2020年02月13日

日本の船旅(俳句20句)


日本の船旅(俳句20句)


(九州)

長崎に大船去りぬ春の暮

たたずみぬ出島やあわれ春の雨

開聞岳春夕焼けの染めにけり

(瀬戸内海)

船の行く沖の小島や春の暮

港古る瀬戸内あわれ春の暮

春の瀬戸汽笛ひびきぬ海峡に

明石の戸船の行き来やつつじ咲く

春夕日明石城染め船の行く

また一つ渡れる島や日永かな

大阪へ春の陽昇る四国沖


春富士や魚跳ねたり駿河湾

鎌倉へ伊豆七島や秋の海


船一艘みちのくに見ゆ冬の海   

北の果野辺地に咲きぬエドヒガン

野辺地駅積もれる雪に常夜塔

苫小牧白波よせて夏に来ぬ

函館にロシア人の墓や冬の暮

浪しぶき夏の日めぐる北海道

船に寄る函館の夏外人墓地  


船の旅も日本だったらほとんど乗った、ただ日本海は回りは乗っていない
とにかく最初は電車の旅であり全国の路線をほとんど乗った
船もほとんどのった、電車でも船でも旅情がある
それから自転車の旅になった、乗り物が違うと見える風景も違うのである
自分がしていないのは自動車の旅である、これは運転できないからできない
それでいいなと見ていたのがキャンピングカーなのである
あれは一か所に落ち着いて見るのにいいと思った
カメラをもって写真撮るのにはいい、写真はやはり定点観測が必要になるからだ

冬はこうして回想するのに向いている、ほとんど遠くに出なかった
仙台にも行かない、じっとして家にいるだけである
そして記憶をたどる旅をしている、日本は海に囲まれているから船旅がある
中国だと大河と運河の旅になる

船の旅となると時間がないとできない、東京から沖縄まで一週間かかったことがある
それは客船ではなく貨物だったのである
それだけ暇でない旅はできない、何か旅となると金がないとできないと思っているが
むしろ時間が必要なのである、こんな自由な旅をしていたらもはや社会からはずれた人になってしまうからである

現代では旅というとき旅人はいない、ホテルでグルメだとか何か旅とは違うのである
また交通の便が良すぎて旅が消失したのである
それでも電車の旅と船旅と自転車の旅は旅になる
正直自転車の旅は辛かった、山登りをしたがこれも体力がないのでやめた
山登りより自転車は楽である
というのは北海道を旅した時、二日休んでやっとまた進んで行った
要するに自転車は休めるからいいのである、疲れたら休む、そしてまた進む
それでなんとか行けたのである








安全優先は国がしないとできない (コロナウィルスと原発事故の政府の対応)


安全優先は国がしないとできない

(コロナウィルスと原発事故の政府の対応)

中国でもそうだったけどコロナウィルスで対応が初動で遅れて蔓延した

●情報の隠蔽

●経済優先、コスト優先

医師がこれはウィルスとして政府に警告していたのにかえって無視されて罰せられるとかなる、政府にとって不利な情報は隠蔽される
権力でもって不利な情報は常に隠ぺいされる
原発は特にそうだった、何か内部で不具合があっても隠される
そして政治家であれ官僚であれ検察までも権力と一体になり隠される
マスコミはただ権力に従うものでそこから真実は伝えられない
原発は巨大な利権だった、それは事故前からそうであり事故後も除染で何兆円とかその賠償金でもそうである
そうなるとあらゆるものがその利権にあづかろうとするしかなくなる
それは地元でもそうでありそこで欠けたの安全が無視されるのである

安全というのはコストとして金をかけたくないのである
それで東電の社長でもコストカッターとしてのしあがったとされる
それから科学者が10メートル以上の津波が来るからそれに備えるべきだと報告しても
コストがかかるからしなかった
つまり何でもコスト優先になる、目先の利益がまず優先する
津波が来るとしてもいつ来るかわからないからだ
百年後かもしれない、そしたらその遠い未来に備えるのはコストのと無駄だとなる

とにかくなぜ安全がないがしろにされるのか?
安全に金をかけたくない、それは利益に直接結びつかないからである
でも一旦事故など起きると安全無視するとととりかえしのつかないものになる
それは今回のコロナウィルスでも起きた
安全より経済優先にする、阿部首相もインバウントの経済優先で中国の顔色をかかがい
思い切った手をうたなかった
それで今になり国内で死者が一人でた、これから蔓延してゆくのか?

安全は民間ではコストがかかるからしにくい、それは政府の仕事になる
あらゆる安全は政府の仕事になる、自然災害から守る国土の安全、食料の安全、他国から攻撃される軍備力をもつ安全とか安全は政府がしなければできないことがある
でも政府でも安全には金をかけたくない、何か経済成長するものに金をかけたい
つまり安全は無駄なものに思える、積極的に取り組むものではなく消極的に取り組むべきものになっている
安全を重視すると金にならないからだ、もうからないからだ

でも一旦会社の製品でも事故を起こすと大損害になり会社までつぶれるとなる
国だと国自体が危機にひんする、それがコロナウィルスで中国でも起きて日本でも起きるかもしれない、どうしても安全には積極的になりえないのである
攻めと守りがあり攻めは動物的に果敢に襲い掛かる
でも守りは何か目立たない、何か功績をあげるという感じでなくなる
前面に立って攻めてゆくのは目立つ、でも後方で守っているのは目立たない
攻めは男性であり守りは女性であり攻めは動物であり守りは植物である
二つの作用がありバランスが保たれる

今回のコロナウィルス騒動でも中国は軍事力で突出してアメリカに継ぐものとなった
でも中国社会全体に安全の意識は低い、医療関係ではまだ先進国ではなかった
それで中国社会の不潔な社会がウィルスに弱いことを露呈した
環境汚染とか黄砂とかとにかく中国はそうしてよごれ安い社会だった
だから汚れに対して不感症にもなる
日本は逆に神社でも塵一つでもないように清潔にする民族である
だいたい外国の川は特に中国の大河は泥川である、そこからして汚いことに不感症になる日本はまた異常に清潔を重視するのは川でも水が透き通っていてきれいだからともなる
だかち汚れに敏感なのかとなる、神道とはそうして汚れを拒否して川で禊(みそぎ)したことでもわかる、それが日本の文化なのである

とにかく原発事故でも危険を知っていても内部告発もできない
情報は権力で隠蔽される、それで大事故になってとりかえしのつかないことになった
「安全神話」をあらゆる権力が一体となり作り上げたからである
それは習近平体制ともにていたのである
原発に関しては情報は隠蔽され安全神話で何も言えなくされていたのである
だからそうした政治体制とか言論の封殺とかも原発にあった
科学は中立であり科学者が科学に忠実に発言していればいいができない
それで科学に忠実であった医師がコロナウィルスのことを早くから指摘したが封殺された
そして最初にコロナウィルスのことを伝えたのはアメリカだったのである
日本でも原発事故で放射能がもれたことを事故があったことを最初に伝えたのはアメリカであり日本でなかったのである
スピーディで放射線量を計測できていたが何も日本自身で対策ができない
それでアメリカに先に放射性物質に汚染されたことを伝えて対策を頼んだのである

結局安全ということでは日本は原発でもなんら対策もしていない
なぜなら「安全神話」を強固に作っていたのだからする必要はなかったのである
あたかも宗教のように安全神話に頼っていたのである
そこに御用学者がいて安全を言うから科学的客観的事実は無視されていたのである

そして今回もコロナウィルスは科学の問題としてあるがまたその国の政治社会の問題になっている共通性がある
このことで習近平体制がゆらぎ政権も危ういとなる、それは阿部政権にも波及してくるかもしれない、コロナウィルスについては未知なことが多いから予測できない
でも安全に関して政府はやはり中国と同じように遅れて対策をとらなかった
それで蔓延してゆくのか?
何か軽い咳がつづいたりすると不安になる
外出するのが怖いともなってゆく、でも東北だと大阪とか東京とから離れているから安全なのか?

それにしても今年は不穏な幕開けだった
地震が昨夜もあり今日もわずかにゆれた、昨夜は震度4であり今日は択捉島辺りが震源でありマグニチュード7となると結構大きいからここまでゆれたとなる
こうして依然として震災から9年過ぎるのに何か不穏なのである
いづれにしろ2020年は不穏でありさらに大きな変化が起きるのか、事件が起きるのか
それはみんいな予測したことだから当たっていたとなる



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2020年02月14日

末世に起こる災難 (地震、津波、疫病、国家破産・・・末世現象)


末世に起こる災難

(地震、津波、疫病、国家破産・・・末世現象)

スペイン・インフルエンザが,植民地を含めた日本帝国で関東州を含めれば,推定75万人以上の犠牲者が出したことを指摘した。国内では内地に限っても,関東大震災の5倍近くの人命を奪った。

75万人も死んだ?これはどういうことなのだろう
何か津波と違ってこれだけ被害があってもこのことについて語られなかった
こんなに人が死んだのか、空恐ろしいとなる
                                            

巨大地震の連発を号鐘として、国家破産、異常気象、大飢饉、大疫病(感染症)等の災難が続発し、ついには亡国の大難たる
(国内の分裂抗争)と他国侵逼(たこくしんぴつ)(外敵の侵略)が起こるのである。

大地震に津波は来た、異常気象もある、そして次に来るのは何か?

大疫病→大飢饉→国家破産

今この大疫病の蔓延が開始されたのか?次に来るのが食料がなくなる大飢饉であり
次に来るのが国家の破産、経済破綻である
今そこに向かっているのか?

なぜつくづく東北では大地震が津波が来て原発事故があり台風の洪水被害もありこんなに災いがつづくのはなぜだろうとなる
自分自身も災いつづきだった、回りを見ると病気の人が多い、脳卒中で九死に一生を得た人もいる、ガンになっても仕事をつづけている人もいる
その手を見たら点滴した跡が痛々しいのである、点滴する場がなくなっているらしい
どうしても60代になると必ず病気がなんらか出てくるのである
また老人でも年金もわずかで暮らしが成り立たない人もいる
日本全体が貧困化しているのである、それがやがて国家破産になる
もう医療費が増大して払えきれない、消費税でも医療費でも何かと金をとることしかないそうして恐ろしいのは預金封鎖とかなんとかそんな噂をでてくる
地銀でも銀行が半分以上なくなるとか言われるし福島銀行は外資に併合された

確かに今は末世状況になっている、あらゆるものがうまくいかないのである
悪いことが重なり明るいものが見えて来ないのである
そもそもこんなに災難がふりかかってくること自体が異常なのである
末世には世が乱れる、天変地異が起きる
そういう末世状況が現れている
それだけ何か世が乱れて終始がつかなくなってあらゆる災いが襲ってくる
疫病もその一つなのである、これは75万人も死んだように深刻だったのである
医療が発達しているから現代は防げるのか?
このコロナウィルスの正体も実はわかっていない、未知のウィルスであり人類に襲いかかった未知の禍だとなる
何か手を打つことができない、薬でも直せないとかなる

ただこれは新たな時代を作るための痛みとして現れているのかもしれない
なぜならグロ−バル経済がこの疫病で歯止がかかりアメリカでも日本でも外国に労働賃金が安い所に工場などを移転できなくなる
国内で労働者を雇い国内でまかなうようになる
するとグロ−バル経済ではなくドメステックな国内経済中心の世界に戻る
それが人間として国として正常なことでありこのような極端なグロ−バル経済は天の理に反していたからこんなに災いが続いているともなる  
それはアメリカでもそうでありEUでもそうであり世界的傾向なのである
グロ−バル経済からの撤退現象なのである

地震でも津波でも天変地異でも天からの神からのサインとして起きて来る
地震や津波は原発をとめる、原発をやめさせるものとして働いたからである
それは人間社会に対しての警告だったのである
だから疫病でもそうである、これはわからないにしろ天からのサインでありそれによって社会が変わる、社会が正常に戻すための痛みなのだという見方もできる

それにしても人類には未知な災難がやってくる、それが予測できないのである
2020は変化の時であり災難の年になるとみんな言っていたが本当だった
この疫病でもコロナウィルスでももしオリンピックが中止になればこれも天の声であり
オリンピックなど無駄だからやめろということになる
災い転じて福となすともなる

ただ疫病というのも世界中の人が交わることで広がる、それをもはや止めることができないから起きる、何か西の方で東京とか都会でコロナウィルスが広がっている
東北の方は広がらないのか?東北には中国人でもあまり観光客が来ないということがあるそれで逆に東北は安全だとかなるかもしれない、ただどうしても仙台辺りだと人が交わる遠くからいくらでも人が来るから危険だとなる

何かインパウンドとかは問題があった、日本人は日本がゆっくり観光できない、旅できないとういのは本末転倒でもあった
外国人に中国人頼りになりおもてなしをする、ただこれは日本が高度成長時代に外国でしてきたことである、それがグロ−バル経済である
一旦世界的競争に敗れれば奴隷のようにされる、観光でも外国人にサービスしないと生きていけなくなるのである
それは日本のカルマだったのである、そもそも外国で同じようなことを日本はしてきた
それがカルマとなって今日があるとなるからだ
めぐりめぐって必ずカルマがなんでもある

いづれにしろ現代は2020年は末世である、だから災難が極点に達するかもしれない
もっと大きな災難が来て時代が変わる、ただ時代が変わるためには明治でも戦後の焼野原でもそうだが大きな痛みを強いるのである
それを覚悟せねばならないとなるが何ももう起きてもらいたくないとはなる

とにかく親鸞とか日蓮とか一遍が生まれた時代は末世であり題目を唱えて来世に行くことを願った
それは現実の地上が地獄になっていたからである
もう一心に題目を唱えるしかなぐさめもなかった時代である
それで異常に宗教が普及した時代である、まず医療に期待できるとか何か科学に期待することもできない
するとただ祈ることで来世に行くことだけが希望になった時代だったのである



posted by 天華 at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年02月15日

松川浦の春(磯部から海岸線を行く)


松川浦の春(磯部から海岸線を行く)

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春の鳥駅に鳴くかな電車待つ

太平洋春の潮騒バイク行く

日の光り松川浦や春霞


波よせぬ太平洋やはるかにもつづきて遠く春になるかも

何となく道に立ちにつ春の日や行く人ながめ時は過ぎゆく

津浪より9年過ぎむ松川浦幽鬼のごとく立枯れの樹々


磯部の海岸線を自転車で松川浦まで行った、磯部には何もなくソーラーパネルになった
ただあそこには風力発電の風車はない、だから家があったところには松を植えた
だから松が成長すればいい松原になるかもしれない
その海岸の堤防は自転車で走りやすくなった

それで松川浦まで走る、するとバイクが疾走する
それを見ていると気持ちがいい、今日は本当に春だった
今年は梅も咲いたし春が早い、でも何か気候が変だ
それで急にあたたかくなり頭がのぼせたようになり体がだるくなった
それで一時寝ていた

今日は回復したのででかけた、松川浦は春霞だった
はるか遠くまで仙台の方へ海岸線が見えた
それで遠くに行きたくなった
確かに春望である

春望海岸線
太平洋波響
沖船見鴎飛
疾走単車去

これも漢詩もどきだけどバイクだと詩になる、車はならないのである
バイクは自転車とは違っていても風を受けたり自然の中に入るからである
ただ正直バイクに若者が乗っているけど楽である
自転車はバイクに比べると全然違って苦しいのである
だから自転車旅行して若者がバイクにのっているのを見てつくづく楽だと見た
バイクと車は違っていてもスピードとかでは同じだし早いし楽なのである

磯部から松川浦の海岸線はバイクで疾走するにはいい道である
海が前面に見えて気持ちいい
あのような場所はそんなにないからだ 
まだ津波で枯れた樹々が残っていた、何か幽鬼のように残っている
それだけの被害だった、10年過ぎてもその傷痕は残っている

とにかく本当に今日は春だった、だから春になると遠くに行きたいとなる
でもまた寒さが来るのか?今年はこのまま春になってしまうのか?
今日は本当に春だった、だから道になんとなくぼーとして立っていた
道行く人を見ていると言っても車を見るだけになるが一人はマラソンしていた
ライトを腰にまきつけていたから車を怖がっているからだろう
私も頭にライトをつける、これは目立つからいいのである

駅では春の鳥が鳴いている、駅は何か人間的なのである、自然でも何か駅とか鉄道はとけこむのである、高速道路のSAはにぎわっても鉄道の情緒とかないのである
それは待つとういことがないからである、高速では待つことがないのである
現代は待つ時間がもてない、かえってそのことが人間的なものを奪っているのである

2020年02月16日

モネの詩(松川浦の春の風景)


モネの詩(松川浦の春の風景)
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穏やかなる春の光の水辺にはねぬ
春霞の広らかな浦や鴎の飛び来る
その心は春の野に彩る花々や
やわらかに光は充ちて醜は見ざりき
くめど尽くせぬ美のキャンバスを染める
あたかも神の手のごとく尽きずに
美の神の宿りその一生を終える  

昨日見た松川浦の風景の写真をモネ風にしようとしたができなかった
ソフトがうまく使えなかった、でも何かモネというとき印象画であり印象画風な景色に合っていた、写真を加工することがコンピュターでできる
つまり全く絵の才能がなくてもできる
ただソフトを使いこなすことがめんどうなのである
それでこれまで私は膨大な抽象画をソフトで作ってきた

これも何か第二芸術なのだけど芸術だと思った
なぜなら芸術はartであり技術のことだったからである
つまり技術を駆使すれば芸術を創造できる
それを実感したのがコンピュターのソフトによる抽象画であり加工の芸術である
コンピュターは何か常に人間の頭脳と関係しているから芸術にも影響してくるのである

日本のもてなしの起源 ( 歩いて疲れていた旅人だからもてなしがありえた


 日本のもてなしの起源

( 歩いて疲れていた旅人だからもてなしがありえた

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旅人が病気になった場合、ケアや看護もしたのでホスピスとなったという
何か巡礼とも関係していたから四国の遍路ともにている、そこに信仰で寺をめぐる人たちのもてなしをしたからである

そもそもなぜ病気になって旅ができなちなったらケアして介護したかというとその時病院とかもない、家に帰るのにも遠いとなると病気で動けなくなった場で癒すほかなかったともなる
つまり当時の旅は歩く旅だから簡単に遠距離を移動できないからである
それは日本でも同じだったのである
みんな歩いていたのである

歩いて移動していたから疲れる、病気になる人もいる!

こういう旅だったのである、旅はそれだけ体力を使い疲れるものであり病気にさえなる
だからこそホスピスが必要でありそれがホスピタルになった
病院の起源がこうした旅人を癒すものから始まったというのも興味深い

なぜこのことを私が関心をもったのはとにかく自転車で旅するとなかなか宿を探すのがむずかしい
そもそも自転車旅行する人は何か胡散臭いとか貧乏人とか見られ安いのである
普通の人ではないと見られやすい、また汚れてもいるら歓迎されないのである
だから私は旅館とかでも特にホテルとなると嫌いなのである

今の旅館もホテルも本当に旅する人はもてなしてくれない!

これも何か時代である、なぜならもし江戸時代なら街道を歩いてみんな旅ししている
旅というより移動するのは歩くのだから疲れる、一日40キロくらい歩いたというから
本当に疲れるのである
そしたら宿についたら疲れているのだからもてなしてもらいたい
苦労をねぎらって迎えてもらいたいとなる
それを迎える人もわかっていたから宿場町ではねぎらいがあった
それは人間の情として自然と生まれたおもてなしだったのである
相手が歩いて疲れたということがわかるからである

ところが現代ではみんな車と電車とかなると疲れるないのである
バイクでも疲れない、すると相手をお疲れでしたねとか迎えるということはない
車で来た人をお疲れでしたねとか迎えるということもないのである
運転は確かに神経的に疲れるから疲れることはある
でも40キロも歩いてきた人とは違うのである

草臥れて宿借る頃や藤の花ー芭蕉

まさに疲れて草臥れてやっと宿につくのである
こういうことから江戸時代には人情が篤い時代だった
現代は何でも便利なのでそうした情が失われたのである
駅でもそうである、何か待つ時間が人間的なものを作りだしていると何度も書いた
その待つ時間が現代には消失した、車は待たないのである
高速道路のSAだと何か待つということはない、買い物して用をたしたらすぐに車で去るだけなのである

とにかく今歩いて旅したり自転車で旅する人は世間の常識からはずれた人間になる
学生くらいならいいがそれ以上になると普通ではないとなる
だからこそ宿にとまりにくいからテントになるのである
宿で旅館でも歓迎されないからである
つまり肝心の旅して疲れている人をもてなさなくなったのである
そんな汚れた人や自転車の人はテントで泊まってくださいとなる
例え金があってもそうなる

だからこれほど交通が便利になってどこにでも行けるのに旅人がいないのである
ホテルとかに泊まる人は旅人ではない、グルメとか保養に来た人なのである
一時は高度成長時代は会社の人が慰安旅行に団体で来ていたようにホテルは旅人を泊める所ではないのである

それで奇妙だったのは古民家のある山形県の田麦俣から街道を行ったらホテルがあった
そんなところに泊まろうとしたができないと思った
でもたずねてみたら泊めてくれたのである、団体が来ていても泊めてくれたのである
何かそういう人にふさわしい部屋があり泊めてくれた
そこはホテルなのだからそんなことありえないことだったのである
そこはビジネスホテルとも違うからである
そこに泊めたのは女将がいて許可したのである
どこのホテルなのかわからなくなったがあれば例外的なものだった

人間は時代が変わると当たり前のことが失われていたのである
なぜもてなしが生まれたのか?

それは旅人が疲れるので癒すために生まれた

でも電車であれ車であれ来る人は疲れるとういこともないのである
神経的に運転は確かに疲れるが40キロも歩くとかとは違ったものである
自転車も歩くよりは楽でも疲れるのである
でももてなしてくれる宿は今はないのである
もちろん全部というのではないが確率的にはほとんどないとなる

要するに時代が変わるとこうして当たり前のことが当たり前でなくなる
もてなしとか盛んに言うけど本当に疲れた旅人を癒す宿はない
ヨ−ロッパですら巡礼の人たちをホスピスしていた
そして病人になったらそのまま看護してケアしていた
それがホスピタル〈病院)の起源だったのである
旅人を癒す介護することが病院の起源だったのである
それは交通が不便だからそうせざるをえないとなっていたのである

なにかどこでも人情がないというときそれはみんなあまりにも便利な生活に慣れているからそうなったのである
不便な時はかえって人を思いやるということがあった
私は無人駅で案内のボランティアのまねごとをした
その時、見ているのはスマホである
それでもわからないことがありその時教えることがある
でもスマホだとそういうことがほとんどないのである
そこに会話もないのである
だからこそ無人駅になりどこも無人化してゆくのである
情など必要ない、人はコストだとなりいらないとなる

そこから起きてくることは何なのか?
駅に駅員はいない、スーパーにレジがいない、コンビニもいない、車でも自動運転だとか人がいなくなる、自動化して人がいなくなるのである
機械がロボットが代わりになりAI化でどこにでも人がいなくなる、無人化する
その時人間の役目は何なのだろうとなる

でも考えてみるとスマホだと地図の代わりになり人に聞かなくてもわかるかもしれない
でも観光案内となるとその土地に住む人に案内されないとわからない
その案内を私はできる、それは機械にはできない、インタ−ネットに情報が出ていても
その場所で説明されるのとは違うからである

ともかく東北を最後に自転車で旅しようかと計画している
今度買った電動自転車は楽に走れるからである
でも荷物がのせらられないので困っている、新しいヤマハのがまた出たがJPYーTCはエンジンが同じものでありいいものである、それは荷物がのせられるのである
ただやはり30万以上で高いので問題である
だから今のマウテンバイクで行くかと準備している

正直もう10年は長い旅をしていない、ほとんど旅していなかった
だからまた自転車で旅するとなるときつい、でももう自分には時間がない
最後のチャンスなのでなんとか行きたいと準備している
テントももっていけないと泊まるのに苦労するが充電しなければならないのでどうしても泊まることになるから結構楽ではない旅になる
何かどうして自分の場合不器用で失敗が多いから困るのである  

今日も雨の中用があって相馬市に自転車で行ったら眼鏡の片方のレンズを雨滴を拭いたりして落とした、これも大失敗だった、なぜなら眼鏡は5万くらいしたからである
何かレンズがきつく入らずに落としやすいものだったのである
それが自転車の振動で落ちたのである
何か自転車というのはトラブルがある、この前は暗闇でライトがなくて転び危険だった
何か命にかかわる危険もある
また車に追い越される時なども危険である、後ろから急に車が来るからである
だから自転車では実際三回くらい死に目にあっている

何か80歳の人が日本一周してトンネルで死んだことがあった
トンネル一番危険なのである、自分もトンネルで死ぬ思いしたからである
東北は自分のアイディンティティの場だからどうしても最後に旅したいとはなる
どうしても体力的にももうできないと感じるからである

2020年02月17日

貧困が見えない社会(車上生活者が増えている)


貧困が見えない社会(車上生活者が増えている) 

「家族3人で車で生活していた58歳の女が、死体遺棄の疑いで逮捕されました。」
「母親の遺体を車に放置したとして逮捕された58歳の女性。
家族と一緒に1年にわたって車で生活していました。」


現代社会の特徴は貧困でも見えない、昔だったら乞食がいたとしてその人はあからさまに貧乏であり助けがないと生きられないことを社会に訴えしいたのだ
なぜなら家もないし日々食べるものがないから乞食であり食を乞うものだったからであるそもそも乞食というとき食を乞う人だった
それで細菌アメリカでもフードバンクなどができて無料で食料を配ったりしている
ともかく団塊の世代では乞食がいたことを知っている
それも戦後10年以内に全く消えたのである

そうすると今はそうししてあからさまに乞食のように貧困になっている人が見えないのである
その人たちはどうなったかというと生活保護になる
生活保護だ頼みの綱となる、それで常に役所の福祉係と交渉することになる
生活保護でも医療費が無料くらいの人がいるし最低の生活すら維持できない人がいる
ここで紹介された人たちもそうである
つまり最後は電気水道代などが払えない、家賃が払えないとなり車で生活することになる基本的に最低の生活すらままならないからである

例えば貧乏な時代というものが現代ではわからなくなった
私は団塊の世代は戦後十年くらい経験しているのだ
水は近くの井戸水を無料でもらいトイレは外のトイレでその糞尿を農家の人が肥料としてもらっていった、燃料がないので風呂は材木屋のバターをいらなくなったものを利用していた、おそらく無料だったのだろう
それで私の仕事はそれで風呂をたくことであり新聞紙はトイレの紙に利用して風呂焚きにも利用した、その時米を炊くのに竈も使っていた
つまりこれは江戸時代なのである
そして私の家では戦前に家の部屋を長屋のようにして貸していたのである
それで姉は毎日その部屋代の金を集めていたという、なぜ毎日だったのか
一か月まとめて払う金がない、その頃は江戸時代のようなその日暮らしが多かったのである、宵越しの金はもたねえとか江戸っ子が言っているがそれはその日暮らしだったからである、燃料は炭であり江戸時代のつづきだったのである

そういう生活でも一応部屋だ借りられて水とかも無料であり金がほとんどかからないから生活できたとなる
現代の貧乏は家賃がかさみ、電気水道代ガス代とか燃料費がかかりそれで必ず不足して
生活できなくなる、その人は毎月そうなのである
だから車内で生活するようになるというのも現代的である
車というのは一つの家なのである、雨露でもしのぐことができるからだ
それでキャンピングカーがあったらあれなら家が移動していると同じでありうらやましいと見ている

現代の貧困者は露わに見えない、昔だったら醤油でも米でも味噌でも隣から貸してくれとかくれろとかあって分け合っていたときもあった
それは恥ずかしいことではない、みんな貧乏だからそうなったのである
そういう生活をみんなしているから助け合ったとういことがある
昨日書いたなぜ日本のもてなしがあり外国でも旅行者に対してホスピスがあったのかを欠いた、昔の旅人は歩いていたから疲れる、すると病気になる人だっている
それでケアしたり看護したりする、そこからホスピタルになった
そのことが余りにも便利になり車で移動する時代になるとわからなくなった
だから私が自転車で旅すると旅館でも泊まりにくい、歓迎されない、ホテルは余計に泊まりにくい、ふらふらになるほど疲れていてももてなしもないのである
「疲れたでしょう」とかの一言もない、何でいい年して自転車で旅しているのだ
胡散臭い奴だとしかならないのである
でも江戸時代なら一日40キロも歩いてやっと宿につく、すると迎える人もそのことを知っているからもてなす、癒しがありうる
こういうことでもつくづくその時代の社会がわからないと実感できないのである

まず自転車で旅する時良くテントを張ってねる、でも車でも人が泊まっていた
それがわからなかったのである、つまり自転車の人は自転車を利用する人と話する
でも車の人とは話もしないのである、車の人とは交流しないのである
昔だったら必ずみんな歩いているのだから旅は道連れとなりそこに人情が生まれていたのである
だからクルマで生活すると言いうのは現代ではそうなっても当然だとなる
車だと家賃も払わなくてもいいとか水道代とか電気代とかも払わなくてもいいとかなる
でも車自体に移動すればかかるのはガソリン代とかあり普通に車を使用すると一年に30万から50万かかるとかその額が大きいのである
ただ寝泊まりだけならそれほどかからないとなる

現代は本当に貧困化していて格差社会になっている、普通の生活すらできない人たちが増えている、ただそれが昔の乞食のようにあからさまに見えないのである
でもそういう人たちが車で生活していると知れば納得する
車は本当に家なのである、ただ住所がないとかなればいろいろと生活しずらくなる
貧困化すると家賃も払えなくなる、それが現代の貧困である
現代では醤油でも塩でも米でも分け合って生活するということがない、人情がなくなった社会である、あとは生活保護を受ければいいとかなり貧困者には無関心なのである
そうして格差社会になっている

今までは自己責任とかあったがそれが数が多くなると中産階級が没落してゆくとそういうことも言っていられない、アメリカでトランプ大統領が出てきたのは極端な格差社会になりアメリカの中産階級が没落してラストベルトとかが生まれたからである
日本も同じでありこれまでの中産階級が没落してゆく
そういう現象がすでに非正規とか就職氷河期とか20、30年前からバブルが崩壊してから徐々に進行していたのである
それが今から顕著なものとして現れてきたのである

私は恵まれたとしても何の贅沢な生活もしていない、旅したとしても最低であり食べるものも最低である、自転車だったら泊まるのも無料だとなるからだ
だからもともと私は旅館とかホテルとかは好きではない、そういう場所は現代では旅人をねぎらうところではない、金持ち用の保養の場所である
だから金持ちしか歓迎されないのである
格差社会になるとニセコとかは金持ち用のリゾートになり土地が高くなる
そこは階級社会を現実的に見る場所である、地元の人たちとは関係ない人たちである
でも貧困化するとそういう人たちをもてなす優遇する他ないとなる
それがグロ−バル経済でもある

でもそういうことは日本の文化を破壊するのである、日本は江戸時代でも特別の金持ちがいない、侍でも同じである、みんな貧乏だったからである
旅人でも殿様意外はみんな同じ部屋であり特別の部屋はない、金のあるなしで差別などしないのである
階級社会になると3万とか4万でも泊まる人は優遇される、すべて金で差がつけられる
それが日本の文化を壊してゆく、もてなしもそういう金持ちだけにされる
苦労して旅してきた人など目もくれない、なんで自転車などで旅ししているのだ
こいつは浮浪者かもしれないとか相手にされないのである
だからすでに車をもたないだけで階級差が生まれる
車すらもていないのは下級国民下層階級なのである
ところが不思議なのは車をもっていても最下層に落ちて車が家となって生活するほかなくなっている人たちが生まれてきたということである
これもつくづく現代的だと見たのである
ただこの放送は見逃していた、再放送で見たいとなる

posted by 天華 at 08:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

時間の間隔の誤差が大きかった (眼鏡を買ったのが4年前だったが一年前と思っていた)


時間の間隔の誤差が大きかった

(眼鏡を買ったのが4年前だったが一年前と思っていた)

今日パリミキで眼鏡を買った
片方のレンズが落ちたからである
片方がなくてもそれなりに見えたのも不思議である

ただこのメガネは一回も踏んでいない、前のメガネは十回くらい踏んでは直してもらい使っていた、だから10年くらい使ったように思っていた
そして新しい眼鏡にしたのが一年前とかと思っていた
でも4年以上過ぎていたのが信じられない
でもパリミキでしかメガネは買っていないはずである
だから間違えないと思う

人間の時間の間隔は何かずれてくる
いつ何あったのかからなくなる
それで歴史でも前後を間違えたりするのである
江戸時代の墓の年号などを見ても間違うのである
時代を前後することが良くあるのだ

本当に今回は一年前くらいだとてっきり思っていた、でも4年前に買った眼鏡だった
なぜそう思ったかと言うと一回も踏んで直してもらっていないからだ
だから一年くらいだとてっきり思っていたいたのである
今でも何かそれが信じられないのである

例えば家族の死んだ年は間違うことはない、いつ死んだか覚えている
一二年のずれはあるかもしれないがたいがい正確に死んだ年とか覚えている
両親がいて父と母がいてどっちが先に死んだかを覚えている
その前後を間違うことはないのである

このメガネで私が覚えていたのは前のメガネは何度も踏んで曲がり十回くらい直してもらい使っていたと記憶する、そのことは良く覚えていたのである
それで見えずらくなったこともあり新しいのを買ったのである
だからそれは相当に長く使っていたと記憶する、でも5年くらいだとすると短かったのかとなる

ここで感じたことは人間の記憶は何でもって記憶するのかというとこの場合はメガネを何度も踏んで曲げて直してもらったという経験を記憶していた
その記憶が脳に刻まれていたがいつの年かという正確な時は明確でなくなっていたのである
だから人間の記憶とはそうして印象になる出来事は記憶している
でも年代とかは忘れているのである
それが十年前でも二十年前でも印象的な何か大きなことがあると記憶に残る
それは20代の時に起こる、20代は何か様々な出来事が起きて印象に残り安いのである
その後は何か体験でも残りにくい、記憶しにくくなる
でも何か大きなこと事件でも体験でもあれば心に記憶される

人間の記憶は年代では記憶されない、その正確な年号とか西暦とかでは記憶されない
何か事が起きてその人にとって忘れられない体験が記憶として残る
あの時は何々があったというときその何々が記憶に残るのでありその時の年代ではないのである
老人になるとそうした自分が経験したことを語る、でもそれが明確な西暦とか元号とか年号とかでは記憶されないのである
それが歴史でもそうである、何か大きな事件があったとき歴史的事件となり記録されるし歴史の別れ道とかとしてみんなが認識するのである
元禄時代となると元禄という年号とかではなく赤穂浪士の討ち入りがあった時代として年号も記録される、また頭の中に記憶される

だから明治は江戸時代が終わり新しく始まった時代であり昭和は太平洋戦争があった時代でありまたアメリカに負けて戦後が始まったとか記憶する
それから高度成長時代がありバブルの崩壊があったとか記憶されるのである
人間の一生も年代という数字ではなくその時々起こった出来事で記憶される
親が死んだとか結婚したとか子供が生まれたとか何か一番印象的な出来事を記憶するのである
結局その記憶が人生だったと最後にはなる

バリミキの支店長なのか?男一人と女性一人いたが若い男性は福島市から通っているというのも驚きである、車でほぼ一時間半くらいかかるのか?一時間なのか
でも遠い、そんなところから通っているというのも現代である
その人は説明がうまかった、前の人は何かあった時必ず点検に来てくださいと言っていたそれも3カ月ごとにくらい来てくださいと言っていた
レンズが前にも落ちていたのだから来るべきだった
でも一年くらいしか過ぎていないから新しいとてっきり思っていたのである
それが大失敗だったとなる
時間が過ぎるのがとにかく早いということである
老人になるとそのことが痛切にわかる、それでがっくりとくる

結局5万近くでレンズが簡単にとれないものを頼んだ、これも思わぬ出費だった
こういうことは必ずある、ただ説明する人が良かった
こうして営業とか説明する人が大事になる
ただメガネとかなるとごまかすことはできない、フレームとかわからないところがあるがレンズなどはごまかすことができない、必ずクレームがくるし事前に試しているから間違うことはないのである
銀行の投資信託など説明されてもわからないからだまされやすいのである

とにかくこれも一騒動だった、でも私の視力は落ちていないから変えなくてすんだ
毎日パソコンを見続けているが視力は落ちず度を変えることをしなくても良かったのである、これも不思議だとなる
ただ自分自身が健康ということではない、何か鼻が悪いから寝ている時呼吸ができず口でしているから口の中が乾くのである、これもまずいと思った
ただ三日つづけて遠くまで自転車で遠くに行っても疲れなかったから何かまた体力がついたのかとも思う、一応十分に寝ているということか良いということがある
夜二時間くらいしか寝れずに昼間寝ているとか言う人は体力的に落ちて来る
また老眼で書類など読めなくなっている70近い女性もいる
だからなんらか60代以降は病気になり弱ってくるのであ

社会の脆弱性を攻撃するウィルス (アメリカは貧乏人が医者にかかれず、中国は言論の自由がない)


社会の脆弱性を攻撃するウィルス

(アメリカは貧乏人が医者にかかれず、中国は言論の自由がない)

向こうの貧困層は、その日暮らしが多いだろし
仕事休めば即クビだろう、そうなると病院いかず無理して、本人重症周りにウイルス撒き散らし
日本もこのまま貧困層が増え、格差拡がれば今以上に毎年インフルエンザ大流行で数万死ぬ社会の出来上がり

今回のコロナウィルスの正体はわからない、謎である
なぜアメリカにこんなにインフレインザで死んでいるのか?
こっちの方が怖いとなる
一万人も死んでいることの方が怖いとなる

その原因がアメリカでは簡単に病院に医者にかかれない、日本のような皆保険がない
医療費が馬鹿高いからである、それで医者にも行けず病院にも行けず死ぬ人も多い
これはアメリカは極端な格差社会であり金持ちは桁外れの金持ちである
数パーセントの人が富を独占している
そしてホームレスも多い、格差が極端なのである
結果的に医療がゆきとどかずインフレインザでこんなに死んでいるのかとなる
それはウィルスに対して社会の脆弱性がありそこをついてきたのかとなる
日本は貧乏人でも医者にはかかれる、病院に行けるからである

一方中国はどうかというと最初にウィルス説を唱えた人が警告した医者が習近平独裁体制のもとで言論の自由がなく自らもコロナウィルスにかかり死んだ
それは悲劇だった、ウィルスの攻撃で社会の問題が浮き彫りにされたのである
それは原発事故でもそうである、「安全神話」を作った議員や官僚や御用学者やマスコミがありそれは巨大な利権のために「安全神話」を作っていたのである
その安全神話が津波で崩壊したのである
日本にも言論の自由はなかったのである、安全だとしかなかったからだ
内部告発者もいなかった、実際は原発の管理はずさんなものだったのである
そこで働く電気工事関係者はそのことを言っていた
でもそれを言うと仕事がもらえないから東電の命令は絶対だからということができなかった、完全に「安全神話」によって言論は封殺されていたのである

だから社会の脆弱性というのが何か危機に現れる、それはそういう事故とか事件とかウィルスとかの危機に現れる
日本がで阿部首相が適切な処置をしなかったから中国人に忖度して観光で金を落してもらうために早急に入国拒否しなかったことが問われている
つまり常に利益が第一であり安全は考慮されないのは原発と同じだったのである

社会の脆弱性というとき格差社会になると社会全体からみると社会的紐帯がない意外ともろい社会であるとなる、そういうことが危機に現れる
アメリカでは極端な格差社会というとき、大金持ちは貧困層に無関心になる
でもその貧困層がいるということでその人たちがウィルスに感染しやすい
なぜなら医者や病院にもかかれないからである
するとそこからウィルスが蔓延してインフレインザが拡大して富裕層にも及んでくる
それは防ぎようがなくなるのだ

中国の様な共産党一党独裁は支配者層にとっていいが支配される下級国民にとっては
いいものではない、でも支配階級にとっても独裁政権が今回のように言論を弾圧する
するとそれが支配者層にはねかえってくる
医師がコロナウィルスを指摘したのに抹殺されてその時ウィルスが蔓延していたからである
中国では自治体の独立性がないから上意下達だから自分たちの生活する場所で知ったことを共産党幹部に伝えることができなかったのである


アメリカが中国を批判するけどアメリカでも社会の脆弱性が攻撃される
そして日本でも日本でのコロナウィルスの蔓延がとめられるかどうか問われる
日本の社会の脆弱性がここでも問題にされるかもしれない
ただウィルスは現代のようにグロ−バル化して人がこれだけ世界中を行き来していることで拡散することをさけられないのである
南相馬市の原町区のパリミキの人が福島市から通っているというのもそうである
相当に距離がある、でもそういうこともまた多いのが現代社会である
だから福島市で感染していたらすぐに南相馬市でも感染者が出るとなるのだ
もうその径路は追ってもわからなくなる、現実にそうなっている
それだけ広範囲に世界でも交わっているからである
それがグロ−バル経済の脆弱性として欠点としても現れたのである

例えば江戸時代なら関所が随所にありそこを封鎖すれば入れなくなる
食料とかどうするのかとなればもともと地元で自給自足なのだから貧困でも生活できる
貧しくてもできる、でも今はできない、世界でも結びついて生活が成り立っているからである
だから津波とか原発事故でも交通が遮断されると食料も何も入らずにお手上げになる
放射能が怖いから運送する人も入らない、津浪で道路は寸断されて運べないとなった
その時裏山の清水を飲みまたそれで貯えていた米をたきしのいだ人たちがいた
燃料は裏山の木とかなった、それは江戸時代の自給自足の状態に戻って助かったとなる
そこにセーフティネットがあったとなる
それが都会などでぱできないからもう生き延びることすらできなくなる

いづれにしろウィルスでもそうだが常にグロ−バル化しているからグロ−バルな問題として浮上する
アメリカのインフレインザだって日本に伝染するかもしれない、するとそっちの方が怖いとなる、何かこれはコロナウィルスではないかとアメリカで調べ始めたからである
アメリカも中国だけを悪者として批判できる国ではないのだ
そして日本のコロナウィルスの対応が悪いとういが自国でもどうなのかとなる
そんな極端な格差社会を作り貧困層が医者にも病院にもかかれないからそんなに多い死者をだしているとなるからだ

原発事故でもそうだったが何かこうして問題が起きると社会自体が問題になる
社会全体が問題になる、その国々の社会が問われる
中国とアメリカは巨大だからその影響が世界に及ぶことが多い
でもその社会の脆弱性がどっちにもありそれがウィルスの攻撃で攻められてもいるのだ
ということはこうしたウィルスも天変地異であり津波と同じように神の意志が働いてなっているのかともなる
これを契機に新たな社会形成を強いられるからである、つまり易姓革命となるからだ
だからこのようなウィルスでも神が働いているのかともなる
これはグロ−バルな問題でありグロ−バルな解決策が必要になっているからだ
posted by 天華 at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層