2019年10月09日

飯館村の詩(隠されし村)


 飯館村の詩(隠されし村)

kidokiv1.jpg

                        
隠されし村

草深く花は美しく咲き
花は恥じらいつつましく
花は草深く隠れ咲きぬ
一軒一軒森につつまれし家
庭は広く畑ありて花の映える
揚羽蝶は一日花を求めて舞い飛び
疲れてしばし深き木陰に
大石のありて羽根を休めぬ
そこに清流の音のひびき
一羽の小鳥の鳴きて夕暮れぬ
そこに道あれど行く人なしも
そこにあえて声揚げる者なしも
深き森につつまれてひそかに
小鳥の一羽鳴く声のみなりき
そこにあえて装うものもなしも
森につつまれ草深く花の咲きうなだれ
人の暮らしは長く隠されありぬ
そこの森深く未だ知られざる花
つつみ隠されて神の見るらむ
神は道なき道をそっと歩みて
音もたてずにその姿を奥深く隠しぬ


飯館村の一番の不思議は大倉から坂を越えた所の木戸木から森があり清流があったところである、そこは道ができてなくなった
その前から七曲の道があったが車でも不便であり危険だった
でもあそこに清流が流れていて気持ちいい場所だった
ただあそこに戦後開墾した家が十軒くらいあった、それに気づかなかった
何軒はあったが奥にもっと家があった
そこは土地がないから田でも作っても米はさほどとれない、だから相当貧しかった
この?20パーセントちかく戦後引揚者が開墾して入った所が多いのである
浪江町の津島もそうだった、苦労して開墾して住んだから協力して住んだから愛着があるというのもわかる、津島などはもう住めないし帰れない状態になった
そこで中国人の嫁がナタで夫を襲った
その理由が都会に住みたいということだったのである
確かに相当に辺鄙な場所でありそれもわかるとなる
その後どうなったのかわからない

村という時市町村でもそれぞれ個性がある、原町と相馬市は他から来たらたいして変わらないは見るが違っている、相馬市は城があり一応城下町であったからだ
それで入母屋作りに公共の施設はしているから落ち着いて静かなのである
原町は明治以降機関区になって鉄道中心に発展したから駅前通りがある
相馬市はそういうことがなかったのである
原町は鉄道とともに発展した街だったのである

飯館村の特徴はともかく広いということである、未だに行っていない場所があるし一回くらい長泥とかに行った記憶があるけどそれが遠く感じた、自転車だからかもしれないが何か相当に辺鄙な場所だった
あんなところに人が住んでいるというのも不思議だった
ただそこは今は閉鎖されて住んでいない
そして何度も言っているけど飯館村の特徴は一軒一軒が森につつまれて家がある
その前は庭であっても広いし畑がある、そこに花々が映えていたのである
それが何か他と比べて恵まれていたとみていたのである

村にも個性がある、丸森はまた景観的にいい場所であり奥深い秘境のような所があった
飯館村と丸森町は何か特別なものを感じる
村でもいろいろあり地勢も違っているからなかなかわかりにくいのである
丸森も未だに行ってない場所がある、あそこも森が深いのであく
そこでその森の中に入って出れなくなった恐怖を経験したのである

私は別に飯館村に行ってそこに住んでいる人とかかわらない、ただ花を見て帰って来ただけである、でもその時が実はいい時だったのである
今になるともう放射能汚染で土はむきだしになりフレコンパックとか積み上げられて草ぼうぼうなのである、そして補償金争いで村は二分したとかもめている
それは南相馬市でもそうだった、水俣病でも経験者は補償金でだめになったというときここでもそうだったのである
その額が大きいからそうなったのである、ぎりぎりで暮らしている人が一億円とか入ったりしたらどうなるのか?金銭感覚が麻痺してしまうのである、飯館村は被害が大きいから補償金の額も大きくなったからだ

それで小高の人はフィリンピン人の女性に貢ぎ金を使ってしまってないとか異常化したのである
それで自分が小高の人を批判すると「お前は傷に塩ぬって楽しいか」とか批判する
もう被害者意識でこりかたまっている、でも現実はギャンブルとかパチンコでその被害者は遊んでいたのである、それを批判するなというけど事実は事実なのである
批判するべきはそうした内部の人なのである

要するに神はその暮らしを隠したという時、そこはいい場所だったのである
今は人間の醜さがむきだしになっているからだ
飯館村にしても補償金に場所により差があるのもおかしいのである、それは南相馬市でもそうである
隣が高くもらっているのにもらえないとかもある、そういうことで自治体が分裂したのである
そうしたの政府の策略だという人もいるが現実に分断されて団結できなくなっているからうそなのかとなる    

淋しき山々の中にわれは聞きぬ
われを追い来る低き息づかい
目に見見分けがたき動きの音
踏みゆく草生とほとんど同じくかそけき跫音
(ワーズワース)

これは自然に生きる動物のことである、自然の中に入るにはそいうふうに静に入らねばならないのである
ただ大倉の坂道でバイクが飛ばしていたからそういう場所でもどこでも騒音化して乱される
何か現代は自然が必ず壊される乱される、どこまでも侵入してくる
それは何か自然にふさわしくないのである、自然も大衆化とか何かで乱される
神聖な場所にずかずか誰でも入ってくるのである

それは観光でもそうである、外国人が来て商売になるから京都の情緒まで失われるとなる
自然に入るにはそれにふさわしいものとなるべきものだがそれがないのである 
とにかく木戸木の森につつまれた清流の場所は一番神秘的だったのである
なにかその雰囲気が語れない、そういう場所が丸森とかにもある
橲原(じさばら)の奥にもあり未だ発見されていないのである
それはそこに長く住んでいないと意外とわからないのである
だから日本にはいくらでもそういう場所がある、でも地元の人でないとわからない場所なのである

iidatemurapoem11.jpg

 自分が求めたのは秘境だった
(ワーズワ-スと飯館村などのこと(自分の詩)

posted by 老鶯 at 08:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村