2019年11月20日

近間の最近の様子 (相馬市南相馬市新地の議員の年齢ーロボット工場のロボットの草刈機)


近間の最近の様子

(相馬市南相馬市新地の議員の年齢ーロボット工場のロボットの草刈機)

ginnage11.jpg

最近新地と相馬市で議会選挙があった、そこで気になったのが年齢だった
50代だと若い、でも新地が平均年齢が61であり相馬市も同じ61だった
南相馬市は55だから若いとはなるが同じようなものである
50代だと若いのである 40代だと相馬市に二人とか南相馬市に二人とかなる
新地では57歳が一番若いからみんな60代以上だとなる
ただ72歳が上限でありその上はいない
やはりその辺が議員になる限界なのか?ただ72歳で当選した人が次もでればそれ以上の年齢の人になる
ここにも高齢化の現象が現れている
もう議員になる成り手がいないというのも言われる、限界集落では住民が直接参加して予算を決めるとかなり議員は廃止した
まだこの辺はそれなりの人口があるから議員もいるとなる

ただこういうふうに60代以上でしめられるとそこでは若い世代の要望とかが反映されないとかなる、市町村の将来を担う人は若い人になる時こういうふうに議員も老人ばかりだとどうなるのか?
だいたい60以上になると終活とか墓とかどう死ぬかなど考える
そういう老人は将来の市町村でも担うというのに向いていないともなるかもしれない
ただいろいろ地元には詳しいので経験があるので政治を担当するということもある

kasetukkkk1.jpg

鹿島区のログハウス風の仮設住宅は壊された、万葉の塔なども壊された
何かあれはもったいなかった、何か利用じてきたらとも思った
ただまだまだ大きな仮設がありそれは壊されていない、それだけ仮設が多かったのであるこれも一つの区切りである

kayahamarobot111.jpg

次に萱浜のロボット工場は広い、あれだけの広さを他に何に利用するのかと思う
あそこは全く変わり果てて前の面影はなくなった
ソーラーパネルもしきつめられている
それで今回の台風で水につかったのかとも思った
烏崎の港の前のソーラーパネルは水につかった
あそこがあんなに湖のようになるとは思わなかった、あそこは一番低いから水がたまったのである

ただ萱浜でも低い場所にあると見た、被害はなかったのか?
電源装置を見る人が何人もいた、あの電源装置が水につかったために右田浜の風力発電の風車は今もとまっているのである
あの電源装置はもっと高い所に置くべきだったとはなる
それは原発でも電源装置で大失敗したのである
地下に置いた結果、津波で水につかり使いなくなったからだ
つまり電気は水に弱いのである、だからそこを考慮すべきだったが後の祭りだった
ソーラーパネルも安全ではない、緊急時には弱いのかもしれない
その時電気は供給できなくなる

ロボット工場の草刈りのロボットは面白かった
あのように一日動いて草を刈ってくれると助かる
何しろ草刈りは田舎では日常的な仕事なのである
その手間が労力が毎日のようにしているから大きいのである

ただこのロボットの不得意なことは斜面は草刈できない、ここは平坦な地だからできているが斜面だとできない
それは田植の機械でも縁(へり)はできない、四角な面とか平坦な地とか機械が得意だけど何かそうではない土地は苦手になる
それで中国でもコンバインで麦刈りをするがそれは人間の手でやるより千倍とかの効率になる
でも依然としてコンバインの入れない土地がありそこは依然として出稼ぎ者が手で麦を刈っていたのである
だから機械が得意なのもあるが苦手なものもありそこは人間でしかできないのである
それはAIにも言える、莫大なビックデーターを処理することとかそういうものは得意でも全部ではないのである
そこに必ず人間がしなければならないものが残る
だから人間の仕事が全部なくなることはありえないのである
ともかくこの辺は津波原発事故以後激変した
その変化がまだつづいている、あのロボット工場はあれだけの広い土地が津波で使いものにならなくなったからできたとはなる







posted by 老鶯 at 21:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

里は何なのかー故郷(ふるさと)の考察〈古代史より)


里は何なのかー故郷(ふるさと)の考察〈古代史より)

「地域」の「地」は、蛇がうねる土地を指すそうです。「域」の「或」は国を指す。地域や自治体は、ある意味、小さな国家なのかもしれません。小さな国家をどう再生していくのかが、みなさんの今日的課題です

限界集落の真実―過疎の村は消えるか?―過疎の村は消えるか?
http://www.jamp.gr.jp/academia/pdf/115/115_04.pdf


古代日本において郡の下に置かれた里(郷)のおさ。〈りちょう〉とも読み,また〈郷長〉と書き,〈ごうちょう〉とも読む。官人には属さないが,律令制下の地方行政機構の最末端に位置した。戸令によれば,50戸をもって里とし,里ごとに長1人を置いた

「五十戸良」とあって「さとおさ(里長)」の意味であり、万2251では「守部乃五十戸」と書いて「守部のさと(里)」と読ませている。


法師の報ふる歌一首

檀越(だんおち)やしかもな言ひそ里長(さとをさ)(五十戸長)が課役はたらば汝も泣かむ(巻16・三八四七)

檀越とは後で檀家になった、里長が一つの租税の単位としてあった
この意味は檀越が租税の対象にはならず免除されていた、でも租税されたらあなたも泣くだろうという意味である

私腹を肥やしていたことが窺える。当時の仏教界は、信仰心によって維持されたのではなく、食封を有するという特別待遇を保持するために三十年間存在していたことが分った
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihonbungaku/62/5/62_20/_pdf

耶麻郡猪苗代町大字堅田字壇越

山王宮再興大壇越  中務大蔵朝臣種照

猪苗代にもその言葉が地名として残っているのはそれだけ古いのかとなる
神社でも壇越という言葉があるのも仏教が神社に影響してなったか?

宗教とはヨ−ロッパでもカトリックが土地を所有していたように権力を得るために利権団体となったのである、それは檀家もそうでありカルト教団でもそうである
権力を得るために宗教があるだけになっていたのである
だからここの論文でぱ平城宮とか奈良の大仏とかでも民衆が批判していたともなる

仏(ほとけ)造る、ま朱(そほ)足らずは、水溜まる、池田の朝臣(あそみ)が、鼻の上を掘れ
これも皮肉である、僧侶が朱がたりないなら僧侶の赤い鼻を掘れということは僧侶が憎々しく民衆が思っていたのである、僧侶は利権化して私益を得るためのものになっていた批判が奈良時代からすでにあった

ここでは里が最初の生活する者の単位であった、村ではないのである
村はもっと大きな範囲なのである、日本人の生活は基本は里だったのである
それは50戸くらいが住んでいる範囲だったのである

村とは群れるから来ている、これは外来語らしい、そこには人の数を意味しているのかもしれない、人が村にいくらいるのかということになる
その数は相当に多いのである、里とは土地と切り離されずある、50戸が生活できる土地があるということになるのが里である

「地域」の「地」は、蛇がうねる土地を指すそうです

地とは土地のことであり地は里に通じている、国となると区切るから来ているから囲む土地ともなり境界が生まれる

さと、むら、くに、いち、みやことかある、その言葉の背景にはその国の歴史がある
市民ということば国民という言葉が明治以降作られた、でも日本にはその言葉がなかったということはそういう言葉の実体となるものがなかったからだとなる
なぜcitizen(市民)という言葉にヨ−ロッパではこだわるのか?
その言葉の背景に歴史があり歴史的に形成されたアイディンティティがあるからこだわるパスポートにどこの市民なのか記さねばならないのはそのためである
日本だったら市(いち)はあったとしても市民はいなかったからである

地域の域となると人工的なものとなり境が行政的権力で決められる
郡(こおり)でも郡は軍隊から来ているからである
例えば真野郷と真野里がある、郷里名ではなく里として表現している
それは真野郷となると広い範囲である、鹿島区の真野という地域は上真野まであり広いのである、でも真野里とあれば50戸が住む範囲だとなる
それは古代の常陸に真野里とありその人たちがこの地に移住して来たと思われるからである

いづれにしろ村ではなく里が日本の最小の生活単位でありコミニュティの場だったのである、その里はその土地で生活できる範囲の小世界だった、それで小国というときそういう最小単位の里が延長したような世界だったとなる

現代はもう里は失われている、その大きな単位の村でも失われつつある
それは農業社会から工業社会になったとき失われたのである
でも不思議なのは故郷というとき古里であり里なのである
すると人間はみんな故郷を失ったともなる、故郷はもうないとなる
原発事故で避難地域になった所は故郷が喪失した

でももともと浪江町の原発で働いていた人が言っていたように里とか村とかに住んでいたわけではない、東電の会社員となって2万人も住んでいられたとなっていた
だからその人は周りの田畑が草ぼうぼうになっても関心がなかった
都会人と同じとなっていたからである、だから故郷(ふるさと)とは何かとなればそこに執着するものもないとまでなる
なぜなら生活が第一であり東電で働いて生活できればいいとなるから都会に移って住んでも違和感がないとなる
そういうふうに故郷の里にこだわることはない社会になっていたのである
だから多額の補償金をもらったときその金の方が大事であり故郷には里には帰らなくなったのである






続きを読む
posted by 老鶯 at 12:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)