2020年02月11日

日露戦争の勝利の原因 (日露戦争の勝利が太平洋戦争に続いていた)


日露戦争の勝利の原因

(日露戦争の勝利が太平洋戦争に続いていた)

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戦争の勝敗の原因はそれが終わってみないとわからない
日露戦争でもそうである、終わってみるといろいろ見えて来る
人生でもそうである、人生を経験して終わりになる老人になると人生とはこうだったのかとか見えて来る
だから終わりにならないと人生もわからないのである
老人になるとそうして経験したことをそういうことだったのかと意味を見出すのである
だからみんなあんなことして時間の無駄だった、馬鹿のことして時間を浪費したと悔やむのである
つまり何かをする経験する時間も体力もなくなっているからだ

戦争というのもそれも終わってから百年過ぎても色椅子再検討して真実が見えて来る
テレビで放送した日露戦争の勝利の原因は何だったのか?

ロシアは203高地をコンクリートで要塞化していた、それは一つの城だった
堀までめぐらしていたから城だった、その城を攻撃したが容易に落ちなかった
トンネルを掘ってその城のコンクリートの城壁まで攻めて落そうとしたができなかった
それだ多大な死者を犠牲者を出したので有名でありそれで乃木大将は明治天皇が死んで殉死したのである

この戦争をみたとき何か古典的な戦国時代のようにも見えた
城があり城を落とすための攻防戦となれば戦国時代である
ただ海軍はアフリカ回りで日本に来ることを迎え撃つから海軍の戦いである
東郷平八郎が対馬海峡を通ると待った、一日待ったときやっとバルチック艦隊が来て丁字戦法で勝った

これは明らかに地の利が影響して勝った、ロシアは地理的にモスクワとから離れすぎていたのである、それでアフリカ回りで来るにも船底に貝とか何か海の生き物がくっついて
進行が遅くなったとか言う、また船だけでなく人間も疲弊していたとなる

日露戦争では日本は何が何でも勝つという士気が高かった、ロシアはそれほどの士気がなかったとなり勝った
明治という時代はこうして日本が世界の列強の仲間入りする時代だった
イギリスと同盟を結んだというのもそうである
ロシアに多いユダヤ人をユダヤ人のロスチャイルドが応援したというのもそうである

ともかく何か日露戦争はまだ古典的な戦争だったのである
乃木大将も古典的な将軍であり英雄とかされたのもそうである
その後の太平洋戦争とはかなり違っていた
ただ満州の権益でロシアと争いその延長に太平洋戦争に結びつくものがあった
日本は日露戦争からすでに満州に固執していたのである
つまり日露戦争の継続としても太平洋戦争があった
その後はアメリカとロシアと日本の三つ巴の戦争にもなったからである

そしてなぜ日露戦争に勝ったかというとき古典的な戦いであり陸軍が地上戦で戦い海軍が海上で戦う、ここには空軍はなかったのである
だから第二次世界大戦は空軍の戦いであり空軍の強いものが勝つようになっていた
技術的にそうなっていて陸軍でも海軍でもない、勝敗を決めたのは空軍の強弱だった
それで日本がアメリカに負けたのである
信長が武田の騎馬軍を鉄砲隊で破ったのとにている
太平洋戦争では陸軍と海軍ではない空軍が優るものが勝ったのである
それで戦艦大和かでも一回も攻撃もせず海の藻屑と沈んだことでもわかる
空軍が勝敗を決めるのでありそうした海軍の巨大軍艦は役たたなくなっていたのである

戦争の歴史をみるとこれも法則みたいなものがある、なぜ太平洋戦争で日本が負けたのかというとき空軍で負けたとなるからだ
それだけでないにしろ一つの大きな敗因だったことは間違えない
もう一つの原因として人の和もあった
日本軍は下士官が優秀だったが上官とうまくいってなかった
アメリカ軍はかえって上官と下士官はうまくいっていたという
つまり日本は人の和がある、団結力があるというが実際は違っていたのである
鎌倉武士が強かったのは主従関係の強固さにあったというときもそうである
日本軍に上官と下士官にそうした強いつながりを和をもてなかったのである

ともかく歴史は連続している、日露戦争が次の太平洋戦争に結びついていたのである
満州の権益を守るためにゆずらない、そのことがアメリカとの戦争とも結びついた
その時ロシアでもない、それより強大なアメリカが敵がいることに気づかなかったとかともなる、そこに大きな無知があったともなる
その無知がアメリカとの戦争に向かわせたともなる
何か世界に向かって戦線を広げすぎたのである、なぜ西安(しーあん)までも日本軍が攻め入ったのかとかビルマまでも戦線を広げたのかともなる
そんな広大な世界を支配しようとしたのか?成り行きでそうなったのかただ戦略もなく
制限なく拡大化したのかとなる

ただ江戸幕府の300年の鎖国から一挙に世界史の舞台に踊り出した、だから明治は世界に覇を唱える視野がありかえって今よりグロ−バル化していたともなる
日本帝国の国威高揚があった時代だとなる
ただ日露戦争を内村鑑三が批判していたように太平洋戦争に通じるものがその時すでにあって継続されたのである
領土拡張主義がありそれが中国の果てまでも日本軍が進軍したのである

今や戦争は空軍の時代でもない、ミサイルと核兵器の時代である
こうして技術が進歩すると戦争の形態も変わる
ミサイルは核弾頭は北朝鮮からアメリカまで飛んでゆく
そうなると空軍の戦いではない、海軍の戦いでもない、核弾頭が飛んでくるのだから防備しようがないとなる
戦争したらもう核戦争になり相打ちになり人類自体が滅びるともなっているのだ


金州城下作   乃木 希典

山川草木轉荒涼
十里風腥新戰場
征馬不前人不語
金州城外立斜陽


金州城下の作

山川草木(さんせんそうもく)轉(うたた)荒涼、
十里 風腥(なまぐさ)し 新戰場。
征馬(せいば)前(すす)まず 人語らず、
金州城外 斜陽に立つ。

血なまぐさい戦場を漢詩にしている、まだ漢詩にするものとして人間を戦場を見ていたとなる
何か戦争でも古典的だったのである、そして乃木大将は古典的英雄であり武士の鏡とかまでなるから武士の時代を継続していたともなる
明治はまだ侍の精神を受け継いでいたのである
第一明治天皇が死んで殉死したのもそうである、それは古典的武士のすることである

どうしても戦後になると天皇を敬うという篤い心が生まれないのである
だからこうしうて忠義に死んだ古典的な武士が存在したということは明治という時代が作った人間でもあったとなる
その後はそうした古典的武士とかそうした人は出ないからである
第一世界第二次大戦は死者の数が何千万であり何かもう人間的なものを越えた異様なものとなっていたのである
それは詩にするような世界ではなかった、それほど凄惨を極めたものであり人類滅亡の戦争のようにもなっていたのである

いづれにしろもう古典的戦争の時代はない、今度はロボットとかAIの戦争でありそこに人間的なものは消失した戦争となる
背後でコンピュターを操作して人間的なものはなくなる、ロボットの戦争である
だからもう人間的なものはなく無人の荒野でのロボットの戦争になってしまう

日露戦争というとき日露戦争で死んだ人の墓を時々みかける、明らかに戦死した人が地方でも必ずいたのである、太平洋戦争のは目立つが日露戦争で死んだ人の墓もある
そこにあまり注目していないのである

posted by 老鶯 at 21:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

海上保安庁で津波の遺体捜索 (南相馬市鹿島区右田沖に報道陣来る)


海上保安庁で津波の遺体捜索

(南相馬市鹿島区右田沖に報道陣来る)

宮城海上保安部 MIYAGI COAST GUARD OFFICE 
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小舟は二艘でていた

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報道陣に説明

右田で人が集まっていたので何だろうと行ったら海上保安庁で遺体の捜索を潜水してするという、それで報道陣がつめかけていた
高知さんさんテレビとか遠くからも来ていた
あとは南相馬市の復興企画課の人と警察の人も来ていた

まず犠牲になった人に献花して捜索が始まった
二艘の小舟から潜水が始まった
結果的は何も発見されなかった
他では二体発見されたという
津浪から9年もたてばもう海の中だと見つからないだろう
何か儀式のようにしてやっているのかとも見る
ただ右田でおじいさんを亡くした人が来ていて取材されていた
その人は偶然に津波の時出かけていていないので助かった
おじいさんは残っていて死んだのである

右田の海岸沿いより離れた地域で死んだ人が多いのはなぜったのか?
おそらく海から離れていたので津波は来ないと思っていて逃げなかったのか?
つまり海外地帯から離れていると津波を経験していないから危機感を感じなかったのかもしれない。
ただ右田の人で海老村に逃げて九死に一生を得た人がいた
海老は高いしその崖の上が避難所に指定されていんたからである
そこで30人くらい死んだのである、それが大失敗だったのである
海老だったらどこにでも近くに歩いて逃げれば助かった
それも10メートルで歩いて逃げれば助かったからだ
津浪は鹿島小学校の前まできてその近くでも床上浸水でひどめいにあった人を知ってる
それだけ津波は離れていても浅くても被害が大きくなるのである

海上保安庁の人が水深のことを言っていた、9メートルを潜水するという
それで津波と水深のことを聞いたら水深が深いところと浅いところがある
浅い所は色が違って波がたつ、水深が深い所から浅い所に変わると津波も大きくなるとか言っていた
海老は陸から見ると右田などよりずっと高いからそこが避難所指定されたのである
でも海から見ると水深の関係で津波がおしよせたのである
第一水深を陸から見ている人はいないからである

とにかく津波から9年も過ぎるとどうしても遺体を遺骨でも見つけることは不可能に近い
何か儀式のようにしているともなる
ただまだまだ津波というのはそのメカニズムでも何でもわかっていないのである

報道陣が来ていたが報道するとき本当に津波とかでもその土地の地理とかがわからない
すると何か必ず報道は誤解して伝えられる
何か起きるとはtake placeなのである、場所と密接に関係している
その場所については地元でいなとわからない
テレビの小さい画面でぱ伝えることができないのである
それでテレビの報道は真実でないというとき根本的にその場所のことを伝えられないからである、一部を切り取った映像であり全体を把握することは不可能だからである

いづれにしろまだまだ津波についても原発事故についても解明されないことが多い
9年過ぎるし3月11日がまためぐってくるので遺体捜索が行われたとなる 

冬の海轟く波に鴎飛ぶ海上保安庁の船の進みぬ

津浪より9年過ぎて冬の海くぐりて探す遺体なるかも

みちのくの冬の海かなその底にくぐりて見なむ亡き人の影



今日は午後二時からまた同じ場所で潜水捜索があります!



津波の伝わる速さと高さ

ここの説明がわかりやすい、深い所か浅い所へ津波が高く大きくなってゆく
海老浜の被害が大きかったのは突き出た岬のようになっていたからなのか?
この説明ではそういうことも考えられる
とにかく津波は海岸地帯からできるだけ離れることであり高い所に逃げることである
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北海老南海老で69名死んだとして避難所に指定された場所で30人も死んだ、約半数が死んだのである
右田の人もそこに逃げて森の中に入って助かったのである
そこは高いと思い避難したのである





posted by 老鶯 at 12:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係