2020年02月01日

イケハヤのyoutubeの田舎暮らしの案内 (田舎の事情の説明と原発事故周辺の田舎)


イケハヤのyoutubeの田舎暮らしの案内

(田舎の事情の説明と原発事故周辺の田舎) 

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イケハヤのyoutubeで田舎に住んでいる、田舎の移住をすすめている
田舎と言っても意外と場所によって相当に違う
地方都市が奨めるとして一番になっているのはわかる
そこはもう今は東京と変わりないのである
たいだいそろっているからだ、ただ医療関係はまだそろっていないことは確かである
それで知っている人は糖尿病になり白内障の手術とかで入院した
また通ったりする人がいる
やはり高度の医療となると仙台市とか福島市にしかないのである
まず仙台だったら優秀な医者にかかれるからだ

田舎という時なぜこうして彼は住めたのか?
それはyoutubeで一億とか何か飛びぬけて収入があったからである
それには驚く、つまりインタ−ネット関係の仕事が増えたしどこでもIT関係だと場所を選ばないからである、でも相当に金をかけている
土地でも家でも安いにしても何か金かけて城作りのようなことをしている
地方豪族になるというのはその金でインフラを作り自治区を作るとか言っているからだ
限界集落とかなるともう人が住めない、それて耕作放棄地がありそれは無料で使えるともなる
ただ土地を手に入れることがめんどうだとしているのはわかる
でも別にただ同然で農地は借りられるのが原題である
それは全国的に耕作放棄地が膨大になっているからだ

その自治区ということで何かこの辺の原発事故で避難者が故郷から若い人がいなくなったそしてそこには空家だからけであり田畑は荒地となり草ぼうぼうの無人の土地となった
南相馬市だったら小高から浪江とか方面はそうである
特に浪江になるとほとんど一割も帰っている人がいない、街もゴーストタウン化した
小高でも帰っているのは老人がほとんどである
子供をもっている世代は帰らず原町辺りに住んで通うとなる
飯館村でも若い世代は帰らず通っている、立派な校舎を建てても帰らないのである
それは放射線を恐れているからである

そしてこうして人が住まず田畑でも荒地になるとそれで何か農業の会社を作って農業を始めるにはいいとなり実際に若い人が始めてる
でもその若い人は仕事を原町でしている、原町は5万くらいの人口があり都市だからである、工場も会社もある、最近目立つのは最先端のロボット工場が津波の被害にあった萱浜にできた、そこは現代の最先端の技術を開発する場なのである
だから原町区になると仕事はある
フジクラのゴム会社も最近新しい工場に建てなおしたし二年後にアイリスがこのロボット工場と連携した工場を作る

アイリスオーヤマ(仙台市)は需給データを基に自動で生産ラインを組み替えられる工場を福島県に新設する。在庫データから自動で発注量を割り出し、需給に応じて1日単位で様々な商品を柔軟に生産できる。あらゆるモノがネットにつながるIoTやロボットを活用し、生産効率を高めて早期に売上高1兆円の達成を目指す。

福島県南相馬市にある復興工業団地に建設する

他に相馬市でも工場があり松川浦の港があり物流もあるし大規模なガスラインが作られたそれは新地にも雇用を生み出すとなる
それはも大規模なものだからである
だからここは田舎でも都会化したとつくづく思う
海側はソーラーパネル工場になり風力発電場にもなっている
ここは田舎は田舎でも何か本物の田舎という感じでくなくなったのである
第一田舎という時原発ができたとき田舎という感覚は消失していたのかもしれない
自分自身は田舎だと思っていても変わっていた

田舎という時実際はいろいろであり私の住んでいる一万の町でも町の中心部とそれから一キロもみたない500メートルくらい離れても違ってくる
そこは回りが田んぼがありそこの市営住宅に住んでいる人を知っている
その人は絶えずネズミが入ってきて困っている、カヤネズミという小さいネズミである
またそこに社があり部落があって祭り参加させられたり寄付がとられるのである
その女性は最底辺であり金がないのである
田舎では市営住宅に住んでいる人は最底辺なのである

田舎だと人との付き合いとか人がかかわるから嫌だとなるが町の中心部だとそういうことはない、私はほとんど組に入っても付き合いがない、何か会合もない
一人暮らしは組長にならなくてもいい、没交渉でも住めるのである
そもそも田舎でも隣が何している人なのか、どこで働いているのかわかないということがある、それだけ田舎といっても多様化しているからそんなに濃厚な人付き合いがないのである、ただもともと農家の部落だとそういうことがあった

とにかくこの辺では隣の原町とか相馬市になると都会なのである
専門のパン屋もあるし一応何でもそろっているのである
そしてここでも車さえあれば十分くらいで行けるから何か不便にはならない
ただ町の中心部から離れるとどうしても車が必要になる
買物だけで大変になるからだ、スーパーも二軒あるから別に買い物でも困らないのであるあとは時々原町に行けばいいとなるからだ

田舎にもいろいろある、まず限界集落のような所には住めない、田舎に住んでいても住めない、車もないから住めない、つまり一万の町でも町の中心部とそこから500メートル離れた地域では違っているのである
だから住む場所さえ選べば人との付き合いにそんなに縛られないのである
現実に都会から来た人が街のど真ん中に住んでいた
その人は薪を積んで薪ストーブをして住んでいる
だから町の中心部でもそういうことはできるし別に回りがそんなに干渉しないのである
ただ中心部から離れると干渉されることがある
それで知人は親戚が周りにいて誰が家に来たとか監視されているとか嘆いているのである

都会から来た人の発想は面白いと思った、世代的にも相当に差があるから考え方も時代も変わったからである、田舎に対する考え方とか見方とかも変わった
それより田舎自体が人が住まなくなるとか危機的状態になったことも影響している
子供と一緒にすむと大歓迎だというのもそうである、第一子供がいなくなっているからだ
原発事故周辺でも避難地区域になった浪江とか小高とか飯館村とか人がいなくなったからである、ただそこに荒地が広がっているだけだとなる
だかちこそ外から来た人が自由にその荒地を利用できるという未来が生まれたという発想は面白いと思った
この辺でもそういうことで若い人が入ってきたからである、つまり歓迎されるということである

子供の教育が心配しているがこれも変わった、不登校でも政府でその対応をしている
自由に教育をできるように応援しているのである
それがそうした田舎でもそういう自由な教育をしているというから変わった
それはインタ−ネットの普及で変わったということもある
インタ−ネットはyoutubeが生まれてさらに情報化がすすんだ
youtubeで語る時何かテレビとは違っている、そこに実際住んだ本人が感想を語るからである、取材しているのではないそこに住んでいる人が語るからである
その場所と密接にかかわり土着して語っているからである

私は全国を旅しているからそこがどういう場所なのか見当がつく、高知県の大豊町の近くなのかと地図をみると平家落人村として有名な大歩危小歩危があった
あそこに行ったから相当山奥だということがイメージできるのである
そんなところで住めるのはyoutubeで一億とか収入があり会社まで設立しているからできた、それで子供いるから歓迎されたのである
だから田舎で誰でも歓迎するということはない、そこで自力で生活できる人ならいい
また地域にもよる、そこは外人が多いというとき他と違っている
外人を受けいれているのはそれだけ開放的な場所だとなるからだ

ただ今は田舎でも都会化している、本当にインタ−ネットとかでアマゾンを利用してから本でも自由に買える、これは自分にとって大きな変化だった
古本ならいくらでもあり安く買えるしすぐに小さな自分用の図書館でも作れるのである
まず私は本を買うことで苦労したからである、田舎にもともと本がなかったのである
専門書などはないのである、それで「冠婚葬祭」とかのくだらない本が百万部も売れた
それは田舎の本屋にの目立つ所に置けば売れたのである
なぜなら田舎の本屋には本がないから置けば売れたとなるからだ
仙台にすら本は本当になかった、だから本を買う読むとういことでは相当なハンディが田舎ではあった
それはアマゾンを利用するようになって一番感じたことである

これからは仕事さえあれば都会と田舎は変わりがなくなった
アマゾンで何でも買えるというのもそうである、山の中まで配達してくれるからだ
だからインタ−ネットのスキルがありコンテンツが作れるとすると田舎でも生活できるとなる
子供の教育でも困らないとか情報も田舎と都会の差があいとなるとかえって田舎がいいとなる

これが現代の社会である、それをすすめたのがインタ−ネットである
そこにyoutube長者が生まれた
これまでの長者は炭焼き長者とか山持ち長者とか地元の資源とかを活かしたものである
現代の長者はIT長者とかなったのである
でもそのスキルがない人はやはり豊かにはなれない、それは世界でも同じだからである
でもyoutube自体は今や誰でもできる、でもその内容がコンテンツが作れるのかとなる
まずインタ−ネットではせいぜい一パーセントくらいしか自活できないだろう
そして長続きしない、数が増えているから飽きやすいのである
そこで収入と結びつけることは一パーセントくらいだとなる

なぜ田舎がいいとなるかというとこれからの時代は都会中心ではなく、田舎志向が強くなるからだ、都会が若い世代でも嫌だという人が増えて来たし田舎でも仕事があれば住んでいいという人が増えたのである       

ローカル→広域社会→グロ−バル

田舎では感性とかは磨かれる、また瞑想するには田舎がいい、とても都会だと瞑想とかはしにくい、一見何もない方が瞑想に内面化に向いているのである
だから宗教でも哲学でも学問でも芸術でも田舎の方が向いているのである
そしてパソコン一台あれば何でもできるとなる時代である
ただyoutubeで一億とか稼ぐのは至難である
てもそうして稼げるとなるとかえって田舎の方に住んだ方がいいのである

ただ誰でもいいというわけではない、やはり人によりけりだとういことがある 
田舎の事情もそこに住む人も一様ではないからそこに適合できる人とできない人がでてくる、ただどこでも外からの人を求めている
ここでも原発事故以後荒地が増えて求めている
だから若い人が歓迎されやすいのである
でも老人は歓迎されるとは言えない、それはかえって荷物になるからである
若い人はここで何か新しいことをしようともなるが老人にはできない
何か世話してくれ介護してくれとなると負担になるからだ
いくら金をもっていてもそうなる、だからこの辺では介護士がいないから青森に送られているのである

何か30代であれば田舎に自治区を作るという発想は面白い
田舎にかえって都会の人が希望を見出すというのも逆説である
特に原発避難区域ではそういう人が望まれている
ただここの問題は放射能問題なのである、田舎の良さがこれによって害されてしまったことが致命的になったのである
それでも耕作放棄地でも土地を利用する人がいれば歓迎されるからチャンスだともなる
また仕事は別に原町区とかは都会だからあるとなるからだ







posted by 老鶯 at 09:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

極限の貧乏の衝撃 (バックパッカーが見た世界の現実の紹介)


極限の貧乏の衝撃

(バックパッカーが見た世界の現実の紹介)

貧しい国と物乞いの現実に「貧しさ」と歪みを考えた:二宮祥平放浪時代

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これは江戸時代の長屋と同じだった
七輪で煮ていた

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私は五歳以下の時、何か病気になった
医者に行ったのだが注射が失敗した
その後でも傷が残り腿のところが大きな傷跡として成長した時残ったのである
おそらくその頃の医療技術は低かったかもしれない
でも一応医者がいたということである



貧乏もこの話聞くと悲惨である、もう極限の人間を見て来た
それはなかなかテレビとかでは伝えられないものである
子供を産んだら乞食にするために身体の一部を切り落とすとかある
それはインドにもあるとか聞いた
スラム街を見たらそういうこともありうるのかともなる

そして途上国はそんな食うや食わずでも子供がわんさと生まれているのかということである、そんな極限の状態で子供を産むのかとなる
でも日本の戦後の動画がでていた
それは昭和21年でありその一年後に自分が生まれた
その時政府から500円を配給されたのである
預金は封鎖されておろせなくなった、それでとてもじゃないがもう栄養失調になる
働く力もでないとビデオで写していた

私の母親は前の夫が事故で死んで一生食べていける保険金をもらった
でもこのようにその時預金封鎖になり金を消えた
でも故郷の実家に買った土地だけは財産として残ったのである

とにかく日本は本当の貧乏というものがわからなくなった
今も確かに貧乏化しているからそれを嘆いているしまた日本は貧乏になると騒いでいる
でも日本人は本当の極限の貧乏がどういうものかわからなくなっている

なぜ子供の体の一部を切りおしてまで乞食にするのか?

生活保護がない、国の福祉がない

そのために同情させるためにそこまで親がするとなる、親も子供にそんなことができるのか?
でも極限状態ではそうなる、娘で売ることもあると同じである
日本でも戦前はそうした貧乏があった、ただ戦後10年は江戸時代のようなつづきの生活だった
燃料は炭でありトイレは外のトイレであり風呂にたくものがなくバターとか不用の切れ端を使っていた、水道もなく家には何もない、裸電球一つだった
今の電気製品は何もなかった
そしてその映像で鍋も買えないとしていた、鍋すら買えない貧乏だったのである

不思議なのはなぜそうした貧乏なのに子だくさんで子供があふれていたのか?
それは途上国のスラムのような場所とにている
子供はそんな極貧の中でも生まれて多いのである
それで子供が親を裁判で訴える映画が紹介されていた
親を生んだことが悪いとして子供が訴えたのである
これも極貧になるとそこまでになる

つまり日本では確かに今貧乏化している、でも本当の貧乏がわからなくなったのである
私の父親は病気になり仙台からバナナを買って食べさせた
バナナ自体がなかったからだ、そして最後はサシミを食えるようになったけど
食えたくないと言って死んだ
なぜなら病気で食えなくなったからである
それは戦後10年くらいはそうだった、ただそれから急速に日本は高度成長したのでそういう貧乏が忘れられた
ただそういうとき子供だったが貧乏の苦しさを感じなかった
家にはなにもないとなっていたけど自分は特別愛されたからそこで苦しい思いでは何もないのである

人間は今だけを見ていると今はわからないのである
なんでもあるのが当然だとなってしまうからだ、それで貧乏でもこうした極限の貧乏のことは理解できなくなったのである
別にそうしろというのではなくやはり時代でもまた世界でもいろいろな国があり比較する時みえてくるのもがある

この人の言っていることはやはり生々しい経験をしているからこそそれが訴えるものがある
それもyoutubeとかの発言で今までにないものが発言されるようになったとみる
私はyoutubeのことはまだまだわからない、こした新しいものはメデアでも理解するまで時間がかかるのである
そうすると老人は最新のことが理解できないとなる
私はなんとか50代でバックパッカーになって世界旅行したからなんとか理解するようになった、でも世界旅行でもどこまで深く世界を見るかは違ってくる
私はまたそこまで深く見ていない
だから香港に2年住んでいいたということで中国をリアルに感じたもの発言している
香港は必死であり中国に逮捕されると獄死させられる
中国にその逮捕特権が奪われることで命がけで抵抗しているということもリアルにわかった

やはり何か訴えることはマスコミだと何かもう一つ深いところで訴えるものがない
抑えた表現になるからだ、すると真実が見えないのである
確かにyoutubeは新しい情報世界を作り出した
顔が見えるし何かその人となりがわかる、テキストだとその人となりがわかりにくい
そして部分を文章の一部を引用しているだけだった
プログは何か一部分をきりとったようなる
その人となりがかわりにくいのである
ただ毎日読んでいるようなプログはその人となりがわかるが私の場合はそれは一つしかない、それも貧困をテーマにして
ダークネス(鈴木傾城)というサイトである

とにかく今貧困が話題になるが本当の貧困が日本人はわからなくなったのである
それは高度成長で豊かな時代を経験してそれから経済は停滞してきた
でも本当の貧乏がどういうものかわからない、一応なんとか極貧にならない生活を維持しているからである

それからその人は物乞いする人には乞食には金を与えない

それはなぜか?

必ず他の人も金が欲しいと群がり争いになるからだという

それで気づいた、アフガニスタンで中村哲氏が殺された理由がこの地元の人たちの水をめぐる利権争いが原因だとしているからだ
つまり乞食でも金をほしさのために地元の人たちで争い、そしてその金をくれる本人まで殺したとなるからだ
そこに極限の貧困の中で暮らす深い闇があった
それはなかなか日本ではもう経験できない、ただ人間は本当の現実を真実を知るべきなのだがマスコミから放送されないのである
何でも常に隠される、すると現実が真実でもリアルにわからないのである

posted by 老鶯 at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年02月02日

福島県会津へのコレラの流行 (伝染病は交通と密接に結びついていた)


福島県会津へのコレラの流行

(伝染病は交通と密接に結びついていた)

「日本の歴史災害ー菊池万雄]を読んで

江 戸 時代におけるコレラ病の流行
-寺院過去帳による実証 菊池万雄

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日本海から会津若松に伝染して一方白河街道からも伝染した
それが田島方面に南山通りに伝染した
白河街道と阿賀野川の方からの伝染が多いからそうなった
それより南山通りからは伝染していないとなれば
ここの道は行き来があまりなかったとなる

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山形、秋田、青森が多かったのは日本海航路があり北前船が通い交通が頻繁だった
宮城県15年に2361と増えたのはやはりか石巻とか港があったからだとなる
福島県とか岩手県が少ない、太平洋側は北前船のように交通が盛んでなかった
北前船は大阪とかから來るから遠くの影響を受けやすかったのである


この本を読んで伝染病がコレラの流行が密接交通と関係していた
交通が頻繁にある所は伝染病がコレラの被害が拡大したのである
それを福島県に会津に例をとった部分で解説する

なぜここに興味をもったかというと全国を隈なく旅しているからそれで交通に地理に興味をもつようになった
会津に何度も行っているがここほど地理が特に方角がわからない場所はない
海側だと海から太陽が昇るから東であり山側は西であり北とか意識する
つまり方角の目星がつくが会津とか山の中の盆地になると方角がわからなくなる
それで飯館村に行った時、方角がわからなくなり迷った
東に行こうとして西に行ったのである
その時太陽が西に沈むことでわかった
このように盆地になると方角がわからなくなるのだ

特に会津は広いし本当に方角がわからない、地理がわからないのだ
基本的には阿賀野川がありこの川を通じて日本海に新潟に通じている
ここに川運があり人との物流があり人との交流があった
そしてコレラでもこの阿賀野川を通じて会津にも入ってきたのである
日本海側には北前船が通い大阪とかから人も物も入ってくるからコレラも伝播して死んだ人が多い、その数千数人とかなっているのも驚く
それだけ当時は伝染病というのを防ぎようがなかったのである

その当時の交通は日本海を通じして北前船でありあと陸路は街道である
だから新潟県とか秋田県とか青森県にコレラで死んだ人が多い
福島県は内陸部だから死者はおさえられた
それでこれだけ死者があったということは当時の医療が遅れていたからである
伝染病というと黄熱病で猪苗代に生まれた野口英世が死んだというのも因縁である

とにかく本当に当時の交通とコレラの伝染が密接に結びついていたことはいかに交通が伝染病に影響していたかという事実である
だから今回のコロナウィル騒ぎで中国の辺鄙な村では村に入る道まで閉鎖した
日本がでも塞(さい)の神とか村の入口に大きな藁人形とかを置いてよそ者の侵入を恐れた、それは伝染病を疱瘡とかでも恐れたからである
だから同じようなことが人間社会にはカルマとして起きる
玉野村は伊達藩と相馬藩の境でありそこに若木神社があるのは疱瘡の神を祭っている
境とはそうして伝染病を入らないように閉ざした場所でもあった
それで桧枝岐は隔絶した場所だからコレラの死者が出ていない、それは隠れ里であり人とか物流がなかったからである
それで悪いものも入ってこない逆説があった

現代はグロ−バル化になり交通がこれだけ発達したらもう世界的にたちまち拡大する
それも防ぎようがないのである、それだけの人であれ物であれ流通しているからである
日本のコレラも江戸時代の末期から文久から明治時代にコレラが大流行した
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最初に中国の廈門(アモイ市)から長崎に入ってきた、そこから港から全国に伝染した

アモイは福建省南部に位置する。台湾海峡を隔て台湾と向かい合う港町で第二のヴェネチアと「東方見聞録」に記されている。アモイの歴史は約1000年とそれほど古くなく、もともとはビン越族と呼ばれる先住民族が暮らしていたが、のちに漢民族の移住が進んだ。古くからの港町で、特に北東部に位置する泉州の港は、宋、元の時代に「海のシルクロード」の出発点として栄えた。

アモイは福建省南部に位置する。台湾海峡を隔て台湾と向かい合う港町で第二のヴェネチアと「東方見聞録」に記されている。アモイの歴史は約1000年とそれほど古くなく、もともとはビン越族と呼ばれる先住民族が暮らしていたが、のちに漢民族の移住が進んだ。古くからの港町で、特に北東部に位置する泉州の港は、宋、元の時代に「海のシルクロード」の出発点として栄えた。

ここは華僑の出身地でもあり故郷である、ここはそれだけ外国人も入ってきていたから
伝染病でもコレラでも入り安いとなっていた

福島県でコレラが伝染したとき南山道ではなく別な方向からコレラが伝染して会津の中心地若松で増えてそれが南山道から逆流した
この意味が理解できなかったが白河街道方面とか阿賀野川からも入ってきてそれで会津に集積してコレラが田島方面へ伝染した
これも何か当時の交通がどうなっていたか、物流が人の流れがどうなっていたのかを証明している

安政 におけ る当地方 の コレラ病流行 の実態を
第5図 の如 く,コ レラ病死亡者埋葬寺院 の分布
の面 か ら考察す ると,石 巻 ・塩釜 を中心 に半径
50km内 に流行 した もの とみ られ,そ の状 態は
近 きよ り遠 きにお よぶ同心円状をな して ノーマ
ルで あるが,仙 台藩支藩の一関や,三 陸沿岸 の
気仙沼 で,わ ずか なが らも流行 の傾向があ らわ
れ るなど,幹 線交通路 としての北上川水運 と,
沿岸航路 の重要 さを物語 っている面 もある

石巻から北上川をさかのぼり一関にも患者が増えたというのもそうである
この道は古代では鉄の道だった、それで産鉄集団だった真野氏一族が北上川を通じて登米に上ってその跡を記したのである
つまり歴史をみるとき交通の面から見ることが不可欠なのである
地理があらゆる学問の基礎ともなっているからだ
それで私は全国を旅行したからそこがどういう場所かイメージできる
そして地理に興味をもったのである
地理が基礎だという時、地理は地形とかは二千年単位でも基本的に変わらない
どんなに時間をさかのぼっても地理は変わらないからである
イスラエルでもエジプトでも何千年前と同じ場所にあった、例え国がなくなってもその
土地はなくならないからである、だからこそ二千年過ぎてイスラエルという国が復興したともなる

歴史がなぜあらゆることで事件でも問題になるのか?
それは人間は必ず同じことの繰り返しなのである、カルマの繰り返しなのである
津浪だって相馬藩政記に二行だけ生波(いくなみ)で津波で700人溺死と記されていた
でもこの辺ではここは津波の来ない場所だと思い込んでいた
ても確実に災害をカルマであり繰り返し起こってくるのだ
ただ400年前になると誰も生々しく語るものがいないから忘れてしまうのである

コレラだってこんなに明治になっても死者があったのかと驚く、それも忘れているからである、人間ほど忘れやすいものはない、人間個人でも次々に事件でも問題が起きて前騒いでいたことを忘れるのである
ニュースだって次々に新しいことを追いかけて昨日あったことさえ忘れてゆくのである
ここがやはり人間の弱点でありそれで何回も津波でも警戒しなくなっていたのである

posted by 老鶯 at 15:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

コロナウィルスと原発事故の共通性 (原子力村の情報統制による事故とにていた)


コロナウィルスと原発事故の共通性

(原子力村の情報統制による事故とにていた)

正しい情報から疎外された国民は、そもそも判断材料がないのですから、情報に基づいて自らの頭で的確に判断することはでず、国民は、情報を独占する国家の判断に従うしかなくなるからです。つまり、情報の独占は、国家が国民から思考、言論、行動等のあらゆる自由、あるいは、能動的な自発性を知らず知らずのうちに奪う手段でもあるのです。

新型コロナウイルスの災禍が示す‘知らされない怖さ’


中国の問題点をコロナウィルスで指摘している
このことは原発事故で起きた
原子力村によって情報は常に隠されていた、住民には何も知らされない
ただ「安全だ、安全だ」としか言わされない
それに逆らうことはできない、なぜなら政府と政治家と東電と学者でもマスコミでも
強力な原子力村を形成していたからである
電事連とかの組合すら東電と一体化した団体だった
原発に関しては創価の発行する第3文明とか他の雑誌でも東電の原子力推進の宣伝をしていたのである

なぜそうなのか?

その広告料が大きいからである、広告料をとるためにマスコミとかある
それが先にあり報道は二の次なのである
それは本当に右寄りの雑誌でも全部そうだったのである
原発推進派で固められているからそうなるし広告料が入るからそうなる
それは朝日新聞でもそうだったのである
なぜなら原発が爆発した時、中国に東電からマスコミ関係者が招かれていた
その中に朝日新聞の人もいたからである

これほどの強固な原子力村が形成されたらもう住民でも国民でも判断することは不可能である

だからこそ「安全神話」が形成されたのである

日本には言論の自由があるなどと言っているが実際は原発に関してはなかった
それで原発が爆発した時、浪江の住民はどこに逃げていいかもわからなかった
それで一番放射線量が高い山の方の津島に逃げたのである
でも浪江でも東電の人が住んでいて街の方に海の方に逃げた方がいいとして
引き返した人たちがいたのである
それが正解だったのである、なぜなら海の方が放射線量が低いからである
原発の煙突が見える請戸でも0.5マイクロシーベルトとかかなり低くかったのである
だからこれは意外だったのである

とにかく中国は共産党独裁であり習近平独裁である
言論の自由はもともとない、逆らう者は牢屋にぶちこまれ獄死させられるという
それで香港では恐れている、命がけの戦いをしているのだと香港に二年間住んでいた人がyoutubeで訴えている

今回のコロナウィルスではそうした共産党一党独裁の情報統制が裏目に出たのである
だからそれは原発事故ともにていたのである
中国は共産党独裁であり利権でも共産党幹部が得るシステムである
共産党幹部が経営する会社には金がつぎこまれる、自由競争のシステムが機能していない会社が利益を出さなくても共産党幹部が経営するから金がつぎこまれるというのもそうである

そして武漢市の市長でも中央の命令に従わねばならないから勝手に避難命令を出すことができなかった
常に中央の幹部からの習近平の命令がすべてでありその独裁体制を築いてきた
そこに自由な発言は許されないのである
情報も開示されない、何か不明でも生物兵器を研究していてそこからウィルスがもれたというときもそうである
それは放射線がもれていたと同じなのである
それは秘密裡に行われていたからである

共産党一党独裁とは国民でも住民でも判断材料をも情報も提供されないからこうして一旦原発事故になりウィルスがもれて蔓延しても処置する方法がなくなる
そして原発事故でも未だに放射性物質のトリチウムとかを海に流すとか空中に流すとかでもめている
だからこういうことは中国だけの問題ではないのだ
日本は言論の自由があるとしているが実際は中国の共産党一党独裁と同じだったのであるマスコミは完全に原子力村の一員に全員なっていたからである
それは地元の新聞とかテレビでも同じだったのである
地元だからもっとその危険性に敏感になり注意を喚起する勤めがあった
そんなことは関係ない、ただ広告料をもらえばいいとしかなかったのである
原発はそれだけ巨大な利権だったからである
事故後でも除染に何兆円とか補償に何兆円とか驚く金が動いたからである
それで潤った人もまた多いのである

何かコロナウィルスで中国国民が右往左往しているのが現場事故で住民とかが右往左往しているのとにている、それは情報の混乱である
政府が情報を統制していたが自分たちの命が危ないとして武漢から500百万人避難したというのもそうである、その真偽はわからないにしても政府の統制がきかなくなったのである
それは最初から政府が危険だとして情報を開示したり命令をしなかったからである
疎で自治体の武漢市長が攻められたりして責任逃れしているのである
なぜなら自治体の市長でも政府の命令は絶対であり逆らえないからそうなったのである
ただそのことで辞めさせられた
責任が政府にあっても自治体にあるとか責任転嫁がされたのである

こうした問題は歴史的にもカルマとして同じことがくりかえされる
それと同時に他山の石というように必ず他国でも同じようなことが起きる
だから外国で起きることに無関心でいると自国にも同じことが起きるのである
チェルノブエリの原発事故でもそうである
日本は技術が優秀だから事故にならないと言っていた、でもその管理は本当にずさんだったのである、原子力の技術でも最初はアメリカのお古の原子炉ではじめた
管理する技術もなかったのである
これも慎重さを欠いていたのはとにかく原発がアメリカ主導で作られて国家的なものとして導入された
そして読売新聞社の正力松太郎とか死んだ中曽根首相の肝いりで導入された
国策として導入されたのである
だから地震の巣である津浪もある日本に50も作られたのである

それも強力な原子力村が形成されたためである、そして「安全神話」はもろくも崩壊したのである
住民は故郷に住めなくなったのである
コロナウィルスでも習近平一党独裁が終わるとか言われるようにそれだけの衝撃的事件になった
つまり共産党一党独裁から必然的に起きた事件である


posted by 老鶯 at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

コロナウィルスと原発事故の共通性 (原子力村の情報統制による事故とにていた)


コロナウィルスと原発事故の共通性

(原子力村の情報統制による事故とにていた)

正しい情報から疎外された国民は、そもそも判断材料がないのですから、情報に基づいて自らの頭で的確に判断することはでず、国民は、情報を独占する国家の判断に従うしかなくなるからです。つまり、情報の独占は、国家が国民から思考、言論、行動等のあらゆる自由、あるいは、能動的な自発性を知らず知らずのうちに奪う手段でもあるのです。

新型コロナウイルスの災禍が示す‘知らされない怖さ’


中国の問題点をコロナウィルスで指摘している
このことは原発事故で起きた
原子力村によって情報は常に隠されていた、住民には何も知らされない
ただ「安全だ、安全だ」としか言わされない
それに逆らうことはできない、なぜなら政府と政治家と東電と学者でもマスコミでも
強力な原子力村を形成していたからである
電事連とかの組合すら東電と一体化した団体だった
原発に関しては創価の発行する第3文明とか他の雑誌でも東電の原子力推進の宣伝をしていたのである

なぜそうなのか?

その広告料が大きいからである、広告料をとるためにマスコミとかある
それが先にあり報道は二の次なのである
それは本当に右寄りの雑誌でも全部そうだったのである
原発推進派で固められているからそうなるし広告料が入るからそうなる
それは朝日新聞でもそうだったのである
なぜなら原発が爆発した時、中国に東電からマスコミ関係者が招かれていた
その中に朝日新聞の人もいたからである

これほどの強固な原子力村が形成されたらもう住民でも国民でも判断することは不可能である

だからこそ「安全神話」が形成されたのである

日本には言論の自由があるなどと言っているが実際は原発に関してはなかった
それで原発が爆発した時、浪江の住民はどこに逃げていいかもわからなかった
それで一番放射線量が高い山の方の津島に逃げたのである
でも浪江でも東電の人が住んでいて街の方に海の方に逃げた方がいいとして
引き返した人たちがいたのである
それが正解だったのである、なぜなら海の方が放射線量が低いからである
原発の煙突が見える請戸でも0.5マイクロシーベルトとかかなり低くかったのである
だからこれは意外だったのである

とにかく中国は共産党独裁であり習近平独裁である
言論の自由はもともとない、逆らう者は牢屋にぶちこまれ獄死させられるという
それで香港では恐れている、命がけの戦いをしているのだと香港に二年間住んでいた人がyoutubeで訴えている

今回のコロナウィルスではそうした共産党一党独裁の情報統制が裏目に出たのである
だからそれは原発事故ともにていたのである
中国は共産党独裁であり利権でも共産党幹部が得るシステムである
共産党幹部が経営する会社には金がつぎこまれる、自由競争のシステムが機能していない会社が利益を出さなくても共産党幹部が経営するから金がつぎこまれるというのもそうである

そして武漢市の市長でも中央の命令に従わねばならないから勝手に避難命令を出すことができなかった
常に中央の幹部からの習近平の命令がすべてでありその独裁体制を築いてきた
そこに自由な発言は許されないのである
情報も開示されない、何か不明でも生物兵器を研究していてそこからウィルスがもれたというときもそうである
それは放射線がもれていたと同じなのである
それは秘密裡に行われていたからである

共産党一党独裁とは国民でも住民でも判断材料をも情報も提供されないからこうして一旦原発事故になりウィルスがもれて蔓延しても処置する方法がなくなる
そして原発事故でも未だに放射性物質のトリチウムとかを海に流すとか空中に流すとかでもめている
だからこういうことは中国だけの問題ではないのだ
日本は言論の自由があるとしているが実際は中国の共産党一党独裁と同じだったのであるマスコミは完全に原子力村の一員に全員なっていたからである
それは地元の新聞とかテレビでも同じだったのである
地元だからもっとその危険性に敏感になり注意を喚起する勤めがあった
そんなことは関係ない、ただ広告料をもらえばいいとしかなかったのである
原発はそれだけ巨大な利権だったからである
事故後でも除染に何兆円とか補償に何兆円とか驚く金が動いたからである
それで潤った人もまた多いのである

何かコロナウィルスで中国国民が右往左往しているのが現場事故で住民とかが右往左往しているのとにている、それは情報の混乱である
政府が情報を統制していたが自分たちの命が危ないとして武漢から500百万人避難したというのもそうである、その真偽はわからないにしても政府の統制がきかなくなったのである
それは最初から政府が危険だとして情報を開示したり命令をしなかったからである
疎で自治体の武漢市長が攻められたりして責任逃れしているのである
なぜなら自治体の市長でも政府の命令は絶対であり逆らえないからそうなったのである
ただそのことで辞めさせられた
責任が政府にあっても自治体にあるとか責任転嫁がされたのである

こうした問題は歴史的にもカルマとして同じことがくりかえされる
それと同時に他山の石というように必ず他国でも同じようなことが起きる
だから外国で起きることに無関心でいると自国にも同じことが起きるのである
チェルノブエリの原発事故でもそうである
日本は技術が優秀だから事故にならないと言っていた、でもその管理は本当にずさんだったのである、原子力の技術でも最初はアメリカのお古の原子炉ではじめた
管理する技術もなかったのである
これも慎重さを欠いていたのはとにかく原発がアメリカ主導で作られて国家的なものとして導入された
そして読売新聞社の正力松太郎とか死んだ中曽根首相の肝いりで導入された
国策として導入されたのである
だから地震の巣である津浪もある日本に50も作られたのである

それも強力な原子力村が形成されたためである、そして「安全神話」はもろくも崩壊したのである
住民は故郷に住めなくなったのである
コロナウィルスでも習近平一党独裁が終わるとか言われるようにそれだけの衝撃的事件になった
つまり共産党一党独裁から必然的に起きた事件である


posted by 老鶯 at 22:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2020年02月03日

中国の最優先課題は常に政治 (いかに国内を一つに治めるかが課題)


中国の最優先課題は常に政治

(いかに国内を一つに治めるかが課題)


昔、中国人に詳しい人の著作を読んだ時
「中国人は中国人同士の争いだけが眼中にある。外国人と争ってるように見えても、それは中国人同士の争いを有利にするための前段階に過ぎない。中国人の本当の闘いは中国人同士の争いにこそある」って記述があった。

日本の古代の朝貢貿易の使者や留学生が厚遇して貰えたのもこれがあったかららしい。恭順の意思を見せ貢ぎ物を持って来た事が中華の支配者には国内外に自分の威光を宣伝する効果が高かったから、使者としての体裁を整えて来る日本の使節は大切にして貰えたと

いまだに感覚的に全て理解した気がしないけど、中国人同士の争いが本番って事なのかなとなると、中国人を攻撃するウイルスを中国人支配層が作ってても不思議じゃないのかね…否応なしに巻き込まれる世界は迷惑な話だ


5ちゃんねる見ていなけどこれは面白い
中国の習近平が天皇に会うというときこれなのだ
「俺は天皇とあった、天皇が俺に頭を下げた」とかなって中国国内で宣伝できる
日本もまた中国にこうしてたてると中国でも厚遇されるとなる
ただそこに危険性もある、中国の柵方体制とかに組み入れられるとかその工作として
北海道を一路一帯政策に組み入れるとかカジノで政治家を買収するとかを言う人がいる

ともかくこのコロナウィルスは政治に影響する度合いが大きい
それで陰謀論になる、なぜ陰謀論になるかいうと情報が開示されないしわからないからそうなる、でも状況証拠がありそこから陰謀論になってゆく

要するに正体がわからないものはいろいろな憶測となりそれが怪異なものを生んでゆく
明治時代とかの錦絵に外国人が富士山爆発を起こすとか描かれている
その時外国のことを知らないからそうしたことまで噂になり恐れられる

とにかく中国があれだけ大きいのだからもともと三国志になる
一つの国として統一すること自体が政治なのである
だから中国は政治の国なのである、すべてが政治になる
老子などの思想も一見政治でないようでも政治色の強い思想である
2000年前でも人口が多いとしてその頃一億くらいでもそうだった
それで「小国寡民」の思想が生まれた、他でも成さずして成るとか過剰な政治の支配があるからこそそうした無用の思想が生まれた

中国だと中国自体が世界でありその中で争いに勝つことが政治であり外国の事より優先されるというのがわかる
ただハーバード大学の生物のウィルス研究者が逮捕された
武漢の細菌研究所に勤めていた、高額の金をもらっていて二重スパイだっとして逮捕された
だから何かこのコロナウィルスの背景が複雑になりまるでスパイ映画のようになっている
武漢の生物兵器細菌研究所からもれた

故意に誰かがもらした

習近平に反対する人なのか

アメリカが習近平体制を終わりにするためなのか

生物兵器研究所が怪しいという時根も葉もないものではない 
火のないところに煙はたたないからだ

いづれにしろ中国とは邪馬台国の時代から日本では関係している
でも中国の歴史を知ることに疎遠になった、欧米化でそうなった
今になってまた中国が経済力で世界一にもなろうとしているから見直すようになったのである

中国の課題は必ず政治でありそれは2000年前から変わっていないのである
あれだけ大きい国を統一することが課題でありまた膨大な人民を飢えないように食べさせることなのである、それをしないと政権はもたないのである

ただあれだけの歴史があるのだから中国に学ぶことが多いし日本で利用する諺が中国由来なのが多いし漢字を使っているのは日本だけであり文化的には深いつながりがある
中国自体が世界であり物産でもないものがない
中国ですべて事たりるのである
そこで世界に通じる思想が生まれる

「他山の石」「夜郎自大」とか「一将成って万骨枯る」とか歴史から教訓が生まれた他山の石とは遠くの知らない石でも参考にしろ関心をもてということである
夜郎自大とは夜朗国が強大な漢の国を知らずに自分の国は大きいとして戦って敗れた
これも中国がいかにそもそも大きく世界だったかを知る
それはアメリカの大きさを知らずアメリカと戦ったこととにているのである

「一将生成って万骨枯る」でもそうである、習近平が一将であり独裁者になる
その下で取り締まりが厳しくなり従わない者は牢獄に入れられる
それは始皇帝の時代から変わらないのである、そういう国だということである
中国ではとても民主主義など不可能である、三つに国を分けたりしたら可能かもしれない
でも一つにするとなると独裁しかないのである

どこの国にも強みと弱点がある、それは人間でもそうである、人間に弱点がない人はいない、中国の弱点は強みである人民が多いことであり国土が広すぎることなのである
恐竜のようになっているのが中国である
その馬鹿でかさのために人民を支配できない、国を治めることができないことが歴史だった
だからその弱点としてコロナウィルス騒ぎとなった、前にもサーズとかあった
あまりにも国が大きいから制御できないのである
日本はそした馬鹿でかい国ではなく人口も多いが中国家として治めやすいのである
統一されやすいのである、そこが日本の強みだとなる

いづれにしろ日本に来た中国人にインタビューしても口をつぐんでコロナウィルスについては語らない
それは上らか命令されているからである、言論の自由がない国なのである
日本に来ても自由に発現できないのである、だからそれが怖いとして香港に二年住んだ人が日本に帰った
もちろん日本にも言論の自由があるとは言えない、でも中国とは違う、中国の言論統制は厳しい
すぐに警察がきて牢獄にぶちこまれる、そして獄死させられているというからだ
そういうことがコロナウィルスでは裏目にでたのである
そういうことから今の政権が崩壊してゆくという人もいる、それだけの衝撃がコロナウィルスにあった証拠である





posted by 老鶯 at 16:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

多様な個人が主役になる社会 (マスコミの時代は終わった-youtubeの感想)


多様な個人が主役になる社会 

(マスコミの時代は終わった-youtubeの感想)

Diversified world Multipolarization 

   
manyside1.jpg
youtube

多様化となると個性になる、多極化となるとマスコミからyoutubeのような変化である
多元化とはmany rooted landになる
多極化はやはりシステムの変化である、六局だけのテレビ放送は終わった
今やその数が次々に増大しているからだ

最近youtubeを見て発見がある、加治将一チャンネルと今日見たつねあきチャンネルでもそうだった
年配だから人生を語り金融を語り資本主義を語る、それだけ経験があるから厚味と深さがある、やはり40代ではまだ人生を語れないからである
今価値があるのはそれぞれの人生を語ることである
それも多様化であり多極である

こんな人生送っていたのかと驚きがある、加治将一氏などは自分には理解できない
破天荒な人生だったとなる、現代の大金持ちの生活を体験しているからだ
アメリカでも実業していたから驚く、そういうことが自分にはイメージできないからである
若い人には個性がない、それは経験がないからである
人生を経験した人しか語れないからである
それは失敗したことでもそうである、ワインを飲んだ蘊蓄があったがそれも無駄だったというのもそうである、別荘をもってももしあましただけだったとかもそうである
そういうことは自分のような貧乏しか知らない人にはわからないのである

deep max 妙法の中国に関する情報は内容が濃密である、これは中国に専門化しているからマスコミより詳しい
中国の知らない面を知る、語り方もうまい、このチャンネルは明らかに今のマスコミの情報を越えている
中国で干ばつがありそのためにそこから細菌が生まれて流行するとかそしてそこで大型の動物が生き残れない
ネズミが繁殖して移動するからそこから細菌が人にも伝染してゆくという
そもそも大型動物は生存競争で不利なのである、だから恐竜が滅びたが小型の哺乳類は生き残ったのである
つまり中国の様な巨大な国家でもそれが恐竜のように滅びてしまうような弱点があるかもしれない
だから何でも巨大なものがいいとは限らないのである

武田邦彦氏チャンネルとなるととにかく科学に強い、そこから世界をみる
その支点が専門の科学にあり技術者でもあるから世界でも仕事していたからその見方が深いのである、マスコミだとコメンテ―ターとして呼ばれても話すことが短すぎるから
深く知ることができないのである
その主役はコメンテーターではない、司会者なのである
司会者が芸能人になっていることでもわかる
注目するのは司会者でありコメンテ―ターは脇役にすぎないのである

イケハヤ大学だとその住んでいる場所に興味をもった
四国の山の中であり平家落人伝説のある祖谷(いや)に近い
そこにも行ったことがあるから相当山の中だとイメージする
その他世界旅行した生々しい話についても興味をもった

とにかくて多様な人物が語る時代になった、マスコミではそうしして自らを語る場ではないテレビ局でも支持されたものをその人のほんの一部しか語れないのである
youtubeだと誰々のチャンネルであり一人の個人のチャンネルであり自分のことを制限なく語れるのである、だからその人の全体に注目する
例えば本一冊だして読んだとしてもその人の全体はわからないのである
何か推理小説一冊読んだなとかで終わるからである
だからメデアが変わるとその表現されるものがまるで変わるということがわかった
今その変わり目でありまだその全貌はわからないのである

多様化多極であり多元化である、多元化とはそれは様々な土地であり土地が場が個性を作り出している
そこに住んでいる場所の価値が再確認される時代である
それが相馬市が城下町でありそこに隣の庭を活かした煉瓦作りの喫茶店ができた
私が紹介した喫茶店は場所を活かしたことにより価値が生まれた
料理ならたいして変わりないのだがその土地の場のもっている雰囲気の価値が違う
山木屋のガーデンは海が一望にできる、隠れ家の鹿島の海老の喫茶店もそうである
ただ不思議なのは原町にはそういう喫茶店が見出されない
でも北泉とか雫〈しどけ)辺りに海が一望できるから喫茶店があればいいとなる

しかしこんなふうに膨大に多様多極多元化するとそれを追うだけで時間がとられるし理解することも大変だなと思った
でも明らかに老人の価値は人生を語ることである、これは若い人にはできない
そこに教訓を見出すことができる、例え失敗談でもそうである
そういうことが無駄だったのかと知るべきである
つまり共通しているのはいかに時間を浪費したかということなのである
金を浪費したということもあるが時間を浪費したことが一番の後悔だったことが共通しているのである

つくづく現代は百家争鳴の時代になった、これから何か紹介したように団塊の世代が人生を語る時代になった、何か遅い感じがするが人生百年時代は人生を語るのが遅くなる
60からでも70からが人生を語ることになる、それが成熟社会なのである
そういう場が与えられた時代だともなる
ただ60代以上とかなるとyoutubeに出ているのはまれである
電子空間は紙の空間のように制限されない、いくらでも語っても書いてもいいのである
それで延々と個人を語ることになる
ただこれだけ多くなると前もそうだったが読まれたり見られることが簡単ではないそれでただ放置されているだけのチャンネルもでてくる
それはインタ−ネットでは極端なのである

でも何かyoutubeという媒体(メデア)は不思議だと思う、要するにテレビに50年以上なじんでいたからそうなっているのだ
それが習慣となって何かyoutubeというのが何なのだろうと戸惑うのである
これもこれから習慣化すれば別にそれが当たり前となるのである
マスコミの時代は終わったことを告げているのである

ここで時代の変化を表にしている、今までの世界とは違っている
大事なことは今までは高度成長時代でも同じものの大量生産であった、それで日本が外国に輸出することで豊かになった
それが今は通じない、そうした製品ではなく物ではなく情報が価値をもつ時代になった

例えばニュースを語るにしても住む場所も年齢もその人の個性も違うからいろいろな解釈の仕方がある、自分だと郷土史とか調べているからその住んでいる土地と関連して説明したりする、マスコミだとみんな同じになり安いのである
そこで主役になっているのは司会者でありあとのコメンテーターは局から選ばれたものしか出さない、話すことも局の指示通りすにする、そして主役は必ず司会者になっている
そういうシステム自体が古くなったともなる
個々人がyoutubeで語るのが新鮮なのはそのためだろう
個人のテレビ局というのはありえなかったからである

そしてこうなると個々人でもいかに表現するかが勝負だとなる
表現力を磨かなければ見てくれない

つまりマスコミのように同じことを話していては誰も見ない

その人なりの解説がないと見ない、だからニュースでもその説明の仕方が個々人によってその立場によって経験によって違ってくる
そうなると必ず自分なりにそれらの情報を集めて編集することが必要になる
それが手間になる、テレビだとただ一方的でありその報道したことについて個々人は全く受け身になっていた
インタ−ネットではyoutubeでも能動的にその意をくみとろうとする
それが今までのマスコミの情報と違っている 
ニュースとかはマスコミが独占していたけどその解説となると本当は個々人によって違ってくるものだったのである

だから子供からの教育でも変えねばならない、いかに表現するか、表現力を磨くことである、今までの様な暗記ばかりしていては表現力は身につかない
そこで教育もフリースクールのように学校に行かなくてもいいように政府が応援していとかなるも時代の変化である



2020年02月04日

年金がもらえなくなるとみんな老後破産 (老後の年金の価値は大きい)


年金がもらえなくなるとみんな老後破産

(老後の年金の価値は大きい)


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老後になると年金の価値が大きくなる、国民年金だと6万以下とか普通にある
それでどうして生活するのか?
知っている人は毎月電気止められた水道止められたガスとめられたと訴える
それが毎月なのである、国民年金が6万以下になればそうなる
福祉の援助も医療費くらいだからそうなる
その人は腰が痛いとかなんとか病院通いが仕事になっている
そういう人がまた多い、月3万が医療費だという人も多い
どうしても老後は病気になりやすいからそこで金がかかる
でも福祉でも医療費も一千万以上貯金ある人からとるとか風の薬は市販でまかないとかなった
それだけ国の財政が厳しくなりもう金がないから出せないのである
それで年金制度自体がもう維持できないともなる

なぜ年金の価値が大きいかと言うと月10万もらったとしてそれを20年間もらいつづける
二千四百万になっている、この額は大きい、年金は死ぬまで保証されるとしたらさらに長生きしてももらえるのである
だから厚生年金だともっともらえる、国民年金だと10万が最高だとなる
6万以下が多いのである
そういう人はどうして生活するのだろうとなる

そして年金が70才から75才支給になるのはもう決まっている、それだけの金が国にはないなぜなら若い世代からも年金をとって老人に支給するからである
その若い人が少なくなるし経済の悪化で苦しいから払われないとかなっているからだ
6万以下の国民年金の人は子供からも援助されない
父親が介護施設に入って設備費などに金を支払っているからだ
すると母親まで援助できないのである
子供自体が今は経済的に苦しいから援助できないのである

ただもしみんな80歳くらいで死ねばこの問題は意外と解決するかもしれない
自分にしてもあと10年で死ぬとなるとある程度余裕があり計算できる
でも90まで生きるとしたら厳しいとなる、それはみんなそうなのである
国民年金ではどうにもならないからだ

ただどうしても長寿社会になると長めに寿命を設定せざる得ないのである
だから人生百年をどう生きるかは金銭でも大問題なのである
まず60代くらいで死ぬ時代だったらこんな問題が起きないからである
そして世代が下がるにつれて長生きする確率が増えてくる
そうなるのはわかっていてもみんな経済的に逆に苦しくなるから問題なのである
医療は時間とともに進歩して直らない病気でもガンでもすぐには死ななくなった
もっと進歩すればますます医療がすすむから長生きするのは確実なのである

長生き自体は別に悪いものではない、何かライフワークを学問でも芸術でもなんでももっていつる人にとっては余裕をもって追求できるとなる
89歳でライダーになっている老人もいたのには驚く、趣味でもそうして追求できるのである、そんな老人がめずらしくなくなるのも現代である
人生をそれだけ長く謳歌できることになる
だから老後の問題は金もあるが健康が一番の問題なのである
病院通いが仕事になっている老人も多いのである
そうなると自分だけではない、回りの子供の世代に国民全体の負担になるからだ

そしてこの健康とは意外と積み重ねが大事になる、なんでも意外と人生と日々の積み重ねの結果が老人になってでてくる
何か家族でもカルマがありそのカルマが60以降にでてくる
煙草とか酒とかその他健康に悪いことをしていると必ず老人になると病気となってでてくる、そうでなくても必ず持病が人によってでてくる

人間は何ごと一朝一夕にはならない、どんなことでも積み重ねの結果である
善いことも悪いことも積み重ねの結果なのである
だからさほど才能がなくても積み重ねているとそれなりに成果がでることがある
何か旅行ばかりしていたけどそれは金にもならない無意味なものだと見られる
でも何かそれで私は地理に興味をもったり俳句短歌を今思い出して作ったりしている
だからそういう面で成果がでてきている

まず行動が先だ

これは言える、学問でも実際に世界を知るのと知らないのでは相当な差が生まれるからだ雑学でもいいから日ごろから知識を蓄えることも必要なのである
一見無駄なようなことでも後年役立つことがある
それが老人になるとわかるのである
自分自身がニートであり引きこもりであったがその結果として実るものがあった
だから一見無駄なような生活をしていても実るものが後年にある
ただその価値が認められないことがある、でも価値は多様だから価値を生み出しているのである

いづれにしろこれだけ老後が長くなることは経済面でも精神面でも問題になる
それが高齢化社会である、そのいい面と悪い面がでてくる
どっちかというと悪い面の方が多い、それはこれだけの高齢化というのが人類は経験していないからだ
大統領候補が74才だとかマハーテル首相が90歳で返り咲いたとかそれは世界的なのであるだから今までの感覚で人生を見れないのである
でも経済的にはそれだけ長生きするのに備えられない、そこが最大の超高齢化の問題なのである

2020年02月05日

余裕がない人は失敗する (追い詰められている人はすでに負けている)


余裕がない人は失敗する

(追い詰められている人はすでに負けている)

富を得ようと急いでいる者は潔白を保てない‐箴言


日本の戦争のことをふりかえるとなぜアメリカのような巨大な国と戦ったのか?
夜郎自大ということもあった、夜朗国は漢に対して漢の国の大きなことを知らない
それで見くびっていた、甘くみていた、小さく見ていた
結果として負けた、青銅器が武器であり相手は鉄器の刀だったとかある
そういうことは日本にもあった
その当時情報が限られている、庶民はアメリカのことを知らないからだ
そこで夜朗自大になっていた

そしてアメリカによる日本は経済封鎖で制裁で石油が入らないということがあった
ここでも経済的に追い詰められていた
戦争にはあらゆるものに戦車でも戦艦でも飛行機でも石油を必要としていたからである
それが動かせなければ勝てない
それを象徴していたのは最後に特攻隊がゼロ戦で戦った時、片道の石油しか燃料がなかった、ということはもう帰れないのである、そのまま燃料がきれたら死ぬほかないのであるその時石油がなかったからそうなった、だから石油がどれほど大事なものか貴重なものかわかる
今でも石油が生命線になっていることで同じなのである
だから中東に自衛隊の戦艦を派遣したともなる
石油が入らなくなったら日本経済は成り立たなくなるからである

石油がなく追い詰められた

余裕がなくなった

そして真珠湾攻撃になった

戦争の見方でもいろいろあるにしてもそういうふうにアメリカによって追い詰められた
その時点で負けていた、経済戦争で負けていたとなる

人間が余裕がないと商売すらなんでもうまくいかないかもしれない
銀行でも窮地にたたされている、すると余裕がないから詐欺まがいの投資信託でも売りつける
営業の人は分散投資だと言ってカナダの国債とアメリカのリートとに投資した
前らか株はもっていた、それはリーマンショックの時株が今のように上がっていた
ただその時の状況があったにしろその株を日本のリートの投資信託に回した

それはなぜか

その営業の人がノルマを課せられていてなんとか投資信託を売りたかった
それで今度Jーreitを買った
その時株が上がっていたのだから私はなぜそうするかとも見ていた
ただ自分は時間がないので営業の人にまかしたのである

つまり地銀は今窮地にたたされて追い詰められている
するとまず銀行の利益が優先されて顧客は二の次三の次になる
銀行が今やつぶれるとかの話ししかきかないからである

こうして追い詰められたものは危険である

とにかく追い詰められた人と出会うと危険である、今日食べるものがないとかの人がうろついていて出会ったらわずかの金でも殺されるということがある
そこまでするのは追い詰められているからである

借金している人も怖い、やはり追い詰められているから余裕がないから相手のこと客のことを考えるより自分のことしか借金のことしか考えられないからだ
そういう人は助けることができない
私が介護とか病気にのとき来た人はそうだった
借金で苦しんでいる相手のことを見るより借金をなんとか返したいとなり自分の苦境などみない、金をとりたいというだけなのである
そういう人が来たのは最悪だったのである

だから余裕がないと本当は事業でも成功しないのではないか?
まず余裕資金がないととても長期間でビジネスだって見れない
また人生でも早く成功しようとしているばかりだと何かを成すことがむずかしくなる
そこで問題なのは今利益を出すことが優先されるからだ
学校でも試験が絶えずありその試験でいい点を今とることがまるで人生を左右するのだと思ってしまう、そこでじっくり自ら勉強するというのではない
点数をとることだけに精力をそそぐことになる

ただ人間の弱点は長期的に見れないことである
何か始めたら今すぐ成功しなければならない、利益をあげねばならないとなっているからだ
ビジネスだったら利益が今上がらなければやめるほかないとなる

ではそういうことで短期的には利益があがりいいようにみえる
でも銀行でそんな詐欺まがいの投資信託を客に売りつけるだけで成り立つのかとなる
いくら窮地にたたされてもそれで地銀などが地域の人に信頼を得られるのか?
もう信頼できないとなり客も離れてゆくともなる

富を得ようと急いでいる者は潔白を保てない‐箴言

一番手っ取り早く金が入るのはギャンブルである、でも何か潔白を保てないとなる
手っ取り早く富を手に入れるには盗むとか奪うことである、そこで不正でもいいとなる
国単位でも中国がアメリカからIT関係の技術を盗むのは不法だとするのもそうである
そういう技術開発には時間と労力がかかっているからそういうようになる
他人の労力と知恵とかを奪って豊かになったとなるからだ

人間はとにかく金でもそうだが時間でもそうである
常に余裕がない、時間にも追われている、旅だったらただ早く早く目的に行くことだとなる、その過程を楽しむ見るということがなくなる
新幹線で平泉まで二時間ちょとだとなるともう旅ではない、移動しているだけである
その過程がないからみちのくの旅もただ移動しただけだとなる
とても歩いて旅した芭蕉のようにいい俳句もできないしその土地についての理解も深まらないのである
だから不便でもどれだけ時間をかけたかでその時間に比例して旅の経験が深化されるのである

ともかく人間は余裕ないと失敗しやすい

これは法則のようなものかもしれない、余裕がないということですでに追い詰められているから無謀なことをしたり何か無理をしたり客のことよりも会社とか自分の利益を優先する、すると一見一時的には利益をあげても信頼を失うとかあとになると失敗だったともなる
つまり余裕がなくてすることはすでに失敗だったとなる
余裕がない時はそうした行動はするなとまでなるのである
要するに潔白を保てないということである

ただすべてがあてはまるともならない、なぜなら信長は窮地に追い詰められていた
でも一か八かの賭けで少人数でも大軍に勝ったということもある
「九死に一生を得る」ということもある
でも余裕がないと失敗することが多い、秀吉の水責めなども秀吉軍に余裕があったからできた、徐々に追い詰めて降参させることができた
すでに城を包囲して水責めになったとき秀吉軍は勝っていたのである
攻める方にそれだけの余裕がありゆとりがあったからである 
そうすれば見方も死ぬ人も出なかったのである

なんであれ時間的余裕がない判断で失敗する
でも一方即断せねばならなと時もある、だからその兼ね合いがむずかしい
コロナウィルスの対処でも早い時期から即断する必要があったからだ
そこに待っている余裕がなかったのである
だから一律には語れない、時と場合によるからである

行動のチャンスが人生には一回しかないとかでもそうである
行動するチャンスは本当に人生では一回二回しかないともなるとするとその行動するチャンスを逃したら永遠にそのチャンスはめぐってこないのである
そういうふうにどうしていいのか悩む、でもそこで決然として行動して物事が開けて解決することもある
そういうことは若い時に起きるがその後はやはり余裕をもってしないと長期的には失敗するとなる

今成功する今金になればいいとなるがそれで長期的には失敗する
今は損でも余裕をもってできるならするとすると成功するともなる
その兼ね合いむずかしいとなる
                                   
富はそもそも一代で築くのはむずかしい、何か急速に金持ちになった人はまた急速に金を失いやすいこともある、遺産をもらうとかするとそうなりやすいのである
例えば富は金があるだけではないからだ、富になるのは土地があっただけでもならない
農業をみればわかる、土地があってもそこに費やす労働力が大きいのである
そしてその家が豊かになるというとき作物を育てるノウハウが富になる
それで農家では果物でもなんでもそのノウハウが子供に伝授されるから豊かになる
つまりそうした売れる作物を作れるノウハウがなければ豊かになれないのである
そういう家はそうして富を生み出すものをもっているから余裕があるともなる
一から富を作り出すことはむずかしい、そこに余裕ある家とない家が生まれる
そうして富がある家は何か始めるにも余裕もって始められるから継続して栄えるということがある 

ただどうして豊かになるのか、金持ちなるのか?
これは常に語られていてそれを商売にする、何々するともうかりますよというのがインタ−ネットでも無数にでている
それはみんな金持ちになりたい、何か簡単にすぐに金持ちになりたいからでありおいしい話にとびつく、そしてかえって損しているのである
富は得は徳でありそんなに簡単に楽に富が手に入るのか?
何か不正して富が手に入るのか?それが疑問なのである

富はだから一代で築けない、その家の何かが積み重ねがあってその跡を継ぎ金持ちになるとか豊かになる、だから何でも時間がかかるのである
株でもうけようとしてもそれを実際にして株の売り買いを経験して失敗でもしてみなければもうけられない、すると時間がかかる
そしてパソコンの画面を一日中株の取引きのために見ていればスキルが身につく
するとそれでもうけたとしても他のスキルは身につかなくなる
何か勉強したいことがあっても他のことができなくなるのである
そして人生が終わって富を得ても人生で何を得たのだろうとなる

結局人生とは

□×時間=実り

これだった、何に時間をかけるかでそれが後年実りとなる、旅でもそうである
旅に時間をかければ旅したことが後年実を結ぶのである
楽器を買うのに金はかかる、しかしそれよりその楽器を学ぶ時間が大事なのである
私は旅したけど確かにホテルに泊まるのに金はかかったがいつも最低の値段の宿を探していた、それで苦労した,食事も最低である、外国に行ってもそうだった
ただ腹をみたせばいいとしかなかった
その後は自転車旅行でありテントで寝たから宿代は無料だったのである
それより時間があったからから自由な旅ができた、もう会社員とかでもなるとできないからだ、とても一か月とか自由に旅行などできないからだ
そういう人は正規のルートからはずれてしまうからである

とにかく何か金持ちになるとか豊かになるというときいろいろある、ただ老人になると記憶に生きるようになるから何を体験したのか経験したのかが大事になる
金持ちでもワインにこって蘊蓄もあったが無駄だったとか言う人がいるからだ
自分もそう思う、そこに時間をと金を費やしても無駄だったということがある
そういうことが人生には本当に多い、とにかく時間を無駄にしたことがみんな後悔している
これだけは共通しているのである、そしてその時間はもうとりもどせないから深刻なのである、百億円あっても青春時代はとりもどせない、女性でも美貌はとりもどせない
これはビジネスでもあらゆることに共通しているのである

食物はお金で買えるが      食欲は買えない
薬はお金で買えるが       健康は買えない
寝台はお金で買えるが      安眠は買えない
化粧品はお金で買えるが     美しさは買えない
別荘はお金で買えるが      心地よさは買えない
快楽はお金で買えるが      喜びは買えない
友達はお金で得られても     友情は得られない
使用人はお金で得られても    忠実さは得られない
静かな日々はお金で得られても  平安は得られない

安眠はやはり大きな部屋とかで眠り安いからこれはあてはまらないかもしれない

使用人は雇えるが忠実さを買えない

これは経験したからそうである、雇われる人は金しか関係しない、だから盗まれるからとして裸にして働かせた金持ちがいるほどである、家で働く人は一番危険なのである

知識だって買えない、なぜなら本をいくら金があって買えても理解することがむずかしいからである
今は私はいくらでも本をアマゾンで買える、でも理解するとなるとわずかの本になる
知識自体が金では得られない、外国に対しての知識でも外国旅行するとか体験がないと身につかないからだ、これも時間がかかるのである

家族の愛とか忠実さを金で買うことはできない、社長がいたとして社長が社員に忠実さを求めても得ることは本当にむずかしい
結局人間は「金の切れ目が縁の切れ目」で終っている
金が必要でも金ですべては買えないのである

2020年02月06日

abstract underworld (地下の世界)


abstract underworld (地下の世界)

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Buddha meditating in a cave  

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Underground Giant Face

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undergrand temple-enlarge

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 underpass in the forest

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Forest underpass


なぜ抽象画が大量に作れるのか
それは他人の写真であれ絵であれ創作したものを変形しているだけだからである
私自身がイメージして想像しているのではないからである
AIのように機械的に作っているからいくらでもできるとなる
ただ原画とあまりににていると著作権違反になる
でも二次的創作となっている

Why you can make a lot of abstract paintings
Because it's just transforming what you create, whether it's a picture or a picture of another person
Because I'm not imagining myself
It can be done as much as it is made mechanically like AI
However, if it is too much with the original picture, it will be a copyright violation
But it's a secondary creation