2020年01月30日

権力者は常に情報を隠ぺいする (コロナウィルスと原発事故の共通性)


権力者は常に情報を隠ぺいする

(コロナウィルスと原発事故の共通性)

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武漢のコロナウィルスは最初から情報が隠蔽されていた、中央政府からも情報が出されず隠蔽されて結果としてウィルスがたちまち蔓延した
そして一市民が危険を冒してyoutubeで発言して助けを求めている
また情報で混乱しているのも原発事故と同じである
浪江の人は一番危険な放射能汚染の場所に対馬に逃げた
津島が山の奥であり原発から離れているから安全だと思ったからである
そのことを原発関係者は知っていたが何も知らせなかった
ただ原発で働いていた東電の人がいて津島の山の方に逃げるより街の方が放射線量が低いと街の方に引き返した、それが正しかったのである
つまり東電に勤めている人が知っていたのである

武漢でもこれと同じような混乱が起きている、情報が錯綜して混乱している
インタ−ネット時代でありそれで様々な情報が出ている
ただ中国ではインタ−ネットも政府から規制されているから隠れて日本人の友達から放送して助けを求めている
もともと常に権力者は情報を隠蔽するのが常套である
危険な情報は出さない、でもどうしても人間がウィルスに伝染したりすれば隠すことができない、そういうときはすでに時遅しとなっているのだ

原発でも最初から強力な情報統制が行われていた
そして原子力村によって支配されていたのである
そこでは安全神話が作られて逆らうことはできなかった
政府ー官僚(検察)−労働組合(電事連)−自治体ーマスコミー地元権益者
こういうふうに強力な利権で結ばれたものは完璧とすら見えた
だからこそ安全神話は強力に作られたのである

でも原発内部で働いていた人たちは配管などで仕事していた人は壊れるとか見ていた
それを報告するにもできない、なぜなら東電の権力は絶対だからである
千人も電気工事関係者が働いていたがその人たちは東電の命令は絶対だとしていて何も言うことができない
言えば仕事がもらえないからである、東電は絶対的権力をもっていたのである
これは中国のコロナウィルス騒ぎとにている

なぜならコロナウィルすは生物兵器のウィルスがもれたためだとも言うからだ
それは秘密裡にされて作られていた、その証拠がないにしろ生物兵器工場が武漢にあったそこでフランスの技術者が協力していたのである
これは限りなく黒に近いともなる、火のない所に煙はたたないとなるからだ

とにかく原発でもそうだが常に権力者が隠蔽する、それは危険なものでありその危険を隠蔽する、そうせざるをえない、そしてその管理もずさんなのである
生物兵器でもウィルスがもれる、原発でも放射性物質がもれる
そういうことは事故がなくても現実に今でもあるのだ
原発のまわりではもともと放射性物質がもれていたのである

こうした政府指導のものは常に情報が隠蔽される、そうするこきによって危険が知らされない
なんとか指導者も権力者も隠そうとする
でもこうして必ず何か事故となり危険なものがもれてきて初めて大騒ぎして隠すことができなくなるのだ
これはウィルスでも原発事故でも同じだったのである
これは政治体制の問題であるが中国だげではない日本も同じだったのである
日本は自由なようで常に江戸時代から隠蔽社会だった
庶民は何も言うことができない社会だったのである

でもそうして情報を隠蔽すると事故になったりこうして危険が明るみに出てその時被害が拡大して止められなくなるのだ
その情報の隠蔽の結果として重大なことが起こり誰かが民衆でも国民でも責任をとらされるのである、今回はウィルスで中国国民が死ぬのである
これは中国の一党独裁とか政治体制の問題でもありまた世界的に日本でもそうだったように権力によって隠蔽される結果そうなる
権力者は都合の悪いことは表に出さないようにできる
でもそれが隠蔽されているといつしか必ずこうしてウィルスでも何でももれてくる
いつか明るみに出される
これはやはり真実がいつか明るみに出されて裁かれる、神から罰せられる通じている
時間はかかるにしろそうした隠蔽された悪が必ず明るみに出される
それが人間がするのではなく原発の場合は津波だったのである

このコロナウィルスが問題なのは中国だけの問題ではない、グロ−バル化しているからこそ世界の恐怖となる、この伝染病は本当に怖いものとしてあった
ペストでヨ−ロッパの三分の一が黒死病で死んだからである
これだけグロ−バル化して人が交わることはいいことのようでもそこに大きな危険が潜んでいたのである

何か世界が交わることはヨ−ロッパの大航海時代からつづいていた
でもその交わることで第一次第二次世界大戦となった
その死者は何千万人にもなったのである
江戸時代なら確かに遅れているし貧乏でも朝鮮半島とも中国とも争う必要もなかった
平和な時代がつづいていたのである
だから必ずしも人が国が世界が交わるグロ−バル化することは全面的にいいとはならないその負の部分がこうして拡大してきて歯止めが必要になったのである

老子の言うように平和を維持するには「小国かみん」がいいとか何か鍬までもつなとか
隣の村とも交わるなというのは人間の歴史の逆説である
国と国が世界的にグロ−バル化して交わった結果、世界大戦で何千万人も死んだとか
いいことばかりではなかったのである
鍬をもつなというとき道具をもつ延長として石器で殺し合っていたのが鉄の発明でより
殺傷力が強いもので鉄の武器で殺し合うようになったのも人間の歴史だったのである

ウィルスはやはりグロ−バル経済とかに対する警告なのである
神からの警告なのである、オリンピックももうそんなものに金をかけることは必要ない
それは平和の祭典とかではないからだ、マスコミとか利権者の金儲けのためだけなのである、何か意味があるわけでもないのである
オリッピック自体もうやめるべきなのである、別に技を競うならそれぞれの種目の世界大会で十分だからである

インタ−ネットの普及で情報社会になった、でも原発事故でもそうだが結局情報は権力者がにぎっていて表にでないのである、情報は統制されるのである
特にマスコミは政府であれなんであれ創価とか他の宗教団体であれあらゆる団体の圧力でタブー化する、そしてタブー化する結果、大きな事故とか災いを生まれて来る
これがさけようがないのである
民主主義の社会としても日本は情報統制がかえって強い、自由に発言ができるようでできないのである、その象徴が原発事故で起きたていたのである
その隠蔽のために故郷に住めなくなったり大惨事となってしまったからだ
それはコロナウィルスにも共通しているのである

posted by 天華 at 18:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

時給で雇われる人はモチベーションがもてない (金だけでモチベーションが持つことができるのか?)


時給で雇われる人はモチベーションがもてない

(金だけでモチベーションが持つことができるのか?) 

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このソファーの良かったのは一人分だと窮屈になる、二人分だと広いからゆったりとする
これは一人分の用があるということだけでは十分ではない
一人分だけの有用さを作るとしてもそこにさらに二人分となると無用となってもそこに老子の言う無用の用が生まれるのである
だから一人分の椅子とかソファーがあるがこの二人分のソファーはゆったりと座れるのである
通販だと大きさと座り心地とかわからないことがある
それで失敗している、確かに寸法が書いてあっても全体の大きさとか直感でわからないのである
だからすべて通販がいいとはならない
でも通販だと配達が無料である、そこが矛盾なのである


イオンに行ってソファーとか棚のようなものを買った
配達料が千円とられる、そこに消費税もとられる
だから実際は高くつく、車がないから配達してもらほかない
でも通信販売だとソファーでも大きさとか座り心地とかわからない
それから着るものでも体にヒットするとは限らないので失敗した
それでソファーはいいものだと言った
でもその人はイオンに雇われる人であり何か売る気がないし
買ってもらって喜ぶということもない

要するに時給で雇われる人はそういうふうにモチベーションがもてない
ここで雇われているのはただ時給いくらであり他でも百円高いなら他で働くとかなる
何かコンビニでもそうだが時給で働く人はモチベーションが低いだろう
結局いくら働いても時給で決まっているからである
そして何かあなたはこの会社で特別な人だとかならない
雇う方でも時給いくらだとしかならないから誰でもいいとなる
それは誰でもできるものだから今度は安く外国人を使った方がいいとなる
外国人の方がベトナム人でもはネパール人でも為替差益で高くなるからである
それを家族に仕送りしているのである
そういうモチベーションがかえって外国人にある、日本人にはないのである

要するに時給いくらとかなるとそれはAIでもロボットでもいいとなるのだ
だからこそ雇う方ではAIの方がロボットの方が自動化した方がいいとなる
人件費が最大のコストだからである
JRではだから無人化して無人駅を増やしているのである
コンビニでも自動化してゆく、時給で雇われる人はロボットにAIに代わられる安いのである

でも人間は働くという時、今は金だけである、金がいくらもらえるかでモチベーションが決まる、これしかもらえないのかとなるとモチベーションが低下する
それが今の働き方でありそこではただ金だけがモチベーションになる
また非正規だとモチベーションが下がる、時給いくらで安く雇われるだけだとなる
同じ仕事しても正社員と比べると差別されるからだ

基本的に金が給料でも時給でもモチベーションになる、こんな給料でやっていけるかとなるからだ
でもモチベーションというとこれも実際は人間の価値観として重要である
なぜなら資本主義がウェバーのキリスト教の他者に奉仕するというモチベーションから始まったという説があるからだ
他者に奉仕するために修道院から資本主義がはじまった
そういう思想が最初にあったということからモチベーションが重要なのである
社会主義にも平等にするというモチベーションがあり人間のすることにかかわるのがモチベーションである

例えば江戸時代とか戦前とか戦後まもなくとか家族経営とかあった
そこでは家族がみんなで働き家族を守る、家族が共同して豊かな暮らしをするということがあった
そこで自ずとモチベーションが言わずとも強制せずともあった
だから自給いくらで働くのとは違ってモチベーションがあった
売れれば家族の利益となるからだ
今は時給で働いていたらモチベーションが上がらない
ただあなたが売ったらいくらとか会社からその人が売った分が金として払われることがある、そこでモチベーションをあげるということはある
それはあなたの営業力とかを評価するシステムである
ただ家族経営のようにはいかない
それで働くことが端を楽にするということから来ているように家族経営だったら家族を楽にさせたいというモチベーションが働くのである
ベトナム人とかネパール人は貧乏だから家族を助けたいということで働いているのと同じである

いづれにしろこのモチベ―ションは大きな問題である
なぜなら戦争のようになる時死ぬとなるともう金の問題ではない
国のために死ぬというモチベ―ションをもたないとできないからである
とても金だけで戦争して死ぬとなると断る人もでてくる
そんなことで死にたくない、十億円もらっても死にたくないとなる人もいるからだ
だからそういうぎりぎりになるとモチベーションがないとできない

何か人間社会にはこのモチベ―ションがあらゆるところで問題になるのだ
youtubeするにしてもプログにしても何か一か月一千万稼いだとかなんとかになると
そんなにもうかるのかとやる人もでてくる
でも金にならなかったらやらないとなる
でも私の場合は自分の創作したものを文章でも発表できるということでつづけている
それは他に発表する場がないからである
それで別に金にならなくてもしているのである

芸術家とかなると金がもらえるから創作しているのではない、画家だったら自分の納得のいく作品を作りたいというだけでありそれが金になるかならないかは二の次なのである
芸術家に十億くれるからいい絵を描けと言われても簡単にはできない
十億やるから技術者に科学者に発明しろと言われても簡単にはできないのである
そこにはやはりモチベ―ションが必要になる
十億もらえるのかとモチベ―ションになっていい絵が描けたり何か発明したりはできないそこには金だけではないモチベ―ションが必要になる
だから人間の働く基本にモチベ―ションがないとつづかないし店員でも時給いくらだと売る気もないのである、売れても売れなくても時給で同じだからである

例えばお手伝いさんでもそうである、もし子供がいて家族のためなら掃除でも料理でも積極的にする、雇われる人はしない、まず本当に何もしたくないのである
命令して強制しないと何もしない、ただ目的は金をもらいたいだけだからである
もし家族だったらモチベ―ションがあるから家をきれいにしたい子供を育てるとかの目的がありモチベ―ションがあるから自ずからする
雇われる人にはそういうことはないからなおざりになる
ただ金だけを要求してくるのである
そうなると機械で皿洗い機械とか何でも自動化してやれればいいとなる
それは雇う方が人経費を減らすの同じである
つまり今の社会が会社がそういうふうになっている
だからこそ何でも自動化して機械化した方がいいとなっているのだ

働く方もモチベ―ションがない、雇う方も誰でもいい、時給いくらだとか人件費をコストを減らそうとする                

そして会社で求めているのは何か?

AIやIT技術者でありまた機械でありロボットを操作する人である

時給とかで雇う人はいらない→ITにAIに機械にロボットにやらせる

こういう近未来の社会になるとどうなるのか?
コストのかかる人間はいらない、IT技術でAIで機械でロボットにまかせる
でも奇妙なのは別に機関もロボットも何のモチベ―ションもない
その機械がロボットがAIがもうけたいとかほめられたいとか家族のためとか地域のためとか何かそうしたモチベ―ションはない
つまりモチベ―ションをもてるのは人間だけなのである

戦争するにしてもなんらかモチベ―ションがなければできない、生きるか死ぬかとなる余計にそうなる
ところがAIとかロボットとか機械時代にはモチベ―ションはない
何をするにもモチベ―ションはないのである
実はAIでもロボットでも機械でもモチベ―ションをもって動かしているのは人間なのである
ここが人間とAIとかロボットとか機械の根本的相違なのである


posted by 天華 at 16:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

New Year-train go in America

New Year-train go in America


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deathvally in America

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ここに文明の都市があり大きな建物があった

今も柱が残っていることでわかる

いつしかその文明の都市も廃墟となった   

Here is a city of civilization and a big building

You can see that the pillars still remain

One day, the city of that civilization was also ruined