イケハヤのyoutubeの田舎暮らしの案内
(田舎の事情の説明と原発事故周辺の田舎)
イケハヤのyoutubeで田舎に住んでいる、田舎の移住をすすめている
田舎と言っても意外と場所によって相当に違う
地方都市が奨めるとして一番になっているのはわかる
そこはもう今は東京と変わりないのである
たいだいそろっているからだ、ただ医療関係はまだそろっていないことは確かである
それで知っている人は糖尿病になり白内障の手術とかで入院した
また通ったりする人がいる
やはり高度の医療となると仙台市とか福島市にしかないのである
まず仙台だったら優秀な医者にかかれるからだ
田舎という時なぜこうして彼は住めたのか?
それはyoutubeで一億とか何か飛びぬけて収入があったからである
それには驚く、つまりインタ−ネット関係の仕事が増えたしどこでもIT関係だと場所を選ばないからである、でも相当に金をかけている
土地でも家でも安いにしても何か金かけて城作りのようなことをしている
地方豪族になるというのはその金でインフラを作り自治区を作るとか言っているからだ
限界集落とかなるともう人が住めない、それて耕作放棄地がありそれは無料で使えるともなる
ただ土地を手に入れることがめんどうだとしているのはわかる
でも別にただ同然で農地は借りられるのが原題である
それは全国的に耕作放棄地が膨大になっているからだ
その自治区ということで何かこの辺の原発事故で避難者が故郷から若い人がいなくなったそしてそこには空家だからけであり田畑は荒地となり草ぼうぼうの無人の土地となった
南相馬市だったら小高から浪江とか方面はそうである
特に浪江になるとほとんど一割も帰っている人がいない、街もゴーストタウン化した
小高でも帰っているのは老人がほとんどである
子供をもっている世代は帰らず原町辺りに住んで通うとなる
飯館村でも若い世代は帰らず通っている、立派な校舎を建てても帰らないのである
それは放射線を恐れているからである
そしてこうして人が住まず田畑でも荒地になるとそれで何か農業の会社を作って農業を始めるにはいいとなり実際に若い人が始めてる
でもその若い人は仕事を原町でしている、原町は5万くらいの人口があり都市だからである、工場も会社もある、最近目立つのは最先端のロボット工場が津波の被害にあった萱浜にできた、そこは現代の最先端の技術を開発する場なのである
だから原町区になると仕事はある
フジクラのゴム会社も最近新しい工場に建てなおしたし二年後にアイリスがこのロボット工場と連携した工場を作る
アイリスオーヤマ(仙台市)は需給データを基に自動で生産ラインを組み替えられる工場を福島県に新設する。在庫データから自動で発注量を割り出し、需給に応じて1日単位で様々な商品を柔軟に生産できる。あらゆるモノがネットにつながるIoTやロボットを活用し、生産効率を高めて早期に売上高1兆円の達成を目指す。
福島県南相馬市にある復興工業団地に建設する
他に相馬市でも工場があり松川浦の港があり物流もあるし大規模なガスラインが作られたそれは新地にも雇用を生み出すとなる
それはも大規模なものだからである
だからここは田舎でも都会化したとつくづく思う
海側はソーラーパネル工場になり風力発電場にもなっている
ここは田舎は田舎でも何か本物の田舎という感じでくなくなったのである
第一田舎という時原発ができたとき田舎という感覚は消失していたのかもしれない
自分自身は田舎だと思っていても変わっていた
田舎という時実際はいろいろであり私の住んでいる一万の町でも町の中心部とそれから一キロもみたない500メートルくらい離れても違ってくる
そこは回りが田んぼがありそこの市営住宅に住んでいる人を知っている
その人は絶えずネズミが入ってきて困っている、カヤネズミという小さいネズミである
またそこに社があり部落があって祭り参加させられたり寄付がとられるのである
その女性は最底辺であり金がないのである
田舎では市営住宅に住んでいる人は最底辺なのである
田舎だと人との付き合いとか人がかかわるから嫌だとなるが町の中心部だとそういうことはない、私はほとんど組に入っても付き合いがない、何か会合もない
一人暮らしは組長にならなくてもいい、没交渉でも住めるのである
そもそも田舎でも隣が何している人なのか、どこで働いているのかわかないということがある、それだけ田舎といっても多様化しているからそんなに濃厚な人付き合いがないのである、ただもともと農家の部落だとそういうことがあった
とにかくこの辺では隣の原町とか相馬市になると都会なのである
専門のパン屋もあるし一応何でもそろっているのである
そしてここでも車さえあれば十分くらいで行けるから何か不便にはならない
ただ町の中心部から離れるとどうしても車が必要になる
買物だけで大変になるからだ、スーパーも二軒あるから別に買い物でも困らないのであるあとは時々原町に行けばいいとなるからだ
田舎にもいろいろある、まず限界集落のような所には住めない、田舎に住んでいても住めない、車もないから住めない、つまり一万の町でも町の中心部とそこから500メートル離れた地域では違っているのである
だから住む場所さえ選べば人との付き合いにそんなに縛られないのである
現実に都会から来た人が街のど真ん中に住んでいた
その人は薪を積んで薪ストーブをして住んでいる
だから町の中心部でもそういうことはできるし別に回りがそんなに干渉しないのである
ただ中心部から離れると干渉されることがある
それで知人は親戚が周りにいて誰が家に来たとか監視されているとか嘆いているのである
都会から来た人の発想は面白いと思った、世代的にも相当に差があるから考え方も時代も変わったからである、田舎に対する考え方とか見方とかも変わった
それより田舎自体が人が住まなくなるとか危機的状態になったことも影響している
子供と一緒にすむと大歓迎だというのもそうである、第一子供がいなくなっているからだ
原発事故周辺でも避難地区域になった浪江とか小高とか飯館村とか人がいなくなったからである、ただそこに荒地が広がっているだけだとなる
だかちこそ外から来た人が自由にその荒地を利用できるという未来が生まれたという発想は面白いと思った
この辺でもそういうことで若い人が入ってきたからである、つまり歓迎されるということである
子供の教育が心配しているがこれも変わった、不登校でも政府でその対応をしている
自由に教育をできるように応援しているのである
それがそうした田舎でもそういう自由な教育をしているというから変わった
それはインタ−ネットの普及で変わったということもある
インタ−ネットはyoutubeが生まれてさらに情報化がすすんだ
youtubeで語る時何かテレビとは違っている、そこに実際住んだ本人が感想を語るからである、取材しているのではないそこに住んでいる人が語るからである
その場所と密接にかかわり土着して語っているからである
私は全国を旅しているからそこがどういう場所なのか見当がつく、高知県の大豊町の近くなのかと地図をみると平家落人村として有名な大歩危小歩危があった
あそこに行ったから相当山奥だということがイメージできるのである
そんなところで住めるのはyoutubeで一億とか収入があり会社まで設立しているからできた、それで子供いるから歓迎されたのである
だから田舎で誰でも歓迎するということはない、そこで自力で生活できる人ならいい
また地域にもよる、そこは外人が多いというとき他と違っている
外人を受けいれているのはそれだけ開放的な場所だとなるからだ
ただ今は田舎でも都会化している、本当にインタ−ネットとかでアマゾンを利用してから本でも自由に買える、これは自分にとって大きな変化だった
古本ならいくらでもあり安く買えるしすぐに小さな自分用の図書館でも作れるのである
まず私は本を買うことで苦労したからである、田舎にもともと本がなかったのである
専門書などはないのである、それで「冠婚葬祭」とかのくだらない本が百万部も売れた
それは田舎の本屋にの目立つ所に置けば売れたのである
なぜなら田舎の本屋には本がないから置けば売れたとなるからだ
仙台にすら本は本当になかった、だから本を買う読むとういことでは相当なハンディが田舎ではあった
それはアマゾンを利用するようになって一番感じたことである
これからは仕事さえあれば都会と田舎は変わりがなくなった
アマゾンで何でも買えるというのもそうである、山の中まで配達してくれるからだ
だからインタ−ネットのスキルがありコンテンツが作れるとすると田舎でも生活できるとなる
子供の教育でも困らないとか情報も田舎と都会の差があいとなるとかえって田舎がいいとなる
これが現代の社会である、それをすすめたのがインタ−ネットである
そこにyoutube長者が生まれた
これまでの長者は炭焼き長者とか山持ち長者とか地元の資源とかを活かしたものである
現代の長者はIT長者とかなったのである
でもそのスキルがない人はやはり豊かにはなれない、それは世界でも同じだからである
でもyoutube自体は今や誰でもできる、でもその内容がコンテンツが作れるのかとなる
まずインタ−ネットではせいぜい一パーセントくらいしか自活できないだろう
そして長続きしない、数が増えているから飽きやすいのである
そこで収入と結びつけることは一パーセントくらいだとなる
なぜ田舎がいいとなるかというとこれからの時代は都会中心ではなく、田舎志向が強くなるからだ、都会が若い世代でも嫌だという人が増えて来たし田舎でも仕事があれば住んでいいという人が増えたのである
ローカル→広域社会→グロ−バル
田舎では感性とかは磨かれる、また瞑想するには田舎がいい、とても都会だと瞑想とかはしにくい、一見何もない方が瞑想に内面化に向いているのである
だから宗教でも哲学でも学問でも芸術でも田舎の方が向いているのである
そしてパソコン一台あれば何でもできるとなる時代である
ただyoutubeで一億とか稼ぐのは至難である
てもそうして稼げるとなるとかえって田舎の方に住んだ方がいいのである
ただ誰でもいいというわけではない、やはり人によりけりだとういことがある
田舎の事情もそこに住む人も一様ではないからそこに適合できる人とできない人がでてくる、ただどこでも外からの人を求めている
ここでも原発事故以後荒地が増えて求めている
だから若い人が歓迎されやすいのである
でも老人は歓迎されるとは言えない、それはかえって荷物になるからである
若い人はここで何か新しいことをしようともなるが老人にはできない
何か世話してくれ介護してくれとなると負担になるからだ
いくら金をもっていてもそうなる、だからこの辺では介護士がいないから青森に送られているのである
何か30代であれば田舎に自治区を作るという発想は面白い
田舎にかえって都会の人が希望を見出すというのも逆説である
特に原発避難区域ではそういう人が望まれている
ただここの問題は放射能問題なのである、田舎の良さがこれによって害されてしまったことが致命的になったのである
それでも耕作放棄地でも土地を利用する人がいれば歓迎されるからチャンスだともなる
また仕事は別に原町区とかは都会だからあるとなるからだ