2019年10月17日

2019年10月18日

阿武隈川氾濫の丸森町の被害はなぜ? (ここも地形が関係していたのー扇状地帯だった)


阿武隈川氾濫の丸森町の被害はなぜ?

(ここも地形が関係していたのー扇状地帯だった)

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宮城 丸森町 浸水原因は阿武隈川へ流れ込む支流の氾濫か


阿武隈川の流域の概要


今回の丸森町の台風19号の被害は大きかった、そしてまたここでもなぜこんな大きな被害になったのだろうかとなる
津浪でもなぜ津波が来てあのような甚大な被害があった
それで地形のこととかを考察した

津浪になった所はもともと海だった

千曲川でも洪水になった所は川だった、流域であり扇状地だった

阿武隈川の扇状地にできたのが丸森町だった

地図をみて今回の被害の写真をみると丁度阿武隈川が山間から平地に出る所だから扇状地になる場所だったのである
だからこれもそもそもなぜそういう危険な場所に住むようになったのか?

もともとこうした平地は川の扇状地だから住めない、海岸地帯がもともと海になっていたり湿地帯になっていたのと同じである
原初の状態を見ることから歴史がはじまる、災害があるとき必ずその土地の原初の状態を知らねばならない

なぜこれほど広範囲に被害になったのか?
それは阿武隈川が大きい川でありそれが扇状地となるのも広いからそうなった
金山城がある麓の金山にも水が来ているように見える
それは今回は支流が氾濫してそれが広い範囲の被害になったというのもわかる
阿武隈川の本流が水かさをまして支流の水が流れなくなり逆流してブックウオーターになりあふれて被害が拡大した
それは盛んに倉敷の真備町とかでも言われたし今回もそのバックウオーターで被害が拡大した

そして丸森町の斎理屋敷のある中心部から近くに支流が三つくらいあった、金山の方面にも支流があった、その支流があふれた結果が被害が拡大した
とにかく扇状地というのは平坦な地であり丸森のように山が多いとそこが貴重な場所になる、そこで開拓して米を作るようになる
それは海岸地帯を干拓して米を作るために田にしたのと共通している
津浪ではそうした開拓した地域が津波で元の海になったからだ
今回の洪水でも阿武隈川の扇状地帯がもとの川の流域になったのかとなる

ともかく阿武隈川は大きな長い川だから洪水の被害は常にあった
ただ何か被害がないと見ているのは日本人は災害が多すぎて忘れているのである
災害でも10年とか過ぎると忘れることがあるからだ

とにかくその土地をみるとき必ず原初の状態を見ることから始めねばならない
そこから郷土史でも歴史でもありうる
なぜ初めにあったのはその土地でありその地形とか地勢でありそれは今も変わらないからである、ところがそこに住んでいる人たちはそれを意識しなくなるのである
そこがもともと海だったとか川だったとか意識しなくなる
そこで災害に備えられないのである

バックウオーター現象はわかっていた、でもその支流地帯にも人は家を建てている
街を形成している、支流は小さいから安全のようにも見ている
それが今回のうように大きな被害になる

丸森という名前が丸山城がきている、その丸と森が合体して丸森町になった
その丸山城も小高い山の上にあり金山城も小高い山の上にある
その麓に家臣が住んだ跡がある
そこは相馬藩が一時城主ともなっていたのである、後は伊達藩になった
舘矢間(たてやま)という地名でもやはり舘とは館であり小高い山の上に舘があった地域なのかとなる、舘山なのである
だから丸森町は相馬藩と地形的にもつづいているから関心があった
阿武隈川と蔵王を見えるし森が深いから地形的に魅力を感じていた
それで秋になったからまた自転車で行こうとしていたのにこんなことになることに愕然とした

丸森町は宮城県だけど半分相馬藩のつづきであり宮城県の伊達藩でもそうなる
新地は実際は伊達藩でありその後に福島県に廃藩置県で組み入れられた
でも相馬郡になっていて福島県に入ったのである
そういう境界の地域であり丸森町も似ていたのである
ただ地形的に山にさえぎられているから飯館村のように別世界に感じる
日本の地形が山が多いから「山のかなたに幸いがある」となる国なのである

いづれにしろ丸森町は関心があり身近であるから何か応援したいとなる
全国になると何か身近でないからそういう気分になれないが丸森町は身近なのである
ただ何かするにしても寄付するくらいしかないだろう
今回もこんな大きな被害になるとは思いもよらなかった
平成は全く平成ではなかった、令和になってもやはり災害が続いている
これだけ文明が発達しても災害を防げないのはなぜだろうとなる
かえって人は無造作に危険な場所に大勢住むようになった
堤防を作れば安全だとか人工物で防ぐようにしたがそれを上回る自然の力で災害がつづいているのである
人間はいくら文明化して自然の大きな力を制御できないである


posted by 老鶯 at 17:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月19日

自然災害の連続は日本に易姓革命を要求しているのか? (公明党の国土交通大臣は災いをもたらしている?)


自然災害の連続は日本に易姓革命を要求しているのか?

(公明党の国土交通大臣は災いをもたらしている?)



 西日本豪雨災害の死者が200名を超えても、カジノ実施法案で国会審議に張り付いている石井啓一国交大臣(公明党)の「売国的対応」が際立っている。

 米国益第一の下僕のような安倍総理(政権)と足並みを揃え、トランプ大統領の大口献金者でカジノ王こと「ラスベガス・サンズ」のシェルドン・アデルソン会長らが儲かる法案成立(海外カジノ業者への賭博解禁)を最優先、日本国民の生命財産を守る本来の職務遂行を二の次にしているからだ

  職務怠慢にしか見えない石井大臣が真っ先に視察、歴代自民党政権下で国交省が進めてきた河川政策の誤りを認め、方針変更を決断すべき現場がある。堤防が決壊、一帯が水没して死者50人(14日段階)を出した岡山県倉敷市真備地区のことだ
  


 堤防を補強する方がダム建設よりもお金がかからない!国交省の緊急点検で強化が必要とされた約2200キロのうち工事が終了したのは半分にも満たない!?



中国でも易姓革命があり治水が国を治める要としてあった、それに失敗すると政府は転覆される
それが今回適応されるのか?津波の時はなんでこんな被害になったのか天まで恨んだ人がいたのがわかる、自然は無情なのかと思った
現実にこれだけの被害があってもその後に満月が出て輝いていた
全く地上のことなど知らないように満月が輝いていた
だから自然は人間のことに無関心なのかともみる、自然は非情だと見る

相馬市に真備の役所の人なのか応援にいち早くきていた、それは相馬市で水害の時応援に行っていたからいち早く恩返しに来たのである
西日本豪雨では200人も死んだ、今回は約百人である
西日本というと遠いのでそれほど関心がなかったご今度はまた身近で災害の被害が起きた丸森町は隣という感覚であり洪水の被害が大きかった
秋になったらまた行こうと思ったか行けなくなった
あのようになるともう観光という訳にはいかなくなるからだ

テレビで放送していたが東京の被害が少なかったのは東京は江戸時代から荒川など治水の工事をしつづけてきて今までもしてきた、その成果だという人がいた
そして東京中心にした政策がとられていた、治水に関して東京には手厚く地方には予算を回さないとなる
ただ阿武隈川がの護岸工事に800億円もすでに使っているのである
だから全然しないというのではない、それなりにしていたのである
でも今回もそれ以上の雨がふり想定を越えたとなり被害が拡大した

こういうとき何か被害を受けた人は恨む、それで政府も恨む、天を恨むことができないから政府を恨むことになる、確かに政府が悪いとなる面もあったからだ
原発事故の時はなぜ福島に作り事故になったのかを問うてきた
東京に作るのが一番合理的であり安全だったのである

それは一重に東京の安全を守るためだった                  

今回も東京の治水には万全を尽くして地方はなおざりにされた

東京中心の政治に歪みをもたらしている、例えば東京に住んでいる人たちは地方の重要性を感じなくなった、グロ−バル経済で食料は米すら輸入できる、それもうまい米作りが外国でもできるようになったからだ、するとグロ−バル経済では必ず外国との計りにかけるから別に米でも食料でも外国の方が安くていいとなる
また丸森などは木材の供給地として栄えたがそれも外材になりいらないとなる
東京では困らないとなる、戦後まもなくは地方は資源の供給地だった
木材でも石材でも食料でも地方が供給していた
それで森林鉄道が網の目のように張り巡らされて東京に運んでいたのである
それがグロ−バル経済になったとき消失したのである

それで東京では安全を計り地方に原発を作る、それが福島であり事故になり住めなくなった、地方は核の廃棄場にするとかもなる、地方に何か効用があるのか?
そう考えるのは東京中心のグロ−バル経済なのである
そして治水にしても東京中心であり地方には金をかけないとなる
もし地方が前のようにグロ−バル経済でなければ尊重された、地方の経済的効用がなくなったから地方は原発を誘致するとか核の廃棄場しか効用がないと東京中心の経済だと見てしまうのである

地方の工場と会社は東京の人が社長になっていて地元には住んでいない
そうして地元に住んでいない人はその土地に関心がなくなる
ただ利益をもたらすものとしてしか考えない
それは東電でもそうだった、幹部は東京に住んでいるから地元のことは関心がない
ただ東京の安全を計るために原発を福島に建てたのである
もし東京に住んでいれば原発の危険に敏感になるのである
東北電力ではそれで女川原発を津波が来ると15メートルの高台に建てて辛うじて助かったのである

日本の国土は今歪つになっている、国土交通省でも東京中心の政策が進められる
常に東京を守ることが最大の課題なのである、なぜなら重要人物というか政府でも役人でも東京に住んでいるからそこに住む場所が危険にできないのである
地方だったら別にいいとなる、それが人間の習性である
外国でも離れていればそこがどうなろうとあまり関心がないのである

そして原発事故の時は東京に住んでいる幹部と福島原発の吉田所長との意思疎通ができず何もできずに大被害になったのである
離れているからいくら通信技術が発達してもうまくいかなかったのである

だから

東電の幹部は社員でも原発周辺に住むべきだった

そうなれば無責任になれない、安全に万全を尽くすとなるからだ、自分たちが被害を直接受けるとなるからそうなる、その姿勢が全く違ったものとなることがありえたのである
離れているから別に事故になっても東京にいれば安全だとなると安全意識も薄れるのである

自然災害でもそれが政治と関係している、それでここで国土交通省の公明党の大臣を批判するのもわかる、公明党もその創価でも利権団体であり利権中心にしか何でも考えない
そして創価というのは戦後精神的支柱を失った人たちが団地とかに集まり宗教によるコミとニュティを作ってきたのである
地方から出てきて精神的拠り所をなくした人たちが集まったのである
それは宗教でもない、互助団体のようなものだったのだろう
そこでは一切むずかしいことは言わない、一切は許される、宗教の罪だとなんだとかその人がどんな人だろうが一切問わない、どんな性格が悪くても関係ない
ただ一票になればいいだけである、御利益と権力追求しかないのである

だからこれも東京から生まれた宗教でありそれが地方に拡散したのである
つまり悪いものは東京から拡散されてくるのである
東京の歪みが全国に地方に歪みをもたらしているのだ
カジノ問題でもそうである、そういうものも東京とか大都会からやがて地方に拡散されるもちろん金のために積極的地方で誘致しようとするときも原発とにているのだ
その後どうなるのかなど地元の人も考えない、金になればいいというだけである
カジノ実施法案で国会審議に張り付いている石井啓一国交大臣(公明党)
こんなことしているから日本に災害が起きて来る、創価の会員がこれに賛成しているのも解せないのである
これもここがいかに暗黒をかかえているかわかる

自然災害には何かその国の政治の歪みがあってもたらされるともなる
日本の国土は今や原発で汚染されたり洪水になるのも何か歪んでいるからである
それを正すものがない、本当は東京中心の政治をやめるべきである
東京が国土を歪めているのだ、それは宗教なら田舎とか岩窟から生まれたりしている
それは清浄な自然を修行の場として生まれているが都会の宗教はカルトになる
政治でも経済でもなんでも東京中心に成されることが日本の国土を歪めているのである

第一オリンピックなど必要ないのにその意味もないのに国民の大半がオリンピックなどに関心がない、東京オリンピックには関心がありその時は意味もあったのである
今はオリンピックをなぜ東京でしなければならないのか?
それは東京のためなのか?地方では関係ないことなのである
何んでも東京中心になる、復興にしても除染にしても7兆円とかの金が東京のゼネコンに流れたのである、そのゼネコンから今度は今の自民党に還流した、自民党の寄付金として流れたのである、それは高浜町と同じ構図だったのである

なぜこれほど災害がつづくのだろうか?
それは国政にも関係している、もちろん日本の国全体にも関係している
何か日本自体が歪んでいる、日本人の心自体も何か汚染されて歪んでいる
それが自然災害を呼び込んでいるのかもしれない、日本の国土の正しい在り方が問われている
だから国土交通省の大臣が公明党になっていることも原因だとまでなる
それは自民党が利権の配分としてその地位につかせたからである
そして大成建設と創価は密接なつながりがある、創価関係の工事を請け負ってきたからである、つまり利権で御利益で常に結びつく、宗教信仰など一切関係ないのである
巨大な利権団体でありその利権団体と利益で結びつくのが社会なのである
除染にしても莫大な金がゼネコンにこの辺ではもっていかれたのである

日本は今やあらゆるもので再構築が迫られている、そのために天変地異が容赦なく襲いかかってくるのである
日本自体の国土でも大改造が必要になっているのである
中央と東京と地方の歪みとかもそうである、そういうことが原因して今回の洪水もあったすべてではないにしろ第一こんなに連続して自然災害が起きるのか?
日本がそういう国だとしても異常になる
日本国土の歪みが日本人自体の心にも起きていてそれが災害を起こしているのかもしれない、何か現象として現れているのかもしれない
その一因が公明党の大臣が国土交通省の大臣になっていることにもありえるのである
ただ自民党に変わる野党がないということも日本の危機なのである 

何かずるずると安倍政権のみに頼るしかない、そして遂に日本はあるゆることでどん底に陥ってゆく、経済も破綻して日本が犯罪者社会になる
そういうことが自分も経験したからもう日本人がとても昔のような義理人情すらない
非情化している、ただ相手から奪えばいいしかないのである
だから弱者化したとき本当に怖いものとなる、自分自身がそういう目にあってきたからである、相手のことなど全く考えない、今相手が弱っているから金をとるチャンスだとしかならなかった、現実にそして大金を失ったり責められた殺され恐怖にもなったからである今は確かに末世なのである、こういう時はあらゆるものが乱れる
天地も乱れるから天変地異も連続して起こる
その末世をもたらしているのが宗教政党なのかとなる、日本に罰あてるのは宗教政党の公明党なのかまでなる
災害の恨みがそういう発言までさせたともなる
だから易姓革命が必要になってくる、そういう時代の大変化期に来ているのである
そこで起きることは自然災害だけではない、経済の混乱が確実に起きて来る
地獄的社会になる、その後にようやくまた新たな日本が再生されるとなる
そういう痛みをともなってはじめて明治維新のように日本の再生がありうるのである

東京から害悪が拡散される!

グローバル経済が日本の国土を破壊した

そして心も破壊された

私は右でも左でもない、日本の国土を愛すものであり日本の本来の姿をとりもどすことを願う者である、日本のアイディンティティが根本から破壊されている
なぜ東北がこれほど被害になっているのか?
何かそこにもこれほどの災害がつづく原因がある
東北は歴史的に日本の後進国としてありそれが継続しているからである
日本の再生は東北から始まるのかもしれない、もう東京や西ではない
東北から日本の再生が始まることが津浪とか洪水にしても天変地異が起きている原因なのかとなる

posted by 老鶯 at 14:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月20日

鹿島区の水無河原があふれる被害―支流が怖いものだった (真野川もあふれる水位になっていた)


鹿島区の水無河原があふれる被害―支流が怖いものだった

(真野川もあふれる水位になっていた)


真野川

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水が来た所の草は色が変わっている
ぎりぎりまで水がきていた

ここは西町であり街の上である、ここがあふれたら危険だった


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ぎりぎりまで水が来ていた

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流れが変わり砂利が運ばれて様子が変わった
ここは草ぼうぼうだったが草がなくなっていた


水無河原

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ここの流れも変わった

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ここが被害だった、このコンクリートが壊れることは
相当な水量であり水の勢いがあった
下の方の一軒の家は水が来たみたいだ
でもそれほどの被害ではなかった
この水無川があふれるとは思いもよらなかったろう

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こんなに水が流れている水無川は見たことがない
台風のときはあふれるように流れた
だからここでも土手を水が越える危険があった
砂地になったのはそのためである



南相馬市鹿島区の水無河原は普通は流れていない、地下にしみこむ、でも橲原(じさばら)の方の流れはいつも流れているしそれなりの川なのである
ただこの川で今回水が下流であふれた、一部コンクリートの土手が壊された
そこに家が一軒があり多少が水が来たみたいだ

この辺では真野川の上流でも一部被害があったとか新田川の上流の大原の大谷(おおがい)では明らかに被害が報告されている、水があふれたのである

今回の台風19号は意外と雨がふったことがこれでもわかる
支流に雨が相当にふった、だから丸森町では支流があふれて被害になったのである
丸森町には支流がそれなりに大きく被害になった
洪水は支流が関係して他でも多摩川辺りでもあふれて被害があった
だから支流が怖いのだと今回の台風で認識した

まずこの水無河原がこんなに水が出たということ自体驚きだった
いつも水は流れないし川の感じがしていなかったからである
でも水は日ごろはたいして流れていなくてもこのように水が流れるのである

そして真野川自体が危険水位になっていた
上の土手はすれすれであふれる状態になっていた
これも危険だった、避難した人はいた
真野川は二回洪水の被害がある、それで一番被害になっていたのが自分の家だったのである、なぜなら街で一番低い所にあったからである
その後河川改修して水害にはならなくった
でも今回は相当に危険だったのである、だから被害がこれだけあったことを納得した

家にいてそれほどの雨とも思わなかった、でも山には相当雨が雨がふることがある
その雨が集まり支流に流れ込んであふれたのである
またバックウオーターになり支流からあふれたのである

水道を今日水が出ている、水道が出ないのも苦しいと思った
なんでも水を使うからである、今日は風呂に入れるから楽である
この辺はさほど被害がなかったから良かった
でも丸森町の被害は大きかった、あんなになるとは想像もしなかった
とにかく日本は災害の国だとこれほど思い知らされたことはなない
治水が政治の基本にある、それは津波とかでもそうだし高潮でも同じなのである
つまり日本は水害の国だったのである
海に囲まれているし山に囲まれているから雨がふったら水が急流とかして襲ってくる国だったのである

posted by 老鶯 at 11:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月21日

自然災害がつづくのは天罰なのか? (なぜ福島県はこの辺は連続的に災害に合うのか?)


自然災害がつづくのは天罰なのか?

(なぜ福島県はこの辺は連続的に災害に合うのか?)

天譴論とは,「天が人間を罰するために災害を起こすという思想」(14)であり,「もともとは,災害(地震)を『王道に背いた為政者に対する天の警告』とみなす思想であった」(15)というものである.天平 6年(734年),大阪で大地震が発生し多くの犠牲者がでたが,その時の天皇である聖武天皇は,「朕が訓導の不明に由り,民多く罪に入る.責は予一人に在り,兆庶に関かるに非ず」(続日本書紀)と述べ,地震が起きた責任は自分にあるとし,大赦をしている  

全人類の蓄積された不幸と悪行が、ときとして死にゆく神に押しつけられる。神はそれらを永遠に運び去り、人々を無実で幸福なものにする、と考えられている。われわれの代わりに、われわれの痛みと悲しみを他のだれかに負わせられるという概念は、蛮人の思考にはなじみのあるものである」

なぜ王は殺されなければならなかったのか?――『 金枝篇』 J.G.フレイザー

なぜこうしてこの辺では甚大な災害に見舞われているのか?
これをいろいろ追求してきた、他の人も追求している
科学がいくら発達しても不可解になるからだ
それで天罰論が生まれてくる、自分自身もその説をとって発言してきた面があった
ただ今は科学時代だから科学的考察が不可欠なのである

でも何かその原因を科学的なことではなく政治とか社会とか人心の乱れとかがあり大きな自然災害が起きてくるとすることが昔から言われて来たし今でも言われるのはなぜなのか?
それは現実にそういうことがあるではないか?

なぜ公明党の国土交通大臣が西日本豪雨で苦しんているときカジノ法案のために時間をかけていた、その方に熱心だったというときもそうである
そうした政治の不備があり自然災害に見舞われる
その原因は政府にあり国土交通省にあるともされる、それは天皇に責任があるとか王に責任があるとされ殺されたり世界でも災難がつづくと神に犠牲を生贄を献げていた
またノアの洪水は人の心が悪くなって神が起こしたとされるから宗教的見地からみて起きたとなる
だから中国でも治水が最重要課題でありそれがうまくいかないと王朝は交代する
自然災害でも時の政府の責任にされるのである

現実そういう面は確かにある、なぜ公明党の国土交通大臣がカジノ法案を通すために力をいれているのか?それは創価の会員も特に婦人部は反対している
ギャンブルの夫がいて苦しんでいる人がそこには多いからである
だから創価では盛んに仏罰を言うけど自ら仏罰を招いているのではないかとまでなる
そもそもそうした団体が仏罰など言えるのか?
そこにいる人たちがどういう人達か見ればわかるだろう、普通の俗人のそれも何か社会的に人の世話になるような人たちが多いからである
日蓮が仏罰を言うなら予言者が言うならわかるがそういう俗世にまみれた人たちが仏罰など言えるだろうか?
むしろそこにはかえって仏罰が起きてくるのではないか?

ただそんなことを言うのは公明党が政教一致だからそういうのである
別に政教分離だったらそういうことは言わない、やはりただ政治の不備だとして責めるだけである、そこに神仏はかかわらないのである
なぜ天皇が災害の責任を負ったのか?
それは天皇は祭司であり日本の国を守るものであり宗教的なものがあったからである
祭政一致だからそうなった
政治とは政(まつりごと)どありもともと政教一致であり祭政一致だからそうなったのである

本当になぜ福島県でこの辺でこんなに災害が連続して起きているのか不可解になる
その原因は原発などを作ったからでありそれも天罰だったとなる
神がそんな危険なものを作るなということで罰を与えたのかとなる
それは神話をさかのぼればギリシャ神話のプロメテウスがゼウスから火を盗んで過酷な罰を与えられたことまでさかのぼる
それは神から盗むことからはじまっていたからである
何らかで人間の技術は神から盗むことに由来しているのである
太陽光発電も風力発電でも一見自然のエネルギーのようでもそうではないと武田邦彦氏が科学者が言っているのだからそうなのかと思った

だから必ず人間の技術は自然破壊に通じているのである
水力発電でもそうだと言っているからこういうことはもう人間が生きはじめてから起きていることだと思った
石器にしても必ず殺戮のために使われたしいい面と悪い面に働くことがあった
原発にしても原理は同じである、石器と同じなのである
人間の技はいい面と悪い面に働くことでぱ同じである
だから技(わざ)は災い(わざわい)に通じていたのである、日本ですらそういう意識があって言葉が生まれていたのである

なぜ自然災害がこんなに起きるのか?それもどうしてこの辺に連続的に起きるのか?
原発事故では飯館村が被害が大きかった、津波の被害があり次に丸森町があんなに洪水で被害になるとは思いもよらなかった
相馬総合病院に入院ししてた時、新地の人と松川浦の人がいて丸森の人がいた
新地の人と松川浦の人は津波の被害にあっていた、新地の人は一番被害が大きかった
そして今度は丸森の人は金山だったがそこも被害にあったのかとなる
福島県でも郡山市の方まで被害があった
それは何なのだろうとなる、飯館村は原発で大被害になり隣の丸森町が大被害になる
相馬市でも津波の被害が甚大だった、今回の宇多川でも洪水になった
六号線の東側の飯淵とかが被害が大きかった、ただその他は床下浸水でさほどの被害があるとは見えなかった

何か日本全体でもこういうときは天罰論が言われるのもわかる
何か仏教でも末世だとか言われるのはそのためである、日蓮はその末世に生まれて仏法を説いたからである、その時モンゴルも攻めてきたからである
内憂外患の時代の動乱の時代だったからである
今も日本はそれににている、内憂というとき経済が落ち込んでもう日本は貧困国家であり後進国になったというときもそうである
何か大きな改革をしないかぎりもう日本はどん底に陥ってゆく
そのためにこんなに大災害が連続して起きているのか?
それは日本の改革をうながすためなのか?

例えばオリンピックとかカジノなどに勢力を費やすな、金を使うな

原発は日本では危険だからやめろ

経済もグロ−バル経済とかは日本の文化を破壊するからほどほどにしろ

・・・・・・・・・・・・・

何かそういうことを警告として自然災害が起きているのかともなる
そして東京一極集中をやめろ、遷都をもう一度考えろとかなる
日本は古代には頻繁に遷都していたのはその場所が穢れてくるから別な土地に都を移したのである
ただ東京は余りにも巨大になりすぎてできなくなった
だから東京に大きな災害が起きない限り真剣に遷都を考えないのである

次に東京に大災害が来る!

これは天罰論ではなく科学的にもう確実なのである、ただその時はじめて日本改造が起きる、改革が起きる、そうならないかぎり遷都はできないからである
それより東京が一千万人とか集中している弊害が大きいのである
だからこそ東電では電気がたりないと福島に原発を作ったりするからである
東京から災いがもたらされることが多いからである

とにかく天罰論というとき人間は自然の事象でも科学的に合理的に解き明かせないからである、それだけ複雑すぎるからである
確かに人心の乱れからこうした自然災害も起きていることもありうる
それは個人的に自分に起きてきたことでもそうである
そのことを延々とプログで書いてきた、日本の人心は上から下から乱れきっている
ただ金を求めるだけであり後はなにもない、人が苦しんでいてもこの時チャンスだとして金を求めてくるだけである
絆のことを言われたがその絆は外との絆であり内部では絆がなくなっていたのである
原発は電気は必要でもそれが深く人間の欲と結びついてできたものだった
その後も補償金でもめてこの辺は分裂したのである

そしてなぜ福島が連続して災害にあうのか?

これも不可解なのである、なぜ郡山市まで被害があったのか?
あそこには銀行の本店がある、そこの人が投資信託をすすめられた、それは詐欺まがいものだった、それも今回の災害と関係しているのかとまでなる
何か本当に自分の一身上に起きたことはただ人は金儲けの対象でしかないことだった
事業に失敗した人は借金に苦しんでいるから弱った時借金を要求してくる
自分の困ったことなど何の関係もない、ただ金を欲しいというだけである
それはみんなそうである、人間の情すら今や社会から喪失しているのである
だからそうした人間の心が冷たくなったときノアの洪水が起きたとしている
自然災害が仏教でも神道でも神からの仏からの罰だとしている

おりしもなぜこの時期に新しき天皇即位があるのか?

洪水被害で延期された、何か天皇即位を祝う気持ちになれるのか?
つまり天皇が自然災害で日本ではその責任をとってやめたということが過去にあったからである、だからこれも時期が悪かったなとつぐづく思うし国民がとてもみんなで祝うという気分になれないのである




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困っていても「福祉に頼んでください」あとは関係しない社会 (ダークネスサイトの批判の試み)


困っていても「福祉に頼んでください」あとは関係しない社会

(ダークネスサイトの批判の試み) 


街に出ると、貧困に苦しんでいる「見知らぬ他人」をみかける、ホームレスを見かけることもあれば、深夜のマぐドナルドで寝ている若者も見かける、そうしたニュースに接して、あなたは見知らぬ彼らに「自分の貯金からこれを使ってください」とさしだすだろうか?おそらくそうしないはずだ、しかしそんなことしなくてもいい理由がある(鈴木傾城)    

(ダークネス(鈴木傾城)

これも一理ある、人それぞれの言い分や考えはある、だからいちいち怒ったりしてもしょうがないとなる
このサイトと武田邦彦氏のyoutubeとかを見ている
だからこの人に別に特別反感もない、何か人はそれぞれの立場で住んでいる所も違うし生い立ちも違うからそれぞれの言い分が生まれてくる

ただこういうことに反感をもつ人がいることは確かである
税金収めているから助けているし助ける必要はない、今ここに飢えているものがいる病気の人がいるとして助ける必要がない、それは福祉がすることだとなる

とにかく苦しい時今は「福祉に相談してください」で終わりなのである
私とは関係ありませんとなっているのだ
何か困った人は福祉に相談してくださいで終わりです

私自身も介護とか自分の病気とか窮地にたたされたとき全く近隣の人は見て楽しんでいるだけである、田舎では特にそういうことがかえってあるのだ
他人の苦しみは密の味とかなっているのだ
だから何か人間観が自分は自分が苦しんでから変わってしまったのである
それも自分自身がそうなるカルマを背負っていたということもある
そうして今ではあきらめている

でも自分の問題は金の問題ではない、金は別にあったからである
みんな金で困っているわけではないのである
多くは金の問題にしろそれだけではないのである
人手がいるとか何か慰めてくれとかある、自分には金があったのだからそういうことをしてもらいたいかった

しかしなぜ何もしてくれないのか?
福祉でなにもかもしてくれないのである、福祉に頼んでくださいと言うのはあなたのためには何もしたくないからそう言っているのである
またそういうのもそういう人にかかわるとめんどうになるからである
いろいろと世話するようになると負担になるからである
そして金の問題になればその数が多いのだからとても無理だとなってしまう
だから福祉に頼んでくださいとなる

たいがい人生相談しても誰か親身になって相談にのってくれる人などいないのである
それは負担になることが嫌だからである
でもこのサイトでは金のことを問題にしているけど人間は金なくても何かできることはある、またそれほど負担でなくてもできることはある
洪水の被害でもそういうボランティアは肉体労働になるから負担でできない、だから寄付をしよう、金で応援しようとかある

自分がしてもらいたかったことは金の問題ではない、金があったし金は与えていたのである
でも実際は大金を盗まれたり金を要求されるだけだった
自分の苦しみを知るものは一人もいなかったとなる
なぜなら自分の家に来た人は金に苦しんでいたから何もできなかったのである
事業に失敗して借金していたとか大金盗んだ人は年金がたりないとか何か苦しんでいた
そういう人は自分のことで精一杯なのである
だからまず金のことより相手のことを思いやるという余裕すらないのである
そういう人が何か相手のことを気遣うことはできない
自分自身のことで精一杯だからである

ただその人を思う時何か異常だとも思った、何か自分の家に来た人は異常だったと思う
全く相手のことを思いやる心がなかったということである
そういう人たちしか来なかったということは自分の家と自分自身のカルマだったともなる
でもそれ以来人間不信になったしどうせこの人と付き合っても助けられることもないと見てしまうようになった、だから人間を見る目が変わってしまったのである
それは今までそうした苦労なく何不自由なく暮らしてきた自分のカルマだったとなる
だから苦しんできて自分に常に金のことで水道とめられた電気とめられたと来る人が

あそこの道で倒れても誰も助けない

そういうのを自分自身も納得したのである、現代はそれだけ金だけを求める社会なのである
ただ不思議なのは金が欲しいことはわかる、でも事業している人が他人のために荷物一つは運ぶことを嫌がる人が事業できるのか?
だって事業は人のためになることをすることだからである
ただ社長としてふんぞりかえって威張ることではないけどその人はそういう人だったとなる、そんな人がいくら技術的に優秀でも事業ができるのかという疑問である
そんな人にいくら社長でもついてゆくだろうか?
だから人手不足になれば社員自体がやめてゆく、ブラック会社は淘汰されるのではないか?

別に事業が慈善事業ではない、利益をあげることである、でも他人のために荷物一つも持ちたくない、それは無料でもなかった、すでに私は百万単位で金を与えていたのである
その後も借金していたのをゼロにして縁を切った
だから無料でしてくれではなかったのである
でも簡単なことでもその人は他者のためにはしたくない、そんな簡単なこともできない人がどうして社長になっていられるのか?
もちろん自分は事業をしていないから会社経営のことはわからない
でもその人の人間性に大きな問題があったのではないか?
それは原発事故でも何でもそうである、その会社を運営する人間性の欠陥がありそれが事故につながる、何かそういうことは原発関係では多かったのである
モラルが欠けていたことが事故につながった原因でもあったからだ

いづれにしろ困った人は苦しんでいる人にかかわるとかえって損するということは確かである、だから人はそういう人とかかわらないかかわるのはそういう困った人たちを利用する人たちなのである
共産党でも創価でも他のカルト宗教団体でもいろいろな団体でもそうである
そういう人たちを味方にして票を増やして権力を得ようとする
数が集まれば権力になるのが民主主義だからである
そして共産党すら幹部が裕福なのである、それは今の中国を見ればわかる、幹部は王侯貴族になっているからだ、人民服きていた共産党の時代とは全く違ったものになっている
人民から富を収奪しているのが共産党だっともなっているからだ

誰か本当に困った人を苦しんでいる人を助ける人はいるのか?
それはその人たちのために税金を払っているのだから福祉がすればいいとなる
でも福祉でなんでもしてくれるのか?
「福祉に頼んでください」あとは知りませんとなる
それで本当に自分自身が苦しい時そう言われると腹正しくなる
それは私はあなたのために何もできません、それよりしたくないのです
だから福祉に頼んでくださいとなる
これも現代の資本主義なのである

でも自分の場合だけど別にそんなに負担にならないで助けていればお礼はあったのであるそれはなぜ自分がそういうことを強く思ったかというと
困っていて苦しんでいてその人から得るものはない、金にならないというけど金はあったのだからそんな負担をかけずにも何かできたことがあった
ただの励ましでも言葉でも助けることだってあった
ただそういう気持ちが全くなかったのである
それは後で大きなお礼となって金銭的に得することがあった

例えば大金持ちの人でも何かそこで多少でも助けたらお礼が大きなものとなる
ただその大金持ちでもわからないいことがある、それでたまたま何か苦しんでいたそれをちょっと助けたが後で大きな金銭としてのお礼があったとかもありうる
でもそれも最初からこの人は大金持ちだからとわかっていて助けるのはまた別である
そのとき動機はただ金が欲しいというだけになるからだ

人間は今だと毎日働いてもたいして金にならない、でも人を助けたときそこで恩を感じた人は大きな金を払うということはありうるのだ
金をもっていることがあるからだ、でも実際は大金を盗まれたというだけだったのであるまた何一つ気遣いもなくただ金が欲しいというだけあった
でもその人は他で毎日働いていた、それは苦しい労働だったのである
要するに自分が苦しんでいることに対して全く関心もなにもないし何か助けるいう気持ちもなかったのである
そういう人が他者に気づかいできない人が事業を成功できるのだろうか?

何か人を助けるというとき重い負担が課せられるから嫌だというのはわかる、自分も嫌だからである
でも簡単なことあるとき水一杯やることが助けることだったある、でもそれすら関心がない人は気づかない人はしないのである
そういう気持ちがないからしないのである

損して得をしろ!

何も介護の重労働をさせるわけではない、言葉で慰めることくらいでもいい、でもその人はそういう気遣いはゼロだったのである
そういう人たちはもう人間ではないとも思った、ただ金だけを求める社会になるとそういう人達が普通になっている
だから目の前に苦しんでいる人たちがいても何もしない、「福祉に頼んでください
それですべて終わりである、今そこで倒れても何もしないのか?
救急者も呼ばないのかともなる
だからあそこの道で倒れても誰も助けないという人の気持ちがわかったとなる

ただ助けられ人にも問題がある、そういう人たちは何か性格的にもおかしいという人がまた多いのである
貧乏しているのに金が入ったらぱっぱっと使った、そして金をねだったりギャンブルに使ったりできることをしない、何か家に来て金だけはねだる
でも何もしない、食器洗うことでも自分の家の台所仕事だったらていねいにするけどなおざりにする、何か汚くなっていたがそこをきれいにしていないとか気づいた
それは自分が食器洗っているから気づいた、自分は汚くしているけどやはり自分で食器あらってみると食べ物を扱うからきたないとまずいと思ったのである
ここでも他人の家のことだし自分とは関係ないとなり家事手伝いでもなおざりにすることがあるだろう
そういう人にまた次に頼むということがしにくくなることもある
ただ自分の場合は何もしなくてもいい、来てくれるだけでいいとか見回り役として金を払っているからいいとはなる

ともかく人間関係は複雑でありややこしいから一面だけを見てもわからないのである
ただこのサイトの人は底辺の人たちを扱っているから同情しているのかとも見ていたのである、でもそれは割り切ってこういう言い方になった
それは今の社会の一般的な見方なのである、そういう言う人が多いから特別ではないのである
福祉にたのんでください」私たちは税金を払っているから助けている、ただ個々人には対応できない、だからかかわるなとなる
でもこの人でも本当に困った立場になって「福祉に頼んでください」私には何もあなたのためにはしたくないです、そう言われるとどういう気持ちになるのだろうか?
そして逆にそういうふうに頼まれても同じよう「福祉に頼んでください」となる
あなたとは関係したくないです、あなたがどうなろうと私の責任ではないです
福祉がすることです、何かそれが現代社会なのである

おにぎり食いたいという言って餓死した人がいた
生活保護をもらっていたが打ち切られてそうなった、病気になって仕事をやめた人だった
でも昔なら隣近所でそういう人がいたら頼まれたらおにぎりくらいくれていた
現実に昔は戦後まもなくでも乞食がそうして回っていた
それで物をくれていたのである、かえって乞食がそうして豊かになっていたとか責められたこともあったのである
そういう時代と対比すると何か個々人でも情がなくなっている
言うことは福祉に頼んでくださいというだけである

でも福祉から断られたらもう行き場がなく餓死する社会だとなってしまうのである
また交渉力がない人はそうなりやすい、男性はプライドがありそうなりやすい
女性はコミ二ケーション能力がたけているし同情されやすいから生き延びるとなる
もう福祉係にしがみついても恫喝しても金をもらうとか援助を要請する人もいるからである、そして福祉係を襲う事件がある、それは切羽詰まってそうなっているのである
それは明日食べるものがないというとき人を殺して奪ったりするのとにている
だから追い詰められた人間は怖いのである
自分の所に来た人たちはそういう人達だから怖いものだったのである
ただそれも自分の場合は他者を責めるにしても自分自身のカルマだったというほかなかったのである      



  
あとがき

インターネットはもともと対話からはじまった、でも二三行の応答だった、プログとかなると長くなるから深い見方をして批判したりできる
私は二三行くらい書いてもその人のことがわからないから答えにくい
でももしプログでいいから匿名でも何かその人なりのの発言していれば答えるかとになるかもしれない、対話が成立するかもしれないただ二三行だとケチつけるだけで終わりだとなっているからだ、それで答えにくいのである
それでただこれだけ一方的に書いている、対話成立しないのである

対話が成立しているのは武田邦彦氏とここのダークネスサイトだけかもしれない、ただダークネスサイトは対話できなかった
今回は経験から批判したとなる
何かインタ−ネットとにかく応答しやすいメデアなのである、だから誰かの書いたものを引用してそこから自分なりの言説を展開しやすいのである

そしてアマゾンで本も買いやすい、千円以下の本を買っている、本は内容があるから違っている、そしてその本でも何冊でも読むと多様な見方が生まれる、何かつなぎあわせると編集するとそれが一つの論文のようになるのも不思議である
こうした知的作業がもっと前にできていたら知的な進歩があった
第一仙台まで行って本を買うこと自体が手間だったのである、仙台でも売っていない本が山ほどあったのである
それが何か関心があったときすぐに本でも読める、洪水があり川のことを知りたいと(川と国土の危機)という本を買った
今関心があるものをすぐに手に入る、また今度はプログでも利用できる、対話できる、そして編集できる
それで知的仕事ははかどるなとつくづく思った






2019年10月22日

天皇即位の礼(天皇とは何なのか)


天皇即位の礼(天皇とは何なのか)



天譴論とは,「天が人間を罰するために災害を起こすという思想」(14)であり,「もともとは,災害(地震)を『王道に背いた為政者に対する天の警告』とみなす思想であった」(15)というものである.天平 6年(734年),大阪で大地震が発生し多くの犠牲者がでたが,その時の天皇である聖武天皇は,「朕が訓導の不明に由り,民多く罪に入る.責は予一人に在り,兆庶に関かるに非ず」(続日本書紀)と述べ,地震が起きた責任は自分にあるとし,大赦をしている  


今回の洪水の災害について書いた、これが何か天皇が何かについても語っていた
地震が起こしたのは天皇にあったと自ら言明している
ということは天皇が地震を起こすことができるのか?
そんなだいそれた存在なのかということに逆になる
確かに今でも災害があると天皇が必ず見舞いにくる、でもその災害の責任が天皇にあるとはならない、誰もそう思わない、でもこの時代は天皇は神のような存在だから天災でも
天皇の責任だとまでなっていたのである

天皇の歴史をふりかえると最初は神格化されていた

大君は神にしませば雲隠る雷山(いかづちやま)に宮敷(みやし)きいます」

大君は神にしませば天雲の宙の上に慮りせるかも 

山川も依りて仕ふる神ながらたぎつ河内に舟山すかも (柿本人麻呂)

自然すら天皇に仕えていたとなる、それだけ天皇の権威は強力なものとしてあった
その時自然の方が脅威なのだがそれが天皇と一体化されたということもある

その後は天皇はそうした神格化されたものではなく権力者が人民を支配するために使われるようになった、神輿のようにされたのが天皇である
国を治めるにはなんらか武力だけではない、神聖なものが権威が必要だからである

ただ不思議なのは天皇自体には古代では自然まで支配する神格化があったがその後は何か直接権力をもって支配することはなかった
外国だと王は神格化されたりまた絶大な権力をもって支配した
でも日本の天皇は権力を直接操作することがなかった、天皇の命令で国家を動かせるものはなかった
ただ神輿として持ち上げられるものだったのである
壬申の乱でも天皇の兄弟が二つに分かれて戦ったし南北朝の戦いでもそうである
ただ日本では天皇が二人になって分裂するとき国も分裂する
南北朝の争いをみればわかる、それを調べれば日本の隅々までその傷痕が残されている
私の町自体の成り立ちが南朝の落武者の子孫だったのである

それ以後戦国時代になると天皇をめぐる争いにはなっていない、江戸時代になると天皇は文化的存在に過ぎなくなった、日本の文化的伝統を守るものとして京都の御所に幽閉されたみたくなっていたのである、そして貧乏で短歌をよんで売って生活していたという
それがなぜ明治になって逆に古代のように神格化されるようになったのか?
それは西欧列強に対抗するものとして何らか精神的権威が必要とした
尊王攘夷運動が起きた、尊王とは天皇を神として王として崇めることである
そして神道は国家神道になった、それが太平洋戦争まで継続されたのである
明治以降の天皇はその前の天皇とはまるで違ったものとなったのである

そして奇妙なのは天皇がそれだけもちあげられると廃仏毀釈運動が起きて仏像が壊されたのである、その壊された仏像は今でも残っているのである
その原因が徳川時代は寺が仏教が優遇されていた、寺は幕府の役所の一部になっていたのである、そのとき神社はないがしろにされていたという不満が廃仏毀釈になったとされるそれは宗教の権力争いでもあったのだ、宗教も実際は権力と結びつく
時の権力に優遇されれば暮らしも良くなる、江戸時代には宗教は死んでいたのである
それが今でもつづいているのが葬式仏教とかである、檀家宗教とかである
それは江戸時代のつづきとしての宗教なのである

日本の近代化は天皇を神格化した成されたから何か歪つなのである
そこに無理があった、その結果として太平洋戦争まで天皇が現人神(あらひとかみ)とされて崇められて敗戦になったのである
つまり天皇は神では日本は神の国であり神国だから負けないという戦争になったのである

「朕が訓導の不明に由り,民多く罪に入る.責は予一人に在り,兆庶に関かるに非ず」

こう天皇が反省すると昭和天皇は戦争の責任があるのだから退位するべきだったのである南北朝の戦いの時光厳天皇は反省して退位して隠居して暮らして死んだことを死んだ都築詠一氏はほめていた、そしてなぜあれほど昭和天皇を右なのに批判していたのか?
それは戦争の責任をとらなかったからである
また三島由紀夫が天皇が人間宣言したとき天皇は神であるべきとしたのも不満であった
日本の歴史は天皇をめぐる歴史だったとことがここに現れている
それは古代からの祭政一致が復古の形で現れたからである

そして西欧化するとき政教分離の思想が法律として定められていたのに憲法ではそうはならなかった、天皇の統帥権とかが認められていた
明治維新は西欧化は様々な矛盾があった、それが日本の特殊性だったのである
自然災害でも天皇の責任とされたように神格化された王はそうなる
政教一致だと創価でも選挙は仏法最大の戦いであり仏が味方するのだが必ず常勝するとなる、一票とるために祈り戦うのが創価である
それは権力をとるための戦争と同じなのである、日蓮の思想に王仏冥合という思想がありその実践が選挙なのである
完全な政教一致であり政教分離の憲法に違反しているのである

だから何かあれば罰当たるとか地獄に落ちるとか世俗生活にあてはめるのである
それは経済生活でも病気でも不幸でも政治でもあらゆるものがそうなる
そこに合理的に解釈しないのである
戦争でも天皇が神格化されるともう合理的に戦争を見れない、負けていてもどれだけ人が死んでも日本は神国だから勝つとなり戦争をやめることができない
本当に一億総玉砕まですすむところだったのである、それが原爆でとめられたとまでなる日本の戦争の原因は日本側だけにあったのではない、アメリカ側にもあったから合理的に正当化されても天皇をもちだすと天皇は神だからとなりそんな合理的説明は不用だとなってしまうのである
政教一致になると批判許されない、それは宗教と権力がむすびつくから今の政権でも批判すれば神仏を批判するのかとなり逮捕される、警察権力とも検察も宗教の権威に逆らえないからそうなる

天皇とは何なのか?それより近代化してさらに太平洋戦争に大敗北して3百万人も犠牲が出たのになぜ天皇が継続されているのか?
それは国民が天皇を必要としているからだとなる、天皇を維持したいからだとなる
戦争でも天皇の責任とはしていないからだ、天皇は直接権力ふるうことはない、天皇は常に神輿であり権力者にもちあげられる存在である
すると戦争が負けたとしてもまた何か不備があったとしても天皇自体の責任ではないとなる、責任はその部下にあるとなり天皇自体にはないとなる
だからこそ天皇が近代になりまた現代でも継続されているとなる
天皇には何ら責任はないとなってしまう、それが不満で昭和天皇を攻め続けたのが都築詠一氏だったのである、それが最右翼なので理解しかねるところがあった

日本で天皇が継続されたのは島国だったからである、大陸のような国家だったらどうしても外国から攻められたりして必ず影響を受けて国自体が変化してしまう
日本では外国から攻められたことはモンゴルの時しかない、それが明治維新になって西欧化したのである、でも天皇は継続された、それも前よりも強固な天皇の権威で近代化した矛盾があった
ただ日本の歴史では天皇で国家が統一されてまとまるが分裂するとき南北朝時代のように国が乱れに乱れるのである、そこに天皇の効用があるとなる
ただ戦争中は天皇の権威と権力が結びついて戦争になった
つまり権威と権力は別物であるべきなのである、だから戦後は象徴天皇制になった
ただなぜ政教分離が日本で実行されないかというと神社側とか仏教側でも税金の問題があるから協同して反対しているのである
営利活動ではない宗教活動には税金がかからないからである
要するに金がからんでいるから宗教というのも経済が優先されるとなる
日々の暮らしにひびくから反対しているのである

もう天皇は祭司としての役目はない、なぜなら皇居内で田植えとか養蚕をしているがそれは農業中心の社会だと何か意味があった、これだけ工業化するとそういうことは意味を見出されなくなる、すると大嘗祭とか豊作を祈るとかの行事も意味なくなる
なぜなら世界と伍してゆくには工業化であり今なら情報社会でありIT化だとかなる
現実に原発でも農業でやっていけないから地元で積極的に誘致したとなるからだ
その東電の株を天皇ももっていたというからこれも矛盾しているのである
東電の株の方が大事となっていたのである

とにかく国家の統合形態として権威と権力を分離することは優れていたというのは確かである、権力は必ず絶対的に腐敗するというより権力を持つと人間は腐敗する
それは中国をみればわかる、人間は権力をもつと悪魔にも変身する
権力と宗教が一体化したカトリックでもそうである
権力の魅力があまりにも大きいからである、それは金に支配されている現実をみればわかる、今は金が最大の権力になっている、それで常にロスチャイルドがどうのこうのとか陰謀論になるのである

ラグビーで外国人と一緒に君が代を歌う時何か感動する者があった
君が代の歌はともかくこの音楽がなんともいいのである、何か極めて日本的なのである
他の国家は何かそうした国を感じないのである、そもそも今回出場した国は大英帝国に支配された国でありそれが独立した国と思えないのである、南アフリカでもニュージランドでもそうである、オールブラックは原住民が入ったいたとしてもイギリスに支配された国である、ただスコットランドとかあると薊(あざみ)の伝説があるように国の歴史をもっている
イギリス自体は古い歴史をもっている、でも他の国はそういう歴史をもっていないのである
日本は二千年とかの歴史がある、ずっと独立国としてあった国なのである、そしてヨ−ロッパの列強の植民地にもならなかった国であるからそこには誇りをもっていいとなる

とにかく自分は石とか岩とか詩のテーマにしてきた、だから君が代はその岩を音楽化したものをう感じる
なんとも深く内面にひびく深い思想性を感じる、「静けさや岩にしみいる蝉の声- 芭蕉」にも通じるものがある
何か心の中に深くしみいってくる、日本の大地から静かに湧きあがってくる力を感じる
土着的な力を感じる、音楽には疎いが何か音楽は一つの光景を浮かべる時がある、リズムもあるのだがクラシックだと山と海とか大地とか森とかをイメージするのである、君が代には国歌として土着的なものを感じるから優れていると思う
そういう音楽はやはりその土地から歴史的伝統から生まれる、それが文化だとなる
天皇はそうした日本の歴史的文化的伝統の存在である、それは権力と違ったものとして日本に継続されつづけてきたともなる

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次の代即位の礼や金木犀

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宮殿正殿の松の間に高御座に鳳凰があり金色に輝いていた、
黄金の高御座である、ちょうど今咲いている金木犀のイメージになっていた
つまり新しい時代を担うことになるが経済の時代から文化の時代になる
金木犀のように文化が華咲く時代になる
令和とはそういう時代になる 

何か日本の儀式でも命日とかが花でもって記念される
きにち【忌日】というのがありその人を記念する
ただ名前がきにち【忌日】とされるのは俳句界ではある、母は苦労したから冬紅葉忌としたとのである、冬紅葉になると母を思い出すからである
何かその人にふさわしい花とか何かあり忌日としている

今回は金木犀が今咲いているからふさわしいと見た

それから虹がたったということも縁起がいい、この時に立つことが不思議だとなる
やはり天皇の即位の礼は日本の美とか伝統を示している

次の代即位の礼や秋の虹

虹がこの時かかったというのも縁起がいいとなる、雨が降っていてそれが即位の礼の時
雨がやんだ、何か吉兆だともなる、秋の虹ということにあわしいともなる
秋の虹だと何か落ちついた感覚になるからだ

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2019年10月23日

人間の弱点は全体を見れないこと (今回の川の氾濫でも一部分しか見ていず被害に・・)


人間の弱点は全体を見れないこと

(今回の川の氾濫でも一部分しか見ていず被害に・・)

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阿武隈川が氾濫して本宮町が被害になった、逃げないで被害にあった人もいる
その人たちが言うのには雨はたいして降っていなかったから逃げなかったという
でも実際は本宮町では雨が小降りになっていたが阿武隈川は増水していたのである

それはなぜかというと阿武隈川は長い川である、すると雨が阿武隈川の流域として山からも支流からも雨がふって集まる、ここではたいして雨がふらないなと見ていても実際は
全体を見れば降っていたのである
自分の住んでいる所でもそうだった、たいした雨に感じられなかったが実際は水が川に
相当に出ていてあふればかりだったのである
それは山に降ったからそうなった

人間はこうして自分の住んでいる一部分しか認識できないのである
人間はあらゆることで部分しか認識できない、人間社会自体が無数のパーツとしてあり
誰も社会全体しか見ていないのである
体でも全体を見れる医者がいないのである
様々な科に分かれていて全体を診れない、でも病気は一部分の臓器だけが悪いというのではない、全体が関係して病気になる、全体的の体が関係してなることがある
だから部分だけをみてもわからないことがある

何でもそうだけどまず全体を見れる人はいないなのである
原発にしてもこれも複雑だから第一吉田所長自体が復水器とかさえ大事なものを知らなかったのである

私はそっちの方の専門家ではない

たいがいみんなそうなっているのである、つまり原発のような複雑なものをそこに勤めている人でも上の人でも知ることはできない
でも本当はその原発の全体を知る人こそが必要だったのである
そうしなければ危険に対処できないからである

土盛りしてわざわざ高くした所に原発を作ろうとしたのに削ってしまった
それは電源装置の関係で削った方がいいとかコストの関係でそう決めた
そういうことをどうして決定したのかわかならい
それは何か全体を見る人が見れる人がいないからである

今回の北陸新幹線の車両が千曲川の氾濫で水にひたり使えなくなって大損失になったのもそうである
それもまず車両基地は広い場所が必要だから市街から離れた湿地帯のような所に作った
それはそれだけの土地を買いしめることができなかったからである
そこがもともと湿地帯のような所だということは危ない場所だったのかもしれない
そして千曲川から二キロ離れているから洪水のことを頭にも浮かばなかったとなる
これも全体を俯瞰的に見れないから安心していたとなる

人間は全体を俯瞰的に見るのが苦手なのである、常に一部分しか見ていない、仕事でも一部分をしているだけである、あらゆる仕事が専門家するというときも一部分の専門家であり全体を知る人はいないのである
すると全体をみる統率する人がいないから大事故につながる
結局そんな全体を統率できるのは全能の神しかないともなる

そして郷土史というときこれは狭い範囲の世界とか学問とか思っている
とこやが郷土を知るというときこれも地形から何から全体を知る学問だった
だから地質学と地形とか理系的なことでも必要になる
だから一人では手に負えないものとなっている
郷土という全体をみることはできないとなる、ましてやさらに地域が広がるとみれなくなる
第一地球は一つであり部分ではない、一つの統一体としてある
それを統率できるのは知り得るのは神しかないということである
人間の仕事は一部分の仕事にしかならないのである
それはどんな優秀な人でも一部分の専門家にしかなれないのである

そして人間は全体を見れないということでこうして常に災害にあったり社会でも原発のような事故になったりする
そもそも原発を作った時その地域の全体を見て作っていない
原発が事故になったらこうしてその地域全体が放射性物質によって汚染されることを見ないのである
私の住んでいる場所は30キロ離れているから関係なとか見ていた
でも福島市とかまで40キロとか50キロとかさらに離れていても放射能に汚染されたのである、全体にそれだけ影響することを見ている人はいなかったのである

だから人間の学問とかでも必ず限界がある、技術でも限界がある
必ず想定外で自然災害が起こる、それも自然全体のことがわからないからである
想定外のことが起きることはいくら備えてもそうなっている
人間は全体を知り得ないからそうなっている
ある部分を直しても全体が関係しているからやはりまた同じように災害を防げないとなるそこに人間は万能ではないし力の限界を感じる

ではどうすべきなのか?
原発など人間は操作できない代物だから危険だからやめるほかないとなる
もし操作できるものならいいが人間にはできないということであった
別に原発がなくても暮らしていけるから安全な範囲で人間は生きるべきだとなる
そこに多少の不便があってもがまんして生きる、だってそうして何千年も生きてきたのが人間だからである

土木工事でも完璧にはいくら努力してもならない、必ずどこかに穴がありそれで失敗している、それは全体的にどうなるか見れないからである
今回の洪水でも支流が氾濫して影響して被害が拡大したことも想定外だとかなる
つまり本流ばかり見ていて支流を見ていない、また水がどういうふうに全体に作用するから見ていないのである、津浪でもそうだった、地形が深く関係していたのである
前に台地のようなものがあると小高い山があると津波はさえぎられて勢いは弱くなり
海の近くでも助かっている人がいたのである
だから防波堤より台地を作ることが効果的となってそうするようになった

日本は何か地形が複雑である、山あり川あり海ありと複雑な地形である
その全体を俯瞰して見れる人はいないとなる
そこで自然災害を防げないのである、それはこれだけ科学技術が発達しても防げないのである、それが日本の宿命でありカルマだともなっている
その恩恵もあるのだが自然災害を防げないというのもカルマなのである

いづれにしろ人間は地球でも宇宙でも全体を見ることはできない、そこから人間の様々な問題が起きて来る、全体を見れるのは統率できるのは神しかいないからである
そこに人間の限界があり災害を防げないのである

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新田川が10ケ所くらい堤防が崩壊 (支流の水無川が交わ西殿橋近くが一番土手崩壊して水があふれる)


新田川が10ケ所くらい堤防が崩壊

(支流の水無川が交わ西殿橋近くが一番土手崩壊して水があふれる)


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太原

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工事中だった、橋が流されたのか?

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太原の橋の近く


西殿付近が被害が大きかった

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越水して土手が削られたのは他で見た
ここから土手自体が決壊してゆくと大量の水が流れ洪水になるから危険になる
半分は削られたから危険だった


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竹藪を越えて土手が崩壊している不思議

竹藪は河岸に飢えるのは水の流れをとめるためである
一応流れはある程度とめられているのか?
竹も根こそぎ流されたものもある


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近くに変電所がありこれも水につかったら危険だった
停電になる、他でも電気系統が水につかって停電になった

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鉄道の脇のここが崩れて水があふれれた
ここは越水というのではなく決壊に近かったのだろう
それで川岸の家が床上浸水になった


ndoterail19.jpg

ndoiehouka8.jpg


支流の水無川が本流に流れて水の勢いをました

結果的に向かい側の土手が越水したり一部決壊した

ここの土手は頑丈に見えなかった、幅も狭い感じだった


nmapdote11.jpg
支流は水無川である

ndoterokugou12.jpg

ndotehoukai10.jpg
ここの土手は頑丈なのか崩れないし越水もしていない
どちらかというと今回崩れたのは右側だった
その理由も何なのか?
水の流れの圧力の関係なのか?


新田川の被害が意外と大きかった、堤防の越水が多いが1か所は鉄道の通る場所は決壊してそこで床上浸水まであった
ただそこだけが決壊したので被害はあまりなかった
他で大きく決壊したら被害が大きくなった
越水の場所が多かった、越水と決壊では相当な差がある
千曲川のような大きな河が決壊したから長野市で大きな被害になった
ただ越水しても土手が削られるからそこから決壊になもなる

それから西殿橋の近くが堤防が3か所くらい越水と決壊があったのは支流の水無川が合流してそれで水の水量と流水の圧力が増して3か所くらい堤防の越水と決壊があった
西殿の土手の家は床上浸水にまでなった
あそこが一番の被害になった、ただ相馬市よりずっと被害が少ない
相馬市は広範に市街が水につかったからだ

今回の水害は意外と水が出たということである、そしてなぜ越水と決壊が起きたのか?
それは水の流れとか支流合流するところで被害になったようである
その支流が鹿島区の水無川と同じように原町でも水無川だったのである
鹿島の水無川でもあふれたように被害があったように水無川となっていても雨が大量にふると水があふれる、ただここの水無川はいつも流れているように見えた
原町区でも支流がいくつかある、この支流が曲者だったのである

ただ感じたことは意外と土手の強度が弱い、新田川はコンクリ―トの土手が少ない
日本の川はまだ土手の強度が弱いのだろう、川は長いからそのすべての土手の強度を強くすることは相当な手間と金がかかるからまだまだ土手は弱いと思った

川でもやはり部分を見てもわからない、川も全体を見たり流水をみる
曲がっていると流水に影響する、それで土手に圧力がかかる場所が崩れたりする
そして支流も関係していたのである、これが盲点だったのである
                                                              
世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる  よみ人知らず

この飛鳥川は細い川なのである、支流なのである、小川の感じだった、軽くまたげる川である
水無川より細い小川の感じなのである、だから石橋わたるという万葉集の歌でもそうである
石を踏んでわたれるほどの細い川だったのである
でも意外とこうした細い支流でも日本では水があふれて怖いという面があった
何かこうしした支流とかまた水が必ずしも本流の川だけではない影響があって大被害になった
ただ新田川の流れも変わったからこういうことは言える

とにかく日本の国土はある時激変するのである、それが津波だったのである
村ごと消失する恐怖である、水の恐怖である、今回もそれが示されたのである


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2019年10月24日

train go(abstract painting)


train go(abstract painting)

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遠い記憶の交わる線路」

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