2020年01月05日

小泉首相はナチズム的手法でゆうちょを民営化した (マスメデアは洗脳機関だった)


小泉首相はナチズム的手法でゆうちょを民営化した

(マスメデアは洗脳機関だった)

マスメデアがこれだけ力をもったのはその情報を操作して伝える力をもったからである
白を黒とも伝えられるし黒を白としても伝えられる
その判断はマスコミがしていたのである
それで最近なぜ小泉信三前首相があれほどゆうちょを民営化しようとしたのか?
それは外資にアメリカに国際資本家にゆうちょを民営化して貢ぐためだったと批判する人がいる
そうしなければならなかったのはアメリカの圧力であり日本は植民地だからアメリカに従わないければならない金を奪われても仕方がないということになっていた

ただそういうことをあからさまにはメデアでは言わない、マスコミでは言わない
だからマスコミにのせられてゆうちょを民営化することに熱中したとなる
それは小泉前首相がそういうふうに国民をあおるのにたけていたとなる
また国民もゆうちょの民営化は国民にとっていいものだとその時は熱中していたのであるそれはもしかしたら戦争でも政府があおり国民が熱中した構図とにているのかもしれない戦争でも今では朝日新聞があおったとしているからだ
オリーブの木で小泉信三と竹中平蔵と安倍首相がその首謀者であり日本の経済をだめにした張本人だとして告発している
バブル崩壊からの30年くらいが失われた時代であり日本経済が低迷した
その原因が小泉前首相とか竹中平蔵とか阿部首相などがそうさせたとして批判している
つまり外資に国際資本家にアメリカの言うなりになってそうなったとしている

経済が特にグロ−バル経済になるともう誰もその仕組みもどうなるのかもわからない
だから処方せんも書けないとなる
江戸時代に二宮尊徳が成功したのはその経済が眼に見えて具体的に把握できたからこそである、それで何を正せばいいか見えたからできたのである
グロ−バル経済だったらもう何を正せばいいのか見えないのである
それで必ず陰謀論になって終わっているのである

でも具体的に見えるのはカジノ利権とかある時である、それはカジノを運営したいのはラズベガスでカジノを運営しているユダヤ資本家だという、その名前もあげている
一方で中国でもかかわろうとして議員に賄賂が送られたとして検察が取り調べるをする
その裏はアメリカと中国がカジノ利権を日本で得ようとしているからだとなる
これがわかりやすいのは金がどういうふうに動いているのかわかるからである
それはまさに黒い金である

第一オリンピックでも消費税でもカジノでも国民が賛成していない、いるのは一部の利権者だとなる、ギャンブルは大きな利権である
だからパチンコが大きな利権でありこれでもうけている人たちは手放さないのである
原発だってこれも大きな利権だから地元でも官僚でも検察すら天下り先として東電と一体化して大事故になったのである
ただそこに見ているのは利権であり会社であれ個人であれ利である
利益を得ればいいというごけである、それはカルト教団でも宗教も実際は神より仏より
賽銭でもお布施でも利だとなる
神仏などよりそれでもって得る利が御利益が大事なのである
だからそういう利を否定しない、必ず拝めば利を得るとして教えている

金がこれほど力を持ったのもはなぜなのか?
それは本当は金とは媒介するメデアはメデュウムであり中間であり仲介するものに過ぎなかったのだがそれが力をもったのはマスコミのようにメデアとなっていたからだとなる
情報を仲介するだけのものでもそれが六局に独占されていたから第3の権力までになった
仲介するものがそれだけ力をもつのは金が貨幣が情報だからだという人もいる
今では金は数字としての情報である
そしたらその情報を伝える力をもつものが力をもつのは当然だとなる

人間は金だけではない、情報に左右される、今になるとなぜ小泉前首相が郵貯を民営化することにあれほど熱心だったのか?
そして国民がそのことに熱中したのか?これも本当に不可解になる
そうしむけたのはマスコミだったともなる、いつもテレビに小泉首相が簡単なわかりやすいフレーズで訴えていた、それが小泉前首相がうまかったのである
それがテレビという媒体がありそれにのっかたからである
マスコミは冷静に批判して伝えない、疑問もさしはさまない、良く議論もさせない、
一方的メデアなのである、マスコミはただ媒介する中間のメディウムではない
確実に放送局の意志があって決められる、それは幹部の会合でしているのである
ただ事実を報道するということではない、その事実の報道でも選ぶことによって力を得ている、何でも放送するわけではないからである
つまり放送局にとって大事だと思うニュースを流しているのである

なぜ人間はこれほど人物でも事の真相でも見えないのか?
それは人間は直接首相などでも聴くことなどできない、必ずそこに媒介する者がいて
その媒介する者に左右されるのである
噂でも人から人へと伝えられて別なものになってしまうと同じである
ゆうちょを民営化するのはアメリカにゆうちょの貯金をさしだすためだとか外資に売るためだとか言う人はいてもその仕組みが良くわからないからうやむやになっていて注目されななかった

大衆にとってはわかりやすいことが訴える!

それが小泉前首相はうまかった、演技者だった、それはナチスのヒットラーの手法だったのである、ワンフレーズで難しいことは言わない、それが大衆に受けたのである
それはハイルヒットラーと同じだったのである
現代は大衆時代であり何百万人であれ千万人にも訴えるなるとそういう手法になりそれが大衆に訴えることになる
それでカルト宗教団体も何百万人の会員がいるとか増えたのである
それもナチス的集団なのである、その前に小さな声は圧殺されるのである

だから民主主義などこれだけの人数が多いともう機能しないのである
ギリシャのボリスがせいぜい一二万の人口の都市で行われていた
それは直接民主主義てある、現代は間接民主主義でありまさに間接ということはそこにメデアが介在してそのメデアの影響が大きくなるのだ
そこで中間とか中立とかはありえないのである、メデアはどちらかに偏る
それがメデアの問題である、それでグーグルさえそういうメデアであり中立ではない
中国に通信技術を盗まれるとかいうけどそれはアメリカが情報をITの技術を独占するから対抗してそういうようになる、それが米中の対立となっている 

それにしても大衆というのは簡単に洗脳されるものだと思った
それでピカートはラジオがナチスを産んだとして批判した
それだけラジオすら音声ですら大衆を扇動するのに十分だったのである
それがテレビになったとき映像になったとき千倍の効果を出すことができるようになったのである、映像の力はそれほど強力なのものである
だからこそテレビの映像は必ずしも真実ではない、操作されていてもそれを信じるのである、それでやらせとかあってもわからないのである
まず真実はその場に立たない限りわからないのである
だからテレビを見て何でもわかったようになるのは危険である
まず人間はその場に立たない限りわからないものだという自覚が必要である
そうしないとやらせが普通にテレビにあり真実は見えなくなるのである

ただこんなことを言っているのはやはりミネルバのフクロウは夜に飛びたつというとき
過去をりかえるとき真実が見えて来るという人間の習性があり常に事の起きた後しか真実が見えないからそうなっているのである
その時々のことは時流に流されて生きる、しかしその事が終わった時、真実が見えて来るただその時はもう方向が決まっていて前にもどすことができない
それが歴史でありまた人間の一生でもあった
人生というのはみなん老人になるとあの時そういうことだったのかとわかるのである
何が大事だったかも人生を経験してみてからしかわからないのである
でも失敗したからとして道を誤ったからとしてその時に戻れないのが深刻なのである
戦争で3百万に死んだのはなぜだ、こうすればあうすればまた深く考えていればこうはならなかったといってもその時にはもどれない

3百万人死んだ人たちは生き返ってこない!

このことでもいかに道を誤ることが深刻かわかるのである、それは個々人だけではない、国家の進路でもそうなる、対処が誤ると道を誤るとそれだけの恐ろしい犠牲が出るということである、そして取り返しがつかないのである
共産主義でもカンボジアで2百万人死んだとか今でもカンボジアは最貧国で疲弊している
だから国家が道を誤ることはどれだけの犠牲が出るかということである
これは肝に命じなければならない、だから国民をただ他者に為政者にまかせるだけでは
いけないのである、結果的に無関心だと戦争にもなり犠牲がでる
それは原発でもそうだったのである
自分等も30キロ離れているから無関心だったのである
また地元の人たちは「安全神話」を信じていた、信じさせられた
結果的に放射能汚染になり悲惨な結果に住めなくなったのである
それも自分自身もそうだが無関心からそうなったのである

ただ政治とかにはなかなか関心がもちにくい、その原因が民主主義でもいくら一票あるからといっても無力感がある、どうせ変わらないとなる無力感がある
それは社会の規模が大きくなりすぎたいうこともある
一票でも百分の一くらいの重みがあったら違っている
比例区とかなると百万分の一ともなれば一票などどうでもいいとなるからだ
そこに無力感があり民主主義はポピュリズムになり大衆化して遂にはナチスのようちファシズムになり安いのてある
あまりに規模が大きいともう民主主義は成り立たなくなる
そこで通用するのは小泉前首相のようにナチズム的手法になる
それが現代の政治だけではない全般的な問題なのである

外国旅行を20か国以上している人は3パーセント (私はその部類に入っていたーその回想) (私はその部類に入っていたーその回想)


外国旅行を20か国以上している人は3パーセント

(私はその部類に入っていたーその回想)

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私が旅した国


日本で最も多く旅行をしている層は55歳以上で、11%が11〜20か国、3%が21〜30か国、1%が31か国以上
また、「これまでに訪れた国はいくつありますか」という質問に対し、68%の人が最大10か国を訪問したことがあることがわかった

中国に三回も行っているから国の数だけ多くしてもそれで本当に海外をわかったかとなるとそうはならない、日本の旅でも量より質だともなる
どれだけその国について理解を深めたかである

私の場合は海外旅行したとき50歳からバックパッカーで一か月は旅行していた
だから団体旅行とは違っていた
でも外国となるわからないことが多すぎるから説明つきのツアーの方がいいとも思った
何かわからないままに終わったのが多いからである
そして海外の一人旅は辛いのである、だから我ながら良くできたと不思議に思う
何か事故とか事件とにも巻き込まれることもあっても不思議ではなかった
それは中国に旅した時、バックパッカーで汚いので中国人と見分けがつかなくなっていて襲われることもなかったともなる
それは十数年前だったからである、その頃まだ中国はあんなに発展していなかったのである、だからあんなに発展したのは信じられないとなる

中国とかロシアなら広すぎるから一回くらいで旅はできないのである
ロシアは旅したとしてもウラジオストックからシベリアの方だけである
そこで印象に残ったのはアムール川の大きさだった
それを鉄道に乗って見たのが印象的だった
そこから満州に入り中国を鉄道で帰ってきたのである

とにかく外国を知るにはまず一回でもその地を踏んだ人の方が実感として知るのである
それは地中海を船で行った時、キプロスに6時間くらい立ち寄った
それだけでもキプロスという国を実感するのである
キプロスに行ったということでその後そこで預金封鎖などがあった
その国の事情を知る、そこに一回だけでもその地を踏んだことでそうしたことに興味を持つのである
トルコの人でもキプロスにヨットをもっているとか金持ちがいたのである
ロシア人がそこに別荘をもっているというのもわかる、シリアにロシアがかかわるのもそういう地理にあるからだとなる
キプロスは十字軍時代からイギリスがかかわっていたというのも古い歴史があると思ったヨ−ロッパはそれだけどこも歴史が古いのである

まず知識人になるには今は外国旅行はもちろんだが留学しないとなれない時代である
どうしても外国を深く知るには住んでみないとわからない
でも一回その地を踏んだだけでも実感するから違ってくるのである

ただ行けない所もかなり残った、アフリカがそうである、でもナイル川の下流にヌビア人
がいて黒人だった、そこはアフリカだったのである
エジプトはアフリカだった、黒人が作ったという説もあるからそういうこきもありうる
アフリカに行きたかったが行けなかった 
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ヌビア人は何十年もの間、エジプト社会の主流からはじき出され、政治的にも野党暮らしを強いられてきた。エジプト南部とスーダン北部の境界にある歴史上の故郷に戻ることを目指し、ほとんど実りのない運動を続けてきた。

スーダンの領域にも入っていた、つまりそこはアフリカだったのである

ナイル川のヌビア人(詩)

ヌビアとは金の意味でありキプロスは銅の意味である、みちのくの辺境は黄金を出すことで大和王権に奈良に知られていた

すめろきの みよさかえむと あずまなる
        みちのくやまに くがねはなさく

みちのくも黄金をとれる地域として中央に知られていたのである、世界でも日本と共通なものがありそれを知ると人間として同じことがあると理解しやすくなる
でも砂漠が日本にないのだからそこは理解できないものとなるのだ
ピラミッドでも砂漠と切り離されず生まれたものだからである
ヌビア人のいる場所が辺境でありそのためにヌビア人が追い出されるとか迫害されるとかなる,境界地域ではそういう問題が共通して世界で起きる
私があったヨットのファルカーの案内人のヌビア人はアスワンハイダムの近くだった
私はアスワンハイダムには行かなかった

南米のマヤとかインカの遺跡も見たかったが見れなかった
今になると体力的にも気力でも外国旅行はできない、何か介護とかで消耗したからであるだから海外旅行などいつでもできる、他の事もできると思っている
実際はできくなる、50歳ころで親の介護になっている人もいるからだ
つくづく何でも人間のする時間が限られているのである
日本はほぼ旅行した、行っていないのは奄美大島くらいだった、それに今頃気づいた
外国はもう20か国以上となるとむずかしくなる  

アメリカ、ロシア、中国(三回)、韓国、タイ、ベトナム、カンボジア、インド、ネパール、エジプト、イスラエル、キプロス、トルコ、ギリシャ、イタリア、フランス、ドイツスイス、イギリス、オランダ

20か国は行っていた、3パーセントの部類に入っているとするとこれだけ行っている人は少ない、特に東北人は海外旅行している人がすくない、何か東北人はそうしたバイタリティに欠けている、引っ込み思案だとなる
関西の人は何か海外旅行でも抵抗ないということがある
外国人でも大阪の人は受け入れる、そういう土地柄なのである、大阪弁を外国人がしゃべっていることでもわかる、何か親しみ安いのである
だから海外旅行も抵抗なくしやすいのである

今や私は国内旅行すらする気がなくなった、海外旅行をましてできない、体力も衰え気力もないのである、だからつくづく若い内にハードなことをしておけとなる
いくら金があっても体力と時間がないと旅はできないからだ
海外旅行は相当に年取ってからは負担である
できるとしたらクルーズである、それなら80歳でもできる
ただ乗っていて食事もでるし楽である、ただかなり暇になることは確かである
三か月もかかるとしたら海ばかり見ていたら暇になる
そうなると人付き合いとかありうまくいかないことにもなる
とにかく海ばかり見ていたら飽きる、変化がないからである

東京から貨物船のような船で沖縄に行ったことがあった、食事は決まりきったものであきた、一週間になると船旅は変化ないのであきる
船にはかなり乗ったので船について古代史でも興味をもった
まず旅するとやはり地理はには興味をもつ、そして学問の基本が地理を知ることである
そのためには旅をしなければ海外でもんく本を読んでも実感できない、すると学問しなくても一回でも外国の地を実際に踏んだ人の方が知っているとなる
百聞一見にしかずとは本当に外国について知ることに言えるのである