コロナウィルスが起きた原因
(グローバル経済で統制ができないからー経済と人間の乖離)
コロナウィルスが同時間に世界に拡散したのはグロ−バルに世界が結ばれるようになったからである
それを象徴していたのがいろいろ研究者に言われるから定かではない
でも最初中国人が入ってきてそれで日本人が免疫ができたとかその後に欧米から人が入ってきて感染者が増えた、そして日本人が感染しているのは変異したヨ−ロッパ型とういのも複雑である
それがいかにグロ−バル化しているかを物語っている
世界がもう瞬時に交わる世界になるとそのように拡散する
だからグロ−バル社会はウィルスには本当に弱いものだったことが判明した
これが一時代前だったらそんなに世界に拡散しない、ヨ−ロッパのペストにしても三分の一が死んだとしても世界的には広がらない
今なら世界にたちまち広がる、そうなると空恐ろしいとなる
ペストでもヨ−ロッパ内に留められたのである
今までなら世界中に広がることはなかなかありえない、ただ江戸末期にコレラは日本にも広がり70万人死んだとかある
その時代でも伝染病は世界に広がるものをもっていた
ただ世界中が同時に瞬時に広がるということはありえなかった
コロナウィルスに強かったのは小国である、台湾とか香港とかニュージランドとかまた今のところわからないがスエーデンでも免疫をつけるようにして普通に経済活動をしているこれらの小国がこうしてウィルスの封じ込めに成功したというときなぜなのか?
それは小国であり台湾とかニュージランドは島国である
すると水際作戦とかを徹底するとかできた、つまり小国なるがゆえに統制できる
社会のガバナンスが統治がしやすいのである
これがアメリカとか中国とかになるともう国が大きすぎて統治できなくなる
ヨ−ロッパでもEUという一つの国境なき連合国となりアメリカのようになるとき統治しにくくなる、それでヨ−ロッパとアメリカはたちまち拡散したのである
日本は比較的まだ広がらないのは良くわからないにしても島国でありそれで防げているのかともなる、ただ日本は島国でも一億以上あるから他の小国とは違う
それで今の所は判断がつかないのである
だからこのコロナウィルスは現代社会の一見いい面としてグロ−バル化があった
でもそれが実はウィルスには弱かった、その原因が社会にあったともなる
今回のコロナウィルスはこうしたグロ−バル化した社会を問うものとなったのだ
人間はそもそも国として一体感をもてるのは国が自然と一体化して血肉となりアイディンティティ化できるのは大きな範囲ではない、会津は会津峰の国をさ遠み・・・という万葉集の歌で東北では国として認定された唯一の国である
国(くに)という範囲がやはり一体感をもてるものとなる
ただ県となるとこれは明治に無理やりに政治的行政的なものとして区割りされたから一体感がもてない、福島県をみればわかる、ハマ、ナカ、アイヅと分かれて地理も風土もちがっているからだ、会津のように冬は雪に埋もれてしまう世界と浜通りのように雪が冬でもほとんど降らない世界ではまるで違ったものなのである
つまり会津は浜通りからしたら理解できない風土に生きているのである
ともかくグロ−バル化社会というのは何か無理があった、人間的に無理があった
人間というものがどういうものか無視してモノでもヒトでも自由に流通できるものとして生まれたのである、結果的にマスクにしても自国で生産していないから世界で中国頼りになったとか緊急時には自国にないとかなる
それは食料でも自国中心になり輸出が禁じられるようになる
もし緊急事態になれば本当はグロ−バル化社会でも世界が協力するとなれば別だが実際は自国中心主義にならざるをえないのである
外国でも文化の交流とかならいい、でも日本でワインを飲みまた外国に日本酒を輸出するそういうことが果たしていいものなのか?
食べ物でも世界中のものを食べることはいいように見える、一面は言える
でも料理はその国の風土から歴史から生まれている、日本の地域地域からも生れている
だから日本料理は日本の風土にあって旬なものを追及するとかある
そして外国料理でも何でも食べるということに疑問なのである
牛肉でもなぜこんなに日本人が食べるようになったのか?、それは体質的に合わないともみる、そして狂牛病もイギリスで牛を媒介として起きたし日本でも起きた
牛肉を食べる習慣は日本にはもともとなかった、ところが世界中であらゆるものを食べるようになった結果として特に家畜類とか動物経由で伝染病が広がったのである
いづれにしろ何かグロ−バル化とかまた日本の中でさえアイディンティティを失った
地域的な国としてのアイディンティティを失った
まず東京となると巨大なメガシティであり自然と乖離した非人間的怪物都市となる
だからコロナウィルスには弱かった、都市封鎖をするような状態になった
東京中心にウィルスが拡散されるからである
そしてそもそもウィルス問題の前に東京とかなるとそこは自然と乖離した統制できない
社会である、一千万都市ともなるともう統制できない、統治できない
そしてそういう大都市はウィルスでもそうだが災害に脆弱である
だから今回のコロナウィルスでわかったようにパニックになってしまう
だから人間がまともに暮らすには統治できるのはアイディンティティをもてるのは国なら小国であり地方都市であるとなる
東京があまりにも巨大化した結果として地方も歪めたのである
そもそも地方都市を充実して地方に拡散した方が国土を利用するにはいいのである
ただ田舎に分散するとしても一万とかの田舎では無理である
どうしても4,5万の都市の規模がないところでは文化的生活は不可能なのである
だから田舎に移り住んだ方がいいというとき限界集落のような所ではない
そんな極端な変化には人間は耐えられないのである
自分はそういう地方で芸術などでもアイディンティティを追求してきたのである
国というとき自然と調和した国である、もちろんそこに工業もあってもいいが東京とか川崎とかなるともうそこは国とは言えない、国とはそこが生き死ぬ場所としてのアイディンティティをもつ場所である
人間が生きるということは経済的単位ではない、全人間としての意味をもつものとして生きる、それに値するものとして生きる場が必要なのである
コロナウィルスの不思議は何かそういうことを問うものとなりまた具体的にそのように人間社会を見なおして生きるように具体的にすすめるということがある
人間的な本来の生活に回帰させるという働きがあることで不思議だとなる
つまり全部が悪く働くとも思えない、確かに一時的には混乱して犠牲がでたり混乱があるでもその後に社会が変えられてより人間的なまともな社会が生まれるのかともみる
それだけの変化をさせるというのも神の働きなのかとまでなる
ともかく人間は人間だけでは改革できない、そこに外圧とか易姓革命があることをつくづく感じる、原発がとめられたのも津波だったし「安全神話」を打ち砕いたのも津波でありか自然災害だった、安全神話の悪は権力者が既得権者が結託して作られていたのである
それは強固だからとても人間だけでは暴かれることがなかった
でも自然災害がそれを暴いたとなるからだ、だから人間社会は人間だけによってすべて動くものではない、自然が神の働きが作用しているともなる
ウィルスは謎でもやはり一つの生命体でありそれと共存しなければならないというときもそうである
何か人間側に問題がありそれが蔓延しているともなるからだ