貨幣が紙幣がなぜ今問われているのか?
(キャッシュレス社会とかグロ−バル経済で通貨を何にするか問
貨幣とは何なのかということを追及するとそれが不可解になる
いろいろな人が貨幣について述べても何かわからないのである
簡単なところでは金本位制というのはわかりやすい
金自体に価値がありその金が基となり現実にあるからそれで紙幣で発行される
その裏付けはその紙幣で金と交換できるということである
だから金の額が決まっているから発行される紙幣は制限される
現代は金本位制ではないから紙幣は紙なのだからいくらでも作れる
でもそれが大量に出回るとその紙幣の裏付けがない、金と交換できないのだから紙くずになるのである
つまり大量の紙幣を刷ってもそれ自体には何の価値もない、紙くずにもなる
だからこそバブルが起きる、オランダのチューリップバブルでもそうである
そういうものになぜ高価な値段がついたのか?
それは大量の紙幣を紙をもっていてもそれ自体に価値がないからである
金余りが高じるとそうなるのは何か簡単に理解できる
本当の価値は紙幣にはない、紙幣は紙に過ぎないからである
だから貯金していたとしてもその貯金しているのは紙幣であり数字にすぎないとしたら
紙幣は紙屑になるし数字は一瞬にしてゼロになる
数字に価値があるはずがないからだ
そして現代は金余りだというときバブルになるというとき大量の紙幣が土地とか建物でもまた前は絵画とかが投機商品となった、ゴッホの絵が百億円とかで買った実業家もいる
それはその絵画に価値あるというより投機商品として買った
いくら金をもっていても紙幣なら紙くずになり数字ならゼロになるからである
それよりはましだとしてチューリップの種であれ何でも実物と骨董品でも何でも持っていた方が価値があるとなるからだ
金融資産は3.4倍に増えている
つまり世界的に金余りなのである
日本は金融資産ではアメリカよりも大きいとかある
日本は金は持っている、でも活かされていかないのである
島の人たちがみんなこの石貨どこの家にあり誰の者か認めている
銀行の場合は銀行だけが特定の個人の金があることを認めている
他の人はわからないのである
不思議なのは石の貨幣がヤップ島である、それは重いから移動できない、いつも持ち主の家の前にある、それがなぜ貨幣としての機能があるのか?
わかることはいつもその石の貨幣を島の人たち見ている
その石の貨幣を島の人たちがみんな認めている
ここに貨幣と同じ役割がある、それは交換できないのだがその石の貨幣をもっていることはみんなが認めている、だから立派な石の貨幣をもっている人は信頼される
このみんなが認めるということが石の貨幣として価値をもたらしている
このみんなが認めるということが大事なことを銀行のことで気づいた
例えば金というのはタンス預金として持っているとその人が持っているかどうかもわからないのである、だから盗まれたとき盗まれたと認識するのはその持っている人しかいないから証拠がなくなる
この人はいくらの金をもっていましたと証明する人がいなくなる
ただ預金通帳を見れば日にちが記されていていくら引き出したかわかる
それを手がかりとして証拠として盗まれたことを証明できるかもしれない
でも証拠がないと盗まれたということを証明できないのである
だからタンス預金は盗まれたとき警察に訴えても返ってこなくなる
証拠がないからである、常に犯罪を証明するには証拠が大事になるからだ
あなたは本当にその金をもっていたのですか?
それを証明できますか?
こうなって立証することがむずかしくなる
だから金というのは何かというとき本来は島の人たちが石貨でもある人の家にあることを認められて存在しているともなる
その石貨は重いし盗むことができないから安定した貨幣だとなる
ただそれ自体で交換はできないのである
ただそこに金があるということを常に示している、それをみんなが認めているのである
日本経済新聞1月6日号
一方で今の金は紙幣はそれ自体で匿名性でどこでも何でも買える、交換性が抜群なのである、それが誰の金でなくても金さえあれば例え盗んだものでも使えるのである
その金をつかっても誰が使ったなどわからないのである
でもキャッシュレスになるとカードで買うとその本人のことが個人情報がわかる
斎藤という人がいくらいくら使ったとか記帳されるからわかるのである
それでここで問題にしているのは銀行預金がないとカードが使えないということである
とすなると銀行なしではありえないということで問題にしている
銀行がつぶれたりするとかいろいろ銀行だけに頼ると問題が起きたとき使えなくなる
現実に銀行がつぶれるとか騒いでいるからである
金というのは銀行にあづけるとこの人がいくら持っているとかわかる
銀行がいくらあづけられたかと証人になるからである
それはタンス預金とは違うのである、それは盗まれることはないのである
ただ預金した人の金があることを知っているから投資信託とか売りつけにくるのである
そして遺産相続の時も銀行がかかわるのである
別に親族でもないのに金がおろせなくなるのである
つまり銀行がその人の金を操作するようにもなるのである
だから金を銀行に預けることは権利を委任するような感覚になる
銀行がその人の金に口出してして操作するとまでなる
だから銀行とは何なのか?これもわかりにくいのである
石の貨幣だと島の人たちが貨幣として認めるものだった、それはもし現金をもっていたらあの人はいくらもっているとかなる、大きな石なら大きな金をもっていると認める
でもそれは交換に使用できないのである
でもみんながあの人には大きな石貨があり金持ちだと認められるのである
ところがタンス預金にはいくらもっていもみんなが知らないから認められないのである
第一そんな金をもっているとなると周りからいろいろ言われる
だから隠すことになる
一億円見せびらかして殺された人もいたからである
もし銀行にあづけていれば盗まれることも殺されることもなかったかもしれない
現金を見せびらかして現金が家にあると思われたから盗まれて殺されたとなる
でも銀行にあづけるといろいろ銀行側で今は苦しいから投資信託とか損するものがすすめられる、それはゆうちょでも同じなのである
金が余っているけど投資してもうける先がないからである
だから日本は貧乏になっているというとき金は紙幣は貯金は多いのである
でもその金があっても有効に使えない、会社だと内部留保であり投資に使わないとか
金が全体に回らないのである
ともかく今貨幣を紙幣をどうするのか、グロ−バル経済にもなり混乱している
それは金というものが何なのか?それ自体が問われるのもそうである
そもそも金というのが一定したものではない、金が単なる数字であり情報だという人もいる、通信がこれだけ発達するとまた金がもう紙幣ではなくキャッシュレスになり数字になり情報になる、でも依然として銀行に貯金がないと使えないという指摘もある
そうしてブロックチェーンとかが生れて来る素地ができている
これはわからないにしてもやはりその人が金をもっているということを銀行という民間会社だけではなくみんなで認め合うということかもしれない
それは石貨とにているのである
つまり金でもそれ自体で通用していたがキャッシュレスとなるとその本人の個人情報がはっきりしていないと使えなくなる
そしてカードから金がどれだ何に使ったかとか把握される
それを銀行がするとなると銀行が潰れたりすると使えなくなるから困るとなるのもわかるキャッシュレスだと匿名でなくなる、個人の情報があって信頼されて金が使える
もう金を盗んで使えなくなる、それは誰の金か登録してあって他の人は使えないからである
いづれにしろ金について紙幣についてどうするのか転機に来ていることは確かである
それでそもそも金とは紙幣とは何かを世界で問われるようになったのである
ただ正直金が何なのかわかりにくい、金には多様な面があり多様な機能がありそれがなかなかわかりにくいのである
第一国で預金封鎖するとかなぜできるのか?
個々人の貯金をゼロにすることもできる、そんな権限が政府にあるのかとなる
すると金とはあくまでも政府の国のものであり個々人にはないともなる
だから金は紙幣は国で管理して民間銀行で管理してはならないともなる
なぜならそんな権限を持ちえるのは国であり国の都合で意のままになる
国が借金しても預金封鎖で金をとりあげて払えばいいとかなる
個々人に金をもつ権利はないとまでなる
とにかく金であり貨幣であり紙幣でありこれがグロ−バル経済になると大きな力をもつ
金で世界を支配できるとかなり問題になる、ドルが世界基軸通貨になっているからアメリカが世界を支配するとなる
それでいいのかとなりユーロが生れたり中国でも反発しているのである