中国ではどうしてもウィルスが繁殖しやすい風土
(中国はなぜ汚いことに無感覚で日本人は異常に清潔なのか?)
中国というときなぜか三回も行った、中国は汚いことに無感覚である
一方日本は清潔さでは異常なほぎ敏感である、塵一つでも嫌がる
清潔民俗である、その相違は何から来ているのか?
これもやはり風土からそうなったのではないか?
そもそも中国は清潔に保つにも保ちようがないのである
黄砂とか飛んできて汚れるのが普通である
その汚れを気にしていたら住むことさえできない国である
そして川は大きくてみんな汚い、あらゆるものがそこに流れているのだ
それはインドのガンジス河でもそうである、川は長大でありなんでものみこんでしまう
そしてその川は海にそそぎ海まで濁っているのだ
それで中国でも海から行くと白水といって海が濁ってきたら中国大陸が近い
中国に来たということを意識できるのである
つまりだから中国に入るということは海まで汚くされる国に入ったとなる
中国はそもそも汚いことに無感覚になるように風土的になっていたのである
日本と比べると川はきれいであり透明である
そういう場所にいれば何か少しでも川が水でも汚れると嫌だとなる感覚が身につく
だからこそ禊(みそぎ)とか川で水で洗って浄めることが神道になった
神社でもゴミ一つない、静粛な清浄な場にしている
これも中国と日本の相違なのである
だからその国民性とか文化でもその風土と密接に関係して作られている
そもそも砂漠を見たらどうなるのか?そんなところに住んでいたらどうなるのか?
砂漠では砂が浄めるのである、砂にすべてが埋まり隠されてしまう
その広大な砂漠に穢れはないのである、だからそこに神が住んだのである
日本では水がきれいだし水で浄める、大陸では砂漠が砂が浄めるとなる
日本では砂漠がないのだから砂漠を知ることはできない
また草原もないし大陸のような広大な土地がない、だからそこから生まれる感覚が理解できないのである
つまり日本という風土で育まれた歴史と文化があり大陸で育まれた歴史と文化は違ったものになる
だから中国であれヨ−ロッパであれインドであれその国を歴史と文化を理解するのは本当にむずかしい、ただ比較すると日本はどうしてこれほど清潔なのか?
また中国が汚いことに無頓着なのかわかる
だから中国ではどうしてもウィルスなどが増殖しやすいのである
今回の武漢のコロナウィルスもそうである、ネズミを食べていてそこから感染したともしている、中国人は何でも食べる、飢饉で土まで食べたということもある
人肉も食べる、中国は常に飢饉があると膨大な数が流民化して革命も起きる
何かイナゴ民族のようにも見える、何でも食いつくしてしまう勢いである
それだけ人間が広くでも多いからそうなっている
だから中国の政治ではまず人民を食わせることが第一だとされている
そうでないと反乱が起きてくるからである
いづれにしろなぜ自分が中国に三回も行って被害にもあわなかったのか?
一回はあっている、カメラをとられたが後はそれほどなかったのも不思議である
自分自身は海外旅行に慣れていない、それで三回も行ったのである
その理由を後で考えると何か自分も清潔さがなく中国人と同じようになっていた
中国人の中にまぎれこんだのである、顔でも日本人と中国人は区別がつかない
結果として被害にあわなかったのだと思う
白人だったりすると見ただけで見分けがつくからである
とにかく中国と日本の相違はその風土にある、日本は中国の広大な大陸国家を理解できない、小日本になる、中国人は日本の歴史や文化を風土を理解できないことにある
でも不思議に漢詩がありその漢詩の詩語が日本語化して短歌や俳句に利用された
でも根本的には大和言葉がありそのなかに漢語が入って日本文化になった
漢字も日本化したものなのである
それで中国の西安に前の長安に行った時、柳が垂れて雨に濡れたとき何かほっとしたのだ砂埃が街中でもたち何か汚い、でも雨に濡れたとき柳でも新鮮になる
何か汚れが洗い流されるという感覚になった
まさにこういうことを経験しないと文化も経験できないのである
送元二使安西 王維
渭城朝雨潤輕塵
客舎青青柳色新
勧君更盡一杯酒
西出陽關無故人
元二の安西に使するを送る
渭城の朝雨 軽塵を潤し
客舎青青柳色新たなり
君に勧む更に盡くせ一杯の酒
西のかた陽關を出ずれば故人無からん
ここは砂漠に近い所だからこうなった、
渭城朝雨潤輕塵
客舎青青柳色新
これを実感したのである、だからまず風土を知らないと詩でも文化でも理解できないのである、軽塵を潤すというときどうしても中国は砂漠が近いから黄砂とか埃りがたつ
砂で汚れるのである、だから雨がふったときその砂が埃が雨でぬれてたたなくなる
それが本当に気持ちいいということを実感してこの漢詩でも理解することになるそ
それは俳句でもそうである、時雨とか台風とか日本にしかない天候があるから日本の天候を理解しない限り季語も理解できないから俳句でも理解できないのである
グロ−バル化するとこうして様々な国と歴史でも文化でも交わることになる
そこでウィルスでも入ってくるし様々な軋轢が異民族で異なる国家で起きて来る
それもいい面と悪い面がある、中国の悪い面がこうしたウィルスとかが広がり安いことでありそれが世界に影響することである
それがまたグロ−バル化のリスクなのである
ただ日本の歴史とか文化の欠点を補うものとして大陸文化も歴史もある
だから常に外国で生活した人は日本人をその歴史でも文化でもこきおろすのである
それだけ比較することによって日本が対象的に見えるからそうなるのである
日本人は細かすぎるとか何か大局的に判断したりするのが苦手である
日本は自主性がなく同調圧力が強すぎるとか様々な日本人の欠点もそうである
日本はヨ−ロッパとか欧米に明治維新以来習ったけど中国のことがわからなくなっているでも漢字を日本化して漢詩からとか中国の文化を深く学んでいる
でも実際の所は中国は最近貿易の面だけで物質の面だけで交流している
唐の国と交わった時は文化的な面での深い交流があった
それが現代との大きな相違である、文化面で日本は中国文化を深く学び取り入れたのである
その時日本と中国が争うようなこともなかったのである
だから歴史をふりかえれば今のグロ−バル化というのは本来の国と国が民族が交わるのとは違っている、文化という時、労働者など入れないからである
あくまでも文化面で特別なエリートしか入れていない、鎌倉時代の禅僧でも中国からいろいろ文化を伝えた、お茶でもそうである、それはモノがとして入ってきても文化として入ってきた、それが今とは違っている
日本は物だげではない、文化を取り入れたのである
だから国が違うとき歴史文化が違うのだから何でも取り入れるのはかまくいかないのである、その国にあったものを取り入れるべきだとなる
それで日本がでは今なんでも食べているが日本人には肉食があっていなかった
それは身体でもそういうふうに風土と文化と歴史から作られたものだったのである
なぜなら日本人の腸が長いのは穀物などを消化するために長くなった
そして欧米とかでは肉食が主流だから肉を消化する酵素が出るという
肉食に適した身体として作られていたのである
魏志倭人伝に、「其の地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲無し。」とある
日本文化の特徴はこうした動物と関係していない、漁労民族であり縄文人でも狩猟をしていても森の国だから採集民族だったとなる
そういう風土から日本の文化が作られたのである、神道にしても日本の風土から生まれたのである
日本という風土はもともと自然に恵まれて清潔な場所だったのである
そこから日本人の精神も育まれたのである
豊国の企救(きく)の浜辺の真砂土(まなごつち)真直にしあらば何か嘆かむ(万葉集)
日本の自然は砂浜でも清浄だった、原初の状態を見たらその美しさふれたらこういう心になるのが自然なのである、だから中国の自然と日本の自然はにているようで全然違っている、こういう砂浜がおそらく中国にはなかったと思うからである
人が死滅する中国汚染大陸 超複合汚染の恐怖 (経済界新書) (新書)
澁谷 司
目次だけ読んだが中国はこんな状態なのである