原町片倉のフラワーランドから金華山と牡鹿半島が見えた
(蔵王も鹿島区からまで見える地理)
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南相馬市鹿島区右田から見える蔵王

朝日さし紅葉の映えて水清し
冬晴れに太平洋を我が望み牡鹿半島に金華山見ゆ
隠されて滝一すじのひびくかな冬に入りにき奥の山かな
高倉の公会堂に松一本冬に入るかな流れ清しも
南相馬市の原町区のフラワーランドから金華山と牡鹿半島が見えた
新地からは見えていた、冬晴れだから見えた
あそこは絶景ポイントだった
それから蔵王は八沢浦から見えていた、でも今度鹿島の右田浜からも見える
それは松原がなくなっため見晴しが良くなったためである
こうして実際に住んでいて見える場所が一つの地理の世界圏内を作る
福島市は阿武隈高原にさえぎられて見えないのである
吾妻山は霊山の方に行かないと見えないのである
だから福島県の問題は地理的一体感がもていなことなのである
むしろ仙台の方が交通的に便利だし地理的一体感がある
なぜなら海を視界にすると原町からも牡鹿半島と金華山が見えたからである
例えば船で航海する時必ず牡鹿半島が見えて金華山が見える時まず船で迷うことはない
必ず目印となるものが見えるからである
だから古い時代から船で行っても迷わないのである
蔵王が見える所も一つの地理的一体感がある、いつも見えるとそれが親しくなるからだ
山形県は遠い感じがするが蔵王が見えるということで一体感が生まれる
地理からすると会津は別世界になっている、だから福島県はハマ,ナカ、アイヅとあると地理でも違っている、浜通りからすると阿武隈高原でさえぎられて浜通りは閉ざされている
目の向く方向は仙台方面なのである、人間的にも仙台に移り住むとか結婚するとか人間の交流が多いのである
浜通りが阿武隈高原によってさえぎられる、視界がさえぎられる、でも仙台とか牡鹿半島とか金華山は視界に入ってくる、そこで地理的一体感をもつことになる
だから地理的一体感というとき県で区切るのは無理だとなる
ただ日本の地形は山に囲まれた盆地が多いからそこが一つの地理的一体感をもち国の感覚をもつ、小国というのがそうなのである、これは山に囲まれたまさに小さな国なのであるその小国というのが全国に多いからそういう地理と風土の国だとなる
高倉の公会堂の前に松一本があったのもあっていた
あそこも前は放射能被害があり荒地化して若い世代は流出したとかあった
今度は洪水で被害があった、ただそういう村は昔からつながりが強い
でもあとから入ってきて住んでいる人もいるだだろう
第一そこで山里の生業自体がなくなっているからである
高倉は橲原とかともにている
高倉の公会堂