黒川検事長は朝日新聞社員と産経新聞記者と賭けマージャンをしていた
黒川検事長は今月1日と13日に緊急事態宣言が続く中、朝日新聞社員と産経新聞記者と賭けマージャンをしていたと『週刊文春デジタル』で報じられていた。
黒川弘務が懲戒免職まっしぐら!3密賭けマージャンで完全詰み状態
これも原発事故で起きたこととにてたいる、丁度福島原発が爆発したときマスコミの幹部が中国に招待されていたのである
それも右左関係ない、産経新聞でも朝日新聞でも招待されていたのである
こういう人たちがどうして原発の原子力村の「安全神話」に疑問すらさしはさまないことがわかる、つまりなぜなら「安全神話」に加担したのがマスコミだったからである
マスコミは権力と癒着しやすいのである
マスコミは報道は権力におもねるとしたら公正な報道ができない
なぜマスコミが堕落するのか?
それは権力とかかわりその権力にとりこまれるからである、そもそも権力とかかわるとき警察でも検察でも情報を得ること自体が権力におもねないと得られない
そして記者クラブとかがかえって権力のおかかえとなり権力者によって操作されるだけだとなる、そうしていれば楽だし利益の分配が受けられるからである
それからなぜマスコミが堕落するのかというとそもそもマスコミでも報道することに莫大な金がかかっていた、新聞をみればわかる、いちいち新聞を配るだけでその費用を大きすぎる、するとその金を工面するのにどうするのかとなりとても自力でまかなうことができない、それで宣伝費でまかなうとなる、その宣伝費でも会社から払ってもらうのだから
どうしても宣伝費を払う会社に忖度してその会社の悪があっても目をつぶるとなる
それげ福島民報などは創価の聖教新聞を刷っている、そうしたらそうした団体の悪口を言えないのである、そういうことは東電でもそうである、電事連から800億円の宣伝費が出ていた
原発再稼働政策を推し進める安倍政権と歩調を合わせるように、電力業界は広告費を増やし、再びマスコミを“カネ”で漬け込んで“原発タブー”を作り出しているのだ。
この電事連には右も左でも共産党でも組合員が入っているから強力である
第一電力無しで今の社会は成り立たない、電力で働く人も多いしまた電力を使う社会なのだからそうなる
だからこそ莫大な宣伝費がマスコミに支払われる、それで批判を封じることができる
つまり金でマスコミでも報道でも買われるとなる
福島県にも政経福島とか財界福島とか雑誌があっても一か月一回くらいだしてそれが賄えるのか?出版になると金がかかるからだ
だからなんらか会社とか他にも援助がないと出せないように思う
そこで何か必ずそうして金を出してくれる会社でも忖度するようになる
政経東北には渡部恒三がかかわっていたようだ
福島原発の推進のボスだった人である、だからそういう方面からも何か援助があったのかとなる
そしてマスコミの特徴としてマスコミ自体が一つの利益を共有する組織ともなっている
なぜなら他社を批判しないルールみたいなものがある
むしろ他社と競って真実を明らかにするようになった方がいいのである
でも互いに批判しないからみんな一様であり真実が見えないのである
かえって赤旗であり創価の聖教新聞であれそれが偏っていてもそういう党派のものとして見るからいいとなる
福島民報はあと半分は県で出資しているとなると官報と同じたとなる
そうなると真実を知らせることはありえないのである
でもマスコミの問題はテレビ局でもはNHKでも中立で公正を装っているから問題なのである、他社の記事でも互いに批判しないからかえって真実が見えなくなっている
それでなぜ福島原発が爆発したとき全マスコミの幹部が中国に東電に接待されていたのか?それは東電の宣伝費が大きいからである
それはほとんどのマスコミが報道がそうだったのである
創価関係の潮とか第三文明とかは全マスコミの二番目くらいに宣伝していて宣伝費をもらっていたのである
第一そこで雑誌を出す最初の仕事は宣伝費をもらうために会社に行くことである
そうなると東電が最も宣伝費を払うのだからお得様になり原発の原子力村の「安全神話」を支える強力なシンパとなる
それは朝日新聞でもそうでありみんなそうだったのである
福島県の報道関係でも全部そうである、だから「安全神話」を支えるものとしてあり
真実は県民に知らされなかった
ともかく権力と癒着することは避けられない、何か情報を聞き出すにしても権力者が情報をもっているのだから記者はマスコミでも独自に調査できないのである
また権力と権力が癒着しやすい、検察と政治家が時の政権と癒着しやすいのである
今回はそれが露骨に現れた事件だった
マスコミでも報道が大事になるのは民主主義では何か知らされなければわからないとなるからだ、とすると知らされないのだから判断しようもない
それで福島原発でもそうだった、科学者の一団が十数メートルの津波が来る!
このことを自分は知らなかった、そもそも原発に関心がなかった
30キロ離れているし関係ないと思っていたのである
でもこのことを強く大々的に報道していたら違っていた
そんな津波来たらどうなるんだと注意するようになるし調べる人もでてくる
今になってそのことを知っていて科学者が警告していたのに東電は安全を計ることを怠ったから責任があるとされたのである、津波だけの原因ではない
十数メートルの津波が来るとして備えをしなかったとして裁判でも認められたのである
別にこのことは隠蔽する必要もなかった、かえってもし大々的に報道されて警告されていたら津波に警戒して助かった人もいた
すると東電に感謝されていたともなる
とにかく権力と報道でも癒着しやすい、第一権力がないものが取材すらできない
一ブロガーなど相手にされないだろう
ただインタ−ネットで一億総記者にもなった、今度はyoutubeで個々人がテレビ局にもなった、すると六局で独占したテレビ局でもマスコミでも対等化され水平化される
飛びぬけて力を持っていたマスコミの力がそがれるともなる
でも取材力となるとインタ−ネットでは力が劣る
だから何らか権力を監視するものが必要である
それで三権分立となった、権力を分散して監視する、行政を監視するのが検察だとなる
その検察を監視するのは何なのか?
検察を監視するのはマスコミとか国民世論しかないというのが問題なのである
なぜなら東電にはこうした権力者が天下り先としてあった
検察でも警察でも自衛隊でも海上保安庁とかの官僚の天下り先となっていたのである
こうなっていたとても監視することはできない
だから権力の暴走をとめることができなくなる、そうしてその結果として国民が関係ないようで必ず誰かが責任をとらされる、戦争では暴走して300百万人が死んだように原発事故では故郷に住めなくなったように必ず誰かが責任をとらされるのである
でも東電の幹部は一人も責任をとっていない、政府でもそうである
だからこういいう構造自体がシステムを直さない限り同じことが起きる
それでまた電事連とかで宣伝費を増やして原発を推進しようとしている
まあれだけの事故が起きてもたりずにそうしているのである
おそらくそういうシステムとかを批判しても個々人のモラルの低下があり正せない
記者魂とかあったというときそうなのだろう、何か日本人自体魂(たましい)が喪失したそれは戦争に負けて大和魂も喪失した
何かうしろに魂がつくときそこに命を駆けるうなものが生まれる
職業倫理が日本では・・・魂だとなる、ただ利だけを追及するのではない
魂(たましい)を追及するのだとなるからだ
日本人は戦争に負けてその魂がぬかれたのかもしれない、ただ利益を求めるだけとなったそれは上らか下まで全部そうなのである、金になればいいしかない、その他のことは考慮しなくなったのである
金のために魂を売る、それが普通の状態でありそれに疑問すら感じないのである
そうしていると原発事故になって故郷にすら住めなくなったのである
だから上から下まで腐って日本自体が滅びに向かっているともなる
報道を考える時をどうしたら公正になれるのか?
金がかかりすぎる報道だとできない、インタ−ネットとかだと無料でもできる
ただ取材とかなるとむずかしくなる、だから何らか組織が必要になる
それも大きくなると金がかかりまかなえないのである
奇妙なのは公正になるには権勢家でもかかわらないことだとなる
どうしてもそこで忖度するらようになるからだ
それで引きこもりの隠者が向いているとかなるのも奇妙である
そういう人は人とかかわらないしかえって公正に見られるとなる
なぜなら人間は誰でも交際すると情実が生じやすい、そこで忖度するようになる
この問題でも権力者と記者の間で親しくなりすぎるとどうしても情実が生れて
秘密の情報でももれやいからである
ただ引きこもりとか隠者になっていては社会をのこともわからなくなる
それも問題なのである、そのことは自分自身だった、ただ人間関係からはどうしても情実が生まれやすい
そこで必ず忖度するようになり不公正になる、だから検察とかは特定の人と記者でもあまり親しくなると今回の様な問題が起きるから戒めねばならないとなる
タダで情報を得るということは、事実上、タダ働きしている人がいるということだ。そんなビジネスモデルではジャーナリズムは維持できない。
このようにジャーナリズムを担う人が必要である、それが誰になるのか?
権力を監視するためには結局権力が必要になる、その権力をマスコミに与えられていたがそれで不公平になった、マスコミがかえって第3の権力となり社会を歪めた
その本来の使命を果たさなくなった、それは朝日新聞が戦争をあおったりマスコミが歪めることが多かった、今は新聞よりテレビ局が社会を歪める
それでyoutubeが生まれたがこれが権力を監視したりできるのか?
それだけの力を持つことができるのか?それにも無理がある
第一では権力者の取材ができるかとなるとできないからだ
常に陰謀論ばかり語られる、直接取材できないから陰で推測だけだともなってしまう
結局権力を監視するには権力が必要でありまた権力を与えると堕落するとなる
それで権力は絶対的に腐敗するとなるジレンマになる
そこに人間の限界があるともなる、人間を裁くとき人間に限界があるからだ
だから公正な裁きはシオンにより成されるとなる
民をさばく主権者はあくまでも神です。その「さばき」は「義と公正をもって」なされます
この世ではいくら三権分立で公正を実行しようとしてもできない、システムをいくら作ってもできない、そこに抜け穴があり不公平がある
それを実行できるのは神しかないとなる
人が人を裁けない、裁くなというときそれだけ裁くことは人智を越えているためである
人の心をみる神だけが裁けるとなるからだ
だから法の番人でも最高権力者の検事でも裁かれる方にもなる
裁く者が裁かれる者になるのである