2020年02月18日

野馬追の野馬の起源 (「馬」が動かした日本史ー蒲池明弘を読む)

野馬追の野馬の起源 

(「馬」が動かした日本史ー蒲池明弘を読む)

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平成29年 相馬野馬追ー野馬懸(かけ)ビューローfacebookアルバム

●馬と日本の歴史

この本は馬から日本史を見ることで興味深かった、というのは相馬藩は野馬追いの祭りで有名だからである
その野馬とういうのは何なのかここで説明している
そして日本の歴史をみるとき縄文時代があるとしてその後がどうなっているのかとか
歴史の継続性が明確ではない、縄文時代が一万年つづいたとして日本の歴史はその縄文時代の末裔としてあるとしても明確さに欠ける
連続性がどうなっていんるのか不明である、日本語にしてもそうだろう
それが未だにどこに由来しているのかわからないから様々な説が生まれる
これはイスラエルの言葉と関係しているとかシュメール語だとインドのドラビダ族は共通しているとかポリネシア語だとか説がいろいろあっても解明できない
そもそも縄文語があったとして今の日本語の起源なのかというとそれも不明なのである

はっきりしていることは縄文時代には魏志倭人伝に書かれたように日本には馬とか羊とかいないと書かれている、つまり野生の馬もいなかったのである
馬は外国から入ってきたものであった
魏志倭人伝に鉄の矢じりと骨の矢じりがあったのは日本では鉄が不足しているからだとしている、日本は技術的に大陸からすると遅れていた

馬は牧の中で放し飼いにされ、水飲み場のほかには餌を与えられずほとんど野生の馬だったことから(野馬)と呼ばれてました

千葉県の幕府直轄の牧の痕跡(野馬土手)が数多く発見された
その説明がこの文である 

そして今でも残されている野馬がある、御崎馬とか寒立馬とかが今も生きていてそれは野生の馬なのである、代われた馬ではないのである
馬は軍事目的に使われることが多かった、日本の草原の国であり野生の馬が生きられるとしている
ただ日本は湿地帯であり森の国だから馬が野生で生きられる土地は少ないようにも見えるでも山の台地とかは適していたのかとなる
花巻とかあれば鼻とは突き出した台地でありそういう地形があり馬が生育するのに向いた土地だったとなる、長野県に牧が多かったのはそのためである
モンゴルの様などこまでも平原がつづくとはならない、第一野馬というとき野は斜面のことだからである
日本は植物が豊富な土地であり野生の馬の餌になる草があったという
それで野馬が生きられる条件があった、また火山からできる黒ボク地が草原を作り馬が生きるのにふさわしい場所としている

常陸国風土記に霞ケ浦の行方郡について山には猿、猪がいて野に馬がいること
天武天皇の時、地元の人が野馬を捕獲して朝廷に献上したと記されている
それは行方(なめかた)の馬であると記されている

行方郡とは相馬地域の古代のことである、その行方郡の人たちがこの地域に移住して来たからその名がついたのである、相馬氏がこの地域を支配したから相馬郡となり相馬藩となり相馬市となったのである
もともとは千葉氏が基となっていた、千葉氏から相馬氏が出てこの地を支配した

●野馬追いの野馬の意味

野馬追いの野馬という言葉が何を意味しているのか?
野にいる馬を追うということである、そのこと自体不思議なのは日本の野に原野に野生の馬がいたということである
モンゴルの様な平原ならわかるが日本にも野生の馬がいた、その野生の馬はかえって気が荒く戦(いくさ)で使うのには適していたのである                  

武士用の馬の牧場で野馬飼いのような粗放な飼育が採用されたのだろうか
家康の遺訓にあるように長期間の戦陣の中でも気力、体力の衰えないタフなう馬が求められた

幕府牧場といっても見回りしたり牧野手入れしたりするのは近隣の住民だったから
将軍様の馬ということで過保護に傾き良い餌を与えたり病気になれば自分の家に連れて帰り回復するまでめんどうみることもあったようだ
将軍吉宗はそれを良くないと言っている

元より野馬にひとしくあつかうべし

厳しい自然環境にさらし自然淘汰にゆだね、強い個体を残すこと、野馬飼いの目的の一端がわかる
                    
日本の馬は小型の馬が多かった、モンゴル馬とにていた、モンゴル馬は自分も乗ったが小型であり地に足がつくくらいだった、だからこそ乗れたとなる
自分が馬にのったのははじめてでも乗れたのである
馬が大きいと足がつかないから危険になる
自転車でも足がつかないと緊急の時止められないから危険になる
ただこの小型の馬も江戸時代から何か大型になっているように見える
おそらく江戸時代になると農耕馬などがふえてきたからかもしれない
戦闘に使う馬は小型でも強いとなる、また遠征に耐えられるのは耐久力がある小型馬でありロバともにている
もとせどは小型の馬だったのである

●南相馬市の雲雀が原近くの羽山古墳の馬の絵

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甲冑と兜を身にまとった武人である
鉄を生産する技術があり兜も身につける
野馬追いの武者と変わりないのである

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双葉の清戸迫横穴古墳
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この装飾古墳は今の神旗争奪戦が行われる雲雀が原の近くなのである
もともとは江戸時代は野馬土手で囲まれていた一帯である
ここで江戸時代から野馬追い、野馬を捕える場所としてあった
その広さは桜井古墳まで広がっていたのである
そしてこの古墳とも馬が関係していたと説明されるときぴったりだとなる
野馬牧場があり桜井古墳まで広がっていたからである
関東には大きな古墳が密集していてそれは馬と関係していた

蝦夷とは何ものかという時、馬をあやつり弓矢を射ることにたけていて勇猛だったというときそうである、この馬は縄文時代にはないのである
この馬は渡来人がもたらしたのである、その馬を操作する術とか鐙とかももたらした
鉄の生産とか鉄の武器ももたらした、その渡来人が実は蝦夷だったのである
ツノガノアラシトが伽耶王国の王子でありその伝説が伝わっていてそれに由来する地名もある
そしてそれは相当に古く縄文人とか原住民と連合を組んでいた、それが蝦夷だったから強敵になったのである、馬を操り弓矢の術にすぐれ鉄の武器をもっていたとなれば手ごわいものとなったのである
それができたのは渡来人が早い時期に東北の地域に土着していたからである
そして古墳に鉄製品とか大陸風の鉄の馬具が収められているののもそのためである
馬とともに先進の文化や技術が入ってきていたのである

だから何か横穴古墳とかいうとそんな先進文化と関係ないように見ていた
縄文人が原始的生活していたように見ていた
でもよく見ればそこに馬が描かれて兜をつけて刀をつけた武人が描かれていた
それは騎馬民族の末裔でもあったのだ、縄文人とはまるで違った人たちだったのである
馬を使いこなす騎馬民族の末裔だったとなる
縄文人は馬は使っていない、するとそういう馬を使いこなす人たちが入ってくればそういう人たちはその土地を支配する、第一相馬氏が千葉氏の分流であり馬を使うに巧みな武士団であったからだ
それがた野馬追いの祭りとして相馬藩で受け継がれたのである
だから羽山横穴古墳とか野馬追いが行われる雲雀が原は野馬土手があり広く野馬がいたとなる、その野馬を捕えていたのである、それは小高神社の野馬掛け祭りでその様子が再現されるのである

とにかく歴史を勉強するとき必ず時代の前後とかわからなくなる
横穴古墳の装飾古墳が原始時代の遅れたものとして見ていたりする
でもそれは先進文化を象徴したものだった、なぜなら馬が中心に描かれその馬をあやつる武人の絵だからである、その武人は鉄の兜をつけ刀をさしている
それは戦国時代の武将と同じだったのである
そういう先進的なものとして見ていない、そこにも常に時代の錯覚がある

広き野に野馬を追う
兜をつけ刀をさした
渡来人の武人?
渦巻きの太陽は輝き
その姿は誇らしく
広々として原に野馬を追う
草原を賭ける野馬よ
その躍動する馬に魅了される

横穴古墳はこれは明らかに古墳時代の後期であり新しいのである
では桜井古墳とは何なのか、誰が作ったのか、誰を祭っているのか?
二人の棺があり埋められていたすとるとこの辺に二つの勢力があった
一一人は縄文人以来の原住民の主であり一人は渡来人を治めた人だだったのかとなる

ともかくこの本は興味深い、馬という視点から歴史を見るということでわかりやすいということはある
相馬野馬追いがあるから馬に興味がででくる、今は競馬している人が馬に興味をもつ
馬自体は日常生活では見れなくなったからである
でも馬が絵がれた装飾古墳は生き生きとしている
そこには広い野が広がっていた、ごちゃごちゃした街はなかったのである
原町はそうした広い場所があった、鹿島とかなると寺内小池の高台がそういう場所だっただから古墳の町としてある、でも原町の雲雀が原は古代から戦国時代へ相馬氏の支配する場所として継続していたのである
双葉の清戸迫横穴の装飾古墳もそうである、そこにも広い野が広がり馬を操る野馬を追う武人がいたのである

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茨城県の行方市(なめかた)の古墳にある馬の冠

ここでは確かに野馬がいて放牧されていてそれは野馬であり野生であり
それを捕えて軍馬にしていたのである
馬の配置でも野馬のように自由であり放牧されていたまたは野生の馬の姿を
冠にしたと思える







posted by 天華 at 10:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

ゆうちょ銀行も危険なアメリカのCLOに投資 (ゴールドマンサックスは手数料をとる仲介業者)


ゆうちょ銀行も危険なアメリカのCLOに投資

(ゴールドマンサックスは手数料をとる仲介業者) 

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ゆうちょ銀行破綻の危機が来るか?日本が売られている可能性がある!?

youtubeの説明はわかりやすい、金融の専門家が話している
地方のゆうちょでも地銀とか相当にレベルが低い
そもそも地方では田舎では貯金していれば今までは利子ついていたのだから
預けておくだけで利子がつくから安心だったのである
いろいろ悩むこともなかったのである
だからそういう日本が成長する時代はゆうちょでも銀行でもみんな信頼していたし
そういう職業は地方でぱ公務員と同じでありエリートになっていたのである

自分自身も株のことなど投資のことなど皆目わからないのである
それを知るために経験と時間が必要である
それができないから地銀の営業マンに一切委託したのである
いちいち株でも一人でやるとなるとパソコンで取引していたら後は何もできなくなる
でもいろいろ勉強すると

ゆうちょでも地銀でも投資のことは理解していない素人だった!

日本が成長するときはそもそもゆうちょでももともと国営であり地銀でも投資する地域の会社を育てることをしていなかった、ただ担保だけを見ていたのである
だから担保がない人には貸さなかったのである
つまり楽な仕事だったのである

このyoutubeの説明でわかったことは

ゴールドマンサックスは仲介業者であり手数料をとるだけ!

こういうふうに説明している、これは地銀と同じだと思った
適当に投資信託を選らびそれを顧客に売りつければ手数料が入る
投資信託は銀行が絶対に損しない仕組みである
リスクは負わないのである、地銀自体が証券会社の商品を仲介して売りつけて手数料をもらえばいいとしかないのであ
その手数料が高すぎるのである、だからこそ地銀にとってゆうちょでも都合のいい商売だとなる

ただそれでもゆうちょでも地銀でもプロだと思っていた、ここが根本的に間違っていたのだゆうちょでも地銀でも素人であり自分とかわりなかったのである

それで今度は逆にゴールドマンサックスが売りつける怪しいものにCLOに巨額の金を投資している、それはアメリカの中小企業とかに貸し付ける金である
でもその中小企業が借金になり返せないとリーマンショックのようにバブルになり
リーマンショックの再現になる
それが近いとも言っている

ではなぜアメリカの株が上昇して下がらないのか?

日本の株もまだ下がらないのか?

下がっていいはずだというときそれは日本だったら阿部首相が政府が工作して下げないようにしている、アベノミックスで政権がもっているからである
それはアメリカでも同じだという、政府が介入して破綻を延期しているだけだという

とにかくゴールドマンサックスのような仲介業として手数料をとっているのが地銀だった
営業マンはリーマンショックの時もっていた株を投資信託に回して損しないにしろその株をもっていればかなりのもうけになったのにできなかった
その時自分自身で判断すれば自分の責任であり責任は言わないのである
でも地銀は手数料はもらうが一切責任はとらないのである
分散投資のことをしきり言っていたがそれすら自分のノルマを果たすために守らなかったからだ
結局地銀でもゆうちょでも金があってももう利子をつけて顧客に払うことができなくなったのである

だからこそ何かいかがわしいゴールドマンサックスのもってくる投資信託を買わされている、そしてゴールドサックスマは手数料をとるだけだから地銀と同じである
そして前の小泉首相が郵政民営化をあれほど政策としてかがげていたのは何だったのか?それは民営化してその金をゴールドマンサックスなどを通じてアメリカの中小企業に貸す金だったとなる
民営化すればそれがしやすくなるからだ、政府の責任にならないからである

グロ−バル経済というのは複雑である、その複雑さ故にだまされる
地銀とかゆうちょは地域に根ざすものでありそうしたグロ−バル経済の投資にかかわっていなかったのである、だから素人なのである
それで一番危ないのが農林中金の金がその怪しいCLOに投資して奪われるとういことが言われる
もう地方の人たちが苦労して働いた金がこうして奪われ無に帰するというのも無念だとなる

ただ今問題なのは資本主義がゆきづまっているというとき投資先がなくなったからであるアメリカでも金があっても投資して利益を得られる先がない
金の行き場がなくなっているのだ、金余りでありそれがバブルになる
古銭とかに古いコインに投資するとかもそうである
そんな一つの貨幣に一千万とかなるのも驚きである
それもバブルなのかと思う、金の値段が上がるのもわかる
カネ余りであり投資先がないからである
チューリップバブルも金余りになりバブルになりなったと同じである

いづれにしろグロ−バル経済の仕組みは複雑で素人にはわからない、でもなんか放射線とか核よりは勉強すれば情報が入ればそれなりにわかるのかとなる
youtubeの説明はわかりやすいから壺を理解できる
ただそれも深く知ることは至難である
今はこうして金がある人は金のことを心配する
預金封鎖があるとかなんとかそんな話しかないからである
預金も消えてゆくという不安があるからだ
紙幣とは紙にすぎない、だから古いコインはコインでも紙よりいいのかとなってしまうのである

私の母は前の夫は事故で死んで補償金をもらって一生楽に暮らせると言われていた
でも戦争になり預金封鎖になり本当に紙くずになった
でも実家の近くに買った土地だけは残りそれが金になったのである
だからこういうことがあるから一時は土地バブルになったしまた今は金が上がっているのだ

結局どんなことしたって完全な安全を計ることはできないのだ
突然コロナウィルス騒ぎになったり不測の事態が必ず起きる
それはそれぞれの個々人でも起きる、病気になったり何か不測のことが起きる
それは一生の中で必ず起きる、自分自身も60以降介護とか自分の病気とかで塗炭の苦しみになったからである

そしてまた母のことだが母は冒険などしない大人しい女性だった
家からほとんど出ない人だったのである

ところが

炬燵に入っていたとき突然近くの川が氾濫して床上浸水になった
私の家は街中で一番低い場所にあったからだ
そして母はあわてて米をもちだそうとしていた
その時水が家の中に入ってきて米をもちだそうとしてその炬燵の穴に入って骨折する大けがをしたのである                  

つまり家の中にいても安全はなかった!

こうしてリスクのない人生はない、安全を計っても必ずこうして不測のことが起きて大けがしたりするのである
だから火宅の世だとか言われるのである

ともかくグロ−バル経済にはからくりがある、株価はアメリカでも日本でも操作しているアベノミックスがそうでありアメリカでもゴールドサックスマンと政府が操作しているから株が下がらないがそれも限界が来てまたリーマンショックのようなことが起きるとしている
もう資本主義が投資先もなくなり成長が望めない、それで限界が来たとなる
だからゼロサム社会とか中世にもどるとか言われる

私が追求するのは内面的心であり真善美である、日本だったら国風文化の再興である
これ以上グロ−バル経済の発展はない、かえってマイナスになることが害になることが大きくなったのである
必要なものではない、不用なものも買わされる、不用だけではない害になる食料でもアメリカから買わされることになったり武器を買わされたりと日本は負担が増える
それもアメリカ様に逆らえないとなりそうなる
だから経済に公平などないのである
アメリカとか中国が冷戦状態、貿易戦争になるように覇権争いになり経済も政治に支配される、経済自体にもグロ−バル経済で国際金融資本が支配するとなり日本がの金が奪われる

そういうことにyoutubeを見て気づかされた、ただその奥ふかい所を理解することは至難である
それで陰謀論に必ずなる、結局その闇の正体が解明できないからである
そもそもこの闇の主とはロスチャイルドとかロックフェラーだとユダヤ人とかいろいろ言うけどそれは聖書で言う闇の主、サタンだともなってしまう
結局その主は具体的ものとして見えないからである
ただ中国でも共産主義でも極端な格差がありその格差がどうして生まれるのか?
それが現代経済の最大の問題なのである
それでアメリカで一万人もインフレインザで死んでいる
それは保険に入っていない貧困層が膨大にいて医者にも行けないからだとしている
つまり格差社会は階級社会になる時その上層部にもウィルスの蔓延が及ぶから無関心ではいられないのである、また犯罪を増えるから見過ごしてはいられない
それで南米の大金持ちは誘拐があるから警備員を私兵を雇っている

習近平でも独裁でしめつけ言論を封殺したのはいいがそれがかえって裏目にでた
ウィルスを蔓延させた、最初に警告した医師は言論封殺されて自らもコロナウィルスにかかり死んだ、つまり習近平体制がゆらいでいるのは言論の自由がないからだとなる
そのこと自体が共産党一党独裁が崩れていく原因ともなる
だから民主主義の第一のルールが言論の自由を守ることであり情報公開だとなる
それが原発事故でも証明されたのである
posted by 天華 at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年02月19日

コロナウィルスで起きていること (それは悪いことばかりではない?)


コロナウィルスで起きていること

(それは悪いことばかりではない?)

コロナウィルスというときすべてが悪いとなる、いいことは一つもないとかなる
でもこれが何かわからないにしてもこれも世界に作用する
その結果としては

●グロ−バル経済の縮小

●オリンピックの中止

●中国とアメリカの大国の汚染

このことが起きている、アメリカが関係ないにしてもインフレインザで一万人以上が死んでいる、その中にかなりのコロナウィルス患者がいると調査しはじめた
するとこれは一体なんなのだろうとなる

良く推理小説で犯人が誰かという時、その結果として殺人でも誰が一番得したかということで割り出すことがある、もしそのことからたどると中国とアメリカのどちらがコロナウィルスを生物兵器としてばらまいたと言われる
でもそれでどっちが得するのか?
アメリカが得したとはしているからアメリカなのか?
でもアメリカのインフレインザがコロナウィルスだという時そうも言えなくなる
つまり両方が打撃を受けたとなるからだ

とにかく言えることはグローバル経済社会に対して警告の意味はあった
ヒト、モノが自由に行き来することはいいことのようでその反面マイナス面、危険なこともあるんだよということを警告している
江戸時代なら関所がヒトでもモノでも簡単に通れない、外国貿易はできない
すると鎖国状態でありウィルスでも入ってこない
どうしして江戸時代の末期にコレラが入ってきて被害があり幕末に拡大して明治で70万人も死んだのか?
それはその辺から人の交流がありコレラ菌が入ってきた
特に明治には外国人が入ってきたから大きな被害を出したとなる

とにかく人間社会は必ずいい面と悪い面が生れる、その極端なものが核だった、原子力発電として使えばいいものでありでも核兵器となれば人類滅亡になる
科学とは常に技術でもそういう側面があった
日本でも技(わざ)は災い(わざわい)となるからだ
それが人間の業(カルマ)だとなっていた

私はグロ−バル経済を批判して来た、世界的極端な格差を生んだのもグロ−バル経済であり金融資本とかにとって株式でも何でも操作されるようになる
そしてグロ−バル経済になると他国は利益を上げるものとしてしか見ない
それで食料でも危険なものでも売りつけてもうければいいとしかならなくなる
いらないもの危険なものでも買わされる
アメリカの牛肉を今アメリカでは危険だから食べないというとき日本人は平気で食べているとされる、遺伝子組み換えの食料でもそうである

福島の原発の原子炉でもマーク1というアメリカのお古を買わされたの事故の一つの原因だったとされている
アメリカでは別にその責任はとらない、離れているからいいとなるからだ
人間はそこから離れると無関心になるからだ
そこに住んでいる人は何でも住んでいる場所に無関心でいられないからだ
ただ中国だと一つの世界になっていたから(他山の石)という諺が生まれた

グロ−バル経済とか広域社会でもそれはいい面だけではなかったことは確かである
そのブレーキが今ウィルス騒ぎで起きているのかとなる
これはどうしてもヒト、、モノの交流をとめるからである
インバウンドの観光もとめられる、これだって確かに悪い面が多いとしても京都は元の静かな京都にもどったというときそこに住んでいる人には悪いことだけではない
日用の生活にも交通でも観光客によって乱されてしまたっからである

あまりにも他国に頼る生活をしていると何かあったときモノが入らなくなり生活もできない、中国の食糧でも物資でも入らないともはや生活できないとかなる
もし自国でまかなうようにしていればこういうときはもちこたえられる
それは津波の時、三陸辺りで裏山の清水を飲み、米を山からの木材でたき、みんなで協力しあってしのいだというときがそうである
交通が遮断されたからそうなった、でもそこにはまだ生き延びることができるものがあったから助かったのである
もう外国とかなると日本でもあまりに遠くなっているから何かあったときできなくなる
ガソリンが入らなくなったりしたら車さえ使えなくなるからだ
それで津波原発事故では私は二週間くらい過ぎて隣の市でスーパーをはじめたということで自転車で買い物に行ったのである
また町で貯えていた古米が配給されて助かったとなる

コレラの会津の流行は会津若松中心に被害がっあた、それは新潟方面からと白河街道とかからが会津若松で合流した、そこから田島の方の街道にさかのぼって蔓延したのである
だから人の行き来の多さに比例して明確に被害が大きくなっていた
それで桧枝岐(ひのえまた)は隔絶された秘境だったから被害がなかったのである
それもまた逆説だった、交流がなければウィルスの防御となっていたのである

結局あまりにも行きすぎたグロ−バル経済広域社会になってその欠陥が現れたのかとも思う
とにかくオリンピックなど中止されるのはいい、なぜならこれは国民の税金の無駄使いである、メデア関係が電通などがテレビ放送の利権でしているともされる
今第一オリッピック自体にスポーツに興味をもつ人は少ないからである
金メダルとることでもあまり関心がないのである
前のオリンピックとは全然社会状況が変わってしまったからやるべきではなかったのである

またこのコロナウィルス騒ぎは中国とアメリカへの大国への警告かもしれない
アメリカは中国の一帯一路政策がすすめられなくなるとか喜ぶ
中国の一帯一路は中国の世界支配のためであり日本がもその中に入っているのだ
またアメリカのインフレインザ流行も格差社会が貧乏人が医者にかかれていことから起きているとかアメリカの内政の問題でもあるからだ
つまり中国でもアメリカでもウィルスがその脆弱な所をついてきたのである
もちろん日本の社会にもそうである、何か常に日本でも情報を隠蔽する社会だからであるそれは原発事故で暴露されたのである
だからそれぞれの社会の脆弱なところをついてきたのである

結局グロ−バル経済とか世界政府とかはまやかしである、それは世界保健機構(WHO)でもわかった、中国の金によって中国の息のかかったエチオピア人がとりしきっていたからそうなった、つまり中国人のためのものだったのである
国連自体も世界のためではない、特定の国のためであり金を出す国が支配するとなる
世界政府とは世界が特定の大国なりに支配される体制でありそこに公平なとありえないのである
おそらく人間が意思を疎通される範囲は限られている
それで民主主義でも大きな国になると通用しなくなる
せいぜい一万くらいのギリシャのボリスのようだったら直接選挙で機能するとなる
それが十万だと百万だとかなるともう民主主義もなくなる
だから世界政府とはまるでナチス帝国とか中華帝国とかのことでありそんなものが作れるようがないのである
ただグロ−バル経済になるとそういうことが推進される
だからコロナウィルス騒ぎはそういうことをとめるために起きたのかとまでなる

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コロナウィルスの社会の影響 (過度なグロ−バル化経済から起きた問題)


コロナウィルスの社会の影響

(過度なグロ−バル化経済から起きた問題)


コロナウィルスが社会に提起した問題は何なのか?
ヒト、モノが自由にグローバルに行き来する社会に何の疑問もなくいいものとして拡大し進んできた
それで中国では世界の工場となり豊かにもなった
それでこれはいいものとして中国では世界の中国になるためにアメリカより覇権を奪い一帯一路政策でアフリカをも勢力圏に組み入れる
そこで覇権国のアメリカが待ったをかけたのが米中貿易戦争である

外国文明が文化でも技術でも入る時いろいろ問題になる
奈良時代だと唐との交流で中国文化を受け入れた、漢字を受け入れて日本語化もした
でもそれはあくまでも中国に留学したのはわずかのエリートにすぎなかったのである
一般の人は関係ないことだったのである
それで中国の文化をそのまま全部入れたかとなると違う
宦官制度とか入れないし何か入れたとしても中国そのままのものを入れていない
日本的に咀嚼して入れたのである
だから日本と中国が漢字を使っていてもその漢字の意味が違うのである

107年 帥升が、中国の後漢に、生口(せいこう)を献上します。
生口とは、奴隷の事です。

卑弥呼の邪馬台国時代に何も贈るものがなければ労働するものを送る、今なら外国人労働者であるただこれは職人のことで古代では違った意味をもっていたらしい。
ただ何も贈るものがなければ生口を奴隷を送る、それは奴隷が現実にヨ−ロッパでは常に存在していたからだ、それは近代になり黒人奴隷としてアメリカに連れられたことでもわかる
この生きた口というとき江戸時代に口入屋とありそれは労働者を斡旋する所だった
でも何かこの言葉には差別的な雰囲気を感じる
未だと非正規労働者とか日雇い労働者を雇う場所ともみるからである
ただ生口が技能者というとき技能労働者として日本で働かせられている外国人労働者がいるからその意味は確かではない

歴史をふりかえれば日本と外国との接触は特殊である、海に囲まれているから特殊になった、大陸だと陸つづきだから否応なく嫌だとしても万里の長城を築いても入ってくる
そして遊牧民のモンゴルとかに蹂躙されて支配される
外国人は来るなと言っても無駄なのである、無理やり入ってくる、そして食料でも女性でも奪われるのが大陸である、それが過酷なものとなっていた

日本は海に囲まれていたからそうして外国人が直接入ってくることはなかった
それは一部のエリートであり軍隊のように侵略するように入ってくることはなかった
そして日本では外国文化を全部そのまま入れたのでなく日本に適するもの取捨選択して
入れたのである、宦官制度は入れなかったのである
そのことが日本文化を維持して日本を作ってきたともなる

それが明治維新で崩れた、様々なものが無制限に入ってきたし受け入れたからである
日本の文化があり日本がに適したものとして咀嚼されずにそのつま入ってきたのである
宗教でもそうである、キリスト教があるとしてそれもヨ−ロッパのキリスト教であり日本化していないものが多かった
日本に宣教師でも多く来たことは大学にキリスト教系が多いことでもわかる
そういう宣教師でも日本化した武士道とキリスト教を一致させた内村鑑三とか現れた
また戦後は手島郁郎とかが良くわからないにしろ神道とも一致させたキリスト教を教えたそれは純日本的なキリスト教だったのである
キリスト教でもカトリックが入った国は経済成長もできていない、メキシコだとかブラジルだとか南米とかフィリピンとかそうである、そこに何かしらの問題がありそうなっている

いづれにしろコロナウィルス騒ぎで何が問われているのか?
それは文化でも技術でも何でも外国のものを無制限に入れるとそこに災いが生まれる
ヒト、モノでも何でも無制限に入れることは危険なのである
南米とかはその象徴ではないか、過去の文明が馬百頭とか銃をもった500人くらいの強盗団のようなものに乗っ取られたのである、これも悲惨だった
何らそこに抵抗できなかったのである、日本だけは明治維新で外国の植民地されなかったということは特筆すべきことだったのである
それだけの日本歴史があり文化がありそうならなかった唯一の国だったとなる

インディアンが絶滅寸前に追い込んだのはもウィルスなどであった

白人達が持ち込んだ微生物・細菌・バクテリア・ウイルスなどの病原菌や伝染病の為に、その集落は抹消されてしまったのだった。このように、ヨーロッパ人の征服者達は戦わずして勝利する場合が多々あった。この事で、原住民の人口減少に拍車が掛かった。メゾ・アメリカでは1520年代に25000万人いた原住民が、1620年代には100万人にまで減少した。

 森林に分け入って金鉱を探す者たちとの出会いは戦いに至らずに終わったが、彼らはワイアピの民たちに拳銃よりもはるかに致命的な武器を放っていった。麻疹(はしか)とイだが、こうした病気への自然免疫力を持たない先住民に対して、ウイルスは爆弾のような威力を持っていた。「ワイアピはそういう病気に慣れていなかったから、皆あっという間に死んでいった」「インフルエンザは治った。だから、はしかにかかったときも治ると思った。でも、はしかの方は強力で、死ぬまでに1日とかからなかった」と、ズァクーさんは語った。

白人がもたらした死の伝染病はしか、生き延びたアマゾン先住民の新たな戦い

ここで慣れていなかったというのは免疫がなっかたということである
そして2000人程度いたとされるワイアピの人々は、1973年にはわずか151人となってしまった 、これは最近のことなのである
日本でも幕末から明治になるとコレラが流行した、それで70万死んだのである

外国人と外国と交わることはそれがすべていいものではない、いいものばかり入ってくるとはならない、悪いモノもヒトも入ってくる
日本は海に囲まれていたから大陸のように海に阻まれるから大陸からの侵入に席巻されることがなかったのである
モンゴルが攻めてきたときが最大の危機になっただけだった

でも明治以降は全く違う、あらゆる外国のものが日本の文化などを無視して入りすぎたのである
食文化でも外国のあらゆるものを食べるようになった、これも日本人の体にいいものではなかった、日本は海産物とか米と野菜とか中心の食生活である
それが肉食中心の食生活になった、パンでも何でも食べるようになった
白人は欧米人は肉を食べると消化するため酵素が出る、でも日本人は出ない、すると肉食はあっていないのだ、そういうふうに人体が長年の習慣で作られてきた
そして穀物類を食べるから腸が長くなったのである
つまり体自体がその土地の風土から歴史から作られていたのである
だから外国のものを無制限に入れることは体にも影響するのである
まずなんらかのガンが日本人に多くなったとか他の病気でも食生活の影響がある

外国だとワインとかパン食とかチーズとか牧畜民族の食である
それが日本人にはあっていない、それでワインに詳しくなったがそんなもの無駄だったという金持ちの老人がいたのもわかる
日本人はなんでも取り入れすぎたのである、それで体をに病気を作ったともまでなる
コロナウィルスというのも何かわからないにしてもやはり日本が国外から入ってくる悪いものなのである
そういう悪いものも必ず外国と交流するとき入ってくるのである
だから貿易が悪いものではないというとき江戸時代のように鎖国しても長崎の出島で外国の物を取捨選択して人でも物でも入れるといいとなる
つまり外国貿易自体は否定できない、日本でも否定していなかったのである
ただ日本に合うものを取捨選択して入れていた
それが今は何の制限もない、あらゆるものが入ってくるからだ
それが日本文明でも文化でも破壊してしまうのである
だからコロナウィルスでも伝染病でもグロ−バル化に対する警告だとしてとらえることもできる

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人間を作るのは経験である (本読んでもわからない)


人間を作るのは経験である

(本読んでもわからない)

つくづく人間は経験しないとわからないのだ、それで一番わかるのが外国に住んだ人と住まない人の差が大きいことである
留学した人としない人の差が大きい、この差は埋められない
だから知識人となる人はたいがい外国に住んだ経験がありまたさらに上をゆくと外国で仕事をした人である
そうきう経験した人は深いところで外国を理解している
それは日常的に日本との差を意識するからである
そういう経験の積み重ねで外国を理解して日本を理解するからである
これは旅行したくらいではわからないからだ
だから留学というのは相当に価値があることになる

例えばその他地理でもそうである、これは地図を見てもわからない、実際に旅行して実地にその場に立たない限りわからないのである
特に驚くのは太陽が昇る方向が違ってくる
太平洋側だと海から必ず太陽が昇る、でも山側だと山から太陽が昇り山に沈むのである
この感覚は同じ日本がでもそこに住んでみない限りわからない
それで会津は山があれだけあり高い、同じ福島県でもまるで違った世界となる

人生というのも実際は経験しない限りわからない、本を読んでもわからない
それで就職のとき一番重んじられるのはキャリアである
どういう経験したかでその人が判断される
その時資格でも学歴でも採用されない、どういうキャリアを積んだかで判断される
それはどういう経験をしたかということである 
だから学生でも一流大学でも実際に社会に出ると成功するとは限らない
つまり経験して見ない限り人間の力量はわからていからだ
学問はだめでも力を発揮する人はいるからだ
例えは戦争の時とかなればそこで力を発揮する人がでてくる
そういう特殊な場では本当に命をかけて試されるからである
経験とは何かを試されることなのである

ともかく人間はなんらか必ずどんな人でも経験を積んでいる
奇妙だけどニートでも引きこもりでも経験なのである
それは会社に勤めない、働かない、人と接しない、・・・こういうことは普通の社会人になれば経験できないことなのである
それと逆に一般的には会社に勤めて社会人となり経験を積む、それで社会のことを理解するのである
それを経験しないことは大きな欠落を生むことになる
例えば結婚でも経験でありこれを経験しないものとするものにも大きな差が生まれる

ただ経験と言っても人間の経験することが極限られている
だから何でも相手を知ることがむずかしいのである
仕事だって今は無数にありそれも経験しないとわからないからである
私は車を乗らないから車のことがわからない、となると車社会では脱落者となってしまうのである、一方で自転車のことを車ばかり乗っている人はわからなくなるのだ
そしてなぜ江戸時代のことがわからないのか?
その根本は歩いて生活していたということ街道でも一日40キロ歩いて旅していたということが経験しないからわからないのである
そのことからあらゆることが理解できなくなるのだ

経験が人間を作るというときあらゆることがそうである
なぜなら仕事するにしても何かに熟達するにしても経験だからである
こうしてみたがうまくいかなかった、だからこうしたらいいとか実験して経験してゆくことで身につく、農業だって本当に一から始めたら実験である
こうして失敗したこうしてうまくいったとか肥料を与えるにしても何でもそうである
それで農業は親の跡を継ぐのが有利になる、そこで蓄積したノウハウを教えられるからである、その土地のこともそこに生活して教えられるからである
すでに農家に生まれるということは農業を経験しているとなるからだ

とにかく自分には相当に経験が欠けていた、社会的に知らないことが多すぎた
それは社会経験がなかったことによる、もし会社勤めしていればこうはならなかった
それで親が死んでからいろいろなことを経験した、それも遅きに失した
家をやりくたすることはこれ自体が基本的生活の経験だった
家事でも経験であり一人切り盛りすることが大変である
それで常に家事に追われるようになったのである

そしてお手伝いさんなどを雇うことになったがこれも経験だった
日本人は外国で必ず家政婦を雇うようになる、それが強いられる
でも日本人はそうして家政婦を雇う経験がないからうまくいかないというとき
そういう文化がないからである、だからうまく使えないのである
これだって経験なのである、あらゆることが経験なのである
会社の経営でも人を雇うことでありそれで失敗してもやはり経験を積んだとなる
まず裏切られたとか普通にあり人を雇い人と共同することがいかにむずかしいか知る
それで一人で一反の畑で農業していても共同しないというときもそうである

その人の経験したものが人生になる、もちろん本を読むことも必要である
雑学でも意外と後で役に立つ、知識も蓄えることが必要である
でも基本的には経験しないかぎり知識もみにつかない
外国のことをいくら本を読んでもわからない、それで50以降海外旅行したのか良かった
その経験は貴重だった、その前は全く本を読んでも外国のことがわからなかったからである、中国に三回行ったから中国をある程度理解したのである

宗教とかも本を読んでも座禅を組んでも人に教えられてもわからない、もちろんカルト教団に入ってもわからない、結局経験から知るのである
聖書で一番大事なのことは奇跡であり何か事が成ることである
哲学とか思想でない、事実として起きて成ることである
だから奇跡が現実にあり奇跡なくして信仰もありえないのである
奇跡を信じない限りありえないのである、だから聖書に記された奇跡は全部真実であり作り話ではない、もしそうだったら信仰自体成り立たなくなるからだ
これも結局自らの経験で知るほかないのである
その人に必ず奇跡が起きて理解できるからである
信仰でもだからいくら聖書をくまなく読んでもあらゆる本を読んでもわからない
奇跡の経験がないかぎりわからないのである

そてし人生は経験した方が勝ちだった、自分は何か不器用でうまくいかなかった、失敗が多かった、海外旅行では大失敗したがそれでも思いきって行って良かった
なぜなら60になると介護であり何もできなくなったからである
それがつくづく幸運だったとなる、それはすべて親に恵まれたからである
だからやりたいことをやらせてくれた親に感謝して懸命に介護したのである
つまり今や何も経験することちができなくなったとなるからだ
もう老人になれば経験をできない、経験したことを語ることになる
それで金持ちの老人がワインのことをやたら詳しくなったけど無駄だったという
それも経験である、何々したがこうだったとか語るようになる
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日刊現代


会社に勤めたが退職して何が残ったかわかる
でもその経験が人生だったとなる、だから退職した人は会社勤めしていた時をなつかしくふりかえる、その仲間のことでもふりかえる、なぜなら時間が貴重であり
その時間をともにしたことが実は人生をともにしたともなるからだ
それで会社のことが忘れられない愛着がそこに生まれていたのである
というのは人生というのは一回しかないからである
一回しか経験できないからふりかえると時間を費やしたこと経験したことが貴重なものとなるのである
そしてその時間がかえってこないのである、となると余計に貴重なものとして自覚するようになる

カルト教団に入ったこともそれすら経験だった、あらゆるものが経験でありそれが人生を作る、そして老人になるとその経験を語るようになるのである
若者はまだ経験を積んでいない、これから経験を積んでゆくものである
でもどういう経験をすべきかが問題になる、毎日ギャンブルなどしているだけでは何にも残らない、そこで常に時間は浪費されて後年何も残らないとなるのだ

2020年02月21日

冬日没る(大原の里)


冬日没る(大原の里)

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変わらずに山脈区切り冬日没る

誰が参る大原の社冬の暮 

枝ゆらし東風(こち)吹き山の道を行く


跡を継ぐ人のなきしと嘆き死す大原にきて冬のくれかな

太原に空家の形見と残りしも墓に入りし冬のくれかな

太原に冬の日没りぬここに住み死にし人を我が思ふかな

知りし人ここに集まり冬の庭石のいくつか変わらざるかな


阿武隈山脈があり冬陽が没してゆく、この阿武隈山脈に遮られる、区切られる
この地形は太古から変わらないのである
どうしても福島県の浜通りはこの阿武隈山脈にさえぎられるから福島県との一体感がないのである
この地形とは変えられないからである
いろいろなものが変わる、でも地形は基本的に変わらないのである
だから政治でも現代でも地政学がありそれは変わらないのである
山が平地になったりしないし海も陸地になったりしないからである

国とは区切るからきたとか言われる、岩手県の区堺(くざかい)とかそうである
・・・区とは区切られた一地域である
国もそうである、やはり日本だと山が多いから山で区切られた地域だとなる
盆地も多いからそこが小国とか一つの国になる
この山を平地にしたりできないからである

深野のユッサに休んでそこから大原に行く、そこに病院で知り合った大原の農家の人が住んでいた、その人は死んだ、家は空家となっている
息子は市街に住んでいる、それで後継ぐことで何か頼んでいた
でもそこは空家になったままである
その人の墓は森の中にあった、息子が墓参りには来ているだろう
でも息子夫婦はもう大原には住まない、その後放射能騒ぎあった
それて土地をもっていたからかなり補償金をもらったかもしれない、そこは放射線量高かったから避難区域に指定されたからである

今日は常磐高速の方に行き小山田の道を行くと東風(こち)が吹いて枯枝をゆらした
その時、春を感じる、そして津波に襲われて原発が爆発したのが3月11日なのである
この頃東風が海からこの辺では吹く、これが飯館村とかに放射性物質を運んだのが悲劇を生んだのである
もし一月とかだったらまだ北風西風であり被害が少なかった
なぜなら海側では放射線量が高くなかった、海に風で流されたからである
それで原発の煙突が見える請戸ですら0・5マイクロシーベルトだったのである
だから飯館村は悲劇だった、もう二三か月づれていればあんな被害にならなかったからである

とにかく春になっている、今年は暖冬でありあまり寒いということはなかった
でもここ二三日は寒かった

山側の枯木の枝に風が吹いた
枝は言った
「これは東風(こち)だよ」
「今頃になると吹くからな」
「もう梅も咲いているし春だよ」
「梅のにおってくるな」

こんな感じである、ここから童話になればいいがそれが書けないのが残念となる

コロナウィルスに放射線が有効? (原発事故で散々だった福島が安全ー東京過密都市が被害を拡大?)


コロナウィルスに放射線が有効?

(原発事故で散々だった福島が安全ー東京過密都市が被害を拡大?)


照射による滅菌が発生する可能性がある1つの方法は、電離放射線が使用される場合です。
滅菌の文脈では、電離放射線は、滅菌中にすべての微生物を破壊するために使用される
短波長高強度放射線の一種です。 滅菌に使用される電離放射線の形態は、ガンマ線照射、
電子線照射、およびX線照射として知られています。


これは何かわからないけど放射線が菌を殺す、するとコロナウィルスも殺すとなるのか?それで福島が安全だとして面白がっている
これも何かわからないにしろ放射線というのはレントゲンとかでもわかるように毒にも薬にもなる、この世にあるものは毒にも薬にもなる
水だって津波になる水害になる、光だって強すぎれば紫外線で病気になるとか必ず両面に働く、だから放射線だって両面に働くのが自然界だとなく
放射線も自然界にもあったからだ

とにかく福島は自分の住んでいる場所は津波や原発事故でん散々な目にあったまさに人はばらばらになり住まなくなりまさに散々になったのである
未だに避難区域になった所は帰ったのは老人だけであり回りの田畑は草ぼうぼうである
そして空家だらけである

だから何かこんなふうに故郷が町が村が簡単に捨てられることが信じられなかった
確かに放射線というのは怖いというのはわかるからそれに文句は言えない
でも若い人が親を捨てていち早く故郷を捨てて去ったのである
故郷を捨てるにも何かもっと葛藤があってもいいとも思った
それが補償金をもらうことに奔走してあとは外に出て新しい暮らしをすることが優先されたのである
一瞬にして町時代がもぬけの殻にゴーストタウンになってしまったのである

今回のコロナウィルス騒動は何なのか?
これも不可解なのだけどこれが拡大して起きるとどうなるのか?
これは今の社会に対する警告なのかもしれない

グロ−バル経済、過密都市、地方の無視・・・とか現代がかかえる問題への警告なのかもしれない。
なぜならグロ−バル経済というとき日本の地方は食料を供給するものとしてある
でもグロ−バル経済になると中国でも外国から輸入するから日本の地方の田舎の食料は高くつくからいらないとしていたからだ
でも一旦中国からこうして食料が入らなくなったらどうするるの?
どこに食料を頼るのか?

また過密都市というときコロナウィルスとか過密な都市でたちまち伝染して拡大する
それで武漢と同じように都市を封鎖するほかないという意見もででいる
でも東京のような巨大都市を封鎖できるのか?
それはもう不可能である、ここにもウィルスに弱い大都市の問題が露呈したのである

東京一極集中というのがここでウィルスには弱い、脆弱だったのである
確かに便利であり効率的であってもウィルスにはせ弱いことが露呈した
そしてグロ−バル経済になると食料が世界から確実に入るとはならない
一旦こうなるとヒト、モノの流通が止まってしまうからである
その時どうしてしのげばいいのか?
外国から物でも食料でも入らなくなったらどこから供給すればいいのとなる
地方は地方交付税を東京都民が払っているとか文句をいって過疎地域は消滅させるべきだとか言う人が普通にいた
でも逆にウィルスになると過密都市で蔓延して外国からは食料も物も入らなくなりどうするのかともなる

原発事故のときはもう東北には人か住めないとか騒いでいたし面白がっていた人もいた
それが今度は東京には人が住めないとまでなるのか?
何か必ずそうしてカルマが回ってくる、すべてグロ−バルにつながると他人事でなくなのだ
第一東京に原発を作るべきだったというのは正論だった
でも東京都民は事故になったら被害があると福島に作らせたのである
もちろん地元の事情もあったからすべて東京都民のせいにはできない
でも安全をあれほど安全神話を作るほど言っていたのだから東京に作ってこそそれが主張できたのである

ただこういうことは必ずカルマとなって返ってくる
グロ−バル経済で一時日本は豊かになり外国で女性を安く買うとかしていた
ブランド品買いあさったりもした
しかし今度中国人とかに逆に女性でも体でももてなすとかまた観光でもなんでもお客様となりサーヒスする立場になったのである
これもつくづくカルマだった、必ずこれは別に個々人でもそうだし世界でも同じ事がおきてくるのだ、それは法則のようなものである
他人にしたことが自分にはねかえり他国にしたことは自国にはねかえってくる
韓国でしつこく福島産の商品を放射能汚染されると今でも攻撃している
そして今度はコロナウィルス患者が増えているのもカルマだとなるのか?
そもそも何か行為することはカルマとなって返ってくる
それが人間の法則である、その法則、カルマから逃れられないのである

だから今の所東北地方にコロナウィルス患者がでていない、福島は特に放射能で観光客もすくなかった、中国人も少ない、それでかえって安全だとかなる
これは冗談にしろコロナウィルスには福島は安全ですから来てくださいともなる
また人が住む空家がいくらでもあるからここに住んでください、土地も耕作放棄地として誰も使わないので使ってくださいとかなる

とにかくウィルスで安全なのはかえってヒトと交流しない辺鄙な所だった
桧枝岐は本当に隔絶した場所だった、尾瀬の観光がないとき秘境だった
交通の便もない所だった、それで明治にコレラが流行して70万とか死んだとき
福島県は会津若松中心に被害があった、でも桧枝岐は被害がなかったのである
だからそうしてヒトもモノも交流しない所が伝染病には強い、ちょうど隔離された場所にあると同じだからである
それで中国では奥地の村でも村に入るのを閉ざした
でもそこで自給自足できればいいができなければもたないとなる
だいたい江戸時代から戦後でも自給自足経済だったのである
地元にあるもので暮らしていた、だから伝染病とかなっても村を閉鎖しても生きていけたとはなる
今はまず交通が途絶えると生きていけなくなる
だから伝染病とかには都会だけでなく地方でも弱くなっているのである

コロナウィルス騒動もやはりいろいろな社会の不備が現れた
政府の指導も悪く、早く手を打たなかった、中国人を入国拒否しなかった
それも観光の収入を第一に考えたからである
必ず利益優先になりそれで後で大けがをする、原発でも10数メートルの津波が来るとして科学者が警告していた、その報告書は科学的裏付けがあった
でも東電では津波対策にコストがかかるとして対策をしなかった
常に安全はコストがかかり無駄になると後手後手になるのである
そしてこうした不測のことが起きると騒ぐとなる

それから今もう安倍首相ではだめだ、自衛隊にまかせるべきだ、河野太郎に首相をやらせてし指揮をとらせろというときもそうである
なぜならこうした危機管理ができる実働部隊が自衛隊だからである
結局津波でもその後片付けは自衛隊が一番役にたったからである
その中で三人くらい死んだのである、殉職したのである
つまり阿部首相は指揮がとれない、厚生大臣もできない、それで防衛大臣の河野太郎が
クローズアップされたのである

そんな中、政府内においてネット上における存在感を発揮しているのは河野太郎防衛大臣だろう。彼は約126万フォロワーを数えるTwitterで、毎回厚労省の発表をもとに、2020年1月30日より国内感染者の状況を「新型コロナウイルス感染症対策本部のメンバー」としてツイートしている。

こうした緊急事態には機動性を発揮できるのは自衛隊しかないのである
ぐずぐずしていると被害が拡大するだけだからである
それに備えているのは自衛隊だけである、化学部隊とかもあるからだ
こういうとき指揮系統が一元化することも必須だから河野太郎が指揮すればいいとかネットで騒いでいる、つまり阿部首相には指揮できないから言っている
厚生大臣にもできないから言っている、緊急事態にはこうして誰かが率先して指揮する人がいないと後手後手に回り被害を拡大するだけだとなるのが問題なのである

「ウイルスは保持していても発症していない人が大勢いて、すでに蔓延していると考えてください。今後は大都市を中心にさらなる感染拡大が進むはずです。東京、大阪、福岡など、中国とは比べものにならないほど人口密度が高い地域は危険度が高い。特に満員電車は人と接するタイミングが圧倒的に多く、人混みなどを介して、どんどん感染が拡大します。感染者が増えて、東京などの大都市がパニックになるのは時間の問題です」(前出・上さん)

新型コロナ拡大、東京も武漢のように都市封鎖に至る恐怖-女性セブン-2020年3月5日号

 

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2020年02月22日

海に囲まれた日本の地理が日本を作った (日本とアジアの地政学―太平洋戦争の意味)


海に囲まれた日本の地理が日本を作った

(日本とアジアの地政学―太平洋戦争の意味)

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学問の基本に地理があることは間違えない、天の時、地の利、人の和が基本にある
地の利が地政学から歴史でも政治でもある
なぜ日本が外国を理解するのにうといのか?
それは日本が特殊な地理にあったからである
自国の地理がどういうことをもたらしたかそれが基本にある

日本は海に囲まれた島国であり一つの隔離された宇宙である

これが日本の最大の特徴である、つまり日本は必ず海で世界が尽きる、それで最果ての地点が人気になる、日本では海で囲まれているからその外は意識しにくいのである
その特殊な地理が日本を作った、まるで世界とは大陸とは別個の純粋培養した世界を作ってきたのである

日本は世界のことを理解しにくい、例えば中国だとそこは一つの世界であり当然中華思想も生れる、中国には食べ物でも南から北かららゆるものがあるからだ  
中国にないものはないとなる、だから外国から何か輸入して豊かになるとかの発想がなかった、国内ですべて間に合うからである
そして夜郎自大という諺にも中国がすでに世界であることを示している
夜郎国が漢の国をみくびって戦争に勝つと思い込んでいたのである
その大きさと強さを知らなかったのである、それはアメリカと戦争した日本とも似ていた中国とはそうしてもともと大きいから世界であり中華思想が生れた

そういうことは自然現象にも起きて来る、最近アフリカからバッタが大量に発生して食料となるものを食いつくして中国に移動してきているという、それが脅威となる
それは中国にも過去にありアヒルを大量に放ちバッタを食わせてくいとめたという
アヒルは雑食性だったのである、そのアヒルが中国では食べる、バッタを食べたアヒルはたんぱく質をとるからうまいとしている、アヒルは中国ではどこでもみかける
でも今度は農薬を飛行機とかでまくほかないとしている

つまりこのことを見てもアフリカ大陸からアジアへ大陸はつながっているからこういうことが起きる、それも壮大な移動である、そのことはバッタでも起きているが人間にも起きているのだ、モンゴルのように大陸がつながっているからその大陸を遊牧民が軍隊となり移動する、また中国では流民が問題である、飢饉になると膨大な人間が移動するのだ
それで内乱となる、今中国は食料不足になりそういうことがまた起こりかねないとしている、アメリカから穀物を輸入しているのもそのためである

とにかくここでわかることは

バッタは日本には移動できない→海があるから

まさにこれが日本の地理的特徴なのである、海があってバッタも人も容易に移動できなかったのである、海が障壁となり中国のように万里の長城を作る必要がなかったのである
このことが日本を作ったのである、鎖国など大陸ではできないからである
日本はだからこうした地理によって作られた国である
確かにイギリスなども島国であるがドーバー海峡は30キロくらいで対馬海峡とは違う
泳いで渡る日本人もいたように近いのである
ドイツのケルンの塔からライン川が流れていてそれがオランダからイギリスにも通じていると見た、ヨ−ロッパ大陸とつづいているのかとも見た
そういう距離にあり日本は大陸と隔絶してはいないがその距離は遠いのである

だからイギリスはヨ−ロッパの大陸の歴史とも一帯化している
第一もともとゲルマン人が移住して作った国であることは明確である
ドイツ語が英語の基となっていることがはっきりしているからだ
日本の不思議は日本語がどこから来たものなのか未だに不明なことなのである
それが本当に神秘的なのである、だからもともと日本文明があり日本文化があった
縄文時代が一万年あり日本は中国より前から文明があったという人もでてくる
それは中国とかの大陸とつながっていないからである

日本の太平洋戦争の失敗は日本がどういう位置にあるのか地政学的に見ていなかったからかもしれない、それは中国の大陸の満州にこだわったためである
それは日露戦争の時からそうなっていた、あれだけの犠牲を払って満州を守ったのだから手放せなかった、結果的に満州にこだわりそれがひいてはアメリカとの戦争にもなった
中国もロシアも敵に回すこととなったのである

だから日本は大陸進出するべきではなかった、太平洋戦争というように太平洋の覇権を守るものとしての戦争だったら3百万にも死ぬようなことはなかった
中国の西安のような奥まで日本軍が行っていたことには驚く、あんなに広い中国に入ったらまさにのみこまれてしまうだろう、そんなところまで行って死んだということが信じられないのである

日本は海の国とするとき太平洋連合とか東南アジアくらいまでを連合国とするべきであり中国大陸に深入りしたのが失敗だったのである
それは日本の地理的特性を見ていなかったからである

それで不思議なのは済州島の漢拏山である

「榛名山」と「ハンナ山」

群馬県の榛名山は韓国の漢拏山(ハルラ山・叉ハンナ山)からで渡来人が名称と・・・群馬県立女子大学:熊倉靖氏がほぼ間違いないと言及しています。・・「東国文化シンポジュム」より

金井東裏遺跡(渋川市)出土の甲(よろい)着装人骨や日本のポンペイと言われる渋川市の黒井峯遺跡など、榛名山が大噴火していた6世紀中頃、渡来人が噴火の山をみて、済州島の噴火の山を漢拏山(ハルラ山)に連想して、ハンナ(榛名)山と・・

これは興味深い、なぜなら済州島に私が行って漢拏山(ハルラ山)に上らなかったが
その山は2000メートル級るから高い、そして独立峰である
その山を見たときそれが中国と韓国と日本に通じている、その山がそういう位置にあったことで意識した
地理のつながりとはこうして理屈なしで一体感を感じることなのである
韓国が日本と地理的には一番一体感を感じるのである
日本の延長として韓国があるとなる、ただ韓国は大陸とつながっているから大陸の一部にもなる、でも済州島ともなると何か日本の延長の一部のようにすら思えたのである
この地理的感覚はその場に立たない限りわからない、それは日本でも同じなのである

日本の地理の感覚は島国であり海を通じてつながる、陸を通じてつながるのではない
海を通じてつながる、だからこそニライカナイ信仰が生れた、海の彼方にある理想郷であ海のかなたに母なる国があるとかの信仰である、それも当然なのである
なぜなら日本は海で囲まれているのだから海のかなたをいつも見ているからだ
海によってさえぎられるからである、根の国というときは海の底なのである

ともかく日本は海洋国であり山の国でもあった、本来は海とのつながりが深かった
でも江戸時代の鎖国とかで海とのつながりが希薄化したのである
不思議なのは古代の方が大和朝廷ができる前の方が海とのつながりが深かった
古事記の神話でも海洋民が安曇族とか宗像族がその神話を作ったのである
だから相馬地域になぜこれほど綿津見神社と山津見神社が多いのか
それは海洋民がここに移住して来たからだとなる
その人たちが群馬県にも入りこんで榛名山は韓国の漢拏山(ハルラ山・叉ハンナ山)に由来しているというのもわかるのである
そしてまた日本語がポリネシア系統の言葉に由来するというのもそのためである

アジアの地政学というき中華思想の大陸だけではなく海のアジアがある
その海のアジアの中心が日本なのである、だから太平洋岸から沖縄諸島から中国の海岸線から台湾からと太平洋の島々がつながっている
そういう地政学をもてば一つの連合がありえた
それが満州を基盤に中国大陸に深くは入りこんだことが失敗の元だったのである
人間は地理を離れてありえない、だから政治でも地政学なのである

2020年02月23日

福島の原発事故とコロナウィルスの対処 (社会活動をとめることの方が危険?)


福島の原発事故とコロナウィルスの対処

(社会活動をとめることの方が危険?)


日本人は基本的に欧米人に対して放射能に強い、古来日本人は海藻類を食料にし体内で消化出来る酵素を持っている、海藻は被爆した放射能を体外に排出するヨードを体内で作る元々海藻類を摂取する習慣の無かった欧米人はその酵素を持ってない、

このことは福島の原発事故でも言われた、放射線がどう作用するのか?
それがわかっていなかったのだ、チェルノブエリであったとしてもでは日本人にどう作用するのかは別になる
それで何度も言っているが白人には肉を消化する酵素が出るという
肉食をしていた牧畜民族だから体が習慣で歴史的に作られてきた
日本人が穀物とか魚中心の食生活だから腸が長くなったというのと同じである
人間の体はその土地の風土によって作られてゆく、だから放射線とかでも一様に作用しない
だから科学というときも風土と関係しているから世界共通の真理ともならない
数学だと普遍的になるが地球であれ国であれみんな風土も違えば歴史も違う
そこで同じように適応できないのである

だから最近放射線がウィルスを菌を殺すに有効だというのもそうである
真偽はわからないにしても放射線にも何かそうしたいいものとして働くことがある
そもそも原発自体が日本の風土にあっていないものだった
地震とか津浪とかいろいろ自然災害があるし国土も狭いからである
ロシアとか中国でもアメリカでも広いということで事故があったらその場所を放置して
閉鎖して別な土地に移ればいいとなる

でも日本は福島の原発事故でも町や村が一挙に避難区域にしてゴーストタウンにした
その被害の方が余りにも大きかった

なぜそうなったのか?

それは放射線が実際はどう作用するのか被害になるのかわからなかったからである
人間は科学社会になってもでは科学のことが何でもわかっているのかというとわかっていない、専門家も科学者もわかっていない
だから放射線の影響についてもいろいろ言う、でもその意見も二つに分かれる
安全だ安全でないと学者も科学者も言う、だから素人は判断できなくなる

では日本の原発事故の結果としての被害は何であったのか?

チェエノブエリでも動物は帰って増えて来たとか、今まで住んでいなかったヘラ鹿が帰ってきたとか、福島でも野生の動物は増えているのである
すると放射線は怖いということがわかるにしても社会を地域社会を崩壊させた方が被害が余りにも大きかった
先祖代々住んでいた地域が故郷を失うということの方の被害が大きかったのである
現実は放射線の被害で死んだ人は一人もいないのである
これからガンになるといってもそれはあくまでも予想であり確実なものではない
でもガンが増えたらどうするのかということはある
でもそれより地域社会を崩壊させた方が被害を大きくしたとみる
それは回復しないからである

コロナウィルス騒動でもにたようなことが起きている
コロナウィルスも正体不明なのである、放射線の被害も実際はわかっていなかった
医療関係者が科学者がいろいろ言うけどこれもわからないのである
そのわからないことで都市封鎖とか社会活動を停止するようなことをするとどうなるのかやはり福島原発で起きたように社会そのものが崩壊して維持できなくなる
中国では作付の時期なのに人手が確保できないとかコロナウィルスのために社会活動ができなくなり食料すら得られなくなるかもしれないのだ

いづれにしろこのコロナウィルスの問題は正体不明だということである
だから対処方法もない、そして正体不明だということは恐れも大きくなる
過度になる、放射線被害でもそういうことが起きた
でも現実に放射線で地域住民が死んだということもなかったのである
この兼ね合いがむずかしい、早いうちに手を打てば感染が拡大しなかった
それで中国人の医師がウィルスのことを警告したがそれで罰せられた
その後に自らもコロナウィルスで死んだ悲劇があった
常に情報は隠蔽される、原発でもそうだった、そして「安全神話」が作られて誰も反対することも何もすることができなかった
その情報の隠蔽が致命的な結果になったのは同じだったのである

ともかく正体不明なものにどう対処するのか?

それに過度に反応して社会自体の機能を麻痺させていいのか?

今それが問われている、それは福島の原発事故でも起きたのである
どこまで予防措置をとるのか?学校を休校にするのか、人の行き来を止めるのか
そのタイミングをどうするのか、それは福島の原発事故とにていたのである
会社を休みにしたら休業補償をどうするかというのもそうである
それは福島の原発事故では補償金問題として起きて地域は分断された
それは地域社会を避難区域にして崩壊させたから起きたのである
だからこの兼ね合いをどうするのか判断がむずかしいとなる
過度に警戒して社会活動を麻痺させるとその後遺症が大きなものとなる
物流も途絶えて食料の奪い合いになったりするかもしれない
その方の被害が深刻だともなる、原発事故では30キロ内を避難区域にしてそういうことが起きた、それは地域社会を崩壊させたのである

ただこの選択判断は非常にむずかしい、なぜならどっちにしろその結果によって後で批判されることになる、コロナウィルスの被害が拡大したら批判されるしまた過度に警戒して社会活動をとめてもその後でその方が問題だったと批判されるからだ
たいしたことがないのに過度に警戒して社会活動をとめた結果、その方が被害を大きくしたとかなるからだ、それは指導する人の責任でもあるが民主主義になるとみんなの責任にもなる、どっちにしたらいいのか?
コロナウィルスはそれほどの被害がないから社会活動をあまり制限しない方がいいともなる
何か自分は社会活動をあまりにも過度にとめるとその方が被害が大きくなるともみる
それは原発事故でそうだったからである、ただ相手が正体不明なのだから判断しにくいのである、それを科学者でも医者でもわからないものだからである

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