2020年05月06日

コロナウィルスで問われたもの (投資でもリスクの分散ー大都会も分散が必要)


コロナウィルスで問われたもの

(投資でもリスクの分散ー大都会も分散が必要)

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私が株とかリーととか始めたのは別に詳しいからではない、地銀の人が来てすすめたからである、全くの素人だから地銀の人がプロだということでまかせたのである
私にはまず時間がないからいちいち株のことを見ていられないからである
そこで投資とは分散投資だということを教えられた
この考え方は正しかった
それでUSリートとカナダの国債を買った、また8年前のリーマンショックで半分になった株をもっていた、その株が元にもどったとき今度はJ=REITにその株を売って回したのである、そのように別にそのままにしていいのでも転売するのはその時手数料が大きくなるからだ、3パーセントとかなれば額が多ければそうなる

結局カナダ国債が急激に下落した、石油が下がったからである
その時は石油の値段が高かったからだ、だからこんなに今も下がっていることに驚く
とにかく投資は分散投資が正しいとしてもその地銀の営業の人はそれを守らなかったのである

それでJ=REITを一月に売った、それは先を見込んだためではない、

その分散投資をすすめた地銀の人が信用できなくなったからだ!

そしたらJ-reitが暴落したのである、それは一重に地銀の営業が信用できなくなったことで売ったことでそうなった
つまり人が何でも媒介するから人を信用するかしないかが大事になる
もちろんそこにはリスクがあるからその人の責任が全部負うことはない
でもも自らのノルマを果たすために株が上がっていたのに売ったのが最大の失敗だった
それ以来地銀の人は信用できないとなった
そもそも地銀とかがアメリカの危険な金融商品に何兆とかつぎ込んでそれで大損になると言われる、つまり地銀でもゆうちょでも農林中金でも投資のことがわかっていないのである
まず投資のことをわかることは容易ではないからだ
ただわかりやすいのは分散投資なのである
それは今でも金とか銀とか外貨とかいろいろ分散投資して財産を守れというときそうである

この財産を守る分散投資の基本があらゆることに通じてしいる
一極集中が危険なのである、グロ−バル経済でもいかに中国に投資して工場でも移転して部品でも製造していたらその部品は建築関係でも入らなくなった,トイレも入らずに困っている、それは中国にあらゆるものが集中しすぎたからである
つまりABCDEF....とかあるときAだけに集中することは危険になる
もしAがだめならBでしのごうとかCがあればそこでしのごうとかなる
それが分散投資でリスクを回避することである

この分散投資というときコロナウィルスでわかったようにいかに東京のような一局集中が危険だったかである、それは名古屋市とか大阪とか福岡とか人口密集地帯からウィルスが拡散したことでもわかる
大都会に人口が集中することが危険だった、もし分散していればこうはならなかった
それで有利だったのがニュージランドとか台湾とかニカラグアとか即時にロックダウンできる閉鎖できる国だったのである
中国でも欧米でも大陸としてつながっているからそれができない、またヨ−ロッパもEUになり人の行き来が自由になったからできなかった
そしてコロナウィルスではやはり青森とか九州なら鹿児島とか辺鄙な地域は感染者が少ないのである

またグロ−バル経済がコロナウィルスでその危険性が露見したのは食料でも自国優先で輸出しないとなったのは外国はいざというときは自国優先であてにならないということである
だから基本的なものは自国で自給しているのが安全だとなる
それは常に私がグロ−バル経済批判でしてきたことである
グロ−バル経済とはまず天の理とか地の利とか人の和とかに合わないのである
グロ−バル経済は人の和を作る、貿易で世界が協力するように見えたが実際は今回のコロナウィルスでわかったように危険があれば自国優先になる

とするとまず自国で食料でも基本的なものは自給できる体制を作っておくことがリスクに備えることができる
自国にあるものをまず活かすことである、そうしたことは日本では江戸時代300年で経験しているのである
そもそも貨幣の成り立ちが実は外国から輸入する、贅沢品を輸入することから生まれたのである
貨幣の字が貝だというとき宝が貝だというとき宝貝が貨幣の起源だというときそうである貝は何か食料になるわけでもない、ただ珍しいものとして収集するだけである
だから貝が貨幣になることはそれは別にそれで腹の足しになるわけではなかったのであるだから実質の経済に貨幣が重要というのではなく贅沢品だったのである

いづれにしろ経済は自給自足が基本にあり国内でもまた大都会中心に人口でも密集することは危険なことがわかった、あらゆるものが東京中心になることは危険だったのである
つまり田舎のように田畑がありそこで食料があると意識する、地元から食料が供給されると自覚する環境である
森があり木材でも燃料でも供給されるという安心感をもつ生活である
百万都市江戸でも自給都市だった、回りは農村であり肥料として糞尿をくみ取りにきていたのである
回りは農村地帯でありそこから食料が供給されていたのである

第一野菜など生ものであり遠くから運べないからである、それで練馬大根とかがブランド品が作られたとなる、それはまた人口が多いから売れたからである
都会が近いことは野菜でも売れる、うまいものをそれで作る、改良が行われるからである浪江の農家の人は野菜を作り元の今のいわき市の平に野菜を売り子供三人を大学まで出したとなる、都市の近辺は農家でも需要があるから金持ちになる
でも江戸というとき運べる範囲にありかなり狭いのである
江戸前寿司とかあってもすぐ近くで新鮮なものがとれるから江戸湾でとれた魚で寿司が作れたからそうなっていたのである、冷凍庫もなければそうなるのである

ただ現代になると村落とはなりえない、それなりに広い地域の自給自足経済になる
東北ブロックとか九州ブロックとか広くなるが日本全国にはなりえない
そこで自給自足経済を作る、大都市には人口を集中させないようにする
分散型都市であり自給自足経済なのである、もちろん工業でも自給自足的工業になる
中国にかたよった経済が生産が危険なことを知ったからである

コロナウィルスでは悪いことばかり報道されるがこれを契機に社会が変わる
それは必ずしも悪いことばかりではない、地方に人が逆流する、それで地方が活性化することがありうるかもしれない、それをみんな感じたからである
地方には土地が余っているし空家も膨大である
原発避難区域など空家だらけであり土地は草ぼうぼうであり誰も利用していないからだ
そしたらそういう資産が無料だともなるからだ

コロナウィルスで見直すことはいろいろある、まずグロ−バル経済のリスクである
それから資本主義というのももともと限界に来ていたからこれも見直される
その思想自体が限界にきていた、どちらかというと新たな共同の世界が模索される
それが具体化されないにしても地域分散型経済の方向に向かうことは確かである
そもそも天の理というか人間というものを考える時とてもグロ−バル経済の論理は成り立たない
一体物が地球の裏側からでも入ってくるとしてもそこに住んでいる人間と情的なつながりはもてない、ある程度情的なつながりでも文化的つながりでもアイディンティティをもてるのは一定の狭い範囲である
グロ−バル経済ではそれができない、人間の情と物が分離する世界である
それは別に世界でなくても国内でも現実の文明社会でどこでも起きている
物と心の分離が起きて人間疎外が起きている、それは別にマルクスでも現代では思想家が指摘してきたことなのである

その例としてその人は東京に住んでいて金だけを要求する、一切離れて住んでいる自分が病気になろうが何になろうが金しか求めてこない、金の関係しかないのである
それはこちらにも責任があるから責められてもしょうがない
でもそういう関係が親戚でも成り立つのかとなる
「金だけは送れ」あとはあなたが何になろうと関係ありませんという人間関係が成り立つのだろうか?
それで遠くの親戚より近くの隣人が頼りになるとなる、近くだったら何がなくても一応駆けつけることができるからだ
だから今回のコロナウィルスでも世界の人々が国同士が助け合うということはなかった
食料でも自国優先になり輸出はしないとなったからだ
かえって中国ではコロナウィルスの危機に日本が混乱しているから好機だとして軍事力で侵犯している、別に協力するということはないのである
コロナウィルスではそういう自国のエゴがかえってむきだしになった
そしてマスクすら自国で生産できていないリスクも浮き彫りにされたのである
今近くの仕立て屋でマスクを作っているが高いのである
要するにこうして高いにしろ近くが緊急の時は頼りになるということである

posted by 老鶯 at 10:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題