2019年12月31日

大晦日(風が一日荒く吹いて唸った) 大晦日(風が一日荒く吹いて唸った)


大晦日(風が一日荒く吹いて唸った)


大晦日風荒れ吹きて来年の予兆なるかな外に出られじ

風荒く家に吹きつけ唸りける何か不気味や大晦日かな

大晦日なお風荒れて吹きつけぬ街灯部屋にゆれて光りぬ


何か風は荒れて家にうなり吹きつける、その時いつも思い出すのが姉が認知症になったときである、その時も風が激しく吹いて唸っていて
それ以来プログに書いたように災難つづきになったのである
自分も病気になったし家に来た人はみんなろくでもない金目当ての人だけで被害にもあった   

まず家が乱れると外からもおかしな人たちが入ってくる
いい人は来ないのである、そして家がかえって荒されるのである
それも自分のカルマだった、30年間くらい実に自分は楽だったからである
だから楽は長くはつづかない、必ずいつか苦しい時が誰でも来る
それは母が死ぬまで今度はつづいたのである

今年は台風の被害が現実に自分の家でもあった、床上浸水ではないにしろ浸水したのである、でもその他は今年は大きなことがなっかた
ただ自転車で夜転んだのは危険だった
というのはまだ転んで打ったところがあざになって消えないからだ

とにかく経済でも何でも来年いいこと言っている人はいない
実際に経済でも何かいい兆候がないからである
株でも官製の見せかけの株高でありそのメッキも来年ははがれる


日本における大晦日という慣習は、日本文化に古くからある「歳神様」(としがみさま)、または「歳徳様」(としとくさま)への信仰に基づく儀礼から生じており、これらは歳徳神などとも呼ばれるその年一年間を司る神様である。年の初めから来られるため、「正月様」(しょうがつさま)とも呼ばれ、各年によって来られる方向が異なり、その方角は「恵方」と呼ばれる。この神様は神社のような宗教施設ではなく各家々に訪れると昔から信じられていたため、神様をお迎えし食事を共にしたりするために大晦日から「年籠り」(としごもり)をして(元旦に恵方にある近所の神社へ参拝する恵方詣りをすることもあるが)元旦も家で過ごすことが一般的であった

こういう民俗は何かやはり意味があったのである
信仰とも違う一つの何か神様がいてそれが人間に影響する
というのはつくづく家に来る人間は何か影響が大きいのである
親の介護とかなり自らも病気になったとき自分の家に来た人たちは異常な人たちだった
だから余計苦しんだのである、実際に泥棒も来たしガタガタに家がなった
それは家に来た人が悪かったためだともなる

家に来る人、家に入る人は気をつけねばならない
例えばセールスマンとか何かそういう人も悪い影響をもたらす、今は銀行などの営業の人も危険になった、ゆうちょ銀行でも不正があったりと何か経済が衰退して金融でも悪化しているからそうなる

歳神とかなると何なのかと今ならなるが福をもたらすものを家に迎えることである
この家に迎えることが大事なのである
それは家に入る人の影響が大きいからである、つまり変なのを引き入れるとその家が汚される、その家族すら破壊される恐怖がある
だからそういうことを家々で感じていたからこういうことが信じられたとなる
家の中に悪しきものが入ることを畏れたのである

必ず村の神社などの古い石碑を見ていると必ず正月と刻まれている
正月に奉納したから正月が刻まれている、何かそういう慣習が祭りがあったともなる
そういうものが消えたのは農業ではなく工業化したからだともなる
農業はどうしても自然と結びつき人間の技ではない、神を意識するものとなるからである豊作になるかどうかとも天候に左右されるからそうなる

第一冬というのがふえるーふゆなのである
農作物はかえって冬に育ちやすい、増えるのである
これは意外かもしれないが実地に畑で野菜を作る女性がそのことを言った、そういうものかと知識では知っていてもそれが本当にそうだったとういことを知ったのである
農業でも漁業でも林業でも自然と直接的に結びつく仕事は神を意識しやすいのである
人間を越えたものを畏れるのである
でもこれが野菜工場のようになるともうそこも工場になり自然に存在する神というものから離れるのである、ハウスは一つの工場と化しているからである

今年は台風が一番の被害であり最後にまた風が荒れてうなり吹いた
それも今年の天候を示していたとはなる

では今年もこれで終わりです

何かいちいち対話はしていない、一方的に書いている
対話するにしても何かその人となりを知らないと対話できない
突然コメントされてもその人なりを知らないから対話できない
ただyoutubeのようにその人となりわかるとき対話できる
その人が何を求めているのかも良くわからないから対話できないのである

過去の人でも対話することが相手を理解することである
自分なりに相手の書いたものを対話して消化するのである
ただそのまま引用ばかりしていては読んだことにはならない
だから過去の偉人の言を応用して理解することはむずかしいのである
その力量に差があると余計に応用できないのである
ただ今になって理解力がついた、だから自分の文脈の中で活かすことが可能になる
だから今まで買った本を読み直して理解を深めているのである

では良いお年を・・・・

人間と金の問題 (金は万能ではない、時間の方が大事だった)


人間と金の問題

(金は万能ではない、時間の方が大事だった)

今年も終わりだけどどうしても現代は金の問題が一番話題になる
たいがいyoutubeでも経済の問題が一番見られている
日本の貧困化も深刻だし金ももっていれもっているで銀行がなくなるとか預金封鎖があるとか心配になる
貧困化と同時に一億以上ある人は300万人も日本にいることの驚きである
これも格差社会になったからだともなる
株をもってれば株価が気になる
私は株とかしたけど何もしないでもっていたら上がっていた
それはリーマンショックのとき持っていた株だったのである
それを銀行員が来た別な投資信託に回したから損しないまでももうかることもなかった

というのは株とか投資というのはそれで自分自身だけでもうけるとすると
そこに時間をかけないとできない、デイトレだ―などはいつもパソコンを見ていなければならない、そうすると他のことはできなくなる
それで一億円もらったとして何か実りがあるのか?
金に換算するとあってもではその人を豊かにしただろうか?
何か銀行員とか証券会社で辞めた人はそうして金ばかり追ってそれが何か実際は実りがないということで新しく店を現物を扱う仕事をはじめたとかいうのもわかる
農業は苦しいにしろ収穫する時の喜びは格別だろう
それを金に換算するだけのものだったら喜びがないだろう

金があたかも万能のようになった社会がグロ−バル経済社会である
でも金が万能とはならない、例えば今どこでも耕作放棄地が増えている
その土地は一年数千円で借りられるとしてもそこで農業することは労働が必要なのであるその労働についてプログで書いた
小さな畑で毎日草刈りであり害虫から鳥からネズミとかに野菜が食われる
天候の影響が常にあり実りを得るのが容易ではない、するとその話を聞いただけでもう苦労が並大抵でないとなるかしたくなくなる

一億円やるから耕作放棄地を実りある畑にしてくれといってもそこにそうした苦しい労働がないとできないのである、もし機械とかで楽にできればいいが機械を使ってもまたそれも労働が必要なのである
それで一億円もらったらどうするのか?みんなそれで家を建てたり車を買ったりして農業という労働はしない、そのことは原発事故で誰も田畑での労働をしない、放置されて補償金をもらった若い世代は帰ってこないことでもわかる
もともと農業でも漁業でも跡継ぎがないのはその労働がきついからである
金にならないことがあるとしても労働自体が楽ではないからである

金でなんでもできるというのは消費はできる、でも生産するとなるとなんらかの労働が必要になるのだ
それで武田邦彦氏のような科学技術者の研究者が政府から官僚から研究して成果を出せ、その成果は金を出した方が得るのは理であるというのに反発したのもわかる
研究の成果にも労働が智慧や知識や実験とかが必要になりそうして苦労して出すのが研究者なのである
ただ金を出す人が何かを作り出すのではないのである
なぜ今地銀とか銀行がだめなっているのか?
それは金が余っていても銀行自体では何も作りだせないからである、金を貸すから何か利益を出してくれと頼むだけである
でも今はそうして金を貸してもうける人がいないから株とか投資信託とか外貨の保険とか何かアメリカの国際金融資本家にだまされて金を奪われる
それはゆうちょ銀行でも農林中金でも同じである
今は金が金を産みだしているが何か本当の実りを生み出していないのである
それは金融資本主義では金が金を産みだしても本当の価値は産みだしていない
それでアメリカも衰退してドルの価値はなくなるという人がいるのもわかる

人生でもすべて金で計られるとしたら間違いである
この人は一億円残したから一億円の価値があり金がない人は価値がないとはならない
価値は多様でありその人の価値は金があることだけにない
価値は金だけでは作りだせない、確かに金は必要なのである
それよりも老人になればわかる、いかに時間の方が貴重だったかわかる
だから老人はみんなあの時何かをししていれば良かった、旅行していればよかったとか
勉強していれば良かったとか何かしらみんな後悔しているのは金がないからではない
時間がなくなった、その時すべきことをしないで後悔しているのである
そういう時は時間が消えてしまうからである
そしてその時には青春時代などあっという間に過ぎて老人になっているのである

自分の人生をふりかえると何かお前の人生は遊びだったとかなる、でも電車であれ自転車であれ旅行したことが貯えとなっていた、学問であれ芸術であれ知識であれまずその場を踏まない限りわからない、実感できないからである
まず芭蕉でも「奥の細道」は旅しない限り空想では書けないものだった
外国でもそうである、いくらテレビを見ても本を読んでも外国のことはその地を踏んだ人と踏まない人の差が大きい、百聞一見にしかずになる        
だから外国で暮らした人は日本を外国と対照して見れるからかえって日本のことをわかるのである
それで50歳からバックパッカーで外国旅行したのが本当に大失敗したにしろ良かったとなる、なぜならその後介護とか体力の衰えでできなくなったからである

そうした経験が貯えとなって後で何か書くにしても活きてくる
人間はとにかく何かしら日々貯えているのである
花の名前を覚えるのにも一日ではできない、花を知るには相当な時間が必要である
なぜなら種類も多いし季節で違っているから花に通じることは時間がかかる
それは何でもそうである、この世にある無数の事に詳しくなれないのはそのためである
だから雑学でも後で役にたつのである
ただくだらないことに時間を費やしていると後で何も残らない、知識でも経験でも金を貯金すると同じように蓄えることである
人間は何かを日々貯えている、それは金だけでないのである

もちろん金は必要である、でも時間がそれ以上に大事なのである
旅するにしても自分は金がなかった、だからいつも安い宿を探すのに苦労していた
食事は最低限でおさえてグルメなどしなかった
でもありあまる時間があったからできたのである、会社勤めだったらできないからである外国旅行でも金を使わなかった、それは意外だった、外国は安い宿が多いのである
だからヨ−ロッパなど金がかかるようで基本的に宿代が安いから旅行しやすいのである
ゲストハウスなどが多いのである、日本はホテルでもビジネスホテルでも5000円となると高いと思うからだ
外国旅行はしたとしてもやはり自分は一年くらい外国に住むべきだったと後悔する
自分の時代はあまり外国旅行をしない、また留学もしない時代だった
今はそういう点では留学も安くできる時代である、だからそういう経験が後で活きるのである

とにかく人生で一番後悔するのはその時々に成すべきことをしないことであり時間を無駄にしたことなのである
才能があるなしにしろその一人が成せることはわずかである
楽器でも一つはできてもいくつもはできない、いくら天才でもできない
天才を見ても意外と業績を残していないのはやはりあらゆることに通じることができないのである

いづれにしろ人間は最後はみんな時間切れで終わる
今日は大晦日だけで何かもう時間かない、もう人生も終わりだとなる
今日は生きていたけど明日という時間がないとなる
いかに時間が貴重だったかを最後に知らしめられるのである
青春などあっというまに過ぎる、そして40くらいになってみんなおっさんだよとか白髪でてきたとか語っているのである
それだけ時間が過ぎるのが早いのである
(少年老い易く学成りがたし)である
一つの学を成り立たせるには相当な時間が必要である、雑学でさえそうである
何か一つのことに詳しくなるにはそれだけの時間が必要なのである
でも結局学問でも何か無駄が多い、それは勉強の仕方が悪いとかなる
それでもともとあった才能でも活かせないのである

今年も終わったけどももう人生も終わるとなる、老人になったら先がない
それは生きる時間がなくなることなのである