2019年11月14日

abstract garden

abstract garden and flowers

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black flower

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冬に入る(里に老ゆ―故郷の里とは何かその考察)


冬に入る(里に老ゆ―故郷の里とは何かその考察)

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枯枝に山鳩とまる里に老ゆ

晩菊に陽さしなごむや里に老ゆ

この里に耕す女や朝の菊

しっとりと菊の濡れにき常の道

鮮やかに渡りの鴨や今朝の川

秋の蝉余韻やここに我が座る 



●兎追いし故郷

兎追ひし彼の山
小鮒釣りし彼の川

夢は今も巡りて
忘れ難き故郷

如何にいます父母
恙無しや友がき

雨に風につけても
思ひ出づる故郷

故郷というときこの歌が有名である、故郷は古里なのである、この里というのが日本独自の世界なのである、それは外国語に訳しようがないことでもわかる
田舎だとcountryであり村だとvilligeで一応訳せる、でも里は訳しようがない日本独自の生活空間なのである
それで里山資本主義とかの本が出たりする、里山というのも里の延長としてある
里とは生活共有の暮らしの空間である
兎追いしというときそこに野生の動物も生活できる空間が里の延長にある

実際私が住んでいる場所は里ではないけど回りには田畑がある
つまり田畑がないとそこは里にならない、だから都会にはもう田畑がないから里がない
まがりなりにも田畑があり自然でも動物でもたまに出て来たり小鮒釣りしとかメダカとかも生息できる小川とかがある場所なのである土手の道は毎日通っている、買い物で通っている、そこに休む場所がある
そしてそこで秋の蝉の声を聴いていた、その蝉の声がやんだときその余韻はそこに残っていた、そしてそこには兎もでてきたのである
街に近いからここまで出てくるとは思わなかった、ただ回りの山には兎は来ていた
だから兎は結構みかけるものだったのである
ここまで兎が来たのはおそらく原発事故以後荒地が増えたためである
荒地だと動物にとって隠れられるからいい場所なのである
前は自然の小川が流れていてそこにどじょうとかメダカとかもいたのである
今はコンクリートの水路になり失われた
なぜか鮎が川から消えたのも不思議である、これはここだけではない、鮎が消えている川が多くなっている、これもどうしてなのかわからない。

今年は季節の変化が激しかった、秋でも暑い日がつづいた
今日は最初は東風か南風だった、それから北風になって寒くなってきた
北風が吹けば本格的な冬も近いとなる
風を感じることも季節を感じることである、車だと風を感じないから季節感がなくなるのである、あまりにも居心地いい空間がそこにあるからそうなる
「風流は寒きものなり」というときやはり寒さでも肌で感じて季節を感じなければ風流もないのである、風流とは風の流れとあるらだ

●農業社会から工業社会へ大きく変容した世界

日本人の故郷意識が変容したというときやはり農業社会から工業社会になり生活形態が大きく変わったためである、原発事故はそうした大きな時代の変化の中で起きたのである
なぜなら農業では生活できないとして原発を誘致した
原発で働く人はこの辺では本当に多かったのである
飯館村は遠いから関係ないと見ていたが実際は原発で働く人がいたのである
それは金になるからである、普通より倍とか金になるからである
だからたいがい原発でこの辺では働いていた経験がある人が多いのである

正直里とといっても牧歌的なものとしてイメージしているが実際に生活するとなると過酷になる、動物も共生するのがいいとしても畑ではネズミだ鳥だキジだとか動物に野菜を食われることで常に損害がある、だから自然の動物と共生するとしてもむずかしくなる
せっかく苦労して作ったものを食われてしまうからである
それから田舎の仕事は草刈なのである
知っている女性は草刈を頼んでいる、すると草刈りをしたいと申し出る人が次々にでてくる、草刈してもらうと金を払うことになる

それが馬鹿にできないのである、他でも草刈りしている部落の人がいるがそれは補助金が出たりしてしている、田舎の主な仕事が草刈なのである
どこかで毎日草刈しているからである
その畑は何も収穫がない、てもそのまつにしていると耕作放棄地になって草ぼうぼうになる、今その土手の道の畑の半分は荒地になっているからだ
それが全国で増えているのは畑で何か野菜でも作ることが手間でありかえって肥料だとか種だとか金がかかるからやめてしまうのである

自分のようにただ畑をみている、そこで花が咲いているのを見ているならいい、でも実際そこで畑で仕事するとなると苦労ばかりになる
だからなぜ日本から昔の故郷のイメージもなくなってきたのかというと農業社会から工業社会とか他の仕事に変わったからである
農業とかに従事している人は一割にもみたないからである

でも日本人が村とか里とかが故郷となりそこがアイディンティティの場所だったことは間違えない、ただ村となると実際は相当に広い範囲だったという指摘があり里とはそれより小さな日常の生活空間である、だからこそ外国語に訳せない日本独特のアイディンティティの場だったとなる

●津波原発事故以後の変化が激しかった

とにかくこの辺は変化が激しすぎた、風景も津波原発事故後も大きく変わった
今でも突然新しい街がいくつか生まれという感じになる
なぜなら大熊で選挙がありその選挙のために投票をしてもらうために来ていた
だからこの辺には原発事故で避難した人がすでに相当数住んでいる
もう二割くらいはそうかもしれない、それで駅で話してみると本当に外から来た人が多かったのである、少しでも話してみるとすぐに外から来た人はわかるからである
でも実際はどういう人達が住んでいるのかわからないのである

そして土手の道の畑の後ろにはまた障害者の学校ができる、それも大きいと思った
とにかくまた障害者というのも日本全国で一千万人近くいる、それはどこの市町村でもいる、これも相当な負担なのである、それから今度は高齢者が増えて医療費とか福祉とかで負担が増える、そういうふうに福祉の負担は増すばかりなのである
そこは社があり田の中にあった、それは豊作を祈る神が祭っていたとなる、その社も障害者の学校で残っていてももともとは田んぼの神だった、それから他でもダイユーエイトのある場所にも田があり田の神が祭られていたがその田自体が今はなくなった
こういうふうになるのは都会だったら無数にある、東京の神田とかそうである、もともと田がついていれば田があった所なのである
東京にも里があった所だともなる、それが全くわからないが神社だけが歴史の記念として残されているだけなのである
その田の神様も次は都会化すれば商売繁盛の神に変化するのである

いづれにしろ「枯枝にとまっていた山鳩」はその畑で見たのではない
でも山鳩は鳩は平和の象徴である、そして枯枝となると枯木となると老人をイメージするつまり里に老いるというとき何か鳩のように平和に暮らして里に死んでゆくのがいいとなる、ただこの里は必ずしもここだけではない、故郷だけではない、故郷は父母をイメージするが里は日本のどこにでもあった風景だったのである
枯枝に烏のとまりたるや秋の暮―芭蕉」これと通じるものがある、枯枝とか枯木は老人をイメージするのである
ともかく人間はそうした里であれ場所とのつながりを失ってきたのである
そうさせたのは何だったのか?
それを原発事故とかで延々と自分は考察してきたのである
この辺は特に鳩の平和がなくなっていたのだ、激変してしまったのである

●里と田園の復活再生

里の復活、田園の復活があっ故郷がありうる、だから浪江の街中に住んでいた人はまわりに田畑があっても関心がなかった、別に東電の原発で働いていれば良かったとなる
それで金になるから生活もできるから良かったとしているもの理解できなかった
そして浪江が二万人も人口があったのは原発があったからだとしている
田畑などその人の眼中になかったというのも異常である
そういう人は東京に住んでも都会に住んでも違和感を感じないと思う
回りの自然とか田畑に関心がないからである、だから工業地帯に住んでもそこで生活していても違和感を感じないとなる
それが何か異常なことでも異常でなくなる、おそらくこの人だけではない、田舎に住んでいても農業とかに従事する人が一割にもみたないとなると人間の感覚はそうなってしまっても不思議ではないとなる

日本人から日本の国土から里が消失したときその時日本人の心も喪失してしまったのである、そういうことが原発事故にもつながっていたのである
原発は高浜町のように金に目をくらませるものだった、だから金に踊りそれが事故につながったともなる、そして故郷に古里に里に住めなくなったとなる

ともかく町の近くにいつも行く所に里があったということを発見した
そこは平凡な世界だけど奥深いものがあった、そこに人間の生がありそこが死に場所としてふさわしいとまでなる
そういう狭い世界に日本人のアイディンティティがあった、ただそれが手放しですべていいとはならない、様々な問題の場所でもありこの世に桃源郷とかはない
それはあくまでもイメージされた場所であり現実にはないのである    

●里は悟(さと)る世界から来ていた                                                             

もともと「いも」は、いわゆる「山芋(やまいも)」のことであった。それと区別するために、「里で栽培される芋」の意味で「里芋」と呼ばれるようになった。
奈良時代には「芋」を「うも」といい、家の芋という意で「いへつうも(家つ芋)」、平安時代以降は「いへついも」「いへのいも」と呼ばれた。里芋と呼ばれるようになったのは室町時代末期とされる。

里とは山と区別して里が生まれた、山芋は山で採れたし今でもとれているしイノシシとかの食料になっている
それが里で栽培されるうよになって里芋になった、家芋もあり家で栽培されたからそうなった
最初は山芋でもあ家で栽培されて家の芋になり次に里の芋になった
とすると里が生まれた経過は家の延長として里が生まれたともなる
だから里と村とは違ったものなのである、村は一つの大きな共同体だが里となるとまず家から始まったとなればそうである
家の周りが里だとなるからだ  

また言葉の不思議がある、里(さと)があり悟る(さとる)がある、これが悟るとか関係しているのか?
里とは狭い範囲でありそこで悟るということがありうる、悟るとはわかるということである
狭い範囲だからわかるということに通じている
人間は家とか家の延長の里とか村とかだと自分の血肉のようになり悟るとなった
こうして私自身が狭い範囲で悟ったものを書いていることでもわかる
範囲が広くなると理解できなくなる、まずグロ−バル化するともう理解できないのである
いくら物が世界から入ってきても悟ることはない世界なのである
そこに様々な問題が生まれてきてどうにもならなくなるのである
なぜなら互いに理解し合う悟ることができない社会だからである



2019年11月15日

日本はモノマネ国家であり中国もパクリ国家である (独創的な創造的な人間が育まれない国)


日本はモノマネ国家であり中国もパクリ国家である

(独創的な創造的な人間が育まれない国)

パナソニックという会社は、かつて松下電器産業という社名だったが、昭和の時代には、よく「マネシタ(真似した)電器」と揶揄されていた。トヨタも今でこそ、レクサスといったブランド商品を出せるようになったが、米ゼネラル・モーターズの自動車を参考に製品の開発を続けてきたのは有名な話である。

パナソニックに限らず、日本企業の多くは、欧米企業がヒット商品を出すと、すぐにそれを真似して(今の言葉で言えばパクって)、より安い価格の製品を出すというのが定番商法だった

https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2019/08/post-78_2.php

良く日本では中国をパクリ国家だと攻めているけど日本もそうだったのである
ただマネシタ電気と松下電器が言われていたというのは知らなかった
何か日本の電器製品が売れたのは日本の技術力が高いから売れたとされていた
それで日本を誇る人がいた、技術者とか科学者は今でもそうである
日本は技術力で優秀だとしている、それが疑問なのである
戦争の時もアメリカのことを知らない、どれだけ巨大な国なのかもしらない
それで日本がはアメリカに負けないとして戦争になった

その時庶民はアメリカのことなど情報も入ってこないのだから知らない
テレビも何もないのだから知らない、ケネディ大統領が暗殺されたときようやくテレビが普及して外国の情報が映像で入るようになった
つまり映像で情報が入るとインパクトが強くなる、アメリカではすでに戦前でも車が普及していたとかその生活ぶりがテレビで写されればアメリカの見方が違ってくる
外国は実地にその国を踏んで見ないとわからない、だから今でも知識人となる要件が
外国で暮らした人であり学んだ人なのである
そこで日本という国を客観的に見れるからである

日本は科学技術でノーベル賞もとっているから優秀なのだという奢りがある
そのことで何か日本が画高度成長時代を築いたのもそうして科学技術が優秀だったからだとしている
それはマネシタ電器というように欧米のマネであり日本独自のものではなかった
それが日本独自のものと奢るようになった
それが明らかに原発事故に通じていたのである

原発を操作する技術は日本にはなかった、それで湯川博士がまだ時期が早いと反対していた、原発を操作する技術は日本になかったけど無理して導入したのである
そしてアメリカも安全性を無視して古い原子炉のマーク1を売りつけたのである
たいがい後進国には武器でも古いものがお古が売りつけられる
明治維新でも南北戦争で使った古い銃がアメリカから入ってきたとか中国だとロシア製の古い銃とかか売りつけられるのである
そこに武器商人が活躍する素地があった

日本は科学技術に関してはみんな欧米とかから学んだものであり独自のものはない
ただ文明は必ずその国にとどまらず伝播する、ギリシャ文明にエジプト文明の影響があったとかヨ−ロッパ文明にイスラムの文明の影響があったとかなる
日本では中国文明のコピーだとか言われる、だからものまねが別に悪いことではない
そういうふうにして文明はグロ−バル化したからである

日本の高度成長は運が良かったのである、戦争に負けて軍備に金を使う必要があまりなかった、外交でもアメリカに守られて楽な立場になっていた
それで経済のみに集中できたのである、そして電機製品が売れたという時それは日本独自で造りだしたものではない、モノマネだったのである
ただそのモノマネが悪いということではない、外国のものを改善したということもそれなりに日本的優秀さを発揮したとなる

ただ日本人には何か発明能力には欠けている、イノベーションが苦手である
アメリカを見ればわかる、エジソンをはじめ発明の国だからである
ヨ−ロッパでも本当になぜあれだけ天才が多いのか?
それがアジアとの大きな差である、科学技術でも欧米が発明したものでありアジアで発明したものではない、だから中国の経済発展も日本の高度成長と同じだったのである
欧米をまねて日本をまねて発展した、そこに独自に発明したものはないのである

それで今になると日本の電器製品を韓国でも中国でも作っていることをみればわかる
そうなれば日本の製品は売れなくなる、そして日本はまた貧乏国にもどったというのもわかる、もし真似できない日本独自の製品だったらこうはなっていなかったからだ
ただマネすることが悪いことではない、学ぶとはまねることだったからである
ただそこから創造する力に日本は欠けていたのである

その創造する力がどこから生まれてくるのか?
それが問題になっているのは最近盛んにそうした創造力が大事になると言われるからだ
AI化でも機械化できるものは機械化されて仕事がなくなるというのはその仕事がコンピュターでもできるからである、事務でも法律でもできるとなれば一体人間の価値はどこにあるのかとなるからだ
そこで問題になるのが創造力だとなる、その創造力をどうして育まれるのかとなる
日本でもモノマネ国家だというとき国自体にそうした素地がない
天才とか独創力のあるものを育てる素地がない、同調圧力が強く平均的人間を作のは得意でも独創的な人を育てることができない社会なのである

だから教育にしても平均的な人間を作るには効率的だったが独創的創造的人間は作れないシステムである、だから欧米の教育と日本の教育では教育の仕方が違うとなる
ただでは欧米のように独創的創造的人間を作れるのかとなると簡単にはできない
それは歴史的伝統の中で育まれたからである
それに宗教も関係していてキリスト教だから科学技術も発展したとも言われる
その関係は詳しくわからないにしろ何か総合的なものとして文明が生まれているからである

日本にもそうした歴史文化伝統があるとして何か美的な分野ではある
日本語が外国語と比べてそういう独自なものがあるとして訴えたのが林秀彦である
日本語には美的な要素が感性的に優れたものがあるというのは日本の風土とかに育まれたからだろう、それで短歌とか俳句のような独特なものが生まれたのである
ただ科学技術面ではもともとそうした素地はなかった
第一科学技術という時西洋文明がギリシャ文明が生まれたことでもわかる
そこが基となり科学技術が生れて来たからそれが発展して現代のアメリカ文明まで通じているからである

いづれにしろ日本が再生するにはそう創造力独創力だとするとき平均的な大量生産に適した規格化された人間を作ることではそうした力を生みだせない
ただそういうことは一朝一夕にはできない、では中国があれだけの大国だからできるかとなるとそれもできない、やはりアメリカのパクリであり独自のものがないからアメリカが怒るのである、それで結局中国も日本のよに高度成長があったが今では行き詰まっていというのは同じなのである
posted by 天華 at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

南相馬市原町区高倉の台風の被害 (川の流れと土手の関係ー土手が強固だと守れる)


南相馬市原町区高倉の台風の被害

(川の流れと土手の関係ー土手が強固だと守れる)


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片倉から馬事公苑に行く高台のソーラーパネル

なぜこんなふうに曲がったのか?

風で曲げられたのか?

水には濡れていないから直せくるけどこれも台風の被害だったとはなる

横川ダム

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大量の土砂が流れだしていた

高倉の被害

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 牛舎がある所が一番被害があった

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小さい橋はいくつか破壊された 
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奥の一軒家への道


水無川を下る

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水の流れが強く当たる場だったのか

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  土手が破壊されて住宅地に水があふれた



横川ダムから高倉の方へ回った、横川ダムでも回りの細い流れから土砂が大量に流れ落ちていた、自転車だから行くことができた
丸森でも被害が大きかったのは今回行けなかったが川の上流でありそこに大量の土砂が流れて来たのである、今回はいたるところ中小の川があふれて土砂が砂とか石でも流れたのである、その被害が大きかった
おそらく一時に大量の雨がふって土砂が流れた

高倉の水無川は二か所ほど決壊していた、上流の決壊は写真ではわからないが
実際に見た感じでは橋の所に流れがぶつかり圧力が増して決壊した
橋の下には土手の下に家があったが辛うじて助かった
その土手は広く厚かったのである
流れもまっすぐだった、その下になると土手は低くなり橋の所で決壊した

橋の所で決壊しやすいのか、橋で水がさえぎられるからなのか?
ただ上流の橋は橋の下になっていた
ただ流れが関係して土手が壊れた

だから確かに土手がしっかりしていないと破壊される
下流では一段と土手は低くなっていたのである
そこから水があふれて住宅地に浸水したようである

高倉ではダムを放流したことで被害になった、住民はそれを知らなかったとなって問題になった、緊急だからダムの放流は危険である
ダムというのも洪水を防げない、小さいダムはそんなに水をためる能力がないからだ
それでダムの放流で死んだ人もいたようだ

今回は中小河川が意外と危険だった、ほとんどあふれて田んぼにも土砂が流れたのであるこの高倉から水無川は新田川に流れ合流する地点で新田川の土手をあふれて4カ所くらい越水して半分土手が削られた、その土手は厚い広い土手ではなかった
またコンクリートで表面を強化していなかった
高倉の土手はコンクリートで強化していた

いづれにしろ今回の台風の被害は意外だった、これほどの雨がふり被害になるとは思わなかった、それは中小河川でも大量の土砂を石ころでも流した結果だった
木も倒して根こそぎ流したのである、それはまさに山津波というものだった
津浪でも木も根こそぎ流されたからである

横川ダムの道は一部破壊されて通行止めになっている
でも車が通っていた、道路を管理する車だろう
自転車だと別に道が悪くても行ける、マウテンバイクだと悪路でも行ける
とにかく自然も草と花とかも根こそぎ流された
これも回復するのに時間がかかる
自然はある時猛威をふるい流れを変えてしまう

ただ津波を経験すると丸森に行っても何かたいした被害でないと見てしまう
津浪だと家ごとなくなり人も二万人近く死んだとか村ごと消滅したとか被害が桁違いだったからである
だから津波の被害と比べると小さく見えてしまうのである





posted by 天華 at 18:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年11月16日

原町片倉のフラワーランドから金華山と牡鹿半島が見えた (蔵王も鹿島区からまで見える地理)


原町片倉のフラワーランドから金華山と牡鹿半島が見えた

(蔵王も鹿島区からまで見える地理)

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南相馬市鹿島区右田から見える蔵王


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朝日さし紅葉の映えて水清し

冬晴れに太平洋を我が望み牡鹿半島に金華山見ゆ

隠されて滝一すじのひびくかな冬に入りにき奥の山かな

高倉の公会堂に松一本冬に入るかな流れ清しも


南相馬市の原町区のフラワーランドから金華山と牡鹿半島が見えた
新地からは見えていた、冬晴れだから見えた
あそこは絶景ポイントだった

それから蔵王は八沢浦から見えていた、でも今度鹿島の右田浜からも見える
それは松原がなくなっため見晴しが良くなったためである

こうして実際に住んでいて見える場所が一つの地理の世界圏内を作る
福島市は阿武隈高原にさえぎられて見えないのである
吾妻山は霊山の方に行かないと見えないのである

だから福島県の問題は地理的一体感がもていなことなのである
むしろ仙台の方が交通的に便利だし地理的一体感がある
なぜなら海を視界にすると原町からも牡鹿半島と金華山が見えたからである

例えば船で航海する時必ず牡鹿半島が見えて金華山が見える時まず船で迷うことはない
必ず目印となるものが見えるからである
だから古い時代から船で行っても迷わないのである

蔵王が見える所も一つの地理的一体感がある、いつも見えるとそれが親しくなるからだ
山形県は遠い感じがするが蔵王が見えるということで一体感が生まれる
地理からすると会津は別世界になっている、だから福島県はハマ,ナカ、アイヅとあると地理でも違っている、浜通りからすると阿武隈高原でさえぎられて浜通りは閉ざされている
目の向く方向は仙台方面なのである、人間的にも仙台に移り住むとか結婚するとか人間の交流が多いのである

浜通りが阿武隈高原によってさえぎられる、視界がさえぎられる、でも仙台とか牡鹿半島とか金華山は視界に入ってくる、そこで地理的一体感をもつことになる
だから地理的一体感というとき県で区切るのは無理だとなる
ただ日本の地形は山に囲まれた盆地が多いからそこが一つの地理的一体感をもち国の感覚をもつ、小国というのがそうなのである、これは山に囲まれたまさに小さな国なのであるその小国というのが全国に多いからそういう地理と風土の国だとなる

高倉の公会堂の前に松一本があったのもあっていた
あそこも前は放射能被害があり荒地化して若い世代は流出したとかあった
今度は洪水で被害があった、ただそういう村は昔からつながりが強い
でもあとから入ってきて住んでいる人もいるだだろう
第一そこで山里の生業自体がなくなっているからである
高倉は橲原とかともにている
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高倉の公会堂

2019年11月17日

洪水で注目された中小河川 (川を考えるー川とともに人間の生活があった)


洪水で注目された中小河川

(川を考えるー川とともに人間の生活があった)

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地理的一体感をもつ領域

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クリック拡大−南相馬市の河川


今回の台風で注目されたのは中小河川である、田んぼの中を流れている小川でも氾濫して砂がでてきたというのも不思議である
そんなところにも砂があったのかとなる、山からも砂礫となり砂が出て来た
普通は砂をみかけないのである、大きな川には砂州とかあるら砂はあっても小さい河川だと砂が見えないのである

そしてそもそも砂がどうしてできたたきろうかとなる
それは岩がいろいろ作用を経て砂になる、岩が風化して石になりやがて砂になってゆく
でもそれをイメージすると岩がそうして石になり砂になってゆく過程はその時間は億年とかなる、その時間のスケールが長いからイメージできなくなる

その砂から植物などの有機物が苔などが交じり土となる、その過程にも時間がかかる
海岸の砂浜は川が運んできた砂でできている、つまり山にも土にも大量の砂が含んでいるそれが川の水が運んでくる、そうして扇状地ができる
そこは人間にとって暮らし安い場所だから人口が密集するのである

川で今回注目されたのは無数の中小河川だった、それがあふれて被害になったのである
丸森でも阿武隈川は決壊していない、そこに流れている中小河川の堤防が決壊して被害になった、それから大量の土砂が山から流れて来たのである
だから日本の国土には無数の川があり特に中小河川がある
それが山が多いからそこに水が蓄えられて川となり流れてくる

そしてその川にそって田んぼができる、水が川から供給できるからである
つまり川が田んぼを作り村や街を作る、ただ日本の川は大陸の川のようち長大ではないから輸送には使われない、ヨ−ロッパの都市は河によって作られた
川が輸送のためにあり荷物が運ばれるから商業都市ができてその都市と都市が川で結ばれていたのである

日本の特徴は今回の台風の洪水でわかったように無数の中小河川がクローズアップされたことである、だからそんな中小河川が危険だと自覚していなかったのである
真野川は二回大きな洪水になった、堤防が決壊して二回氾濫した
それで私の家は街で一番低い場所にあるので二回を床上浸水の被害になった
その後川幅を広くして堤防を強化したので氾濫しなくなった
でも今回は危険な状態だったのである

洪水はダムでは防げない、高の倉ダムはすぐに満杯になり放流した結果、被害になった
緊急放流して8人死んだ所もあった
また溜池も決壊して被害がでる、つまり溜池でも満杯になり決壊すると被害になる
それはダムと同じだからである
人間は自然の力を制御できない、それは津波でも証明された

原発事故でもそうだった、津波でも東電では十数メートルの津波が来ることを予想していた、でもその対策ができなかったのは人間側の都合だった
コストがかかるとかいろいろ考えてできなかった、そんな人間側の都合など自然は考慮しないのである、そこに人間の力の限界がある

人間は自然を計ることはできない、計られ存在である
いろいろ計ってみてもそれがうまくいかないのである、原発にしても本当にそれを運営するには超人間的なスーパーマンにしか運営できない、そういう人がいれば運営できる
いろんな専門家が集まっても政治家でも官僚でも科学者でも学者が集まってもできなかった
そしてそこには必ず金の問題があり金をかけたくないとなり津浪対策もしなかったのである、それは人間側の都合でありそんなことを自然は見ていない
そこに容赦なく自然の力が襲いかかってくる

結局洪水を防ぐにも多角的な対策が必要になる、ダムがあるから安全ではないしかえって緊急放流で危険になった、堤防の強化も必要だとか避難を速やかにする対策とかいろいろある、何かそうして総合的に見ることが大事なのである
ただ人間社会は総合的に見ることが苦手なのである
第一もう人間社会自体総合的に見れる人はいない、それはスーパーマンしかいない
それで対策不可能になっているのだ

郷土史というときこれも何か人間の歴史だけではないその土地の歴史を知ることでもあるただ郷土史というより私の探求していることは郷土学だとなる
これは総合的な学問だということを知った
地質学でもなんでもあらゆることが関係していたのである
一科目ではない、あらゆるものがかかわるものが郷土学だったのである
だからとても一人では追及できないものだった、そこに限界があった
私は科学的知識が欠けていたから余計にそうなったのである

まず身近な川を知るにしても川は一つのものとして下流からでも上流へとさかのぼらねばならない、すると全体としての川を知ることになるがこれも大変なのである
常に人間は断片として地理でも土地でも社会でも見ている
川全体を見れないのである、ても川でも地理でも全体を見ることが必要なのである
土地はつづいていて全体としてあるからだ
だから飯館村で放射性物質のフレコンバックが雨で流れだしたという時それは南相馬市に流れて来る、飯館村の放射性物質は真野ダムにたまり南相馬市にも流れて来る
他にも川がありそれを伝って流れてくるのである
だから別々のものとして市町村でも区切られないのである
そういうふうに断片的に部分的にのみ自然でも社会でもみるとそこに必ず問題が起きて来る、ただ人間は総合的に全体的に見れない、視野が常に狭いのである
そこで問題を解決できないのである

とにかく川というとき大きな川には注目している、小さな川には注目していないかった
でも地図を見ればわかる無数に中小河川がまるで血管のように流れている
その中小河川にそって田んぼができている
そういう風土として日本があった、川でもそうだが大きなものは注目するが小さいものは注目しない、でも小さい川も自然の体としてみるとき毛細血管のようにあり自然の中で機能していた、そういうふうに人間は自然でも全体を見れないのである
自然は全体でありなんでも全体として作用してくるのである
体でも一部分が病気になることは全体が悪くなり一部分が悪くなる
人間はトータルな思考ができない、それが人間の弱点でありそれで失敗する
原発事故だって誰もその全体を知るものはなかった、原発とは一見自然と関係していないようで関係していた、津波でも安全対策として必要だった
それを東電では予想していたのに対策しなかっただけなのである

現代は複雑化して専門化して全体を見る力がなくなった、郷土学というときそれは全体を見る学問だった、一地域でも相馬藩としても広いからである
全体をみたとき地域的に見たとき何か相馬藩は歴史的にも伊達藩と対立したが宮城県の方と地域的にはつながりが深い、阿武隈高原にさえぎられて福島市とかは視界に入らないからである
それと海を通じて宮城県とつながることが津波の被害でわかったのである

海底谷は日本の周辺にたくさんありますが、 じつは東北地方にだけは大きな海底谷を見つけることができません。
陸上には断層も多いのにまるで海底が調査できなかった時代の地形図のように川は海岸線で終わっているのです、これはいったいどういうことでしょう
その理由は東北地方の沖では絶えず海溝型の大きな地震が起こってるためです
地震が発生すると斜面にたまった堆積物が不安定になり地滑りや斜面崩壊などが起こります、そのため大量の堆積物が陸上から流れ込んできて海底の断層を埋め尽くしていまい、海底谷が見られないので

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藤岡換太郎. 川はどうしてできるのか 地形のミステリーツアーへようこそ (ブルーバックス)

このスケールも時間的に空間的にも億年とか地球の大陸が分離する前の川が海に残っているとかなり川のドラマを語っている
ここで注目したのがいかに東北地方とか三陸辺りとかがもともと地震の巣になっていた
そういう危険な場所だったのである、ただこうしたとてつもない地質学的スケールとなると人間は見れなくなる
ただ津波でそういう危険な場所だったということを自覚させられたのである
だから川と海も分離したものではなく地球は一つの総合体だということを知るべきなのである
posted by 天華 at 10:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年11月18日

私はこうして田舎が嫌いになりました (農業の価値を追求してもできない時代)


私はこうして田舎が嫌いになりました

(農業の価値を追求してもできない時代)

縦書き小説
https://pdfnovels.net/n4463ce/main.pdf

これは小説というよりドキュメントである、ここは本当の限界集落であり老人しかもういない場所である、もう消滅する村である
もう跡継ぎになる子供のいる世代もいないからである
だからなんとか若い子供のいる人に来てもらいたいとしてその若い人を招いた
でも実際その部落になじめず出て行った
「村八分」にもあった、すでにそこで二組が新しく入ってきたが定着できなかった
それが生々しく語られている
縦書きだと読みやすくなっていた

農業を歴史的にふりかえれば文明そのものが農業から始まった
エジプト文明3000年も小麦中心の農業文明であり、中国文明も農業文明でありマヤ、インカの文明もトウモロコシを主食とした農業文明である
牧畜文明はあったがそれは大きな文明とはなちなかった、モンゴル帝国は文明とは言えないからだ
ローマ帝国はもともと農民から発したというのもそうである、その人たち貴族の名前に野菜の名をつけているのが多いというときもそうである
農民だから最初質実であり堅実だったが豊かになって贅沢しすぎて弱体化したとされる
そもそも人間の歴史は産業革命が起きるまで農業が主体だったのである
漁労というものがあっても農業が主体でありそれに牧畜が交じったのである
だから人間の歴史は農業を知らなければわからないとまでなる

明治維新で確かに日本はヨ−ロッパの文明を取り入れて工業化したが戦前までは8割が農民だったのである、それも小作などが多く貧乏な農民国家だったのである
それは江戸時代のつづきだったのである
戦争が終わってもそうだった、戦争の引揚者は働く場所がないからいたるところで開墾に入った、すぐ近くの小池にも開墾に入った入植者がいたのである
いくらかの土地があればそこで農業するほか生活する方法がなかったのである

そもそもてぜ満州のような所に日本が新天地を求めたのか?
それは農業するためだった、農業には土地が必要である、そこには広大な土地があり農業ができるということで満州が憧れの地となったのである、そこは寒いから農業の適地ではなかったがとにかく土地が広大だから農業的価値観だといい場所となっていた
それで日本人は米すら作っていたのである
戦争終っても今度はブラジルとかに南米とかに移住したのは仕事がないから土地を求めて農業するために移住したのである

そういう歴史をふりかえると高度成長時代から工業社会になった、農業している人は一割にも田舎でもいないのである、その女性は古い農家に野馬追に出た郷士の家に嫁いだとしても土地があっても夫は会社員であり女性もそうである
その女性はだからなんら農業の話ができない、土地は貸している、農業に一切たずさわらないのである、紙漉きもしていたというがそのことも何も伝えられていない、それを伝えてくれる人も死んでいるからである
だから何かその人と話ができない、農業に興味があっても一切農業のことは知らないのである、農家に嫁ぐことは昔は相当に嫌がられてみんなサラリーマンに憧れて嫁いだのである、その家には姑もいないから楽なのである

ただ私が農業のことを言う時、農業を実地にすることではない、農業を通じた農業の暮らしがありその暮らしの価値を求めているのである
それは何か限界集落に田舎に住みたいという人に共通している
都会は東京などは嫌だとして田舎の自然の中で暮らしたいというときそうである
農業には確かに米と野菜を作りそれで生活するということがある
それと同時に農業から生まれる暮らしがありそれが価値となるのである
その価値は工業から生まれる価値とはまるで違ったものなのである
自然に密着したものになるから自然に通じるものだから都会の工業社会商業社会で暮らすのとは全然違ったものになる、その人も最初は星がきれいだとか田舎の風景に都会にないものを感じて良かったと思っていたのである
ただ姑息な田舎特有の人間関係とかに嫌気がさしてまた都会に帰ったのである

結局はそれは自分自身の矛盾でもある、農業的暮らしの価値をもとめてもそこで実地に農業することは別なのである、田をするにしても水をひくにしてもそこに人が必ずかかわりその人の関係があまりにも濃密になるのでうまくいかない
第一若い人が必要だとして招いてもよそ者を嫌っているからだ
田舎ではよそ者を嫌う、そして農業だと三代つづいて一人前とかされる、それで仲間になれる村の一員になれるとか旧弊な世界なのである
そこで幅を利かすものはそこに代々住んだ人であり草分けとかである
その人の指導がないと農業はできないからである、だからそういう人達の機嫌をそこねては暮らしていけない、それでこの辺では越中とかから来た真宗系統の移民が悪い土地を開墾して苦しんだ、その人たちはなぜ飢饉の後に来たのか?

そこには飢饉のために放置された土地があったから

農業社会では土地が最高の価値あるものだったからそうなった
そしてわざわざなぜ命がけでも来たのか、土地が与えられて農業できるからだとなる
越中から命がけ移住する理由がありそれは強いられたものだったのである
それで相馬藩内に定住するようなったとき相当に苦労した、
苦しくて加賀泣きということが伝えられている、泣いていたということである
この限界集落に来た人もないていた
でも別に今はそんな苦労する必要ないのである、その人たちはもう故郷には帰ることができない、だから我慢すぴる他なかったのである、帰ったら藩から罰せられて死刑にされるかもしれないからだ
つまり簡単に限界集落で田舎の生活がてきるとして移住したとしても嫌だったら都会に帰ればいいとはなちなかったのある
なぜ田舎に定住できないのか?それは別に強いられないからである
人間はあえて苦しい方を選ばないのである、苦しい方を選ぶのはそう強いられたからである

ただ今になるとそうして都会の若者でも田舎に憧れる、それは都会的生活が嫌になっているからである、農業とか田舎を求めるのもは自然と密着しているからそこに憧れる
農業の暮らしの価値を求めているのである
農業の田舎の暮らしの価値は都会の価値とは違う、収入は少なくても時間がゆっくりとすぎてゆくとか自然とともに暮らすとかある
そういう暮らしの価値を求める、農業というのは何も米とか野菜を作るだけではない
それにともなう田舎の農業の暮らしの価値がある
だから飯館村では山菜料理が定番でありそれは山から山菜をとってそれを食べる
その山菜は無料なのである、それが都会に出て行ったときその暮らしが失われたから淋しいとなっている、つまり生業を返せとして東電を原発事故で訴えたのはそういうことがあった

ただそういう農業の田舎の暮らしの価値は具体的に金になったりしないから農業だけだと貧乏になっているから農業はしたくないとなっていたのである
私が知っている援助している畑で野菜を作る女性は実際はそこで何もとれない
ただ農業の話を聞いているだけである、なぜか勝手に草むしりされた金を要求されたとか何にもそういう人がいる、そして金を払わされる、一年でなんだかんだで10万とか払わされている感じにもなる、実際そこでは何もとれないのである
これは本当である、そこで聞かされるのは周りとのいざこざである、盗まれたとか鳥に虫に食われたとかネズミに食われたとかキジに食われたとか農薬だ肥料にかかる、種にかかるとかそういう話を聞いているだけなのである
ただ畑をするにしても実際は周りとの関係が必要なのである
趣味のようなものでも必ず畑で仕事することは隣がありその人間関係がめんどうなのである
だから隣の人が嫌だとしてその人が死んだ時喜んでいたのである
田畑は本当に孤立してはできない、密接な人間関係があってできるのが農業なのである
だからもう限界集落のような場所ではとても都会で暮らしていた人は適合できない
それよりもうそこには子供もいないし跡継ぎもいないからまさに限界がきて廃村までになる

ただ田舎という時農業の暮らしの価値があることが見逃されている、現実に田畑がなくなったら田舎ではない、そこに田畑があり暮らしがあって田舎なのである
ただ自然の中に家があるだけだったら田舎ではない、その農業の暮らしの価値があり
ただ田畑で米を作ること野菜を作るだけではない価値がある
だからそういう暮らしがなくなったら田舎の価値もなくなる
だから飯館村で山菜料理が定番となるとそれが山の村の暮らしなのである
それがなくなったとき淋しいとなるのである
でも原発事故以後飯館村は福島県で収入も最低だったが公務員の給料でも上がっている
補償金などで財政が豊かになって学校とか施設は立派なものができてもそこに今までの山菜をとるなどの生業としての暮らしがなくなった
そこは外から見ても価値がなくなった、残念だとなる
ただその土地に住む人はかえって金が入って新しい家も建てた人がいて良かったと思っている人もいる、だから外から見るのと実際にそこで生活するのとは違っているのである
ただ正直飯館村の価値はかなり失われてしまったことは確かであり残念だとなる

とにかく農業の暮らしの価値を知らない関心がないというのは田舎に住んでいておかしいとなる、浪江の原発で働いていた人は全く農業に関心がないから事故後でも年金など老人はもらえないのに金をもらって良かったとしているのである
回りが草ぼうぼうになって田畑がなくなっても関心がない
それはすでに田舎に住んでいても都会人になっていたのである
今は農業社会でないから田舎でもそうなっても不思議ではないのである
今は電気社会でもある、電気がエネルギーとするときそれが重要になる、仕事も電気関係が多くなる、原発で千人も電気関係の人達が仕事をしていたことでもわかる
そういう社会では田舎でも農業の暮らしの価値を認める関心がある人は少ない
ただうまい米を食いたい野菜を食べたいとか果物を食べたいとかあってもその暮らし自体の価値を認める関心がある人は少ないのである

ただ原発事故以後耕作放棄地がこの辺では増えたというよ小高と浪江だと元の原始の状態にもどった、草ぼうぼうの荒地化した、その土地を利用する人はいない
するとその土地をかえって外から来た人でも利用しやすい、土地を集約して大規模農業にしやすい、それだ小高では農業会社ができて会社員として雇う、そうなると限界集落で一家族が入って苦労することはないとなる
農業はやはり土地を得ることが最初の関門だからそうなる
だから原発事故周辺は何か新しいことをしやすいとういこと反面ある



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2019年11月19日

農業は自然のリズム、工業は機械のリズム (風力発電がとまり刈田となり山眠るとなった)


農業は自然のリズム、工業は機械のリズム

(風力発電がとまり刈田となり山眠るとなった)

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久しくも風車のとまる刈田かな

山眠る風車のとまり田舎かな

台風で電源装置が水につかった、それで風力発電の風車もとまった
それも奇妙な風景だった、田んぼの稲が刈られてそこは刈田となる
それが俳句だと季語になる、つまり農業だとやはり自然の一環として成り立つ
だから冬になれば刈田になり冬田となり田んぼも休むのである

ところが工業は休むことはない、休むことなく働きつづける、それで機械でもロボットでも疲れることがないのである、工業社会は自然のリズムとは違うのである
機械に人間でも自然のリズムに反して合わせる
だから冬でも休まないし機械は休むことなく稼働つづけるのである
そして人間も休むことがない、機械のリズムに合わせるのである
もう一秒単位で機械のリズムに合わせて人間も働かせられる
江戸時代までは時間は寺の鐘で知らされた、それは今の一分刻みの時間とは違う、おおざっぱなものである
第一チクチクと時計が動くのとゴーンと鐘が人間の手でつかれるのとは感覚的に相当違っている
時間はゆっくりと進んでいたのである
江戸時代と明治時代では時間の感覚も根本的に変わってしまったのである

それは明治以降人間でもそうなったのである、工業化機械化して精密な時計が作られて
その時間の単位は一分単位とかになり人間は工場で機械のようにロボットのように働かせられるようになった
その工業社会に合わせて近代的な学校ができたのである
学校とは工業社会になった時、その社会に適合させるために生まれたシステムである
だから学校は世界でもどこにでもある、それは工業社会に不可欠だからそういう集団を一律に教育するシステムが作られた

だから社会をみるとき江戸時代と明治になったときその相違を見るとわかりやすくなる
対象的にわかりやすくなる、寺子屋だと机があったとしてもばらばらなのである
学校のように並んでいないのである、先生にしても何か個別指導のようなことをしていたかえって江戸時代には自由があったとなる
それは教える科目も少ないとか明治以降の近代化とは全く違った教育だったからである
読み書き算盤ができればいいという時代だったのである
今になると私は算盤を習ったけど何の役にたたなかったとなる
教育も時代に合わないと後で何の役にもたたないとなる
それは時代が技術が変わりそうなる
今やパソコンやITの進歩で変わってしまったように技術革新がすすむと例えば銀行はもうキャッシュレスになりいらないとまでなる
つまり銀行は時代に取り残された過去の遺物となるかもしれない
そういう変化が激しいから老人はついていけなくなる

とにかく工業化とか情報社会とか社会自体が変化する、そこでまた様々な問題が生まれる現代人文明人がなぜ鬱病とかいろいろ不適合症状が生まれるのか?
それは農業社会だったら自然のリズムとともに生きていた
だから一分一秒刻みで時間に追われことがなかった、だからストレスも少なかった
現代人は体の不調と精神の不調になりやすいのである

江戸時代は仕事でも大工などでも午後二時頃までしか仕事しなかったとかなるとのんびりしていたとなる、仕事に追われてはいないのである
近代化して人間は働く機械にロボットにされたともなる
つまり機械というのは自然のリズムとは関係ないものである
すると機械は休むことなく夜でも働きつづける、電気でも送りつづける
すると昼も夜もなくこうこうと電気がついて明るく人間は眠らずに働くともなる

人間はもともと生物だからやはり自然の産物だから自然のリズムに合わせて生きるのが自然なのである、だからこそ機械のリズムに合わせるから体でも心も不調になってくる
例えば山眠るという季語は冬の季語であり山も冬に入ると眠りに入る
それが田舎だと冬は休息の時であり山が深く静まってゆくことで心の安らぎを覚える
でも都会になると冬でも眠らない、延々と働き続ける
不夜城のように人々は働きつづける、それで人々は心も不調になってくる
そういうこと文明生活自体に反逆して天才的な人はアウトサイダーになった
ニーチェとか上野霄里氏とかである、そういう人は強力な並外れたエネルギーの持ち主だから文明的機械的非人間的非自然的な生活に耐えられないのである

私の場合は平凡な人間だけど何かそうした文明生活に適合できずに遂に無職で人生を終える、それはニートとかともにている、その人たちも文明生活に適合できないから無職になったともなるからだ、ただアウトサイダーのように強力なエネルギーはない人たちである人間が自然のリズムに合わせることが本来の生である
夜は人は本当は休止すべきで眠りに入る、朝は日の出とともに働くのが心身ともにいいことでありそこに鬱病とかにはならない、自ずと自然からエネルギーをもらい元気になる

そして冬には冬の役割がある、冬は作物も育ち安いというは意外だけど実際に畑で野菜を作っている人がそのことを熱心に言っていたのでそうなのだと思った
冬はふゆー増えるだったとは知っていた、でも現実に冬は土がかえって働くのである
つまりそれも自然のリズムから生まれた言葉である
第一季語はほとんど農業から生まれている、だから冬という言葉自体が農業を実地にしている人から生まれた言葉だったのである

ただ人間は冬は休んでいいかとなると別に江戸時代でも休んでいない、どうしても毎日遊んでいることはできないから出稼ぎとかに行ったり夜なべ仕事とかもしていた
藁で草履を作ったり縄を作ったり何か金になるための仕事をしていた
農閑期は戦後も出稼ぎをしていた、どうしても金が必要な時代になったからである
それで双葉とか大熊辺りは出稼ぎ地帯で地元に住んで働きたいということで原発を誘致したのである、出稼ぎ時代というのはここだけではない全国的にあったのである
原発は二三倍の金をもらえるからこの辺では働いた経験のある人が多いのである

そもそも人間は自然から離れて東京のような大都会に住むことはもう人間でありえなくなっている、それは人工化した荒野ともなる、そこで人間は働くロボットとされる
そこで心身共に不調になるのは当然なのである
自然のリズムから離れた生活でありストレスが自ずとたまるからである
それは動物でも工業化すると休むことなく卵をケージのなかで生まされつづける
夜まで電気をつけて産まされ続けて鶏の寿命が10年あるとして二年で廃用になり肉にされて始末される、そういうことを動物にするとき人間も同じことをされるのである
だから放し飼いの鶏の卵を食べる方がいいというのもわかる
そうして産まされた卵は体に悪いというのは本当だと思う
相当なストレスをためて産まされているからだ

何か近くに鶏が庭鳥が庭の鳥がまさに放し飼いされて自由に歩いていた、そこで庭鳥が鳴く時なんともいえない解放感とか自由を感じた
ニワトリも本来はそうして自然の中で自然のリズムの中で飼われるべきでありケージで飼われるべきではない、機械にロボットにされるべきではないばのである
ニワトリはそうして卵を産む機械としてその生でも十年あるのに二年で廃用になる
そういうことは人間に跳ね返ってくる、人間もニワトリと同じように働かせられる
機械のリズムに合わせて働かされるのである
そうしてニワトリをケージに入れて玉子を産ませる業者でも嫌悪感をいだく、それは鳥籠に鳥を飼っているのともにている
そういうことは動物だけではない、人間にも適応されている、文明人は何らかでこうしてケージに入れられて飼育されて卵を利益をあげるロボットにされている

だから現代では働くことを否定する人が多くなる、それでニートか増えているのかとも思う、また働かなくてもいい環境があるから食べることができるからそうなっている
私自身も我がままだったとしても社会に文明に適合できなかったのである
だから遂に死ぬまで無職だったとなる
ただ自然のリズムに合わせて生きてきたことは確かである
その結果としてわからないにしても体が弱くてもまだ病気になったにしろ元気でいるのかもしれない、無職になることの効用としては自然のリズムの中に生きることができる
ただ危険なのは社会性を失いニーチェのようになる
社会性はやはり人間の生活で基本的に必要なのものである
自然の中で社会を離れて仙人のように人は生きることはできないし人格も形成できないのである

ただ現代文明に適合している人たちはニートとか無職を常に優越感で攻めているけど
異常である、普通だったら現代文明に適合できなくなるのが正常だからである
それで適合している人は異常化しているとなる
そういう異常な人と合ってひどい目に合ったのも自分だった
そんな人がいるのか、そんな夫婦がいるのか、何か結婚しない人が常に責められるけど結婚している人がそれほど称賛できるのか?
奇形のようになっている夫婦もいる、その人は文明社会では正常であり責められないのである、確かにニートとか無職は異常である
でもまた社会に適合して正常と思える人も異常だったのである
異常人格が形成されていたのである
だから何が異常か正常かもわからなくなるのである
文明そのものが異常として批判するのも理解できるのである

人間の価値は多様である、でも金になることしか価値あるものとして見れない
金を産まない人は無価値とされる、農業だと都会の人だったら米でも野菜でも果物でもそれがどれだけうまいかとでその価値を判断する
ところがその米や野菜や果物がとれる背景とか基盤とか自然とかは考慮しないのである
農業の本当の価値を知る者はそこに住んでいる人である
そこに住まない限りただ米でも野菜でも果物でも食べれても本当の農業の価値はわからないのである
農業という暮らしがありそれはそこに住んでみないとわからない、実感てきない
だから田舎では農業をしている人がいればその価値観を共有できるとはなる
ただ田舎でも農業をしている人は一割とかなるとまるで都会人の価値観に生きている人も普通なのである、だから原発事故で田畑が草ぼうぼうになっても全く関心がない
かえって補償金で年金のようにもらったから良かったと喜んでいるのも異常なのである

いづれにしろ自然から自然のリズムから離れて生活することは人間を奇形化する
奇形人間を作り出しているのである、それでアウトサイダーは徹底してそれを批判したのである、ただ社会性がなくなりその本人も狂気したとはなる
自分自身も社会性が喪失していて介護になり社会とかかわり苦労したことでもわかる
とにかく冬はどうしても休む時期であり山眠る時期である、だから風力発電の風車もとまっているのがふさわしいとまでなる
でも自分自身だって夜も電気なしでは暮らせないのである、こうして文章を書いたのは蛍光灯の光の下でパソコンでしているからである

農業には基本的に農作物を作るというだけではない、農業から生まれる暮らしの価値がある、でも金が払われるのは農作物である
都会の人が手に取るのは米であり野菜とか果物だけである
その農作物をとれる場所て生活していないのだからそこでの暮らしは関係なくなっているその暮らしに金を払う人はいなのである
その暮らしの価値を知るのはそこに住んでみないとわからないからである
でもその暮らしの価値に金を払われることはない
それで生業を失ったということで東電に生業を返せと裁判を起こしたのである
でも地元の人でもその農業がその暮らしを尊重していた人はまれである
戦前辺りだと本当に農業が貧乏でも苦しくても農業の価値に生きていた人はいる
それは過酷だったのである
だからこそ親に農業だけはするなとして殴られてその子供は原発や建築現場で働くようになったのである








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盲人が復興団地の慰安に来た (大阪からでギターとか音楽での慰問である)


盲人が復興団地の慰安に来た

(大阪からでギターとか音楽での慰問である)

今日午後から駅に回ったら盲人が二人来ていた
復興団地で音楽会してし慰安したという
鹿島の復興住宅はある、浪江の人たちがシシドスーパーの隣に住んでいる
その人たちのことなのだろうか?鹿島には復興団地とか大きなものは建っていない
原町の復興団地にも行ったのかもしれない
そして鹿島駅から乗ったとなる、原町だと復興団地が4階建てとかで多いからである
そういう需要は原町だとあるからだ

ただまだそんなことしているの?

盲人が二人来るとなると手間である、案内の人が一人ついていた
ギターをもっていた
盲人は琵琶法師とかもごぜとかも盲人であり歌を歌ったりして金をもらっていた
座頭などは按摩だった、何か食べるために盲人でも仕事しなければならない
それで鹿島駅には浜吉田から按摩するために仕事で定期的に通っている人がいる

でも慰安するにしても何かかえって援助がないとできないともなる
その人は大阪と神戸の人だった、大阪の人は本当に良く来る
名取で乗り換えて仙台空港から大阪に帰る
だから鉄道は空港へのアクセスのために不可欠だとなる
鉄道と空港が結びつけば鉄道も活きてくるとなる

そこで何かおみやげがないかと言われたがここでは売っていないと言った
何か仙台でずんだもちを買いたいとかしきりに言っていた
空港で買えるだろうと言った

今日は風が吹いていたので遅れたていないかと見に行ったのである
実際原町行は10分とか遅れていた
だから仙台行きも途中で遅れるとういことがありうる
風がこれから吹くと新地辺りで止まるからだ
原町行が遅れると次に仙台行きが遅れる
それで困るのが飛行機は時間に遅れると乗れなくなるし後の便もなくなる
それが一番怖いのである
外国に行くときそれで本当に怖い目にあったからだ
乗り遅れたら大損になる、そして成田空港だと一時間以上とか時間がかかりすぎていたのである、羽田空港だと楽なのである

いづれにしろまだ復興団地に慰問に来ているのも意外だった
もう9年とかにもなる、そんな時は過ぎたようにも思うからだ
ただどういうわけで来たのか良くわからない
もしかしたら仕事として来たのかもしれない、音楽興業だったのかもしれない
ただ盲人は音に敏感になるから音楽に向いている
盲人のピアニストが脚光をあびたのもそのためである

最近は駅に昼間は寄っていたが案内はしていない、今日は風が吹いたので様子を見に行ったのである
自転車で風の中を原町まで行った帰りに寄ってみたのである

冬野に北風の余韻が・・・ (冬に入る故郷を自転車で回る)


冬野に風の余韻が・・・

(冬に入る故郷を自転車で回る)

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仕事場に大工の家や冬の菊

唸りける風の余韻や冬野かな

山眠る風車のとまり田舎かな

大内や門に松古り冬の暮

蔵に松紅葉の映えて門古りぬ


今日は北風が一日吹いた、でも寒いとも感じないから気候が変なのだ
だから秋なのか冬なのかわからなくなる、まだ秋とも感じるし冬にもなったのかとも
明確に季節を感じないのである
こうなると俳句だと季語でも活きてこないとなる

何度も言っているけどヤマハの電動アシストMTB YPJ-XCだと風の中でも走れる、馬力があるし風でも走れるのである、だから今日も原町辺りを回って走って来た
人間はやはり北風でも風を体で感じることが自然に通じることである
車が風をシャットアウトする、すると自然を感じなくなる
中は居心地がいいのだか自然は感じないのである
風土を感じるという時風を感じることが風土を感じることだからそれがなくなる

そして冬は冬らしいものを感じるのがいいのだ
田舎だったら刈田から冬田となり冬野になる、それが都会にはない、ただ仙台辺りだとまだ郊外が自然状態があり冬野とはなる

人間には荒野も必要である、何もない所は聖なる場所になる
だから砂漠に神は住んだのである、砂漠が神が住むにふさわしい場所だったのである
そして冬に入り山眠るとかなり自然は休みに入る
そういう自然のリズムに生きることが人間にとって精神的にも健やかにするのである
だから「風流は寒きものなり」というときあまりにも車のように風もシャットアウトしてあたたかいとかなると自然を感じない、だから感受性まで退化してしまうのである
機械化した現代は自然への感受性が弱くなっているからだ
つまり五感が衰えているのである

例えば危機感でも感じなくなる、津波でも第六感のようなものが働いた方が助かったともなる、あまりにも機械に報道とかにも頼り過ぎて逃げ遅れたということもある
人間の動物的感が衰えたためだともなる

田舎の生活でいいのは本当は冬かもしれない、冬ごもりとかあり冬は籠っていて思索するのに向いている、本当の冬は雪国にあるのかもしれない、雪国の冬は雪にうもれてしまうその期間も長いからである
雪国のことはやはり雪国に住んでみないとわからないのである
ただそこに住んで見れば嫌になる、雪下ろしとかでも嫌になる、移住すらならそんな所にすべきではないとなる
浜通りは気候的には暑くもなく寒くもない土地だからいいとなる
ただこれから風は毎日のように吹くようになる、それで電車が遅れるのである

大内の家はいかにも古いのか?蔵はそういうふうには見えない、大内は津波の被害があったのは山の方に上った所ではない、低地だったのである
その低地に住んだ人は比較的新しく移り住んだ人と言われる
なぜならそこは湿地帯のようにもなっていたからである
古くから住んだ人は山の方高台に住んで津波の被害がなかった
だからこの家は古い家だとなる、蔵がある家は田舎では古い家なのである
街中でも蔵があったら古い家であり目印になる

ただあの家は山の陰になっていて暗い感じがする、人間は住む場所の影響がある
でも写真で見たらそうでもなかった明るい陽射しがさしている
この家は何か旧家のようにも見える、いい門構えである
ここは平地から結構高い場所である
一つの町でも村でもみんな住んでいる場所が違ってそれが心に影響していることは確かである、だから家は家自体をみることもあるがどういう場所に建っているかが問題なのである、その場所が心に影響してくるのである
あそこは何か暗い感じがしていいとも思えなかったのである
家の庭とか写真をとるのも問題がある、勝手に写真をとって出していいのかとということもある、嫌がる人もいるからである
それで庭の写真とか家をとっていたので文句言われたことがあるからだ

とにかく冬に入る、そういう季節の変化でまた人間の心も日本だと特に変化するのであるだから日本人の心は季節の変化が激しいから心も変化しやすいとはなる