2020年03月23日

コロナウィルスで国境や関所が見直される (歴史的に生じたものには何か意味があった)


コロナウィルスで国境や関所が見直される

(歴史的に生じたものには何か意味があった)


江戸時代まで関所があったが無駄としてなくなった、だから明治から鉄道がはりめぐらされた交通の要となったとき切符一枚で日本全国に行けるようになったときそれを経験した人は特別な経験をした
また電車でも全然見知らぬ人が乗り合わせる光景もなじみのないものであった
人間は知らない人とあまり交わらないの生活をしていた
関所があることは見知らぬ人を入ることを拒んでいたのである
だから商業となると不便になる
第一江戸時代は物流も人の交流も少ない、自分の住んでいる村からほとんど出れずに一生終わった人が相当数いたことは確かである
そういう狭い範囲で濃密な人間関係の中で暮らしていた

それが明治から急激に変わった、関所はなくなったからである
その変化も大きかった、別に関所がなくても他の村に入るだけでも何か簡単にできない
別な領域に異界に入るという感覚になっていた
それで隣村に来た麦つきの仕事をしていた若い男性が大蛇とされた伝説がこの辺で残っている、今になると外国人が突然隣に入って来たりするから驚くのである
それは本当に突然の異界からの侵入なのである

関所というとき今回のコロナウィルスで中国の村で村の入り口を閉ざした、青龍刀をもって村に入るなと仁王立ちになっていた映像が放送された
それは今でも村の入り口に巨人の藁人形を置いている日本の村にも通じている
それは疱瘡などの伝染病を入るのを恐れていたともなる
伝染病は恐ろしいものでありうそういう記憶が村に伝えられて残る
相馬市の玉野村は伊達藩と相馬藩の境目でありそこに若木神社がありこれは疱瘡を防ぐ神なのである
伊達藩から入る人たちが伝染病をもたらさないように祀った神である
江戸時代には関所があり他藩のものはそこで区別されていた

人間の社会を歴史をふりかえるとこれほど人間は自由に行き来して交わる社会はなかったそれがグロ−バルにそうなったのが20世紀だったのである
モノでもヒトでもこれだけ自由に流通して交流することはなかったのである
そのことがすべて人間社会にとっていいものように思えた
でも何かそこに人間社会にとっていいものとして全部は働かないものとして見るようになった
だから関所とか国境とかはマイナスのものとしてしか見ていなかった
しかし関所とか国境とかは人間が生きる歴史の過程で必然的に生まれたものでありそこに意味があった、つまり歴史的に生まれたものは何か意味があったのである
現代文明社会はそうした過去の歴史を全否定して成り立つように見る
でも関所にも効用があり見直すということがコロナウィルスで生まれた            

そしてなぜ空港でヨ−ロッパから帰ってきた人がコロナウィルスと判定されたのか?

それはそこが関所となり確実に検査するからそれだけコロナウィルスの陽性だと発見されたためである、日本国内ももう関所などないのだから鉄道でも車で行き来するのだから
調べようがないからいつのまにかに蔓延するとなる
だからこうして便利すぎる交通の発達した社会がコロナウィルスに弱いということがあった

それでヨ−ロッパがなぜあんなにスペインまでたちまち広がったのか?

それはヨ−ロッパはEUになり国境がないと同然になったからである
そこでいちいち入国審査もしない、国内と同じように行き来するようになったからである貨幣でも両替する必要がなくなった、私がヨ−ロッパに行った時はいちいち国が変わるごとに両替することがめんどうだったのである、ただめこで国境を意識されたのである
外国だと言葉が変わるから今でも否が応でも国が変わることを意識させられる
でも国境がない世界というのはこれも人間社会にとって問題が起きることをコロナウィルスで意識させられた

つまりこのコロナウィルスの不思議はグロ−バル化経済とかを停止させるとか現代社会を見直すものとして作用していることの不思議なのである
オリッピックなども中止させるときもそうである
もともと私はオリッピックなど必要ないものとして見ていた
商業資本主義で利権にあづかるものはいいがそうでないものは何でするのかわからなくなっていた
東北の復興などと関係ないからである、未だにゴーストタウンがありそこを聖火リレーしてどうなるのか?全然復興などしていないからである
復興五輪などありえないからだ、もっと東北の復興の方に力をそそげとなるからだ

どういうわけかさくらTVのような右側がコロナウィルス活気づいているのも不思議である、右側がナショナルなものを追及する、反中国のためでもある
私自身のスタンスは日本文化を重んじる再興を願うからどっちかというと右側になる
だからグロ−バル化には反対であった
まず経済でもナショナルなもの国を基本にして作るべきでありまた地方だったら地方の経済を基本にするべきだと思うからである
だからグロ−バル化というのは日本の地方でも破壊したということがあった
米すら外国から輸入するようになったら日本そのものがなくなっていくという恐怖があった、現実に中国から食料を野菜でも輸入していたしそれが東京で入らなくなった

その時東京ではどうするのか?

日本国内の生産に頼るほかないのである、だから日本の農家はいらない、外国からいくらでも食料が入ってくるということはどれだけ危険なのかコロナウィルスで実感したとなるだろう
外国人労働者もコロナウィルスで来ないというとき奴隷のように使っていたのだから農家はそんな人に頼らず自力でやれとか言うのもわかる
また芸能関係者が政府の援助を要請したことについて批判している
芸能者は河原乞食でありこんなときにそんなものは必要ないというのも芸能関係者にはショックだとなる

つまりコロナウィルスでは何か社会にとって必要なものなのか、大事なのかも問われる

病院は感染するから行かないというとき病院経営が苦しくなり倒産するとかいう
それは今まで医者にかかりすぎる人が多すぎた、かえっていらない患者が減って国の負担が医療費の負担が減っていいものだとかもいう
それも変なのだが日本人は医者にかかりすぎて薬を飲みすぎるのである

そしてコロナウィルスは高血圧と喫煙している人が重症化しやすい

これも高血圧の薬を飲むとその副作用で重症化しやすいということがわかった
これも武田邦彦氏が盛んに高血圧の薬は危険だ副作用があると言っていたからそうなのかとも思った
とにかくまた老人がこのコロナウィルスにかかり死に安いのも不思議なのである
それはイタリアでも増えすぎた老人を減らすためにコロナウィルスが生まれたのかとまでなる
これだけ社会に影響すること自体、社会を変えてしまうとういこと自体不思議なのであるそれが一時的には犠牲者もでるが社会全体にとってそれも世界的にみても悪いことばかりではないというのが不思議なのである
posted by 老鶯 at 09:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層