2020年05月14日

abstract flowers

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Rosebay street(夾竹桃の通り)

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夏の日の川の土手の道(藤の花が咲く―写真)


夏の日の川の土手の道(藤の花が咲く―写真)

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なべの形したのがなべかんむり山である

これが鹿島町を象徴する山である

でもこの辺では高い山が見えないからものたりない、でも蔵王が見える場所があり紹介した


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写真⇒ソフトで絵画風に
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深野や紫と白の菖蒲かな 

深野(ふこうの)の田の面に写す桐の花


すくすくと真すぐに木の伸びにつつ五月の風にさやぎゆれにき

夏の日に河岸に鳴く鶯や三人ほどの休み語らふ

藤の花さわに垂れにき午後の陽の光り川面に輝きまぶし

紫と黄色の菖蒲映えにつつ夏の日明るく行き来するかな


今日は暑いけど昨日ほどではなかった、昨日はぐったりした
今日は真野川の土手の道を歩いた、そこで復興住宅の浪江の人が休んでいた
それで話したら同じ自転車に乗った同級生の人に出会った
何か半年ぶりくらいであった、どうしたのかと思ったが元気だった

あそこの土手の道はいい道である、人間はつくづく自分の住んでいる場所の良さを気付かないのである
あまりにも当たり前になって気づかないのである
なぜあそこがいいのかというと河岸に木が生い茂り今回は藤の花が垂れ咲いていた
川面に午後の光りが銀色にまぶしく反射していた
それは一幅の絵だったのである、絵にできないから写真にした
あそこの木を切れという人いた、洪水で水が流れにくくなり土手からあふれることを怖がったためである
実際に去年は水が相当に出てそれで川自体変わってしまった
川岸の花壇もみんな流されたてしまったのが残念だった
でも他では河岸の木を切ってもあそこは一部切ってもきらなかった
だから何かそこに夏になり藤の花が咲き鳥がとまったりして気持いいのである

今はカメラが欠かせない、映像の時代である、それで原町の植松団地で撮った写真を多少変えた、藤の花の写真を写真に藤の花が映っていなかったのでアレンジしたのである
何か写真は作れる、絵のようにもパソコンでできる
ただソフトが使いこなせないのである、機能が多くなりすぎたのである
私は絵の才能は全くないけどカメラとパソコンのソフトで絵が楽しめるのである

とにかく夏の日がまぶしく本当に夏だった、何か外で自然の中で話すると話がはずむのである、屋内より周りの自然が心に影響するからである
ただ明日から曇りがつづく、それが残念である
遠くに行けなくなる、暑いと日射病になりやすくなったのでひかえるようになった
五月にしては暑い、何か気候がおかしくなった
いつも五月には自転車で遠くへ行っていた、どうもここ十年くらいが天気が変動した
温暖化したともなるが暑いのである
一〇年前なのか二〇年前の中、五月はさわやかな季節だった 

それで気持いいから自転車でどこまでも行っていたのである
その時は家族もいたから恵まれていたし何か平和だったのである
そういう日は過ぎて動乱の時代になった、そして歳も取り体力が低下した
でもヤマハのYPG=XCは本当に乗り安いから乗っていて気持ちいいのである
それでなんとか今も遠くに出かけることができる
つまり技術の恩恵を受けるのは時代である、時代が進まないと技術は進歩しないのであるだから時代によって技術が進歩してその恩恵にあづかる
でも逆行に原発は技術のために悲惨な結果にもなったのである

深野(ふこうの)というとき地名がいいのである、それで菖蒲もにあうとなる
人間は名前に左右される、深野は何か地名ににあった場所なのである


2020年05月15日

南相馬市でも飲食店と葬儀屋のコロナウィルス対策 (観光業に鉄道も航空会社も打撃)


南相馬市でも飲食店と葬儀屋のコロナウィルス対策

(観光業に鉄道も航空会社も打撃)


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ホッキ御飯弁当はいいかもしれない、これはどこでも出していない


フローラで弁当配達する、二食で送料を無料にする、マルマツでも弁当を出している
カレー丼が400円で安いしうまかった
店で食べると1000円くらいかかる、それでも安いので600円とかになる
相馬市のまるまつでは魚のフライがうまいが原町では出していないのが残念
何か揚げ方違うと味も相当違う、相馬市のイオンの広い店の天丼がうまい
これも天ぷらの揚げ方が違っていてうまいのである
その揚げ方にプロの技が入っている、それは他でできないのである
料理もやはりプロとなると家庭料理では出せない味を出せるかが勝負になる
家庭での天ぷらは味がうまく出せないからである

今回のコロナウィルスで困ったのは飲食店である
日本の飲食店は狭い所が多い、そうするとどうしても客同士でも接し合うことが多くなるでもガストとかまるまつはそれなりに広いし仕切られているのもある
高見ホテルは一番広いからあそこはコロナウィルスでも入り安い
悠々と座れるからだ
でも外食は必ず飽きる、だから野菜をとるとしたら自分で買って食べるほかない
ただ何か料理は本当にめんどうである、いろいろな素材が使うのがめんどうなのである
第一買い物の段階から種類がありすぎてむずかしいのである
それでいつも冷蔵庫になにが入っているのか忘れるのである
だから本当はこれも専門家になる、専業主婦にでもならないかぎりできない
そこに時間をとられるすぎる、家事全般でもそうである
だから自分は暇なく何かをしているようになった、前は介護でそうだったが介護が終わっても家事全般の仕事はつづいている
でもなんとかプログを毎日書いている、これも手間でありだからコメンとがあっても対応できないのである
一日分を書くだけで後は余裕がないのである

ともかくこの辺でコロナウィルスの影響が出たのはまず飲食店であり次に葬儀会社なのがわかった
人が密集できないからそうなった、それで弁当の配達をするようになった
何か催し物の弁当も高いから出している、でも人は密集できないということは人か集まる行事ができないのである
そしてそれが長くつづくとなると影響が大きい、観光業で苦しい
それで星野リゾートとの会社では観光の見直してをしている
地元の人たちを呼び込む作戦にも変えている、外国人が来なくなるからそうである
観光の痛手も大きい、スーパーヒタチが東京まで3月から行くようになったが時期が悪かった
乗っていたのは一人しか見なかった、仙台から一人しか乗っていないのである  

それより飛行機は空港はがら空きである、外国には行けない、国内でも行かない
飛行機内は密閉された空間だし接触もするから鉄道よりウィルスには弱い
ただ常磐線だと仙台空港まで名取から直結した路線ができている
仙台からも直行できる、良く駅で伊丹空港から來る大阪の人とあったからである
つまり大阪までは新幹線では行かない、仙台空港から飛行機を利用するのである
だから空港と鉄道は密接に関係している、交通のネットワークなのである
それで成田空港は不便だった、どうしても鉄道で成田まで行くと一時間くらいかかるから東京で一泊することになる、それが問題だったのである
羽田ならその日に行ってまにあうこともあったとなるからだ
ただ朝が出発になるとやはり時間的には苦しいとなる
そうなったのは官僚の天下り先として成田が選ばれたという論評があった
すると成田騒動とはなんだったのだろうとなる
原発でもそうだが必ずこうして天下り先とか利権がかかわってくる
そのためにこの場合はかえって国民にとって不便なものとしたとなる

コロナウィルスの影響はこの交通にも大打撃だった、自粛が解除されても県をまたいで
移動するなというのもそうである
いくら解除されても怖いのは東京から人が移動してくることである
これが避けられない、茨城県でも解除されると福島県も入り安くなる
だから何か関所が必要だったとなり見直されたのも不思議だとなる
関所のようにすぐに境界を閉鎖できる国とか地域は伝染を防ぐことができたとなる
それは遠く離れた島国のニュージランドとか台湾とかアイスランドが成功したことでもわかる
そこは地理的に隔離されていたし台湾にしても中国と国交がないとかあって独自に対策をとることができたからである
江戸時代の末期のコレラ流行では会津若松中心に増えたが桧枝岐は感染者ゼロだった
そこは交通もないまさに秘境であったからである、人も物の交流もほとんどなかったからである

新しい生活様式を作り慣れろというけど簡単ではない、ただ何か東京圏中心の経済から
地方へ分散して生活する新しい生活様式となると悪いことばかりではない
テレワークなどが普及して地方の経済が活性化するチャンスだともしている
第一これは今までも東京は密集して限界だったのである
そして首都遷都もできなかった、この際思い切ってそういうことが実行できる
だから地方がチャンスだというのも悪いことばかりではないともなる

posted by 天華 at 16:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年05月16日

マスコミとテレビの報道支配の終わり (ネットで多様化、相対化、常に批判の対象に)


マスコミとテレビの報道支配の終わり

(ネットで多様化、相対化、常に批判の対象に)

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「利益や保身のために自分たちの主張を通す。特定集団を守り、そこに対抗する人々を攻める」

テレビに「結論ありき」が跋扈する悲しい事情 なぜ都合の良いコメントだけを切り取るのか

msn ニュースpowered by Microsoft News(2020−5−15)


原発事故で避難した人が飯舘村の人が相馬市のトマト農家に雇われたことを断られた、相馬市の津波の被害者を優先的に雇ったからだ
そのことを飯館村の人に言わせた、するとその時見ている人は相馬市の農家はこんなに苦しんでいる時冷たいなと見た
自分自身もそう見たのである、でも実際はそれが冷たいことでもなんでもなかった
相馬市の津波の被害者には補償金が出ていないからだ

まずこの辺では補償金の額が多い、小高より浪江が多いとうらやましがったり浪江よりおそらく飯館村も多い、億の金が標準的にもらった人がいるだろう
最近近くの復興住宅に入った浪江の人は5000万近くもらったと言っていた
この額は土地をもっているとか家とか財産をもっていると多くなる
それが少ないか多いかは判断はできない、被害者に見れば当然であり少ないとしている人も相当いるからだ
ただ補償金をもらえない人ともらえた人の差がまた大きかったのである 

NHKの社員が取材に来ていたので直接聞いた
そしたらこのMSNの記事と同じことを言っていたのである
下の者にわかりません、上の命令通りに動くだけです

何か編集会議が行われそこで指針を上の人たちよって決める、この場合は原発避難者側につくということで編集して放送することにしたという
つまり上の人たちで決めた方針に従って決める
だからその方針に沿ったように編集するのである
だから専門家を呼ぶ場合でもその方針に沿ったヒトを学者でも呼びコメンとさせる
それで専門家が自分の趣旨とは反するとして文句言ったのである
つまり専門家の発言をそのまま採用されるわけではないのである
またテレビでは時間がないためにもそうなるとしていた
短い時間で放送しなければならないから長い発言はさせないのである

つまりテレビというメデアにはそれなりの特性がある、それはテレビ局が一方的に上の人たちによって方針が決められそれにそって取材して編集して放送されるのである
それで武田邦彦氏は常にテレビをNHKをも批判しているのはそのためである
武田邦彦氏は科学者であり専門家である
すると強固が科学者としての自負があり軸をもっているのだ
それをyoutubeだと一貫して話しているしそれもテレビ局のように切り取ったような発言ではなくその人自身の科学者として専門家としてしている
だから科学に弱くても素人でもなんとなく理解するようになった
何かそこにはぶれない軸があり一貫したものがあるからである
人間はそもそも科学でなくても右でも左でも一生をぶれないことなのである
その人なんであれ信用できるとなる
でもテレビ局はテレビ局の意向がありそれにそって科学者でも専門家でも呼びテレビ局の意向にそったものとして編集される

結局テレビとかマスコミとは中立でもなんでもない、テレビ局のマスコミの方針があり科学的なものとしてそれが真実でもそういうことを追及していない
何か国民受けすることを放送する、原発事故だったら避難した人が眼に見えて苦しんでいるということがありそれで原発避難者側についたのである
でも仮設住宅には原発避難者と津波被害者が住んでいたのである
その差が大きかったから一緒に住んでも話もしなかったというのは理解できる
一方は億の金をもらい、津波の被害者はもらっていないからその差が大きかったのである
ただNHKで報道するとそれが科学的に正しいとしても歪められる、武田邦彦氏は温暖化はないとしている、その科学的な真実を追及することは素人にはむずかしい
でもNHKがそういうことでそれが真実となり国民の世論になることが怖いのである
NHKはそれだけの放送する力をもっているからだ
ただNHKでもその後は津波被害者のことを考慮するようになった
いわき市の住宅でも原発避難者と津波の被害者がいた、その時も原発避難者側について
仲間に入れてくれないとか津浪の被害者を批判するようにしむけていた

なぜなら

津波の被害者にはしゃべらせなかったからだ!

つまりNHKでは双方の意見を言わせない、原発避難者しか言わせなかったのである
だから一見公平に見えてもそうではない、NHKの方針が咲にりその方針に沿ったように編集されているのである
するとなぜ津波の被害者は原発避難者を受け入れないのかとなり国民は津波の被害者を良くも思わないようになる
ただこういうことに気づいたのは自分自身が地元に住んでいたからすぐにそのことに気づいた、外部になるとこういうことが気づきにくくなるのだ
その土地の事情などわからないから結局短絡的に短い報道でテレビ局の方針に報道にのせられることが多いのである、外国とかなると余計にそうである
そこに報道の問題が常に生じることになる

原発事故では補償金でもめた、飯館村でもそのために二分化した、それはNHKで放送していたがそこは公平だったように見える、双方の言い分を言わせていたからである
とにかくテレビとかマスコミの報道はネットで相対化される時代になった 
youtubeは何かわかりやすいのと学習できることにある
一貫してその人の立場でその人の主張が言えるのである
そして対話的なことも違っている
だからネットのニュースでもこうして自分は対話してのせている
新聞記事でもテレビ報道でもなかなか自分の批判をのせることはないからだ
第一例えは新聞社でもその新聞社を批判したりマスコミを批判したりしたら誰もその意見を言わせたりしないからだ
だからこれまでは報道の自由はない、マスコミとテレビ局の方針に沿ったものが報道され編集されて国民に伝えられていたのである
特にテレビは一方的洗脳メデアだったのである

とにかくメデアが報道が問題になるようになったのはナチスはラジオから生まれたというときそうである、ラジオは国民を洗脳するものとして力をもった
ラジオがそんなに力があるのかとなるとそれでもあった
今はテレビであり映像の時代だから映像が力をもつようになった
それでイラク戦争の時、油まみれの海鳥がテレビで放送されたとき世界の人が

イラクはひどい国だ!

こう瞬間的に思った、ところがその海鳥一羽が油まみれになっていたのはその部分を見ていたそうなった、回りはそうなっていなかったのである
それはアメリカによって作られた映像だったのである、その影響は世界を動かしたからいかに映像の力が大きいかである
テレビの映像の問題は一部分をきりとったものであり全体は見えないのである
コロナウィルスでもスーパーにトイレットペーパーがなくなっている棚を見せる
すると

全国的にもトイレットペーパーがなくなる!

こういう恐怖心をうえつける、それて買いだめとかなりパニックにされるのである
別に他のスーパーの棚にはあったりするが全国でトイレットペーパーがなくなるという恐怖心になる、つまりそれだけの力がテレビ局にマスコミにあったことが問題だったのである
だからインタ−ネットでマスコミやテレビ局の報道が相対化させることがいいことであるそれで最近テレビをあまり見なくなったのである、新聞を見ていないのである
どうしてもそんなにいろいろ見れないし読めないからである
ただヤホーのニュースの編集とかmsnのニュースの解説とかは良くできている
今話題の旬なものをあらゆる週刊誌とかからも抜粋しているからいい記事が多いのであるだから習慣的に読むようになったのである

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静岡経済新聞



2020年05月17日

補償金で資本家となった原発避難者 (故郷の復興はない、取り残された老人)


補償金で資本家となった原発避難者

(故郷の復興はない、取り残された老人)

近くの復興住宅には主に浪江の人が住んでいる、他に大熊とか双葉の人も住んでいるという、昼曽根とかの人が一人で住んでいるけど夜は電気をつけず水で節約しているという
でもそこでいつも会う人は5000万近く補償金をもらっている
その相違は何なのか?それは良くわからない
土地をもったり補償する財産があると高くなる、それはまた個々に違ってくるから外からわかりにくい
わかっていることは

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こうなっている、とにかく30キロ以内の補償は手厚かったのである
でも別に30キロが特別放射線が高いわけではない、便宜上補償のために国で区切った
そこに不公平が生まれた、特に30キロ内と外でその補償金の差が大きくなり泣いて訴えていた女性がいた、隣とも仲が悪くなったとも言っていた

南相馬市というと小高町と原町市と鹿島町が合併してできた
小高町と原町市は30キロ内で本当に補償が手厚かったのである
それは金だけではない、医療費は10年間無料
高速も無料だったのである
同じ南相馬市でも30キロはずれた鹿島区

半年で医療費は打ち切り、高速も有料

この差も同じ市なのに大きかった、せめて医療費とか高速は同じ市なのだから同じように補償するのが筋だった、市長が変わって高速は無料化した
でも補償は10年で打ち切りであり財政援助も打ち切られるとなると苦しくなる
南相馬市は政府の言うままになんら対策をしていない
それは結局民主主義は数だからである、原町と小高の人口で8割くらいになると多数決なり少数派は無視されるとなる
でもこの補償金で南相馬市の一体感は喪失した

でもこの補償金は飯館村でも浪江町でも小高でも復興には使われなかった
個々人に家族に補償されたのでありそれは自由に使っていい金だったからである

福島県最大手の東邦銀行の個人預金残高は震災前の2010年度時点で2兆2698億円
2011年度末で3兆748億円、2012年は預金残高は4兆335億円となり前年度比でおよそ9587億円の増加  

一兆円の預金が増えたことに驚く、それたけの補償金で銀行に金が増えた

それで仙台市に行ってアパート経営で成功した人がいるという、まさか知っている人ではないと思うが不動産関係の仕事をして息子夫婦は仙台市に行ってしまいおばあちゃんも仙台市に行ってしまい夫の老人が一人残されている
何かそういう人が多いのである
小高の人が津波の被害にあった山元町の土地を買って農業をはじめたという
山元町の土地が津波の被害で安くなったから買いたたくということもあったのかもしれない、山元町の津波の被害が大きいものだったからだ
それもなにかあこぎだともなる、なぜなら小高でも津波の被害があるしその被害を知っているからである、原発避難者は特別待遇だったのである

復興住宅の浪江町の灯とも5000万近くもらったと言っていた、同じ浪江町の人が土地を買って家を建てたという、それは売るための貸すための家であるとかいっていた
すると自分の家は建ててその外に新しく家を建てたのかもしれない
とにかく原町と鹿島には新しい家が次々に建った、鹿島だと新しい街が二くらいできたくらい建った、そこはみんな外から来た人たちである
復興住宅には大熊と双葉町の人も入っているという,大東建託でも15棟くらい建ったのには驚いた、それだけ外からの流入者が多かった、それらは原発避難者なのである

つまりそれだけの金が人間はいるとどうなるのか?

資本家になる、銀行にもなる

仙台市でアパート経験できたのは資本家になったからである、資本家とは金をためているだけではない、その金を利用して何か新たに金を産みだす仕事をする人である
銀行は資金を調達するのはそういうふうに金をもうけてくれる人がいて利子を払うことができた、ところが銀行は今金を貸す会社がない、それで地銀で半分つぶれるとか言われるのである
江戸時代なら金貸しにもなる、銀行は金貸しでもあるから江戸時代の継続がある
ただ補償金を遊興費に使ってなくなる人もいる

どちらかというとそうした金が本当にバブルであり消失安いとなる
そして結局それも親のカルマであり因果応報となる
なぜなら80才くらいの人が親が農業していたが農業だけはするなと殴られたというからだその頃農業はそういう状態だった、そして双葉大熊地域は出稼ぎ地帯だったのである
その出稼ぎをしないで地元で暮らせるように原発を積極的に誘致したのである
それが裏目に出たのである

親が農業をするな⇒子供を殴る⇒その子供が原発で働く⇒原発事故⇒その子供が故郷から流出⇒子供は帰らず⇒老親が残される

これも因果でありカルマなのかもしれない
人間は親の影響が本当に大きいのである、何かその家が栄えるのは先祖とか親が関係している、とても一代では裕福になれない、二代三代とつづくことで富が貯えられて栄えてくる、でも親が悪いと栄えることはないのである
私は親が苦労したことを知っている、だから今の自分があることを常に自覚して親に感謝している
でもそういうことがないと親は捨てられたりその苦労も報われないとなる
親が苦しんで育ててくれたということを知れば子供もまたそれに報いようとする
子は親の背を見て育つというのはそのことである
それで意外と金持ちの親は必ずしも大事にされない、たいがい高価な老人ホームに入れられてめんどうみないのである

ともかくどうしてもこの補償金は震災バブルの金でありそれはたちまち消失してしまうのではないか?金の恐怖は紙切れになるということである
現実に戦後そうなったのである、母は前の夫が事故で死んだ、その時一生楽に暮らせる補償金をもらった、でも戦争が終わり預金封鎖になり本当に金は紙切れになった
残ったのはわずかの土地でも買った分だけだった
だから金に価値があるわけではないのだ
それでそうして補償金で一時的に金があってもそれは持続しない、あぶく銭となってた消える

いづれにしろ親に感謝しない、先祖に感謝しないとかなるとその家でも土地でも栄えるように思えないのである、果たして他の土地に行って一時的には栄えても継続して栄えるとも思えないのである
だから農業するにも三野混沌とか猪狩満直とか赤貧のなかで農業をして死んだ
でもその人たちは何か未来に残した、その苦闘自体が未来に残す遺産だったともなる
確かに富を残さないにしてもそういう心を残したともなる
ここではそうして補償金をもらっても心は荒廃している、故郷も荒廃してしまった
金だけですべてが活かせたり復興できたすりするわけでもない
人間は何か大事なのは心なのである

それで十津川部落では国らか金を援助されたがそれは部落の者全員でありがたくもらい無駄にしない、全員で心が一致して北海道に移住して新しい町を築いたのである
この辺では逆に補償金で争い分断してばらばらになり故郷に残されたのは老親だけだったのである、それもカルマだったのかとなる

「震災バブルの怪物たち」を読んで 補償金で原発避難区域はモラルが崩壊した

津波原発避難民の復興とは何なのか? (十津川村の北海道移住と比べる(2)




posted by 天華 at 17:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2020年05月18日

原発事故で問われたもの-取り残された老人が語るもの (補償金だけでは償われない生の意味が失われた)


原発事故で問われたもの-取り残された老人が語るもの

(補償金だけでは償われない生の意味が失われた)

原発事故ではいろいろなテーマが広範囲に生まれた、それを追及して来た
コロナウィルスでもそうである、何か大きな事件が起きると様々な面から追及される
テーマが生れる
第一一つの町や村が消失すること、ゴーストタウンのようになることは歴史上でもなかなかありえないだろう
戦争中であれほどの被害、300百万人死んで市町村が消滅するようなことがなかった
これも不思議なことである
かえって人口が焼け野原からうなぎ上りに増えて高度成長時代になった
戦争の引揚者がわずかの土地を求めて開墾に入った
飯館村の木戸木のような四方山に閉ざされたところでどうして生活していたのかとなる

その時車もないし七曲りの峠道があり村の中心部の草野に出るのも容易ではない
大倉に出たとしてもそこも街から遠く離れているのだ
ただ林業が盛んでありそれで生活していた面はあった
それで大倉であったばあちゃんが私は相馬の女学校出たんだよと自慢していた
つまりその当時林業が盛んであり山持ちに裕福な人がいたのである
その木材は原町機関区から東京に運ばれたのである
日本全国で森林鉄道が網の目のように張り巡らされていた
だから山には山の暮らしが成り立っていたともなる
そういう時代からここでも東京となのつながりが深かったのである
でもその時東京までは蒸気機関車で8時間くらいかかっていただろう
だから今の距離感覚とは相当に違っている

原発事故が起きて町や村が消滅するような事態は大事件である、なぜなら戦争でもそういうことなかった、爆撃を受けても消滅しなかった
つまり市町村でも原発避難区域でも江戸時代からその前から人は住み続けていたのであるそれが途絶えることは信じられないことだとなる              

それがどうしてそうなったのか?その意味することは何なのか?

もちろん放射線被害のためだとなればそうである、ただ私が追求してきたようにそれだけではない、社会と時代の変化でそうなった
高度成長時代を経て社会が大きく変貌してししまったのである
社会の変化をみるとき江戸時代と比べるよりわかりやすくなる
原発避難民が資本家になったと考察したが江戸時代だったらそんなことありえないからだ

●藩より外に自由に移動できない

●金が万能ではないー貨幣経済ではない

この2つの制約が大きかった、何か藩内であっても藩の外に自由に出れないのである
ただ天明の飢饉のときはやむなく藩の外に流出した、それで荒地が増えて越中などの移民を呼び込んだのである、農業社会だったから土地を与えるとなるとそれでも来た
でも藩の外にでることは命がけだったのである
第一飢饉で人が流出したような所に住む人はいない、でも当時は農業社会だから土地が一番価値がありそうなった

明治以降は鉄道が発達して関所もなくなったから自由にヒトでもモノでも出入りできるようになった、そこから金が大きな力を持つ貨幣経済となり資本主義が普及したとなる
その時村の共同地である入会の山なども各自に私有権が与えられて無数に分割されたのである、それで共同地を所有するということがなくなり各自が私有する山となった
今でも山は所有している人がいるが山が荒れて管理する人がいない
それは共同して所有しているわけでもないからである、その所有者すらわからなくなってその所有者の許可がないと自由にできないということで困るとなる
江戸時代は社会主義的共有の共同体だった、村ごとに自給自足の社会が基本だった

そういう社会から私有を私権を拡大する社会と明治の時から変貌したのである
でも一応村としての共同体は継続されていた、それは農業社会が基本にあったからである養蚕が盛んでもそれは農業なのである、だから今でもいたるところに兜屋根の養蚕をした家が残っている、どれだけ養蚕が盛んであったか今でもわかる
私の母親は原町紡績で糸取りしていた、農家では養蚕をしてその材料の糸を提供していたのである
その時代はやはりまだ村の共同体が維持されていたのである

それから農業社会から工業社会に変貌したのが高度成長時代でありその時からグロ−バル経済へ社会がまた大きく変化したのである
なぜなら電機製品を外国に売ることで日本が豊かになったからである
つまり農業中心だったらグロ−バル経済にならない、工業社会になったときグロ−バル経済になる、交通が発達してまたITとか発達ててもなる、つまり世界の流通が盛んになるにはそうしたインフラが発達しないとできない、グロ−バル社会はそうしてインフラが整備された結果として生まれた
日本の国内の広域社会でもそうである

グロ−バル資本主義社会というときそれは何なのか?

それが原発事故の避難者が多額の補償金で資本家になった、事業家のようにもなったというときそうである、1億円とか入れば銀行にもなる、それで投資家にもなる
山元町の津波の被害にあった土地を安く買って農業をはじめる
仙台市でアパート経営をはじめるとかで成功したとかなる
つまり原発事故になりその補償金であっというまに外に流出したのである
それができたのはグロ−バルなまた国内でも広域社会でありどこに住んでもいい、金さえあればどこに住んでもいい、むしろ金があればどこに住んでもいい暮らしができる
そうなれば別に荒廃した市町村を立て直そうとかもしない
なぜなら多額の金をもらって便利な所で生活すればいいとなるからである
それで飯館村では福島市に家を建てたり仙台市に住んだりしたとなる
東京に出て東京で生活するようになった人もいる

そこで失われたもの、取り残されたものは何なのか?

それで象徴されていてのは老人が取り残されたのである
最近あった人でもそうである、津波で被害にあった家を直した、でも息子夫婦は仙台市に移り住みその妻も仙台市に行って一人残されたのが老人の親なのである
ただその人は60代で元気だから仕事もしているからまた違っている

でもこのことは何を意味しているのか?

それは老人とは何なのか?そのことを知らないとわからない
老人とは自分の親でもそうだが自分のこれまでしたことを自慢する
それで認知症になっても常に自慢していた、この家は俺が建てたんだよと常に言って自慢していた、俺はこうこうしたんだよと認知症になっても過去のことを覚えているからしつこく100回でも言うのである
それはなせかというとそれが親の人生でありその苦労を語ることで自分の存在感を示すからである
そういうことは自分でもわかるから親を大事にするとなる
それは実は親をその土地の先祖になるとするときもそうである、別に血縁でなくても
そうしてその土地を切り開いて苦労して作ってきたのが先祖だからである
それは越中のような移民は特に苦労して相馬藩の土地に根付いた歴史があるからそうなるまた苦労して浪江町の津島で開墾したとかもそうである、だから団結しているというのもそうである

でもその土地から離れたら便利な都市に福島市でも仙台市でも移り住んだらそうした親の歴史でも先祖の歴史でも失われてしまうのではないか?
ただ補償金をもらった、金はもらった、でもそこで問われるのが意味なのである
老人はこの土地に生きて何かを残したということで存在感をもつ
ただ近くに住んでる人も若い時苦労して家を建てた、そして立派な庭を作った
ただ今そこに住んでいるのは一人なのである、ただ娘は相馬市に住んでいるから近いとはなる、でも親が苦労して建てた家には住んでいないのである
だからその家のことを自慢しても一緒に住んでいないから感じることがなくなる
私の場合は親が建てた家にずっと60年も住んでいてそのことを語るから感じるものがある
この柱は橲原(じさばら)の木を切って作ったとか常に言っていたからである
ということはその土地とも深く関係してこの家があったとなる
ここに親とかその土地と深く結びつくものがあり生きる意味があるともなる
それは先祖とも結びつくものがあるとなる

ただグロ−バル広域社会というのはただ金さえあればいい、金が万能の社会である
資本主義でも資本というとき金のことなのである

でも金があっても生きる意味が失われた

これは言えるのかもしれない、そこまで深く考えることはない、単純に金があればいいとなっている社会である
だから毎月電気代もガス代でも水道でも止められる貧窮者はそんなことより金だとなっている、一般的にはそうである
ただそこにも失われたものがあった
それが象徴しているのは故郷に取り残された老親である,跡を継ぐものもいないのである
自分が苦労して築いてきたことも原発事故でも無益化されたともなる
そして市町村でも死者とともに生き続けるということがある
生者と死者は切り離されていない、一体化しているのが村であり町でもそうだった
ただ何か失うものがあり得るものがあるのが人間である
だから今失ったものを一番感じているのは故郷に取り残された老親だともなる
もしかしたらその祖父母でも先祖でも悲しんでいるともなる
ただそういうことは経済的利益にならない、だからどうしても今を生きる人は経済的利益を追求する、今食べるものが欲しい、金が欲しいとなる方が切実だからである
ただそこにまた失われるものが生まれる
それを痛感するのは個々人でもある、常に人生は老人になって後悔するからである
あくことなく金を求めたとしても何かむなしいものとなる
そこに意味がないとそうなる「パンののみに生きるにあらず」を感じるのである


この人は何か浪江町に住んで生きていればこうはならなかったかもしれない
復興団地に閉ざされて孤独したというのも共同体から土地から切り離されてこうなったのかもしれない、確かに金には困っていなかったとしてもこういうことはありえる
孤独死ということはそういうことになるのかもしれない、ただ別に孤独死は増えている
だからそれが特別なものともならない
ただ人間はパンのみで生きる存在ではない、そういうことは原発事故でも問われたしあらゆる所で問われるのである 

とにかく人間は得るものがあれば失うものがある

常にこうなっていることは確かである

復興住宅で60歳代男性が孤独死…コロナで見守り訪問中止、棟の管理人決められず
5/17(日) 8:52配信


posted by 天華 at 10:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2020年05月19日

日本人は日本語と切り離せずある (日本語の特殊性は何なのか)

  
  日本人は日本語と切り離せずある 
  
  (日本語の特殊性は何なのか)
  
  日本人性の失われた場に日本語が生息できるわけがない
  どこの国の言葉であろうと言葉は環境の産物なのだ
  特に日本語が産みだした環境はその独自の精神生活にあった
  国語を守るのはその日本の生活環境を守ることと同義なのだ
            
  金銭や物質をふくめた富には長いこと無縁であり、争いごとから遠く離れ、豊かな自然は数学、理工脳よりも工夫、洗練といった芸術的な質の価値観を育んできた
  
  失われた日本語,失われた日本(林秀彦)

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日本人が日本のことがわからない、日本を知るには外国と対比することで見えて来る
対象的にすると見えるものがある
例えばここに紫色と黄色がある、これは黄色の菖蒲と紫の菖蒲を単純化した抽象画になるつまり色が現すものがある、赤だったら太陽とかイメージするし青だと海とかをイメージする、黄色とかなると何か明るい感じものをイメージする
すると紫と黄色は何を意味するのかとなる
黄色は明るく目立つ、でもその色を目立たせるのは紫なのである
紫は何か謙虚な感覚になり黄色は派手な感じになるからだ
こういうふうに対比することで見えて来るものがこの世界には多い

日本語でも日本語が何かわからない、でも外国語と対比してみると日本語の特性がわかるそれで本居宣長が唐言葉と大和言葉に分けて日本独自の言葉の由来から日本文化を解き明かした
日本語は特殊な言葉であり英語とかと比べると論理的ではないとしている
情的美的言葉であり世界の言葉からすると特殊だとしている
日本語自体が詩的な言葉としている

良くわからないけれどなぜ中国人はIT社会になりアメリカを追い越すような国になったのか?
それは漢字だけだと論理的でありそれが意外とプログラムするのに適していたのかとなる漢字は象形文字でありそう見えないが中国語の語順とかが英語とにている
だからIT社会になることができたのかともなる

日本語の特殊性はかなが作られていたことである
このかなが平安時代に宮廷に仕える女御たちによって発明されたことである
それで最初は漢詩を作ることができる、漢字だけを使うことが優れているとなっていた
大和言葉より漢語が優れているとされたのである
それは日本語より英語が優れているとなるのとにている
だから一時明治維新でもフランス語を国語としろとか英語を使用こせて国際化社会に適応すべきだということが今でもある
でも日本語は特殊であり日本語を使わないと日本人でなくなる
外国語は別にそうはならないと林秀彦は言っている
この人も外国暮らしが長いから外国のことを深く知っているしそれで対比して日本が見えたとなる
そして日本の悪い所もありありと見えたので日本人をこきおろしたのである
一方で日本のいい面も日本語などを通じて称賛している

何か外国暮らし人でも日本の見方が違ってくる
内村鑑三はアメリカに留学したがアメリカは金銭崇拝の国であり嫌悪した
日本は金だけの国ではないとしてその良さを主張した
だから彼はまたアメリカでも宣教師を嫌って武士道に根ざしたキリスト教を説いたのである
アメリカという国はプラグマテズムの実用主義の国であり何か神秘的なことは嫌う、実業家の国である、だからアメリカからは宗教でも哲学でも思想でも絵画でも音楽でも芸術も生れない、一流なものは生まれない、巨大な富を産みだしても精神的に人類に寄与する面が少ないとしている

プラグマティズム(英: pragmatism)とは、ドイツ語の「pragmatisch」という言葉に由来する、実用主義、道具主義、実際主義とも訳される考え方

言葉にしても英語とかはそういう実用主義の言葉、ビジネスの言葉であり詩的なものとはなりにくいとし林秀彦は言っている
それも英語を日常的に外国で使い暮らしていたから日本語が何か見えてきたとなる

日本語は語源とかたどると本当に謎でありどうしてそういう言葉が生まれたのか不思議だとなる

美しい(うつくしい)というときうつは何なのか?

うつむく・・という動詞から来ている、美しいとはうつむくと関係あるのかとなる
日本画とかの美人画ではうつむいているの多いからうつむいている姿が美しいととらえたのか、何か日本語は動詞から形容詞になっているのが多い
動作がありそれが形容化する、しなるという言葉がありしなやかなとかなる
日本舞踏でもそういう感じになる、日本人は動作に重きを置く、その動作はしなやかなということに象徴される、外国のダンスは激しい運動だとするときその対象で相当に違ったものである、しなやかなというとき柳のような感覚になる
とにかく言葉を探求するとそこに日本人が形成した文化を知ることができる
何気なく使っている言葉でもそれがどうして生まれたのかを読み解くと日本人の文化の根源をしることができる、それで本居宣長は唐言葉と大和言葉に分けて日本の文化を探求したのである    

 日本人性の失われた場に日本語が生息できるわけがない
  どこの国の言葉であろうと言葉は環境の産物なのだ
  特に日本語が産みだした環境はその独自の精神生活にあった
  国語を守るのはその日本の生活環境を守ることと同義なのだ  
  
 この言葉を象徴していたのが万葉集の次の歌だったのである

 豊国の企救の浜辺の砂地の真直にしあらば何か嘆かむ 

この場所が今は工業地帯であり全く当時の面影がない、ということは日本人の心も失われたとなる、その地に立ってもこんな境地にならないからである
日本の自然景観は破壊されつづけてきた、それとともに日本人の心も失われてきたともなる 


避けられないリスク(石油、J-reitの暴落)


避けられないリスク(石油、J-reitの暴落)

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株式投資というときリスクが避けられない、そもそも投資するというときリスクが必ずともなう、そのリスクの分散ということで株主制度が生まれた、みんなで株をもち何かあった場合みんなで負担を負うというのが会社である
それで船会社に投資たとき航海で船が沈没したら利益はゼロになるがもし沈没もしないで航海が成功したらその利益が大きくなる、それでオランダはもうけて一時富裕国になったそれが投資なのである

私自身は株とか投資について経験もないし知識もない、ただ地銀の人がプロだというのでまかせてやらせた、ただ地銀は投資には株とか投資信託には素人と同じだったのである
だから証券会社のようになってしまったことが合わないのである
それで福島銀行は自力で経営できなくなりSBI証券と合併してその配下に入った、島根銀行などもそうである

ただ本当に株とか投資信託でもリートでも国債すら安全ではない
なぜならカナダ国債は石油が下がり急落したからである、カナダは石油産出国であり石油に頼っていたからである
でもその時は60ドルくらいだった、今驚くのは石油が20ドルくらいになった時がある
今でも25ドルとかである、これだけ下がることに驚く
するとそのリスクは大きい、投資しても半分以上損失をだす
つまりこんなに急激に下がるということは予測できなかった
石油の値段は高止まりしていたからである
何か石油は売れるし安全資産のように思っていたのである
これはコロナウィルスショックでそうなった

J-reitも半額ほどに暴落したのにも驚いた、それを一月で売ったから助かった
別に下落するのを見込んで売ったのではない、何かリーマンショックの時買った株が元にもどしたとき地銀の営業の人が勝手に売ってJ-reitに回したことで信用できなくなったから売った
もし売らなかったら半分になっていた恐怖だった

このように投資には相当なリスクがある、それで日本の国債が安全だと思い買おうとしたが今度は日本経済が危機になったとき預金封鎖のようになるとき最初に国債が没収されてゼロになるという、預金は90パーセントが没収されるとかいう
すると国債が一番危険なのかとなる
何故ならカナダの国債が石油の価格の急落で急激に下落したからだ
国債も格付けがあり急に下がるリスクがありその価値がなくなる
国債とはその国の価値であるからだ
カナダとかは石油の資源をもっているのでそれが価値を決めていた

では日本の価値とは何なのか?

経済的な面からだけみれば資源もない、何か価値なのか、電機製品も今や中国でも韓国でも同じものを作れる、それも安いとなれば日本の価値はどこにあるのか?
自動車産業だけは技術力があり一応持ちこたえて輸出しているからそれが主な価値なのかとなる
世界から見たとき日本の価値は何なのか、技術力なのか?それは今は中国になっている
新幹線などは技術力があり世界に売れるとかまだある
それで日本がの経済力は低下してインバウンドの観光に頼ったのである
それもコロナウィルスで頼れなくなった、電車はがら空きであり空港も飛行機が飛ばないただ貨物輸送は続けられている、鉄道の場合は貨物輸送が極端に少なくなったから人が乗らなかったら商売にならないのである
そうしてアメリカの航空会社に投資していた有名な投資家が何兆円とかの大損を出した
航空は花形産業だったのである、それが一転してしまった驚きである

とにかくこの世に生きる限りリスクはさけられない、そのリスクがどこにあるのかわからないのである、それは津波と原発事故で経験した
町や村が一挙にゴーストタウンになることが信じられなかった
もちろん津波でも村自体が消失したことは信じられないことだった
そういうリスクがこの世にはある、つまりこの世を生きることはリスクを避けられないことなのだ
だから完全に安全な投資はありえないのである

だから

投資も運だ!

こうにもなる、本当はそうでないにしても運が作用しているともなる
誰も先を見ることができないからである
この先を見ることができれば投資でも成功するからだ
それは突然のこうしたリスクを事前にすることができないからである
ただ長い目で見ればリスクはあっても経済は一般的には回復する
リーマンショックでも戦争でも終われば鰻上りに経済は回復して日本は高度成長時代になったからだ
それでリーマンショックの時半分になった株でも元にもどりそれをもっていたら私は相当な利益になった、でも売られたので損にはならないがもうけを得られなかった
それも結局は自己責任だった、地銀は地銀のもうけを優先するからである
ただ自分で決めるべきものであり自分が責任をとらされる
それで地銀の営業の人を信用しないでJ=REITを一月に売ったことが損をまねがれたのである
ただトータルとしては損はしていなかった

要するにこのリスクだけは予測できないものとして起こる、だからこそリスクなのであるつまり船に投資する、その船が沈没することもある、でも無事にかえれば大儲けになる
それはギャンブルにもなる、その賭けに勝てば大儲けになるが負ければ大損失になる
だからこれも運まかせだとかなる
それはどんなプロでも予測できないことによっていたのである
それで財産がfortuneでありそれは運だったともなる

何か自分は大きな金をもったことがない、自由に旅していたとしてもホテル代に苦労していた、旅しても最低限しか使わなかったからだ
贅沢な旅などしたことがないのである、だから大きな金が入ったとしてもそれを使えないということがある、貧乏性が習慣になっていたからである

でも結局人間は親が生涯金をためていたけどその親は金を使わず認知症になった
そして銀行から金をおろせなくなった、これほど驚いたことはなかった
そうしたらその金が自分のものだとしても自分の金を銀行から下せないとしたら自分の金ではなくなったのである
これもショックである、認知症も病気もこういう大きなリスクなのである

とにかく人間にはつくづくリスクがつきものなのである、リスクないことはそもそも人生にありないのである、だから経済でも常にリスクがある
何かヒットして何がヒットしないかわからない
たまたまマスクの在庫があった人は百倍とかで売れたとかもある
でも市場に出回ればたちまち低価格になってしまったのである

いづれにしろ高度成長時代は金を銀行にあづけていれば利子がついた、7パーセントとかついた時もあった、今はもう利子はつかない、かえって利子をとられるともなる
でも地方の人に田舎の人に投資をすすめてもそれが成功する人は少ないだろう
まず投資をわかるのは複雑でわかりにくいし理解しにくいからだ
ただ今や預金封鎖だとかなんとか銀行自体がつぶれるとかなるとどうすればいいのかとなる
その方法をいろいろ調べてもわからないのである
紙幣は紙きれになるということが迫っているともいう、こういう状態なのだからそうかとなりでは他に安全資産がなにかあるのかというと見当たらないのである
ただ投資は長期的にみれば必ず下がっても上がる、今がどんなに悪くても必ず良くなる
そういう波があることは確かなのである、でも老人は先がないから投資に向いていないのである、この木を植えていつ育つのか、花が咲くのかと考える
早く咲く花を見たいとなる、それが育つ時間を待っていられないのである
それで老人は投資に向いていないのである

投資という時、将来へ投資するとしても

バフェット氏の投資会社、赤字5兆円超 航空株全て売却

このようにプロ中のプロで将来が未来は予測できないのである
第一航空会社は現代のグロ−バル社会の花形産業だったからである
それが一転して急降下してしまったのである
コロナウィルスを予測できなかったからこうなったのである
posted by 天華 at 16:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年05月20日

大坂吉村知事のコロナウィルス対策の評価 (若いから機敏に対応できた?ー緊急事態の対応は至難である)


大坂吉村知事のコロナウィルス対策の評価

(若いから機敏に対応できた?ー緊急事態の対応は至難である)


大坂知事がコロナウィルス対策で評価されている、早めに手を打ち先を見たという

それができたのはななぜなのか?

40才という若さなのか?弁護士出だとすると文系である、政治家だと阿部首相とか文系である、とするとウィルスのことをとっさにわかるだろうか?
それは知事だけの力ではない、回りのスタッフに専門家がいて適切なアドバイスがしてくれたからだとかとも言う、それもありだとしている

適切にアドバイスしてくれる人は大事!

これは言える、自分も家族が認知症になったとき何が何だかわからなかった、でもそういう緊急の時は身近に相談する人はいない
その時インタ−ネットでとっさに検索して読んだことが役に立った
何かお茶とか飲ませて落ち着かせろということと目を見て話せということが書いてあった
それでそれを即座に実行したのである
別に詳しく見たわけでない、時間がなかった、でもそのページを読んだことで即座に実行したら効果があった
つまり認知症について医者する知らない、かえって経験した人が知っている
でもそういう人が近くにいないのである、近くでアドバイスを受けられる所はなかったのである
そういうとき親身になって相談にのってくれる人はいないのであく

また大阪庶民は大阪人は義理人情に篤いとか大阪人はもともと東京のように地方かからの集まりではなくもともと住んだ人が多く団結心があるともいう
大坂は東京とにたようなものと思っていたが違うのかとなる
大阪人に何か好感をもてる、それで外国人でも受け入れる素地があり大阪が好きになることがわかる 

第一大阪弁からして親しみ安いのである
かえって情に篤いというとき東北人は情に篤いということもない、田舎が情に篤いなど今はないのである
むしろ何か隣人でも誰か不幸になることとそれを楽しむという傾向が強いのである
そういうことがかえって露骨に現れるのが田舎なのである
まず正直東北人はとっつきにくいし何か自分自身東北に住んで東北人は好きでない
地元に住んでいても人との対応が本当に悪いのである
原町の自転車屋では来るなと言われた、それは原町に住んでいないからである
他の人もそういわれたとある、そういうふうに客商売でも縄張りとかを守る
つまり東北人は商売人に向いていない、それで事業を起こした人も失敗した
事業を起こす経営者としても向いていない、youtubeの経営者向きのコンサルタントは
商売人の嫁をもらいというときそうである
事業には商売の要素が大きいからそうなる
その人は事業を起こす経営者になる前は一級の免許をもった技術者であり優秀だったのである、でも経営者になるとそこは違った世界になっていた
客を相手に商売するということがある、それで失敗した

つくづく東北人は商売に向いていない律儀な職人とか技術とか向いている
自分もそうである、何か学問とか芸術でも内面的なものに向いている
性格もあるが東北人気質となると政治家とか経営者とか何か商売のようなものに関係するのは向いていない、大阪人はもともと商売の土地でありそのあいさつが「もうかりまっか」となることでもわかる、それは東は江戸は政治であり西の大阪は商都として秀吉の時代から発展したからである
それから近江商人とかがいる、そこの出身の人と旅でであった、その人は外国で中国でもねぎるのがうまいのである、それを自分もまねてしたがかえって失敗したのである
その人だからできたことなのである、だからその資質はその土地の風土と歴史から生まれ育ったとなる、東北にはそういう歴史がないのである
ただ伊達政宗だけは例外なのである、なぜあのような人間が出たのが不思議である
ただ仙台が唯一江戸時代でも商人の町だったということが影響しているのかもしれない
それで方言で語尾にだっちゃ、だっちゃという、その響きが東北弁だとこの辺でもんだんだとなるが全然違った押しの強いものに感じる
んだんだというのは何か口籠もるような感覚になるからだ
それは山形弁とかでもそうであり東北弁に共通している、でも仙台弁だけは例外なのである

今回のコロナウィルスで大坂知事が評判が良かったのは何か若いということも関係していたのか?
こういう緊急の時、本当に機敏に対応できない、それは津浪とか原発事故で経験している何か大きな事は急激にやってくる、それに対応できないのである
それで南相馬市長でも知事でも緊急事態の対応が迫られたのである
国でもそうだが成すすべもなく対応できなかった
そもそも放射線のことなど事前に良く知らなかったからである
避難訓練もしていないしそういう放射線被害のことは歴史でも経験していないのである
それより肝心の支持すべき東電の幹部でも政府でも支持できなかったのである
だから浪江町では町長の独断で最も放射線量が高い津島に避難した
放射性物質がどう流れかもわからないからそうなった
そして東電が最初に事故のことを放射線量を計るスピーディがあったがそれを報告したのはアメリカだったのである

つまり日本は原発事故で何もできない、お手上げだった!

だから緊急事態が人間社会には必ず来る、それにどう対応していいのかわからない
それでただ右往左往するだけだとなる、そして被害を拡大するだけだともなる
だからコロナウィルスも緊急事態だけど対応が遅れた、中国人を入国禁止にすぐしなかったなど批判される
大坂吉村知事はすぐに対応したから評価される、そして株が上がったとなる
政治家とは緊急事態の対応力で評価されるのかもしれない、平時はその人の能力がわからない、でも緊急事態になるとその能力が発揮される
それが信長でもそうだし明治維新でもそうである
明治維新では若い人が活躍したのはそうした危機に若い人でないと対応できないからである、まず命をかける戦争もするとなると若い力がないとできないからだ
それで今回若い知事だから対応できたのかとなる

何かこういう時代が大きく変わる時若い人が活躍するようになるかもしれない
テレワークだって50代くらいの管理職は適応できずに無用化するとかなる
IT社会に適応できなくなる、つまり常に若い人はその時代の最先端を生きるから適応できるし新しい時代を作ることができる、時代に機敏に反応できるのである
ただ本当に津波でも原発事故でも突然襲われるものには対応するのがむずかしい
だからこそ判断が遅れて死ぬ人も多数いたのである
何か津波ではかえって老人がかえって多く死んだ、この辺では津波は来ないということが確信にもなっていた、だから老人は逃げずに死んだとなる、高齢者の割合が多かったからである

ただ今回はやはり運が関係していたのかもしれない、別に大阪だけではない、東京でも日本全国でなぜか日本は感染者が少ない、本当は検査しないとしても死者数が極端に少ないのである、それはなぜなのか?それは日本の特殊な事情でそうなっている
だから大坂知事だけが評価されるのではない、日本の特殊性があったからである
それが何なのかは不明である、ただ第二波の感染が来るから油断できない
だからコロナウィルスとの戦いが終わったわけではないしその後遺症も大きなものになったのである

posted by 天華 at 10:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年05月21日

abstract river


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