2020年05月07日

小川未明の「眠い町」の童話と似ているコロナウィルスの状況 (神がコロナウィルスをばらまいた?)


小川未明の「眠い町」の童話と似ているコロナウィルスの状況

(神がコロナウィルスをばらまいた?)


そこで少年は、袋の中なかから砂を取とり出だして、せっかく敷しいたレールの上うえに振ふりかけました。すると、見みるまに白く光ひかっていた鋼鉄のレールは真っ赤かにさびたように見みえたのでありました……。
 またある繁華な雑沓をきわめた都会をケーが歩あるいていましたときに、むこうから走ってきた自動車が、危く殺すばかりに一人のでっち小僧をはねとばして、ふりむきもせずゆきすぎようとしましたから、彼かれは袋ふくろの砂なをつかむが早はやいか、車輪に投なげかけました。すると見みるまに車の運転は止とまってしまいました。で、群集は、この無礼な自動車を難なく押おさえることができました。

 またあるとき、ケーは土木工事をしているそばを通りかかりますと、多くの人足が疲かれて汗を流ながしていました。それを見みると気の毒になりましたから、彼は、ごくすこしばかりの砂を監督人の体にまきかけました。と、監督は、たちまちの間あいだに眠気をもよおし、
「さあ、みんなも、ちっと休やすむだ。」
といって、彼は、そこにある帽子を頭に当あてて日の光をさえぎりながら、ぐうぐうと寝ねこんでしまいました。
 ケーは、汽車に乗ったり、汽船に乗ったり、また鉄工場にいったりして、この砂をいたるところでまきましたから、とうとう砂はなくなってしまいました。

コロナウィルスで起きたことも不思議である、この辺では津波とか原発事故とかがありこれも不思議であり恐ろしいものだった
このコロナウィルスで人間の活動が止まったことである
それも世界的に止まった、一番それを象徴していたのが空港とか鉄道とか交通関係が止まった
こんなに交通関係が停止するのを見たことがない、結果として交通事故が減り空気がきれいになった、それだけ人間の活動がもう限界に達していたのかもしれない
それで神がこの童話のように活動を止める砂をまいた
その砂とはコロナウィルスである、これをばらまいて人間の過剰化した活動を止めたとなる

だから何かこのコロナウィルスは何なのだろうと考えると不思議になる
本当にこの童話のように過剰化した人間の活動をとめるために砂をまく、すると人間の活動はとまり「眠い町」になる   

汽車に乗ったり、汽船に乗ったり、また鉄工場にいったりして、この砂をいたるところでまきましたから・・・

この時は飛行機はない、空港がなかった、車もあまりなかったがそれでも自動車は走っていたのである、何か今と比べるとその時代は牧歌的でさえあったともみる
東京でも百万とかであり市電が走っていたり何か今とはまるで違っていた
その時代こそ実は「眠い町」になっていたとなる、現代から比べるとそうである

とにかくは神が天から人間界を見下ろして「大気を汚すな、車でも多すぎる、煩さい、静にしろ、そんなに移動するな、もっと落ち着いて生活しろ、人口密集する大都会などに住むな広い田舎でソーシャルデスタントにフィズカルデスタントをとって静かに悠々と暮らせ」
東京のアパートかで騒音殺人が起きるのはフィズカルデスタンスがとれないからである
田舎でも市営住宅では隣に変な人がいてそれで悩まされている人を知っている
それは離れて住めないからである、常に隣に密着している、そして自分を見ているとなっているからだ
田舎は田舎で誰も見ていないようで見ている、窮屈さがある、でもフィズカルデスタンスがあり離れて住んでいる人が多いからそういう騒音問題は比較的起こりにくい、ただ密集して近接して人間が住めばそういうことはどこでも起きるのだ

何かそういうことを神が天から見て人間界にコロナウィルスをばらまいたのかもしれないそれが童話では魔法の砂だけどコロナウィルスがそれとにていたのである

原発にしてもなぜ津浪に襲われて爆発して人が住めなくなったのか?

それもなんらか神の関与があったのかとなる

そんな危険なものを作るな!

そういうことがあって神が津波を起こしたのかとまで思う
そして私が安全神話を作った権力集団、政府とか官僚とか科学者とかマスコミが一体化した利権集団を暴いたと追及して来た
何かこの世には人間だけがすべてを決めるのではない、神の関与がある
バベルの塔がなぜか単なる作り話ではない、事実に基づいていると感じるのはまさにそうである、人間は言葉が通じなくなるということは心が意志疎通がてきなくなることであるそれは何か原発事故でも起きた、人はみんなばらばらにされたからである
家族もばらばらになり自治体も補償金で争ったり世代でも若い世代は流出して老人だけが取り残されたりしてばらばらになったのである

だから何かコロナウィルスでもこれは一体何なのだろうとなると不可解になる
それは何かしら人間を越えた神の関与があってそうなったのかとも見る
つまり人間の活動が過剰化して限界に達していた、地球は人間の文明活動で大気を汚して大地も汚した、だからそれを戒めるためにコロナウィルスをばらまいたのかとなる

人間は生態系から離れて生活しえない、だから世界の大都会化はもう限度を越えていた
生物がそこで生きるということが不可能な状態になっていた
だからニューヨークとかが一番被害があった、もともと武漢風というように大都会から世界に広がったのである
だから一千万とかも密集して生活していること自体生物として限界でありそんな生活は続けられない、それでコロナウィルスをばらまいて人間を分散して生活させる
そういう働きがあったのかとなる

私の場合は常にこうした文明とか都会生活の逆に志向してきた、それで秘境を求めて来たのが自分だったのである
そうして大地とか森とか山とか岩石とかと精神的に一体化する、アイディンティティ化すること追及して来た
そういう文明否定をアウトサイダーはニーチェとか上野霄里氏とか他にも現代ではまともな人間ならそうなる、東京のような所に生きられ人は人間でもないとなるからだ
そこでもう生態系として生物として人間でありえない状態になっていたからである

いづれにしろどうしてもこの世に起きることはいくら科学が発達しても科学者が神のようになっても解明されていないのである
科学者が神のように何でも解明していると見ている、でも解明されていないのである
だからコロナウィルスというのもいろいろ言うがそれが何なのか解明されない、未知のものなのである、未知の侵入者なのである
つまりこの世には未知なものがまだまだあるし永遠にこの世界は解明できない
未知の世界である、全能の神のみがすべてを知っている
だから何らか神からの働きがこの世に人間界に起きる
それは不可解な不思議なものとして起きる
そういうことはなくならないのである、つまり絶対に人間はこの世のことを自然界を解明できないからである
だから科学者でも専門家でも何か解決してくれる、ワクチンができるとか言う
でもまた未知のウィルスが生れて同じ繰り返しになる

ではどうすればいいのか?神に祈って助かるのか?

実際は助かる道はそれしかない、なぜなら聖書ではノワの箱舟とかソドム、ゴムラから救出した、神に滅ぼされる前に救出した、つまりこの世が滅ぶことは定められている
しかし神の子とされたものは最後の日に救出されるからである
だからこれからも文明が滅びるような空恐ろしいことが起きる
人間は神に罰せられる、その一つがコロナウィルスであり未知の侵入者なのである

もはやこれだけ科学が発達したから未知なものはないということが傲慢なのである
人間はまだまだ未知の世界に生きている、その未知は永遠に解明されないのである
一つの未知が解決してもまた新たな未知が生まれる、そういう繰り返しであり科学者も実際は絶望しているのである
人間の限界を感じているのである

posted by 天華 at 18:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年05月08日

東京にコロナウィルスに地震頻発の恐怖 (福島原発事故でカルマを作った東京)


東京にコロナウィルスに地震頻発の恐怖

(福島原発事故でカルマを作った東京)


なぜ今東京が危険地帯となっているのか?

コロナウィルスでも東京から拡散する、南相馬市でも自分の住んでいるすぐ近くで東京のライブハウスに行った人が感染したのである
東京が危険なのは人口が多すぎるからである、その周辺の神奈川とか埼玉とかでも東京圏の人口が多すぎる、その影響が大きすぎる
そこで人の流れも止めることができない、それでコロナウィルスでも伝染するのが止めることができない、そのことは前から言われていた

そして福島に原発を作ったのも地理的なものだった、茨城県だと近すぎる、確かに東海に原発があっても実験用とかで規模が小さいが福島は大きすぎた
それで甚大な被害となった
福島県は東京から遠からず近からずという場所にありそれで東京圏ではないが疑似東京圏にもなっていたのだ
東京の影響が地理的に受けやすい場所にあったのである
それで経済的には東京の恩恵を受ける面があったが逆にまた原発のように被害を受ける面もあった、岩手県とか秋田県とか青森県になるとこうはならなかったのである
でも青森県でも核燃料貯蔵庫とかができているからかえって辺鄙な所に危険なものが作られることはあった

何かカルマというとき個人的にも家族的にもその場所であれカルマをかかえている
時間的にも空間的にもカルマがある、カルマとは繰り返すことであり自然災害も地震でもコロナウィルスがあったがこれも実際は百年前とかスペイン風邪とかで大被害が世界であったことなのである、だからまたカルマとして繰り返すとなる
カルマを意識するのは苦しみとなった時である
それは津波でもそうだった、それは余りにも凄惨なものでありこんなことが起きるのか?そうみて震撼としたがそれも過去に同じようなことが起きていたのである
相馬地域では400年前に700人溺死とありやはり起きていたが忘れていたのである
だからつくづく災害は忘れたころにやってくるとなっている
カルマは必ずめぐってくる、それは空間的にもそうなのである
世界で起きたことが関係ないようで日本にも起きて来る、カルマは空間的にも時間的にもめぐってくる

今なぜ東京が危険なのか?

何かそこにカルマがめぐるような状態になっている、東京はカルマを積んだのである
それは福島原発事故でカルマを積んだ、東京電力が福島に原発を作った時カルマの因を作ったのである
それで一時福島から放射性物質の汚染を恐れて東京に避難した人たちが放射能がうつるとかいじめられたとかあった
今度は東京の人たちが地方にコロナウィルスをうつすから来るなとち拒否された

放射性物質をうつすから福島の人は来るな!

コロナウィルスをうつすから東京から來るな、出るな!

これも何なのか?これもカルマではないか?そうして人にしたことが今度は我が身にふりかかってくる、それが個人的にもそうだし家族でもそうだし地域でもそうだしあらゆることにカルマが適応されるのである

東京が今地震が頻発して恐れている、東京は何か今の時期一番危険になっている
なぜならコロナウィルスと地震が重なったら阿鼻叫喚のようになる
コロナウィルスをうつすから東京から出るなとか地方から言われて今度は避難することもできなくなる、地方で受け入れないからである
地震が起きたら東京内でも密集するから避難場所もなくなる

東京から脱出したい、でも脱出もできない

その時東京がパニックになる、まさに生き地獄になる、東京にカルマがめぐり東京に今そういう危機が集中している
そしてカルマの解消は苦しまないと解消しないのである
それは個人的でも家族でも地域でもそうなのである
それは自分自身が死ぬような苦しみを受けた、介護とか自分の病気とかでそうだった
つまり死ぬような苦しみを受けないとカルマは解消しないのである
それだけのカルマを東京という地域が積んだのである
これは科学的でないにしろカルマには明らかに法則性がある
だから今東京がコロナウィルスとか地震とか一番危険になっているのだ

ではその他は安全なのか?

それもわからないにしろ福島は安全ではないか?、なぜなら津浪地震とか原発事故とかでその被害を受けてカルマを解消したと思えるからだ
ただ放射性物質はこの地に残り依然としてその後遺症が残りつづけている
人は住めなくなるゴーストタウンになったままの地域もある

だから不思議なのは

福島の原発周辺がゴーストタウンになった

コロナウィルスで日本でもゴーストタウンになった

世界中がゴーストタウンになった

これも何かカルマが関係してそうなったのかともみる、世界が村となったというとき距離に関係なく悪いことも広がるからである

ともかく何かこういう時不安がらせるということがある,マスコミは不安をあおっているという、視聴率のためにそうである

巨大地震が連続して起きた慶長時代とにている (東北と九州(熊本)に起こり今度は関東へ迫る恐怖)

ここにアクセスがそれなりにあったということは東京で危険を感じる人たちが多いからである
正直脅かすわけではないが、東京にはカルマがたまっている、それを一度出さないと治まらないのではないか?
そういう時期になっているのではないか?
だから東京を脱出する人が地震の無いところに移住しようとしている人が増えるのもわかる
かなり不安になっているからだ、そもそも東京は災害には弱い
あれだけ人が密集していること自体が危険なのである
それはコロナウィルスでもわかった、だからそうして警戒するのはわかる
つまり東京から人が地方へ分散する、それが日本の国土にとってもかえって東京と地方のバランスをとりもどす契機となる
あまりにも東京一極集中になりすぎたからその弊害が大きくなったからである

人間は危険を察知することが大事

人間は命が助かるためには危険をいち早く察知することである、それは津波で原発事故でもそうだった
危険を察知しないで甘く見ていた結果大被害になり多くの人が無惨に死んだ
だからソドム、ゴモラでもロトが危険を察知して脱出したことにより危機一髪助かったのである
でもその妻はその光景を見て石と化してしまった、それほど恐ろしい光景だったのである
だから東京が危険だと察知して脱出した人たちが命が助かるということがある
それだけそもそも東京は人が密集してビルが密集して危険なのである
逃れる場所もなくなるからだ




posted by 天華 at 11:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

藤の花(相馬市は詩と絵になる街―写真)


藤の花(相馬市は詩と絵になる街―写真)

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街道の藤の花
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相馬中村神社の神苑
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中村珈琲店の庭の藤

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白つつし夕べひそまり神苑に

夏柳風にそよぎて田町かな

奥に石木陰の深く藤の花                          

夏の夜や赤い満月昇るかな


新緑につつじの赤く映えにつつ蔵王大きく迫り見ゆかな

八重桜あまた散り赤し藤の花さわに垂れ咲き相馬市の暮る

紫と白の藤の花映えにつつ街道あわれ行く人のあれ

相馬市の通りにさしぬ夕日かな夾竹桃の街路を行きぬ
                

前に大きく見えた蔵王の写真をとるために同じ場所を探した、それがわからなくなっていた、場所は地図で示した、ここから意外と蔵王が大きく見えるのだ
他はこんなに大きく見えないのである、ここはだから蔵王のビューポイントである

相馬市は街として詩になり絵になる、何か特徴がないのだが街として活きている
それは原町と比べると違っている、原町は何か詩とか絵になりにくいと思う
街中に丸三製紙工場とかあり煙がでてたり何か街として整っていないのである
相馬市は城下町だから碁盤の目のように作られていて整っている感じになる

相馬神社の神苑にはいつも白いツツジが咲いて今日は藤の花が咲き八重桜が散った後だった、あの藤の花はいい
それから中村珈琲店に藤の花を見に行った、でも今日はコロナウィルスのために閉じていた、何かまだ正常にはならない、店も閉じているのがある
それか残念だったがあの藤の花は見ものである
相馬市の花は藤の花である、鹿島は草深く咲く月見草とかである
原町はひまわりがにあっている、何かにあう花がある、飯館村はゆったりと芙蓉がにあうただ人が住んでいないから花も活きてこないのである

相馬市の通りに夾竹桃の街路樹があり夕日がさして映えて絵になっていた
暗くなって赤い満月がでていた、赤い満月は見ることがある、自然現象であるが今回は大きく見えた、今日は夏らしい一日だった
風が涼しいから暑いというほどではない、去年は熱中症に二三回なった
今年はそんなに暑いというのではない、風は結構涼しい、それで自転車で走るのが気持ちいいのである


2020年05月09日

還暦(60)で四分の一が貯金が百万以下 (貧困化する老後‐田舎の例)


還暦(60)で四分の一が貯金が百万以下

(貧困化する老後‐田舎の例)
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100万以下が増えていて24パーセントもいる

その女性はもともと食べることもまともにできていない、70近くになる
その女性が畑で野菜を作っている
でも勝手に草取りしたから金を要求する、それも5000円とかである
また蛇が畑にどぐろを巻いていたからとってくれと頼んだら5000円要求された
また肥料が蓄えていたものが盗まれた
あとは畑をうなってもらうのに金がかかる

畑の作物が果物でも盗まれることが良くある、畑の小屋とかなると夜なら誰も見ていない盗まれやすいのである
でも知っている人が勝手に草取りして金を要求する、また蛇をとってくれと頼んで金をとるというのは何かせこいなと思った
そんなこと善意で無料で知っている人ならするだろう
第一その女性は金が貧窮している、そんな人から金を要求するだろうか?

その人はおそらく60代だろう、何か余裕がないからそうなっている
なんとか現金を得たいということでそうなっている
それだけ金に窮している人が田舎でも増えているのかもしれない
現実そのために盗難で大金を失ったことがありそれも田舎で生活に窮している人だった
今はなかなか金に窮している貧困が見えない社会である
一応みんな田舎でも車を持っているからその車を持っているということで貧困に見えないのである
私は車をもっていないから実際は貧困の部類に入る、車ももっていないのかと今の時代ならなるからだ、でも別に自分は貧困ではない

だからこんなに貯金がないことに驚く、なぜなら私の親の世代は貯金することが楽しみであり貯金した、その時はまた必ず利子が高いから貯金したのである
だから団塊の世代ならその親の遺産を受け継いだ人は貯金がそれなりにある
でもここでも格差が大きくなっている

表でみると

百万未満の人が24パーセントもいる

これは尋常ではない、もちろん年金が高いならそれでもやっていける
でも厚生年金にしても15万くらいでたりないとしている
他の人は農業している人などは国民年金になるから少なくなる
だから貯金がない人がこんなに多いということに本当に驚く
つまり還暦になり60才で貯金がないということは相当に厳しい
普通に働けなくなっているからだ、収入は会社をやめたら半分くらいにもなる

それで2000千万貯金しろと政府が言うのである
国ではめんどうみれないからそう言ったのである
そして恐ろしいのは60代より今の50代以下がまた40代が氷河期世代はもう貯金もないし年金ももらえないとされる、そうしたらどうなるのか? 

これを予想すると本当に老後の生活が成り立つのか?

みんな生活保護になる、それより生活保護でも田舎だとただ医療が無料になるとかの生活保護もあり後は何ももらえない
第一国民年金でも4,5万しかもらえない人が結構いるのだ

そんな人がどうして生活ができるのか?

コロナウィルスでもその日暮らしのような人が困窮する、若い人は貯金がない
するとたちまち困窮して暮らしていけなくなる
だから何かあるときのために貯金がある、コロナウィルスのように経済が不安定になると解雇されたりするから貯金がないとどうにもならなくなる
でも貯金がないから10万の政府からの給与でも助かるとなる
何か怖いのはこういうふうに日本人が貧困化する犯罪が増える
その被害者に自分もなったから怖いのである
コロナウィルスではすでにそうして解雇された人がわずかの金が欲しくて強盗に入ったとかある
そううい人が増えてくると本当に怖いことになる、格差社会は南米のように犯罪国家になる

なぜこんなに日本は貧困化したのだろうか?

それはコロナウィルス前からそうだった、さらに拍車をかけて貧困化する
その割には貧困が見えない社会である、都会辺りだとホームレスとか見かけると一目でわかる、コロナウィルスで仙台にホームレスが増えたという時わかる
田舎ではかえって貧困見えないのである
なぜ食べるものも事欠く人からそんな金を要求するのかとなるからだ

現代の貧困は田舎でも車が無しでやっていけないとか金がかかる、何かと金がかかる
それで金がなくても出費が抑えられないのである
その人は毎月ガス、水道、電気がとめられると騒いでいるからだ
結果的に自分が払ってやる

まず畑で野菜を作ること自体が簡単にできない、とれるものはほとんどなかった
こうしてただかえって機械が必要だとか肥料だとか鳥にネズミに食われたとか盗まれたとかなんとかかんとか苦労だけ背負ったとなる
ただ少しでも収穫があると喜んでいてその人は農業がしたい好きなのである
でも実際は腰が痛いとか体も弱っているから無理なのである
それで隣の畑は車に乗せられて這って野菜を作っていた人がやめた
向かいの畑は病気で死んでこれも草ぼうぼうになった
そうして誰もそんな零細な農業をしない、跡継ぎがいないのである

その原因は実際の農業は専業農家が8割くらい食料を生産している
その専業農家は裕福でもある、キャベツ農家が話題にもなった
ただこの辺では梨の生産が盛んでそういうものは生活が成り立つのだろう
あとはなかなかむずかしいと見る
田んぼでも15町とかもっていれば専業農家なら成り立つ

そしてなぜ荒地が増えるのかというと全国が市場なのだからいくらでも全国から食料が入ってくる、すると全国の中でもキャベツ専業農家ならやっていける
他は田舎でも食料でも買うことになるからである
もし地元だけで自給自足しろとなるとそんなに荒地にしておけないからである
どうにかして地元で食料を得なければならないからだ
それどグロ−バル―化で外国から食料が入っていてそうなったのである

いづれにしろ人生百年時代にすでに60で百万以下の人が4分の一とかは異常である
もう老後の生活が成り立たないレベルである
それほど貧困化している日本でありコロナウィルスでますます貧困化する
ではどうするのかとなると私にはわからない
ただ農業というのは8割の専業農家が食料を供給している
それも全国からだから食料が高くなっても足りなくなることはないようである
でも零細農家などはとてもやっていけないのである
それでそうした零細農家とかもう跡継ぎもいない農家は廃業するようになる
そこで荒地が耕作放棄地が全国で増えているのである

2020年05月10日

科学の時代でも科学が無視される (マスコミの報道で真実が歪められるー武田邦彦氏の主張から)


科学の時代でも科学が無視される

(マスコミの報道で真実が歪められるー武田邦彦氏の主張から)


現代は科学の時代である、科学技術なしではありえない社会である
だから科学技術者が一番重要な役割を果たしている
昔は預言者とか聖職者とか僧侶とかが力をもっていた
それは会津で8世紀とか早い時期に大きな寺院が建設された
それは病気を治すための加持祈祷のためである
ウィルスでもそうだけど科学技術が発達しなければ神仏に祈るほかないからだ
それでた村では様々な病気を直す地蔵がいて目が悪くなれば目を直す地蔵とか
腰が痛くなれば腰痛を直す地蔵とか耳が悪くなれば耳を直す地蔵とかに祈る
それしか方法がないからである 

江戸時代でも医者は仁術というとき医者は病気を治すことができない
するとやはり仁術ということは病気を治すというより慰めるということになる
そもそも直せない病気が多いからである
今のように病気は直せるものとして医者にも期待していないのである
今はみんな病気を治せるものとして医者にも科学技術者にも期待している
それはもう信仰なのである、医者を神様のように頼っているのである
そして医者は科学者は全能のように見ている、今直らなくても将来は必ず治ると期待されている

だから今一番無能化している役立たずと見られるのは宗教者である
仏教でも神道でも僧侶でも神主でもキリスト教の牧師でも何か現実社会で何に役立っているのかとみる、ただ戒名料を馬鹿高くとったり神主でも何を祈っているのか良くわからない
ただ賽銭だけはとっているとかなる
要するに宗教に何ら効能が認められないからである
その割合にしてはなぜこんなにカルト教団でも多いのか?
その理由は宗教は効能がなくなったけど利権団体化して政治団体化して力をもつ
それは創価だけではない、宗教者は宗教団体として組合化して税金をかけられないように宗教が違っていても協力していることでわかる  
利益第一主義であり集団化組織化すればみんなそうである
その利益のために一致団結している
そして何かしらそうした利権から利益から脱することができないのである
あらゆるもものがそうして組織化組合化集団化しているからである

なぜこうなったかというと宗教者が無能化したかというと科学技術の時代になったからである
科学者が医者でも神官であり聖職者になったのである
現代人が崇めるのは科学でありそれに通じたものである
政治家とかマスコミとかはそれに付随して利益を得ている、たいだいそこは文系なのである

だから原発事故でも東電の科学者が十数メートルの津波が来るからそれに備えろと進言していた
そして本当に津波が来たから驚きだった
でもそのことは「安全神話」が権力で作られていたから公にも知らされていない
第一マスコミが知らせないからである

つまり科学的に追求されたことは信用できる

だから科学者や技術者は信用できる

そうなっているのだがその通りには社会は進まない、社会は科学で追求されたことを無視する、それで武田邦彦氏がダイオシキンは無害だったのにマスコミが危険を騒ぎ過ぎた
そのために社会が歪められたとてマスコミを怒っている
科学的真理も社会によってこの時はマスコミによって歪められた
でもその反省もなく罰せられることもないとしてyoutubeで訴えている

ガリレオでもカトリックに科学者として追及して来たことを主張しつづけた
それで否定されても「地球はそれでも回っている」と言ったのである
現代社会は科学技術社会である、それなくしてはありえない社会である
だから武田邦彦氏はコロナウィルスでもこれは普通の風邪だから普通に過ごせばいいとしている、インフレインザと変わりないとしている
ではなぜマスコミでも政府でも経済が破綻するようなことまでしているのか?

そんな過剰を防衛をしているのか?

何か得があるのか?政府にあるとは思えない、原発では警察から検察から海上保安庁から天下り先として役得を得る利益があった
コロナウィルスでは一体誰が利益を得るのか?
政府も巨額の財政支出があり医者でも必ずしも得するとはなりえない
医師会に予算を回すとしてもそれほどの利益にはならない
医師会が検査を拒むのは利権にならないからだともしている

ただマスコミは危険を言うと視聴率があがる、すると宣伝費をコマーシャル代を会社からもらうから視聴率をあげることは利益になる
その利益のためコロナウィルスは日本ではさほどの危険がなく風邪と同じだとしているがそれではテレビを見る人が増えない
だから毎日何人感染者が増えたとか恐怖をあおっている
その手法はナチスのゲッベルスと同じだとしている
つまり何回も同じことを言いいつつげるとそれが真実に見えて来る
恐怖をあおることを何度も言っているとそれが本当に恐怖として洗脳されるのである
カルト教団も恐怖で洗脳するのとにている

人間に恐怖を与える、おびえさせる、それが効果的なのである
人間はそうした恐怖に敏感であり地震のことでも科学的ないにしろ実際はわからないのだから何か恐怖して注目するのである
だからマスコミはそうしして危険をあおり社会を歪めたから罰せられるべきだという武田邦彦氏の主張に共感する
なぜならこれまでは六局しか放送できなかったからである
その影響力はあまりにも大きかったからこそその責任も重大だったのである

でもマスコミはNHKでもそれだけ影響力がありメデアを独占していたのにその責任を自覚していない、だから技術を手に入れるものが誤ると核でも原発として甚大な被害になる
マスコミも放送する機械を道具を与えられたものとして責任を自覚すべきだがしない
それは大きな間違えを報道したとしても誰も責任をとらないからである
ただ原発事故でも誰も責任をとらなかった、政治家も官僚も東電も科学技術者も全マスコミも責任をとっていない
ただ必ず戦争でも3百万人死んだように責任はとらされる
原発事故で周辺の町がゴーストタウンになったように責任をとらされる  

だから報道にもマスコミにも責任をとらせるべきだとなる
なぜなら報道の権利と武器になるメデアを機械を道具を与えられたからである
権利を与えられたものには責任も課せられていたのである
でも一切責任をマスコミはとらないのである
コロナウィルスでも経済破綻するし自殺する人もでた
だからこの影響も大きいから経済をとめることも慎重にすべきである
ただインタ−ネットで個々人にもメデアが与えられたからある程度は報道の公平さがもたらされた、でもまだ依然としてマスコミの影響が大きい
でもテレビ自体がyoutube化するようになるとテレビの影響が大きくそがれる
とういのはそんなにいろいろなものを見れないからである
youtubeを見ているから最近テレビを見る時間が減ったからである

ただコロナウィルスは科学者にとっても医者にとっても未知である
それで対処できないということはわかる、でもその未知なことをいいことにマスコミが誇大に危険をあおり視聴率を稼ぐことは許されないのである
要するに社会は利権とか利益ばかりを追求すると本来の使命が失われる
マスコミでも事実を正確に報道してその判断は国民にまかせる
マスコミが判断して裁判官になり私刑にする、リンチするようなことをしているから問題なのである

また危険を言う学者が医者が選ばれて放送する、マスコミの意図は危険をあおりコロナウィルスで視聴率を稼ぎ宣伝費をくれる会社のために貢献するということでそうなる
その利益も巨額なのである、だから原発事故が起きたとき朝日新聞でもマスコミは全部中国に招待されていた、その時事故が起きたのも因縁だったのである

 原発事故で十数メートルの津波が来る!

こう警告していた科学者集団がいた、でもそれも無視された、利益を第一として原子力村の利権集団に無視されたのである、安全神話はどれほど強固に作られていたか?
これが報道されていたら津波の被害も少なかったかもしれない
なぜなら仙台から宮城県の海岸線は津波の警戒がなかった
それは400年前に津波があったとしても忘れていたからである
それで津波は来ないという確信までになって避難が遅れた、津波を甘く見ていたことがある
だからこの科学者の指摘したことをみんな衆知していれば頭にそのことがあり早く逃げたかもしれないのだ、でもそういう危機感がないから死ぬ人が多かったともなる

安全神話もそうして強固に作られていた、事故はありえないとしていたのである
それで地元の人たちでもそれを信じていたのである
それはとても崩せないものであり津波でしか崩せないものだったのである
民主主義とはそうした原子力村とか利権団体の主張を通すことである
だからそうした利権団体に入らない者は利益を得られないのであるその利益を得るために常に社会が歪められるのである
原発事故では漁業組合は利権団体となり事故前も事故後も利益を得ていた
それだけでない、農協とかでも利権団体でありあちゆるものが利権団体化している
その利権団体を調整するのが政治だともなる

でも公正さを報道とかに求めるとそうした利権団体に組み入れられるとできない
必ずその利権団体に票を得るからと忖度する
そしてテレビとか六局が独占していたがそうした公器を手に入れたマスコミが宣伝費で成り立つから宣伝費を出す会社に忖度する
それは原発事故でもわかった、電事連から800億円とかの宣伝費が出ていたのである
原発は金のなる木だからみんな群がったのである
だからこそその危険性は地元でもみんなによって無視されたのである

だから科学で追求した真理でも事実でもそれがその通りに社会に通用しない
隠蔽されたり科学の真理がそのままに報道されることもない
コロナウィルスでも複雑なのだけどそういうことがある
聖書が予言の書だというとき現代では預言者は科学技術者になった
それで津波を警告するというとき科学者は預言者と同じだとしている
コロナウィルスでもこれからどうなるのか?
それを予言するからである、でもそれが当たらないとしたら科学者の信頼は失墜するのである
預言者は神の言を伝える者であった、でも殺されたりしたのは必ずなんらか不興を買うものがあったためである
科学者でもいくら科学的に追求しても正確にその将来を未来を示すことはできない

つまり未来は神の掌中にある、人間は知ることはできないのである
だから人間の未来を握っているのは人間ではない、神なのである
なぜなら神は人間界でも地球でも滅ぼすことができるからだ
創ることもできるか滅ぼすこともできるのである
人間の未来を決めるのはAIでもなんでもない、神が決めることなのである
そういう権能をもっているのは神だけである
科学技術者でも限界があり実際すべてがわかるわけではないからである
だからこそ何かあるとこうして不明な未知のことが出てきて混乱するのである 

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放射線量もコロナウィルスも数字で計る (科学は数字でも社会はすべて数字で計れない)


放射線量もコロナウィルスも数字で計る

(科学は数字でも社会はすべて数字で計れない)

原発事故で常に放射線量を計った、その計ることが機械があれば素人でもできた
だから浪江町から双葉町に入る時に0.5マイクロシーベルとか7マイクロに変わったとき驚いた、このようにはっきりと数字ででる
それは素人でもわかったのである、屋根にたまった放射性物質は樋から流れる
すると樋の下は7マイクロとかあった、これもわかりやすい、まわりは0.2マイクロだったからである

このように他でも明確に放射線量はわかる
それで飯館村でモニタリングポストの下を掘って放射性物質の土をとりのぞいて置いた
でもその周りは倍くらい高かったのである
つまりこの時大成建設では不正をして低くみせていたのである
それを飯館村の人が指摘したのである
それができたのは放射線量は素人でも計れるということだったからである

コロナウィルスはまず素人では計りえようがない、検査しようもない
すると専門家の言うままになる、何が本当なのかどうかもわからない
実際は検査していないから感染者の数は百倍もあるとされている
でも素人では何か機械をあてて検査できない、放射線量は体でもできたからだ

ただ放射線量で数字で計る、コロナウィルスでも感染者の数を常に見ている
数に左右されるのは同じだった
感染者が今日は何人とか毎日報告したからである
でもその数に一気一哀するのはおかしいという科学者もいた
そこに数字のトリックがありだまされるとしている
何か数字信仰のようになる、数字がすべてになる

不思議なのは地方では感染者が少ないから安全なのかと思う
それなのにこの辺でも毎日連休が過ぎてもスピーカーで危険を言っている
そして今日蔦屋に入ったら書店でも多人数で入るなとか長くいるなとか呼びかけている
どこでもマスクしているから常磐高速の鹿島のSAでは掃除している人がマスクをしなかったらマスクしない人は入れないと昨日は言われた
でも遠くから来た人はマスクしないで入っていたのである
これもおかしい、過剰防衛になっている

何かこのコロナウィルスは正体不明で怖いことはわかる、でも数字から計算するとそんなに怖くない、インフレインザより死者数も少ないとか過剰防衛になっている
その原因が正確な感染者とか政府でも調べて発表しないとかあるからだ
それで国民も疑心暗鬼になり過剰防衛になっている

放射線量でもモニタリングボストで低く見せたと同じことをしていると感じている
外国では隠蔽しない、というより死者数が多いから隠蔽できない

だから日本でぱなぜ感染者や死者数がこんなに少ないのか?

それが外国から見ると不思議だとなる、原因は何なのか?

●日本人特有のものBCGとか体質とか食生活が関係している

●政府が感染者と死者数を隠蔽している、正確に検査しない

このどちらかである、ただ死者数は隠せないとしている

ただ本当の感染者数がわかれば国民がパニックになる
それで数を極力おさえている、まず検査数が少ないのだからすでに百万単位で感染しているという学者もいる

でもそれでも死者数とか重症数が少ないのなら抗体がすでにできたためだとなり安心である
感染者数が増えてもかえって抗体を持つ人が増えるのだから安全だとしている
そういう政策をとったのはスエーデンである

ともかく科学とはつくづくこのように数字の問題になる、現代は何かとあらゆることで数字が問題になる、経済も統計であり数字で計る、だから株でも常に数字とかグラフを見ている
だから何かそこに血の通った人間を見ないのである
官僚とかでも常に国民を数字で計っている、すると血の通った個々人は見えなくなる
なぜなら相手しているのは国民であってもそれは数字としての国民なのである
そこに何か非人間的なものとなり政府でも首相でも国民はただ数字だとしか見ないということがある
だから個々人の苦しみでも感じないのである
それが現代文明社会だといえばそうなる

何かこんなに数字だけに左右されるのがいいのだろうか?

数字だけで社会のすべてが見えるのだろうか?正確な数字を出してもらうことが安心になる、それは必要である
変なのは感染者数は昨日は百人であり今日は50人だと報告されると安心する

数が少ないから安心だ!

これも何か数にだまされているともなる、一種の数の洗脳である
感染者の数ではなく重傷者と死者の数が重要だとしているからだ
感染者がいくら増えても重傷者と死者の数がふえなければかえって抗体が作られて安心だとしているからだ

結局放射線量でも常に数で計りそれで安心したり不安になったりしていたのである
見えないものだから数で計るほかないしそれしか感じる方法がないからそうなった
今回でもそうである
この辺だと10数人感染者が出たとしても東京と比べて少ないから安全かと思ってしまう現実はもっと多いのかもしれない、でも放射線量のように計れないから発表された数字で計るほかないのである

要するに検査を増やして感染者の正確な数を計れ!

これが正論になる、別に増えたとしても重傷者数と死者数が増えないなら安全なのであるそうなると日本がでは何かすでに抗体があり死者数が増えないとかなり安心になる
なぜそれを最初からしなかったのか?それがわからなかった

いづれにしろ人間社会は科学時代でも科学の基本が数学に数字にあるとしてそれだけで計れない、そこには血の通った人間がいてその声も聞くべきだとなる
すべてを数字で計ると血の通った政治もできない、何かここに科学の基礎が数学であり
社会を見るのが人間を見るのが文系だともなる
理系と文系の分化がコロナウィルスでも現象化したとなる
それで専門家会議に経済の専門家を入れろとういのはすでに自殺した人もいるし
経済の影響が大きくなると自殺者が増えるとか深刻になるからである
ただ感染者数を減らす数字だけを見ていては肝心の血の通った人間をないがしろにする
数字だけをみて判断するのも危険なのである

とにかく過剰防衛になっている、それは日本人の同調圧力となり告発して村八分のようになる、何か戦時中のようになっているのかもしれない
「勝つまではほしがりません」とかみんなマスクをしている
戦時中は鉢巻をして鬼畜米英と戦ったとにている
日本人は同調圧力が強くそうなりやすいのである
マスクをしない者は非国民だとか自粛をしないで店を開けるのは非国民だとかなる
それが何か一斉にそうなり強制的になりファシズムのようになりやすいのである
東京はある程度数が多いからしかたないとしても地方だと少ないのである
10数人でそんなに厳しい措置が必要なのか?
それは実際の感染者の数が地方でもわからないからなのか?
過剰防衛になっていることは間違えない、そうしてこの辺のようにゴーストタウンのようになり困窮して自殺者が増えたり犯罪が増える方が怖いのである
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2020年05月11日

東京にコロナウィルスに地震で地方に避難 (原発避難区域に移り住めそれがカルマ)


東京にコロナウィルスに地震で地方に避難

(原発避難区域に移り住めそれがカルマ)

今ニュースで東京に地震が起きて避難するようになから福島県でも用意しておけとか放送していた
でもコロナウィルスを伝染させるから困るとなる
避難する場所は密集するから伝染しやすいから拒否される
今でも〈東京の人は来るな)とてっていたからだ
観光地でもそうなったのである
何かこういうとき人間は協力する面もあるが分断する面もある

放射能がうつるとか東京の人に言われていじめにあったのも福島の人間だったからである今度はコロナウィルスがうつると拒否されたら深刻になる
もしかしたらそこで争いになる、移民が無理やり入ってきて争いになるのとにている
東京と地方の問題がもともとあってそれがコロナウィルスで顕著になったのである

常に地方は過疎地域でもそんなもの税金の無駄だとか批判されてきた
食料など外国から輸入すればいい、日本の田舎は地方は無駄だ、税金の無駄使いでしかないと言われてきたのである
そして東京人は原発は危険だから福島に作ったのである
東京圏は福島県とは遠からず近からずで影響が大きいのである
だからコロナウィルスでも宮城県についで福島県が感染者が多い
宮城県が多いのは仙台市が東北の中心都市だからである
その他は秋田県でも青森県でも少ない、岩手県は未だにゼロなのが不思議である
コロナウィルスは人口密集地帯の大都会から拡散しているからだ

こうして巨大化した東京圏が福島県の小高浪江双葉大熊地域をゴーストタウンにした
でも東京の人たちが何か地震とかあって避難するのならそこがいいとなる
なぜなら街自体が空家でありゴーストタウンになっているからだ
放射線の影響があるとしても浪江までそれほどではないから住める
それより東京の人がそこに住むべきだとなる、それがカルマだとなる
それでそこで町を復興させるようになる
そこでみんなが農業するわけではない、テレワークなどもある
何か技術をもっている人は仕事を作り出す、東京が離れていても仕事ができるとなる

人間は何かカルマがありカルマは責任でもありその責任を果たすことを要求される
だから地域的にもそうである、東京にはその責任があるとなる
なぜここだけがゴーストタウン化していなければならないのか?
東京の人たちが避難してきたらコロナウィルスのことは言わない
その代り地元に住んでもらう、それが復興になる
本当は流出した若い人たちが住むべきだがその人たちは故郷を捨てたのである
また親も捨てたのである、いづれそれもカルマとなって現れる時がくる

かならずいつかカルマはめぐってくる、苦しみとなってめぐってくる
それは個々人でもそうであり集団でもそうである、集団のカルマもいつか現れて苦しみとなる、地域でもカルマがありカルマを果たすことを要求される
ともかく何か今年から2年くらいの内にさらに大きな災害でも起きる
そういう予兆が現れている、そういう時期なのである

ただ人間は本当に自ら苦しみを受けない限り本気にならない
「なんとか助けてくれ」となったときもう恥も外聞もなくなり思い切ったことができる
だからさらなる大きな変動が起きる予感がする
それはすでに東日本大震災から原発事故から去年の水害からと災難つづきだったからである、その延長として大きな災害がカルマとして東京に起きる

それと何か人心の乱れとも関係している、日本の人心も相当に乱れてしまった
自然環境も破壊された、だからコロナウィルスでも一時的に空気をきれいにしたように
神からの作用かともみた、神から文明が粛清されたようにも見えたからである
文明の再構築を要求しているようにも見えたからである
そもそも全国でもそうだが耕作放棄地が原発事故の避難区域では多いというより街の回りは荒地になっているのだ
だから土地は空いているし町自体が空家化している、すると避難してもそういう場所に住めるともなるからだ

とにかく東京はもともと災害に弱い、ウィルスにも弱いことがわかった
だからこの際に集団で移住することも考えねばならない、そういう決断はやはりぎりぎりに追い詰められないとできないのである
だから首都遷都も盛んに言われたが実行されなかった
つまりそういう大きなことはとても何かぎりぎりに追い詰められなければ決断できないのである  

いづれにしろ人間にはカルマがありそれが苦しみとなって現れカルマを解消することを強いられる、その時苦しむのである、それが東京の人たちに課せられている
カルマを解消するために原発避難区域に住まざるを得なくなるともなる
東京はコロナウィルスでもそうだけど地方に分散しないと危険である、それは一時的なものではない、将来にも同じことが起きる、だから東京に密集して住みつづけることはもうできない、コロナウィルスはその警告でありもし東京脱出して地方に分散すれば命も助かるとなる
結局そうして生死がかかるような危機感をもたないかぎりそうした大きなことは決断できないのである

posted by 天華 at 19:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年05月12日

コロナウィルスがグロ−バル社会をを変える (人間には境界が必要でありそれぞれの風土に適応して生きるのが自然)

                                                        
コロナウィルスがグロ−バル社会をを変える

(人間には境界が必要でありそれぞれの風土に適応して生きるのが自然)


韓国と台湾を見ていると、共産党の一党独裁下で中国の習近平体制が進めた極めて統制色の強い対策がすべてではないと勇気づけられる。双方に共通の成功要因は、個人情報をビッグデータとしてスマートフォンを使って上手に収集したうえで、国民一人ひとりに迅速に必要な情報を提供してきた点だろう。


これは何を意味するのか?

やはり人間はガバナンスとか一体感とか統制するにはそれなりの規模でないとできない
韓国は大陸とつながっていても小国でありガバナンスしやすい、それでITの活用もうまくいった                                      

そして北朝鮮と国境が閉鎖されて出入りできない

このことがかえってコロナウィルスにはいい面として作用したのも皮肉である
もし北朝鮮と強固な国境がなかったら中国から大量の人間でも物資でも流入したからである、そして半島だから海にも囲まれているので外部から入りにくい
それはニカラグアという小国でも似たような地理だったのである
細長い半島であり回りは海に囲まれているし国境を閉鎖すれば入れない
それでいち早く国境を閉鎖しておさえた、それは韓国よりもっと小国であったからだ
国とも言えないような小国だったのである
台湾とかニュージランドでも感染拡大を阻止できたのは地理的条件であり小国だったからである、また海に囲まれていたということである
日本もまた海に囲まれていて地理的条件はにていても実際は大国である
だからガバナンスがうまくいくとはならない、でもなんらかコロナウィルスに強い条件が備わっていた、地理的条件も良かったともなる

そもそもアメリカとかヨ−ロッパでも大陸と陸続きであり国境があってもないと同じである、EUは国境がない、人でも物でも自由に出入りする
中国も巨大すぎて統制ができない、何かコロナウィルスを抑えたと言うが別な地域でまた感染者が増えるのは国が大きすぎて統制ができないからだ
今回のコロナウィルスでわかったことは人間には国には国境が必要だ
境界が必要だという時、市町村合併でさえそうだった、南相馬市では小高、原町、鹿島と合併したがそれが原発事故の補償金の分配などでもめた、利害の対立が生れて一体感がなくなった、つまりこんな狭い範囲でももともと境界がありその境界内で自治体があった、それが全国的に合併が実行されたときうまく自治体として機能しない面があった
きめこまかい行政もできなくなった、つまりガバナンスがうまく機能しない面が生れた
こんな狭い範囲でもそうならこれがグロ−バル化したときもうそこにはガバナンスも何もないのである
ただ貨幣が支配する非人間的な世界である、それで金融資本家が世界を支配するとか多国籍企業が世界を支配するとかなったのはそのためなのである、極端な格差社会になったのもそのためである
世界の富が極一部のものに集中したのである

そもそもなぜ万里の長城ができたのか? 

そんなもの途方もない無駄にも思える、でも人間には国境が必要だということを歴史的に示していたのである
国境は人間に不可欠なものとして生まれた、時代がそうさせたとかそんなも何の役にたったのかとか今なら見る、でも必要だったから生まれたのである
それでアメリカとメキシコでもアメリカが移民が入らないように壁を作る
それは万里の長城の再現なのである
また江戸時代に関所が多かったのも必要から生まれた
関所があればそこを閉鎖すれば他国のものが入ることはできない
ウィルスの伝染もそこで抑えることができる

だから今コロナウィルスで関所が必要なったことは歴史の繰り返しだとなる
交通が途絶えてしまったからである
何か20世紀までに人間は国境なき世界を目指してきた
それがグロ−バル経済でありそれで世界が歪んだものにかえってなった
それを是正するためにコロナウィルスが生まれたのかとまでなる
国と国の交流というときそれぞれの風土や文化があり制限なく交わることは天の理とか地の理に反している
なぜならウィルスとは風土病でありその風土に生まれたもの、地理が限定されて他に広がらないものだったが世界と交流すると広まったからだ
コレラでもインドの一部の風土病だったのが世界と交流があり日本でも長崎とかの港から広まったのである                  

人間には本当は境界が必要なのである
境界とか国境とかは不便なもので取り払うべきだ、人間は自由に世界と交流すべきだというのがグロ−バル社会である、そこに落とし穴があった
第一人間の文化が育まれるのは実際は狭い地域である、日本は日本という島国でありそこで歴史と文化を作って来た、だから食生活から海産物主体とかなるのは当然だったのである、羊とか牛はいないし食べてもいないのである
また遊牧民の牧畜とか家畜を使わなかったからそこに根本的に違った文化が形成されたのである
奴隷とか宦官とか生れたのは牧畜とか家畜文化があり生まれた、人間が家畜のように見るからである,カースト制などでもそうである、そこには家畜文化があり動物をカースト制に入れる、つまり人間を家畜のように見ることがあるからだ

そのことはどれだけ深く動物と人間が交流している、動物と一体化した文化だったということである、それは宗教にも現れている
魚を殺して食べても何か罪の意識が生れない、でも動物を殺すことは罪の意識を感じるからだ
日本がでも狩猟時代があった、縄文時代はそうだった、でも後は動物をあまり殺していないのである、米が中心になり野菜と魚中心の食生活になったからだ
それで腸が長くなった、肉食中心の欧米人などは肉を消化する酵素がでるが日本人は出ない、すると体質的に肉食は本当は合わないとなる、それは風土によって体まで作られていたからである、今回のコロナウィルスの不思議は欧米人がなぜあんなに感染者が一挙に増えて死者が増えたのか、それが良くわからないのである

また日本人がこんなに死者でも少ないのはなぜなのか?

それが疑問なのである、ロシアでも増大している、大陸とかは広いから増大しやすい、感染をとめられないという地理的条件があることは確かである
つまり何でも地理が関係している、地理を知らないと人間のことも世界のことはわからないのである

自立を目指すということは境界線を閉ざすとういことではなく、それをうまく管理することである、各地域社会は各地域内の生命の営みの調和と一貫性を損なうことなく互いの境界線を介して交換活動を行う能力をもたなねばならない

健全な生活と地域社会と人間の幸福には「場所」と境界線が不可欠だという認識だ
そしてその認識が今度は多様性を賞賛し、人間と地球の利益のための国際協力を支持すると同時に、地方の独立性を守ろうとする新しい「建設的ローカリズム」を生み出している
(  ポスト大企業の世界ー貨幣中心の市場経済から人間中心の社会へーデビット・コーテン)

この本には全面的に共感する

つまりグロ−バル経済の矛盾は全世界的に心あるものが感じていたことである
何かおかしい、こんな世界でいいのかと感じていた、でも貨幣が世界を席巻して支配して多国籍企業が世界を支配する、それがグロ−バリズムである
その矛盾が頂点に達していた、そこにコロナウィルスが起きたのである
ということはコロナウィルスが世界を変えるともなる
なぜならコロナウィルスの前と後で世界が変わるとしているからだ
それは悪いことばかりではない、全体的にグロ−バル化した世界から新たな地域に根ざした人間中心の社会をとりもどすことである
文化とはcutivateでありその土地土地に根差してcultureを作ることである
だからワインにしても土地土地によって味が違うし米でも酒でもそうである
グロ−バル化でもみんな同じ味になったら文化はないのである
コカ・コーラとかが世界に普及したりマグドナルドとか食生活を一様化することは文化ではないのである

コロナウィルスは世界を変える、だから不思議になる、世界を変えるというときとても人間の力だけでは変えられない、原発事故でも津波で崩壊して原子力村の悪を暴いた
コロナウィルスも自然の作用であり世界を変えるというこで人間社会は人間だけでは変えられない、それで中国では易姓革命の思想が生まれたのである
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米中対立の時代で日本が危機になる (アジアの地図の見方ー地図で錯覚される世界)


米中対立の時代で日本が危機になる

(アジアの地図の見方ー地図で錯覚される世界)

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この地図のように逆さまに見ると何か具体的に見えて来る
中国からの視点で見るのと日本から見る視点は違ってくる
この地図から見る錯覚が大きな誤解を生んでいる
人間はその住んでいる場所が基点となり日本がでも見ているからその視点となる場所で
見え方が違ってくる
韓国で東海というとき日本で陽の沈む方向だが韓国から見ると太陽の昇る方向になる
この相違は本当に全く違って感覚になる
日本から見たら日本海は太陽の沈む方向だからである
旅行するとこの方向がわからなくなるのだ
海洋民にとって西が太陽の沈む方向である、でもなぜ海岸地帯が陽の沈む場所になっていたのか?
それを相馬市の日立木の日下石で津波が襲って海になったとき感じた
太陽が海から上り海岸地帯に輝き沈んだからである
海からみるとそこは西になる、それで江西という地名がある
江西は縁(えにし)である、そこが海洋民が上陸した地点だとなるからだ
縁を結んだ場所となるからだ

縁(えにし)とは海洋民族が縁を結んだ海岸のこと? 

韓国側からみると出雲のある場所が意外と近いし結ばれている、そこで

昔、ヤツカミズオミツノノミコトが、出雲の国を見て、
「八雲立つ出雲の国は、細長い布のように小さく、
まだこれからの国だ。
どこからか国を引いてきてぬいつけなくては」 と思い立ちました。

海の向こうを見渡して、新羅という国を見てみると、国のあまりがあります。

そこで、大きなすきを手にとって、
大きな魚の身をさくように新羅の土地をぐさりと切りはなしました。

そこに、三つよりになった強い綱をかけ、
霜枯れたかづらを「くるや、くるや」とたぐり寄せるように、
また、河船を「もそろ、もそろ」と引くように、
「国来、国来」 と、言いながら、引き寄せました。

こういう神話があるのもさの逆さま地図から見れば納得する、つまり日本からばかりの地図を見ているとそれが頭脳に固定されてしまい本当の地勢が見えなくなるのだ

そして出雲地域から信州の長野県の諏訪湖がありそこを通って関東に出て陸奥に渡来人が渡ってきたことも納得する
つまりなぜ末続が島根県由来なのか出雲由来なのか地図から見るとわかる
出雲何か東北からすると遠いしつながりがないようでそうでもないことがわかる

だから歴史でもまず地理を知ることが大事なのである、なぜ会津が最初に国として「
会津の国をさ遠み・・・」となったのか?
その神話も古いし大塚山古墳に三角神獣鏡が東北で唯一埋蔵されていたのか?
それは日本海が古代でも最初に開けて航路が開発されていた
それは秋田とか青森まで進出していたことは阿部氏でわかる

この逆さま地図をみると現代でも台湾が重要な国なことがわかる

台湾になぜ中国はこだわるのか?

地図をみれば一目瞭然である、台湾を支配下に置けフィリンピンも支配しやすくなる
南沙諸島に中国が空軍の基地を作ればベトナムでも東南アジアを支配できる
そして意外なのか済州島なのである
それが日本と結びついている、済州島の漢拏山(ハルラサン、かんなさん)山を仰いだとき、この山を中心にして中国、韓国、日本が視野に入り結ばれていると感じた
それは地理はその場に立たない限りわからない、その場に立った時、直感的にわかるのだ何か済州島が地理的に要の島であり榛名山に上ればそこで韓国と中国と日本を展望できるそれは直感的にわかる、ただ地図を見ただけではわからないのである
だからいかに地理を知ることが大事か何でもそうなる、国際情勢を知るのもそうである
台湾が要の島でありこれをゆずれないとアメリカでも重視するのはそれが要の島だからである、そこが中国側になるとそこから沖縄でもフィリピンでも支配されるからである
与那国島も台湾に近い、国境の島なのである  

すでに、中国の海空軍は対馬海峡を渡り、日本海に進出する訓練を繰り返している。今後は、済州島を含む朝鮮半島から容易に日本海に進出することが可能となろう。

 これにより中国は日本海側から日本の太平洋側の東京や政経中枢を攻撃できるようになる。新潟に大規模な中国領事館を作りたい気持ちがよく分かる。

済州島が意外と要の島となっているのだ、済州島から韓国で政争があったとき大阪に逃れた人たちが多いのもわかる 
   
 済州島民の蜂起に対して、韓国本土から鎮圧軍として陸軍が派遣されるにあたり、政府の方針に反抗した部隊による反乱が生じ(麗水・順天事件)、韓国本土でも戦闘が行われた。この混乱により済州島の住民を中心に、戦闘から逃れて日本へ渡る者が多数生じ、これが在日朝鮮・韓国人の先祖の多くを占めるともされる[                                                                                     
済州島では事件前(1948年)に28万人[12]いた島民は、1957年には3万人弱にまで激減したとされる

   済州島四・三事件
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そして

なぜ日本軍はハワイに真珠湾攻撃したのだろうか?

これもやはり地理が関係している、ハワイを攻略すればアメリカに近づくし太平洋を制覇できる、ハワイは拠点になるからだ
ただその時は航空機は発達していない、日本では戦艦大和のように巨艦主義でありそれでアメリカが航空機では先をゆき、日本の零戦を破り空中戦で敗れて敗戦になったのであるただ日本はその時ハワイを攻略すればアメリカを抑えることができると思った
それは台湾ともにている、一見無謀にも見えたが地理的にそういう計画が生まれたともなる
なぜなら太平洋は広いし飛行機の時代の前ならそういう発想が生まれるからである
船で日本まで一か月もかかるとする時代だからそういうふうに地理でも見ていたともなる
つまり世界を知ること、日本でも知ることは地理が基礎なのである
それで自分の場合、日本は隈なく旅した、外国も二十か国は旅した
ただ外国の場合は広すぎてまだまた行けない場所が残った、アフリカとか南米とかは行っていないからだ
ただナイル川をくだってアフリカ人にスーダンのヌビア人とあったのは貴重だった

いづれにしろ米中対立が深刻化してくる、その時日本はどうするのか?
どっちつかずにはありえいのである、その時熾烈な日本での分断が生じるかもしれない
明治維新の時

 碑によれば、しげは越後国三条の生れで、白河の旅籠坂田屋に抱えられていた。閏四月上旬に奥羽鎮撫総督参謀の世良修蔵(長州藩出身)が小峰城に入った際に世良と馴染みになったという。
 しかし世良は、白河は危険と察して白河を逃れた。その脱出を助けたと疑われたしげは、世良を敵視していた会津藩士に殺害されたという。享年二十二歳。法名を梅質貞顔信女と伝える。

こうして別にそうした争いを知らない者でも庶民でもは巻き込まれて殺されたりする
そういうことが米中対立で起きるかもしれない、日本が分断されたら起きる
なぜなら日本が敗戦でアメリカとロシアに二分割支配される計画があったからである
ただ不可解なの親中派に自民党でも二階堂派とかいるし公明党は創価はもともと親中派でありそれが二階堂派と結びついたのかとなる
十万給付も公明党と協同したことでもわかる、創価には外務省に力をもっている
それで池田大作の外遊を外務省が援助したことがある
佐藤優とかが外務省でありそのために創価と深い関係にある
だから自民党でも実際はアメリカと中国派に分かれているのだ
それが米中対立激化した時、自民党も分裂して二分化する,そうならざるをえないのである
共産党も中国派だとすると奇妙なことは創価と自民党の中国派と共産党は連合するともなる、つまり中国派とアメリカ派に二分されるのである

コロナウィルス騒ぎで中国が軍事的に進出しているということでアメリカが怒っている
だからコロナウィルスが一段落したときアメリカが攻勢にでるという
米中冷戦はすでに始まっている、そして本格的な覇権争いがその後に開始される
その時日本はどっちつかずにはいられないのである
中立はあたえないのである、だから東日本震災以後、国際的にも日本は岐路に立たされる外憂内患になる、経済的にも苦しくなり日本は危機になる
だから戦争になったときのように危機の時代になる
それで様々な災難がふりかかっているのだ、日本は明治維新とか太平洋戦争のような苦難の時代に突入したともなる
それで何か団塊の世代は恵まれていた、平和な時代がつづいたからだ
経済的にも高度成長時代があり恵まれていたのである
でもこれからの時代は厳しい時代になる、何か9条が守ってくれるとかはならない
日本が自ら血を流して平和を守らねばならない時代にもなる
それが本格的な米中対立で起きて来る

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2020年05月13日

済州島を中継地として日本に来た渡来人集団 (相馬地域に多い綿津見神社の由来)


済州島を中継地として日本に来た渡来人集団

(相馬地域に多い綿津見神社の由来)

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例えば長江の河口を出発点とすれば舳を東に向けて一心に漕ぎ続ければやがて黒潮に乗り海流が北向きに運んでくれるから九州の西岸あるいは長崎県五島列島の辺りに到達する
五島列島辺りから舳を西に向けて漕ぎつづければ黒潮を乗り切った後に済州島または
朝鮮半島西南岸辺辺りに着くから、そこから先は黄海を横断して中国沿岸に到達する

第二回の渡航集団は済州島の中継基地を経由して大村湾から有明海に入りそ北部沿岸、
現在の佐賀市の近辺に上陸してその地を最初の生活拠点とした

徐福の集団は居住地として選んだ済州島ならびに日本列島の各地方で土木技術、水田灌漑技術、養蚕技術、製紙技術、医薬など知識をもちこみ先住民の心をつかんだ

兄(先の渡来民)弟(後の渡来民)である山幸(農耕民を基盤とする亡命民)の物語として長く語り継がれるようになった

古代水辺民の物語(太陽の生まれる楽土を求めて)−倉富春成

済州島は中継地点となったということはこういう歴史を知らなくてもその場に私が立った時、直感したのである、まず地理はその場に立たない限りわからない
頭でわかっても体でわかることが必要なのである
だから必ずしも地図を見てもわからないのである
済州島のカンナさんを仰いだときそれは2000メートルとなれば高いのである
そこに上らないにしてもそこに上った中国大陸と韓半島と日本を望む場に立つのである
だからそこが中継点になっていたことで済州島が重要な役割を果たしていたのである

黒潮というとき与那国島辺りからその流れが生じている、その黒潮の流れに乗って日本列島に到達するようになっている、与那国島まで行ったからそこは台湾に近いのである
むしろ日本より本州より台湾が身近になる、そこは国境の島であり自衛隊が駐屯するようになった要の島だともなる

日本に到達した人たちは中国本土からもあり韓半島からもあり南太平洋のパラオとかもありそういう移民たちが海を渡ってきて日本と縁を結んだのである
だから江西(えにし)は縁(えにし)であり日下石(にっけし)は西の意味である
また日下石の日をあてたのは太陽の下になる、太陽の沈む場所だからである
海から見る時、日下石は太陽の沈む場所だった
それが津波で証明されたのである、その日下石近くまで津波が押しよせて海になったからである
それで確かに海とかした湾となった岸が日下石であることが実感としてわかったからである

徐福伝説でもそうだが日本には海から渡ってきた人たちが作った歴史がある
日本の建国神話も古事記でも海洋民の神話であり海を渡り日本に移住した人たちが作ったのである
なぜやたらに相馬地域に綿津見神社が多いのか、それと並行して山津見神社が多い
飯館村にも綿津見神社神社と山津見神社があり対をなしている

海彦は兄(先の渡来民)弟(後の渡来民)である山幸(農耕民を基盤とする亡命民)の物語として長く語り継がれるようになった

海彦と山彦の物語はそれを示している、海彦が咲きであり山彦は後であるというとき綿津見神社が先でありそれが相馬地域に多いのである
松川浦でも山津見という地名が和田とあるのは綿津見(わたつみ)から来ている
そこが二つ対になり地名化している、そこが上陸地点だったからである
ただ安曇氏(あづみ)という一族が長野県に入って跡を残している
そこで舟の祭りを伝えている、山の中でそういう祭りがあるのは海洋民が移動して伝えたからである

移動してものとして伽耶(かや)国からツノガノアラシトのがいる、それは伽耶国の王子でありその跡も福島県の浜通りに点々と残されている
それは線として海岸沿いに残している、津神社はツノ神社でありツノガノアラシト系である
その一団は砂鉄を用いて鉄を作る技術者集団だった 
松川浦の津神社はつのみつ神社でありツノ神社である
この二つの集団があるとしてツノガノアラシト系は線として跡を残している

一方綿津見神社とか山津見神社を残した渡来人は線としての跡ではなく面としての跡を残している
つまりその渡来人はこの土地に広く土着したのである、だから面として広く神社を残している、例えば飯館村に山津見神社があるがその近くに佐須があるとしてこの佐須(さす)は焼畑のことでありその技術は渡来人がもたらしたものである
渡来人は種々の技術をもたらしたからである
ただ先住民として縄文人がいてその人たちと合体したのである
だからそれは大和王権ができる前に蝦夷として大きな勢力として日本列島にあった
その蝦夷とは出雲族のことだったのである  

天照大御神が八百万の神々に今度はどの神を派遣すべきかと問うと、思金神と八百万の神々は「伊都尾羽張神(いつのおはばり、天尾羽張神)か、その子の建御雷之男神(たけみかづちのお)を遣わすべき」と答えた。天尾羽張神は「建御雷神を遣わすべき」と答えたので、建御雷神に天鳥船神(あめのとりふね)を副えて葦原中国に遣わした。

建御雷神と天鳥船神は、出雲国の伊那佐之小浜(いなさのおはま)[注釈 4]に降り至って、十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さまに立て、その切先にあぐらをかいて座り、大国主神に「この国は我が御子が治めるべきであると天照大御神は仰せられた。それをどう思うか」と訊ねた。大国主神は、自分の前に息子の八重事代主神(やえことしろぬし)に訊ねるよう言った。事代主神はその時、鳥や魚を獲りに出かけていたため、天鳥船神が事代主神を連れて帰り、国譲りを迫った。これに対して事代主神が「恐れ多いことです。言葉通りこの国を差し上げましょう」と答えると、船をひっくり返し、逆手を打って船の上に青柴垣(あおふしがき)を作って、その中に隠れた。

建御名方神の服従

諏訪湖     

建御雷神が「事代主神は承知したが、他に意見を言う子はいるか」と大国主神に訊ねると、大国主神はもう一人の息子の建御名方神(たけみなかた)にも訊くよう言った。その時、建御名方神が千引石(ちびきのいわ)[注釈 5]を手の先で持ち上げながらやって来て、「ここでひそひそ話すのは誰だ。それならば力競べをしようではないか」と建御雷神の手を掴んだ。建御雷神は手をつららに変えて、さらに剣に変化させた。逆に建御雷神が建御名方神の手を掴むと、若い葦を摘むように握りつぶして放り投げたので、建御名方神は逃げ出した。建御雷神は建御名方神を追いかけ、科野国の州羽の海まで追い詰めて殺そうとした

この建御雷神が南相馬市の鹿島区の鹿島神社に由来している
つまり蝦夷とは出雲族のことでありまたは渡来人集団と一体化した人たちのことである
だから技術をもっていたから大和王権にとって手ごわい相手となった

そして神社をみる場合は古いのか新しいのかがわからない、郷土史の基本が村の新旧を見ることだという時、新旧が問題になる
だから一体津神社と綿津見神社がどっちが古いのかとなる
どっちも渡来系の神社にしてもどっちが新しいのか古いのかわからない
ただ綿津見神社系統がこの地に土着したことは間違えないのである
ツノガノアラシトの津神社系統は一時的に鉄の生産にたずさわりさらに石巻の北上川をさかのぼり登米に移動したのである

そこで真野氏がかかわっていたのだがこの真野氏はどこから来たのか?
これも渡来系であるのか?吉備に真野という地名がありそれが伽耶系と連なる一族だったともなる
それで真野の草原(かやはら)の万葉集の歌を残したともなる
草原のカヤは萱ではなく伽耶国に由来するとも私は推察した
古代史はこのように中国とか韓半島とか南太平洋諸島ともつながり範囲が広いのである

いづれにしろ歴史は地理であり地歴なのである、だから地理がわからないと基本的なものがわからないのだ
この逆さ地図で日本の立ち位置を説明した、これを見れば感覚的に相当に違ったものになる、視点が逆転して見える
すると出雲のある島根県から日本海を伝わり今の長野県に至り諏訪神社がありそれは大国主神はもう一人の息子の建御名方神(たけみなかた)を祭っているのだ
それから常磐線に末続がありそれは島根県の出雲由来なのである
末は須恵であり須恵器を作る渡来人集団が移住した跡だともなる

そして不思議なのはなぜ草原(かやはら)とあり原町の萱浜がある、この萱がもともとはカイだとしている、そのカイとはアイヌのことだともなる
北海道の北海(ほっかい)とあるがもともとカイ族のことでありアイヌのごとだったとしている、そのカイが甲斐になりその伝説がここに伝わっている
それもやはり地理的なものとして解明すると何か関係が見えて来る
つまり太平洋側からではなく中国から韓半島から日本を見るとそのつながりが可視化されるのである


米中対立の時代で日本が危機になる (アジアの地図の見方ー地図で錯覚される世界)

海に囲まれた日本の地理が日本を作った (日本とアジアの地政学―太平洋戦争の意味)



posted by 天華 at 21:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)