2019年12月12日

中村哲氏の殺害事件の原因は何だったのか? (ボランティアは重大な責任ある仕事はしにくい―安全は確保されてする)


中村哲氏の殺害事件の原因は何だったのか?

(ボランティアは重大な責任ある仕事はしにくい―安全は確保されてする)


独善的になる

社会の一部に対する努力が社会の他の部分の利益や必要を妨害してはならない
社会の一つの年齢層、一つの職業、一つの部分の利益と必要ばかりを考えて
他の部分を無視してはならない
(希望と信頼に生きるーウィリアム・バークレーの一日一章)


中村哲氏が殺されたことはあまりにも衝撃的だった
だからこれは何なのだろうとなると相当にそこにかかわっていない理解できない
だから外から軽々には語れないのである
何かよほど込み入った状況があったとなる

援助するにのだからボランティアだから何でも受け入れらてほめられるとは限らない
何かボランティアというだけでその人は善人でありほめられるべきだなる
でも不思議なのは別に金をもらって働く人もほめられるべきなのである!
なぜならそういう人でも危険な仕事を命がけでしている人も普通にいるからだ
それがボランティアになったからとそれでその人が特別な人とはならないのである
だからむしろボランティアには金を支給した方がいいとなる
ボランティアの問題は無料であり無償であること故に問題が起きることが多いからである

無料ということ無償ということは→無責任なこと

こうなっている、社会で働く人は金をもらっているけど責任が課せられている
ボランティアには責任がないとなるといい加減だとなる
援助は継続的にしなければ効果がないというときもそうである
その時々で気まぐれではなく継続的なことが必要なのである

ただなぜこのボランティアが問題になるのか?
援助するにしてもそれがむずかしいからである
困った人がいるからとしてその人だけに金をやったり援助すると周りの人たちがねたんだりする
ある派閥だけに団体だけに援助すれば他の団体からねたまれて批判される
つまり公平であることが最高にむずかしいということである
障害者は一千万人いるとか数が多い、すると一人を援助することではなくそれだけの数を援助することが必要になる
でもそんなこと個人ではできないのである、しかたし地域にしてもそういう人達が多いから一人だけを対象にはできない
貧困問題にしてもそうである、一人だけを助けるとしてもその他の人たちはどうなるのかとなる
そして必ず一人を援助すると回りであいつは得しているとして周りに行ったり役所に言う人がいる
だから援助すること自体が何かめんどうなのである
それでしたくないともなる、めんどうだからかえってしない方がいいと実際に自分は思った
ただ自分の場合は何もできないのだからそういう前にそんなことも言えないとなっていた

現実に援助物資を送ってもその国の上層部の人たちのみに回り下層には回らないということが良くある、するとその援助はなんなのためだったのかともなる
今回の中村哲氏の事件も灌漑用の水路を作ったりしてそこに水利権が生まれて争いになった、何か一方に組みするようになった
それが原因だったとされる、利権争いが起きて巻き込まれた

でも明らかに中村哲氏に深い恨みをもった人の犯行だった

中村哲氏本人を狙って殺すことが目的だった、まだ死んでいないのかとしてそこでまた銃撃してきたからである
これも残酷でありそこまでするのかとなる
いくら恨みがあるにしてもそこまでするのかとなるとその事情はもう理解できない

中村哲氏は医者らしく医療のみの援助をしていればこうはならなかった?

灌漑事業に手をだしたためにこうなった

そこで水利権とにかかわり公平さを欠くようになった
でも中村氏は医療だけではこの悲惨な状況を解決しえないとしてそうなったのである
それが悪いとも思えないのである
ただ援助というのが何でも受け入れられていいものかとなるとむずかしい
駅の案内でも教えられることが嫌がる人が普通にいるからだ
私のしたことはほとんどとるにたらないことである
だから責任もなにもない、それで何をしているんだと警察に通報されて職務質問された
それも今思うとそんなものだったと思う
駅長にもとがめられたし何らそこでほめられることはなかった
ただうざいとされただけである
でも案内してありがとうと言われたことは意外だったのである
そもそもそんなことでありがとうと言われるとは思わなかったからだ
つまり自分には社会的経験が不足していてそういうことすらわからなかったとなる
ここにニートとか引きこもりの問題があったのだ

いづれにしろ今回の中村哲氏の事件は何を語っているのか?
ボランティアとか援助がそれが無償でも必ずしも受け入れられない
それが誤るとかえって反発される
ただ正直本当にそこまでして残酷に殺されるということは理解できない
つまりアフガニスタンの状況が理解できないということである
そこは想像を絶する場であり平和にのんびり暮らしている人には理解できない場だとなるそういう場にのりこんで働くこと自体が勇気あることだとなる

どうしても失敗したのは確かに灌漑事業が必要でもそうなるとそれはまた別な方法でしなければならなかった

その援助がどういうふうにその地域社会に影響するのか?それが問題だった
もしかしたら独善的になっていたのかもしれない、ボランティアでも何か俺はいいことしているんだとしてそれが独善的になりいいことしているんだから認められるべきだとしてかえってそれが嫌われることもある
灌漑事業は別な方法でするべきだったのかとなる

でも前に医者が一人死んでいる、その人はそういう灌漑事業と関係していたのか?
ただ医療に従事しただけで殺されたのか?
その詳しい事情はわからない、とにかくペシャワール会ではその時なぜ殺されたかの?。それを検討して中止すべきだったのかとなる
援助するにしても中村哲氏一人では独善的にしてもできない
結果的にガードマンが6人も死んだからである
その人たちの協力があってできる、一人ではできない、するとそんな危険な所に行くべきではないとなる、自分一人で死んだならそれで良かったのかもしれない
6人もまきぞいになり犠牲になっことは重大だった

なぜなら中村哲氏に深い恨みをもった人たちが殺害した

ガードマンはまきぞいになり犠牲になったことは確かである
それは中村哲氏が独善になったからかもしれないとなる

なにかボランティアはあまり責任の重いことはするのが問題がある
それだけの責任が生じるとういことはとてもボランティアではできないからだ
だからボランティアの領域を越えたものだった       

実は最近、アフガン社会に根差した活動をしてきた中村医師を取り巻く状況に、ある変化が起きていた。2018年2月にアフガン政府から勲章を、今年10月にはガニ大統領から「名誉市民権」を授与されたのだ。私はそのことが、中村医師が卑劣な犯行の“ターゲット”になった遠因ではないかと考えている。

あまりにも目立ち過ぎて標的になった、ガニ大統領に反発する集団がそれで中村医師を標的にした
だから目立つことも危険だと思った、現地の人を前に立て後方支援ならいいが率先して前に立ったということもあるのか?
でもそうしなければ灌漑事業などできない、だから政府支援でJICAで灌漑事業するべきだというのもわかる 
個人的には無理だということである、そんな危険な場所に行くには自衛隊も護衛として必要だとなる
それで中村哲氏を批判する人は9条信者だったが自分の命も守れなかった、9条信者でも結果的にガードマンを6人も道連れにして犠牲にしたとか批判している、これも一理あるとなる

とにかく何か援助するにしてもむずかしい、野良猫がかわいそうだとしても猫を飼うこと自体容易ではない、また野良猫に餌をやると増えてきて困るのである
だから地域で飼うことが必要だとしている、地域で野良猫をめんどうみる
それは去勢して増やさないようにする
それも協力ができてのことである、そうしないと迷惑になる
現実に一匹の猫を私は殺して始末したからである
猫の問題は増えすぎることなのである
結局かわいそうだと思っても殺すことに逆になったのである
そういう矛盾とかがある、それが中村哲氏にも起きたのかもしれない
ただこの事情はアフガニスタンを理解しなければわからないことである
だからそこまで行動した人を軽々には批判できないのである

posted by 老鶯 at 10:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

abstract flowers

abstract flowers

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inside flower

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snow flower

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autumn forest




青い花の抽象画の二つは著作権にふれるかもしれない
原画と比べるとわかる場合がある

その他はわからないだろう、ただ別に著作権を抽象画で指摘されていない
というよりは原画を作った人とか見ていてければわからないのがインタ−ネットである
それで自分の作品いも勝手にどこかで利用されているかもしれない
外国だともうわからなくなるからだ

ただこうしてソフトで抽象画にできるのがいくらでもあるから機械的に大量生産できるのである

Two of the blue flower abstract paintings may be copyrighted
It may be understood when compared with the original picture

I don't know anything else, just the copyright is not pointed out in the abstract
Rather, if you look at the person who made the original picture, you will not know the Internet
So my work may be used somewhere without permission.
It ’s because you do n’t know when you ’re abroad.

However, because there are so many things that can be made into abstract pictures with software, they can be mass-produced mechanically.

2019年12月13日

失われる旅の記憶(七ヶ宿から上の山へ秋の旅の再考)


失われる旅の記憶(七ヶ宿から上の山へ秋の旅の再考)

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明治元年12月7日(1869年1月19日) - 刈田郡は磐城国の所属となる。
明治4年11月2日(1871年12月13日) - 平県の所属となる。
1876年(明治9年)8月21日 - 宮城県に移管される。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、関村、渡瀬村、滑津村、湯原村が合併して七ヶ宿村となる。
1957年(昭和32年)4月1日 - 町制施行して七ヶ宿町となる。
1991年(平成3年)10月22日 - 七ヶ宿ダム竣工。

ここでも不思議なのは磐城国であり平県の所属になっていたのである
こんなところまで磐城国になっていたのである

旅の記憶もきれぎれになる、この街道を自転車で行った、福島県の桑折町から上る小坂峠は険しい峠であり苦労した、でも昔の街道は山に埋もれていた
こんな急な坂を行くのは容易ではない、そして点々と忘れられたように昔の宿場があったその時晩秋だった、木の葉が街道に散った、ただあそこは取り残されたようにして昔が残っていたともなる            

木の葉舞ふ街道行くや人気なし

点々と街道の宿場木の葉散る

虫の音のかすかや聞き入る七ヶ宿

きれぎれの記憶をたどる冬籠り

ここの街道は本当に人気がなかったのである、まるで木枯し紋次郎の風景だった
仙台からの陸前浜街道も大きな街道ではないにしろあんなに淋しくはない、相馬市とか原町市とか街がある
途中にしてもあんなに淋しくはない、海からの風が吹いてくるのも違っている
海が見えるのは心を解放するという効果がある

東海道とかなるともう昔の面影が残ってるのを見るのはむずかしい
ただどこだったか街並みがあり道が真っすぐにつづいていた
普通はどうしても道が曲がるのが日本の道である

街道の街並真っすぐ燕来る

こういう道は東北にはほとんどない、そこは街並が長くつづいていたからである

何か人間は本当に記憶が失われやすい、だからこそ生きていられるのだろう
嫌な記憶か人間には多いからである、そういう記憶は消したいのだけで消せないからだ
だから忘れられないものとして苦しめられる
特に若気の至りとかあるけどその時はたいしたことがないと思っても必ず老人になると
後悔して苦しめられる、そういう記憶が消えないのである
罪の意識に苦しめられるのである

七ヶ宿で不思議だったのは疲れて休み虫の音を耳を澄まして聞いていた、そこは街道の宿場町といっても家もまばらである、それも真昼であり虫の声だけが聞こえていた
それはまるで静けさや岩にしみいる蝉の声ー芭蕉の俳句とにていた
つまりそういう俳句ができたのは江戸時代だったからである、今のような騒音の時代ではなかったからだ
ただ旅の記憶でもとぎれとぎれになり一続きとして記憶できない
何か最も印象的になった場所が記憶として残っている
まず都会では記憶しにくい、混雑しているし騒音にかきけされて記憶に残らない
そこで虫の音だけが聞こえていた、後は何もないという感じだったのである
だから記憶に残っていた、だから記憶というのも不思議である
記憶に残るか残らないかは重要である、なぜなら記憶に残らないものはないと同じになってしまうからである、そこに行ったという記憶もなくなるからその場にいたということもなくなる

それで私の母は旅などしたことがなっかたが団体旅行で旅した場所を全く記憶していなかった、そこに行ったとういことも記憶していなかったのである
団体旅行だとおしゃべりなどをしてわやわや行っていると記憶に残らなくなる
その場の雰囲気も忘れる、だから団体旅行は旅というのではない、物見遊山の気晴らしとかになる
芭蕉は自然と合一していた、だから「五月雨の降り残してや光堂」とか「静けさや岩にしみいる蝉の声」という名句を作ることができた
江戸時代だと自然と合一しやすかったことは確かである
車の音も何も聞こえないからである
現代人はそもそも記憶に残らない生活をしているともなる
車を日常的に使用しているが便利であっても旅でも記憶に残らない、街道を行っても
早いとういことでその土地のことを感じにくいのである
車は風を感じない、車内は快適でも自然を感じないのである
だから距離を行くにしても記憶に残らないのである


九代政宗は天授6年(1380)に父宗遠と置賜の長井氏を攻め高畠城に移ります。
二井宿峠で詠んだ二首の和歌が残されていますので紹介しましょう。

なかなかにつゞらおりなる道絶えて雪にとなりの近き山ざと 

山あひのきりはさながら海に似て なみかときけば松かぜのをと

雪にとなりのというとき何か山形は春になっても雪が残っている
仙台から仙山線で行くと面白山が境界になりそこをぬけると山寺になる
でも必ず春でも雪が残っている、それで山形を感じる
山形は雪深いのである、山形弁というときこれもかなり濁音であり聞きずらい
それは仙台弁の語尾のだっちゃとはまるで違ったものなのである
なぜ仙台だけが語尾に語勢の強いだっちゃという訛りになったのか?
宮城県が東北でないというとき宮城県だけは東北では異質な存在だったのである
福島県の浜通りも海に面しているから似ているようでもそうではなかった
やはり東北弁でありズーズー弁なのである

「山形の納豆汁や冬深む」

この納豆汁が有名である、その方言の訛りもなにかねばねばしているのだ

ともかく宮城県から伊達政宗が出たというのも何か地理の必然性があったのか?
ある人物が出るということはいくらその人が優秀でもその土地の影響がある
伊達政宗は短歌とか漢詩も作り文芸にも優秀だった
つまり文武両道の武将だったとなる

この短歌でも上手である、道絶えて雪にとなりのというとき山形はそういう土地である
道が絶えて山里があり雪がある、春でも雪が残っているのである
松風の音を聴いた時、それが波と思ったのは海側に住んでいたからそうなった

京都の伏見城では仙台中納言と最上守が並んで配置されていた
そのとき相馬藩の屋敷はない、石田三成は相馬藩に来ていて好みがあり三成の旗印が野馬追いに残った、

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烏帽子親であった石田三成の一字を賜って初名を三胤といったが、これは義胤が豊臣秀吉の小田原陣に参陣した際に、石田三成の取り成しで本領を安堵され、それ以来三成と昵懇であったためであった

野馬追いに出ていた石田三成の旗印

秀吉の栄華は一時だった、徳川幕府の300年からすると夢のように消えたとなる

黄金の茶室も夢や秀吉の栄華も一代伏見城跡

何か地理的にも福島県と山形県と宮城県は隣接して地理的一体感がある
それで南相馬市の鹿島区の右田浜から蔵王が見えたし片倉のフラワーランドから牡鹿半島と金華山が見えた
つまり山形県と宮城県と福島県がここで地理的につながるということである
ただ福島市からは蔵王は見えないのである
だから会津とかなるとどうしても阿賀野川があり新潟県と地理的一体感がある
新潟県側から会津の山も見えたからである

いづれにしろ冬は冬ごもりであり回想するにはいい季節である
でも問題は記憶が消えてゆくことなのである

我が家に記憶をたどる冬籠り

みちのくに老いるもよしや冬籠り

こんなふうになる、家そのものが今や家族がみんな死んで記憶の家となってしまったからだ、家というのはただの建物ではない、その家の家族の記憶のつまった記憶の家だったのである、でも母の四回忌なのか、月日のたつのが早い、そして家族の記憶もまた薄れてゆくのである、ただ60年も一緒にいたからなかなか自分の場合は忘れるとういことがないのである

インタ−ネットは何か記録するのには便利である
これも前に書いたものの加筆したものでありそういうことがしやすいのである
本だったらこういうことができない、完成して加筆できないからである
インタ−ネットではいくらでも再編集したり加筆したりできる
そこで終わっていないのである、それは死ぬまで終らないのである




また忘れた母の命日 (死者は生者に何を望むのか―報いは何なのか?)


また忘れた母の命日

(死者は生者に何を望むのか―報いは何なのか?)

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母の命日(三周忌)
http://musubu2.sblo.jp/article/185201304.html                                    

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白い清楚な花は隠れるように
つつましく咲いていた
今は亡き女となり 
なお家にいて静に
やはりこちらを見ている?



報いあれ我が家に生きて冬紅葉

冬の菊母は支えぬ我が家かな  


忘れけり母の命日昨日かな満月光り4周忌かな 

明るくも冬の満月照らしけり母は彼岸に我を見るかな 

しみじみとこの家にあれな冬の日や母は長くもここにありせば


昨日が母の四周忌だった、15日だと思っていた、それがどうしてか先入観年になっていた、前の年も忘れていた、こういう勘違いがある

母は目立たぬ女性だった、性格がそういう目立たない女性だった
ただ家事にせわしく子供の時店でご飯を食べる間もなく忙しかった
そして実家の父親が事業に失敗した時、後妻が入ってきて継母でありいじめられたのである
こういう生い立ちは悲惨である、何か愛情をかけられなかったのである
その継母だった人も最後は悪かったなとと言って何かおかしくなり母に頼って最後は死んだ、そして実家の墓にその継母の骨は入った
ただ一人めい子が残ったがその人が異常人格者になったので今は墓参りしていない
何か不和分裂の家系でありそういうことは生前あると死後もつづく
一緒に墓参りできないのである

それにしても我が家にいたのは長かった、百歳まで生きて70年くらいいたとなる
これも長いと思った、だから人間は死んだらどこにいるのかとなるとやはり依然として家にいかるのかもしれない、女性と家は切り離せない、だから嫁なのである

なんか不思議なのは今は私は二階家であっても下にいつもいる、すると母親もその部屋にいて介護したから母もいる感じになる
何か自分を庭からでも見ている感じになる
時々幽霊のように現れる感じにもなる

母は生い立ちとか不幸だったけど経済的には戦後の一時期は苦労してもしなかった
経済的に苦労したという時戦前はみんなそうであり戦後の一時期はみんなそうだったからである、だからそれは苦労したとは言えない、でも自分の家で良い待遇だったとは言えなかった
ただ忍耐の女性でありじっと耐えて暮らしていたとなる
それは自分の性分ともにている
いい家に生まれたらやはり何か文学の才能があったみたいだから短歌など書いたかもしれない、ただそういう余裕が全くなく働きづめで終わったのである
短歌とか俳句でも何か暇があったり余裕がないとできない
そういう余裕が与えられなかったのである

今は遺影に向かい母と姉に語っている、返事はない、なんか認知症になった女性が壁に向かって一人で語っているという時、それは死んだ人と語っていたのである
つまり老人にとって死んだ人の方が生きて入る人より親しいのである
老人になると親しい関係を作ることはむずかしいからである
そして老人にとって家が安住する場なのである、だから家で死ぬのが理想だとなる
ただ母は一か月前に入院して病院で死んだ
でもそれまで家にいたのだから家で死んだ感じになっていたのだ
ちょっと目を離した時に死んでいたのである
おそらく苦痛はほとんどなかった、眠るように死にたいと言っていたがそのことだけはかなえられたのである
やはり苦痛なく死にたいというのがやはり死の理想でもある
百歳まで生きればたいがい老衰ではあり苦しむことはないだろう
だからやはり老衰で死ぬのが理想だともなる 

とにかく死者の報いとは何なのだろうか?
何かそれだけ苦労して尽くしたり働いたのだから報いがあってもいいとなる
でも死んだらその報いは何になるのか?
供養してそれを喜び報いとなるのか?
何か報いが欲しいとなる、でも死んだのだから何かを死者に与えられるのか?
死者に与えるものは何になるのか?

それは物でもないし金でもないし死者が欲するものは何になるのだろうか?

ただ少なくとも墓参りしり遺影に手を合わせたり語りかけたりして死者と交通する
何かそういうことは必要である
でも死者が得る報いとは何なのか?死者には与えるものがない
生きていれば体にふれたり声をかけたりして愛することはある
でも死者にはできないのである
キケルゴールは死者を愛せという論文を書いているけどそれもわかりにくい
死者をどうしたら愛することができるのか?
どうしても歳月が過ぎてその存在が希薄化してあいまいなものになってしまうからであるつくづく人間はここでも忘れやすいのである
60年も一緒にいてもそのことすら記憶が希薄化してゆく
まだ一緒に暮らした家が残っているからそれで記憶するということがある
家がなくなったら施設に入ったりしたらもう記憶がさらに消えてゆく
それだけ何でも家族すら記憶するのがむずかしく消えてゆく無常があった





2019年12月14日

墓とは何なのかその謎 (墓参りすれば良心がなぐさめられる?)


墓とは何なのかその謎

(墓参りすれば良心がなぐさめられる?)

墓が何なのか?これも知ることは簡単ではない、そこで墓の歴史を見る
江戸時代には侍意外は墓はなかった
村の共同墓地に埋められていた、つまり墓はなかったのである
そこはホトケっボとか言われて残っている
そこには死体が埋められたのである
でもそこには誰々の墓とかはないのである

殿様とか侍の墓は菩提寺にある、それも個人名であり家の墓がない
…家という墓はないのである、男性でも女性でも個人名の墓はある
女性でも侍の家だったら個人名である
だから墓がある人は特別な人であり一般の人は墓がなかったのである

でも経済力がついた幕末辺りになると農民でも個人名の墓が生まれた
墓を作るのは結構当時は金がかかるから作れない
でも経済力がついたとき農民でも墓を作ったのである
今でも立派な墓を作るのは裕福な人だからにている
墓はあくまでも個人であり個人を供養するものである
ただ村という共同体があるときは共同の墓地にうめていた
ただそこには何もないのである

家族墓が一家の墓が生まれたのは明治以降なのであり新しいのである
それは上からの政策でそうさせられたということがある
家を一つの単位として国をまとめる国の政策として一家の墓が奨励させられた
天皇が日本国民の親であり国民は子であり赤子であるとかなった
それは上からの押しつけだったのである
だからち歴史的にみれば家族の墓は新しく作られた制度のようなものだったとなる
家族の墓は世界的にみてもない、みんな個人の墓である
そうすると家族の墓は一家の墓は特殊だとなる

不思議なのは共同墓地に個人が埋められたとき個人は消失する
でも村の人たちがそのホトケッポにお参りしていた
だから村がある限り誰かがそこにお参りしていたということはある
でもそれは特定の個人にお参りしていとはならない、なぜなら個人はそこで消失しているからである

墓の不思議は墓は家より長く残る、家が消えても墓が残っている
家は絶える家があるからだ、今になると家が維持できないとなり墓終い(はかじまい)
する人が多くなった、墓はこのように維持することがむずかしいのである
だから誰もお参りしない墓があり捨てられるようになる
墓の墓地ができてしまうのである、特に家族のつながりが希薄化している現代ではそうである、子供でも女性なら遠くに嫁ぐとか広域化すると代々つづく家というのが少なくなる
なぜ墓が家より長く残るかというとその土地と関係している
家だと家という建物は消える、でも土地にあれば墓は例えばその家の人が死んでも墓だけが残ることがある、無縁墓になっても残ることがある
家はもし人が住まなくなったら壊されてなくなるからである
そして家族がお参りする人がなくても無縁墓でも土地の比とがわれだとして花でもたむければ墓だけはその後も残るということがある
そこに墓の意味があるともなる

ともかく墓というのはまず人間は家族でも死ぬと何もなくなってゆく
そこで死体を埋める、そうしたときそこに卒塔婆のようなものを建てることからはじまった、死者はいないのだがそれが代わりになる
でもその卒塔婆だとこれも古くなり朽ちてなくなる
それでなくならないように石にしたともなる
ただ問題は墓でも誰かがお参りしないと墓は捨てられるのである
そのように継続することがむずかしいのである
それが共同墓地になると数が多いから誰かが子孫でもお参りすると継続できるのである
一家の墓は継続しにくいのである
それは墓石会社が言うのとは違ってくる
こういうふうに死者を商売するするとき何でも歪められる
墓を売りたくてそういうからである、また戒名などもそうである
そんなもの第一仏教ではそもそもなかったからである
それも寺や僧侶の金儲けのためであり歪められるのである
人間は必ず利益がかかわると公正に見れなくなるのだ

ただ骨を海に散骨するとか木の下に埋葬するとかして墓を建てないということも選ぶ人がいる
そうするとどこに墓参りしていいかわからなくなるので困ることになる
墓というのは墓参りがあって墓の役目を果たすからだ
その人の墓があればその人を供養することになる
そして何か墓というのは良心をなぐさめるためにあるともなる
親に苦労かけたのに何もできなかったから墓参りするとかである
それで心が慰められるのである
何か本当に死者に対しては良心が問われるものである

第一死者は何を生者に求めているのか?

供え物なのか?そうでもない、死者は心から私を思ってくれますか?
そのことかもしれない、死者はもう何も与えてくれないしまた何を与えても返事もないからである
それでそういうことになると何も思っていない人は墓参りもしなくなる
現実に実の娘ですら金にならないとして墓参りしなくなった
こちらで電車賃とか10万とか払ってもそれはその金が欲しくて墓参りすると言ったが来なかった、その人は事情があるにしろその10万が欲しかっただけなのである
それで死んだにしろ親の縁もキレたとなる
それは親に責任があるにしろなにか人間の縁などあっけない無常だと思った

とにかく墓があればその個人を偲ぶことがある、それは具体的に墓というものがあり墓参りして何か良心のなぐさめとなる、墓がないとそれがなくなる
死者との縁が墓を通じて結ばれるということはある
でも立派な墓は必要ないのである、そういう死者を思う心があれば卒塔婆のようなものでもいいのである、第一石の墓だとお参りする人がいなくなれば片付けるのに困るからである、卒塔婆のようなものだったら片付けるのが簡単だからいいのである 

私が新しく兄の墓を作ったとしてもそこに骨もなにも埋まっていないのである
でもそこに兄がいるとしてお参りする、不幸にも若くして事故で死んだしいろいろ私の家族ではマイナスのものとしてあったからお参りする
それで良心のなぐさめになる、母もまた苦労したからそれでお参りして良心の慰めになる不幸という時、子供の時不幸なのは愛されない最悪だからである
母も継母に育てられたからそうだった、継母にいじめられたのである
兄も私の家では愛されなかった、だから不幸だった

それで不思議なのは母の場合は何か愛されないというカルマをもっていたのかともなる
その子もそうなったりしたからである、それは自分の家族とも関係していた
それで私は恵まれたらか良心の慰めとして兄の墓を作りお参りする
でも実の娘も不思議なのは愛されないものとなった
これもカルマなのかとなる

親ー子ー孫とありみんな愛されなかったという連鎖はカルマなのか?

こういうことがカルマとしてあるのは確かなのである

いづれにしろ母の命日を今年も忘れていた、ただ一人になるとそうしていろいろ気がまわらなくなる、家事するだけでも忙しいからである
だから命日だけでも個人を偲ぶということは必要である                               



2019年12月15日

自然とはそもそも何なのか? (自然に逆らう破壊しないと生きられなかった人間の業)


自然とはそもそも何なのか?

(自然に逆らう破壊しないと生きられなかった人間の業)

自然という時、その自然という概念が何なのかとなる
自然エネルギーは自然を破壊しないからいいという
ところが人間が存在したときから自然は破壊される運命にあった
なぜなら人間以外の動植物は自然を破壊したりできない
動植物自体が自然の中でしか生きられないからである
つまり人間が存在しなければ自然は神が創造した時のままだったのである
そういう世界では神の知恵で自然は治まっていた
自然の天の則(のり)は越えることがなかった
越えることはできなかったのである

でも自然とは何かというときそれが正確に把握されていないのである
何が自然なのか?何が自然でないのか?
ただ人間の業(技術)は自然に逆らうものとして生まれたのである
また自然に逆らわないと人間は採集狩猟時代にとどまって発展しなかった
縄文時代に日本列島に20万人くらいしか住んでいなかったとなる
そこでは鬱蒼とした森で覆われていて人が住んでいるとしてもほとんど森に隠されていたのである、そういう光景を見たら息をのむような自然そのもの美しさに驚嘆したとなる
つまり人間の生活が隠されていたときこそ自然は最も美しく映えていたのである

なぜ神道が生まれたかというとそういう太古の息をのむような日本の自然があって生まれたのである、その手つかずの自然の清浄圏で日本の神道が生まれた
その時、建御雷(たけみかづち)の神のような武神は存在しなかったのである
縄文人がなぜ一万年も平和に争いもなく暮らすことができたのか?
その謎は逆説的だけど動植物のような暮らしをしていたからだとなる
動植物は自然と和合しないかぎり生きていけないからである
それは神の則(のり)の中でしか生きていけないからである

でも採集狩猟時代から農業時代になると自然破壊が起きたのである
農業こそが文明であり自然破壊の張本人だったのである
なぜなら原始的な農業の焼畑でもそうである、それは肥料とするために森林を燃やして灰を肥料としたからである
農業にとって肥料が最大の問題だからそうなった
大規模な自然破壊は農業からはじまったのである

縄文時代に森林におおわれていたこところが農地になった、縄文時代には日本列島に20万人しか住めなかったのが農業時代になると飛躍的に人口が増えた
それは森林の破壊があったからである、たいだい今田畑になっている所は森林だったからである
とにかく日本の原始時代をみれば森に覆われているから暗黒なのである
森の中は暗いのである、それで遮光土器の土偶の目があんなに大きいのか?
これはやはり森が暗いから大きく目を見開いて見るために目が大きくなったのか?
ただ目が人間にとって重要なものとして認識していたためであることは間違えない
今でも見ることはseeは知ることだからである、それは外国でも同じなのである

そして農業が飛躍的な人口の増加をもたらしたというとき農業は一見自然のように見えているけど違っていた
農業と鉄器は密接に結びついていた、石器の鍬と斧とかではまず農業は発達しない
石器で稲を刈っていたりしたことがあったがそれでは農業は発展しない
そこでどうしても鉄器が必要でありその鉄器の発明で飛躍的に農業が発展して人口が増大したのである
だから鉄器が農業文明を作ったとなるのである

だから古代からの歴史を調べるといかに鉄がかかわっているから古代史のことで延々と書いてきた、そして南相馬市の鹿島区の真野の草原(かやはら)は鉄の一大生産地として
奈良の都に知られて万葉集に残ったということを書いてきた
鉄の発明がいかに人間にとって重要だったかである
だから古代史は鉄をめぐる争いであり鉄を中心にした歴史なのである
伽耶国(かやこく)からツノガノアラシトが来た、渡来人が来たのは鉄を生産する技術をもっていたからである

そしていかにツノガノアラシトが東北で最初に地名化したか、この辺だけでも神社でも
角(つの)とつくのはツノガノアラシトなのである、津神社が多いがこれはツノ神社のことだった
相馬市の津神社もツノミツ神社のことでありツノガノアラシト系でありツノとなればここに由来しているのが多いのである
荒巾木(あらはばき)とか蝦夷の原住民がいたとしてその荒もツノガノアラシトのアラなのである、つまり蝦夷とはいろいろな人がいたにしろツノガノアラシトと原住民が合体したのが最初の蝦夷だったともなる
それだけ古くからツノガノアラシトが入ってきて東北にその痕跡を残したのである
ただこのツノガノアラシトは伽耶国の王子としても日本の一部だったからこそ日本と一体化していたからこそこれだけの痕跡を残したのである
第一稲荷神社というとき稲荷は鋳成りであり鉄を祀ったものなのである
農業は稲作は鉄と不可分に結びついた文明だったのである

農業は大規模な自然破壊だったのである
それを証明したのが津波だった、海側を干拓して田を作った、そこに塩害を防ぐために
松原を作った、鹿島区の右田の松原は本当に幹が太くいい松原だったのである
それは江戸時代にできたから成長してそうなっていたのである
その松原が津波で根こそぎ破壊されたのである、これも信じられなかった
そこで気づいたことは松原が人工林だったということである

松原は自然ではなかった

つまり自然とは何かというとき田畑も松原も自然ではない、果樹園でも自然でないとなる人工的な産物であり自然そのものではない
そして松原は津波には弱かった、根が強く張らないからである
もし自然林だとするとそこにいろいろな種類の木が生えていてあんなふうに根こそぎ流されなかったかもしれない、自然林だったら松だけの森はない、ただ林というときこれもハヤスであり人工林になる、人間は生やして作ったものだとなるからである

ともかくこの自然は何か?そこが最初に問題になっているのだ
人間は生きるために自然を破壊しなければ生きていけないという業(ごう)を持っているそれが人間の歴史であり世界共通なのである
人間の業というときそれは世界共通なのである、だから世界の歴史もそうして人間の業からみれば共通しているから理解できるとなる
同じ人間であるからこそ同じことが歴史上に起きて来る
だからギリシャ神話などでもそれが日本人でも人類なら理解できる


プロメテウスはそれでも、どうして人間に火の贈り物をしたらいけないのか、教えてもらいたかった。ゼウスは「もし人間に火を持たせたら、人間は神同様、強力な存在となろうとし、オリュンポスを荒らしにやってくるだろう」と答えた。しかし、プロメテウスは、この回答に満足せず、翌朝、日の出の火を少し盗んで人間に渡した。

火を与えられて、人間は幸福になっただろうか。人間は洞窟から外に出た。夜道を照らす松明。調理された食物。赤々と燃える鍛冶場。鋤、剣、槍を作る。兜をかぶり、戦争に出かける。プロメテウスは人間に文明と技術をもたらした。

プロメーテウスをカウカーソス山の山頂に磔にさせ、生きながらにして毎日肝臓を鷲についばまれる責め苦を強いた。プロメーテウスは不死であるため、彼の肝臓は夜中に再生し、のちにヘーラクレースにより解放されるまで拷問が行われていた。その刑期は3万年であった

ゼウスから神から火を盗んだのが人間である、そのために過酷な刑罰が課せられた

その刑期は3万年であった!

原発事故でプルトニウムの毒がが二万年たたないと消えない!

まさにこれと同じだったのである、それほど過酷な刑罰でありそれが原発事故で起きたのである
だから神話というのはこれだけ先の人間の運命を暗示して生まれたのである
人間の業は必ずやがて苦しみとなって現れる、それは個々人的にはカルマである
かならず60以降は人生のカルマが苦しみとなって現れる
人間は過酷なカルマを課せられたものだったのである

そして自然というとき何なのか?
エネルギーを考える時自然とは何なのか?
必ず自然に逆らうもの自然を破壊するものとして科学技術もある
水力発電が水の流れを利用するからいいとかダムがいいとかなるがそれも自然に逆らうものだから自然エネルギーではない、それは今回の洪水で証明された
ダムは自然の流れをせきとめるから自然ではないのである
そこで放流して下流で6人死んだとか現実にあった、ダム自体が実は危険なものだったのである

そして太陽光発電とか風力発電も自然に逆らうものであり自然エネルギーではない

それは偽善エネルギーとして武田邦彦氏が指摘している
風力発電が一見自然の風を利用しているから自然エネルギーでいいとみるがそうではなかった、風というのものの自然での働きはいろいろあり風力発電はそれを阻害するのである思うに自然に逆らうという時、景観を破壊するのは自然ではないと見る
風力発電でもソーラーパネルでも何でも自然景観を破壊するのは自然ではないとみる
田畑が自然だと見るがそれももともと森林を破壊したものだった
何かしら必ず自然に逆らうものは自然を破壊しているのである
素人でも風土的にソーラーパネルとか風力発電とかは日本のようなな狭い国ではなく、とてつもなく広い土地がある所に向いていると直感する

自然界には「エネルギー保存則」があり風のエネルギーを電気に変えればその分だけ風のエネルギーが弱まる
つまり風車の風上と風下では風速はかなり違ってくるのです
樹木が育つのも葉の表面から水分が蒸発するからです
風が弱くなればそれだけ樹の成長は抑えられます
土も乾燥するのも風が吹くからです
風が弱くなったら土の表面はいつもべとべとして苔が生えるでしょう
「偽善エネルギー」武田邦彦

植物の呼吸

体温調節

水分の発散

植物は昼間に葉から水が水蒸気となって蒸発することによって水を吸い上げる力を生ずる

つまり葉でも植物でもぬれたままでは水分を蒸発できない、すると新たな水分を吸収できない、水分を蒸発させるためには風が必要だとなる
だから津波で破壊された所にソーラーパネルが敷き詰められて風力発電の風車が作られた場所に植林してもその木が育つのか?
それが疑問になったし景観的にもそこはもう回復しないのである
いづれにしろ風力発電も自然のそうした作用に逆らうものなのである

そして石炭とか石油は自然のエネルギーだという、なぜならそれは石炭ならもとは木であり石油も自然の植物であれ動物であれ有機物が貯えられたものだからである
だから武田邦彦氏は石油と石炭のエネルギ―利用は肯定しているのである
それは自然エネルギーだからとなる

ともかく原発事故も石器時代から鉄器時代と文明の発展の結果として必然的に起きてきたのである、だからこそプロメテウスの神話がこの辺で現実化したことの驚きだったのである
自然エネルギーというとき言葉からして誤解を生みやすいのである
ソーラーパネルも風力発電も洪水でこの辺ではとまった
風力発電の風車は台風以来とまったままである
電源装置が水をかぶったので動かくなくなったのである
ソーラーパネルも一部分低い場所にあり湖のようになり水につかってとまった
あれも意外だった、だから必ず人間の作った人工物は自然災害にあう宿命にある
それはそもそも自然に逆らうものだからである

とにかく文明が発達した時、縄文時代なら自然に逆らうことはほとんどないから一万年持続したとなる、農業文明も一応自然に逆らうものとしても自然と調和する面があったからエジプト文明でも3000年とかマヤ文明でも中国文明でも日本文明でも2000年3000年と長くつづいたのが特徴である
でも20世紀からの産業革命では加速度的にエネルギーの消費が天文学的に増大したのである
だから百年でエネルギーを農業文明の何百倍何千倍何万倍なのか計り知れないエネルギーを消費するようになりその行く着く先が原子力に頼るようになりこの辺で人が住めなくなる事故になったのである
だから文明自体がそうして自然に逆らい神に逆らい加速度的にその進歩もとめられないから最終的にはその業のために滅びるとなる
そういうことが現実化したのがこの辺であり原発事故だったのである

windpower111.jpg

台風以来泊まったままの風力発電の風車

電源装置が水にぬれたのである

ソーラーパネル自体が水をかぶった所もあった

結局自然災害でこれらも使い物にならなくなまことがある

あくまでも本体の補助であり主役にはなれないのである




posted by 老鶯 at 11:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

秋の蝉の私の句について


 秋の蝉の私の句について

  
町一つ秋の蝉鳴く余韻かな

one town
one sympathy
all in one herat
Cicada voice in autumn
still sounding over


まず秋の蝉だが何か今年は川の土手の道が散歩道と買い物に行く道になっている
そこに座る場所があり秋になっても蝉の声を聴いていた
最後に一匹の声を聴いて後は聞こえなくなった
その余韻が残っていた
英語にしたがそれはグーグルの英語翻訳である、AIでも翻訳はかなり精度が高くなっている
ただ詩の翻訳となると限界がある、一部はでも機械翻訳を使い英語にして見る
すると何か英語の感覚が身につくかもしれない
ただこの英語は正しくはない、あくまで参考であり試しにしている

何か人間の心が一つになるone heratになる場が必要なのである
それがちょうど一万くらいの町だとなれる、原町とか相馬市になるとやはり広いからなりにくいのだ、ただ相馬市の街は原町よりは一体感一つになりやすいのである

人間が共感する一つとなれる場というときそれは狭い範囲になる
そういうところで一つの共感をがあり一体感をもてる
だから江戸時代の村だったらもう500人とかのレベルだからそれ以上に人間でも自然と一体化していたことは確かである
人間があえて絆だとか団結だとか言う時すでに絆も団結もなくなっていたからそういうのである、本当に連帯していればそんなこと叫ぶ必要もないからである
そして原発事故であったのは外から来た人たちの絆であり内部ではなかった
内部では補償金で分断されたのである

人間は家族であれなにかそうした小さな共感する範囲の共同体がないと安定しない
現代の問題はグロ−バル化社会とか広域社会とかで本当にそうした共感する場がない所に無限に広がったのである
そこで人々は経済的一単位とかなり金で何でも売買される世界にひび生きている
そこにはもう絶対に心で一体感をもてる社会ではない
やはり人間はアイディンティティをもてる一つの小宇宙とういか世界が必要なのである
それを求めることはもう都会ではできない、ばらばらのアトム化した社会しかないのである
だから豊かになっても現代の人間はみんな故郷喪失者とか漂流者のようになっている
だからこそ原発事故で簡単に町でも村でも人は補償金をもらってさっさっと出て行ったのである、そういうふうにばらばらになりアトム化した世界なのである
コミニュティとか共同体より金の方が大事になっている社会である   

秋の蝉余韻やここに我が座る
ふるさとや旧友と会い秋の蝉
ふるさとや同じ場所に秋の蝉
ふるさとにともに老いゆく秋の蝉

何かこうして故郷とは共感する場所である、人間にはそういう場所が必要なのである
それが今は喪失した、経済活動でもいくら田舎でもグロ−バル経済に組み込まれているからである
そこで心がココロがココから発しているようにそのココロが失われてしまったのである
だから心は場所と深く関係してありえたのである
それは都会にはない、共鳴したり共感したりする場はないのである

とにかく秋の蝉の俳句はずいぶん作っている、でもそれを調べるのがまた大変になった
膨大なログがありそれをまとめることが大きな仕事となる、それで今冊子のようなものにしよとしているがこれも手間なのである


2019年12月16日

冬の俳句十句(近辺を回る)

冬の俳句十句(近辺を回る)

habottann11.jpg

streettomb11.jpg

葉牡丹の畑に蔵や陽の没りぬ

誰が眠る桜井古墳や冬深む

冬の日に老人植える桜かな

古社一つ参る人無く木守神

奥の方冬田わずかに籠るかな

冬たんぽぽ我は恵まれ生きるかな

故郷に墓守り我や年暮れむ

墓地近く母の命日冬椿    

街の墓地日々通りて冬椿

冬の菊母の命日墓に挿す

我が一人家を守るや冬紅葉  


新田川に白鳥が二十羽くらい来ていた、そこで土手は広く桜の木を植えていた
市の方で植えた、でもそれが成長する日は死んでいるとなる
この辺では白鳥は今年は見かけない、前は真野川で餌やたしていたから来ていた
今はしていないから来ない、やはり餌やるのがめんどうになる
猫一匹でも餌やるのが手間になる

近くの墓地はいつ、もの通り道である、
そこの脇に公園があり椿が咲いている、冬椿というとき寒椿とは違う
でも今日は寒かった、寒椿は最も寒い時の椿となる
近くにあるということは何かそこに死者もいつもいるという感じになる、墓ですら離れると日々に疎しとなってしまうのである  

母の命日は12日だった、師走に死んだのがふさわしいとなる
なぜなら暇なく働いた人だったからである、93歳頃まで家事もしていたからである
それで認知症にならなかったともなる

人間はだからつくづく皮肉である、そんなに働かせられるのは嫌だと普通はなるが
全然働かない人がぼけやすいのである
それは笑いごとではなく怖いことなのである
奇妙だけど主人がいて召使がいて主人がもし何もしないで召使になんでもさはていると
主人がぼけて召使はボケないとなる
このように人間は召使が不幸だと思っても必ずしもそうともならないのが不思議である

昨日は冬タンポポが二三輪咲いていた、だからあたたかいと思った
浜通りでぱ冬でもあたたかいときがある、今年は暖冬気味だから咲いていたと見ていた
でも今日は寒いのである
家族で自分だけが一人残ったが自分は恵まれていたとなる、それで最後に残ったのが自分だったとはなる


2019年12月17日

理系と文系の謎 (経営者が理系が向いているのか?)


理系と文系の謎

(経営者が理系が向いているのか?)

その人は理系である、電気の一級の資格をもっていた、だから建築関係の会社をたちあげた
でもその人は経営者では失格者であった、まず経営するにしてもその動機が
「自分は優秀だから、会社経営も簡単にできる、自分の頭のいいことをみせてやろう」
そんな動機だったのである
そこからして間違っていたのではないか?
その人は別に会社で雇われて理系の技術者として働いていれば問題なかったのである
給料も良くて田舎では恵まれていたのである
とにかく今の社会は電気社会だというとき電気関係で働く人が多いのである
それで原発では事故が起きたとき1000人も電気関係者が働いていたということでもわかる
エネルギーが石炭の時は常磐炭鉱のようにそこで大勢の人が働いていたのである

最近IT社会とかAI社会になるとどうしても理系が重んじられて社長にもなっているというでも何か理系というと機械マニアとかいたりして社会にうといというか無関心になる
だからこそそういう人はそういう人で貴重だと言う人がいる
それこそ日本の製造業を支えているのだという
つまりそれはそれで容認されていいとなる

でも経営となると何か違ってくる、細部の機械の部品に異常にこだわったりしている人が経営者になれるのか?
その人は何か経営者になって人格までおかしくなったのかもしれない
経営者というと商売人でもある、その人はだから何かもう頭に金のこたとしかなくなっていた、商売人になった結果として常に・・・したらいくらだという頭になっていたのである
これが技術者として会社に働いていればそういうことにはならなかった

ただ人間を考えると経営者であり商売人であり技術者であるとか学者であるというのもむずかしいと思う
その人の性向が向き不向きが必ずあるからだ
その良い例が学者が経済学をいくら学んでも会社経営とかなると成功しない
経済学という理論を学んでも社会で実践すると全然違ったものとなるからである
学者が株を実際に投資とかしても成功していないのである
ただ理論家であり実践者ではないのである
政治家と政治理論は別物なのである

人間は本当に向き不向きがある、なぜ関西には商売人とか商売に向いている人が多いのか大阪だとそもそも江戸時代から商売の都市だからそこでそういうエトス{精神的雰囲気)が培われた、だから言葉まで「もうかりまっせか」とか挨拶になっている
それが別に不純でもない、商売自体が悪いということはない
商売はただ相手からだまして奪うというものでもないのである
そんなことしたら商売がうまくいくはずがない、一時的にはうまくいっても長続きはしないのである

だから土地によっては人間に向き不向きが作られる
まず東北人は商売に向いていない、根っからの商売人になれないのである
そしてそうして不向きなことをすると失敗する
東北人に向いているのは農業であり職人とかである、研究者とかにも向いているかもしれない、何か内にこもる仕事に向いている
ただ伊達政宗は商売人でもあったし政治家であり演技者でもあったし文と武にも優れていた、それは例外的存在だったのである
そんな多様なものを持っている人などいないのである
別に東北人でもいろいろな人がいるからそういう人は例外的にはいるのである
もし現代でもこれだけの資質がある政治家がいたら驚きだとなる
今の政治家は何かそんな素養もなにもない、政治家もまた何かそうして政治家として育まれ土壌がないと育たないとなる
今は何でもその土壌が大衆が主役なのだからそこからまともな政治家でも何でも生まれるだろうか?みんな大衆にこびているから低級化してゆくのである

なぜ今まで経営者が文系だったかわかる、理系者は経営者に向いていないのだ
経営は機械とか物だけではない、社会が人が関係してくる
理系だと機械とか物にこだわる、でも社会的役割とかその仕事が社会にどのように影響するかなどトータルに見ることも必要になる
だから本当に原発ほどそういう神のような万能の人でしか経営者になれない、社長になれない、会長にもなれないものだったのである
それが自然に地域にどう影響するかなどトータルに見る目が必要になった
それは歴史も郷土史も関係していた、津波のことなどもしらねばならなかった
ただ東電の関係者は津波が来ると計算していたから理系であって優秀な人が相当数いたのである
それは理系でも機械の一部を詳しく知る人がいたとなる、それはあくまでも一部に詳しい人だったのである
第一吉田所長が肝心の復水器のことを知らなかったのである
要するに原発とかなるともう全体を知る人などいない
するともう人間では運営できないものとなっていたのである
そして事故になり成すすべもなく解決もできなくなったのである

いづれにしろ人間は向き不向きがありあらゆることに通じる人間などいないのである
だから理系の経営者だから成功するとは限らないのである
経営という時国家を経営するということで政治家とかも経営者なのである
国家をどうするのか?国家をどう経営するのか?
それが一部の機械とか一部の物質とか一部分をいくら詳しい人でもできない
でもそんなふうにして国家でも大会社でも経営できる万能な人はいないのである
だから遂には老子のように自然にまかせろとか何もするなとかなる
人間は政治にかかわり結果的に混乱しただけだとなるからだ
中国何千年の歴史は政争の歴史でありそれで膨大な死者が犠牲者が生まれたからそうにもなった
結局国家など誰も運営できない代物だとなったのである

そのことは聖書でも言っている

わたしはわらべを立てて彼らの君とし、みどりごに彼らを治めさせる。イザヤ

なぜこんなことが記されているのか?
みどりごがなぜ治めることができるのか?
結局人間はみんな欲の塊りであり政治家でも欲で動くからそうなる
金で動くからうそうなる、これも逆説なのである
人間が優秀だと思うことは優秀ではないのである
優秀なものはある一面危険になる、人間が優秀だというときある一面に優秀なのでありそれは肯定できる
でも万能ではありえないのである
だから国家とかなると誰も経営できないのである

それで日本では天皇を王としたとき天皇が優秀とか関係ないのである
生まれた結果そうなっているだけである、何かしらの優秀さはあっても神のような人でもなんでもないのである
皇室など見てもあの人どんな優秀さがあるのと見る
ただ天皇家に生まれただけなのである、でもそういう人でも国家運営するとなると有効だとなる

天皇は命令してはならない

天皇は権力をもってはならない

天皇象徴制とはこういうことなのである、天皇に権力がないからこそ治められる
それはみどりこに治めさせよとにているのである
それは実質権力をもって命令できるものとは違うのである
生殺与奪の権利を持つ王とは違っている

つまり天皇は国の中心であり国が乱れる時天皇も二人になった
それが南北朝の熾烈な争いとなり日本が全国が二つに分断されたからである
つまり無能であれ国でも家族でも治める人は必ずしも関係ないとなる
一人の天皇をたてるということが大事になる、二人いると分断されたからである
結局人間は人間を治めることができないのである
それで人間社会は結局破綻する運命にある、日本国内であれ世界であれ誰が治めるのか?
誰も治めることがてきないのである、経営できないのである

死者を愛しつづけることができるのか? [わたしたちは愛においていかに死者を憶(おも)うか(キケルゴ-ルを読む)]


死者を愛しつづけることができるのか?

[わたしたちは愛においていかに死者を憶(おも)うか(キケルゴ-ルを読む)]

●死んでみればどんな人もあっけない

人間は死んでみると実にあっけないことに驚く、生きているときは大騒ぎしても死ぬと全く信じられないほどあっけないことがわかる。灰となり煙となり終わりである。姿も形もなくなる。そしてあとは何もない、沈黙して終わりである。こんなに人間はあっけないのかとあきれるてしまうほどである。認知症になるとまわりに大変な迷惑をかけるが死んでみると全くそれも嘘のようにあっけない、死んでみればどんな人もあっけない、それは地位ある人もみんな同じである。人間の一生なんて大騒ぎしてもこんなにあっけないのかと唖然としてしまう。人生はこんなものなのかとむなしくなってしまうだろう。どんなに生きても人間は死ねばあっけない、この世で功績を残した人でもあっけないのである。そういう点で死は平等なのかもしれない、死はありふれているしどんな人も死ぬ、人間はどんなにがんばってもはかないものだとつくづく思った。そんなはかない人間がこの世でじたばたしてもはかない、むなしいと思う、何にしろしょせん、塵となり煙となるにすぎないではないか、つまり人間はどんなに生きてもどんな人の生も最後はあっけない死で終わりむなしいとなる。この世に受けた生ははかないものでしかすぎなかったのである。また一人死に自分も近い内死んでゆく、それは逃れられない人間の定めである。

だからこそ永遠の命を求める信仰が必要になる。この世限りの生はどんなに生きたってどんな人だってはかなくむなしいのである。死を見ればわかる、あまりにもあっけない、あまりにも無惨だった。人間はどんなにもがいても死ねばはかないもの、あっけないもの、死んだら何にもない、それだけのものにすぎない、あなたが求めていること焦燥していることは実際つまらないことである。最後はみんな塵となり煙になるだけではないか、何を成そうとしてあせるのか?この世にあせって成そうとするようなことはなにもない、結局人間の行き着く先は死なのだから、死の克服がない限りこの世をどう生きようがむなしいとなってしまうのだ。社会をどうのうこうのと言っても結局社会自体は死の問題を解決することはできないのだ。カルト宗教団体は社会改革を目指す、創価なんか特にそうである。宗教とは関係ない、カルトは社会改革を目指し傾向があるのだ。集団化するとそうである。宗教は政治で解決しない問題を追求してきたのである。

●生前と死後の継続

ただまだまだ死んで間もないとあっけない死でもその人を想いつづける日はつづく、新年もまた死者とともに明ける、いくら死があっけなくても死者との思い出はなおつづくのである。死んではじめてその人が自分にとってどうい人だったかわかる、生きているときは意外とわからないのである。60年一緒にいてもわからない、その人が死んだとき本当に痛切にわかることがあるのだ。だから人間の関係は死があっけないにしてもずっとつづいているのだ。死によってその人が自分にとってかけがえのない人だったことを気づくこともある。結局死の残酷さどんなに今や思ってもその人自体には会えないということにあったのだ。夫婦で喧嘩したり親子で喧嘩してもあとで反省して仲直りもできる、でも死んだ人とはできない、その人と永遠に会えないのだから和解もできなくなる。後悔しても相手は死んでいるのだからわかってもらえない、死んだ人と語っても返事がないのだ。だからわかってもらっているのかどうかわからないのだ。

あなたは私に対して介護で冷たかったね、だから呼びかけても返事しないんだよと死んだ人が思っていたら衝撃になる。そういうこともありうるのだ。生前冷たくした人がでは死後はどうなのか?やはりいくら死者に語りかけてもいい返事はかかってこないかもしれない、死者は何も言わないにしろそう語りかける人自体がそう感じてしまうだろう。やはり死者は語らない、返事がないにしろ真心で語りかける必要がある。死んでいる人に自分の心を偽ることはできない、死者は厳粛に見ている、死者に手を合わせることはやはり生きているときとは違う神仏に手を合わせるような気持ちになるからだ。あんたは生きているとき冷たかったね、あなたの心を私は知っているよ、しらじらしいとなる、そう思われたら見抜いているとしたら神仏に手を合わせることはできないだろう。死者は今や介護される必要もない、手をわずらわすこともない、では何を求めているのか?生前から継続する真心を求めているのだろう。あなたは生前良くしてくれたな、私はわかっているよ、ありがとうと感謝の気持ちが死んだ人から伝わるようだったらいい、でも自分にしてもそこまではしていなかった。家に帰りたいと言っても家庭事情でできなかったし病院での介護もそんなにしていないともいえた、ただそういう落ち度があってもわかってくれよなと願っている、認知症になったのだから直ったら事情をわかって感謝もしてくれよなともなる。
いづれにしろ老人の介護は死と結びつくものとしてある。それは介護している人が死んだ時わかるのだ。これは施設でも別に親族でなくても世話した人が死ぬことはやはり厳粛なものであり同じなのである。 山姥伝説は親を蓮台野に捨てたことが基になっているという、捨てた親が山姥となり恐れられた結果だという、これもわからないが人間の心性はそもそも変わらない、伝説も何らか人間の変わらない心性があるからこそ突飛なものでも理解できるのだ。あくまでも人間が作ったものだからである。死者への恐れは共通してあるからだ。

●キケルゴ-ルの死者の対処方法

死者のために声をひそめけ泣け、彼は安らぎに入ったのだから」

ひとは死者を想いつつ声をひそめて泣くべきであり、しかも長い間なくべきである

死者を憶(おも)うことは愛の仕事である。

死者はいかなる仕方でも報いるということをしない

死者はいかなる禍もこうむることがない、しかもこれほど容易にその人の遠ざかることのできる相手をもたない

死者の見開かれた眼をのぞきこんで嘲笑することはできない

私たちは愛において死者を想うことはもっとも信実な愛の行為である

死者を恐れよ、彼の狡猾さを恐れよ、彼の確固たる態度を恐れよ、彼の強さを恐れよ、彼の誇りを恐れよ

たとえ死が私たちの現に見ている人々をわたしたちから引き離すとしても彼らを愛するという義務はなくなりえない、なぜなら義務とは永遠であるからである。

人間が死んでしまうこと、これが何を意味しているのか、一体死者はどうなったのかなど理解することは簡単にできない、死者については霊媒者とかいろいろ語るけどわからない、キケルゴ-ルの言う死者についての話はわかりやすい、インタ-ネットで死別のことでいろいろ語っている人がいる。慰めている人もいる。そういうなかで10年とか20年とか想いつづけている人もいる。そんなに想いつづけられるのか、死者もそれなら幸せだと思ってしまう。たいがい死者とは死んだ時点でも忘れられてしまうことがある。肉親でも死んだら財産の方の話になり金にしか関心がない人も多いのだ。一方で逆にいつまでも死者を想いつづけている人もいる。それでは病気になってしまうという人もいる。確かに延々として死者を想い泣いていたら現在の生活に支障をきたす、もっと現実を生きろとなる。一般に死者を想い続けているのは若いとき死別した人なのである。老人の場合は少ない、天寿を全うしたんだからこの世に未練などないから想いつづけないことがある。これは個別にみんな違っているから外からは計りにくい問題である。死者でも障害者、知的障害者でもいつかは死ぬ、そして認知症になって死ぬ人もこれから多数になる。そういう人もやはり死者はかえって威厳あるものとして生者と向き合うようになるのだろうか?死者は区別がないのだろうか ?生前にノ-ベル賞をもらった人は優秀な人も多々いるし市井に極平凡に掃除婦などとして終った人も多数いる。そういう人も区別なく死者は威厳あり恐れるものとなるのか?死者はそうかもしれない、この死者は特別偉いというのではなくキケルゴ-ルの言っているのは一般的な死者のことである。

いづれにしろ死者はどうしたって忘れられる存在である。そのなかで死者を想いつづける人は相当に死者を愛している人だったとなる。でもそれは生前と関係してそうなっている場合が多い、生前に愛し合わないものが死んでからその人を愛すことがありうるのか、それはなかなかできない、生きているとき、生前愛さない人は死後も愛さないのである。認知症になったとき長年親しんだ人もよりつかなくなった。やはり死後もその人たちは死者を想わない、やはり生前と死後は連続している。認知症になったような人は死後はどうなるのか?回復して正気にもどりまた賢い威厳あるものに戻っているのか?やはり死者には変わりがない、死んでから馬鹿のようには扱えないものになる。死者はみんな厳粛なものになるからだ。死者を嘲笑したりできない、知的障害者でも認知症の人でもそうなる。この人は馬鹿だった、死んでからも馬鹿だとは言えない、死者とはみな平等なのである。

死者の見開かれた眼をのぞきこんで嘲笑することはできない

二カ月間意識失ったとき眼を開くのだがそれが魚の死んだような眼だった。それをみたときまともに見ていられない、気持ち悪いものだった。でも自分は眼を開けと開かせたのである。手も握っていた。手はまだ血が通いあたたかかった。そのあたたかい手をにぎり最後は手は冷たくなり死んでいった。そこまで生きていたし生きる交流はあったのだ。このとき死んでいなくてもその眼をのぞいたときこの言葉を確かに感じた。半場死んでいたのでありその眼を見て嘲笑はできない、半場死人になっていたからだ。死者を誰も笑うことはできないだろう。認知症だと生きていれば馬鹿を言うが死んでしまいば馬鹿なことも何も一切語らないことは他の死者と同じなのである。そこに死者の共通性がある。死者は一切語らない、しかし死者は何も見ていないのか?死者は見ている、まるで外観ではない、神は心を見ているというごとく生者を見ている。それゆえに死者は恐るべきものである。あなたの誠実と不誠実を見ているし知っているとなると偽ることができないとなるとそれは神がみていると同じになる。それゆえに死者を恐れよとなる。 そして生と死が連続したものであるときまた生者も軽んじることはできない、生者も死者になるからである。生者だけを重んじ死者を重んじないまた死者だけを重んじて生者を重んじないということもできないのである。いくら死んだからといって生と死は断絶したものとしてはないからだ
時事問題の深層からの転用です



前のホームページからプログに移した、まとめ作業をしている
それも膨大になるとまとめること自体がいつまでも終らないとまでなる
これが自分自身が書いたのを忘れていたのである
自分が書いても忘れているのが結構あるので読み返しているのである