2020年02月08日

冬の日に金沢の一番星の喫茶店による (松が目印となる場所である)


冬の日に金沢の一番星の喫茶店による

(松が目印となる場所である)

matunokura11.jpg

matukurakk122.jpg

中から松が見える、外から見るのと中から見るのは違っている

matukura111.jpg

winterseakk1.jpg

treeone123new.jpg
この木に百舌鳥が止まっていた




冬の松一番星に休むかな

葉牡丹に蔵や農家の喫茶店

蔵に松隠れて休み冬深む 


冬の海望む丘の上農家あり前は畑に金沢に住む

百舌鳥一羽冬樹にとまり隙のなく寒さの凍みぬ飛び去りにけり  


農家民宿の「一番星」によった、何かそこに新しく喫茶店のような休憩所ができた
それは二年前からだった、あれは何なのだろうといつもあそこの道を通って見ていた
民宿とはわかっていてもあそこに食事とかできるとは見えなかった
近くでもなかなかわからないことがあり何かそこにあるということを知るまで時間がかかる

私は喫茶店とかが好きだった、それはいつもそこで休み思索する、何か俳句とか短歌とか詩でも創作する、そういう場として喫茶店が好きだった
ただ喫茶店は場所がいいとその価値が倍増する、都会のごみごみした所は嫌なのである
原町では景色のいい場所に喫茶店がないのである
海の見える場所にあってもいいと思うがない、これまで四つはいい場所にあり紹介した
ただ海老の納屋を改造した喫茶店は予約制とかで入りにくい
だからそこは二回くらい試しに行って後は行っていない、ただちょっと隠れた所にありそれがいいのである、それで名前としてはハイドがいいなと思った

ここの喫茶店はながめとしては良くない、火力発電所の煙突が見えたりする
ただ今日はじめて入って中から見たら松がにあう所だった
松が目印となる喫茶店だった、そして古い蔵がありこの二つが農家らしいものを作り出している
蔵には写真家が写真を飾っていてギャラリーのようになっていた
ここは松と蔵が似合う場所である
それでネーミングとして松倉がいいなと思った
それで松倉と検索するとそういう地名がでてくる


栗駒松倉 [宮城県栗原市]

松倉 [秋田県大仙市]

沢松倉 [福島県二本松市]

松倉 [福島県西白河郡矢吹町]

松倉 [福島県双葉郡双葉町]

松倉 [富山県中新川郡立山町]

松倉台 [岐阜県美濃市

川島松倉町 [岐阜県各務原市]  

福島県に三つある、何か松と倉は一つとなり合うのである

ともかく南相馬市の喫茶店めぐりとしてこれまで四つは紹介した
それにもう一つ加わった、ここは六号線に近くより安い
アルパカなども飼っていて子供が喜ぶ

自転車でぶらぶらして立ち寄れる場所というと今の所は日立木のドマーニと海老村のニコニコ堂なのだが気軽に寄れるのは二カ所くらいしかない
一番星のメニューはレストランではないから軽食であり腹一杯にはならない
ソバ餅というのがメニューにあったがめずらしいから今度食べてみよう
あそこは原町に行くときいつも通れる場所である
ただ食堂ではないから腹を満たすとなると物足りなくなる 

今日は午後からは冷たい北風が吹いた、今になり冬らしくなってきた

cafeesoma4.jpg

冬柳ー田母神の社(百歳死んだ母が夢に現れ死者は家に生き続ける)


冬柳ー田母神の社(百歳死んだ母が夢に現れ死者は家に生き続ける)

winteryanagi111.jpg

fuyanagispot1.jpg

tamokaminew1.jpg


otahahakami11.jpg

roubaibird1.jpg

百歳を生きにし母や冬柳

日も暮れぬ水無川に冬柳 

近くあれ古社の一つや冬柳

路地の奥知られざる家冬柳
なお生きる99歳知るや冬柳
70年嫁ぎて長き冬柳
ここに生き長きものかも冬柳 

蝋梅の実をついばむヒヨドリや田舎に養ふ糧のありしも

田母神の社残りて北風の松に吹きにつ鳶の飛ぶかな 

今日誰か善徳橋を渡るかな冬の柳のここに暮れにき

亡き母の姿の見ゆる冬深む60余年を我が家にあれば    


冬柳と枯柳も違う、枯芒と冬芒の相違とにている
水無川の善徳橋のわたる手前にある柳は大きいから見ものである
この冬柳は何か幽霊のように見える
私の母は百歳生きた、その年になると幽鬼のようになって生きているともなる
だからこの冬柳でも幽霊のように見える
それで昨夜母が家にいる夢を見たのだ
やはりいつものように家にいたのである
何か死者というのは本当に不思議である、死んだら本当に何にもなくなるのか?
私の母は私の家に嫁いで70年近くいたのである
その歳月の長さの故になかなか死んでも消えないものとしてある
本当に依然として変わりなくいるような気がするときがある
それで時々夢を見たりする、するとやはりいるのだと思うのである
死者がいる場所は女性の場合は家だと思う
なぜなら嫁は女と家だから密接に結びついているのである

心が通じ合う。魂が結ばれる。
出典万葉集 三二七六
「たまあはば君来(き)ますやと我(わ)が嘆く八尺(やさか)の嘆き」
[訳] 心が通じ合えばあなたはいらっしゃるだろうかと私がつく長いため息を。

その「こい=乞い=恋」が時代を下って、万葉集の時代には、「一緒に生活できない人や亡くなった人に強くひかれて、切なく思うこと、また、そのこころ」を意味するようになりました。

恋は乞うでありもともと死者を思うこと乞うことだったのである
だからそれが切実となる、なぜなら死者とはもう二度と会うことができないからである
万葉集の中に恋の歌が多いのは死者を思うということがあり切実だったとなる
魂合うというのも不思議である
何か魂が合うということそれは確かにあると思う
生者と死者の魂が合う、それは説明できない不思議な現象だとなる
夢を見ることがそれに通じている
昨夜母の夢を見たのは魂合うだったのかもしれない、肉体は消失しても魂はなお生きているとなる

ダイユーエイトの田母神の由来は


「田母神」の名前は福島県に縁のある名前です。福島県郡山市田村町にある山村地帯に田母神地区があり、同地は坂上田村麻呂の母の出身地といわれています。また、福島県内には同じ地名が他にいくつかあります。意味は、「田を守護する神」から来た地名で、田村麻呂の子孫が散らばってその神を祭ったことに由来するといわれています

三春と相馬藩は関係していた姻戚関係にもあった、だからこれは三春から移って来た人が祭ったのかもしれない、田村という姓が鹿島区にありそれは古いものかもしれない。
田母という地名が三春にある

ヒヨドリが庭に来て何を啄んでいるのかと思ったから?梅の実だった
何か実があり冬でも鳥は生きている、主に虫を食べていることは確かである
冬は実がなくなるからだ、でも自然だと烏でも雀でもななんでもその土地のものを食べている、何かしら食べるものがあるから生きている
それも不思議なのである、人間は地元のものだけではない、グロ−バルに世界から食料を入らなければもう生きていけないからだ
だから人間は何か常に自然に反する生き方をしている
科学技術でも原発事故があったりウィルスでも生物兵器がもれたのだとか反自然的なことをして大災害をもたらすのである
それは自然からの一つの警告でありそして実際に自然から罰せられるのである