2020年02月01日

極限の貧乏の衝撃 (バックパッカーが見た世界の現実の紹介)


極限の貧乏の衝撃

(バックパッカーが見た世界の現実の紹介)

貧しい国と物乞いの現実に「貧しさ」と歪みを考えた:二宮祥平放浪時代

poorjapanwar1.JPG

shichirin111.jpg

これは江戸時代の長屋と同じだった
七輪で煮ていた

kodomohospita1.jpg



私は五歳以下の時、何か病気になった
医者に行ったのだが注射が失敗した
その後でも傷が残り腿のところが大きな傷跡として成長した時残ったのである
おそらくその頃の医療技術は低かったかもしれない
でも一応医者がいたということである



貧乏もこの話聞くと悲惨である、もう極限の人間を見て来た
それはなかなかテレビとかでは伝えられないものである
子供を産んだら乞食にするために身体の一部を切り落とすとかある
それはインドにもあるとか聞いた
スラム街を見たらそういうこともありうるのかともなる

そして途上国はそんな食うや食わずでも子供がわんさと生まれているのかということである、そんな極限の状態で子供を産むのかとなる
でも日本の戦後の動画がでていた
それは昭和21年でありその一年後に自分が生まれた
その時政府から500円を配給されたのである
預金は封鎖されておろせなくなった、それでとてもじゃないがもう栄養失調になる
働く力もでないとビデオで写していた

私の母親は前の夫が事故で死んで一生食べていける保険金をもらった
でもこのようにその時預金封鎖になり金を消えた
でも故郷の実家に買った土地だけは財産として残ったのである

とにかく日本は本当の貧乏というものがわからなくなった
今も確かに貧乏化しているからそれを嘆いているしまた日本は貧乏になると騒いでいる
でも日本人は本当の極限の貧乏がどういうものかわからなくなっている

なぜ子供の体の一部を切りおしてまで乞食にするのか?

生活保護がない、国の福祉がない

そのために同情させるためにそこまで親がするとなる、親も子供にそんなことができるのか?
でも極限状態ではそうなる、娘で売ることもあると同じである
日本でも戦前はそうした貧乏があった、ただ戦後10年は江戸時代のようなつづきの生活だった
燃料は炭でありトイレは外のトイレであり風呂にたくものがなくバターとか不用の切れ端を使っていた、水道もなく家には何もない、裸電球一つだった
今の電気製品は何もなかった
そしてその映像で鍋も買えないとしていた、鍋すら買えない貧乏だったのである

不思議なのはなぜそうした貧乏なのに子だくさんで子供があふれていたのか?
それは途上国のスラムのような場所とにている
子供はそんな極貧の中でも生まれて多いのである
それで子供が親を裁判で訴える映画が紹介されていた
親を生んだことが悪いとして子供が訴えたのである
これも極貧になるとそこまでになる

つまり日本では確かに今貧乏化している、でも本当の貧乏がわからなくなったのである
私の父親は病気になり仙台からバナナを買って食べさせた
バナナ自体がなかったからだ、そして最後はサシミを食えるようになったけど
食えたくないと言って死んだ
なぜなら病気で食えなくなったからである
それは戦後10年くらいはそうだった、ただそれから急速に日本は高度成長したのでそういう貧乏が忘れられた
ただそういうとき子供だったが貧乏の苦しさを感じなかった
家にはなにもないとなっていたけど自分は特別愛されたからそこで苦しい思いでは何もないのである

人間は今だけを見ていると今はわからないのである
なんでもあるのが当然だとなってしまうからだ、それで貧乏でもこうした極限の貧乏のことは理解できなくなったのである
別にそうしろというのではなくやはり時代でもまた世界でもいろいろな国があり比較する時みえてくるのもがある

この人の言っていることはやはり生々しい経験をしているからこそそれが訴えるものがある
それもyoutubeとかの発言で今までにないものが発言されるようになったとみる
私はyoutubeのことはまだまだわからない、こした新しいものはメデアでも理解するまで時間がかかるのである
そうすると老人は最新のことが理解できないとなる
私はなんとか50代でバックパッカーになって世界旅行したからなんとか理解するようになった、でも世界旅行でもどこまで深く世界を見るかは違ってくる
私はまたそこまで深く見ていない
だから香港に2年住んでいいたということで中国をリアルに感じたもの発言している
香港は必死であり中国に逮捕されると獄死させられる
中国にその逮捕特権が奪われることで命がけで抵抗しているということもリアルにわかった

やはり何か訴えることはマスコミだと何かもう一つ深いところで訴えるものがない
抑えた表現になるからだ、すると真実が見えないのである
確かにyoutubeは新しい情報世界を作り出した
顔が見えるし何かその人となりがわかる、テキストだとその人となりがわかりにくい
そして部分を文章の一部を引用しているだけだった
プログは何か一部分をきりとったようなる
その人となりがかわりにくいのである
ただ毎日読んでいるようなプログはその人となりがわかるが私の場合はそれは一つしかない、それも貧困をテーマにして
ダークネス(鈴木傾城)というサイトである

とにかく今貧困が話題になるが本当の貧困が日本人はわからなくなったのである
それは高度成長で豊かな時代を経験してそれから経済は停滞してきた
でも本当の貧乏がどういうものかわからない、一応なんとか極貧にならない生活を維持しているからである

それからその人は物乞いする人には乞食には金を与えない

それはなぜか?

必ず他の人も金が欲しいと群がり争いになるからだという

それで気づいた、アフガニスタンで中村哲氏が殺された理由がこの地元の人たちの水をめぐる利権争いが原因だとしているからだ
つまり乞食でも金をほしさのために地元の人たちで争い、そしてその金をくれる本人まで殺したとなるからだ
そこに極限の貧困の中で暮らす深い闇があった
それはなかなか日本ではもう経験できない、ただ人間は本当の現実を真実を知るべきなのだがマスコミから放送されないのである
何でも常に隠される、すると現実が真実でもリアルにわからないのである

posted by 老鶯 at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

イケハヤのyoutubeの田舎暮らしの案内 (田舎の事情の説明と原発事故周辺の田舎)


イケハヤのyoutubeの田舎暮らしの案内

(田舎の事情の説明と原発事故周辺の田舎) 

countrylife1111.jpg


イケハヤのyoutubeで田舎に住んでいる、田舎の移住をすすめている
田舎と言っても意外と場所によって相当に違う
地方都市が奨めるとして一番になっているのはわかる
そこはもう今は東京と変わりないのである
たいだいそろっているからだ、ただ医療関係はまだそろっていないことは確かである
それで知っている人は糖尿病になり白内障の手術とかで入院した
また通ったりする人がいる
やはり高度の医療となると仙台市とか福島市にしかないのである
まず仙台だったら優秀な医者にかかれるからだ

田舎という時なぜこうして彼は住めたのか?
それはyoutubeで一億とか何か飛びぬけて収入があったからである
それには驚く、つまりインタ−ネット関係の仕事が増えたしどこでもIT関係だと場所を選ばないからである、でも相当に金をかけている
土地でも家でも安いにしても何か金かけて城作りのようなことをしている
地方豪族になるというのはその金でインフラを作り自治区を作るとか言っているからだ
限界集落とかなるともう人が住めない、それて耕作放棄地がありそれは無料で使えるともなる
ただ土地を手に入れることがめんどうだとしているのはわかる
でも別にただ同然で農地は借りられるのが原題である
それは全国的に耕作放棄地が膨大になっているからだ

その自治区ということで何かこの辺の原発事故で避難者が故郷から若い人がいなくなったそしてそこには空家だからけであり田畑は荒地となり草ぼうぼうの無人の土地となった
南相馬市だったら小高から浪江とか方面はそうである
特に浪江になるとほとんど一割も帰っている人がいない、街もゴーストタウン化した
小高でも帰っているのは老人がほとんどである
子供をもっている世代は帰らず原町辺りに住んで通うとなる
飯館村でも若い世代は帰らず通っている、立派な校舎を建てても帰らないのである
それは放射線を恐れているからである

そしてこうして人が住まず田畑でも荒地になるとそれで何か農業の会社を作って農業を始めるにはいいとなり実際に若い人が始めてる
でもその若い人は仕事を原町でしている、原町は5万くらいの人口があり都市だからである、工場も会社もある、最近目立つのは最先端のロボット工場が津波の被害にあった萱浜にできた、そこは現代の最先端の技術を開発する場なのである
だから原町区になると仕事はある
フジクラのゴム会社も最近新しい工場に建てなおしたし二年後にアイリスがこのロボット工場と連携した工場を作る

アイリスオーヤマ(仙台市)は需給データを基に自動で生産ラインを組み替えられる工場を福島県に新設する。在庫データから自動で発注量を割り出し、需給に応じて1日単位で様々な商品を柔軟に生産できる。あらゆるモノがネットにつながるIoTやロボットを活用し、生産効率を高めて早期に売上高1兆円の達成を目指す。

福島県南相馬市にある復興工業団地に建設する

他に相馬市でも工場があり松川浦の港があり物流もあるし大規模なガスラインが作られたそれは新地にも雇用を生み出すとなる
それはも大規模なものだからである
だからここは田舎でも都会化したとつくづく思う
海側はソーラーパネル工場になり風力発電場にもなっている
ここは田舎は田舎でも何か本物の田舎という感じでくなくなったのである
第一田舎という時原発ができたとき田舎という感覚は消失していたのかもしれない
自分自身は田舎だと思っていても変わっていた

田舎という時実際はいろいろであり私の住んでいる一万の町でも町の中心部とそれから一キロもみたない500メートルくらい離れても違ってくる
そこは回りが田んぼがありそこの市営住宅に住んでいる人を知っている
その人は絶えずネズミが入ってきて困っている、カヤネズミという小さいネズミである
またそこに社があり部落があって祭り参加させられたり寄付がとられるのである
その女性は最底辺であり金がないのである
田舎では市営住宅に住んでいる人は最底辺なのである

田舎だと人との付き合いとか人がかかわるから嫌だとなるが町の中心部だとそういうことはない、私はほとんど組に入っても付き合いがない、何か会合もない
一人暮らしは組長にならなくてもいい、没交渉でも住めるのである
そもそも田舎でも隣が何している人なのか、どこで働いているのかわかないということがある、それだけ田舎といっても多様化しているからそんなに濃厚な人付き合いがないのである、ただもともと農家の部落だとそういうことがあった

とにかくこの辺では隣の原町とか相馬市になると都会なのである
専門のパン屋もあるし一応何でもそろっているのである
そしてここでも車さえあれば十分くらいで行けるから何か不便にはならない
ただ町の中心部から離れるとどうしても車が必要になる
買物だけで大変になるからだ、スーパーも二軒あるから別に買い物でも困らないのであるあとは時々原町に行けばいいとなるからだ

田舎にもいろいろある、まず限界集落のような所には住めない、田舎に住んでいても住めない、車もないから住めない、つまり一万の町でも町の中心部とそこから500メートル離れた地域では違っているのである
だから住む場所さえ選べば人との付き合いにそんなに縛られないのである
現実に都会から来た人が街のど真ん中に住んでいた
その人は薪を積んで薪ストーブをして住んでいる
だから町の中心部でもそういうことはできるし別に回りがそんなに干渉しないのである
ただ中心部から離れると干渉されることがある
それで知人は親戚が周りにいて誰が家に来たとか監視されているとか嘆いているのである

都会から来た人の発想は面白いと思った、世代的にも相当に差があるから考え方も時代も変わったからである、田舎に対する考え方とか見方とかも変わった
それより田舎自体が人が住まなくなるとか危機的状態になったことも影響している
子供と一緒にすむと大歓迎だというのもそうである、第一子供がいなくなっているからだ
原発事故周辺でも避難地区域になった浪江とか小高とか飯館村とか人がいなくなったからである、ただそこに荒地が広がっているだけだとなる
だかちこそ外から来た人が自由にその荒地を利用できるという未来が生まれたという発想は面白いと思った
この辺でもそういうことで若い人が入ってきたからである、つまり歓迎されるということである

子供の教育が心配しているがこれも変わった、不登校でも政府でその対応をしている
自由に教育をできるように応援しているのである
それがそうした田舎でもそういう自由な教育をしているというから変わった
それはインタ−ネットの普及で変わったということもある
インタ−ネットはyoutubeが生まれてさらに情報化がすすんだ
youtubeで語る時何かテレビとは違っている、そこに実際住んだ本人が感想を語るからである、取材しているのではないそこに住んでいる人が語るからである
その場所と密接にかかわり土着して語っているからである

私は全国を旅しているからそこがどういう場所なのか見当がつく、高知県の大豊町の近くなのかと地図をみると平家落人村として有名な大歩危小歩危があった
あそこに行ったから相当山奥だということがイメージできるのである
そんなところで住めるのはyoutubeで一億とか収入があり会社まで設立しているからできた、それで子供いるから歓迎されたのである
だから田舎で誰でも歓迎するということはない、そこで自力で生活できる人ならいい
また地域にもよる、そこは外人が多いというとき他と違っている
外人を受けいれているのはそれだけ開放的な場所だとなるからだ

ただ今は田舎でも都会化している、本当にインタ−ネットとかでアマゾンを利用してから本でも自由に買える、これは自分にとって大きな変化だった
古本ならいくらでもあり安く買えるしすぐに小さな自分用の図書館でも作れるのである
まず私は本を買うことで苦労したからである、田舎にもともと本がなかったのである
専門書などはないのである、それで「冠婚葬祭」とかのくだらない本が百万部も売れた
それは田舎の本屋にの目立つ所に置けば売れたのである
なぜなら田舎の本屋には本がないから置けば売れたとなるからだ
仙台にすら本は本当になかった、だから本を買う読むとういことでは相当なハンディが田舎ではあった
それはアマゾンを利用するようになって一番感じたことである

これからは仕事さえあれば都会と田舎は変わりがなくなった
アマゾンで何でも買えるというのもそうである、山の中まで配達してくれるからだ
だからインタ−ネットのスキルがありコンテンツが作れるとすると田舎でも生活できるとなる
子供の教育でも困らないとか情報も田舎と都会の差があいとなるとかえって田舎がいいとなる

これが現代の社会である、それをすすめたのがインタ−ネットである
そこにyoutube長者が生まれた
これまでの長者は炭焼き長者とか山持ち長者とか地元の資源とかを活かしたものである
現代の長者はIT長者とかなったのである
でもそのスキルがない人はやはり豊かにはなれない、それは世界でも同じだからである
でもyoutube自体は今や誰でもできる、でもその内容がコンテンツが作れるのかとなる
まずインタ−ネットではせいぜい一パーセントくらいしか自活できないだろう
そして長続きしない、数が増えているから飽きやすいのである
そこで収入と結びつけることは一パーセントくらいだとなる

なぜ田舎がいいとなるかというとこれからの時代は都会中心ではなく、田舎志向が強くなるからだ、都会が若い世代でも嫌だという人が増えて来たし田舎でも仕事があれば住んでいいという人が増えたのである       

ローカル→広域社会→グロ−バル

田舎では感性とかは磨かれる、また瞑想するには田舎がいい、とても都会だと瞑想とかはしにくい、一見何もない方が瞑想に内面化に向いているのである
だから宗教でも哲学でも学問でも芸術でも田舎の方が向いているのである
そしてパソコン一台あれば何でもできるとなる時代である
ただyoutubeで一億とか稼ぐのは至難である
てもそうして稼げるとなるとかえって田舎の方に住んだ方がいいのである

ただ誰でもいいというわけではない、やはり人によりけりだとういことがある 
田舎の事情もそこに住む人も一様ではないからそこに適合できる人とできない人がでてくる、ただどこでも外からの人を求めている
ここでも原発事故以後荒地が増えて求めている
だから若い人が歓迎されやすいのである
でも老人は歓迎されるとは言えない、それはかえって荷物になるからである
若い人はここで何か新しいことをしようともなるが老人にはできない
何か世話してくれ介護してくれとなると負担になるからだ
いくら金をもっていてもそうなる、だからこの辺では介護士がいないから青森に送られているのである

何か30代であれば田舎に自治区を作るという発想は面白い
田舎にかえって都会の人が希望を見出すというのも逆説である
特に原発避難区域ではそういう人が望まれている
ただここの問題は放射能問題なのである、田舎の良さがこれによって害されてしまったことが致命的になったのである
それでも耕作放棄地でも土地を利用する人がいれば歓迎されるからチャンスだともなる
また仕事は別に原町区とかは都会だからあるとなるからだ







posted by 老鶯 at 09:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連