2020年01月20日

場が人間のアイディンティティの基礎 (調和の庭(詩)−田舎と家と土地)



場が人間のアイディンティティの基礎

(調和の庭(詩)−田舎と家と土地)

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この四つが場所がいい、最近磯部に絆という喫茶店ができたが場所が良くない
海も見えない、庭から道路が見えるだけだとなるからだ
パン屋は海が見える、でもそこは休む家がない、パンだけ売っているだけである
場所として海が見える所が良かったと思う

鹿狼山の下の花木山ガーデンからの見晴しは最高である
あそこにも喫茶店のような休む場所があるがかなり狭い、でも場所としてはいい
ただ私はこれらの喫茶店とか行ったのは二回ほどしかないのである


日本の庭はやはり一つの文化である、家庭というとき家と庭だからである
ただなぜ人間は調和しないのか?
自然は荘厳な調和の世界であり宇宙である
人間社会は別に戦争がなくても絶えず争っている
他人に対してなにやかにやでもめているし衝突している
つまり人間社会には本当の平和は永遠にないのである

田舎でも別に人間が調和しているわけではない
ただ田舎の相違は何度も言うが「場所の現象学」で深く場が考察されたようにその土地と深いアイディンティティをもっているからだとなる
ふるさとというとき故郷でもありこの故は祖父から親から子へと継がれるものがあったからだともなる、里は場なのである

それは農業社会だからそうなっていた、それで農家では三代つづいてはじめて仲間と認定されて部落に受け入れられたというのもそうである
それは土地と深く結びついているからそうなったのである
場という時、私が言う観念的なものとは違う、具体的に生産の場をもたなければ生きていけないからである、農家と土地はそうして一体化しているからだ
土地は血肉ともなっているからだ

やはり何代もつづく家はそこに何か表現できないが重みを増してくる
それは蔵がある農家とかがそうである
都会だといくら豪邸に住んでいてもそうした重みが備わらない
それは土地と一体化した場をもたないからである
田舎の家は農家だと大地に深く根付いた木のように見えるからである

現代人の生が何か希薄化する、浅薄になる、重みがないのは場を失ったためである
日本の神社が社でも深く場とかかわり生まれた、神社と小社でも場と切り離されずあったからである、その地域地域の場と深く関係しているからである
それは外国でも神殿が建つ所はその場と関係していた
不思議なのはイスラム教でも偶像崇拝を拒否してもメッカという場が信仰の場となっている、方角と場に祈っているともなるのだ
つまたそれだけ人間は場から離れてありえない存在なのである
その場とのアイディンティティを失ったとき生の意味ももていなのである

だから何でも経済的に金で今は考える、そんな田舎に住んで金にならない生活できないとなるだけである、では都会で大金持ちになってそれで生の意味が価値が意味がアイディンティティが作れるのか?
普通は今ならそんなことは考えない、でも最近い若者でも田舎に移住する人が増えてきた空家がありそこに住めば広い庭があり場を確保できるからだ
そこで生活するとなると贅沢はできないかもしれないが場をもつことができる

ただ正直田舎の問題はかえってそうして場をもたない、家をもたない、ある程度の資産がないと暮らしにくい、市営住宅に住んでいるような人は何か場をもたないということで余計にみすぼらしく見えてしまうのである
そして田舎だとその土地の有力者は住みやすいのである
何か狭い世界で序列ができて威張ることができるからである
でもそうでないと田舎はそういう序列が見えやすいから住みにくいとなるのである

だから相馬市の煉瓦の喫茶店のことを入ってそれも城下町で場を得て調和したと見た
特に広い庭があったから余計にそれを感じたのである
喫茶店でもレストランでも何か場所がいいと価値がある
海の見える喫茶店とか山陰の隠れ家のような喫茶店とか丘の喫茶店とかである
津波の後に海老村には山陰の隠れ家のような喫茶店が農家の納屋を改造して作られた
磯部の柏崎の丘には薔薇を咲かせた西洋風の喫茶店がある
その場所で価値がまずある、家でもその場所の価値がある
景色のいい所にある家は価値がある、だから都会だとそういういい景色の場所がないから豪邸でも価値あるものと見ないのである

人間は意外と常に場の影響を受けているのだ、それを感じたのは家の中でもそうなのである、二階と下では何か住んだ感覚が違うのである
二階だと空が広く見えているし冬だと廊下に日がさしてひなたぼこして本読んだりしている、すると何かイメージが湧いて詩でも創作する、アイデアが生まれるのである

それは一つの家でも場所が変わると気持ちが変わる

だから何か書き物したり創作したりする人は家が大事になる、家は画家ならアトリエだからである、そこが創作の場所になるからである
そして不思議なのはそこにただ座る、胡坐をくみ座るのとソファーにもたれるという姿勢で脳の働きが違ってくる、これも不思議だと思った
姿勢を変えただけでも脳の働きが変わるのである、だからソファーでも背を伸ばせるソファーが椅子がいいとなる
そこでくつろぐといいアイデア生まれるとなるからだ
その点自分の家は恵まれているとなる、ただ一人で広いから困っているのである

老後を考える時意外とこうして場が大事になる、なかなかもう旅もできない、じっとしていることが多くなるからだ、すると家が広くて余裕があり思索する空間があることが大事になる、だから老後は家が根城となり大事なのである
そこで書き物などもするし仕事の場ともなるからである
だから景色がいい場所にある家だと最高だとなる
ただ私の家は街中にあるから景色がいいとはならない、でも田舎だから回りに高いビルなどないからいいのである

相馬市がいいのは平屋が多い、高いビルがない、ただ田町通りは広く新しくしたから何か違和感が生まれた、公共の建築物のように入母屋式のようにすれば昔の感覚が生まれたかもしれない、ただこれは両論がある
とにかく価値はいろいろある、一つの価値だけてはない、価値を生むものはいろいろある場所も立地も大きな価値なのである、これが価値の基本にある
それが人間の基本的アイディンティティとなるからである 



調和の庭

一つの庭に
石と石は
調和してある
石と石は対等である
石はそこに
一つの調和の世界を作る
それぞれの場を得て
石はそこに落ち着く
場に根ざして石はある
そこに高ぶるものなく
低きものもなく
石は調和して
一つの世界を形成する
大きな石も小さい石も
高い石も一つになる
人に例えれば
兄弟の石があり
親子の石がある
夫婦の石とみるごとくに
祖父の石のごとくに・・・        






2020年01月21日

(冬の城下町)相馬市が城下町であったことの価値 (歴史は全体であり精神も全体から育まれた)


(冬の城下町)相馬市が城下町であったことの価値 

(歴史は全体であり精神も全体から育まれた)

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冬の暮忠義の松や城下町


相馬市が城下町なのである、でも城の跡があるにしても何が城下町なのか?
城下町とは何なのか?それが意外とわからない
つまり城下町とは城があって侍が住んでいた町である
城下町の中心は侍の町でありその周辺に商人とか職人が大工などが住んでいた
でもその町の中心は侍が住んでいたことなのである

田町通りになるともともと田があったところでありそこから街に発展した
もともとは中村であり中村城であり中村駅なのが相馬に変わった
相馬氏がここに城を建てたのは戦国時代の終わり頃であり慶長時代でありその時慶長津波があった時代でもある

今になるとどうしても城があって侍が住んでいたということが意識しにくい
城下町というとき江戸時代ならそこは侍の町でありその周辺は田んぼであり畑である
農家になっていた、だからこそ田町とは田のある所であった
そういう地名は全国的にある、田から町に変化したのである
町とは一区画の意味でありだから村の中にも町(マチ)とつく地名がある
日立木の町場橋などもそうである、村の中に町場があった

かつては、町場の家大工は町内にある社寺なども手がけており、宮大工の技量もあった。そのため、野丁場の大工よりも町場の大工のほうが腕が良かった。

町場

ちょう ば ちやう− [3] 【町場・丁場・帳場】

@ 宿場と宿場との間の距離。ある区間の距離。 → 長(なが)丁場
A 夫役で、運送・道路工事などの受け持ち区域。工区。持ち場。
B 馬子やかごかき・人力車夫などのたまり場。 


町場とは建築現場であり大工が通う場所だった、ではなぜ日立木の薬師堂のある所が町場橋になっているのか?あの薬師堂を建てたときその地名がついたのだろうか?
宮大工とあるからそうかもしれない、でもなぜ日立木なのだろうかとなる
街道に由来した方かもしれない、なぜなら街道であり中村城と近いからである
この地名は江戸時代につけられたものだろう、つまり街道ができたときつけられた

ともかく相馬藩というとき江戸時代なら城を中心にして城下町がありその城の中心には侍が住んでいたのである、その人たちは戦国時代が終わると官僚になった
でも刀をさして城下町を歩いていた、ここでは確かに野馬追いがあるから侍の時代が再現される、でも野馬追いに出るのは農家であり今は城のある市内からは出ないのである
郷士として給人として農業していた侍が出ている
でも江戸時代は城下町に住んでいたのだから今の市内に住んでいる人が侍町となっている城の周辺に住んでいる人たちが野馬追に出ていたとなる

人間はなぜ時代がたつと変わると昔がこれほどわからなくなるのか?
それは時代とは部分ではない、全体なのである、時代をみるとき一つの遺物から見たり部分的にみる、そこに誤解が生じるのである
江戸時代というとき城下町があればそれは全体なのである
全体が時代を作っていたのであり部分ではないのである

だからなぜ何か残されたものでも芸術でも全体を時代を見れないから理解しにくくなる
城下町を形成するのはそうした時代の全体なのである
城だけでもない、その時代を作った全体である、周辺の農村もそうであり全体が時代を作っていた

それで侍が住んでいたという時、殿様が城に住んでいたというとき城が町の中心であり
それは生活そのものもそうだが精神的にもそうなのである
侍が君主に殿様に仕えて日々の暮らしがあった
すると町全体が君主に殿様に仕えていたともなるのである
今は誰に仕えているのか?役所だったら逆に住民に仕えているとなる
その相違が大きいからもう城下町のことをわからなくなる

それで侍屋敷があるとする、その庭に松がある、すると私の作った俳句のような感じになる、城には松がにあう、それが忠義の松なのである、侍の時代が全体を作っていたからそうなったのである
ただこういうことは旅しても良くわからないのである、二本松だって城があって城下町である、10万石であり大きな城があった、でも何かもう城下町とかになるとわからないのである
二本松とか白河城とか会津などは外から来てもなんとなくまだ城下町ということがわかる相馬市は城下町だということが外から来たらわからないと思う
城もないしどこが城下町なのだろうとなる
ただ細い路地が多いから碁盤の目のように区画されていてそれが昔のままになので城下町だと意識する、ただ歴史は時代は全体なのである
その全体を意識することは残すことはむずかしい、京都とかでもそうである
町屋があってもその前に高層ビルが建ったりするぱもうその全体の景観は破壊されるからである

要するに時代の景観は常に破壊されつづけている、だから時代の全体がわからなくなる
それが江戸であった、東京になって全く景観が変わった
東京から江戸時代を偲ぶことは至難である、そうなると歴史を偲ぶことができない
ヨ−ロッパになると石作りの建築が残っているからローマ時代でも偲べる
日本は歴史を偲びにくいのが全体がまるで変ってしまったからなのである
その時失われたのは景観だけではない、侍を中心にしてあった精神的なものを失われていたのである
だから侍とは何なのということがわからなくなる、その時日本は日本ではない、過去が歴史が失われているから何か外国の一都市のようになっている
それが外国でも同じだがまだヨ−ロッパ辺りだと昔の遺跡が石だから残っているのである日本は木の文化だから残らないのである

とにかく城下町の景観は時代が作ったものでありそれは全体である、だから全体が失われて個々の部分を博物館などで見ても歴史はわからなくなる
相馬市は城下町でありさほど景観が変わらないから偲べるともなる
でも外から来た人にはわかりにくいのである
だから現代では過去を歴史を偲ぶことがいかにむずかしいかわかる、日本では特にそうである、侍の時代が鎌倉時代から600年くらいつづいていても失われたことでもわかる
侍とは何なのか?戦国時代のみをイメージしている、でも江戸時代300年は戦争はなかったから刀をさしていても人を殺すということはなかったのである
でも侍中心であり城下町は殿様への君主への忠義として城下町があったとなる
それは侍だけではない、町民もそうした全体の中に組み入れられていた
それは侍を模範としていたのである、侍に倫理的にも習っていたのである
ただ力で支配するだけの存在ではなかったのである
それが町全体として回りでも時代を作っていたのである

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八重桜(相馬市から日立木の街道帰るー田町は新しくしたが昔の情緒が失われた)

相馬藩六万石-冬椿の城下町(随筆2-日立木の町場橋の情緒)


2020年01月22日

体罰の是非 (団塊の世代は父親に普通に殴られていた)


体罰の是非

(団塊の世代は父親に普通に殴られていた)


その女性は田舎でぱめずらしくいろいろと語る、自分の思っていることを語る
高校も出ていない、団塊の世代になると中卒とか集団就職の時代だったからである
三分の一は中卒だったのである
だから今の子供には体罰も必要だとしきりに主張している
でも体罰とかを団塊の世代では受けている、それより家庭でも親父は怖い者であり
絶対服従だったからしょっちゅう殴られていたと同世代の人がyoutubeで語っていた
しつけは体罰が当然とされていた時代だったのである
体罰で教育するしつける従わせる時代だったのである
家庭でそうであり当然学校でもそうである

でも10歳くらい年上の人が近くにいた先生に殴られたとか恨みを語っていた
何かこうしたことは恨みとして残っているのだ
私自身も中学でそういうことがあり先生に対する恨みが残ったのである
それはどういうことかというと先生が男女の生徒の前で殴ったり見せしめとして立たしたり体罰が日常的に行われていたからそうなった
それで今のように親が文句を言う抗議することもなかった
なぜなら親がそもそも家庭で体罰をしていたのだから当然文句を言うはずがないのである
体罰とは女性でも見せしめとして人間をおとしめるものでありそれで何かを更生したりできない、上のものに対しての絶対服従を体罰によって教えられるのである
教育自体がもともとそういうものであり強制的にしなければならないとかあった
学校では古い時代からそういうものであったともなる
学校の校は縛るという意味だからである、縛り教えるのが学校だともなる

とにかく人間が人生を語る時、自分を語る時経験から語っているのだ
人間は経験からしか覚えない、本当に痛い目にあわないかぎりその痛さがわからないのである、それでなぜこの同世代の女性が体罰をするべきだとしきりに言ったのか?
それは女性だったからである

女性には体罰はなかった!

女性は男子生徒が先生に殴られていたり立たされていたりしているのを笑っていたのである、つまり男子生徒の痛みを女性だから理解できなかったのである
ここにも男女が理解し得ないものとしてもともとあったことがわかる
女性だと男性から優しく扱われるからそうなるし男子生徒が殴られていても痛みを感じないのである
ところが男子生徒は老人になっても近くの殴られた先生を恨んでいた
自分自身もそうである、そうして笑いものにされたことを忘れないのである
その先生とあったが挨拶もしなかった、でも女子の生徒にはそういう痛みがないから
男性のことを理解できないのである
それはまた逆に女性の出産などにしても女性が侮辱されることに対して男性は無理解なのである、その痛みを経験しないからそうなっているのである

人間がなぜ互いに理解しえないのか?
それは人間の判断は別に本を読んで判断するとかではない
それぞれの経験から判断している、経験の積み重ねで判断しているのである
今になると戦争のことは経験しないかぎり理解できなくなった
人が平気で殺したり殺される世界をとても経験しない限りわからないのである
すると戦争を甘くみてまた同じように戦争をしたいとかまでなる
それは経験がないからそうなるのである

学校の体罰は見せしめであり人間を侮辱することでありおとしめることなのである
それをみんなの前ですることが後々まで影響しているのである
ただ自分自身は甘やかして育てられたから厳しい体罰でも必要だったのである
それは自分の特殊な生い立ちからそうなった
だから大学で体育会に入り殴られても良かったのである
それは先生が女生徒がいる前でなぐられるのとは違っていた
そこで鍛えられたということはあったからだ
殴ったのは先生ではない、先輩だったからである
それはまた事情が違ったものとなっていた

人間の問題は相手を理解できないということである、それが地域とか国とかまた育った環境とか男女でも理解し得ないのは経験することが違っているからである
男性は出産を経験しないからここで根本的に女性を理解できないのである
人間は理屈を言っても理解されない、経験しないことを理解されない
様々な痛みを経験しないと相手を理解できないのである

男女共学は必ずしもいいものではなかった、なぜなら男女は体と心も別々のものだからである
女性は女性らしい教育をして男性は男性らしい教育をする
そして日本だと家庭では父親が威張っていた、そして何か子供が言うと殴ちれたというときその延長として学校でも先生が殴っていた
それが許されたの家庭でそうしているのだから親が学校でも体罰することを容認していたのである
アメリカでは父親がそんなことをしない、殴ったりしない、子供の話を良く聞くというときもそうである
欧米の家庭の方にこそホームがあり日本がにはなかったとなる
そういう家庭ではそもそも個性とか創造性が伸ばせないのである

私の家庭は特殊でもしたいことをしなさいとなっていた
だからそのまま大学でも遊んで社会に出ても働かないで遂に旅ばかりして60まで遊んでいただけだともなる
ニートだったのである、でも勉強はしていたのである
それでその成果を今出しているのである



posted by 天華 at 10:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育、心理学など

団塊の世代の話に共感する (食べ物もないのになぜ子だくさんだったのかの不思議)


団塊の世代の話に共感する 

(食べ物もないのになぜ子だくさんだったのかの不思議)


加治将一氏のyoutubeの話に共感する、やっぱり同世代は経験したことが共通しているから共感する、女性でもそうだった、同じことを経験しているから話が通じるのである
下の世代になると話が通じなくなるのだ
それで50以上の人が話を聞いているのはそのためである、若い人は1割くらいしか聞いていないのである
でも実際は今若い人は若い人の話を聞いて共感している
でも話に共感しても何か人生を生きるための教訓は得られない
第一同レベル人からは何か学ぶものが習うものがないからである

少子化が日本が狭いしいいいじゃないかというとき私もそう思っていた
日本は人口が増えすぎたのである、江戸時代だったら3000万くらいしかいなかったのである
明治になって倍増してきたのは異常だった、大正時代でも東京は百万くらいだったのである、それで東京を称賛する詩人がいたというときそれは今のような大都会とも違っていたからである

団塊の世代で一番不思議なのは子供の時生活だったのである
戦後焼野原になったら何もない、食べ物がないのである
燃料は材木屋の木材の切れ端のバターであった、飲み水は井戸だった、まるでそれは原始的な江戸時代の継続だったのである
私は何か子供の時一番働かされていたのである
風呂焚きから水汲みから店をはじめたときは卵買いとかに行かされたししょっちゅう配達させられたり丁稚のうよに働かされたのである
その頃農家でもみんな子供良く働かせられていたのである
今でも後進国になると子供は労働力として生んでいた
だから男の子が生まれると喜んでいたのである
働き手になるからである、そして子供は親のために働くこと尽くすことが強いられていたのである

そしてなぜあんなに食べるものがないのに子供がわんさと生まれて育てられていたのか?これが本当に今と比較すると考えられないことなのである
私の父親は牛乳をもらうために並んでいた、その頃牛乳もなかったのである
あらゆるものがない、食べ物自体がないのである
今ならいくら貧乏でも食べ物が牛乳などあまっているしいくらでも子供に飲ませられるだろう、それなにのなぜあんなに子供が育てられたのか?
そして今は食べ物はあふれているしいくら貧乏でも牛乳くらい飲ませられる
第一貧乏人の子だくさんは世界で共通している

それでなぜ少子化になっているのか?
それが理解できないというのはわかる、それが団塊の世代からするとそうなる
もちろん生活のレベルが高くなっているから比べることはできないということがある
でも不思議なのは貧乏でも子だくさんでありそれは時代でも世界でも変わらないのである貧乏な国はかえって子供が増えすぎて困っているのである


とにかく団塊の世代の子供の時の生活経験は貴重だった、その時本当に家にはなにもない自分の家には本一冊もなかった、鉄腕アトムとか漫画を読んでいただけである
その後も何か本自体にふれる機会がなかった
田舎では20年前なのかその辺でもまだアマゾンなどないから古本でも何でも本自体手に入らないのである
田舎の書店などしょぼい、今の世界とは比べようがない
それで「冠婚葬祭」の本が百万部売れていた

要するにまともに本は売っていなかったのである、硬い専門書はないし読む本が非常に限られていたのである
だからこれがベストセラーだとしておいたのは本自体がないからだったのである
それでやっと仙台まで行って専門書とか硬い本を買っていたのである
そういう点で今は恵まれている、こんなに本がありいつでもいくらでも必要なら買えるからである、古本がいくらでもあり安く買えるからである
今は東京に憧れるものが本当はなっている
返って田舎に憧れ田舎で空家とか借りて広い庭がありゆうゆうと暮らしたいというのが若い人たちが憧れている、それが時代の差である

そして大きく変わったのは家事だった、洗濯を洗濯板でごしごし洗っていたらもう時間がかかりすぎる、だから私の母は店もしていたから休む暇もなく働いていた
御飯をゆっくり食べる暇もなかったのである、それは異常な生活だった
何の楽しみも余裕もない生活だったのである
それで戦前になると家事の労働が負担であり東京の中産階級でも女中を二人雇っていたということがあった
私の母は女中として東京で働いたからである

本当に時代が変わるとこんなに変わるのかと驚く、それより戦前から戦後を生きた人たちはもっとその時代の変化を受けていた
だから団塊の世代になるとなぜ少子化なのか理解できないとなる
子供を生んで餓死させるようなことはありえないと思うからである
食べ物すらない時代でも子だくさんで育てていたからである

とにかくその時代からこれまでの時代から比べると人間はみんな贅沢になりすぎたのである、まるで王侯貴族のような生活にみんななった
食べ物ではそうである、最底辺でもサシミを食べない人はいないのである
知っている人でも自分よりも一番新鮮なサシミを売る魚屋で食べているのである
でも私の父親は最後にサシミ食えるようになったが食えたくないと言って死んだのであるそれは病気になったためである、結局一生貧乏で死んだのである
バナナも仙台から買って食べさせた、その頃バナナすら売っていなかったのである
こういう時代があったことそして今を考えることが何か理解するのには大事である
それが歴史を知ることだとなる

そして外国生活した人は言うことが違ってくる
それは日本に住んでいいただけでは外国のことがわからないのだ
いくらニュースに接してもわからないのである
旅行しても深いところがわからないのである、だから外国生活をした人は人によって違うにしろ日本が良く見えるからある人は常に日本をこきおろすのである
ただ人によっては日本の良さを言う人もいる、だから日本がすべて外国と比べて悪いとはならないがどうしても日本だけしか知らない人は偏るのである
自分自体が外国で暮らしたことがないから日本の見方が偏るのである
何か理解するにも経験である、本からだけでは外国のことなど基本的に理解できないからだ

ともかくインタ−ネットでも40代以下が主流でありまたyoutubeになると高校生以下小学生が視聴者であり何百万も見ているのである
団塊の世代とか60以上でも本当に少ない、一パーセントくらいしかいないかもしれない
youtubeになると動画だから特にそうである、編集することがめんどうになるからだ
私もワードプレスを試みたがめんどうだとかなる、SSLにするのもめんどうだとかなる、技術的な面でついていけなくなっているからである
でも若い人同士つるんでいては何か人生のためになるものが聞けないことがある

一番人生で世代間で身に染みて差がつくのがいかに人生が短いかということである

時間が一番消失しやすい

時間は金のよう意識できない

馬鹿話とかテレビとかその他常に貴重な時間は奪われている

そしてその時間がとりもどせない

何か若いと生きる時間が無限になるように思えるのである
老人からみると最後は一瞬だったともなる
そして一番大事なのものは時間だったということにみんな気づく
なぜならいくら金あっても時間はもどってこない、時間は買うことができない
だから金がなくても時間を有効に使った人は老人になってから価値あること発表できる
どんな人も時間を無駄にしているからである
あとであんなことして時間の無駄だったと謂うになるからだ
自分もそうであり誰でもそうなのである、でも時遅しでありその時間がとりもどせない
それがみんな年取って一番感じていることなのである
                                              
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加治将一チャンネル

posted by 天華 at 17:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年01月23日

New Year(abstract painting-frozened river)


New Year(abstract painting-frozened river)

stonehenge1.jpg

seasidesummer2.jpg

Shore of the universe

unnknownarea3.jpg


icedriver4.jpg

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原画と写真とにしているものがある、でも二次創作となっている
でも著作権を指摘されるかもしれない
ただAIが肖像画とか創作して高い値段で売れた
だからAIが絵を創造できる、これもありえない時代になったのである

AIが描いた肖像画が4300万円で売れた

AI “paints” portrait at Christie's auction, $ 432,500
(Approximately 49 million yen)

There is something that is both an original picture and a picture, but it is a secondary creation
But you may be pointed out by copyright
However, AI created portraits and sold them at high prices
This is the age when AI can create paintings

タグ:frozened river

資本主義はもう成り立たない―銀行の役割の見直し (多様化多極化ー思想、哲学、学問、ローカル、価値変換の時代)


資本主義はもう成り立たない―銀行の役割の見直し

(多様化多極化ー思想、哲学、学問、ローカル、価値変換の時代)

「銀行業のあり方」大西つねきの週刊動画コラムvol.85


youtubeでいろいろ主張する人が増えてきた、この人も年配である
この人の主張も現代の矛盾、資本主義の限界現象を語っている
金がすべての価値から新しい価値観の社会を提唱している
それを具体的に令和新選組の政党で主張している
いろいろい語っているが触りだけ見た

この人は鉄道でも銀行でも国営化すべきであり銀行は国営化して利益を追及すべきではないとしている
それは銀行とかかわったからそういうこともあると見た
一方で国営化はタテ社会を推進させるものだからすべて民営化すべきだいう意見もある
なぜなら国営化はどうしても税金主体となり縦社会の維持につながり既得権者の利益になるだけだとなるからだ
国営化は大きな政府であり小さな政府がいいとしたとき民営化がいいのである

ただそもそも今なぜ社会はゆきづまり資本主義はもう成り立たないというのは誰しも実感しているのだ
その象徴が銀行なのである、銀行に金が余っていても貸す相手がいない
そのことから銀行は歪んだものになり社会を歪めていることは確かなのである
銀行は何か外国に投資して株でも変な危険な金融に金をつぎこんでいる
それで農林中金が6兆円とかつぎこんでカモにされているとか言う
農林中金はそうしたアメリカの金融機関に金を盗まれるとなる

それだけ銀行に金が余っていてもそれで増やすことができない、利益をあげることができない、これだけはわかりやすい現実なのである
今銀行に金をあずけるともう利子はつかない、これからは利子をとられるし投資信託とか何かわからないものに金を使わさられる
そして手数料がとられる
そして銀行は前のように金を貸すと返してもらいたいとなるからその貸す相手を吟味するしかし債権だとそれを他に売ればいいからそれもない
貸す相手を見ないというのもこれも人間としてまずい
なぜなら金を貸す相手はやはりどういう人物なのかとか何をしするために金を使うのかということを知って貸すからである

ここで知っておくべきは銀行業と証券会社は別物であった

これは大事なのことだった、この役割は別物であり銀行では株式とか証券関係とか投資信託でも売ることができなかったのである
それができるようになりそれがもともとあった銀行の役割をなくした
特に地銀となると地域を良くする地域の経済を良くすることにあったからである
その役割も喪失した、これは日本だけではない、世界的にも銀行が返すこともできないのにくサブプライムローンで金を貸してその貸した金が返せないのでリーマンショックになったからである
銀行の金の使い方が誤ると世界恐慌になるのである
銀行は資本主義社会の要のような役割を担っていることでそうなったのである

だから銀行がただ他の私企業と同じく利益優先主義になるのは疑問であり国営化すべきだというのも経験からわかる
それは社会の公器だからというのもわかる、それが土地バブルのときおかしくなった
土地自体に価値がない、右から左に土地を転売しているだけであり土地自体には価値がない、日本は土地にあまりにも価値をおきすぎたのである

現実農業をやればわかる、土地よりそのノウハウとか道具を買うとか毎日草刈りとか肥料をやるとか天候の影響はある、鳥に食われるとかネズミに食われるとか虫に食われるとかそうした害虫の被害も大きいし天候に左右される
それでその話を聞いただけでやる気もなくなった
それだけ土地にではなくその労働の方が大変だから耕作放棄地が膨大になっているのである、土地自体にはそれほど価値がないのである
だから地主だけに金が入っていたというのはおかしなことだったのである

いづれにしろ今銀行が大きな問題になっているのはやはり資本主義の根幹がゆらいでいる金を株式で右から左に流して巨万の富を得ている人たちがいる
こんなことをどうみても許されない、それは世界の人たちの労働があって富になっているとき盗んでいるのである、大盗賊なのである
だからそういう人たちから奪いという闘争が起きている
下手すると反乱が起きてそういう人たちが殺されるかもしれない時代になった

本当に資本主義は行き詰まっている、金があまっていても投資先がないのである
それはモノも余っているようにな時代にそぐわないものとなった
だから金は変な所に投資先に流れて外資に流れてただ奪われているだけだという主張もわかる、アメリカの金融機関に金が流れて日本の金が奪われている

そしてもう銀行でもそうだが利益をあげることができない、金があっても利子はつかない利益をあげることができない、会社にも留保する金が膨大でもそれが労働者にまわってこない、金は株主に資本家にすいとられるだけである
だからなんらかで社会主義的方向にも人々の心は向いている
社会主義と分配を重視するからである、分配が金融資本家とかに偏って流れ過ぎているからである

今金の投資先がないからだろう、なぜコインに一つの古いコインに一千万とかの値段がついているのか?これも貧乏人にはわからないことである
たかがそんなコインにそんな値段がつくのか理解できないからだ
それも金余りになり金だ、銀だとか安全資産を求めているからそうなる
チャーリップバブルと同じである

だからもう利益はあげられない

利益があがらなくても社会に役立つものに金を分配すべきだ

こんな思想になってくるのはそういう現実が生まれているからである

そして何か何のために生きているのかとか何のために金を使うのかとか何のために働くのかとか問われる時代になった
それは結局モノ余りであり金余りの時代になったからである
するとどうしても宗教とか哲学とか思想とか学問とか芸術の時代になってゆく
もはや金余りになれば物余りにもなれば価値になるものはとそういうものだからである
だからそういう時代の変わり目であり価値観の変わる時代だからそこを見なければならない
今までのように利益をあげる金が金を産む時代ではなくなっている
それができない時代になった、するとどうするのか?
金にならなくても価値があるのは宗教とか哲学とか学問とか思想とか芸術の分野になるのである
内面性の追求とかの時代になる、ある意味でそれは中世に返るともなる
何か閉塞した時代だともなるがこれから日本は江戸時代的国風文化の再生になる
何か江戸時代というのを否定的に見ていたが良く江戸時代がわからなくなっていたのである

それは明治維新で西洋文明を取り入れたときそうだった
でも明治が偉大なのは江戸時代があり新しい西洋文明が入ってきて両方があったからこそ偉大な時代になったのである
武士道もありそれで内村鑑三のような人が出たりした
明治維新が成功したものは侍がいたからこそであった、幕臣が明治維新を推進したからである
現代の問題はその過去を捨ててしまった、戦前の価値観を捨ててしまった
アメリカ一辺倒になってしまった、それは明治でも起きていた
でもその時まだ江戸時代の価値観とか侍の武士道精神とか残っていたのである
そこで二つの時代を生きたからこそ明治が偉大だったのである

とにかく資本主義はもう成りたたない時代になった、何でもそうだけど一時は資本主義は世界にとって有効に働いていた、でもそれが行き詰まるというとき時代がそうしている
そこで新たな時代を作る模索がはじまっているのだ
それは政治でも経済でも宗教でも哲学でも思想でもあらゆる分野でそうなる
数だけを集めて権力を操作しようとするカルト宗教団体もそれも通用しなくなる
何か数の時代も終わる、またと既得権の上に胡坐をかいていたマスコミでも官僚でも力を失う、そういう時代の変わり目に来ている
youtube自体がもうテレビを凌駕する時代はそこまで来ているからだ
その一角も確実に崩壊しつつあるからだ
多様な情報世界と多様な個々人の場が生まれている、地域から発信するとその地域地域の場が注目される、私の相馬郷土史でもそうである
郷土学でもそうである、地域地域から新しいものを見出して発信する時代になったのである、マスコミのような巨大な一極集中時代は終わったのである


posted by 天華 at 14:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年01月24日

中国ではどうしてもウィルスが繁殖しやすい風土 (中国はなぜ汚いことに無感覚で日本人は異常に清潔なのか?)


中国ではどうしてもウィルスが繁殖しやすい風土

(中国はなぜ汚いことに無感覚で日本人は異常に清潔なのか?)


中国というときなぜか三回も行った、中国は汚いことに無感覚である
一方日本は清潔さでは異常なほぎ敏感である、塵一つでも嫌がる
清潔民俗である、その相違は何から来ているのか?
これもやはり風土からそうなったのではないか?
そもそも中国は清潔に保つにも保ちようがないのである
黄砂とか飛んできて汚れるのが普通である
その汚れを気にしていたら住むことさえできない国である

そして川は大きくてみんな汚い、あらゆるものがそこに流れているのだ
それはインドのガンジス河でもそうである、川は長大でありなんでものみこんでしまう
そしてその川は海にそそぎ海まで濁っているのだ
それで中国でも海から行くと白水といって海が濁ってきたら中国大陸が近い
中国に来たということを意識できるのである
つまりだから中国に入るということは海まで汚くされる国に入ったとなる

中国はそもそも汚いことに無感覚になるように風土的になっていたのである
日本と比べると川はきれいであり透明である
そういう場所にいれば何か少しでも川が水でも汚れると嫌だとなる感覚が身につく
だからこそ禊(みそぎ)とか川で水で洗って浄めることが神道になった
神社でもゴミ一つない、静粛な清浄な場にしている
これも中国と日本の相違なのである
だからその国民性とか文化でもその風土と密接に関係して作られている

そもそも砂漠を見たらどうなるのか?そんなところに住んでいたらどうなるのか?
砂漠では砂が浄めるのである、砂にすべてが埋まり隠されてしまう
その広大な砂漠に穢れはないのである、だからそこに神が住んだのである
日本では水がきれいだし水で浄める、大陸では砂漠が砂が浄めるとなる
日本では砂漠がないのだから砂漠を知ることはできない
また草原もないし大陸のような広大な土地がない、だからそこから生まれる感覚が理解できないのである
つまり日本という風土で育まれた歴史と文化があり大陸で育まれた歴史と文化は違ったものになる

だから中国であれヨ−ロッパであれインドであれその国を歴史と文化を理解するのは本当にむずかしい、ただ比較すると日本はどうしてこれほど清潔なのか?
また中国が汚いことに無頓着なのかわかる
だから中国ではどうしてもウィルスなどが増殖しやすいのである
今回の武漢のコロナウィルスもそうである、ネズミを食べていてそこから感染したともしている、中国人は何でも食べる、飢饉で土まで食べたということもある
人肉も食べる、中国は常に飢饉があると膨大な数が流民化して革命も起きる
何かイナゴ民族のようにも見える、何でも食いつくしてしまう勢いである
それだけ人間が広くでも多いからそうなっている
だから中国の政治ではまず人民を食わせることが第一だとされている
そうでないと反乱が起きてくるからである

いづれにしろなぜ自分が中国に三回も行って被害にもあわなかったのか?
一回はあっている、カメラをとられたが後はそれほどなかったのも不思議である
自分自身は海外旅行に慣れていない、それで三回も行ったのである
その理由を後で考えると何か自分も清潔さがなく中国人と同じようになっていた
中国人の中にまぎれこんだのである、顔でも日本人と中国人は区別がつかない
結果として被害にあわなかったのだと思う
白人だったりすると見ただけで見分けがつくからである

とにかく中国と日本の相違はその風土にある、日本は中国の広大な大陸国家を理解できない、小日本になる、中国人は日本の歴史や文化を風土を理解できないことにある
でも不思議に漢詩がありその漢詩の詩語が日本語化して短歌や俳句に利用された
でも根本的には大和言葉がありそのなかに漢語が入って日本文化になった
漢字も日本化したものなのである
それで中国の西安に前の長安に行った時、柳が垂れて雨に濡れたとき何かほっとしたのだ砂埃が街中でもたち何か汚い、でも雨に濡れたとき柳でも新鮮になる
何か汚れが洗い流されるという感覚になった
まさにこういうことを経験しないと文化も経験できないのである

送元二使安西 王維 

渭城朝雨潤輕塵
客舎青青柳色新
勧君更盡一杯酒
西出陽關無故人

元二の安西に使するを送る
渭城の朝雨 軽塵を潤し
客舎青青柳色新たなり
君に勧む更に盡くせ一杯の酒
西のかた陽關を出ずれば故人無からん

ここは砂漠に近い所だからこうなった、

渭城朝雨潤輕塵
客舎青青柳色新

これを実感したのである、だからまず風土を知らないと詩でも文化でも理解できないのである、軽塵を潤すというときどうしても中国は砂漠が近いから黄砂とか埃りがたつ
砂で汚れるのである、だから雨がふったときその砂が埃が雨でぬれてたたなくなる
それが本当に気持ちいいということを実感してこの漢詩でも理解することになるそ
それは俳句でもそうである、時雨とか台風とか日本にしかない天候があるから日本の天候を理解しない限り季語も理解できないから俳句でも理解できないのである

グロ−バル化するとこうして様々な国と歴史でも文化でも交わることになる
そこでウィルスでも入ってくるし様々な軋轢が異民族で異なる国家で起きて来る
それもいい面と悪い面がある、中国の悪い面がこうしたウィルスとかが広がり安いことでありそれが世界に影響することである
それがまたグロ−バル化のリスクなのである
ただ日本の歴史とか文化の欠点を補うものとして大陸文化も歴史もある
だから常に外国で生活した人は日本人をその歴史でも文化でもこきおろすのである
それだけ比較することによって日本が対象的に見えるからそうなるのである
日本人は細かすぎるとか何か大局的に判断したりするのが苦手である
日本は自主性がなく同調圧力が強すぎるとか様々な日本人の欠点もそうである

日本はヨ−ロッパとか欧米に明治維新以来習ったけど中国のことがわからなくなっているでも漢字を日本化して漢詩からとか中国の文化を深く学んでいる
でも実際の所は中国は最近貿易の面だけで物質の面だけで交流している
唐の国と交わった時は文化的な面での深い交流があった
それが現代との大きな相違である、文化面で日本は中国文化を深く学び取り入れたのである
その時日本と中国が争うようなこともなかったのである

だから歴史をふりかえれば今のグロ−バル化というのは本来の国と国が民族が交わるのとは違っている、文化という時、労働者など入れないからである
あくまでも文化面で特別なエリートしか入れていない、鎌倉時代の禅僧でも中国からいろいろ文化を伝えた、お茶でもそうである、それはモノがとして入ってきても文化として入ってきた、それが今とは違っている
日本は物だげではない、文化を取り入れたのである
だから国が違うとき歴史文化が違うのだから何でも取り入れるのはかまくいかないのである、その国にあったものを取り入れるべきだとなる

それで日本がでは今なんでも食べているが日本人には肉食があっていなかった
それは身体でもそういうふうに風土と文化と歴史から作られたものだったのである
なぜなら日本人の腸が長いのは穀物などを消化するために長くなった
そして欧米とかでは肉食が主流だから肉を消化する酵素が出るという
肉食に適した身体として作られていたのである

魏志倭人伝に、「其の地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲無し。」とある
日本文化の特徴はこうした動物と関係していない、漁労民族であり縄文人でも狩猟をしていても森の国だから採集民族だったとなる
そういう風土から日本の文化が作られたのである、神道にしても日本の風土から生まれたのである
日本という風土はもともと自然に恵まれて清潔な場所だったのである
そこから日本人の精神も育まれたのである

豊国の企救(きく)の浜辺の真砂土(まなごつち)真直にしあらば何か嘆かむ(万葉集)

日本の自然は砂浜でも清浄だった、原初の状態を見たらその美しさふれたらこういう心になるのが自然なのである、だから中国の自然と日本の自然はにているようで全然違っている、こういう砂浜がおそらく中国にはなかったと思うからである


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人が死滅する中国汚染大陸 超複合汚染の恐怖 (経済界新書) (新書)
澁谷 司

目次だけ読んだが中国はこんな状態なのである

2020年01月25日

明治維新で北朝ではなく南朝を継続した (野馬追いに出ている南朝の旗)


明治維新で北朝ではなく南朝を継続した

(野馬追いに出ている南朝の旗)
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鹿島区街内の出陣式
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鹿島区の旗印ほ菊の紋




後醍醐天皇は、既成貴族層の解体と再組織を狙っていて、旧来の「天皇対貴族」という関係を打破して、「天皇絶対」のための官僚組織を作り出すことを最大の目標としたのでした。

北畠顕家の諫奏に見る後醍醐天皇の失政

南北朝の戦いは複雑でわかりにくい、でも最近加治将一氏の本を読んでそうなのかと思った
明治維新は南朝を継いだのであり南朝の思想が反映された政権だった
それが巧妙に隠されていたのである

西郷は南朝の九州武将、菊池家の子孫だ、家紋抱き菊の葉と菊、西郷の変名は菊池源吾
逆から読めば(吾源は菊池なり)西郷はあくまでも菊にこだわりまた南洲という名も使用して南朝への思い入れは凄まじいものがある
官軍がかかげた錦の御旗、菊の御紋は当初は西郷軍を鼓舞するものだったのだろう
もともと天皇家と菊の縁はそれほど濃くない
戊辰戦争でやかましく浮上しただけでむしろ薄い

菊と水は楠公(菊水紋)の家紋である

野馬追いに出ている菊の紋の旗は南朝由来である、菊池とは菊の紋のことである

西郷は南朝の九州武将、菊池家の子孫だ!

この菊の紋の旗は鹿島区の街内で一軒確認している、あと二軒も確認している
鹿島区は真野中館に南朝の城の霊山が炎上して落ち延びてきた落武者が子孫の人が多い
只野氏はその中心人物だった、その人は同級生であり街の中心に住んでいる 、只野の姓が50人くらいいるのだ

有名な真野のお浜下りに「つづら馬」というのがある。つづら馬とは馬につづらをのせて荷物を運んだ。
霊山城で南朝が滅んだとき落ち延びたことを由来にした祭りなことは知られている。
それは真野の中館に落ち延びたのは桑折氏であり桑折氏が田中城の城主でありのちに伊達氏などがかかわり攻防があって相馬氏が支配することになった。

桑折氏と菊池氏は南朝の城の霊山が炎上したとき逃れてきた武将でありその子孫なのである

明治維新になりなぜまた南朝問題が生じたのか?
それは天皇の正統性が問題がぶりかえしたからである
江戸時代は天皇は脇役であり関心がなかった、でも天皇親政のようなものが復活してきたのが明治維新だったのである
それで天皇の御旗をかがけたのはほとんど南朝出身者の武将達だった
だから南朝の思想を受け継いでいたのである
なぜ明治になって異常なほど天皇をもちあげて国家神道としたのか?
その原因がここにあったのだ

後醍醐天皇は、既成貴族層の解体と再組織を狙っていて、旧来の「天皇対貴族」という関係を打破して、「天皇絶対」のための官僚組織を作り出すことを最大の目標としたのでした。

「天皇絶対」のための官僚組織を作り出すことを最大の目標としたのでした。

これが原因だったのである、第一この思想は民主主義とかヨ−ロッパの文明を取り入れたとき合わないものだった
ところが日本はこうして先祖帰りして天皇絶対制になってしまったのである
またそうしなければ日本を統一できないということがあった
ただ天皇が異常にもちあげられたことがやはり後の大東亜戦争の原因にもなった
明らかに明治維新から大東亜戦争は連続していたのである
その源に明治維新が南朝の復興であり継続だったということがあった
その主役となった西郷隆盛でも南朝の子孫だったということである

野馬追いの旗はわかりにくいにしろここは歴史的に明確なのである、ともかく歴史はどこかで蘇ってくる
江戸時代300百年は天皇は関係なかったからだ
それが明治になって天皇が異常にもちあげられた、また明治維新を成した人たちが天皇をもちあげて明治に新しい国家を作り上げたとなる、それか一面災いももたらしたのである
その証拠に靖国神社には官軍についたものした祀られていないのだ
西郷は最後は西南戦争で賊軍になり祀られていないのである
そうした恨みは会津でももっていたのである、賊軍とされたからである

明治維新となると今見直されている、錯綜しているが萬世一系などないというのは確かだろう、それは天皇を持ち上げた人たち作りあげた虚構である、だから明治天皇は作られた天皇だったというのもわかる
萬世一系とか天皇像を作り上げたのは天皇自身ではない、その取り巻きの権力を得る人たちだったのである
そもそもヨ−ロッパにならったら天皇というのはありえないからである
それは象徴的なものではない、実権ももっていたからである
天皇がそうした権力ではなく、文化的存在として許されるものだったと思う

『歌書よりも 軍書に悲し 吉野山』 {東花坊}

天皇は時代がたつにつれ歌書の方に傾いた、江戸時代にはただ歌の短冊を売ってかろうじて暮らしていた、まさに歌詠みにすぎなかったのである、それが明治になって異常にもちあげられた、天皇は象徴として必要でもそれが実権をもたされて取り巻きに利用されたのである
ただ日本は統一するには天皇が二に分かれると歴史では日本は二分して熾烈な争いとなった、だから南北朝の争いは日本のすみずみまでが争いになり深い傷痕を残したのである
posted by 天華 at 10:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2020年01月26日

その土地のことはテレビに写されてもわからない (チャリダーが南相馬市に来たけど・・・)


その土地のことはテレビに写されてもわからない

(チャリダーが南相馬市に来たけど・・・)

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NHKのテレビでチャリダーの放送があった、それを見ていて知っている場所を写したけど
テレビでは動画でも本当のことは伝えられない
案内の仕方も悪かったのだろう
地元のいいところはやはりそこに住んでいる人しかわからない
もちろん外から来た人も地元の知らないいい所を発見することはある
それで何気ないところがいいと外国人が名所にしたりするところがあった

でもテレビの問題は何なのか?
それが万人向きに作りすぎるのである
それが今かえってテレビを面白くなくさせている
万人向きになると何かパターン化してかえってつまらないものになる
でも視聴率をとるためにはそうする、芸能人を起用する

もし視聴率とか万人向きにしないものとしてとれば興味を持つ人はもつ
だからかえってマニアックでもyoutubeの方が面白いとなるのである
何か特別興味をもったことを動画でも伝えられるからである
そこで番組作りした方が確かにそんなに見る人がいなくても興味ある人は見るのである
それを可能にしたのがインタ−ネットでありyoutubeなのである
youtubeは多様化しているからだ
つまりマスコミはマスを対象にしたものは廃れてゆく
それはみんな一律であり真実すら伝えていないからである9

私が南相馬市を案内したらどうなるのか?
まず真野古墳群があったとして前方後円墳がある、ところが寺内の実物は本当にみすぼらしいのである、それが古墳なのかどうかもわからないようなものである
ただそこで案内するとなるとそこに金銅双魚佩が発見された
これは東北ではここしか発見されていないから貴重なものなのである
だからその金銅双魚佩のレプリカがここで発見されましたよとなれば具体性があり興味をもつ
古代史に歴史マニアのような人がいればさらに興味をもつのである

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それから震災のことを伝えるが海老とかの避難地として指定された場所が海側であり危険な場所でそこに30人くらい死んだということを伝える
あれは本当に悲劇だったからである、いくらでもすぐ近くに逃げる場所があったのに
わざわざ危険な場所に逃げて死んだからである
そこに死んだ人の名前刻んだ供養の石碑がある
そこで津波の恐ろしさを具体的に教えられる

ただそうした大衆向きの番組でも地元でも知らない所が必ずある
何かカレーに玉ねぎ一つをのせた料理は面白いと思った
カレーを作るのに私も苦労していたし玉ねぎが自分は好きだったからである
それから一番星という民宿に喫茶店と食事する場所を作った
あそこは何なのだろうと見ていたがそういう場所だと知った
ただあそこは場所があまりいい所ではない
金沢で確かに海があるが東北電力の火力発電所も近いしながめがいいとはならないからだただそこはそこなりに悪いとは言えない場所ではある

ただ喫茶店紹介した新地の花木山と相馬市に最近できたと煉瓦の中村珈琲店と鹿島区の海老のニコニコ堂と薔薇で飾った日立木の磯部の柏崎の丘のカフェ―ドマーニは場所がいいのであるそれでこの喫茶店を回るだけでなんとなくその土地のことがわかる
景観がわかる、ただ原町にはないのが残念である
海が見える場所にあってもいいと思っていたからである

この辺は案内するとなる震災以後は津波のことと原発のことが必ずある
だから津波がどの辺まできたとかここで死んだとか説明が必ずある
ただその記憶も薄れてきている、外部の人はやはり地元より忘れてゆく
でも津波だげはその場に来て立ってみないと理解できないのである
地形と深く関係していたからである

私は介護になってからはほとんど旅行もしないし仙台にも行っていない
ほとんど家にいるだけである、旅もしたくなくなったし何か年取ってから余計に人ごみの中に入るのが嫌になった
ただ家でじっとしているのがいいとなる
だから家が住みやすいことが老後は大事だなと思った
そういう点田舎はなにもなくても静寂とかがありそこでじっとして黙しているのが
自分にとっては幸福なのである

いづれにしろ何かその土地のことでも旅の番組を見ても本当にわからない
テレビでも動画でもわからないのである
だから常にそこには誤解が生まれやすいのである
映像だけから判断するとそうなる
その映像はその場所を伝えていないのである

例えば坂を上ったとしてもその高低がわからない、自転車でもわからない、自ら乗って坂を上ればわかるが映像からだけではわからないのである
寺内の前方後円墳は急な坂を上った高い場所にあるからだ
それは来てみて上らない限りわからないのである
だからその土地の地形とか知るのはテレビをみても地図をみてもわからないのである
それで必ず誤解しているのである

私は日本なら隅々まで旅したがそれでもその土地のことはわからない
でもその土地のことを一度でも行っていればなんとなくイメージできる
それは一度でも行った場所はそうなるがテレビでも映像でも行ったことがない場所は
必ず誤解している、それが極端になるのが外国旅行なのである
それは本でも読んでも映像をいくら見ても実際に見ない限りわからないのである
百聞は一見にしかずなのである

とにかく現代というのは映像の時代である、その映像をみてなんでもわかったような気分になるが実際はそこに誤解が生まれる、映像からだけではわからないのである
地理とか地形とは全体からしかわからない
ところが映像は一部分を取り出してみているだけだからそこに誤解が生まれるのである

例えば大井川の奥の井川線にも鉄道がありそのことがテレビで紹介されたとき私がわかったのは
大井川の千頭が終点でありそこまでまで実際に自分自身が行っていたからなのである
するとそこが終点からさらに奥があったとして認識できるのである
もし大井川鉄道を実際に行っていないならそこがどれだけ奥地なのかわからないのである今は情報が映像があふれかえっているがでもそれで人々の知識とか認識とかが広がったとはもならない、間接的な情報は膨大だけどじかにその目で見てその地に立った認識こそが大事なのである
現代というのは交通も発達しているから点としての認識が広がっても面としての認識がかえってなくなっている
だかち南相馬市でも相馬市でも日立木から街道を歩いて相馬市の城下町につくことが歴史を知ることでありその土地のことを知ることなのである

現代の問題はテレビで動画でも映像でも見て理解している、知っていると思わされるのである、これが何か必ず誤解を生んでいるのである
それはいろいろな事件でもテレビのやらせとか誤解を生んだ原因なのである
映像の力でそう思わせられるからである

ただ地元の人がyoutubeで観光内を作るべきである、市の方でも公開した動画があるから
今はいろいろと地方でも知ることができるのは便利である
ただ番組というのはその人によって紹介の仕方も違ってくるし見方がいろいろある
見せ方もいろいろある、だからこういう面は何か地域の特産物を作るよりバラエティがある、どうしても地域の特産物は限られし簡単には作れないからである
それで事の消費の観光となるとそこにバラエティがいくらでもあり個性が出せるとなる

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この四つの喫茶店は場所がいいのである
ここを回れば地形的なことがわかる
ても原町にはないのが残念なのである

ニコニコ堂はハイドがあっていた、隠れ家のようになっているからだ
隠された場所だとなるからだ

コロナウィルスは神罰である (原発事故でもそうであり過度なグロ−バル経済の警告)


コロナウィルスは神罰である

(原発事故でもそうであり過度なグロ−バル経済の警告)


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中国のコロナウィルスが神罰だという人がいた、そのことで私は原発事故もそうだったとプログでずいぶん書いてきた

核を使うこと→神への反逆→科学に頼り人間が神の如くになる

これを目指していたので神によってその企てが破壊されたとした
科学者でも核爆発を人間の手で起こすことは危険だと言う人がいた
何か科学者でもそれが何か人間の傲慢さに通じると思ったのだろう 

プロメテウスがゼウスから火を盗んで過酷な罰を受けたことからすでに人間は呪われたものとなっていたのである
人間は何か所有するもの自ら作り出すものはない、みんな神のものでありその神のものを盗むことから始まっている、科学技術でもそうなのである
そこにすでに神の呪いが隠されていたのである

そして原子力村が検察から官僚から政治家から科学者からマスコミから結託して利権を得るために結託して起こしたのである
それが津波によって暴かれたのである
そういうふうに権力化したらもう原子力村には逆らえないとなったからである
それを止めることは誰もできなかった
結果として津波がその原発をとめたのである
それは神が罰して神が原発をとめたとなる

もし原発をとめなかったらどうなるのか?

日本自体が滅びるとまでなるしまだその継続として可能性として原発は日本にある
つまりまだ日本人はこれほどの被害にあったのに原発をつづけているからだ

人類が滅びるものとてしてやはり核戦争が一番可能性が高い

そして今回の中国のコロナウィルスは何を警告しているのか?
罰しているのか?

それはグローバル経済である

なぜならこの細菌は人の交流をとめるからだ、グロ−バルに自由に国境をなくして人が
交流していたのをできなくさせるからである
それは今の過度なグロ−バル経済というのが何か神からみたとき神の意にそわないものがあるからだともなる
一見世界の人が交流して貿易するのがいいように見える
でも結果として極端な格差が生まれ、世界の富が金融資本に集中して奪われるている
それが世界にとってもう限界にきている

するとこうした細菌が出ると明らかにグロ−バル経済は縮小するのである
それは神からの人間への作用なのかもしれない
そして人間はもともとその風土にあって生活するようにできている
本当に人間は今なんでも貪欲に食べ過ぎるのである
中国ではもともと何でも食べる、それだけ生きる環境が厳しいし人が多いからそうなる
中国自体が一つのグロ−バル世界であり食でも南から来たから何でもある
だから別に中国では世界と貿易する必要もないのである
それだけの資源でも食料でももともとあるからだ 

日本にしても日本人は日本の風土に適合して縄文時代から生きてきた
だから腸が長いのは穀類とかを食べてきたからだとなる、肉食は狩猟で一部していたにしろあとは漁労民族なのである、肉の代わりに魚を食べていたのである
それがその国の風土にあって生活することなのである
それが神の意にそうことでありそれがその国の人間を守ることである

だからこのウィルスは過度なグロ−バル経済の警告である
観光にしてもこれだけ人が入ってくることはいいことでないのだ

そしてオリンピックは中止すべき!

オリンピックは意味がないのだ、前の東京オリンピックとは違って開催する意味がないのである
だからこれも神からの警告であるともなる
こうして神からの警告が罰がなければ人間はますます増長して滅びに至る
人類はそもそも滅びることは間違えない
それがいつになるかであり時期の問題だけである
その時期が近づいているのかもしれない、それはこれだけ世界が統一するような状態になっていることもそうである
世界国家ができるのかともなるからだ、それは実は世界崩壊に向かっている
バベルの塔のように崩壊に向かっているともなるのだ

人間はそれぞれの国の風土にあった生活するのが神の意なのである
何かそういうことで自然が荒れている、地球も荒れている
するともう人類滅亡の時期が迫っている
地球はもう限界だとなっているのかもしれない、だからグロ−バル経済でもグロ−バルに貪欲化した人間を細菌で罰しているということもありうる
もういいかげんにしろよ、グロ−バル経済などは縮小すべきだと警告している

だからこうした神意を示しているのが自然災害でありウィルスでもある
中国人が世界にちらばりウィルスをまき散らしたらどうなるのか?
中国人が世界に拡散したらどうなるのか?
アメリカに代わり中国に世界が支配される、ウィグルとかでそうなっている
それも悪夢なのである、だから中国の力もそがれるべきだとなる
アメリカでもそうである、何か一国が巨大化することは世界にとっていいことではないのである
それが世界の均衡を破り神の意に反する世界となり災いが生まれるのである

posted by 天華 at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層