2020年03月30日

原発事故と比較したコロナウィルスの対策 (過剰自粛が社会を破壊するー京都大学の研究)


原発事故と比較したコロナウィルスの対策

(過剰自粛が社会を破壊するー京都大学の研究)

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99%の日本人が知らない自粛要請の罠0政府が決して言わないもう1つのリスクとは?

「京都大学レジリエンス実践ユニット」が「医療崩壊」を回避しつつ、新型コロナウイルスによる「死亡者数」「重症者数」
の抑制を重視すると同時に、その対策による「自殺者増」を含めた社会的経済的
被害も踏まえた上で、長期的な国民的被害の最小化を目指すための対策動画です。
                                      

ここでこれまでのコロナウィルスの症例をみて合理的に判断している
それで自粛をどうするかを説明している

まず症例からみたとき

高齢者(60以上)基礎疾患者が重症化している

60以下は重症化せず軽症で終わる

すると対策として高齢者の集合することや家庭内で濃厚接触を避ける

高齢者は家族でも社会でも隔離する

60以下は特にさらに50以下で基礎疾患がないものは普通に社会活動を維持

過剰な自粛を都市封鎖などしたら社会活動が停止してかえって倒産が増えて社会麻痺するそして自殺者が増える
だから60以下特にさらに50以下の社会活動を極端に停止することは危険である
なぜならそれで都市機能とか首都機能が麻痺するからである
そこでかえって自殺者が出て被害が拡大する

これを原発事故の場合と比べると

過剰な自粛、都市封鎖⇒避難命令⇒ゴーストタウン化⇒復興不可能

この辺は原発事故でそういう過程を経過した、原発が爆発した時恐怖して30キロ内を避難させた
それは政府の強制命令だった、でもそれはあくまでも30キロ内でありそれは補償などは政府で責任をもったのである

もし過剰な自粛とか都市封鎖したら政府で補償する責任をもて!

こう言っているのもわかる、でも東京などは規模が大きすぎるからそれができるのかとなる、原発事故の時は局所的だったから補償でもできた
その補償でももめた、30キロで区切られてその中と外では差が大きくなった
南相馬市でも30キロからはずれると三分の一になりさらに相馬市だとなけなしの金しかもらっていない、補償されたのは30キロないだけである
その補償は本当に手厚かったのである
医療費はもう十年になるのに無料であり高速も無料である
しかし同じ南相馬市なのに鹿島区は医療費無料は打ち切られたのである
この差は本当に大きな差別だったのである

だから補償するにも限度があり政府では公平にはできない

必ず不満なものがでてきて恨みとなる

また本当は避難させるべきだったのは浪江でも実は山側であり海側は0.5マイクロシーベルトとか低くかったのである、だから山側の津島に知らずに避難したが東電社員の人がいて
街の方に避難した方がいいと誘導された、それが正しかったのである
ただ政府ではなんら指示を出さなかったのである

政府の指示決定は重大な結果をもたらす、避難命令を出した結果としてこの辺は大混乱になり自治体は復興できない、ゴーストタウンになり若い世代は帰らなくなり復興できなくなった
今回のコロナウィルスとの相違は放射線は若い世代に遺伝子でも次世代までも被害があるということで若い人たちは故郷を出て帰らなくなった
今回は老人が被害にあう、老人が死ぬのである
放射線は老人は被害がないから関係なかったのである

だから若い世代の活動をとめるべきではないという症例からの分析で指示したことは理解できる
つまりこの辺でもそうだったが確かに放射線の被害も恐怖だった
またコロナウィルスの被害も未知でありどう影響するかわからない
でも社会活動を止めることの方が甚大な影響がある
ゴーストタウン化することが恐怖なのである
だからこの研究報告でそのことを指摘して過剰な自粛よりそれによる被害の方が大きくなるというのは理解できる

だから老人こそが引きこもるべきであり60以下とか50以下は普通に活動すべきだということは妥当な結論なのである
そして学校を休校にしたのは過剰自粛だったという指摘もわかる
子供は感染しても重症化しない、要するに軽い風邪とかで若い世代は終る

とにかくこういうときただ得体のしれない不安のみが増大する

それを合理的科学的に判断したというのは参考になる
つまりパニックになることがかえって怖いのである
もし都市封鎖などしたら食料の奪いあいとかになると殺人までになるから怖い
無政府状態のようになるのも怖いのである

過剰自粛や都市封鎖は慎重すべきだとなる

社会の混乱やパニック状態にすることがかえって被害を拡大する

だからこの報告で老人がひきこもる、家族内でも濃厚接触しないということが
最も合理的なコロナウィルスの対処方法だと見た
なぜなら重症化するのは老人であり死ぬのもそうである
ここに注目して対策する
原発事故では逆であった、若い世代に次世代にも被害が及ぶからその対策も違ったものとなった、結局若い世代は流出して自治体はゴーストタウンになり回復しなくなったのである

ともかく政府の判断とその実行は甚大な影響を及ぼす、それを間違えると多大な犠牲者が出る、でも政府ではそうした犠牲者にすべて補償はできないのである
その判断を誤ると今回は全国的だから政権も転覆することは間違えないのである

この報告は評価できる、テレビは何か不安をあおることが多い
映像でもそうである、スーパーの棚が空になった映像を写すだけでみんな恐怖になり買占めに走るのである
こうして冷静な見方を提供すべきだがテレビは何かエキセントリックに報告して不安をあおるのである
だから今はyoutubeの方を見た方がいいとも思った
ただそこにもいろいろな見方があるので迷うのである
私の場合は原発事故で経験したことがありその対象で判断している
やはり原発事故の対処というのは本当にあとあとまで尾をひく
その判断で実行で取り返しのつかないものとなったからだ
posted by 老鶯 at 18:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

コロナウィルスによるとキリスト教カルト教団やイタリアの牧師の死について (集団礼拝は神の意にかなわない)


コロナウィルスによるとキリスト教カルト教団やイタリアの牧師の死について

(集団礼拝は神の意にかなわない)


韓国、新型コロナ集団感染の新興宗教「新天地イエス教会」とは?

イタリア北部で、危篤に陥った新型コロナウイルス感染者らの臨終の際、祝福を与えた司祭少なくとも28人が3月19日までに、ウイルス感染により死亡した。亡くなった司祭の半数以上は80歳を超えている。一方、最も若年の司祭は54歳だった。カトリック系の「CNA通信」などが同日伝えた。


 防護服などは着ません。司祭の正規のガウンで、顔は出したまま、素手で患者の額に触れ、頬に触れ、死に行く人の罪を除き、祝福する・・・。

 宗教者ですから、当然、そのようにします。

 そもそも聖職者自身が高齢者であることが少なくありません。そして、末期の人や死亡直後の遺体に、敬意をもって接することで濃厚接触者となり、かなりの高確率でウイルスに感染してしまう。

 イタリアで神父を感染させる「終油の秘跡」
 

韓国のキリストのカルト教団の教祖がコロナウィルスで集団感染させたことで土下座して謝っていた、その映像を見ると信者が集団で結婚式したり統一教会ともにている
カルト教団の特徴は何か、とにかく数を会員を集めることが最大の目的なのである
信者を集めることではない、どんな人でもいい数を集めることである
創価がその最たるものであり数を集めて一票に結びつける、そして権力を得ることしかない
それはこの韓国のキリスト教カルト団体でも同じである
それは厳格に言えばキリスト教会ですら集団礼拝すると数として多いとまでなる

なぜそれほどまでにして宗教は会員を増やすことを第一とするのか?

数は権力だし数を増やせば会員から金をとれる、そしし教祖としてあがめられる
つまり数でもって社会に誇示するのが目的であり社会はその数にひれふす、民主主義社会では特にそうなる、すべてが数であり一票が政治権力を得ることだから当然そうなる
するとその数がいることで自民党も宗教団体と結託するのである
創価であれ統一教会であれ票として見るのである  

二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18:18020)

キリストはこう言っている、それも全く宗教では全くありえないのである

たった二三人なのか? 

そんな数で何の力を得られるのか?

こうなるだげでありそんな団体に社会では見向きもしないのである、政治的経済的にはなんの効果もないからである
だから真実の信者は社会から知られないし全く無視されるのである
イスラム教でも必ず集団礼拝である、それでメッカにおしかけた群衆で将棋倒しのようになり多くの死者が出たりする、これも旧態依然として変わらないからイスラム圏は世界から遅れをとったのである
宗教と政治の分離、政教分離ができていないのである

宗教と政治、宗教と経済、宗教と科学とかは常に問題にされてきた
今回のコロナウィルスでもそうである、イタリアはカトリックであり牧師が50人とか死んでいる、その牧師が宗教儀礼で濃厚接触して伝染させたとしている
だからここでも宗教と科学の問題が再燃したのである
コロナウィルスを恐れずにバチカンが患者に接することを強要したのである
それで犠牲になっても神の意にかなうとした、殉教だともした
でも実際は伝染を広めたのである

宗教と科学の問題はこれだけ科学が発達しても消えないのはそもそも人間がいくら科学が発達してもこの世の事のすべてに通じることができないからである
それで原発事故になって放射線で苦しめられたりコロナウィルスも不明でありどう対処していいとかわからないからである
そうなると宗教に依然として頼るとういことがある
何か解決しない問題が依然として人間にある、すると神に頼るのはいいとしても神をある意味で商売にして会員を獲得する教団に入るのである
つまり教団を通じて神仏に頼る、そのことが問題なのである
それでカトリックを牧師を拒否したプロテスタントが生まれたのである
直接に神への信仰を個々人で結びつくものとしてプロテスタントがルターの宗教改革で生まれた、でもカトリックの勢力はその後も世界に継続されたのである

とにかくコロナウィルスが社会にもたらした影響が大きい、社会自体を世界を変えるということで大きいから不思議なのである
それは今はマイナスの方が大きいがプラスとなってゆく面もあるから不思議なのである
つまり社会全般に世界をも変える力があることが不思議なのである
そんなこと普通は人間だけではできないからである

つまり信仰はそれぞれ隔離して神に個々人で祈れ!

こう強いられたのである、家族ですら濃厚接触するから老人は隔離して暮らせともなったからである、家族で祈るより個々人で隔離して祈れとまでなった
これも何なのだろうとなる
とにかくコロナウィルスがもたらしたものはこの隔離することである
それで平安貴族が御簾を介して謁見する、直接接しないのはただ身分を分けるというのではなくウィルスに感染しないための知恵から生まれたというのもそうである
伝染病はそれだけ怖いものとしてすでに認識されていたからだともなる   

集団化密集化が拒否される!

これがコロナウィルスに対処する方法なのである、だから集団礼拝はそれは実は社会に対して威圧するためのものであった、数で社会を威圧して権力を誇示するためのものであった、いわば宗教ファシズムなのである
社会は一人二人は相手にしない、数を集めて抗議すれば相手にするからである
政治家でも一人の一票なと何の関心もないからである
そういうふうに集団化密集化がコロナウィルスで拒否されることになった
第一大都会が東京の密集化こそがコロナウィルスの最大の問題である
東京から日本全国に拡散するから都市封鎖になる、だから東京遷都が再び言われるのもわかる、超過密都市は限界になっていたけど遷都はできなかった
また集団化というとき会社も集団化したものである、それも個々人に分離してテレワークがすすめられるなど通信の発達でできるようにもなる
何かそれがスムーズに変換できなくてもそういう時代の変革をコロナウィルスがうながしていることが不思議なのである

いづれにしろコロナウィルスがもたらしたことは悪いことばかりではない、様々なことで社会に世界を変えることの不思議なのである
まず東日本震災と原発事故を区切りにこの辺ではまるで変ってしまった
その前と後で時代が区切られるようになった
このコロナウィルスでも時代が区切られる、コロナウィルス前とその後では時代が変わってしまうのかとなる
これも天変地異の一種でありそれが局所的ではない、世界に及び世界を変えてしまうというこが不思議なのである


posted by 老鶯 at 10:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層