楽だとしたらローマのようにパンとサーカスにならざるを得ないからだ

現代は何かそれぞれの職業で職業倫理が喪失した、ただ金だけを利益だけを求めているだけである、もちろんそれを全部否定はしないとしてもその目的とモラルを失っている
グロ−バル経済では範囲が広すぎるしまたそこに人格など働きようがないのである
倫理が人格に由来するとすればもう人格など通用しない世界だからである
大衆社会とか機械社会とかAI社会の盲点はそこに人格が消失した倫理も消失した社会なのである、そんな社会がとても理想の社会とはなりえないのである

2020年06月04日

コロナウィルスウィルスが世界を変える不思議 (グロ−バル化、都市化、生態系破壊などへの逆襲)

コロナウィルスウィルスが世界を変える不思議

(グロ−バル化、都市化、生態系破壊などへの逆襲)

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新潮6月11日号


コロナウィルスが提起した問題はいろいろある

そもそもなぜたらまち広がったのか?その原因は何なのか?

●生態系の破壊

●グロ−バル化と都市化

●経済のみ重視

●科学技術進歩と偏重

他にもいろいろあるにしろこの三つが基本的にある
何か動物から未知のウィルスが発生したという時、そこは人間は入ってならない場所だった、聖域、サンクチャリーとしてあった、そういう場所にもづかづか人間は入り込むようになった、その原因が今科学者とか生物学者からも指摘されている

新潮の記事でもアフリカに意外とコロナウィルスが広がらないのはなぜだろうというとき人口の密集する場所が少ない、都市化もまだしていない、それで広がらないとしている
それでコロナウィルスが一千万都市の武漢から世界中に拡散したというときまた世界中で都市封鎖がされたというときそうである
都市が世界で巨大化したからである、日本でも東京から拡散する、東京を止めない限り安心はないとなる
この辺でも東京のライブハウスに行った人が感染したのである
他でも東京から感染が広がる、大都会から感染が広がる、大都会は常に人が密な場所だからである
都市そのものが生態系と断絶した生物として住むには異様なものなのである
異物ともなっているのだ

ただコレラとかでは長崎とか福島県なら会津若松から拡散した
そこは新潟県からでも中通りからでも街道があり人が集まる交差点になっていたからである、だから人の交流する集積地となりそこから各地に拡散したのである

またグロ−バル経済を批判して来たけどグロ−バル経済とは結局政治と経済原則とか生態系とか地理とか様々な制約をあったものを破るものとしてある
それが極限に達するような状態になっていた
そうなると何の制約もないアナキー社会になる、無政府状態のようになる

そこに通用するのは何か?

金しかなくなった、金ですべては売られだけである、金にならないものは一切価値のないものとして切り捨てられ無視される社会である
値段のつかないものは無価値にされ捨てられるのである
だからそもそもグロ−バル経済など成り立たない代物だったのである
世界的な公平な市場など成り立たない、そこは極わずかな超富裕層がもうけるギャンブル、カジノなのである
そこで世界の富は数パーセントの人たちに吸い上げられるのである

こういうグロ−バル社会が継続できるのか、それはバブルとなり恐慌となり破綻して当然だともなる
現実に家もなく路頭に迷っている人たちがいるのに株価は上がっているのも変なのであるそのこと自体経世済民が経済だというとき全く正反対の経済なのである
モラルがない、ただ金が右から左に流れ投機になる、マネーゲーム化して巨万の富を得ている少数者がいる経済なのである
経世済民どころではない民を苦しめるだけの経済なのである
だからアメリカのように暴動が起きても不思議ではない、その資本主義のシステム自体がもう成立しなくなっているのだ

また科学技術が巨大化して一地域のミクロコスモスを簡単に破壊する
それが原発だった、原発事故によって空気も水も土も汚染されて住めなくなったからだ
科学技術は万能ではない、だからコロナウィルスも未知のものであり対処できない
専門家でもいろいろ言って定まらない、原発事故でもそうなった
コロナウィルスについて誰も科学者でもわからないのだ、ただみんなそれぞれ勝手に予測している段階なのである

ともかく東京から若い働き盛りの人が地方へ移住するようになるのは老人が移住するより活気をもたらすからいいとなる
テレワークになったり働き方も変わる、距離を関係なくさせるのがIT技術だからである
こうして文章を書いて一瞬で全国に世界に発信できるのもそうである
その技術の恩恵はある、ただ技術がすべていい方に作用するとはならない
それが原発事故だったのである

いづれにしろコロナウィルスで社会構造をシステム自体変えざるを得なくなったというときそれは悪いばかりではない、人間が密集する都会は災害でも危険である
それでミサイルが飛んでくるとして恐れたりするようになる
軍事防衛的にも大都会は一発核ミサイルが飛んできたら壊滅するから恐怖である
それより一千万とか人間が密集する世界が生態系を無視しているし危険なのである
津浪で襲われた三陸とかでは裏山の清水で米をたいてしのいだとかある
そういうことが大都会ではできない、備蓄しても限度がある
その時ただ脱出するほかなくなる、ならばその前に脱出した方が安全だとなる

グロ−バル経済でも何か物でもいくらでも入ってくるという社会はいいように見えた
でもその物を得るためには金が必要である、その金をどうするのかとなる
何か売るもの作らねばならない、でも何か売るということはいろいろコストがかかる
第一全国でも外国でも売るとなると交通費がかかったり容易ではない
それは負荷が大きいのである、それは簡単にみんなができることではない
かえって苦労が大きくなり負担になる、だからあらゆるものを世界から買うことができる食料でも外国から金さえあれば入ってくることはありえないのである
それでマスクすら中国頼みであり日本で作れず調達できなかったことでもわかる
つまり肝心なものが日本国内で作れず入ってこなかったのである
それは今後でも緊急事態でそうなる

人間は遠くの親戚より近くの他人というとき緊急の場合はそうなる
何か親戚としても薄い関係であり自分自身が責められることがあるらいいにくいが
東京にその人がスンデいても要求するのは金だけの関係になっていた
だからその人は金だけを要求する、金を送ってくれだけでありこっちのことは何の関心もない、心配もしない、そういう人と人間関係が結べるのかとなる
このように人間関係を越脱してグロ−バル化が限度なく進攻したのである
経済の前に人間と人間の関係が何なのか?
ただ物の交換とか金だけがグロ−バル化で通用する世界は人間からするとありえないことだったのである   

だからコロナウィルスで物でも人でも交流が止められた、その時外国人労働者が自国に帰れないとかなり雑草まで食べて飢えをしのいだとか記事にあった
まさにこういうとき外国人労働者でも人間なら助ける、相手は物ではないからである
外国人労働者を入れることは単に給料が安いからとして受け入れても物として扱えないからそうなる
つまりグロ−バル経済というのはそうした本来の人間の在り方を越脱したものであり
それがコロナウィルスの危機で露呈したのである
「金を送ってくれ、あなたが病気になろうが何になろうが関係ないです、その時は連絡しないでください、私は関係ありません」
こんな関係が成り立つのかとなる、それは親戚でも成り立たないから遠くの親戚より近くの他人になったのである

人間はいくら交通が発達してもある限定された土地で生活する、そこが根拠になる
その中で経済でも回す、それで戦前までは自給自足の生活だった
その土地でとれるものを基本にして生きるほかなかったのである
だから燃料は炭だったのである、炭なら森林があり森林は50年で育つとしても絶えることなくある、でも石油とかに頼るとなると遠くから運ぶから負担になる
緊急の場合、紛争とか戦争かあると石油は入ってこなくなる
かといって炭で生活する時代にはもどれない、でも何か外国でも外部に頼りすぎる生活は緊急時に弱いし危険が伴っていたのである
それをコロナウィルスで知らしめられたのである
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2020年06月05日

浪江町の帰還率が10パーセント以下 (9年半過ぎても帰らない現実ー コロナウィルスで東京も住めなくなるカルマ)


浪江町の帰還率が10パーセント以下

(9年半過ぎても帰らない現実ー
コロナウィルスで東京も住めなくなるカルマ)

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帰還率




復興住宅に住んでいる人は浪江の人であり大工さんしていたという
娘と二人で住んでいる、家が狭いと嘆いている、二階にはトイレもないとか不便を言う
たいがい田舎でぱ大きな家に住んでいたからである
自分の家でも家で法事したりしているから人が集まるために広い家作った
小高の人は十八畳なのか広い家に住んでいた
だからまず仮設に住んたり狭い家だと窮屈に感じる

その復興住宅でもう一人の浪江の人は毎日釣りに行っている
何もすることがなく遊んでいるだけだとなる
その大工さんもいつも土手の所に暇そうにしている
何かすることがない、金は5000万近くもらっているから余裕がある
でも何か失った方が大きい感じになる

10年も避難暮らししている人のことはわかりにくい、感覚的にわからない
何か喪失感が今になって大きくなっているかばしれない
その人たちは帰らないと言っている
取り残されたのはこうして老人なのである

ただ浪江町が2万くらいいて一割も帰っていない、これは深刻である
現実に浪江駅前でも閑散として人も住んでいないし店もやっていない、確かに電車は通るようになっても人が住んでいない
でも小高は50パーセント帰ったから浪江町とは相当に違っている
高校でも通っている生徒が500人とかいるからだ
ただ問題は若い人がいない、子供がみかけないというのは本当である
子供が他から町が用意したタクシーで通っている
小高とかでも原町区は5万くらいの人口が今でもありそこに移り住んでいる人が多い
だから原町からでも小高の学校に通うとなる
飯館村でも人は住んでいない、でも新しい立派な建物の学校があり他から通っている

何かはっきりしなけど浪江町の町長自体が中通りの町に家を建ててその後死んだとかある飯館村の町長も福島市に住んでいる、つまり肝心の町でも村でもそのトップが住んでいないのである
ただ何か飯館村でも人が住んでいると自分は錯覚した
なぜなら新しくこじまりとした家を建てていたからである
現実はそこに住んでいない、それはときたま帰ってくる別荘だというのでそうかと納得した
浪江町がなぜ10パーセント以下という低さなのか?

その原因は何なのか?町の半分くらいがまだ高い放射線量があり敬遠した
ただ飯館村の方が帰っている人が多い、だから帰還者の比率では低い
隣の小高は50パーセントだからかなり帰っている、しかし子供は見ないというのは共通している、見かけるのは65歳以上の老人でありなんとか働けるのは50代からだともなる、田舎ではもう50代は相当に若い世代であり働く世代である
第一農家の年齢が67才というときもう田畑を維持する限界なのである
それでも日本では8割は専業農家が農産物を生産しているから実はそうした零細な農家がつぶれても外から入ってくるから困らないのである
でも地元の農家でも田畑でも荒廃する、草ぼうぼうになる
それを見ると何か荒涼とした風景になる

つまり今なら田んぼでも蛙が鳴いている、今日の夜は満月だった、それで自転車で夜風を受けて走る、涼しくて気持ち良かった
おりしも満月がでていた、植田にその満月が映っていた

満月の植田に写り蛙鳴く

こういう光景になるが小高とか浪江では草ぼうぼうなのである
だからそういう風景は原自然でもない、もとも人工的に作られた第二の自然であり
人間が作った光景なのである、それが失われたときかえって荒涼と感じる
それで飯館村とかではもう神社まで死んでいた、誰もお参りするものもなく捨てられていた、つまり神様も人が住んでいて活きていたのである

とにかく原発事故でも避難区域でも日本国民は忘れるようになった
今はコロナウィルス一色である、でも原発事故と同じようなことがコロナウィルスで起きていることも不思議である、政府の対策でもそうである
何か検査をしないとか被害の正確な数字を出さないとか隠ししている
原発事故でも放射線量を低くしていたとかある、それは自分が計ったからわかっている
それが大成建設の社員がモニタリングポストの下の土を掘っていたからである

そしてこういうことが今回のコロナウィルスでも起きている
何か支援金が電通とかに700億円くらい流れているという、それは除染費用の3兆円とかが大手ゼネコンに流れたとかあったのと同じである、ただ地元の建築業者にも流れたから大手だけではない、そしてここで補償金でもめたように支援金で不公平がありそれで
不満になる、それはここでも嫌というほど経験したからである
つまり人間は何か同じことをしている、カルマになる
政府でも原発事故のことを忘れさせ同じようなことをしている、福島を反省していないとなる

まずオリンピックの復興だとか聖火リレーだとかであたかも福島の復興がありとか政府で世界に装うとした、何にも復興などしていないからである
だからオリッピックなどなぜするのか理解できなかった
そのオリッピックもコロナウィルスでつぶれたとなるとそれは神意だったとなる
また何かしらコロナウィルスはカルマであり神の意志が働いたのかともなる
それは東京が一番人口が密集して被害になったからである

それで東京の人は来るな!

これは放射能うつるから福島の人が来るなと言われたのと同じである、カルマなのであるさらにこれからどうなるのか?
東京の人は東京に住めなくなる、そして一部であれ人がいなくなった原発避難区域に住まざるを得なくなる、そこは人がいないのだから田舎のめんどうな人間関係もないのだから住めばいいとなる
放射線のことを気にしているどころではない、東京にはさらなる災害が地震でも何でも襲ってくるからだ、その前に地方に特に人の住んでいない原発避難区域に住むのがいいとなるからだ、それがカルマなのである
東京がもたらした災いを福島が受けた、その償いを福島でしなければならないのだ
そうしてこそカルマの清算ができる
何らかで個々人でも必ずカルマの清算を強いられるからだ
それなくして東京の人からカルマが消えることはないのだ

そういうことはアメリカにも言える、原爆を落としたカルマは消えることはない、その人類的罪はカルマは消えないのである、だからアメリカは一番核に恐れていなければならないのだ、核兵器を世界で一番もっているがそれで安心は来ない
カルマは清算されないのである、むしろ自ら核で原爆のように苦しまない限りそのカルマは清算されないのである
とにかく東京の人はそういう自覚をもつべきである
福島を忘れてももう忘れることはできない、必ずカルマとなり襲いかかる
コロナウィルスがもしかしたらその一つのカルマなのかもしれない
次にはさらなるカルマが襲ってくる、それが地震なのかミサイルなのかはわからないがそれは確実なのである、だから東京脱出しないと危険なのである

posted by 老鶯 at 00:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

地銀は証券会社となりモラル消失 (そもそも法律に違反していた―担当の営業の人に左右される)


地銀は証券会社となりモラル消失

(そもそも法律に違反していた―担当の営業の人に左右される)

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こうなるとたいがい何か銀行でも証券会社でも違反している


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資産防衛の新常識-江幡吉昭


銀行そのものがもう成り立たなくなっていた、社会が変わりすぎたのである
銀行でもゆうちょでも金をあづけていれば利子がついた
一時は7パーセントとかついた時期があった
30年前とか40年前とかそうだった、だからみんな貯金して何の心配もなかった
貯金していれば利子が増えるから貯金の価値は大きかった
そしてその貯金の利率がかなり長く継続していたのである
それで保険ですら二十年前とか親が欠けていた保険がかけた金額より大きな金になって返ってきたのである

今ふりかえるとそれは本当に恵まれていた高度成長時代の夢物語になった
そのとき銀行でもただ貯金を集めれば良かった銀行員は土地のエリートであり公務員と同じだったのである、地方には安定した就職先がないから銀行員となれば固い職業として結婚相手としてはいいとかなっていた
それがまるで変ってしまったのだ
この変わり方も大きかった
どこでも地銀があり郵貯があり村にも郵貯がある、与那国島とかに行って最初に上陸して見たのがゆうちょの支店だった、それは全国津々浦々にゆうちょの支店がある
でもそのゆうちょすら苦境にたたされて詐欺的な保険を売って金融庁から注意された
そして今アメリカの証券会社、ゴールドマンサックなどの助言で危ないジャンク債に巨額の金をつぎこんでいる、一番危ないのが農林中金だとされる
地銀でも投資先がなくそこに金を回している
そこで損失になると日本の莫大な金融資産が奪いとられることになる

私自身は全く金融のことがわからなかった、銀行のこともわからなかった
大学の経済学部出てもなんの勉強もしていなかった
大学の先生が株だけはやるなというのを聞いたことがあったのを覚えている
つまり学者でも株でぱもうけられないからそういったのだろう
でも今は利子がつかないのだから株でも投資でもすすめられるし知らないでいらなれない時代になった、でも経験がないと株など簡単にもうけられないのである

それで十年前に買ったリーマンショックの株が元にもどしてそれから上がっていった
15000円で元にもどしそれから2万以上になり2万4000円にもなった
コロナウィルスでも今26000になっている
だからこれは何なのだろうとなる、景気は悪いのにどうして上がっているのか?
それはアベノミックスの金融の操作であり日銀が株を買っているからだという
実体経済と株が乖離しているからそうなる
つまり紙幣はいくらでも作れる、でもそれで富を産み出せないのである
結局世界で金余りになり投資先がなくなり金の価値が低下する
利子がつくということは儲ける会社がありそこに金を貸すことで銀行がもうかるからだ
そういう会社がないとしたら富を得ることはできないのである

いづれにしろ銀行は今やブラック会社である、その社員もブラック社員ともなる
だから銀行が大学生の就職先として人気だった時代は終わったのである
何かわからない投資信託とかをうりつける手数料商売になったとみられる
それでやめたくなるのもわかる
銀行員だったら信用されたり地位として安定して時代は終わったのである

地銀の営業マンを最初は信用していた、今は信用していない

まず東京の証券市場で働いたというのもわからない、なぜならその投資も何か知識があってしたわけではない、ただ分散投資は基本だとしてもそれすら守らなかった
勝手に説明もなくリーマンショックの時もっていたものをJ=reitに回した

それはなぜか?

転売して手数料をとりノルマを果たすためだったとなる
何回か売ったり買ったりした、すると手数料が入りその収入が大きいとなるからだ
3パーセントとかとると大きいのである
手数料が安い証券会社もあるが地銀とは高いのである

ともかく地銀の営業マンとか地銀そのものが金融の法律に違反していた

赤枠のようなことは普通に今は銀行員でも証券会社でもしているからこれはただ注意しろとかであり法律違反にはなりにくい

それで株が上がった時、何の説明もなくクライアントの承諾もなくJ-reitに回した!

これは法律違反だった、なぜ株が上がっているのに回したのか?
それも客に説明もなく勝手にそうしたのである
確かにオリンピック景気でオフィスとかインバウンド系が土地でも上がるという気分だったことはある
でも株を売ることで「売りますか」と聞くこともなかった
そのことで私はその地銀の営業マンを信用しなくなった
この人は会社のノルマを果たすのが至上命令であり客のことなど考えないことがわかったただ自分にも非があった、自分はめんどうだからその営業マンを信用して地銀を信用してまかしたからである
こうして銀行でも証券会社でもまかせたりしたら本当に危険である
なぜならそうした会社では会社と自分のノルマを果たすことした頭にないからだ

そして奇妙なことはその営業マンを信用しないことで今回助かった
コロナウィルスでJ=reitが半分ほどに暴落したからだ
別に私はその時予想したわけではない、その営業マンを信じられなくなったからである
それは地銀も信じられないとなった
銀行は信用商売だけど株とか投資信託とかreitでもすすめれば信用を失うことになる
ただ銀行はもう商売が成り立たないというとき余裕がない、そこで追い詰められた人間でも会社でもブラック化するのである
つまり銀行自体の役割が喪失してモラルも消失する
すでにそうなっている、だからそうなると地域での役割もないとなる
建築土木関係を見ると川が氾濫して土手が崩れたとかで復旧修理している
それは郷土のために働いていると目に見えている
地銀とか証券会社はなかなかそうして何の役割なのか目に見えてわからないのである
農家だったら食料を作って提供しているとか目に見えてわかるが金融関係はわかりにくいのである

ただ資産を守るにはプロに頼む、でもそれもまた専門化して誰に頼むかもわからない
私の場合は一億以上の富裕層には入っていない、でも頼むにしてもむずかしい
でも頼む人に左右されることは確かである、有能ないい人に当たれば資産活用はうまくいくのである
ただ株とかわかりにくい、今度は株がコロナウィルスでも上がってきたからとすすめにきた、でもそれに乗らなかった、ただその時は確かに買えばあがったのだからすぐに売れば利益になったとはなる
でももうめんどうだから頼まなかった、このように株とか投資信託とかリートとか買うにも売るにもタイミングなのである、それを逃せばもうけられないのである
だから奇妙だけど今回は買いのときにすすめにきたとはなる
このようにめまぐるしく株とか変わるから追いついていけないのである
そんな時間は私にはないからまかせたのである


結局人生は何に時間を費やすかでその人の価値が決まる、投資に時間を費やしていれば株でももうけられる、時間をかけて学び訓練するからである
老人はそういう時間がないのである、老人の問題は時間がないということである
死が迫っていて時間がない、やるべきことはその人の価値を追求したことである
それは私は芸術学問の創作だったとなる、別にこれで金にはならない
でもそこに自分の価値を追及して来たからそれを示すということになる

結局人間の価値は最後は金ではない、その人の価値は何だったのか?
その人の価値は貯めた金で計られるのか?
今ではそうなっているけど価値は多様でありすべて金銭に換算できないのである
一応金には余裕があるとして今それを使えないのである
自転車で長距離も行けないから長距離用の最新のもう一台30万以上で買ってもいいとかなるが第一それだけ旅行する気力も体力もなくなった
登山用の新しいバッグを買ったけどこれも登山できない状態になった
また他にもビデオカメラを買ったが編集とかめんどうだとかできない
youtubeでもしたいとなるがこれもめんどうでできない、ワードプレスも試したが時間がかかるしめんどうでできない、こうして新しいことができないのである

すでに40代のとき、偶然にワープロで通信していて今日に至っている
つまり30年間ITにかわっていたのである、でも通信世界が急激に発達した結果として追いつけなくなったのである
このプログとかでも文章を毎日アップすることが手間なのである
つまり老人なにるといろいろなことができなくる、限界症状が出て来る
だから退職して老後にいろいろなことをしようとしてもできないとなることが多いと思う若い時しかできないことがありその時しないとしたら後はできない
海外旅行などバックパッカーなど若い時することであった
それが50代で自分はした、遅かったのである、その後介護で旅行すらできなくなった
ただ今は人生百年時代だから人生の後半戦が長くなる
それでそこでその人の実力を発揮する人もでてくる、でも若い時にやるべきことやらないと後はできないのが普通なのである

いづれにしろ何かあらゆる仕事でモラルが消失している、それが社会を歪める、金になればいいが至上命令になるとき
本来の役割も使命もなにもない、金と利益の亡者になってゆく、まさにそれは滅びることに亡ぶことに通じている
posted by 老鶯 at 12:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

夏菊、青葉、夏の雲(夏の日の花の写真)


夏菊、青葉、夏の雲(夏の日の花の写真)

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奥の日影に薔薇が咲いているのもいい

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ここまでクリック拡大

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老鶯に聞き入り根付く木によりぬ 

様々なの薔薇を咲かせて通りかな

SAに寄り夏の雲湧く行き来かな

二手にそ湧き広がりぬ夏の雲  

夏菊や川の流れに沿いて咲く

夏日没る一時燃える牛越城

  
夏菊や雷雲湧きて広がりぬ街の上かな燕飛び交ふ 

野萱草に薊の咲きて草深し高松の家居離れて開墾の碑あり

真すぐなる木の梢にそ風そよぎ青葉にまぶし夏日輝く

分け入りぬ森の中にそ真すぐなる樅の木立ちて力強きも

夕風に青葉のそよぎ六号線萱草咲くや走りさるかな   

満月の植田に写し蛙鳴き原発事故の復興成りぬ


昨日は夕べも原町の方の高松と回り自転車で走った、夕風が涼しく気持ちよかった
夜は満月でありそれか植田に写っていた、蛙が鳴いて南相馬市とか原町鹿島は復興したと見た、小高でも50パーセント帰った、でも小高は復興にはほど遠い隣の浪江町は10パーセントも帰っていないからその影響も大きい

そして今日は暑かった、午後から常磐高速のSAに行った、あそこは休憩できるからいい
それからまた帰ってくると夏の雲今度は海の方に湧いていた
黄色の夏菊が土手に一面に咲いている

それから夏菊が咲いている家の庭を写真にとった、ここは何かいい感じである
ただあまり家を許可なくとるとまずい、でもわからないことがある
畑の写真などはかまわないが家だと誰かの家とわかることがまずい
でも田舎の家自体が絵になるのが多いのである、農家は特にそうである

そして雷雲になり雷(かみなあ)が鳴りを降った、何か梅雨に入る前の夏なのか?
暑いのは暑いが夕方になると涼しいから自転車で運動するのにはいい

高松は越中などの人が開墾に入った土地である、もともと森だったし開墾された場所はどこでもそうである、あそこちは牧場もあったがやめていた、原発事故以後牛を飼うことをやめた人が多い、牛肉がコロナウィルスで売れずに安くなったというニュースもあった
飲食店に売れないとかコロナウィルスの影響は広範囲にある

今の季節はやはりまだ外に出れるからいい、これが30度近くになると熱中症になったりするから危険である、去年だったとか三回くらい熱中症になったので怖い
ただ今の自転車は走って楽だから乗りたくなるのである

写真は結構むずかしい、写真をうまくなるのにはカメラをプロ級にしないといい写真はとれないという説明があったがそうだと思う、もう一つめりはりがない写真になる
一応記録として撮っている、今回は花にいい場面があった、今頃は一番花が咲いているから写真とするにはいい
のである

原発事故では南相馬市の原町と鹿島地区はほぼ復興した、だから満月がにあっていた


2020年06月06日

資本主義は限界、銀行に金があっても投資先がない (投資は株でももギャンブル化して経済の実体を反映しない)


資本主義は限界、銀行に金があっても投資先がない

(投資は株でももギャンブル化して経済の実体を反映しない)


この手数料は明確化していない、でも3パーセントとなると銀行にとってはいい商売である

絶対に銀行は損しない商売だからだ!

3パーセントというとき100万だと3万であり1000万だと30万になる
それで何かその1000万をあづけたものを投資信託としてでも国債でも株でも売ると売り買いするとき手数料が入る
だからずっと長くもっていていいものでも売る
それがリーマンショックの時もっていた株が元にもどり上がりはじめていたとき売って
J=REITに回した、その理由は東京の不動産とかオリッピックで上がるからだとしていた
でもリートは一時下がっていた、でも上昇してもうかるようになった
そしてコロナウィルスで半分にも下落したのである

これまでの成績をみるとカナダ国債が石油かとれるのでいいとして買った
なぜカナダなのかも私にはわからなかった
カナダで石油とれていたんだというくらいの認識しかなかった
それが石油が下がり急激に下がった、それで売った、これは失敗だった
ただ一つだけはアメリカのリードは為替差益でかなりもうけた、トランプ大統領になったとき円が安くなったからである

結局何もわからないで銀行にまかせた、第一そういうことが失敗のもとだった
だから自分にも責任がある、ただ銀行とは信用できるものだとばかり思っていたのでる
ところが今ではゆうちょでも農協でも金融となると信用できなくなったのである
だからこの変化も大きいものだった
それで地方のおばあちゃんでもおじいちゃんでも今までの感覚でゆうちょでも地銀でも見ているから失敗する、ゆうちょに銀行にあづけていれば安心だとなっていたからである
そういう時代は夢物語になっていたのである

ただ奇妙なのはコロナウィルス後一週間前だったか株が上がっているからどうですか?

チャートを見せて株をすすめた、でもいろいろあって買う気にもかかわる気にもならなくった
でもその株が上がったのには驚いた、こんな時期にどうしてあがったのか?
富裕そうにはコロナウィルスで庶民が苦しんでも株で大きな利益をプレゼントしたとかいうのもわかる
株は富裕層が大きくもっているからだ
そして株長者も生れる、株とか資本を多くもっている人はさらに大きくもうかるのが資本主義である、それは確かなのである
投資する額が小さいとどうしても利益も少ない、それはギャンブルとにているのだ
大金をかければ大金が入る、一気に大金をかけると百万二百万になり一千万が二千万になる、それはギャンブルなのであり株とかはギャンブルとにているのだ

そもそももうグローバル経済となると見えない世界だからである
ただ金が増えれるか減るかしかわからないからだ
だから運が作用しているとなる
どんなリスクがあるかも先が見えないからだ、石油が下がる、コロナウィルスで世界の経済が縮小する、こうしたリスクは予測できないからだ
そしてコロナウィルスから回復するというのも予測できない
でも回復すると見込んで株が上がったのかというとそうではない
日本で日銀が株を買っているとかアメリカでも国の機関が買っているとかで上がっていて景気とは関係ないのである
一種のマネーゲームと化しているのである

景気をみる指標は銀行にある、銀行に金があまっていても貸す先がない、投資する先がない、つまり新しい会社を起こすとか新しい事業をするとかで金を貸してくれとかないのである
私の家では店をはじめるとき戦後まもなくであり5万円だったかその資金がないので苦労した、それをやっと知人から借りた、銀行では貸してくれなかったのである
でもその後店は繁盛した、だから借りた金は利子をつけて十分に返すことができたのである、そういう時代に金を貸さないのは銀行では見る目がなかったとなる

ただその時は貧乏な時代だから慎重になっていたのかもしれない
高度成長の時代はとにかくそんな小規模の零細な店でも工場でも雨後の竹の子のように出てきた時代だったのである
それで労働力がたりなくなり中卒の金の卵が集団就職したのである
その時どこでも何か起業しても何でも作れば売れる時代だったのである
そういうときは銀行から金を借りて事業を起こすようになる、それで事業でも成功して銀行も貸した金に利子がついて返ってくる
結果的に銀行に貯金した金にも利子がつく、それも高かったのである
銀行ではただ金を集めるだけで良かったのである

つまり株だけでは景気をみれない、アベノミックスは政府に操作された作られた景気であり株しか上がっていない、コロナウィルスでも株が上がっていること自体異常なのであるだからみんなコロナウィルスで苦しんでいる時株だけは上がっているというのはもう経済が機能していないのである
要するに紙幣は紙なのだからいくらでも供給できる
それで景気が良くなったりしないのである、MMTとかの理論も成り立ちようがないというのもわかる
そこに現代の資本主義が限界にきていることを証明している

それで不思議なのはコロナウィルスである、これはグロ−バル経済をとめたことの驚きである、その一番の象徴が航空会社が大損して倒産したとかある
この航空産業こそグロ−バル経済では最も必要としたものだったからである
ばんたりとヒトの流れはとまったのである
それで有名な投資家が航空会社で大損したのである

そしてグロ−バル経済はもう元のように戻らないというときもそうである
国と国も分断される、自由なモノ、ヒトの流れがとまる、国内に回帰する
それとともに何か人々のマインドも変わる、外へ外へと向かったマインドが内へ向かう
鎖国とならないまでも何かそういう傾向になり家でテレワークしたり家で過ごすことが多くなる、外出すらままならいなともなる
そうなると禅僧のように家で瞑想しているともなる
それで家を住みやすくする心地よくする、家です過ごすためのものが売れるようになる
まず家で仕事するにも仕事場が必要であり家の中が快適でないとできないからである

そうなるとIT関係はさらに需要が増える、教育関係でも家で授業を受ける、今でもyoutubeでできる、するといかに効果的に教えるかということで競うことになる
それで人気になればテレビに勤める人のようにわずかでも高収入を得る社会となる
私も子供向けの番組を作りたいがめんどうでできない
それは教材を作ることと同じなのである、熟とかなると場所の問題から人間関係とかいろいろめんどうすぎるのである
ただyoutubeで教材を作るだけだでありそれで収入になるとしたら楽ともなる
ただそこで必要なのは創造力なのである、いかに教えるかは創造力なのである
テレビだとか動画だとわかりやすくなるからだ、それで大衆向きにもなっているからだ
だから専門外でも何かそれなりに知識がつくということがある

いづれにしろ資本主義はもう限界にきている、金融資本主義とかマネーゲームとか世界がギャンブルゲームになるような世界は退廃してくる
道徳無き経済は人間としてありえないからだ、経済は経世済民である
「経済」という言葉はそもそも中国の古典の中にある「世を經(おさめ)民を濟(すくう)」ことを意味している。つまり民を救うために様々な公的対策を行わんとすることが「経済」なのである。
まさに今コロナウィルスで苦しんでいる人たちがいるのに株が上がり富裕層だけが得しているというの世界は成り立たない、だからアメリカで暴動が起きるし日本でも中産階級が下級民に落ちてくるとき危険な状態になる
今までも格差が危険な状態にあった、さらに危険になり日本でも犯罪が増えて暴動が起きる、それを一身上でも経験したから恐怖なのである
そういう恐怖を富裕層も感じるべきなのである、政府でもそうである
それで自民公明政府も倒れる、そういう兆しが見えてきたからである
そういう大きな時代の変わり目にある、だから予断を許さないのである

posted by 老鶯 at 16:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題