2019年12月06日

中村哲氏はなぜそこまで行動できたのか? (ボランティアの行動とその動機、心の謎ー時にかなった死だった)

  
中村哲氏はなぜそこまで行動できたのか?

(ボランティアの行動とその動機、心の謎ー時にかなった死だった)

今回の中村哲氏の死にしてもそうである
まずその行動に注目している、アフガニスタンでなぜそんなに尽くすのか?
それは度がはずれている
なぜならすでに若い医師は死んでいるからである、殺されているからである
すると普通だったらその時点で危険だからとやめるのが普通である
ペシャワール会でももうこれではやれないとなり協議してやめるようになるのが普通である、そこまでアフガニスタンで働く必要があるのかとなるからだ
日本人の命をそれも医者の命を犠牲にしてまで尽くす理由があるのか?
何かそれが問題になったはずであり議論もしたのだろうがその後も続行したのである
それはペシャワール会の意志として一致して続行したのである

そこまでして続行する理由があったのか?

その行動からみれば感嘆することであり称賛されることである
ただすでに日本人が一人殺されている、そして中村哲氏だけでなくガードマンとかも六人とか射殺されている、その人たちはただガードマンとして金で雇われた人かもしれない
その人たちはアフガン二スタン人でもただ金のために働いたとなる
そういう場では生活が苦しいのだから金になればなんでもやるとなる
第一大麻を作っていたというのは貧しく売るものがないからそうなった
それからイスラム国のテロになったのは若い人でまともに働く場所がないから兵士となり金をもらうとなっていた
テロが生まれるのはそうした貧乏が原因になっている
それで中村哲氏がそういう人達のために水路をひいて自らその工事にたずさわっていた
医者だけでなく土木工事も指導していたとなる

ただその一人の行動は一人だけではできないから回りをまきこんでゆく、日本人でも寄付したり応援している、アフガニスタンでも犠牲者が出たのである
だからそこまでやるべきなのか?
それが疑問として残った、別にそういうことが悪いというのではない
つまりその動機とか理由がわからないのでそうなる

それは三島由紀夫の死でもそうだった
なぜそんな過激な行動をして自ら自死したのか?それが良くわからなかった
ただあの時三島由紀夫は老いることの恐怖を語っていた
それで肉体を鍛えてボデービルダーのような肉体を見せていた
そして老いる前に死にたいと思っていたことは間違えない
老いるということに耐えられなかった

つまりそれが自ら死ぬという決断になった

でもそんな理由であんな事件を起こして巻き込まれるのは大迷惑だとなる
外に向かっては確かに右翼で日本を守るべきだとか言うが現実問題として老いることの恐怖がありまた最後に有終の美を飾りたいということがあった
それは利己的な動機だったとなる、そんな個人的理由で華々しく死にたいということで
そんなことをするとなると大迷惑だとなる
だから彼に関しては独りよがりな行動であり評価できない
それがどんなに過激な行動でも評価できないのである

ただ正直人間は老人になるとわかる、そういう心境になるのである
もう生きる時間も限られている、そして病気で寝たきりとかになったら怖いとか介護状態になるのが怖いとかなる
その前に元気なうちに華々しく死んで生を全うしたと思う
ただそういう動機は社会にとって迷惑だとなる
それなら自殺がいいとなる、それが社会をまきこんでその死を日本の愛国心からであり
日本の国のために犠牲になったとはならない
何かだから独りよがりでありみんな演技だったのかと見たのである
それは三島由紀夫はテレビにしょっちゅうでていた有名人だったから余計にそう見えたのである、盾の会とかも演技なのかとも見ていた
何か滑稽で笑っている人が多かったのである
でもオウムでもそういうことがあった、何か漫画などで宣伝していたから何かあんなに怖いものだとは誰も最初の内は見ていなかったのである
でも殺人集団だったのである、そして優秀な理系の若者が浅原にだまされたとして叫び死刑になったのも重い事実だったのである

人間はなぜあんな行動したのだろうか?

それを問うときそれがわかりにくいのである、だから常にボランティアが偽善だと糾弾されている、それは何か純粋ではなく何か意図があるとかなる
それは善意であってもあからさまに表に現れてそれをまた強制するように見えるからかもしれない、なんだ善人ぶってとかなる
現実問題としてボランティアより自衛隊とかの方が金をもらっていても奉仕しているし役にたっている、震災で一番役に立ったのは自衛隊だったとみんな言っている
ボランティアはあくまでも脇役なのである
でも自衛隊を賛美する人はいないのである、税金もらっているんだからこんなときくらい働けよとか言われるだけである
おそらく戦争になったら真っ先になって死んでこいとか言われる、それが当然でありお前らの仕事なんだよなとる、今でそめういうことを言っているからだ

これと同じようになぜ中村哲氏でも自衛隊のように他国で援助している場合もある
でも自衛隊の人はその国の人に感謝されたり日本人からも称賛されないのである
それが税金で食っている、お前らの仕事なんだよで終わりである
だからなぜボランティアだけがそんなに称賛されるのか?
それで嫌われるということがある、、善人ぶってたいしたこともしないのにほめられたいのかとなる

ただ中村哲氏とかペシャワール会はすでに若い医師が一人殺されていたからボランティアにしても厳しいものだったのである
ボランティアでも命がけになったらやるのか?
第一建築現場とかでは仕事は命がけにもなる、そんなところで仕事できるのかとなる
安全な仕事の補助はできてもそういう危険な仕事は普通はできないのである

そしてなぜあのように称賛されたかというと外国で仕事したからである
日本でもいくらでも困っている人が苦しんでいる人がいるが日本でボランティアしても
称賛されることはない、だからノーベル賞をもらえる人だとなっていたのである
いろいろな賞をもらっていたのである
だから日本でボランティアしていたらそんなことはなにもないのである
だからこそ外国でボランティアをしたのかともなる

こんなふうに考えるのはその行動はあまりにも目立つものでありそんなことまでしてやれるのかという疑問になったからである
その人の心は動機がどういうことでそんなことまでできたのかと問うようになる
人間は行動は目立つし見えるからそれに衝撃を受ける
でもその人の心は見えないのである、だから心とか思想とかはどうだったのか?
それを理解することができない、ただそれだけの行動したということで称賛されるのである

いづれにしろ中村哲氏の行動はボランティアとかでもない、もう医者としてもそうだしプロとしての活動である、現実に医者が一人殺されてやめることもできたのに継続していたそれはもう国連の一員のように仕事として働いていたともみる
ただそうなると保証が必要になる、ボランティアも危険があるから保険に入ることが義務化されている
政府でも外国に阿部首相は特に援助している、それも莫大な金になっていた
それは政府主導でありそれは国民の税金なのである
それでダークネスでは貧乏人に援助する必要はない、税金を払っているのだからそこで
支援しているのだから何か援助する必要はないとしている

いづれにしろボランティアというのが何なのだろうというとき

俺たちは善意の人間であり俺たちはほめられるべきだ

ますこうなってはじめている、何も金を払って仕事するならそんな気持ちにならないのである、家建てるとか土木工事をするにしてもそれは金をもらってしていから誰も危険な仕事でも称賛したりしないのである
別に何も特別なことなどしていないのである、社会では金を払って終わりでありそれ以上のことを求めないのである
でもボランティアは最初から善人として認め称賛されるべきだとなっているのである
ボランティアでも社会が認めない限りまず続けることもできない
現実に自分の駅での経験ではそうだった、怪しい奴として警察に通報されただけなのである
そんな仕事であれそこまでされたら継続できないのである
あいつは何をしているんだ、必要ないことをしているとなったら続かないのである
それも中村哲氏のように命がけとはならない
そこに何かボランティアのむずかしさがある 
中村哲氏の場合はボランティアの域を越えていた  
ただ賞をあれだけもらい天皇とも合いとか並外れて認められたということは大きかった
そういうことがないならそんな命がけのことはできないのである
それだけの大きな仕事をしていたからそうなった
それが生きがいにもなったのである

だから危険な場所にあえて若者は行って殺されたりとか戦争に憧れるとかある
死地に生を求める、またその人生を命を有意義なものにしたいとして
73歳までも過酷な現場で働いたとなる
それが生きがいになっていたのかもしれない
高齢化の深刻な問題として金の問題もあるが生きがいの喪失がある
老人は無用だとか邪魔だから早く死んでくれとか現代では普通にある
それだけ老人が増えすぎたからである
それで死ねない人間が増えたのである、延命治療とかもそうである
そんなことに労力を医者でも費やす方でも嫌なものになるだろう
でもアフガニスタンで中村哲氏のように働けばアフガンの星となりたたえられるしその生が輝かしいものとなる、そうなるとそういう生を求めて選んだ死んだのかとなる

ともかく同じ年代なのでこんなことを考える
老人は死が身近だからである
では退職したからすぐにそんなものを見つけられないのである
中村哲氏の場合は継続してやっていたからそれができたとなる
第一73歳から始めたからできないからである
つまりそういう継続の中でできた行動だったとなる
だから不自然さはあまりないのである、そう望んでいて望み通りの死となったのではとないか?とすると何か後悔とかもなかったとなる
それはかなった死だったともなる
何かそういう死をなかなか今はできない、だらだらと長生きして後は介護でめんどうをかけ延命治療してようやく死ぬとかなっているからだ
そういう面から見れば時にかなった死だったともみる
そうなったのはそういう人生を送ってきたからだとなる

旅ばかりしていた自分などは旅で死ぬのがいいとかなる

ただ現代はそうして死ねる人はまれになっている、何か不本意に生かされる
もう生きなくてもいいのに生かされる、そういう死をニーチェは批判していた
                                                                        
時にかなって生きなかった者がどうして時に適って死ぬことができよう

われわれはもうあまりに疲れて、死ぬことさえできない、それでわれわれは目覚めたままで生きつづける
ー墓穴のなかでーツアストラ

現代の死はそうなっている、高齢化の膨大な死がそうなのである
本当に病院に入ったら入院したら死ぬことすらできなくなる、延命治療でそうなる
それを治療する医者よりアフガンの星となる医者の方がいいとなったことは確かである
ともかく高齢化社会というのは金もあるがこの生きがいが大事である
そして認知症になる原因が社会的役割の喪失が原因していることを書いた
家でも無用となり何も生きがいもなく脳も働かず痴呆化してくる
それも怖いのである、それが生きながらの死のようになるのがまた多いのである
でも継続したことができるが新たなことを退職したからとして簡単にできないのである
だから長生きはマイナス面として生き地獄のようにもなる時代なのである






posted by 老鶯 at 19:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層