2020年03月01日

福祉社会の限界(病人介護社会で国も自治体も破綻)


福祉社会の限界(病人介護社会で国も自治体も破綻)

その女性は腰が悪いと東京の方までみてもらうのに行った
今度は目が悪いと仙台の病院で手術する
費用の半分は市で援助する
歯医者にもかかって治療に金がかかる
その女性の息子は独身であり40越えている
その父親は青森の介護施設に入っている
この辺では介護士がいないので青森の施設に送られる
金はかからないとか言っていたが施設は必ず何か足りないと要求される

つまりすでに5080問題ははじまっている
50くらいで親が介護状態になるのである
そして自治体も財政が苦しくなり破綻するとかも言われる
南相馬市は財政状況がいい方ではない
南相馬市は原発事故で国からの財政援助がありそれでもっていた
でも10年過ぎれば来年から打ち切られる、その時苦しくなってゆく
市長の給料を減らすとか議員を減らして対応した市もすでにある

その他福祉が限界になるのは病人介護社会になっている
回りを見ても脳卒中になった人が同年代で3人いた
一人は足が悪くなりもう一人はろれつがまわらなくなり一人は辛うじて死をまねがれた
一人は仕事しているが相当に悪い、つまり病人介護社会になっているのだ
私自身も自ら病気になり認知症の介護とか二人介護して四苦八苦した
でも経済的には余裕があった、これからは経済的に余裕がなくなる
福祉が限界になる、なぜなら病人と介護が増えてくるからだ

団塊の世代が75以上になると増えて来る、その数が大いから福祉が限界になる
80の人は糖尿病で4カ月入院したとか病院通いである
毎月医療費に3万かかるとかいう女性もいる
とにかく日本は高齢化社会になり健康な人も多いとしてもまた数に比例して病人と介護が増えてくるのだ
その圧迫は切実になり介護する人も介護される人も限界になり共倒れになる
そういう危機をここ十年の介護で自分が経験したからである
自分の場合は経済的には余裕があったが人手がなく一人で奮闘してきた
その時何の助けもなかった、それも自分のカルマだったとはなる

でもこれから自治体でも生活保護とか福祉関係は極力減らされる
もう福祉の限界なのである、日本自体の経済も衰退するだけでありアベノミックスで株とかでもたせているけどこれも限界が来て崩壊しつつある
こうして弱り目の時祟り目にもなる、3・11の東日本大震災があり原発事故があり
台風被害があり今度はコロナウィルスで日本経済は打撃を受ける
何か今は明治維新とか戦後の焼野原のような状態になる危機が近づいている
70年で大きな変化がある、明治維新から70年で敗戦になりそれからまた70年過ぎる
今がその大変化の時代に突入している
銀行が半分以上なくなるとかいうのもそうである、それはあらゆるものに及んでくる
自治体の存続すら限界状態になりサービスも受けられなくなるかもしれない
とても病人介護社会に対応できない、財政状態が自治体でも悪化して限界になっているからだ

もう病院に行けない、医者にもみてもらえないでアメリカのように貧困層は死ぬほかないとなるかもしれない。アメリカでは保険は国民保険がない、だから馬鹿高い医療費を払わなければならないからかからないのである
日本でも日本経済の全体がおちこめば税収もへるのだからそうなってゆく
そういう兆候はすでにあり現実に始まっている
生活保護だってまともに支給されなくなる、雀の涙のような金しか支給されなくなるかもしれない。
そしてこういう時代になると治安が悪くなる、経済的に追い詰められた人は犯罪者になるそういうことは南米とかで日常的に起きている、日本も安全でありえない
貧富の差が拡大することも危険になる、金持ちは必ず狙われるからである

つまり限界集落というけどあらゆるものが限界になり福祉でも維持できなくなる
もうサービスは受けられない、自治体でも国でも頼れなくなる
そしてなぜかコロナウィルスとかでも経済に打撃であり連続して災難が起きて来るのか?これも末世である、それは社会が既得権者が破壊するためなのか?
時代が変わる時、戦後でも焼野原になり地主など既得権者が消失した
明治維新でも侍が消失したとか大きな変化が起きる
銀行も既得権者でありそれも消失するとか既得権者が安泰でなくなる

でもその既得権者がその権力を失う時、社会が大きく変わる
それは情報分野でもマスコミの権力はインタ−ネットとかで失われつつある
ここも大きな既得権者だった、テレビの六局で放送を独占していた
そして実はマスコミはまた背後に既得権者と結びついていたのである
情報は操作されていて既得権者に不利な情報が流されなかったのである
原発で安全神話を作っていたのはと既得権者だったからだ
ただそこには地元の人たちもかかわっていたのである
原発は国家予算並みの金がでるからそこが利権の場となった

いづれにしろ2020年はこうして大変革が現実化してくるというのは本当だった
それがコロナウィルスで始まったということもそうである
それも世界的に影響してグロ−バル経済自体に歯止めがかかる
それも大きな世界の時代の流れとなる、グロ−バル経済は縮小してナショナルな社会にもどる、グローバル経済も限界にきてそうなってゆく   
「一難去って一難」こういう時代なのである、それは私の一身上でも経験して来た
それは日本全体でも起きて来る、それが時代が変わる時に起きて来る

2020年03月02日

放射能の影響とコロナウィルスの影響の共通性 (一様には作用しない―社会の機能停止も怖い)


放射能の影響とコロナウィルスの影響の共通性

(一様には作用しない―社会の機能停止も怖い)

この辺で政府の政策の実行で失敗したのは放射性物質が30キロまで影響するということで線引きしたことである
それはどうしてしたのかとなるともし放射性物質の過多で判断すればきりなくなる
現実に福島市の方が放射性物質では汚染度では高かったこともある
別に南相馬市と相馬市とは変わりないのである
それより山側と海側の差が大きかった
だから浪江の津島とか飯館村の被害が大きくなった
それは放射性物質は風の影響を受けたからである
3月頃になると海から東風(こち)が吹きそれが爆発した時吹いて山の方放射性物質を運んだ
だから浪江から双葉に行くと7マイクロシーベルとか急に高くなっていた
でも浪江だと0.5マイクロシーベルトだったのである
浪江だったら請戸から原発の煙突が見える距離である

ともかくなぜ30キロで政府は区切り避難させたのか?

それは科学的根拠も確かではなくその時政府では放射性物質がどう影響するか
判断できなかった

そして30キロで線引きして補償しないと決めた

この理由で判断したのだと思う
放射性物質の過多で補償するとなるときりがなくなるしめんどうだからである
でも30キロ内では放射性物質の過多で補償金も決めたから今でももめているのである
30キロの外で内で差がありすぎたのである
現実に南相馬市では小高、原町区と鹿島区はまず医療費でも差が大きかった

鹿島区は半年で医療の無料が打ち切られた
小高と原町はその後も9年目になっても補償されていたのである
これも大きな差である、小高は避難区域になったから抗議したらまた一年医療費のく無料が継続されたのである
これは別に放射能の被害があるからというのではない、避難区域にされたのと30キロで線引きしたことによっていたのである

このことがコロナウィルスとどう関係してくるのか?

政府が学校を休止したり人の集まることを禁止したりすることこれが正しいのかどうかである
つまりコロナウィルスがどう影響するか不明である
放射性物質がどう影響するか不明だったのと同じなのである
予防策としてそうしたのだがこの結果はいいか悪かったのかは結果を見ないとわからないのである
それで商売ができなくなると政府で補償するとかなるのもにている
でも中小企業は補償されないとかでここでも不満になった
つまり政府の補償には限界があるからこうなる
全員に十分な補償などできないからどこかが犠牲になるのである

だから学校の休校が果たして正しいことだったのか?

それは結果をみないとわからない、原発事故では政府の政策は失敗だった
様々な問題を引き起こしてその後で地元では補償金で分断されてしまったからだ

それは結局放射能でもコロナウィルスでも社会にどう影響するかわからないことによる
これによって倒産する中小企業もいるとか実はその影響の方が大きいとなる
ただコロナウィルスが放射性物質と同じようにどう影響するかわからない
政府でも何か政策を出して実行せねばならない
世界からも要求されているとかなる、そういう圧力があり遅くなったがあえて実行した

要するに現代は科学技術社会になっているときこういう問題が起きやすいのである
科学技術というのが社会にどう影響するのかを事前に考慮しない
科学技術はみんないいものだと金になるとかしか考えないのである
それは国民自体がそうである
その影響について事故になったらどうなるのかなど国民自体が真剣に考えないのである
国民でも金になればいいとしか地元でもなかったからである

コロナウィルスでも科学と社会の問題が起きている
それは放射性物質と同じくコロナウィルスがどういうものか社会にどう影響するか不明だからである
でもそのつまにしておけずなんらか政策をする予防でもする
でもそれが社会が止めてしまうとまたその方が影響が大きくなり被害が拡大する
その兼ね合いがむずかしいのである
この辺では原発事故により人が住めなくなったりずたずたにされたからである
だから結果的には30キロで区切ったのは失敗だったとなる

それでコロナウィルスでも学校を休校までしてよかったのか?

それで社会の活動が止まったりしてその影響の方が大きかったとかなる
それは結局コロナウィルスも正体不明でありそれで対策できない
ここにいくら科学技術が発達しても科学者すら対処できないのである

だからトイレットペーパーがなくなったりとその影響がでている
何かそうした影響の方が大きくなる、実際はトイレットペーパーはあってもパニックでそうなる

そのパニックを起こさせているのは政府の政策だともなる

それは本当にどこまでコロナウィルスか影響するのかわからないからなのだ
それは放射能問題と同じだった、一体放射能はどれくらい影響したのかわからない
20年後にガンが増えると言ってもわからない

それより避難させて人を住めなくなさせ自治体を崩壊させた結果が重大だった

ただこういうことは国民のコンセンサスが必要になるのが緊急時にはいろいろなことを言う人がいるからまとめられなくなる、民主主義ではもう緊急事態で話し合って決めるなのどできないからだ、即断しなければならないからだ

ただ原発事故から考えると学校を休校とすることが社会の影響が大きい
その他グロ−バル化して広域社会になると交通が大事でありこれがとめられると物流が止められてその被害が大きくなる
今回は一部ではない、東北だけではない全国に及ぶ、その被害が全国規模になる
そして社会全体が麻痺したような状態になることが怖いともなる
だから一律に休校するとか何か日本全国をパニックにするようなことしていいのかとなるただそれも結果をみないとわからないのである

でも原発事故の対応を見ると社会を混乱させたり機能を停止させたり自治体を崩壊させたりすることになるからその点を考慮すべきだとなる
というのはコロナウィルスはインフレインザより被害が少ないともしているからである
その判断はむずかしいにしろ過度に恐れて社会を麻痺させるパニック状態にさせることの方がかえって悪いともなる                                    
病院でもどう対処していいかわからない、金にならないしコロナウィルスに感染した人を引き受けると病院が倒産するとかなるからだ
でもそのままにしてもおけないジレンマがある、それも結局原発事故でもそうだったが
コロナウィルスがどう社会に影響するかわからないからないからなのである

でも社会機能が停止するとトイレットペーパーでも奪い合いになる

暴動の様なことが起こるのも怖いのである、今回は全国の問題になっているから全国的にその影響が拡大して日本全体がパニックになることが怖いのである


「直接、専門家の意見を伺ったものではない。判断に時間をかけるいとまがない中において、私の責任において判断させていただいた」と述べた。

専門家の意見を聞いたわけでもない、専門家でも意見が分かれる、そしてじっくり検討する時間がないからこうなる
それは福島の原発事故でも同じだったのである
posted by 天華 at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

ここでもトイレットペーパーはなくなった (現代は危機のとき物が入らなくなり万事休すになる)


 ここでもトイレットペーパーはなくなった

(現代は危機のとき物が入らなくなり万事休すになる)


昨日はまだティシュペーパーがツルハにあった、ここにあるのか明日もあるのかと思い買わなったのが失敗だった
今日見たら全くなかった、これは鹿島区内ではなく外からも来た人が買っていったのだろう
原町とか相馬市でもなくなっているからあるところ車で探すからである
原町ではインスタントのラーメンとかでもなくなっているという
今やトイレットペーパーとティシュペーパーはこの辺ではない、いつ入るのかもわからない
これも車時代になると遠くからでもあるなら来て買うということになる
だからいくらあってもすぐになくなる

例えば鹿島区とかで制限すればそこでは確保できる
でも原町とか相馬市となると人口が多いからたちまちなくなるのである
それはグロ−バル経済のことを批判して来たけど広域社会でもそうである
モノでもヒトでも自由に入ってきているときはいいのである
でも一旦このように入らなくなるとどうにもならなくなる
今の社会は物流が途絶えると万事休すになる

というのは戦前とか江戸時代までさかのぼれば自給自足の生活をしていた
外から品物が入るというのは少ないのである
そしてトイレットペーパーなど使っていないかった
外の便所であり紙は新聞紙とかでありトイレットペーパーなど使っていない
ティシュペーパーにしても鼻紙とかいって何かそうしたものは使っていなのである
つまり外から買い入れということはなかったのである
そうなると別にそういうものがなくても死にはしないとなる

でも食料が入らなくなったら即死につながる、物流が途絶えると死につながる
そういうことが中国で特に武漢で起きているらしい
ここでも3・11の震災の時はそういうことが起きた
たちまち物がなくなったのである
それで自分は米がたまたまあったのでそれで電気と水道は正常だったので使ってしのいだでも二週間近くになると米もなくなった
その時地元で古米を配ったのである
これで助かったとなる

その後は相馬市にスーパーが開いているということで自転車で行った
その時車はガソリンが入らないから長蛇の列になっていた
そういうとき結局自力がいい、自転車がいいとなる
でもその自転車は電動自転車だから電気を使っていたとなる
でも電気がなくても行けることは行けたのである
車はガソリンがなければ使い物にならなかったのである

今回のコロナウィルスもこうして一見便利な生活が何でもいいものとして受け入れた

でもそれが一旦途絶えるとどうなるのか?

この問題を提起したとなる、文明生活できなくなる、サバイバルできなくなる
特に原発事故は放射能物質の汚染で水すら飲めなくなったからだ
これは相当に怖いことだった、もしさらに長く物流が途絶えたらそうした水でも飲まないと死んでしまっていたからである

だから便利な生活していてもそれが一旦途絶えるとその社会が崩壊する
コロナウィルスで外国から物資が入らない、食料も入らないとなったらどうなるのか?
東京では日本の地方は食料基地になっていたとしても中国があるからいいと言う人が多かった

では中国から食料が今回のように入らなくなったらどうするのか?

そのことを何度も私はグロ−バル経済批判で指摘してきた
そしてなぜ熊本のようなかけ離れた所からトイレットペーパーがなくなっていると言っただけで日本中がパニックになりすべての店からトイレットペーパーとティシュペーパーが消えたのである
それはインタ−ネットなどのSNSの伝播力が日本であれ世界につながっているから起きた
江戸時代とか戦前でもそんなに遠くと経済的にもかかわっていない
情報的にもかかわっていないからそんなことで動じなかった
でも今はたちまち情報社会になり波及してくる
そして日本全国でトイレットペーパーなどがなくなったのである

今回は震災の時と違って全国的なものとして日本がパニック状態になる
台湾での対応は世界から評価されているというとき物はあるとして安心させる方法を一人のITの天才がいて即座に実行したからだとういう
また台湾だとまた国が大きくないからそういうことがやりやすい
国が大きくなるとそうして一括して統一したことがしにくいのである
だから大きな国が必ずしも危機に強いとはならないのである

何か逆説なのだけど今回のコロナウィルス騒ぎでも高度な便利な文明生活は意外とこうした危機に弱いのである
それは水道が使えないとか電気が使えないとか車が使えなくなったとき露骨にかえって
その弱さを露呈するのである
それで原発事故のとと蝋燭を使っても故郷で家族と一緒に暮らせるならいいと言った人がいた
そういうことが何か危機の時起きる
意外と文明生活はもろいものをもっている
グロ−バル経済とか広域社会が交通が便利でどこからでも品物が入ってくるという社会がいいとなっているが何かこうして危機になると途端にお手上げになってしまうのである

だから実際はそのための対策をする必要がある
備蓄も必要だとなるが実際にそれだけのことをできない、限度があるからだ
だから備蓄というとき燃料でも地元にある森の木がいいとか何か地元のもので利用できるものが備蓄であり一番いいともなってしまうのである
現実にカナダであれアメリカであれ中国であれそんな遠くから危機の時は物が入らないからである
ただそういう危機にはみんな備えていない、だからパニックになるのである
posted by 天華 at 17:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年03月03日

コロナウィルスの不思議 (これも自然災害で神からの作用なのか?)


コロナウィルスの不思議

(これも自然災害で神からの作用なのか?)


コロナウィルスというかウィルスとは何かといろいろ言う人がいる
ウィルスも必要なのだとか言う人もいる
それはわからないにしてもウィルスの結果として起きていることも不思議なのである
例えば原発事故で起きたことは

原発は停止しろ、地震が多いから日本に合わない

こういうことだった、それは結果としてそうなった、それは天の意志とか神の意志だとかなった、中国では政治でそういうことが起きた
君主に徳がないと社会が乱れる、だから君主を交代しなければならない
易姓革命である、それとにたことが起きている

コロナウィルスで結果的に起きていること

●中国の勢力拡大の歯止

●グロ−バル経済の縮小

●オリンピックの中止の危機

●若者から高齢者への感染

●世界人口を減らす


これらのことが結果的に起きている、中国の勢力拡大は一帯一路政策が行き詰まらせる
どうしてかイランとかにも感染者が出たしイタリアとかヨ−ロッパにも出た
そこに中国の影響が世界的に拡大したからだとなる
これはまたグロ−バル経済への警鐘だともなる
グロ−バル化を際限なく進めるとウィルスも拡大しやすくなる
だからグロ−バル経済の負の面がウィルスで現れたとなる

オリンピックの中止もこれも実際は電通とかマスコミの利権でありまたゼネコンの利権であり商業主義のオリッピックでありもう何か行う意義が失われてたいのである
もともとの意義が失われたからもうオリッピックなどやる必要がない
それは国民の意志であり世界の人たちもそう思っている
日本だったら他に予算をつぎ込む所があるからだ

そして不思議なのはなぜかこのコロナウィルスは若い人は感染しても重症化しない
軽症で終わる、でも60以上の人は若者からでも子供からでもうつされて重症化する
これも不思議である
これだけ高齢化社会になって若い世代は老人は死ねといつも言っている
まさに若い世代の意志がコロナウィルスとして現れたのかともなる
若い世代の念がコロナウィルスとなったとまでなる
だからこのコロナウィルスは本当に不思議なのである
また世界の人口は限界にきていて減らさないともうもたないとも常に言われている
するとどうしても減らすことが必要になる、そのためにウィルスをばらまいたともなる
それは陰謀論になるがそれだけではないそれも天の意志なのかともなる
現実に世界の人口はもう限界でありそのためにいろいろな問題が起きているからだ
これが必ずしも悪いばかりのものではない、何か現代社会の警告であり是正するために現れたのかとまでなる

ただこれでアメリカは打撃になっていない、これも何なのだろうとなる、ただアメリカにもこれから打撃になるのか?
いづれにしろ何かこうしてウィルスも世界の社会への警鐘として生まれるのか?

自分にとっては原発事故でこの辺は住むことさえできなくなったことで原発はいらないなっても依然として原発は廃止できない、日本全体でもそうである
これだけの事故になっても廃止できないのことに憤りを感じる

ともかく世界的にも国内的にも生活そのものを見直すことが強いられている
まず日本人のモラルがいかに低下しているか?
それは今度のトイレットペーパーが日本中から一切になくなったことでもわかる
ただ我先にと自分だけが安全を計ろうとするだけでありエゴむきだしなのである
日本人はお互いさまとか助け合うことなどなくなった
ただ金のためなら自分のためなら相手を蹴落としてでもまずトイレットペーパーを確保しようとする
日本人の美徳とかはもう消失したのである

それは個人的にも嫌というほど介護とか病気になり経験して来た
他人はもう人間でもない、金えるためのものでしかない
だから相手が苦しんでいる時でもこいつから弱っているから金を得ようとするだけである人は今苦しんでいる時、自分には金はあった、でも相手が借金しているからその人はまず借金を返すことしか頭にない
こいつは金をもっているから今とるのがチャンスだとなり責めてきたのである
つまり借金しているから余裕がない、今金が欲しいんだ、後ではだめなんだ、今トイレットペーパーが欲しいんだ、後ではだめなんだとなる、今食べ物がないから今欲しいんだ、そのためには人も殺すとなってしまうのである
人間は余裕がなくなるとみんなそうなるのである

そうしてこれから日本人が貧乏になるとそういう人がさらに増えてきて南米とかと同じ犯罪が増える、格差社会にもなり治安が悪くなる、それはすでに日本でそうなりつつある
トイレットペーパーの奪い合いで暴力沙汰になっているのを見ればわかる
日本人同士がお互いさまとかない、もう自分だけが助かればいいと殺しあうとまでなる
日本では犯罪が少ないということで外国からほめられていたがそういう時代はすぎた
日本人はどっぷりと戦争に負けてから金崇拝者になったのである
アメリカととも中国とも同じようになったのである
だから日本社会の再構築が必要なのである、そのために津波とかコロナウィルス騒動が起きているのかとなる

posted by 天華 at 09:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

コロナウィルスでも危機管理が備えができない (郷倉の意味の再考)


コロナウィルスでも危機管理が備えができない

(郷倉の意味の再考)

各地方の郷倉が相続いて解消したにも拘らず東北地方にのみ現存することは、同地方は天恵に薄く全く備荒貯蓄が必要に迫られている事を物語って余りある、即ち東北地方の農村の歴史を繙く時は殆んど凶作と農業恐慌の文字によって綴られ、涙ぐましい祖先受難の跡が余りにも痛々しく目に立つ


郷倉と現代社会 (緊急時の備蓄機能として維持されるべき農林漁業の見直し)

ここがなぜ昭和になってから作られていたのか?
それは東北では明治になってからも昭和になっても依然として恐慌とか不作の恐怖がつづいていたのである
東北地方では不作になり東京に娘が売られたとかもあった、それは戦前のことである
東北は明治になっても貧窮地帯だったとなる
東北の兵隊が太平洋戦争で勇敢に戦ったが西の方は大坂などはそうではなかったとか言われる、もしかしたら東北の兵隊は日ごろか貧しい、それで戦争のような極限状態でも耐えられたとなるのか?
アメリカ軍でもイラク戦争の様なとき、国らか認められるために若い移民が志願したりまた黒人が多いということもある
そういう人たちは戦争という場だったら活躍できたともなる

ともかく郷倉というのを今見直すかと言うと東日本大震災でもそうだった
物が入らなくなる、その物流が途絶えることが現代では一番怖いのである
食料でもなんでも外から入るもので買うものに頼っているといざ入らなくなったら万事休すになる
二週間は外から物資が入ってこなかった
車があってもガソリンがなく使えなかった、二週間後に隣の相馬市に物資が入って自転車で買い物ができた
その時たまたまあった米をたいてしのいだ、二週間なら米があればあとは味噌汁くらいあれば耐えられる、でもそういうとき郷倉があり古米でもいいから供給されると助かると思った

こういう危機管理は安全のための備蓄などは自治体ですべきである
でも郷倉というとき小さな村単位なのである、これが町とか市になると範囲が広くなり備蓄するにもそのための倉庫まで必要になる
一万人分の米を備蓄すること自体できないのである

今回のコロナウィルス騒動でもそうである、トイレットペーパーが全国の店からなくなった、実際はあるといっても交通の問題がある
遠くから運ぶからその人員とかが足りないとかすぐには配達されないのである
特にトイレットペーパーはがさばるから在庫として置くのに限度がある
それで店に在庫として置くの限られている
ただトイレットペーパーがなくても死ぬことはない、食料がなくなったら死に直結する
スーパーから食品がなくなったら恐怖である
でも別に弁当も惣菜を売っていたから安心したのである

現代は物は豊富である、でもその物が実際は遠くから入ってくる、外国からも入ってくるそれでその交通が途絶えると物流が途絶えるからパニックになる
原発事故の時ガソリンを運ぶのに鉄道で遠回りしてやっと運んだとかあった
二週間ほど完全に物流が途絶えた津波で被害を受けた村とかもあった
その人たちは裏山の清水を利用して木材を燃やして米をたいてしのいだのである
そういうときはいくら金があっても何の用もたさない、紙切れになってしまうのである
トイレットペーパーを転売して馬鹿高い値段をしして買うということも起きるがそれより交通が途絶えると運ぶことすらできなくなる
つまり現代のグロ−バル経済とか広域社会は交通がライフラインでありこれが途絶えると何もできなくなるのだ

普通は便利な生活を享受しているのだが一旦交通が途絶えるともう何もできなくなる
そこに脆弱性がある、かえって危機に対応できないのである
危機という時、国単位とか市でも大きな単位になるとその量が多くなるから備蓄でも限度がありできないとなる
トイレットペーパーは工場にある、でも配ることができなくなるのだ
それがグロ−バル社会とか広域社会の弱点になる
利点なものがまた弱点になるのが人間社会である
でも現代はそうしたグロ−バル社会に広域社会に生きていてもそれが自覚できないのである、それが一旦途絶えたときしか自覚しないのである

だからコロナウィルスはそうういことを自覚させられたのである
それは全国に世界に及んだからである、他でも食品がなくなっているというのもそうである、それは世界で共通している
そういう危機に備えられないのである
ただ江戸時代辺りだともし現代のように交通が発達していれば飢饉にならずにすんだ
全国のどこかで米があったら流通できたともなるからだ
江戸時代だと藩単位の国で関所もありできないから被害が大きくなった

ともかく現代の文明社会は意外と危機に弱いのである
もし二週間でも電気がなくなり水道が使えなくなり道路が遮断されてしまったら何もできない、死を待つばかりだとなる
東京とか大都会ではそういうことになりやすい、それが恐怖なのである
だから東京をいち早く脱出することだとなるがそれも簡単にはできない
車は渋滞になるし建物でも倒れたりするから道路も使えない
外からの援助も二週間とか来ないとかなるとそれまでもたないとなる

そしてトイレットペーパーならまだ死にはしないが食料だとなる奪い合いになったら争って死ぬようにもなる、地獄になる
大都会というのは一番便利な場所なのだが一番危険なものと一瞬にして変貌するのであるそれが武漢の都市封鎖で起きた、そこでは食料はどうしているのか?
何か真実はわからない、そこは食料もなく死ぬ人も出るとかなる
だからいち早く富裕層は脱出したというのもわかる
そういう都会に残された人は恐怖である、この辺では原発事故で一瞬にしてゴーストタウンになったからである

大都会はそれ以上に危機に弱い、外から何も入らなかったら本当に万事休すになる
その備えにも限度がある、だから東京のような一局集中は危険なのである
それがわかっていても手を打てない、そのうちに大地震が来て地獄と化している
人間は危機意識をもてない、今なにもなければこのまま何もないと思ってしまうのである
阿部首相も頭にあったのはオリッピックの成功であり習近平の国賓としての招待であり
また中国人のインバウンドの収入だった
それがコロナウィルスの突然の発生で危機感をもてなかった
頭を切り替えることができなかった、中国人の観光客の入国禁止を即座にできなかった
インパウンドの収入ばかり計算していたからである

そういうことは個々人にもある、何かに固執してとらわれる
つまり人間は緊急事態に危機に弱いのである
何か危機かもわからないのである、津波とか地震とか原発事故でもそうだった
突然襲いかかってくるから理解できない、対処できないのである
コロナウィルスも正体不明のものとして襲いかかってきたからである
だから最初何なのかわからず甘くみていて初動で中国人の入国拒否ができなかった
そしてそれが手遅れとなって致命的にもなる
これが一国の首相ともなると責任が問われる結果となったのである

posted by 天華 at 20:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年03月04日

グロ−バル科学技術文明の批判 (生態系を破壊してコロナウィルスでも世界的災禍となる)


グロ−バル科学技術文明の批判

(生態系を破壊してコロナウィルスでも世界的災禍となる)

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●生態系を無視した科学技術文明

コロナウィルスの問題はグロ−バル経済の結果が起きてきた
中国人が世界中に散らばり災禍を広げた
イタリアとかヨ−ロッパにもたちまち拡大したことでもわかる
イランでなぜ増えたのとなれば中国人とイランの関係が深いからだとなる
もし交通も発達しないグロ−バル化していなければこんなに世界中に広まらない
だからグロ−バル経済とは一見いいものとして見えた
世界中が交流して世界の人々が理解を深める、多様化した世界と交わりいいものだとなった、それも一面言える、中国人でも日本に大挙おしよせて日本の現実を見れば理解が深まるから反日がおかしいとなる
そういういい面はあるにしても何か行き過ぎたグロ−バル化だったのである

人間は生物の一種である、するとどうしてもその土地土地の生態系に依存して生きるのが基本である、その生態系を無視して生きることはできない
だから原発事故でこの辺はその生態系が破壊されたことで住めなくなった
水も土も空気まで放射性物質で汚染されたら住めないからである
そういうふうに過度な工業化科学技術化が生態系を破壊した
それで皮肉なのは武漢から人がいなくなったとき二酸化炭素の濃度が下がり空気がきれいになったという、つまり人がいなくなると自然環境が元の状態にもどる
経済活動が活発化すると自然も汚染される
原発事故周辺でもイノシシが増えたりした、別に放射性物質汚染で自然が荒廃して住めなくなったというのでもない、かえって自然が甦るとういこともあった

コロナウィルスの不思議は過度なグロ−バル経済への警告として現れたともみる
ウィルスにはグロ−バル経済は弱かった、たちまち全世界に広がり人類の危機とまでもなる恐怖があった
人間は生態系を基にしてそれぞれの国を作ってきた
特に日本をみればわかる、日本は島国であり一つの別個の生態系にあり宇宙として国を作ってきたのである、海に囲まれていてそうなったのである
日本というのはだから世界から見たら本当に特殊なのである
その特殊性が日本人自体理解できない、それで外国生活した人は実感としてわかる
外国と対比して日本を見れるからその批判も的を得ているのである


●科学技術も生態系を越えることはできない

とにかく人間は生態系を基本にして生きている、それから離れては生きられない
でもそういうことを現代文明は無視してきた、科学技術で人工的環境を作り出してそれで生きられるとなる
太陽光でも野菜工場で電気の光で成長させるとかなる、でもここで肝心なのは電気を作るにも石油とかを使っているのである
電気でも石油とか石炭がないと作りだせないのである、そこを錯覚している
原発のエネルギーはウランとかから作り出していたけどこれも実際は石油をかなり使っていた、そして石油というのは自然が作り出したものであり自然エネルギーなのである
風力発電は台風以来ここではとまったままだったが昨日動いていた、5カ月くらいぶりに動いた、だからこれもあてにならない、ソーラーパネルでも風力発電でも緊急時に弱いのである、だからこれもあてにならないとなる
一番あてになるのはやはり太陽光だとなってしまうのである
これは切れることがないからである

現代の地球はすでに許容人口を越えている、それに拍車をかけたのが科学技術の発達である、それによって地球環境が破壊される、汚染もされる
その分りやすい例が武漢から人が減って経済活動がとまったら空気がきれいになったことである、これがいかに一千万の都市があることで大気までどれだけ汚染していたかわかる武漢に工場も多いからである
それでコロナウィルスはイルミナティの陰謀説が出て来る
地球環境維持からすれば別にそれが現実なだけなのである
現実を誰も陰謀とはできない、武漢の空気がきれいになったのは現実を証明しているのである、人口が地球規模で増えすぎる、環境が汚染される
それで自然からの作用として警告してウィルスが生まれたかもしれないからだ

●自然のタブーを無視した文明の危険 

国を区切る障壁として基本的にはこれらがあった

●言葉の相違(文化の相違)

●歴史の相違

●気候風土(生態系)の相違

日本国内でも峠を越えて異界に入ることは容易ではなかった

佐保過ぎて寧楽の手向に置く幣は妹を目離れず相見しめと (長屋王)

こうして境界を越えるだけでも切実なものとして無事を祈り見送っていた
この時目離れず(めかれず)とはずっと遠くに去って行く姿を見続けていたのである
現代はどうしても電車でも車でも見送る時、電車に乗り車に乗った時見えなくなる
つまり機械によって心が遮断されるともなる
どうしても電車を車という車体を見送ることになるからだ
そこにかえって人間の心が通じなくなったということがある

現代では境はない、自然が障壁となった境でも山でも川でも海でも簡単に越えて行くからである、自然とかもともとそういうふうに自由に往来できるものとして作られていない
風土とか生態系とかまたそれを基にして作られたの国である
つまり国境も自然の境界も技術が交通発達して簡単に越られる、でもそれは技術力とか
文明の結果なのである
風土とか生態系は同一ではない、だから同化できない、共通化できないのである
生態系を無視したのがグロ−バル経済であり科学技術の発達である
ウィルスも風土病のようなものがあり別な生態系に入ると免疫がなくて被害が大きくなる生物だと外来種を滅ぼしてその固有の生態系を破壊してしまうのである

自然には何らか制約がありタブーがあった、それはアダムがその禁をタブーを破ったことで人間は呪われた者となった
自然でもしてはならないことがありタブーがあったがその禁を破ってきたのが人間だった核を発見したとしてそれが原爆の犠牲になった
原発事故で故郷に住めなくなったとかある

つまりコロナウィルスもやはり人間がタブー破ったためである
原因はわからないにしろ中国では食べてはいけない動物を指定していた
でもそれを食べたとかある、イスラム教で豚を食べないという時、それもタブーである
豚からうつる伝染病を恐れたのかもしれない
何かグロ−バル経済で世界中のあらゆるものを食べるようになった
中国ではもともとあらゆるものを食べる悪食があった
食べてはいけないというタブーがなかった、それでコウモリとか蛇とかなにかからウィルスが生れて伝染したともなる

つまりそれぞれの生態系内で生きていたものがその生態系を越えたとき何かそこにタブーがあり越えてはならないものがあり生態系を壊すから危険になる
ウィルスでも一つの生態系から別の生態系に入る時そこに免疫がないからインカとか文明そのものを滅ぼすともなる
いづれにしろコロナウィルスは自然からの警告でありしてならないことをしたことでタブーを犯したことで災いが起きてきた
科学技術が万能化して起きたことなのである
それは原発事故でも同じだったのである

posted by 天華 at 17:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年03月05日

abstract mountains


abstract mountains

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spring mountain

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steep mountain

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常磐線全線開通は3月14日 (今日も風で遅れている)


常磐線全線開通は3月14日

(今日も風で遅れている) 

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ネパールの国旗、字は訳せない
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今日は久しぶりで駅に行った、風が吹いて遅れていた
高校生の見守り役が案内していた
駅の業務は何もしないというが必ずあそこにいると聞かれるのである
ただなぜそういう契約をしたかというとJRでは駅の業務を頼むと金を払わねばならないからだろう
NPOでは市の方で金を払っているからだ
これも実際はおかしいのである

無人駅というのはそしたら誰も人がかかわらない、かかわってはならないとなる
そこに責任問題も生れるからである
でもそこで責任問題が生まれるとはならないだろう
危険なこともないからである
無人化するのはコストの面でわかるにしても問題がある

誰かかかわれば責任問題が生じる

でも誰もかかわらなければ乗客が困る

でも困っても結局乗客の責任だ

こうなってしまうのである、現実にそうなっている

常磐線全線開通は3月14日である、寄せ書きがしてあった
そこにネパールの人が書いていた

国旗の真紅は、ネパールの国花であるシャクナゲの色であり、ネパールのナショナルカラーでもある。また、赤は国民の勇敢さを、縁取りの青は平和を、それぞれ意味している。2つの三角形はヒマラヤの山並みを象るとともに二大宗教であるヒンドゥー教と仏教を意味しており、月と太陽はこの国が月や太陽と同じように持続し発展するようにという願いが込められている。
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前のホンダの会社にネパール人が勤めていた
それから福装にも勤めていたネパール人の女性が何人かいた
ネパール人はベトナム人と同じく増えている
ベトナム人は相当に多い

ネパールのトレッキングで3000メートルくらいの高さに赤いシャクナゲが咲いていた
雪がそこにはあったからいかにもヒマラヤらしいとなる
その時春であり曇っていてヒマラヤの8000メートルの山々が見えなかったのが残念であった、春より10月頃の方が晴れるから見やすいとなる
トレッキングで日本人で十回も行ったという人がいた
山に魅せられたらそうなる、特にヒマラヤとなるとそうなる
エベレストでは登山の行列ができてかなり死んでいることでもわかる
別にそこまで逝かなくっても3000メートルの高さに上るとそこから8000メートルの高さの山が見えるのだから本当に高い、天をつくように聳えるから荘厳である

今になると外国旅行も行けないとなった、一回だけでも行ったのが得だったとなる
シャクナゲの赤とヒマラヤの雪の峰のコントラストが際立つ
それで国旗でもそれをあしらった
三角の国旗はネパールだけでありヒマラヤを象って作った
ネパールらしいとなる

相馬地域に移住した人も書いていた、この辺では津波や原発事故以後移住した人がいた
小高にはいた、喫茶店を経営していた
ロボティックスとは萱浜にできたロボット工場である
あれは先端技術の開発している工場である
それでテレビでどういう仕事をしているから説明していた
あれはこの辺では復興のためにいいものだった

駅にはすることもないのでずっと行っていなかった
ただ風がまた吹いたのでどうなっているから見に行った
ただ高校生の見守り役とは話しない
前の自転車屋の人も不満なのである、その人も話しないからである
本当はあそこは鹿島区の人がやれば良かったともなる
                                                  
ただ問題はコロナウィルス騒ぎである、どうしてもいわきの方まで開通すると東京からでも人が来る、そこで感染のリスクが高まる
ただ仙台で一人感染したが福島県では出ていないのである
福島医大には感染者が収容されても福島県自体からは感染者は今の所でていない
でも仙台に出たということは仙台は危険である
私は去年も一回くらいしか仙台に行っていない、今年も行っていない
近間も回っているだけである
こうして閉じこもっていれば感染はしにくいことは確かである

コロナウィルスと原発事故の対処の共通性 (政府の判断指令によって混乱させられただけ)

コロナウィルスと原発事故の対処の共通性

(政府の判断指令によって混乱させられただけ)


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何か今回のコロナウィルス騒動は原発事故の放射線に対する処理とにている

放射線が何か良くわからない

わからないから怯(おび)える人は過剰におびえる

怯えない人はそんなものたいしたことない

低放射線はかえって健康にいいとか言う人もいた
でも過剰におびえる人はおびえる

専門家の意見でも二つに分かれる

御用学者は放射線はたいしたことがない、恐れる必要はない

また左寄りの学者は危険を言う

こうして素人は何を基準にして決めていいかもわからなくなる

そして政府では30キロで線引きしてその内は手厚い補償したのである
今でも30キロ内は南相馬市だと原町区でも小高区でも医療費無償を伸ばしてくれと言ったら一年伸びたのである

30キロ外になった南相馬市の鹿島区は医療費無償は半年で打ち切られた

この差は本当に大きかった、高速も30キロ内は無料だったが市長が代わりやっとここも無料になった
これはここだけではない30キロで区切り線引きしたり放射線量の多寡で細かく線引きして補償金で争いが生じたのである
飯館村でも一律にすればいいのにここでも補償金で争い二分してしまった
他でもそういうことがありもめたのである
その後遺症も大きいのである

今回のコロナウィルスでも同じである

これは別にインフレインザと変わりない、そんなに恐れるものではない
それより正常の経済活動を止める方が社会にとって深刻だ
だから社会の活動をとめるべきではなかったと言う人たちがいる

放射線が何かわからない⇒コロナウィルスがわからない

そして政府が何か決断する⇒学校は休校、集会の禁止

原発事故のときは30キロ内は避難と一時避難で補償する、その他は補償しない

科学と社会の問題がコロナウィルスでも放射線と同じように問われる

この時科学者は医者でも専門家が指揮をとればいいのだが実際の指揮をとるのは科学者や専門家ではない、政治家なのである
だから阿部首相は専門家に相談せずに決めたとしているからだ
つまり専門家でも意見が二つに分かれる、すると政治家でも判断に悩むのである
でも何か手を打たねばならないから原発事故では30キロで線引きして避難させた
それも科学的に見れば海側は放射線量が少ないとか一律に決められるものではなかった
それを30キロで線引きしたのである
ただ飯館村は例外だった、これで混乱したのである

今回も何か同じようなことが起きている

コロナウィルスはそれほど恐れるものではない

だから過剰に反応して社会活動を止めることはない

一方で専門家は防衛策が必須でありやむをえない

こうして二つに分かれる、それは放射線と同じくコロナウィルスの正体がわからないからなのだ

でも社会活動を止めることの被害の方が問題になる、原発事故では一瞬にして人がいなくなりゴーストタウンになり若い世代は別に生活基盤を築き帰らなくなった
この被害の方が大きかった、だから南相馬市だと避難させる必要はなかった
いたずらに混乱させて自治体を分断させただけだともとれる

いづれにしろ二つに意見が分かれる、その判断をどうするのか
その時国の運命すら決めることがある、戦争となるとそうである
そして3百万人死んだのである
そういう政府の決断とかは国民の生命も左右するものとなる

民主党政権の時、政府の判断ではなく自治体の判断にまかせたという
津浪はそうだったのだろう
でも原発で30キロに線引きして避難命令を出したのは自治体ではない
当時の政府の命令だったのである
もし自治体で判断したら私たちは避難しないということもありえた
でも政府の命令は絶対だからみんな避難したのである
その代り30キロ内には政府で手厚い補償をしたのである
30キロからはずれた人たちはわずかの補償で終わった

今回は政府の命令でも自治体で学校を休校にしない所もでている
ともかくその経済活動を停止させたことでまた補償金問題が生れる
そしてみんなに平等には支払われない、必ず誰かが損する、割を食うのである

こうしてなぜ混乱するのか?

それは放射線でもコロナウィルスでもわからないからそうなる
結局そこで決断するのは判断するのは専門家でもない政治家である
専門家だって二つの意見があるから正しい判断できるとはならないからだ

でも原発事故の経験からすると社会活動を停止させることの影響が大きすぎたのである
それで自治体の機能は崩壊して回復しなくなった
その影響の方が大きかったから今回も社会活動を停止させるのは限定すべきだったのかとなる、ただコロナウィルスに対処するには全国的世界的になるから伝染を防ぐためには
一国だけではできない、結局その判断が結果的にどうなったかでまた評価することになる

ともかくコロナウィルスがインフレインザと同じでありそれは毎年起きている
アメリカでは一万人以上死んでいる、だからこれほど騒ぐものなのか?
それがまたわからないからどう対処していいかわからない

だからつくづく原発事故と同じようなことが起きている
原発事故のこの辺の対応を見れば政府の政策は甚大な被害をもたらした
自治体が崩壊したからである、そうなったらもともこうもないとなる
だから社会活動を停止するのではなくみんながコロナウィルスに抗体をつけるべいいとかなる、ただ持病とか高齢者は保護すべきだとなる
つまり若い人はコロナウィルスに感染しても重症にはならない、風邪と同じであり恐れることはないとなる

それで不思議なのは放射能は逆に老人には影響がないとされた
それで飯館村のような放射線量が高い所でもキノコまでも今までのように食べていた人がいたのである、また松川浦では貝でも魚でも食べていた
その人は80才越えていたからである、つまりいづれろその歳になれば放射線でガンになるにしてもそうでなくてもガンになる人が多いから関係ないとなる

今回のコロナウィルスは若い人には子供にはさほど影響がないということで逆なのであるこの場合は社会全体からみれば社会は維持できる
かえって多くなった老人が減って社会全体にとってはいいことだとまでなってしまうのである、つまりコロナウィルスそのものではなく社会全体から見る時別な見方になる
すべてが放射線だげでなくコロナウィルスだけを見ても解決しないのである

放射線被害⇒老人が残されて自治体が維持できなくなる

コロナウィルス⇒老人は被害があっても若い世代は残る⇒社会は自治体は維持できる

もしこうして判断するとコロナウィルスは放射線の被害より社会は維持できるから社会維持という点では放射線より恐れることはないとなる
つまり社会の維持のためには若い世代を優先するべきだともなる
だから高齢化社会というのは本来は自然からみたら何か不自然だともなる
人口構成も歪であり自然に反するものだともなる
自然界の種の維持にも反するとなる





posted by 天華 at 23:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年03月06日

コロナウィルスと原発事故の対処の経過 (科学的判断より政治経済的判断が優先された)


コロナウィルスと原発事故の対処の経過

(科学的判断より政治経済的判断が優先された)


今回の阿部首相が判断した過程を見ると次のようになる

政治的判断⇒習近平国賓招待

経済的判断⇒インパウンドの中国人観光客の収入

科学的判断⇒コロナウィルスの正体不明ー若い世代は重症化しない

政治経済判断>科学的判断になる

科学的判断がまず最初に来てもいいと思うがならない、原発でも科学的判断なら日本では操作する技術がないから危機管理ができないからやめるべきだとなる
また十分に技術を習得してからやるべきだとなる
湯川秀樹は日本ではまだ原子力を操作できる技術がないとして早いと判断していたからである
技術が未熟なままにアメリカの古いマーク1という原子炉を買ったのである

そこには政治的経済的判断が先にくる、第一アメリカでも日本に原子炉を売りたい
もうけたいという政治的経済的判断が優先された
また軍事的にも日本に核兵器の原料をのプルトニウムを生産させて備えるということでアメリカの圧力があったからだ

科学でも技術でも科学者でも技術者でもその人たちが権力をもつわけではない
その金を出したり判断するのは政治家である
科学の上に政治がある、だから東電の科学者集団が10数メートルの津波が来るとして備えるべきだとしたときそれは無視された
経済的コストの関係で金がかかるからとできなかった
経済的判断でできなかったのである

だからコロナウィルスにどう対処するかも科学だけで判断できない
つまり学校の休校とか集会の禁止とかなると二兆円なのか経済的損失が生まれる
そのために会社が倒産したりするとその影響の方が大きくなり問題である
しかし一方でコロナウィルスを拡散することをとめねばならない
こういうジレンマに陥ったのである

第一科学的判断が正しいとしても原発事故でも放射線の影響がどうでるか不明である
コロナウィルスでも正体がわからずどう対処していいかわからない
科学者自体がすべてわかっているわけではないからだ
必ず二つの説に分かれるからそれを素人がどう判断していいかわからなくなるからだ

今回の科学的判断基準として

若い世代、子供などは感染しても重症化しない

老人や病気をもっている人は重症化しやすい

これだけは科学的にわかっている、そうするとここから判断するのがいいとなる
まず若い世代や子供が安全だということは次代を担う者が生き残るから社会は維持できるでも若い世代に影響する次代にも影響する放射線は社会自体が維持できなくなさせる
なぜなら遺伝子を放射線が破壊して奇形児が生まれるとか言われたからである
だから放射線の方がコロナウィルスより怖いものだともなる

つまり奇妙なのだけど若い世代は普通に暮らしてもいい、でも老人は隔離して若い世代と子供でも接しないようにするともなる
だから全面的に平等に社会活動を停止させることは経済的判断から損失が大きいからしなくてもいいという判断にもなる
放射線の被害はこの逆だったから自治体が老人ばかり残り崩壊したのである

とにかく子供でも若い世代も感染しても重症化しないとういうことは確かである
だからその点を考慮して対策して判断するべきだったとなる
それを全部同等に考えて判断して対策するべきではなかったとなる

                

posted by 天華 at 10:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層