2019年11月20日

里は何なのかー故郷(ふるさと)の考察〈古代史より)


里は何なのかー故郷(ふるさと)の考察〈古代史より)

「地域」の「地」は、蛇がうねる土地を指すそうです。「域」の「或」は国を指す。地域や自治体は、ある意味、小さな国家なのかもしれません。小さな国家をどう再生していくのかが、みなさんの今日的課題です

限界集落の真実―過疎の村は消えるか?―過疎の村は消えるか?
http://www.jamp.gr.jp/academia/pdf/115/115_04.pdf


古代日本において郡の下に置かれた里(郷)のおさ。〈りちょう〉とも読み,また〈郷長〉と書き,〈ごうちょう〉とも読む。官人には属さないが,律令制下の地方行政機構の最末端に位置した。戸令によれば,50戸をもって里とし,里ごとに長1人を置いた

「五十戸良」とあって「さとおさ(里長)」の意味であり、万2251では「守部乃五十戸」と書いて「守部のさと(里)」と読ませている。


法師の報ふる歌一首

檀越(だんおち)やしかもな言ひそ里長(さとをさ)(五十戸長)が課役はたらば汝も泣かむ(巻16・三八四七)

檀越とは後で檀家になった、里長が一つの租税の単位としてあった
この意味は檀越が租税の対象にはならず免除されていた、でも租税されたらあなたも泣くだろうという意味である

私腹を肥やしていたことが窺える。当時の仏教界は、信仰心によって維持されたのではなく、食封を有するという特別待遇を保持するために三十年間存在していたことが分った
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihonbungaku/62/5/62_20/_pdf

耶麻郡猪苗代町大字堅田字壇越

山王宮再興大壇越  中務大蔵朝臣種照

猪苗代にもその言葉が地名として残っているのはそれだけ古いのかとなる
神社でも壇越という言葉があるのも仏教が神社に影響してなったか?

宗教とはヨ−ロッパでもカトリックが土地を所有していたように権力を得るために利権団体となったのである、それは檀家もそうでありカルト教団でもそうである
権力を得るために宗教があるだけになっていたのである
だからここの論文でぱ平城宮とか奈良の大仏とかでも民衆が批判していたともなる

仏(ほとけ)造る、ま朱(そほ)足らずは、水溜まる、池田の朝臣(あそみ)が、鼻の上を掘れ
これも皮肉である、僧侶が朱がたりないなら僧侶の赤い鼻を掘れということは僧侶が憎々しく民衆が思っていたのである、僧侶は利権化して私益を得るためのものになっていた批判が奈良時代からすでにあった

ここでは里が最初の生活する者の単位であった、村ではないのである
村はもっと大きな範囲なのである、日本人の生活は基本は里だったのである
それは50戸くらいが住んでいる範囲だったのである

村とは群れるから来ている、これは外来語らしい、そこには人の数を意味しているのかもしれない、人が村にいくらいるのかということになる
その数は相当に多いのである、里とは土地と切り離されずある、50戸が生活できる土地があるということになるのが里である

「地域」の「地」は、蛇がうねる土地を指すそうです

地とは土地のことであり地は里に通じている、国となると区切るから来ているから囲む土地ともなり境界が生まれる

さと、むら、くに、いち、みやことかある、その言葉の背景にはその国の歴史がある
市民ということば国民という言葉が明治以降作られた、でも日本にはその言葉がなかったということはそういう言葉の実体となるものがなかったからだとなる
なぜcitizen(市民)という言葉にヨ−ロッパではこだわるのか?
その言葉の背景に歴史があり歴史的に形成されたアイディンティティがあるからこだわるパスポートにどこの市民なのか記さねばならないのはそのためである
日本だったら市(いち)はあったとしても市民はいなかったからである

地域の域となると人工的なものとなり境が行政的権力で決められる
郡(こおり)でも郡は軍隊から来ているからである
例えば真野郷と真野里がある、郷里名ではなく里として表現している
それは真野郷となると広い範囲である、鹿島区の真野という地域は上真野まであり広いのである、でも真野里とあれば50戸が住む範囲だとなる
それは古代の常陸に真野里とありその人たちがこの地に移住して来たと思われるからである

いづれにしろ村ではなく里が日本の最小の生活単位でありコミニュティの場だったのである、その里はその土地で生活できる範囲の小世界だった、それで小国というときそういう最小単位の里が延長したような世界だったとなる

現代はもう里は失われている、その大きな単位の村でも失われつつある
それは農業社会から工業社会になったとき失われたのである
でも不思議なのは故郷というとき古里であり里なのである
すると人間はみんな故郷を失ったともなる、故郷はもうないとなる
原発事故で避難地域になった所は故郷が喪失した

でももともと浪江町の原発で働いていた人が言っていたように里とか村とかに住んでいたわけではない、東電の会社員となって2万人も住んでいられたとなっていた
だからその人は周りの田畑が草ぼうぼうになっても関心がなかった
都会人と同じとなっていたからである、だから故郷(ふるさと)とは何かとなればそこに執着するものもないとまでなる
なぜなら生活が第一であり東電で働いて生活できればいいとなるから都会に移って住んでも違和感がないとなる
そういうふうに故郷の里にこだわることはない社会になっていたのである
だから多額の補償金をもらったときその金の方が大事であり故郷には里には帰らなくなったのである






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posted by 天華 at 12:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

近間の最近の様子 (相馬市南相馬市新地の議員の年齢ーロボット工場のロボットの草刈機)


近間の最近の様子

(相馬市南相馬市新地の議員の年齢ーロボット工場のロボットの草刈機)

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最近新地と相馬市で議会選挙があった、そこで気になったのが年齢だった
50代だと若い、でも新地が平均年齢が61であり相馬市も同じ61だった
南相馬市は55だから若いとはなるが同じようなものである
50代だと若いのである 40代だと相馬市に二人とか南相馬市に二人とかなる
新地では57歳が一番若いからみんな60代以上だとなる
ただ72歳が上限でありその上はいない
やはりその辺が議員になる限界なのか?ただ72歳で当選した人が次もでればそれ以上の年齢の人になる
ここにも高齢化の現象が現れている
もう議員になる成り手がいないというのも言われる、限界集落では住民が直接参加して予算を決めるとかなり議員は廃止した
まだこの辺はそれなりの人口があるから議員もいるとなる

ただこういうふうに60代以上でしめられるとそこでは若い世代の要望とかが反映されないとかなる、市町村の将来を担う人は若い人になる時こういうふうに議員も老人ばかりだとどうなるのか?
だいたい60以上になると終活とか墓とかどう死ぬかなど考える
そういう老人は将来の市町村でも担うというのに向いていないともなるかもしれない
ただいろいろ地元には詳しいので経験があるので政治を担当するということもある

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鹿島区のログハウス風の仮設住宅は壊された、万葉の塔なども壊された
何かあれはもったいなかった、何か利用じてきたらとも思った
ただまだまだ大きな仮設がありそれは壊されていない、それだけ仮設が多かったのであるこれも一つの区切りである

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次に萱浜のロボット工場は広い、あれだけの広さを他に何に利用するのかと思う
あそこは全く変わり果てて前の面影はなくなった
ソーラーパネルもしきつめられている
それで今回の台風で水につかったのかとも思った
烏崎の港の前のソーラーパネルは水につかった
あそこがあんなに湖のようになるとは思わなかった、あそこは一番低いから水がたまったのである

ただ萱浜でも低い場所にあると見た、被害はなかったのか?
電源装置を見る人が何人もいた、あの電源装置が水につかったために右田浜の風力発電の風車は今もとまっているのである
あの電源装置はもっと高い所に置くべきだったとはなる
それは原発でも電源装置で大失敗したのである
地下に置いた結果、津波で水につかり使いなくなったからだ
つまり電気は水に弱いのである、だからそこを考慮すべきだったが後の祭りだった
ソーラーパネルも安全ではない、緊急時には弱いのかもしれない
その時電気は供給できなくなる

ロボット工場の草刈りのロボットは面白かった
あのように一日動いて草を刈ってくれると助かる
何しろ草刈りは田舎では日常的な仕事なのである
その手間が労力が毎日のようにしているから大きいのである

ただこのロボットの不得意なことは斜面は草刈できない、ここは平坦な地だからできているが斜面だとできない
それは田植の機械でも縁(へり)はできない、四角な面とか平坦な地とか機械が得意だけど何かそうではない土地は苦手になる
それで中国でもコンバインで麦刈りをするがそれは人間の手でやるより千倍とかの効率になる
でも依然としてコンバインの入れない土地がありそこは依然として出稼ぎ者が手で麦を刈っていたのである
だから機械が得意なのもあるが苦手なものもありそこは人間でしかできないのである
それはAIにも言える、莫大なビックデーターを処理することとかそういうものは得意でも全部ではないのである
そこに必ず人間がしなければならないものが残る
だから人間の仕事が全部なくなることはありえないのである
ともかくこの辺は津波原発事故以後激変した
その変化がまだつづいている、あのロボット工場はあれだけの広い土地が津波で使いものにならなくなったからできたとはなる







posted by 天華 at 21:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

心(こころ)の詩 (心はここのことー故郷喪失者となった現代人)


心(こころ)の詩

(心はここのことー故郷喪失者となった現代人)

こころはここのこと
ここに生きたから
ここにこころがある
ここに生きたから
ここにこころがある
ここにあなたと生きたから
ここに心がある
ここを離れてこころはない
こころはここに結ばれる
ここに心と心は通いあふ
いつか人はここからいなくなる
でもその人のこころはここにある
いつまでもいつまでもここにある
ここがあるかぎりその人はここに生きている
人の心はここがありて通じ合う
ここを離れて心はない
ここはいとおしい場所
いつかはみな人はここを離れる
そしてここがあるかぎりここを思い出す
それが故郷かもしれない
そういう場をもつこと
ここに心は永遠に生きつづける
ここがあるかぎり・・・・・

心はここだったとういうことは人の心はここにありその生きる場にある
そういう場があって心があるとなる
人は消える、でも場は残っけいる
するとその場からその人の生がありうる
その場に継続している、死んでもその生がありうる
でも場を離れたらもう生は消失する
場とは記憶の場所である、不思議なのは一万年前でもその場はあったのである
その場に人は生まれ生きて消えてゆく、でも場は消えないのである
国のまほろばというとき場のことなのである
それは奈良であるにしろ他にでもそういう場をみんなもっている
ただ東京とか大都会になるとそういう場は消失している
高層ビルが都会のビルの谷間が場と成りうるたろうか?
まず人ごみの雑踏には出会いがない、そもそも出会う場が欠けているのである

だから原発事故で故郷を離れてしまったときその場を失い心を失ったのである
それは金で補いないものだったのである
でも別にそこに生きて入る人はそれを感じて生きてはいなかったのである
だから石川啄木の望郷はまさに故郷をそういうかけがいのない場として心の中に浮かんで来て泣いたのである
つまり二度と故郷の場を踏めなくなったからである
それほど場とは影響している、ただ現実は場より金だとなっている
老人はどうしても場に愛着があり帰りたいとなるが若い人はそう思わないのである

やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに 石川啄木

これは彼の中に場の記憶が浮かんできたのである、ただ啄木は本当に早熟の天才だったからこうなった、普通の人はこんなふうにならない、むしろ窮屈な田舎から解放されていいとも思っている
ただ場所には魂が宿る、だから万葉集はそういう場の原始的感情が歌われたともなる
なぜなら必ず場所と深く結びついているからである
ただそれは現代人は故郷喪失者となって理解できなくなっている

みちのくの真野の草原遠けれど面影にして見ゆというものを 笠女郎

草原というのは場なのである、地名なのである、この歌は本当に不思議なのである
想う人がたとえみちのくの真野の草原という遠い場所に行っても私はあなたのことは忘れませんよとなる
でも笠女郎が真野の草原の地を踏んだわけでもない、ただ遠い場所として知られていたのである
ただ万葉集には地名がよまれるのはその場を意識することが多かったためである 

やまとはくにの まほろば たたなづく 青がき 山ごもれる 大和しうるはし. 

これは日本は盆地が多いからそうなる、でも海に面しているから必ずしも国のまほろばとはならないのである、みんな盆地に住んでいるわけではない
海に面して住んでいる人も多いのである
だから国というとき実は意外と狭い範囲である、小国という範囲とかになる
啄木は北上川の岸辺を思って泣いたというときそこは盆地ではなく川だったとなる

外国だとドイツだったらライン川なのである、ラインは父なる川でありそれを詩に歌っている、日本ならまず父なる川とはなりえないからである
いづれにしろ文化でも芸術でも人間は土地の産物なのである
その土地をもたない人は文化も芸術もあり得ないのである
だから東京に文化は生まれない、経済とか科学技術とかあっても文化は生まれない
文化を育む土地がないからである cultureはcultivate(耕す)だからである
ヨ−ロッパでも地方の小都市から文化が生まれた、ルネサンスが生まれた、フィレンツなどがそうである、大都会から生まれようがないのである

現代人は故郷喪失になったというときそれは生きる場の消失だったのである
何かグロ−バル社会であり広域社会でも輸送社会である
絶えず輸送している、遠くと結びつき近くがおろそかになる、近くがかえって意識しないその心はここにあるのではない、常に情報でも外国へ向いているのである
そのことから何が起きてくるのか、take place(起きる)のplaceがない
rooted placeがない、ただ場と遊離した情報を絶えずテレビであれあらゆるもので流される、でも場から離れているから実際に理解したとはならないのである   

He has a place in the country. 彼はいなかに別荘を持っている.

look for a place 職を探す. 

displace(解雇する)

別荘を家をもつことを場をもつと表現している、家ではなく家は場でもあったとなる、またplaceは職業になっている
だからdisplaceは場所を持たない人になることである
look for a place 職を探すは場所を持つ人になることである

とにかく現代人は心を失ったのはその場を失ったためである、場というのはただ金があるからは消費者になっていては場の力が働かないのかもしれない
本来は場に根付く生活になると農業とかになる、ただ農業以外でも場に根付くことはあり得る、でも商業となると遠くとの交流となるからなかなか場に根付かないということはある
ただ商業社会輸送社会になりすぎたのである、結局いくら物がいくらでも入ってきても
その物を作る人と売る人と心は通わないのである、地球裏側から果物でもなんでも入ってきてもその人と心を通うことはないのであるここがあって場があって心が形成されているからそうなる

ふるさとに老いて語るや秋となり夕日輝き山に没るかな

何か同級生がいて語っている時そうだった、故郷という場を共有して語っていたのである今や現代人が何か数字のようにロボットのように機械のようになっている、ならされている、それは場が消失したためである
場はとても地図化しても計れない神秘的なものを依然としてもっているからである
本当にその場のことは自ら踏まない限り会得しえないのである
それもその土地とか地勢とかを理解するには鉄道でも車てもできない
土地の高低などわからないからだ、峠のことなども車だと簡単に上れるからわからない
自転車だとそうした土地の高低で苦しむ、峠を越えるとなる本当に苦しくなるから体で土地のことを地勢を理解するのである
だからその土地のことを地理を一回くらい行っても理解できないのである

場所の現象学―没場所性を越えて エドワード レルフ 

これは何回も読んでその意味を深める本である

2019年11月22日

相馬藩への越中加賀などからの真宗移民はなぜ起きたか? (その土地で暮らしが成り立たなくなっていた)


相馬藩への越中加賀などからの真宗移民はなぜ起きたか?

(その土地で暮らしが成り立たなくなっていた)


 じいちゃんのトチの実拾いの話   富山市加賀沢 

 「加賀沢、蟹寺、小豆沢、米のなる木はまだ知らぬ」という歌を聞いたことがあるだろう。神通川のずっとおくの、山で囲まれて、田も畑もあまりないこの辺りの村では、昔は、米やこくもつが、ほんの少ししかとれなかったのだよ。よそとの行き来もふべんであるし、今から考えると、笑い話に聞こえそうな話だが、食べ物に、いろいろと心配と用心をしたものだ。
 その一つが、村の家の数を決めて、それ以上、家をふやすことができないことにしたのだよ。また、家々の中で、いらない者は、皆、旅へ出してしまったのだ。もちろん、よそから来た者には、家を建てさせなかったのだよ

 じいちゃんのトチの実拾いの話   富山市加賀沢 

 栃餅は会津の山奥でも作られて今でも販売しているしうまい
 食料として山のものを利用していたのは当然であるがそれが手間なのである

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 近世陸奥中村藩における浄土真宗信徒移民の導入
 (木幡彦兵衛の覚書にみのその実態ー岩本由輝

江戸時代中期以後、農村の荒廃による農民の流亡(欠落)が続発すると、幕藩体制の根幹を支える貢租収入減少への危惧から商人や武士と違った欠落農民に対する復帰政策が取られるようになった

相馬藩の歴史で越中からの移民は大きな歴史である、何故なら相馬藩が天明の飢饉からはじまり三分の一に人口が減った、そこに今だと耕作放棄地が多くなった、その穴埋めに移民が必要になった、でも移民というとき幕藩体制では移民は御法度だった
農民を藩内にしばりつけて税をとることが幕藩体制だからである
それでそれを画策した真宗の僧が死刑になったようだと文書から説明しているのもわかる他藩に農民が流出するのは御法度であったからそうなった

ではなぜそれだけの移民が生まれたのか?
それは第一その暮らしている場所で生活自体が成り立たなくなっていたからである
もう移民して他で生活する他ないとなっていたからである
それが昔話で伝えられる、米もとれないから栃の実を食べていた、

「それ以上、家をふやすことができないことにしたのだよ。また、家々の中で、いらない者は、皆、旅へ出してしまったのだ。もちろん、よそから来た者には、家を建てさせなかったのだよ。」

家が建てられない、食料もないとなればなんとか暮らしていける場所に移ろうとする
そして移民した人は次男や三男が多かった、長男は土地をもっているからなんとか生活ができたが次男三男は農業社会で土地をもたないと暮らしていけない
こういう制限があって他者に命がけでも移るほかなかった事情があった
それは今でもヨ−ロッパなどに命がけで移民があることでもわかる
そこで相当数死んでいるからだ、その背後にそこまでして移民する事情があった
相馬藩では天明の飢饉で三分の一の土地が耕作放棄地となった
そこで移民を募ったことがあり土地が手に入れはなんとか生きていけるとなって命がけで移住して来た、だからそれを画策した僧が加賀藩とかで死刑になったとらしいというのもわかる、それは御法度だったからである
ともかく農業社会は土地がないと成り立たない、多少悪い土地でもそこで食料を作る他ないのである
それで相馬藩では加賀泣きというとき苦しくて泣いていたということが伝えられる

ただこうした移民は天保から文化文政とかまでつづいていた、幕末まで相馬藩内に移民が入ってきていたのである、天保というと天保生まれの人が明治にいた、それも青年でもいた、つまり天保は意外と明治と直結していたのである

1803(文化1年年)ー1817(文化14年)
1818年(文政1年)ー1829年(文政12年)
1843年天保14年
1868年明治1年

天明だけではない、その後も移民は幕末までつづいていたのである
天保から明治までは20年くらいである


「お天保,一枚にまけてあげます。」
はつぴ 餅か,それともカステラのやうなものか,それは忘れたが,元気の好い江戸式の法被股引の男
 かみ がかう言って触れ歩くと,大通の店から子供や上さん達が争って出てそれを買った。
 その天保銭一枚の餅は非常に売れた。私は丁度その頃,十一位の小僧姿で,よく立留っては,
指をくはへて,人々のそれを買うのをちっと見ていた。
 それにしても,なっかしい天保銭!
 はふ あの大きな小判形の天保銭! 其時分には,それ一っ投り出して簡単に買へたものが沢山あっ
あだ た。一銭に足りないので,馬鹿者,うっけ者の渾名に使はれたが実際は何うして! 中々便利
な通貨であった。豆腐,蕎麦のもりかけ,鮭の切身,湯銭,さういうものがすべてそれ一枚で間に合った。
「あの小僧,寒いのに可哀相だ。天保銭でも呉れてやれ。」
 かう言って,私は処々でそれを貰った。

天保6年(1835年)に創鋳された。貨幣価値は100文とされ、当百銭とも呼ばれたが、実際には80文で通用した。いずれにしても質量的に額面(寛永通宝100枚分)の価値は全くない貨幣で、経済に混乱を起こし偽造も相次いだという。明治維新後も流通したが、明治24年(1891年)12月31日を最後に正式に通用停止となった。

明治という時すぐに近代化したのではない、江戸時代をひきづっていたのである
寛永通宝の金まで使用していた、天保銭を使うと言うとことはまさにまだ江戸時代だったのである

天明飢饉からはじまり幕末はすでに人口が流動化していた、とても農民を一つの藩でしばりつけて税をとるという幕藩体制の租税の仕組みが崩壊しつつあったのかもしれない
民衆でも一つの時代の変化が起きていた、侍だけではない、底辺での変化が上にも影響していたのである

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戦前のマッチのラベルである、明治ではないとして天保銭をあしらったのは明治時代のつづきとして
まだ時代があったからだとなる、それだけ天保銭の記憶が残っていたからなのだろうとなる

何か私は墓地でもこの江戸時代の年号を必ず見ている
天保は一つの時代の目印である、この年号は結構相馬藩内でも多い気がした
何かあそこにあったなとみる、小高の鳩原にもあったなと記憶する
そこもかなり小高の奥地だから真宗移民が入ってきている
つまり幕末まで真宗移民が入ってきていたのである
天保生まれは明治に活躍した人もいるから遠い時代ではない身近だったのである




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2019年11月23日

貨幣の謎 (貨幣の前にそれを通用させる王国や帝国などの共同体が権力が必要)


貨幣の謎

(貨幣の前にそれを通用させる王国や帝国などの共同体が権力が必要)

貨幣はそもそもいろいろ考えてみても謎である
それが生まれたのは今のトルコのリディア王国である
そこはホーマーのホメロスの舞台となった古い場所である
そこにトロイアの遺跡が埋もれていたのである
そこはもともと要衝の地であり港だった、私自身が行ったことがあるけど何か遺跡にして小さいのに驚いたのである、こんな小さいのがホメロスの舞台だったのかとなる
何か日本だと古墳の方が大きいから大きい国を想像してしまうがここは小さいのである
場所としてこれは陸地にあってもその時代は海が迫っていた場所である
つまり港の機能があった場所であり要衝の地であり貿易の港として機能していた
そういう場所から人類最初の金貨が生まれたともなる
また砂金がとれたとか資源があり金属加工技術がありとかいい条件があり生まれた
そしてそこにミダス王の杖で触れるとなんでも金に変化したという伝説が生まれた
それだけ金がとれた場所だったともなる

そこから今度はギリシャに貨幣が広がった、まずリデアにしても一つの王国があり共同体があり貨幣が生まれた、次にギリシャは大きな国としてのまとまりがありそこで壺などを売る貿易が地中海を通じて起きた、植民都市を地中海沿岸に作った 
ベニスとかフランスのニースとかでももともとギリシャがで新しい都市という意味であり植民都市から始まった
その植民都市にギリシャの貨幣が使用された、つまりギリシャがそうして貿易とか通じて拡大化されると貨幣もその中で通用するようになる
貨幣だけが単独で通用しないのである、その前に王国であれ帝国であれ大きな共同体が政治組織が生まれないと貨幣は通用しないのである
共通の貨幣が通用するにはそうして共通の土台となる連合であれ共同体ができないと通用しない、それはローマ帝国でもそうだったし最近ではユーロ―がそうである
ヨ−ロッパを統合するものとて新しく生まれた貨幣だからである
中国でも始皇帝が統一国家を作った時共通の貨幣が生まれた

そして今ドルが世界基軸の貨幣になっているときそれはアメリカが世界を支配している
アメリカが軍事力でも支配して経済でも支配しているからそうなる
それでアフリカの果てまでロバに乗った子供までワンドーラ―くれと言っている
ドルは世界中で通用するのである、例えば石油でも売買できるのはドルなのである
それはアメリカが世界を支配しているからドルが世界で通用している
何か交換するに便利だからとして貨幣は生まれない、経済の前に政治があり軍事力がありそれで共通の貨幣が通用する
外国に行ってカンボジアとかベトナムの紙幣とかもってきても何の価値もない
交換しても利息三文なのである、ただの紙切れと同じなのである
しかしドルだったら十分な価値があり円と交換できて物を買うことができる

だから今なぜ中国で元を共通貨幣にしようとしているかとなると中国がアメリカと対抗できるような大国化したからそうなる、単に便利だからとして貨幣が通用するとはならないなんかトルコにいってエフェソスというローマ帝国の遺跡は立派である
そこでローマの貨幣だとだまされて買った、それはどうしてかというとその遺跡が立派だからその偽貨幣でも高いとも思ったのである
貨幣の背後にはそうした実質となるもの価値あるものがなければ効用がないとなる
しょせん貨幣でもそれ自体には価値がないからだ
その貨幣でもたらされるものが買えるものに価値がある
その金で何が買えるかということである、アメリカからドルで何が買えるのか?
日本から何が買えるのか?ヨ−ロッパから何が買えるのか?中国から何が買えるのか?
それが問題になる、その手段として貨幣があるのであり貨幣とか紙幣自体に価値はないのである

ただ世界でドルが基軸となっていてもアメリカの国力が衰えればドルの価値も下がり通用しなくなる、つまり貨幣の価値はその国の力に作用されて決まる
その国の力とはいろいろある、資源とか軍事力とか技術力とか政治力とかいろいろ要素がある、国力とは総体的であるからだ
アメリカはそういうふうに総合的力がありドルが依然として基軸通貨になる
でもそろそろその地位もゆらぎつつある、アメリカがいつまでもその力を維持できない
それはイギリス帝国が七つの海を支配したときボンドが世界で一番通用する基軸通貨となっていた、エジプトボンドとかもあった、それはイギリス帝国が支配したからである

オスマン帝国で部下がエジプトに派遣されてそこでその部下はその地方長官となり王のように君臨する、そして自分が王として貨幣を鋳造しようとしていた  
それでスレイマンという王によって征伐された
何か貨幣はそうして権力と関係している、権力を誇示するものとして貨幣がある
ローマでもそうして地方長官とかが反乱する、そして自らの像を貨幣に刻むことがある
ローマ皇帝の像は刻まれるが地方長官の像を刻んだ貨幣がある 
                        
硬貨鋳造の権限についてカッシウス・ディオは「各都市は独自の造幣権や度量衡の制定権を持つべきではない。彼らは我々のものを使うべきだ」と記している。共和政期から帝国期前半においては、ローマだけで金貨や銀貨が造幣されていた。

貨幣の発行権は権力をもつものがもつ、それでGHQに戦争に負けた日本は天皇の菊の紋様の貨幣の発行を禁じたのである
つまり貨幣には権力がかかわる、これを見ても戦後日本は独立国ではない、貨幣の発行まで自由にできなかったのである
実際は様々な自由が奪われていたのである、それは敗戦国になったからである
だからトルの基軸通貨にロシアとかは反対している、IMFとかに入らない管理されないということで今も対立している
中国でもアメリカに対抗するのにドルの基軸通貨から離れようとする
だから貨幣には政治権力が常にかかわっている、貨幣を発行できるのは権力を持つものだからである
例えば地方通貨などが話題になって実行されてもその範囲は狭すぎるから普及しない、江戸時代だと仙台銭とか地方通貨があっても
それは藩内でありその外では通用しない、大きな権力下で幕府が公認しないと通用しないのである

いづれにしろドルに不満をもつ時、アメリカが富を独占している、世界から搾取して独占している、グローバル経済で株式で富を不法に集めて何兆円もの富をもつ数パーセントの大金持ちがいる、それはドル基軸のアメリカの世界支配の下でそうなっている
それはアメリカ帝国があってそうなっている、でもアメリカ国内でも格差が激しい
アメリカ帝国があってもアメリカ人は食べることが満足にできない底辺層がまた多いのである
それでこうした富の独占を許すことはできないと貧困層から社会主義者のサンダースとかが人気になっている
ローマ帝国でも常に権力争いがありそれが貨幣に影響していた、二頭政治だと二人の権力者が貨幣に刻まれていたり四頭政治とかにもなる   

日本でも宋銭の資金力が平家を台頭させたと考える「反平家」の人々や宋銭の流通によって経済的に不利益を受けるようになった荘園領主、地方武士も、宋銭とこれを流通させようとする平家に強い不満を持つようになった。
ただこの宋銭は民衆単位で便利だから権力と関係なく流通したと言う人もいる

この宋銭は青森の一三湊とか函館から大量に発見されている、それだけ日本の広範囲に流通した、この宋銭が日本の貨幣経済の端緒になった、ここでも宋銭を牛耳る平家に対して対立が生まれた

つまり貨幣が経済的合理性はないのである、だから中国であれ世界でドル一極支配、アメリカ一極支配に対抗するためユーロ―が生れたり中国でも対抗してくるのはそのためである
日本でも天皇の菊の紋の貨幣の発行をGHQが禁じたというのも本当に理不尽なのである
ただ中国の元が紙幣が基軸通貨になったらこれも不満になる、でも通貨の背後には政治が大きな権力がかかわるから従うのである
そして貨幣が金がこれほど力をもつのは貿易が盛んになるときである、外部から多くの物を買いたいとなれば貨幣が金が力を持つ
現代はまさにグロ−バル経済だから外国から無数の物が入る時代だから金が必要になる
もし江戸時代の自給自足の村だったら外部から買うものもない売るものもないとなり金の力はそんなにないとなるからだ 

とにかく海外旅行すると常に貨幣を両替したりとか貨幣に興味をもつ、ヨ−ロッパでもユーロ―になる前は国ごとに貨幣が違っていたのである、だから国を変わる旅に貨幣を交換するからめんどうだった、でもユーロ―になるとそういうことがない
でも貨幣を通じてそれぞれの国を意識することがありそこでその国の歴史に興味をもつことがある
だからお土産として自分は貨幣を記念にもってきたのである



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2019年11月24日

青森の詩(青森の地歴の探求)

青森の詩(青森の地歴の探求)


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青森の詩

青森のその名のよしも
縄文の村、三内丸山の栄
海近く海産物豊かに土地の実り
栗も栽培すると菓子も作る
漆の業もすでに起こり優れる
鹿を追い猪を追い射止めて食す
土器をこねりその造形にこる
その数千年の長き営み
その長き日に争うはわずか
平和の村のそこにありぬ
ヒスイは糸魚川より運ばれぬ
交易は日本海を通じてあり
青森よ、野辺地、下北、最果ての竜飛岬
ここに本州の陸は尽きぬみちのくの外三郡
幻の日高見国、アラハバキ国を語るも
平泉の黄金の栄華もなしも
米のとれぬはと粟や稗を食す
粟在家、稗在家とその名を遺す
太宰治の屋敷に小作の米は積まれぬ
小作は苦しみ恨み呵責になる
高い煉瓦の塀に警察が守る
その貧しさは今は変わらず職なき最果ての地
しかし陸奥湾に一三湊に外部に開け交易ありぬ
しかしその一三湊は砂に埋もれ消えぬ
宋銭のそこよりあまり掘り出される
津浪に壊滅せしとはまことか
津浪は人のものをすべて持ち去る
命も物も根こそぎ奪い何も残さぬ恐ろしさ
標榜として日本海の風はうなり吹雪く
青森の弘前城は古き城
その門の質実に飾り気なく古風に残りぬ
古武士のように何か威厳あり
一時桜に覆われしも
津軽の冬は厳しき
地吹雪き閉ざされ長き冬に耐える
津軽鉄道の終点の中里
その地吹雪きを遮る柵をさして運転手は語る
津軽弁重く濁り聞きとれぬ 
陸奥(むつ)はむっつりのことか
出雲弁との共通がありしとか・・
ここに北前船の来たりて関西の文化伝える
その前より古語もここに残されぬ
この辺境の地にアイヌ語地名も残さるると
アイヌとの交流のここにありしも
青森もみちのくなれどそこは果てなる地
芭蕉もそこには行けず去りにき


東北という時、みちのくなのだけどこれは平泉辺りまでであり岩手県からさらに青森までは入っていなかった
そこは本州の果てでありみちのくでもないのである
歴史的にはそうなっているが青森の地理的特徴は日本海を通じて船が通り交易があった
それが太平洋岸とは違っている、江戸時代でも北前船が通っていたからである
そして青森にも辺境に日本の古語が残ってそれがそのまま使われている
それは沖縄でもそうなのである、だからすでに古代から大和国が津軽まで及んでいた
それはその後の平安時代であっても古いとなる
三内丸山の縄文遺跡はやはり北がそれも本州の果てがかえって西より栄えていた
縄文時代は東が栄えて西はそうでもなかった
それは実証されている、漆でも縄文時代からあり青森でも見事な漆の器は残される
縄文時代は青森であれ北が優位だった

青森はその位置とか地理が魅力的なのである、日本は最果ての地に憧れる
海に囲まれているからそこで陸が尽きて日本は海に閉ざされた国になるからだ
大陸に住んでいたらどこまでも陸を行こうとする、それがモンゴルの帝国形成につながる日本では海に囲まれていてその陸が尽きる国なのである
大陸でぱ鎖国などできない、絶えず異民族が移動して襲ってくるからである

縄文時代は謎である、なぜそんなに長くつづいたかというのも謎である
それもあまり争いがなかった、大きな強い権力をもちえなかった
人口も制限されていた、すると大きな権力は形成されない、邪馬台国ができたときはすでに大きな権力が形成されたのである
だから縄文時代は国があってもその国はクニは小さなものである
国家というのは形成されていない、だから争う必要がなかったともなる
何か小競り合いはあったが大きな争いには発展しなかった
それだけ戦うもの奪いとるものもなかったのである
何かしら富があればそれを奪うために争いになる
ただ何もないと戦争で人を奴隷にする、それで富を形成しようとする
大陸ではこうして絶え間なく奴隷獲得の戦争が行われてきたのである

県名で青森というと青は墓のことらしい、すると最果ての墓の地が青森になるのか
死者を呼びたすイタコなどがいるからそういう風土でもあるのか?
県名としてはあっていた、岩手県でも宮城県でも一応県名は歴史とか風土とあっている
宮城県は古代から多賀城があったからだ
岩手県はいかにもみちのくの奥にふさわしい、そして何か秋田県という名には特徴がない何を現ししているのかわからない、田とも関係ないからである
そして福島県でもそうである、福島市福島城があったからだとかなるがでは会津藩とか相馬藩とかいろいろあってもそういう歴史とも関係ない、風土とも地理とも関係ない
だから福島県の名は何なのだろうとなる
新潟県でもこれも潟が多かったからであり土地の状態を示していたのである
広範囲に潟が多かった
茨城は古代の故事に由来するとかある、福島県はそういう歴史も何も現すわけでもないのである、そもそもなぜこういう名がついたのかわからないのである

いづれにしろ東北という時みちのくというとき一つのアイディンティティとする場である茨城県は関東でありみちのくはやはり歴史風土でもみちのくになる
みちのくで不思議なのはそこは青森になるとそうだが文明と離れた辺境だともなる
何か枯野にあっている、また雪に埋もれた世界だともなる
でも太平洋岸には雪はほとんど降らないのである
でも岩手県だと区堺には深く雪が積もる、まさに区堺なのである、春でも相当まだ雪が残っていたからである

岩手なれ区界(くざかい)になお残る雪

こんなふうになる、ここは岩手県を分ける境なのである
また山形県もその名にふさわしい、その境は仙山線で面白山をぬけて山寺に出るとそこが山形県なのである、ここも春になると雪が長く残っている
そこで天候も変わり雪国になっているのだ、あとは境というときわかりにくい
浜通りは阿武隈高原でさえぎられている、だから福島市とか中通りが見えないから地理的一体感が感じられないのである
ただ蔵王は南相馬市の鹿島区の右田浜からまで見える
そして南相馬市の高台の片倉のフラワーランドが牡鹿半島と金華山が見えた
つまりこのくらいの範囲が見えるから身近になる  
                                                                            
とにかく青森はみちのくでもない、最果てである、みちのくというときまだ平泉辺りまででありそれは文化的領域でもある
つまり芭蕉の奥の細道なのである、ここから奥の細道をイメージするのである
  

その日は野辺地泊。当時南部藩港であった野辺地は、この地 方の経済や文化の中心地として栄えた港町だった。
 翌8日宿を出て七戸へ行く道は荒漠とした原野が続き、道傍に樹木が植えられていた。途中、4人のマタギ(猟師)に出会う。犬を連れ、獣の毛皮で作った外 套を身につけ、それぞれが鉄砲や鉾を手にしている。彼らは「これから熊撃ちに行くところだ。今年はまだ1頭も捕っていないが、去年は5、6頭捕った。熊撃 ちは毎年春の彼岸から始まる」と話してくれた。
 やがて松陰らは七戸を経て五戸に入り、郷士(郷村に住む武士)の藤田武吉を訪ねた。藤田は、五戸に住む60名ほどの郷士は皆禄高が低いために、ほとんど が農業で暮らしを立てていることや、この辺りで多く採れる大豆は馬の背に乗せて野辺地へ運び大阪へ移出すること、近辺に牧場が数カ所あることなどを語っ た。

これは青森を旅した吉田松陰のことである、野辺地は冬にたずねた、駅に雪が積もり野辺地の港が見えた、大阪までもそこから豆を送っていたというのは意外である、つまり大阪まで北前船が運行していたからである

 こんな詩がインタ−ネットに出ていた、まさに雪に氷に閉ざされるのが青森だとなる 

いつの日にか
故郷が冬にとざされたやうに
私の心もみんなとざされてしまった
結氷の下で
魚たちが夢みるであらうあの空を

村次郎 詩集『忘魚の歌』

こういう詩もあり青森は冬は雪に閉ざされた辺境なのである

インタ−ネットは編集するとそれで創作になる、ただ詩とかほとんど出ていない、それで批評ができないのである  

青森に初雪

青森に初雪がふった、このプログに写真がある、こうして青森のことがインタ−ネットでわかる面がある
ただこれも一面である、ただ今の情報が入るのはインタ−ネットでないとできない
毎日の変化を知ることはできない、ただ地方局でもインタ−ネットで放送していることもあり役に立つ
まずこうした地域の情報はマスコミからテレビなどでは得られない
その地域の情報を得るのにインタ−ネットは便利なのである、ただ詩などでも詳しいものはわからないのが残念だとなる

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今昼食のおかずにスーパーで買った

幻の国のコイン(童話)


幻の国のコイン(童話)

その人は放浪者だった、どこから来たのかわからない、ある国に入った
どうも国境をすりぬけて入って来たらしい
そこで何か買うことになる
それでコインをだした
それを見た店の主人は言った 

「これはどこの国のコインだよ」
「・・・の国だよ」
「ええ、そんな国がるのか、聞いたことがないな、このコインはここの国では通用しないこんなコインで売らないよ」

その放浪者はコインをもっていても何も買えなかった
その人はそもそもどこの国の人なのか、それも謎である
その人はどこの国でもない、宇宙人なのか?
そういう疑いもある人である

放浪者はまた別な国に行くことにした、なぜいろいろな国を回ることができた
それでどうしてかその国々のコインをもっていた
様々なコインがある、何かいろいろな国がある時代だったのかもしれない
しかしその人がどこの国の人か謎であった
世界放浪者とでもいえるのか、世界をぶらぶら気ままに回り歩く人となるのか?
その人はどこの国の人かわからないから宇宙人だということにもなる
はるかに宇宙のかなたから来たからである
そうし地球を気ままにぶらついいる

そしてどこの国の人かもわからない、ただ不思議なのは様々な国のコインをたくさん持っていたことである
それでその放浪者はいろいろな国のコインがあったが一つのコインの国がわからない
どうしても思い出せないのだ

「このコインはどこの国だったのだ、どうしても思い出せない、これは謎のコインだ
もしかして幻の国だったのか?」 

そんな独り言を言ってその謎のコインを見ていた

「ただここにコインがあることは確かにこの国はあった、これが証拠なのだ」

コインはなぜかどこからでも発見される、砂漠からでも山の中の屋敷跡からで島からもも発見される、そこにコインを使った人がいて埋もれたのである
過去の遺跡からは必ずコインが発見される、古い時代のコインが発見される
コインは紀元前6世紀とか古い時代にすでに人間が使いはじめたからだ
とにかくコインは無数にあるのだ
地球はコインの国でもある

しかしその放浪者は宇宙人はお土産にそのコインをもって遠く去ってしまった
そして一つのコインはどこの国のものだったか謎である
幻の国だったのか、ただそのコインを宇宙から来たのか放浪者はにぎりしめている
もしその放浪者が宇宙人でなかったら地球人だったらそのコインがどこかに埋もれ残ることもあるだろう

でもその人は宇宙人だからそのコインはどこにも残らなかった
地球にあった謎の国のコイン、それは永遠に幻となり消えた
ただどこかの宇宙人がそのコインをもっている、そして宇宙人は地球を放浪したことをどこかの星で思い出しているのだ 

ただその宇宙人が帰った星でぱコインは使っていなかった
それでその国の人にコインをみせた

「こんなものが地球人では大事なものなのか」
「そうだよ、コインがなっかたら何も買えない、これさえあれば何でも買える、どこにでも行ける、遠くに行っても困ることはない」「へえ、そんなものか、ただの金属のおもちゃのようにも思えるな、こんなもので物が買えた」
「地球ではこのコインが命より大事なものなんだよ、このコインのために命をかけて殺し合いまでしているんだよ」
「ええ、そんなに大事なものなのか、こんな金属がな、地球も変わった所だな」

その星にはコインはなかった、コインなしでどういう暮らしをしていたかはわからない
コインがない時代もあったから不思議とはならない

「このコインがあったので私は自由に旅できたんだよ、コインがなければ何も買うこともできないし死んでしまっただろう」

そこでその星の人は言う

「何か面白い国のようだ、地球には俺たちも行ってみたいな」
「地球は面白い所だよ、コインが金があればな、地球でコインなしでは一日も暮らせないよ」

こうして宇宙のどこかの星で放浪者は地球から持ち帰ったコインを手にとって地球を思い出している、その放浪者の宇宙人はまたそのコインをもって地球に来るかもしれない
ただその時は時代が変わりコインは通用しないかもしれない

「このコインは通用しない、いつの時代のコインだよ、ここは古銭を買いとる店じゃないよ、冗談でも悪い冗談だ、、さあ帰ってくれ」

こんなふうになっていたかもしれない、でもやっぱり地球は面白いからその放浪者はまた来てみたいと思っている、その星でぱ寿命は長い、ある意味で死というものもない星である、そうしてその放浪者は永遠にさまよっている
でも宇宙人だからどこの国の人でもない、その人の国は宇宙のかなたの星だからである





posted by 天華 at 20:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 童話

2019年11月25日

地理と風土が国を作る (日本人の視野は非常に狭い、山に分断されているから)


地理と風土が国を作る

(日本人の視野は非常に狭い、山に分断されているから)

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日本全体で見ても大阪平野と濃尾平野と関東平野が三大平野であり
ここに大きな権力が生まれたのも地理だったとなる
東北だと仙台平野が広いから米も多くとれてそれを商品として石巻から船で江戸に送ったのである
だから地理が歴史でも作っているのである


山で分断され
海で閉ざされ
川は人を結ばない

何か日本の風土とか地理とかが日本人を作った、これは間違えない、日本人の耕作する土地は平坦な土地が少ない、それはヨ−ロッパとか大陸国家と比べると少ない
それなりに領土が広くても耕作できる土地が少ないのである
ドイツでもフランスでも平坦な土地が多いのである
日本の可住地が27パーセントでありイギリスは島国でも85パーセントもある、フランスは73パーセントでありドイツは67パーセントである、イギリスは山というより丘でありそこはゴルフが生まれのもその風土から生まれた地理から生まれた
イギリス全体がゴルフ場に適した地勢だったのである、だから島国でも居住できる範囲が広いのである
日本のように急峻な山がないのである,その差も大きいのである
ただイタリアは意外と高い山があり山国という感じもする、そこからローマ帝国が生まれたというのもどういうことなのか?
ギリシャも山が多いのである、ただ大陸国家は平坦な土地がつづくのが普通である
だからこそエジプト王国でもペルシャ帝国でも中華帝国でも強大な権力国家が生まれたのである
統一しやすいから中央集権的大国家生まれた、そこにファラオが王が絶対的なものとして君臨する
それは大陸国家ではにているのである


そして海で閉ざされているという時、四方を海で囲まれている、だから海によって閉ざされている
それでヨ−ロッパではイギリスが島国でもドーバー海峡は30キロとかであり日本の玄界灘とは違う、それは常に渡れる距離であり日本人が泳いで渡ったとかもある
でも玄界灘はそうではない、簡単には渡れない、モンゴルの船が渡れなかったのもその距離とか海流とか台風とか日本の気候条件にはばられて渡れなかったのである
そして海で閉ざされるという時、ヨ−ロッパだったら地中海での交流が古代から始まりその歴史は古い、地中海は交易の海であり船で行き来できる内海である
そこで船を操作する技術が発達した
そこからコロンブスが大西洋に乗り出したのである
でも日本だと太平洋でありそれはあまりにも広く島国としてペリーが来るまで閉ざされていたのである、だからこそ300年の鎖国もありえて特殊な国なのである

そして大陸の川は中国でもヨ−ロッパでもインドでもどこでもスケールが違う
それは日本のような激流とかにならない、自然の運河になっていて物が運ばれ人が交流する河である、だから四大文明が川から生まれたという時まさにそのことを語っている
川は物が運ばれ人と人を結ぶ川なのである
日本では川は側(がわ)としてしか意識していない、向こう側に渡るのが川なのである
ということは狭い範囲で生活していて向かい側しか意識していなともなる

ヨ−ロッパでも中国でも川は道路のようなものであり常に交通がある
だからヨ−ロッパでは川を通じて都市が結びつきハンザ同盟とか商人の同盟組織が生まれた、それは国を越えた組織でありえたのは川で結ばれていたからである
また川はリバーはライバルが語源であり川を通じて敵対していた
また川はライン川のように境にもなる、それが川が長く大きいからそうなる
川で遮られるからである、大陸には常に大きな川がありその川が歴史と文化を作って来た父なる川がラインでありガンジス河はインドの文化と歴史の源である
中国でもそうである、大陸は広大でも川で結ばれていたのである

川上とこの川下や月の友 芭蕉

この句にしても風流的に川を見ている、現実に船が行き来して生活の場になる川ではないのである、日本の川は常に変化する川である、それは今回の台風でも証明された
流れが絶えず変わる川なのである、だから古川という地名が多いのである
それは流れが変わって古川になり地名として残ったのである

とにかく日本でも外国でも旅行したから地理に興味をもった
日本は本当に山で分断された国である、それで常に感じているのが阿武隈高原とういう山で私の住んでいる相馬地域は同じ福島県でも分断されている
それは福島市の方面が見えないからである、そこで何か地理的一体感がもてないのであるでも原町の片倉のフラワーランドから牡鹿半島と金華山が見えたというとき地理的一体感を感じた、新地から見えていたが原町から見えると思わなかったからである
つまり視界に入れば地理的一体感をもつのである
日本は常に山で遮られ隣り合っても地理的一体感をもてない国である

それで峠というときこれは国字であり日本人が発明した漢字だということもわかる
だから峠を越えると新しい視界が開かれる、そういう峠の国だということが日本だとなる
その国の歴史でも文化でも地理と風土から作られる、これは逃れようがないのである
日本人の故郷がアイディンティティになる場所が海ともならないで「国のまほろば」というとき奈良でありそれは山に囲まれた盆地だということでもわかる
東北の地理を見てもそうである、山に囲まれていて平地がありそこは盆地であり平地があり都市が生まれている、でもその平地が少ないのである
そして青森だと山で津軽藩と南部藩の延長として二つが分断されているのもわかる
それは山が分断して言葉も違っているとなる

つくづく日本人は地理的に海でも山にでも分断されて生活してきたのである
まず大陸の歴史とは違ったものとなるのも当然なのである、大陸だと広い視野が視界が得られる、でも日本では常に山で遮られて広い視界が得られないのである
だから広い視野で視界でものを考えることもできないし防衛とかもできない
大陸でぱ中国でもヨ−ロッパでも塔が発達するのは平原とかで遠くをウオッチする見張る塔なのである、遠くから平坦な平原でも敵が攻めてくるのを見張るためである
だから塔に人間の強い意志が感じられる、それは中国でもその塔は何か日本の優美な塔とは違う、堅固であり強固な人間の意志を感じる塔なのである

日本人はどうしても視野が狭くなる、それが山が多すぎることなのである
山で視界がさえぎられ狭い地域に閉ざされてしまう
何か小さな村で閉塞されたようになる、いい面としてはそこで互いに濃密な人間関係を作って協同することである、でも村という狭い範囲が一つの世界となってしまい広い世界の協同関係は結べないのである
だから明治維新から世界に国を開いた時その世界に適応できない、それが太平洋戦争の失敗だったともなる、世界的にそんな大きな戦争などしたことがないからである
日本の戦争は関ケ原を除いて小競り合いの戦争だったともなる
大規模な戦争はなかったのが日本なのである
大陸の戦争だとものすごい数の兵士が大平原に集まり戦争になる
そういうことを何回も繰り返してきたのである
だから戦争にたけてくる、日本は戦術にこまかいことには気をくばるがそうして大局的戦略的に対処するのが苦手なのである

いづれにしろその国の文化はそれぞれの国土によって作られることは確かである
それは逃れようがない運命なのである、大陸国家だと中国でもそうだが巨大な権力が生まれる、始皇帝であれそれは地下にも都を宮殿を作って生き続けようとしている
日本ではそういうことはありえないのである、巨大な権力が生まれない、それで話し合いで決めるというとき小さな村が生活の政治でも経済でも単位になっていたのである
「話せばわかる」という狭い範囲での生活だったのである
だから法律も必要がない、話せばわかるとなるからだ
狭い範囲での意志疎通が中心であり異民族とかの意志疎通は必要ないからである
同じ民族でも日本が広いとしても村という狭い範囲での精神形成になっていたのである
そうなるとこれだけグロ−バル化したとき適応できないとなる
   
日本人は実際は世界で一番冷たい民族だという時、狭い範囲の村が共同体だからそのウチでは強いつながりをもつ、協同する、でもそこから離れた外になると冷たいとなる、よそ者を歓迎しないのである
外国では対立があっても争いがあってもそこでなんとか折り合うとする文化が生まれる、日本では異民族を受け入れることがむずかしいのはそういう歴史がないためである
日本が外交下手だというとき当然なのである、そういう歴史がないからである
狭い村という範囲でみんな仲良く争わないで協同する生活だった
そこにはよそ者は入れないという世界である
だから限界集落でもよそ者を入れない、入れても追い出すとかなりもう限界集落は後継ぐものもなく消滅してゆく、そういう国柄は簡単に変えられないのである

要するに日本がいいとか悪いとかではなく日本を客観的に見るには外国の理解が必要になる、その対比のなかでわかってくる、それはまた時代的にも江戸時代と比較すると今の時代が見えて来る、つまり日本だけでは日本のことはわからない、また今の時代だけを見ても今が見えてこない
それでたいがい日本に深い見方をするのは外国で暮らした人である
留学した人とか外国暮らしをした人とか外国人と共同で仕事した人とかになる
それは否応なく対象的に日本が見えてくるからである
ただ今の時代になると海外旅行している人が多くなったから戦前のような偏狭なものにはならない、情報でもそうである、太平洋戦争では日本人はアメリカのことなどほとんど知らなかったからである
テレビもなにもないし何も知らないのである、それでアメリカを甘くみていたのである
今でも日本はそういう地理でしり外国の理解ができない、それで失敗するとなる 

一番の問題が日本で山が多くて視界がさえぎられることである、そうなると見えないのだから見えない所を考慮しなくなる
例えば身近なことでも常に家事で台所仕事で失敗しているのが目の前に電気の卓上焼き機でもスイッチを見えない方向にしていたらスイッチを消し忘れているとかまた料理する場所が離れていて見えないと何度もIHヒーターの電気を消しわすれとかある
それで前はガスでそうだったから時間を決めて使えるものにしても電気をつけたままだという失敗がある
その原因が自分の視界内にないからである、見えないから失敗している
そういうことはあらゆるところである、原発事故だって迷路のように網の目のように配管がある
その一部分を常に見ている人はその一部分には詳しいのである、だから配管のことをその現場で働いていた人は知っていたのである
上の人は知らないということがある、要するに原発の全体を知るものは誰もいなかったし知り得ないのである
こういうことはどこでもそうである、こんな複雑な巨大な社会になると一部分を見ていても全体を見通せる人などいないのである
そこが盲点となって事故につながる

地理でも常に住んでいる小地域は見えてもその周りの全体は見えない、特に日本では山に遮られて見えない、するとどうしても見えないからその場所を理解できないのである、日本だと山が多い、するとその山の中に隠れたように田んぼがあったりする
その田んぼが見えないのである、だから隠田というのが普通にあっても不思議ではない
こんな所に田があるのかということを旅してもわかる、山の中に入って開けた地がありそれが意外だったのである
平原のような所だった一望に見える世界である、見えるからこそその広大な平野で戦略がたてられる
軍隊をどう配置するかなど戦略がたてられる、日本ではそういう戦略をたてられない
義経のひよどり越えでも信長の桶狭間でもそうである、敵が山の下に休んでいる時急な坂を一気に駆けおりて勝った
まるで滝のように襲い勝ったとなる、相手から山の陰であり見えない、ところが敵は上から見えていたのである
だから見えるか見えないかの差が大きいのである
日本の地理と風土は大陸国家がユニバーサルとして普遍があるとして日本は特殊なのである
その特殊性を日本人自身が理解していないのである


                                             
参考にした本

国土が日本の謎を解くー大石久和

国土交通省に勤めていた人の本である、日本の国土を知ることがやはり第一にある、日本の国土は外国と相当に異質だからである


2019年11月26日

冬の灯(独り身は独り身を想う冬)


冬の灯(独り身は独り身を想う冬)


遠山に日のあたりたる時雨かな

5か月を入院したるその人の故郷に帰り冬の灯ともす

遠山に日のあたりたる枯野かな 虚子

何か類似俳句というのが作り安い、短歌でもあるだろう
昨日は本当に時雨だった、ぼつぼつりと雨滴にぬれた、ただそれは気づかれないほどだった、時雨でも雨の場合もあり間違いやすい、時雨はぽつりぽつりと頬を濡らすものであるそして雲が出ていて山を覆っているがその中から日がさして一部が明るくなっていたからそういう季節である

スーパーで5か月入院していた80歳くらいの人が退院してきてあった
帰るとときいていたがようやく帰ったとなる、でもやつれた感じである
糖尿病の人だった、その人は10年前くらいに妻をなくして大きな家に一人で暮らしているのが淋しと常に言っていた、でも娘はとなりの街に住んでいる
親戚も多い、でもやはり妻がいないということは相当に淋しいことになる
だからそのことをいつも言っていた
それは自分自身も家族をみんななくして大きな家に一人住んでいるからわかる

そして不思議なことは独り身の人は独り身を想うということである
別に妻がいれば夫婦の人は思わないのである
夫婦は互いに身近に相手を思っているからである
そして夫婦の人は独り身の人に関心がない、淋しいとかも思わない
何か人間は他人に無関心である
でも同じ境遇の人は共感しやすいことがわかった
同病相あわれむということもある、それと似た感じである

なぜその人のことを思ったのか?
それは親しいといのでもないてけれど一回くらいその人の家に入ったこと
庭とか見たことか、それとそこが近いからである
その近いことが相当に影響していたかもしれない、それでそこが空家になっていることを気にしていたのである

そしてようやく帰って来たのかと思った
その人は80歳越えているからこれからどれくらい生きるのか?
糖尿病がどのくらい悪いのかわからない
でもやつれた感じにはなる、そこに知り合いの女性は親しく行っている
前からの旧知であり連絡し合い行っている
ただ糖尿病だから食べ物に注意している、料理は自分でしていた
でも今度自分で料理をするのは大変になるかもしれない
何しろ病院の楽なのは料理をしなくてもいいことなのである
この料理だけは手間なのである、だからほとんど私は買っているだけなのである

いづれにしろ近くに親しい人がいることは安らぐ
そう思うようになったのは家族がみんな死んでからそうなった
それまで自分は妻がいたように他者のことを思わなかったからである
その人と特別親しいわけでもない、ほんの知り合いというだけでもやはり近いから思うとういことがあった
人間は近くないと日々顔を合わせていないと「去る者は日々に疎し」となってしまう

なんか変なだけど母の実家の墓参り一年に二回くらいしていた
今はしていない、その家の親戚にひどい目にあったから行きたくなくなったのだ
仲良くない親戚は一緒に墓参りすらできなくなる
プログに書いたように自分の親戚は分裂不和のカルマをかかえていたからそうなった
でもその墓でも実際は近いのだから墓参りに来てくれと死者が思っているかもしれない
それも奇妙だけど近くにあるからそうなる

「遠くの親戚より近くの他人」人間は思うだけにしてもそうなのである
遠くなれば思うことさえなくなる、実はこの思うということは意外大きな力がある
思っただけで殺したいと思っただけで誰かがそのために死んだとかインドの哲学者が言っていた、それだけ思いとか念の力を見えないにしろ思った以上大きく強いものなのであるどうしても思うことは現実化しやすいのである

近くにいても思わない人は思わない、無関心である、ただ自分自身でもその人を想っている想っていたことが不思議なのである
ああ、あの人がやっと帰ってきたなと思ったからである
そして5か月ぶりに灯がともった、またなお故郷に生きるのだなと思ったのである
それだけ近くにいるということは思いが働くのである
ただ独り身の人は独り身の人を想うとういことがありそうなったともなる