2019年10月07日

明治になり天皇が前面に出て年号が重みを増した (江戸時代は地方の祭りとか祭日が重要だった)


明治になり天皇が前面に出て年号が重みを増した

(江戸時代は地方の祭りとか祭日が重要だった)


明治というのはかえって天皇復古の時代になった、それはまず徳川幕府に変わる思想として尊王攘夷からはじまったからである
天皇中心の政(まつりごと)の復活を旗印として明治維新があり新時代があったからである
西欧化というときそういうことはありえない、でも日本の特殊な歴史でそうなった
江戸時代は天皇は飾りであり京都にいて貧乏だったのである
歌を作ってそれを売っていたとか貧乏だったのである
つまりそれほど天皇は重んじられてないなかった、でも依然として天皇は活きていた
勅使とか天皇は幕府でも一応重んじていた、だから年号もあった、年号は天皇が決めるものだからである
でも現実生活では江戸時代は地域が中心の社会であり地方では歴では村々の祭たがあり祭日が重要だった

つまり明治になると西欧列強に対して立ち向かうために強力な中央主権国家が必要になった、富国強兵が国民総意になった、その国民をまとめるために天皇が大きな役割を果たしたのである
だから何か革命としても復古であり時代が逆戻りしたともなる
そこに日本の近代化の大きな矛盾があったのである
でもそうだからこそ日本はまとまることができたとなる、日本では天皇が依然として大きな役割を果たす力をもっていたのである
それは南北朝時代に二人の天皇になり別れたとき全国隅々が二つに分裂して熾烈な争いになった、そのことでも天皇が二人になることは日本では深刻な分裂になった
天皇が国をまとめていたからそうなった、そこにまた日本の力となるものがあった
それはまた悪い面として働くものにもなった、戦争ではそういう面があった

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このように天皇中心の歴になったのが明治である、紀元節とか何か古代に返りなじみがないとなる
ただ明治というのは大きな時代を作った、だから明治となると日本の歴史でも特異な位置をしめることになった
でもその後の大正とか昭和となると明治のような評価がない、大正デカダンスとかなり退廃的なものを感じる
ただ大正は15年だとする短い、そこに何かしらの時代を見れるのかとなる

でも私の父親は明治生まれであり母は大正生まれであり姉も大正生まれである
だから大正時代に親しみをもっている
つまり人間は祖父母の時代までは具体的にその時代を知る、でも江戸時代となると年号があり時代があってもわからなくなる
それで郷土史を調べていて墓とか古い碑をみる、そこに年号を見るのだが時代を逆に見たりする、いろいろな年号があってもそれを時系列で見れないのである
そんなことは明治以降だったらありえないのである
大正が明治の先に来たりまた昭和が明治の前に見ることはありえない
でも江戸時代だと時代を時系列で見れなくなっているのだ

とにかく明治は日本の歴史では大きな重要な時代である、それで「降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男」というのが国民に知られるようになったのはそのためである
明治は日本にとって特別な時代だったのである
その後の大正とか昭和になると何かそういう感覚がなくなる
複雑なのは昭和となると戦争の時代の戦前と戦後に分かれて全然違った時代になったことである

昭和生まれでも戦後生まれと戦前生まれは全然違ったものとなっている
教育からして全然違っていた、それで戦前生まれでも小学生だったと人でも戦前の教育を受けている人は違っている
その世代の差が大きいのである、軍国主義教育でもそれを評価している人もいるからである、戦後は常に戦争は否定されてきた、でもその時代を生きた人は違っていたのである
何かその時代をいいものとして回顧もしているのである
だから戦前と戦後生まれの世代の差は大きいのである
つまり戦前生まれと戦後生まれは人間がそもそも大きく変化したのである

そして団塊の世代は貧乏時代を脱して高度成長時代を経験したのである
何度も言っているように燃料は炭であり何もない所から出発して三種の神器のテレビ、洗濯機、冷蔵庫とかをもつようになったのである
その熱狂は凄まじいものだったのである、テレビにかじりついて毎日見ていた
最初はテレビのある所に人が群れ集まったのである
まさにテレビ時代だったのである、テレビに映るというだけで驚異となっていたのである番組がなんであれそこに映像として映ることで人は魅了されたのである
だからテレビに映るだけで有名人になり選挙に当選した
芸能人がテレビに映って知られているからその人がどうであれ当選できたのである
青島東京都知事になったのもそうである、何の選挙運動しなくても知事になれたのであるそれはテレビで有名になったからである
でも一方で有名なラジオ時代のアナウンサーは姿を消したのである
なぜならテレビ時代は顔とか姿を見るから声だけの人は受けないからである
だからテレビ時代はアナウンサーが脚光をあびたとなる、スターになったとなる

いづれにしろ年号がこれだけグロ−バル化しても日本では採用されているのもそれが通用するのかとなる、また年号自体生き残れるのかともなる
年号というとき昭和からすでに平成になり30年過ぎた、そして令和になった
では昭和はどういう時代だったのか?
それは高度成長時代でありジャパンアズナンバーワンの時代で高揚した時代だったとなる平成はどうかというとその高度成長から失われた30年という経済的には停滞した時代である
そこに氷河期世代とか何か不遇な世代が生まれたのである
その人たちは40歳くらいになり不満を募らせている
人間は世代の差が大きい、5年ちがっても10年ちがってもなかなか理解できなくなる場合がある
高度成長時代を知らない者は絶えず日本が低迷している時代を生きて来たから日本自体がとてもジャパンアズナンバーワンとかの感覚はない
貧困にあえぐだけの国であり日本を脱出したいとまでなっているからだ

とにかく平成から令和というとき令和はさらに日本経済が低迷する
そして少子高齢化で貧困化して最悪の状態になり格差社会となり不満をつのらせたアンダークラスなどが暴動を起こすというときそれもありうると思った
日本の経済見通しで明るい見通しをしているものはほとんどいないからである
アベノミックスなどは官製の政策であり官製のものでしかない
むしろ非常な危険な暴動まで起きる時代に令和はなる
何か令和というのは冷たいという感覚になりまさに冷たい和であり明るいものをイメージしないのである、万葉集から引用したというがそういう春の感覚はまるでないのである
平成というのも実際は平であり伸びないということである
低成ともなっていたのである、そういう失われた30年が平成だったのである
そして令和はもっと悪い冷たい時代なのである、日本がさらに冷えてゆく時代なのである
なぜ自分自身でも60以上になって介護とかその他いろいろ苦しんだのか?
大金は盗まれるとか、介護で助けられると思った人は事業に失敗して借金で追い詰められていてそれで借金を要求されるとか地銀では投資信託で損するとかいいことがなかった
銀行自体もう投資先がないもうける先がないから確実に手数料がとれる投資信託をすすめる、それは客はもうからないものだったのである
ただ金をあづけていれば利子が7パーセントついた高度成長時代とはあまりにも違っていたのである、銀行に金をあづけるともう利子をとられる、投資信託などをすすめられて金を奪われる時代になったのである、その相違も大きい
日本はすでに後進国でありますます貧困化してゆく、そしてその先に見えるのが不満をおさえられなくなり暴動化してゆく、そういう危険な時代が令和だとなる

ただそうはいってもなんらか一筋の光明をみつけてゆくのが人間である
いつの時代も常にすべてがいい時代などなかったからである、戦争時代から比べれば良かったともなるからである、そこで有能な青年が死んでいったからである
だからどういう時代に生まれるでその人の運命も左右されることは確かである
でも時代を親を選ぶことはできない、それが運命なのである
明治維新でもやはり時代を切り開くということがありその時代を作るのはこれからの人だとなる、でもヨ−ロッパが衰退したのはポルトガルで地震があり壊滅的被害がありそれ以後、冒険的精神が失われたという、そういう何か進取の精神とかも時代を作るのに影響している、今の若者にそういう精神がないというときこれもまた日本が衰退してゆくものとなる              

ただ令和というのは内面性を深める哲学とか宗教とか芸術とか何かそうした文化的なもの国風文化が興隆する時代となるかもしれない、成熟した文化の時代になる
経済は衰退しても文化的にはそれだけ蓄積したものがあり華開くとなる
それが自分自身が旅をしつづけてまた蓄積したものが華開いているということがそうである、そして少子高齢化は負の部分が多いのだが長寿というのはそれだけ長く生きるから
文化的なこと知識の分野とか芸術の分野とかでは有利である
ともかく人間は学問するにも芸術を究めるにも時間がかかるからだ
だから自分の場合ようやくこの年になっていいものが詩でも俳句短歌でもできているなと実感する、そして何かいろいろなものを深く鑑賞てきる、批評家に向いてくると思った
ますなかなかそもそも文学でも理解することがむずかしいからである
本を読んでいても理解していなかったからである
そういう面では成熟した文化の時代になるのが令和だとなりこの年号が何かふさわしい感じもするのである   



posted by 老鶯 at 10:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月08日

人の運命を決めるのはその人自身ではない? (事業失敗のカルマ―家のカルマの謎)


人の運命を決めるのはその人自身ではない?

(事業失敗のカルマ―家のカルマの謎)

カルマというとき謎である、運命も謎である、ただその人の運命は誰が決めるのか?
その人自身が決めるのか?また決められるのか?
個々人でも国家という集団の運命は誰が決めるのか?
織田信長は織田信長一人の力で英雄になったのか?
これも不可解なのである、桶狭間の戦いでも信長が奇跡のように勝ったのはなぜなのだろうとなる
駿河の戦国大名である今川義元に奢りがあったことである
圧倒的に兵力が違っていた、その数で奢りになり警戒を怠った
酒を飲まされて兵が泥酔していたところを襲われた
人間はなんでも奢るさとが危険になる

そこには天候が深く関係していた、関ケ原でも霧になりそれが勝敗に関係していた
モンゴル軍が日本に攻めてきて敗れたのも台風が来て沈んだからである
奇妙なのは台風が来てラグビーでスコットランド戦が中止になり引き分けになるからルールでは日本が決勝戦グループに入れると言っている
これも神風だというとき天候が勝敗に関係していると思った

なぜギリシャの神話の時代では戦争は神々の戦争であり神々がそれぞれの国や人を応援していた、神々が戦っていたのである
それは戦争でも何か神々が関与して勝敗が決まるとか見たからだろう
人智を越えたものが戦争にも天候のようにかかわるからそう見た

戦争でも勝敗は一つの原因ではない、複合的な因子があって勝敗を決める
カルマというのはその個人にあるにしても家のカルマとかその地域のカルマとか国のカルマがありその方がカルマとして強く働くのかもしれない
そのカルマには個人で抗うことができないものだからである

だからこそ家のカルマは怖いのである、結婚することはその家のカルマを受けることになるからだ

なぜその人はその女性と結婚したのか?

その女性の家は親が若い時から身体障害者となるような病気だった
それで妻はその夫を生涯世話する立場になってしまった

それもカルマなのかどうかはわからない、でも過酷な現実は逃れようがない
その夫婦から生まれた娘は結婚した
その結婚した相手は実は収入もいい恵まれた相手だったのである

ではなぜその結婚した相手が事業を始めたのか?

これも謎ではある、なぜなら収入がいいのだからその会社にいた方が良かったのだがあえて事業を始めたからである
それはその人は人のとれない資格をもっていて優秀だとされてほめられうらやましがられていたからである

そういうことで自身があり事業を始めれば成功するとその人は確信していたのかもしれない、ただ技術者であったが経営は全く違った才能を必要とされていたのである
そこでつまづいて事業に失敗して借金となってしまった

ただこの辺の事情は良くからないがここで私が問題にするのは

なぜその人は事業をはじめたのか?

それはその人自身が事業をはじめたのではない、その人はある力によって事業をしろとなりはじめたのではないか?
つまりギリシャの神話で戦争するのは神々が強いた神々が戦争をしていたようにである

それは事業をさせて失敗させるためにその人に事業をさせたともなる

だから戦争でもなぜ日本が戦争を起こしたのか?

それはいろいろ言われるが今になると不可解になる
アメリカによって戦争が強いられたのだという経済封鎖されて石油もなくなり追い詰められて戦争になったという理由もわかる
でも何かもう一つ理解しかねるのである

すると戦争を起こさせたのは日本という国自身ではなく神なのかとまでなる
でも負ける戦争をなぜ強いたのか?
ただその戦争がただ無謀だったとは思えないのである
そして勝敗だけにこだわれば日本が負けたのは日本に味方する神が負けたからだともなる日本の神とされた天皇は私は神ではないとして戦後は象徴天皇となったのである

不可解なのは個々人でもそうだが何か神の関与があり運命を決めているのかとなる
すると運命はあらかじめ決められていて変えられないとなる

だから恵まれた環境にある人がなぜあえて事業をはじめたのか、決めたのか?

それが謎なのだけどその人がただ操られて事業をしたわけではない
自らの意志でそうしたのである
人間にはそもそも自由意志があるから自分で決めることができる
これをしていけないと言っても自由意志があるからできる
それを神の力でも抑えることはできないのである
日本が戦争を起こしたのは日本の国民でも戦争しようとした意志が働いたからだとなる
それは上からの命令だけではない、国民の意志が働いたからだとなる

ただ事業を起こして失敗した人をみると何かもともとその人は失敗することに追いやる運命の力があったのかとなる

「あいつは何か傲慢だ、うぬぼれている、みんなから頭がいいとほめられている
それで事業するように自ずからなる、またそうさせる、そして失敗させてうぬぼれを打ち砕く」

そしてその家のカルマが働いた、事業を失敗するカルマをもともともっていたとなる
ただ事業に神がかかわるとかあるのか?これも謎ではある
ただその家のカルマがあり成功させなかったのかとなる
成功していたら相当にうぬぼれてたものになったからである

人間で怖いのは何かで才能でもなんでもうぬぼれる、奢りになることなのである

日本が戦争で負けたのにも奢りがなかったか?

日本はアメリカの強大さを知らなかった、情報が入らなかった
知っていた軍部の指導者はいた、だから山本五十六だったかアメリカとは戦争したくないと言っていたのである
今でも外国を知らない人がいる、でも現代は情報社会でありグロ−バル社会だからそういう偏狭なものにはならないから日本が起こした戦争のようなことは起きないとも思う

人間の奢りは実際は相当に怖いものである、奢れるもの久しからずとか言われてきたのはそのためである、奢ることは滅びに通じているのである
日本が戦争をしたとき奢りがあったことは間違えない、それは原発事故でもそうだった
日本の技術は優秀だから事故が起きない「安全神話」が作られた
それも日本が神の国だから戦争に負けないという奢りになっていたのである
宗教もカルト的になるとそうなるのである
神の国だ仏の国だとなり常勝なんとかとなり奢るようになる
宗教は今やほとんどカルトである、集団化したのはカルトである
そこにまた異常なうぬぼれ、奢りが生まれてくる
仏が味方しているから勝つとか戦争にも勝つとか選挙に勝つとなってしまうからである
そういう過ちを犯さないために政教分離が法律化したが守られていないのである

とにかくカルマというときその家々のカルマが必ずある
その家の家風とかもある、そこには悪い家風もある、そしてその悪い家風に染まるから結婚は怖いのである
昔は家と家の結婚となっていたのはその人を選ぶより家を選んでいたのである
今は人を選ぶからかえってその家のカルマを受けやすいのである
もちろんいいカルマもあるからすべて悪いとはならない、でもカルマとは悪い方に働くのが多いのである

事業を起こすことを問題にしたのは何か事業というのは戦争ともにているのである
戦争も事業だし国家でも経営することだから国家の指導者は経営者になっているのである経営の失敗が戦争の敗北だったとなるからだ
事業を起こすことは20人に1人しか成功していないとかまれなのである
そこには運があったりもする、いくら優秀でも成功するとは限らないのである
だから運命を支配する者が神でありその作用で人間の運命は決まるともなる
人間の運命を決めるのは人間ではできないというとき神が決めるというとき謙虚になる

原発でも科学技術というのは人間が作り出したものであり神が作ったものではないから万全ではないのである、だから事故が起きてとりかえしのつかないことになったのである
つまり人間の奢りが打ち砕かれたのである
そこに神官のようにあった科学技術者も無能化されたのである
その被害があまりにも大きいのでその人たちは高きものだったか卑いものとされたのである、もはや恨まれる者ともなったのである

何か他人の家のカルマと言っているが私自身の家族にもカルマがあった
姉は優秀な女性だった、体力もあり度胸もあり男まさりでありそれで感心していた
でも最後に認知症になり馬鹿になったときほど驚いたことはない
それも不可解でありなぜなのだろうとなった
人間が無能化される、馬鹿になるという驚きである
銀行から金すら下せなくなったからだ
そして(俺は優秀だ)と最後に言って死んだのである
それはニーチェが私は神だと言って死んだのとにている
ただ認知症は今や老人病でありみんながなる
でも人間が無能化される恐怖が認知症にあるのだ

優秀な人→無能化

こういうことが人間に起きる、原発事故で原発で働いていた人たちは科学者でも選ばれた優秀な人たちだったのである
でも事故になり無能化されたのである
人間は万能ではないからそういうことが起きてくる
つまり原発を操作する核を操作する能力が人間にはないからそうなったのである
そして人間が作りあげた文明自体が崩壊してゆく
この辺で起きたことは文明崩壊現象だったのである
なぜなら放射能汚染で住めなくなるということがそれを証明したのである
これは人類の未来を暗示しているのかもしれない
文明は崩壊して自壊して人が住めなくなる、それも人間の奢りからそうなったのかともみるのである

飯館村の水利組合の原発マネーの利権化     (原発マネーはブラックであり人も市町村も汚す)


 飯館村の水利組合の原発マネーの利権化
  
 (原発マネーはブラックであり人も市町村も汚す)

東京電力福島第1原発事故で生じた汚染廃棄物を燃やす福島県飯舘村の仮設焼却施設に絡み、環境省が農業用水路の利用料として、地元農家らでつくる水利組合に3年5カ月にわたり計約2億円を支払っていたことが7日、関係者への取材で分かった。会計検査院は、不要な支出だったと指摘する方針
飯館村は原発事故前は貧乏でも何か素朴な村として見ていた
それで花が純粋に映える、何か高原でもあり原始的なものを感じる
不思議に花が草深く咲いていた、高山植物のような感覚にもなっていた
また木戸木の所は道がなく森で覆われていて清流が流れていた
そこは隠された秘密の場所だったのである  

飯館村は何かこの辺の平地の感覚と違ったものになる、それは不思議だった
それはやはりそうした環境があり昔からそういうふうに開発もされないからそうなっていた、工場があるにしても小規模だし何か自然のままにあった村だった
それで山菜をとることが習慣であり料理の定番となっていた

それが原発事故以後変わってしまった
飯館村はほとんど原発とはかかわっていなかった、でもやはり原発で金になるから働いていた人はいたのである
それでも原発とはかかわらない村だった、ただ風の影響などで被害が大きくなった
だから同情されたのである
でも今や飯館村は金まみれである、補償金の問題で村は二分されているし分裂した
それは南相馬市でも同じだった、補償金でもめて分断された
それは伊達市でもあったというから金でもめるのはどこでも同じである

ここで水利組合とかででくるけど漁業組合ともにていると思った
原発事故以後やはり原発利権が大きいからそこから金を得ようとする
それは権利とあるにしても何か金を東電からむしりとろうとするとも見える
農業用水路というけどその水は実は南相馬市にも流れてくるのである
真野ダムにも流れて来る、すると相馬市でも南相馬市でも汚染された水が流れて来るともなる
土地はつながっているから飯館村で何かあれば影響するのである
海でもつながっているから影響する、その場所だけで処理できるならいいができない
だから前に書いたけどい飯館村の問題は南相馬市とか周りの問題でもある
飯館村だけで決めることができないのである
だから飯館村は南相馬市と合併しなかったけどそれで補償金を独自にもらえるから良かったとしているが実際は土地はつながっているのだから南相馬市の問題にもなっているのだだから別に合併しなくても広域的に対処すべきものだった

まず飯館村は原発利権化した村になった、それは原発マネーで騒いでいる高浜町と同じである
それを喜んでいる人もいる、その人の家は新築されたからである
相当な原発マネーが入ってきたからである
でも何か飯館村は事故前の村の魅力が失われた

例えば花が映えるという時、それは実はそこに住んでいる人たちの心がまともであれば映える、自然の美と人々の心がモラルは関係している
例えば悪しき心の人は花を美として見れるのか?
心が穢れた人が花をまともに見れるのか?また映えるのかとなる
そのことを言えばこの世がすべてそうだとはなる
前は飯館村に行っていたときはその村は隠されるようにあったから良かった
それが今は何かいろいろなものがむきだしになっている
除染されて土がむきだしになり田畑は草ぼうぼうになっている
それからソーラーパネルとかでも景観が乱されている

そしてまた人が住んでいないということでも荒廃している
前は飯館村は広いから一軒一軒森につつまれて家があり広い庭があり畑があり花が映えていたのである、何かそれが高原の村だから花だけが美しく映えたとなっていた
それが今は人は住んでいないし荒廃した
そこから伝えられるのは醜い金をめぐる争いであり原発マネーで利権化した村である
それは高浜町とにているのだ、までいな村とかはもうない、原発マネーに踊らされる村である
だからそうなると花も映えないのかとなる
前は別にいろいろな人がいて田舎の人が素朴だとかなくなっている
でも隠されていたということでそういうものが外から来たとき目立たない、ただ私が見たのは花だけだったとなる

そして立派な施設ができても学校がてきてもそこに通う生徒は地元に住んでいないのである、外から通っている、これも何か人間は果たして立派な施設が学校ができてもそこで良き心が養われるのか?
それも疑問になる、貧しくても良き心は養われることはある
かえってもう原発マネーは巨額なのでそれに惑わされて何も見えなくなってしまう
それだけ高浜町でもわかるように金の額が大きいからそうなる
金にみんな狂ってしまうのである
それが原発マネーの怖さだったのである

そして最後は街は廃墟化してずたずたにされて住めなくなったのである
住めなくなることが最悪だったのである
その土地に住まないということはその土地と離れて住むということは何なのか?
もうそこに愛郷心とか生まれないだろう、一つの原発マネーを得る利権の場所である
村長でも町長でも利権の場として見るということがある
それは高浜町で起きたことと同じである
利権をむさぼるということだけになる、そういうところからいくら金が得てもまともな人間が育つのかともなる

ただ今の時代は金でありそれを否定できない、おそらくもし原発マネーでなかったらそうはならなかったのかもしれない、原発マネーは何かブラックなのである
その金を得てもいいとはなっていないのである
それは福島原発でも高浜原発でも同じことが起きていたことでもわかる
金が湯水のように使わればらまかれるのである
そこから自治体が金にまどわされ狂乱状態になる
そして遺産争いのようになり分裂して分断されてその亀裂が修復できなくなっているのだそれは原発の業(カルマ)だったとなる
原発はそういうカルマを背負っている、それで原発を作った自治体では同じようなことが起きているのである

posted by 老鶯 at 13:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2019年10月09日

飯館村の詩(隠されし村)


 飯館村の詩(隠されし村)

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隠されし村

草深く花は美しく咲き
花は恥じらいつつましく
花は草深く隠れ咲きぬ
一軒一軒森につつまれし家
庭は広く畑ありて花の映える
揚羽蝶は一日花を求めて舞い飛び
疲れてしばし深き木陰に
大石のありて羽根を休めぬ
そこに清流の音のひびき
一羽の小鳥の鳴きて夕暮れぬ
そこに道あれど行く人なしも
そこにあえて声揚げる者なしも
深き森につつまれてひそかに
小鳥の一羽鳴く声のみなりき
そこにあえて装うものもなしも
森につつまれ草深く花の咲きうなだれ
人の暮らしは長く隠されありぬ
そこの森深く未だ知られざる花
つつみ隠されて神の見るらむ
神は道なき道をそっと歩みて
音もたてずにその姿を奥深く隠しぬ


飯館村の一番の不思議は大倉から坂を越えた所の木戸木から森があり清流があったところである、そこは道ができてなくなった
その前から七曲の道があったが車でも不便であり危険だった
でもあそこに清流が流れていて気持ちいい場所だった
ただあそこに戦後開墾した家が十軒くらいあった、それに気づかなかった
何軒はあったが奥にもっと家があった
そこは土地がないから田でも作っても米はさほどとれない、だから相当貧しかった
この?20パーセントちかく戦後引揚者が開墾して入った所が多いのである
浪江町の津島もそうだった、苦労して開墾して住んだから協力して住んだから愛着があるというのもわかる、津島などはもう住めないし帰れない状態になった
そこで中国人の嫁がナタで夫を襲った
その理由が都会に住みたいということだったのである
確かに相当に辺鄙な場所でありそれもわかるとなる
その後どうなったのかわからない

村という時市町村でもそれぞれ個性がある、原町と相馬市は他から来たらたいして変わらないは見るが違っている、相馬市は城があり一応城下町であったからだ
それで入母屋作りに公共の施設はしているから落ち着いて静かなのである
原町は明治以降機関区になって鉄道中心に発展したから駅前通りがある
相馬市はそういうことがなかったのである
原町は鉄道とともに発展した街だったのである

飯館村の特徴はともかく広いということである、未だに行っていない場所があるし一回くらい長泥とかに行った記憶があるけどそれが遠く感じた、自転車だからかもしれないが何か相当に辺鄙な場所だった
あんなところに人が住んでいるというのも不思議だった
ただそこは今は閉鎖されて住んでいない
そして何度も言っているけど飯館村の特徴は一軒一軒が森につつまれて家がある
その前は庭であっても広いし畑がある、そこに花々が映えていたのである
それが何か他と比べて恵まれていたとみていたのである

村にも個性がある、丸森はまた景観的にいい場所であり奥深い秘境のような所があった
飯館村と丸森町は何か特別なものを感じる
村でもいろいろあり地勢も違っているからなかなかわかりにくいのである
丸森も未だに行ってない場所がある、あそこも森が深いのであく
そこでその森の中に入って出れなくなった恐怖を経験したのである

私は別に飯館村に行ってそこに住んでいる人とかかわらない、ただ花を見て帰って来ただけである、でもその時が実はいい時だったのである
今になるともう放射能汚染で土はむきだしになりフレコンパックとか積み上げられて草ぼうぼうなのである、そして補償金争いで村は二分したとかもめている
それは南相馬市でもそうだった、水俣病でも経験者は補償金でだめになったというときここでもそうだったのである
その額が大きいからそうなったのである、ぎりぎりで暮らしている人が一億円とか入ったりしたらどうなるのか?金銭感覚が麻痺してしまうのである、飯館村は被害が大きいから補償金の額も大きくなったからだ

それで小高の人はフィリンピン人の女性に貢ぎ金を使ってしまってないとか異常化したのである
それで自分が小高の人を批判すると「お前は傷に塩ぬって楽しいか」とか批判する
もう被害者意識でこりかたまっている、でも現実はギャンブルとかパチンコでその被害者は遊んでいたのである、それを批判するなというけど事実は事実なのである
批判するべきはそうした内部の人なのである

要するに神はその暮らしを隠したという時、そこはいい場所だったのである
今は人間の醜さがむきだしになっているからだ
飯館村にしても補償金に場所により差があるのもおかしいのである、それは南相馬市でもそうである
隣が高くもらっているのにもらえないとかもある、そういうことで自治体が分裂したのである
そうしたの政府の策略だという人もいるが現実に分断されて団結できなくなっているからうそなのかとなる    

淋しき山々の中にわれは聞きぬ
われを追い来る低き息づかい
目に見見分けがたき動きの音
踏みゆく草生とほとんど同じくかそけき跫音
(ワーズワース)

これは自然に生きる動物のことである、自然の中に入るにはそいうふうに静に入らねばならないのである
ただ大倉の坂道でバイクが飛ばしていたからそういう場所でもどこでも騒音化して乱される
何か現代は自然が必ず壊される乱される、どこまでも侵入してくる
それは何か自然にふさわしくないのである、自然も大衆化とか何かで乱される
神聖な場所にずかずか誰でも入ってくるのである

それは観光でもそうである、外国人が来て商売になるから京都の情緒まで失われるとなる
自然に入るにはそれにふさわしいものとなるべきものだがそれがないのである 
とにかく木戸木の森につつまれた清流の場所は一番神秘的だったのである
なにかその雰囲気が語れない、そういう場所が丸森とかにもある
橲原(じさばら)の奥にもあり未だ発見されていないのである
それはそこに長く住んでいないと意外とわからないのである
だから日本にはいくらでもそういう場所がある、でも地元の人でないとわからない場所なのである

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 自分が求めたのは秘境だった
(ワーズワ-スと飯館村などのこと(自分の詩)

posted by 老鶯 at 08:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2019年10月10日

abstract mountain(抽象画の山)


abstract mountain(抽象画の山)

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The heart of the ancient earth

人間が相手を理解できないのは何故か? (男女差、世代差、職業、地域の差、家族の差、・・・・)


人間が相手を理解できないのは何故か?

(男女差、世代差、職業、地域の差、家族の差、・・・・)


●男女

●世代の差

●文系と理系

●職業の相違 

●宗教の相違

●育った家族環境

●育った地域の差  



●世代の差

人間はなぜ理解しえないのか?理解できない前提となるものが多様なのである
家族でもそうである、親と子も理解することがむずかしい
そこに世代の差がありむずかしくなる、世代が違うことは本当にむずかしくなる
それは明治生まれと大正生まれと戦前生まれと戦後生まれとかそこに大きな断絶がある
それは江戸時代に生まれたものと明治以降生まれた者は違った国に生まれほど変化したから理解するのがむずかしくなる

時代を見ればまず戦争を経験した世代としない世代は大きなギャップがある
戦争とは異常なことだから人を殺し合うということが理解できないのである
だから戦争のことをいくら聞かされても理解できないということがある
人間は経験しないとわからないことが多いからである

それでギブミチョコレートの世代は団塊の世代より5年前だとしても違っていた
団塊の世代は戦後生まれでありその時生まれたばかりだからそういうことをしていなのである、それはまた都会に住んでいる人が経験していたのかもしれない
アメリカの兵隊にチョコレートをねだっていたのである
その時日本には何も食べるものすらなくなっていたからそうなった
そういうふうにして育った人間はどうなるのか?
子供の時から乞食根性で育っていることアメリカ頼りになっている
鬼畜米英の戦争から正反対の社会で生きたことになるのである
戦後の人間はギブミチョコレートになった、ただ物質欲だけの人間である
アメリカに勝つまでは欲しがりませんからも全く正反対の環境で育ったとういことである

それから団塊の世代は高度成長を経験している、それが失われた時代が30年とかつづき経済が停滞してさらに悪化して日本が貧困化して後進国になるほどだというときも何なのだろうとなる
銀行に預ければ利子がつく時代は終わり銀行でもゆうちょでも金をあずけても利子はつかない、むしろ投資信託とかゆうちょでも保険をすすめられて金は奪われる時代である
そして銀行員はいらない、銀行は消えるというのも時代である

平成に生まれて育った人間は高度成長時代がどういうものだったかを理解できない
またその世代を理解できないとなるのだ、いつも不景気であり非正規のワーキングプア大量にいて上級国民と下級国民の格差社会の中で苦しんでいるだけだとなる
高度成長時代は団塊の世代を中心にして中産階級が大量に生まれた時代である
みんな給料でも毎年のように上がり上昇している経済である
所得倍増の時代でありその時の雰囲気は停滞して下降するだけの経済とは違うしその雰囲気も違っていた、ジャパンアズナンバーワンとかなって日本は凄いとなっていたのであるそれも20年くらいで終わってしまったのである

●職業の相違

そして一番理解しえなくなっているのは職業が違うと基本的に相手を理解できないのである、それはもともと大昔からあったことである、それで海彦山彦の物語が日本では生まれたのである、その職業が生業が違うから理解できなくなる
その差も大きいのである、遊牧民と農耕民は全く違った生活をしていたから理解しえないので戦争になったのである

そういうことは民俗学だと山で暮らす人が木地師とかいて木材を加工してお椀とか日用品を作っていたが神秘化されて伝説化されたのはそういう職業が理解できないから神秘化された、他にも農民からして理解できないものがあり神秘化される
産鉄族などでもそうである、鉄を作る職業というのは理解しにくいからである
今でも無数の職業があり今や隣は何する人ぞとなり田舎でも隣が何をして暮らしているのかわかりにくいのである、子供時代は狭い範囲で生活していたからほとんどわかっていた何をして暮らしていたかわかっていたのである
燃料は炭だし木材をとるキコリがいたり漆塗りの職人がいたり籠や笊を作る竹職人がいたりと身近でその仕事が見られてその仕事が子供でも目にしているからわかりやすいのである

現代は本当に職業がわかりにくいのである、それだけ文明が複雑に無数に部分化しているからである、まず株をしたとして今のグローバル株式市場などわかることは不可能である地銀だと何か地元の経済を発展させるために投資しているのかと見ていたがそういうグローバル経済の株とか投資信託に投資する、投資信託といっても外国人がかかわって株をもったりしているから自ずとグロ−バルになっている
そうするとグロ−バルに思考しなければならなくなりもうどうなっているのかわからないのである、だからギャンブルとなっている
そしてそこでもうけているのは金融を操作する極一部の数パーセントの人たちが世界の富を収奪しているともなっている

人間が理解できないというとき理系と文系がそもそも理解し得ない
この差も大きいのである、だから理系は文系を馬鹿にするというのもわかる
文系にすると理系の人間を理解しにくいのである
理系から見れば文系はどうしても馬鹿に見えるのである
私自身が文系だから理系の人の方が優秀だと見る、高等な数学とか化学式のことがわかるとなると理系は優れているとなる、だから文系の大学は廃止すべきだとなるのもわかる
文系の大学はそもそも遊びだったからである
でも高校しかでていない人は大学のことがわからないのである
そこにも互いに理解できないものが生まれる

人間はそもそも家族同士でも世代間の差があり男女の差があり互いに理解できないものとなる、それで男女の行き違いから離婚がもはや二人に一人とかなっているともなる
それだけ男女の差が大きいからそうなっているのである
その他に育った環境にしても家族構成がみんな違っている
どういう家族で育ったのかも違っている、兄弟の多い家族で育ったものと一人っ子とかで育ったものはまた違っている
長女とか長男とか妹と弟は不思議に性格がそれなりのものとして作られてゆくことも不思議である、だから男女でもどういう家族環境で育ったかで違ってくる

それから育った地域の差もある、暑い所と寒い所で育った人間は違っている
沖縄に云ったらなたは東北人だねとか何も話ししないのにわかったというのもそうである東北人には東北人独特の体臭のようなものまである、何か打ち解けないとかある
大阪人とか比べると余りにも違っているとなるからだ
そこでも人間は理解できなくなる、みんな住んでいる場所が違っているからである
そもそも海側に住んでいる人と山側に住んでいる人は感覚的に違ったものになる
地理の影響も差異も大きいのである 

●人間は経験しないことは理解できない

ただ人間は経験したことは理解できるのである、ただ一人の個人の経験は限られているから理解する範囲が狭いのである

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2019−10−10 SPA

きちんとした防寒具や手袋が支給されると思うけどそれでも寒い。極寒の環境で8時間以上作業をするのは超辛いです

手がかじかんで指の感覚が無くなります。寒すぎて気持ちが落ち込みます

 だから長期間続ける人が非常に少ないく、みんなすぐにバイトをやめてしまいます。

零下20度で8時間労働はもう生命の危険になる





こういうことは経験している、20代は底辺労働者だったから寝る所もないことがあったから理解できる

建築現場で4階から落ちそうになった、その時が一番危険だったとふりかえる
建築現場はそれだけ危険なのである
だから誰もやりたくない、日本人はやりたくないとさけて外国人にさせているのであるでも俺は高い所が平気だむしろ好きなんだとかいう鳶がいたのには驚いた
そんな人もいるのかとなる、そういう人間も理解できないとなる

一番厳しかったのは冷凍室のバイトである、これは本当に厳しい
零下20度になるとそれをつづけていたら病気になることは確かである
そういう仕事も社会にはあるということである、そういう場で働くのはやはり追い詰められた人たちかもしれない、そんなところで働きたくないからである
私自身は体力もないのにそういう所で働いていたのである
寝る場所もないような時もあったから喫茶店でいつまでもいたというのもそうである
だからこれは自分自身が経験したから理解できるとなっているのだ
まず冷凍室で働くの本当に危険である、体がどうにかなってしまう
おそらくシベリアとか零下の温度で暮らしている人ならかまわないのかともなる

結局自分の場合は20代は相当に苦しかった、それで20代で老化していたのである
でも不思議なのは30過ぎてから家に帰り仕事もしないで楽に過ごした
そのために体力が回復してきたのである
そうして30年とか長く生活していた、無職として家にいただけだった
後は旅行しているだけだった、登山などもしたが体力ないから辛くてやめたのである
一時死ぬほど疲れたからである

ただ言えることは人間若い時はあえて苦しんでおけというのは本当である
まず若い時楽して高い地位についたり大きな金が入ったりしたらうぬぼれるようになり危険である
でもそういう苦しみの生活が延々と40代とかまでつづくとなると耐えられないとなる
今はそれが問題なのである、いつまでたってもそういう底辺労働者として安定しない苦しむ生活になると別だとなる
私の場合は家族環境に特別恵まれていたから良かったのである
そういう底辺労働をやめることができたからである
あとは自由に生きていた、自分のしたいことをしていたのである
だからこういう一生も不思議だったなと今でもつくづく思う 
奇妙なのはそういうことでニートとか引きこもりと自分は共通の体験をしている
社会からはずれた人間として生きてきたからである
これもそういう生活をした人でないとまた理解できないとなる、私はそういうことで社会からはずれて生きることがどういうことか体験してきたからわかるとなるのも奇妙だがそうなる
普通に社会人生活した人はそういうことを理解できないとなるからだ 

●それぞれの性格の相違

私はそもそも学校でもそうだし団体生活になじめない性格だった
でもなんとか集団生活になじもうと大学でも体育系の部に入った、でも一年でやめた
それかからカルト教団に入ったのもそうである、何か集団になじもうとしていたのである
しかし後は集団とか組織は嫌い一人自由に生きてきたのである
ただここにも問題があった、自由に一人生きられるたとしてもそこには大きな問題があった、社会性が身につかなかったとかあり小人閑居して不善を成すとなったのである
だから一人で自由に生きられるとしてもこれも意外といいように見えても簡単にみんなできないと思った
それにも自由に生きる能力が必要になる、だから天才はニーチェのように社会から離脱して異常化したのである、ただ社会から離脱するとニーチェのように凡人でも成り安いのである、何か引きこもりとかでもおそらく自分が特別優秀だとしている人がいるからだ
仕事をしていないと何か不思議なのだけど自然に没入して自然のリズムに合わせていきるようになる、すると会社とか社畜として生きるのとは相当に違ったものとなる
それは異常化するにしてもそこで芸術とか詩とか作るにはいいと思った

私はもともと人と付き合うのが苦手であるから一人家に籠って沈黙していたのである
すると沈黙するということは自然に没入することなのである
山でも大地でも自然は沈黙しているからその自然の大きな沈黙の中に入ることになるからだ、だからニーチェがなぜあのようになったのか理解できるのである
それもやはり人間は経験しないとわからないのである
自分自身がニーチェのように状態にあったから理解できるのである
誰が一番沈黙したのかと言っているからだ
キリスト教徒になったとしても自分は集団が嫌だから教会に一回も行ったことがない
むしろその生活はニーチェのようにな生活だったのである
社会から離脱した生活をしていたのである、それも30年とか長かったのである
だから異常化していたとなる

ともかく人間は互いに家族すら理解できない、それは世代の差とか男女の差とか育った環境の差とかいろいろあるからそうなる、それで離婚が多いのもわかる
現代はもともと複雑多様な環境でみんな違ったものとして育っている
そして遠く離れた人と結婚するのが普通てある
するとますます育った地域が違うから理解しにくくなる
それで江戸時代は近くの人と村内とか結婚しているし職業も似た人と結婚している
職業でも大工の人は大工の家の人と結婚することが多かったからうまくいっていたのかともみる、それでも江戸時代にやはり離婚が今と同じように多かったのはなぜなのか?
それだけ結婚自体がいかにむずかしいか、理解しえないかを物語っているのである    

では人間はみんな理解できないのか?例えば愛というとき母の愛とか恋愛とか同情とかいろいろある
そいういうものは通じる、でも宗教が違うとこの人はイスラム教だ、キリスト教だとかなりそこに差別が生まれる
そして苦しんでいる時でも助けないとなる、キリスト教徒でもキリスト教でないのものは人間でないとまでか南米ではなった
そういう宗教の差別が厳しいかそうなった、それで血で血を争うにようなったからフランス革命が起きた
そこでは宗教を否定して人権でありヒューマニズムで平等を目指したのである
つまり人間はこうして互いにいろいろな差があって理解することがむずかしいから争いが絶えないのである
いづれにしろ人間から争いがなくなることはない、それは家族自体でも争っているからである
自然は調和しているからそこに平和と美がある、それは神の国を現している
でもそこに住んでいる人間には調和がないのである








2019年10月11日

実りの季節に農業を考える (田畑の復興があって原発事故からの復興があった)


実りの季節に農業を考える

(田畑の復興があって原発事故からの復興があった)

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実りに映えぬ
あざみ
われもこう
草の花
などか心なごみぬ
それぞれの味わい
紋の違う蝶
この道今日も我は行く

実りがないとあるとでは相当違うと思った、それはこの辺では一時稲の実りがなくなっていたからである
草ぼうぼうになっていたからである、今でも避難区域になった小高とか浪江は田んぼは草ぼうぼうである
浪江の人は原発で働いていた、それで補償金をもらったかさ老後の心配もないから良かった良かったと言っているのも理解できなかった
その人はおそらく原発で働いていてそれで暮らしになっていたからそう言ったのだろう
別に米がとれなくても金があれば今買えばいいからである
つまりその人は周りの田畑とかは関係ないとなっていたのである

実際は今は田舎でも農業している人は一割にもみたない、専業農家だとそうなる
あとは補助金農業と言われる兼業農家である、そういう人はもう退職金を出すからやめてもらって大規模農業する人に土地を売ってほしいと国でしてもらいたいと言う人がいる
現実には一千万も収入がある農家が全生産の八割を作って市場に出しているのである
近くの畑を趣味でしている女性もすでに70くらいになると腰が痛いとかで草むしりすらできない、それで草むしりを機械を持っている人に頼むと一万以上かかる
それかうなってもらうのにも金がかかる、そうして何かとれるかとなるとほとんどとれないのである、その他農薬から種から肥料から金がかかるのが農業である
だからそんな零細農業は普通だったしないのである

ただ農業は前にも書いたけど食料を生産するというだけではない、生態系を維持するものとしてもある、それで田んぼが草ぼうぼうになったときそこに蛙がいなくなった
そして鷺もいなくなった、田んぼは水田は蛙とか餌になるものがいて鷺がいる
水田は生態系を維持していたのである
そういう役割もありただ食料を生産するというだけではないのである
都会の人はそれを見ていない、ただ食料として見るだけである
そうなら外国の米でも安いしうまいからいいとなってしまうのである

だから実りがない風景は異様だったのである、荒廃していたのである
そこにはまた暮らしもないのである、今実りの季節であり黄金色に染まっている
そこに秋の花が咲いている、それも実りがあって映える、暮らしがあって映える
田んぼが草ぼうぼうだったら映えないのである
農業は軽視されてきた、金にならないと軽視されてきた、そして誰も後継いでやるものがいなとなった、ただ現実は8割の一千万収入がある農家が8割を生産している
そしてそういう農業は将来性がありかえって投資の対象になっている
そして日本の農業はきめこまさがありその技術が優秀なのである
だから果物でも輸出したりしているし米でもうまいのである

それより農業の特殊性は自然と密接に結びついている職業であった
自然の一部として機能していたのである
だから田んぼがない田舎が田舎になるのかと田んぼが荒地になったとき思ったのである
その変化は信じられないものだったのである
確かに街がゴーストタウンになったのも驚きだったが田畑も荒地化したことにも驚愕した一時北海道のような湿原地帯にもなったからである
海岸地帯は釧路湿原のようにもなったからである

ともかく田舎だと田畑がない世界は考えられない、それで自分の見方としては田畑が回復しないと復興したとはならないともみる
そこに新しいドローンとかロボット工場ができるのはいいとしてそれだけで田舎は復興したとなるのか?それは必要でもそれだけで田舎は復興したとはならないのである
もともと工場地帯だったら復興したとなるが田舎は田畑がまずあって生態系かあって暮らしがあって復興したとなる
だから小高でも浪江でも飯館村でも復興していないのである
そもそも飯館村だと立派な施設を学校を金をかけて作ってもそこに住んでいる人が帰ったにしても1000人とか少ない、また若い世代が帰ってこないから子供は村外から通っている、それも不自然なのである、何か全体が不自然なのである
そこに暮らしがあって田畑があり実りがあって自治体でもありうる
その基本が失われているから実りもないとなる
実りという時稲の実りだけではない、いろいろな実りがある、文化的な実りもある
それなくなるのである、だから荒涼としたものとなっている

原発は確かにそこが金になる働き場所として地元では歓迎された
飯館村の人まで働いていた、そこは三倍くらい給料が高いからである
それで職を探している人が15万ではやっていけないと言っていることでもわかる
その人も原発で一時働いていたから失業すれば原発で働けばいいとなっていた
それだけの効用が原発にあったから地元に恩恵をもたらしていたから反対する者はいなかったのである

ただそこに落とし穴があった、事故になってこんな状態になるとは思いもよらなかったのである
そして農業でも見直すものとなった、漁業でもそうである、もう漁業になると事故前から多額の補償金をもらっていた、漁業権は大きな権利だったからである
そして魚が汚染されてとることもできなくなった
何か田舎に暮らす基本的なベーシックライフというか基本となるものを見失っていたのである
ただ農業している親が子供に農業だけはするなと殴ったというのもそうである
それだけ農業とかは金にならないということで後継ぐ人もいなくなっていたのである
それで大原の古い農家は一人残された父親が死んで跡継ぎの息子は市内で働き空家化したのである
つまり金にならないということでそうなったのである
でもその人は5町とかの田んぼを請け負ったりして農業をつづけていたのである

いづれにしろ人間の暮らしというのは今や金だけしかから考えない
そこにも大きな落とし穴があった、人間が生きるということはどういうことなのか?
そういう基本的なことベーシックライフを考慮しない、ただ金になればいいとしか考えない、でも現実問題として金が優先される
そのことでまた故郷にすら住めないとまでなってしまったのである
そして今農業が見直されているというのも皮肉である
ただこの農業は大規模農業だから今までの農業とは違っている
もう機械化ロボット化IT化された農業になる
でも農業が日本では成長産業だということも電器産業などが衰退すると注目されているのは皮肉だとなる

ともかく実りの季節がもどりいいものだと見た、すでに原発事故から8年以上過ぎた
そしてようやく実りを感じたともなる
ただこの辺の米は飼料米となっているのも淋しいとはなる
何かそれでは作り甲斐がないとも農家ではなるかもしれない、でも補助金とかはもらえるとかなっている、それも問題なのだけどやはり農業の価値は食料だけではないということを考えないのである、特に都会の人はそうなっている
でも田畑がなくなることは日本の自然が失われることであり延々とつづいた文化すら消失するのである、もうすでに一部は消失している
村の御先祖様になると言ったいた人がいたがそれが村という共同体があってこそである
それがなくなったからもう御先祖様にはなれないのである
太原とかでは現実に跡継ぎもいなくなった家が空家になっているからそうである
息子は跡を継がすに市街で暮らしているからである

ただこの御先祖様になるということは実は大きな重みが意味があった
なぜなら考えてみると会社があったとしても退職するともうその縁は切れる
その仲間とも交流がなくなる、それで地域で何か役割を果たすにしてもそういう地域がないのである、それで生きがいも役割もなくなるから問題なのである
でも村とかの共同体があるとそこは死んでからも御先祖様になるという文化がある
そして村には共同墓地がありホトケッポとかありそこに村人は一緒に葬られたのである
そういうふうに代々受け継がれる生活があった、継続された生活があった
だから御先祖様になれたのである
それは宗教というより文化でありそこに重みがあり生の意味があった
会社は社(やしろ)に会すというとあるがそれはもう継続しない、今の時代は技術革新が速いから継続しない、だから会社にアイディンティティを求めることは無理である
それは一時的なものなのである

村の生活のアイディンティティは死んでからも御先祖様として生きつづける長いものなのである、そういう文化が失われたとき生きる意味も失われたことを知るべきなのである
ただ食料だけを生産するものではない村で生きることは人間のアイディンティティを作った場所だったのである
現代はそうしたアイディンティティを作る場所がない、根無し草にみんななってしまったのである、だから生きる意味も持ちにくい、ただ金が神のようになり金に操作されて生きているだけになる、まずグロ−バル経済では文化は育たないし生きる意味なども作りえないのである
だからといって昔の村にはもうもどれない、歴史は逆戻りできないようになっているからだ、ただ復古があったとしても別なものになった復古なのである
でもまた日本の農業が見直されているということはやはり新しい復古なのである



posted by 老鶯 at 11:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

台風19号の予想は大げさになっている? (過去の自分の経験などの台風被害をふりかえる)


台風19号の予想は大げさになっている?

(過去の自分の経験などの台風被害をふりかえる)

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過去最強クラスの台風19号は、12日、非常に強い勢力を維持したまま、関東や東海に上陸する恐れが高まっている。気象庁は、11日午前、緊急会見し、1200人以上の死者・行方不明者を出した台風に匹敵する被害が出る恐れがあるとして、極めて強い危機感を示した

1958年(狩野川)9月に、狩野川台風(22号)が来襲した。
1959年(宮古島|伊勢湾)9月に、宮古島台風(14号)、伊勢湾台風(15号)が相次いで来襲した。

1986年(昭和61年)8月5日から6日にかけて、台風10号から変わった温帯低気圧が房総半島を通過した。低気圧の動きがゆっくりだったことから、湿った空気が長時間にわたって流れ込み続け、茨城県、栃木県、福島県、宮城県を中心に2日間の降水量が所によって400mmを超える記録的な大雨となり、各地で河川の氾濫が相次いだ。

台風で自分の家はにかい床上まで浸水した、伊勢湾台風の時は家が平屋でトタン屋根であり流されるところだった
角に電柱がありそこに流れた木材がぶつかりとまりかろうじて家が残ったのである
私の家は街中で一番低い場所にあり水がたまる場所だったのである

1986年の台風なのか?その時は裏の堤防が決壊して床上になった
伊勢湾台風の時はもう家が流される寸前だったがその時は床上浸水でも川下の堤防が切れた水があふれたのであり上流から流れることはなかった
伊勢湾台風の時は上流の堤防が切れたので道路を滝のように水が流れてきたからひどかった
ただ同級生が言うには伊勢湾台風ではなくその一年前の狩野川台風だったともいう
何か過去はこうしてそんなに前でなくても順序もわからなくなる

古老として武田邦彦氏が台風のことを語っていた
その当時はとにかく家はヤハであり掘っ建て小屋のようなもので頑丈でなかったことは言える、だから風にも弱かった
私の家はトタン屋根であり常に雨漏りしていた家で雨が降ると洗面器だらけになっていたその経験から二階建ての頑丈な家を建てたのである
そしてその時自転車が水害で壊れてあったのを見たとき泣いた
その時から自分は自転車に思い入れがあり好きだったともなる
ただその時の自転車はいいものではなかった、大人用であり子供用の自転車はなかった

日本は地震とか台風被害があり今回のような津波もある、災害の国なのである
そういうカルマを持っている国なのである
ただ今回の台風情報では武田邦彦氏は大げさだとも言っている
つまり家はそういう時代からすると格段に改良されて頑丈になっているからである

そして河川改修も大規模に全国的にしている、この前広島だったか川が氾濫したのは河川改修をしていなかったからだった
二回川が氾濫しただその後大規模な河川改修をした結果その後大きな水害はなくなったのである、だから台風には備えることができているとはなる

それでなぜこんな大げさな警告を気象庁で出しているのか?
それは気象庁を危険を警告するから大事なものだということを知らせるためだとしているそこに税金を使わせるためだとしている
それも一理あるのか?何かなんでも今は金で動くからである
ただどうなるかはきてみなければわからないがそれなりの備えが家でも今できているから大きな被害になるとは思えないのである
それは実際はわからないにしても何か大げさになっているような気がする

しかし一方で津波に関しては無警戒だったとなる
それは400年に一回とかなるともう忘れているからだ
日本人がなぜ忘れやすいのか?
それは次々に台風でも地震でもくるし季節の変化も激しい
それをいちいち気にしてもいられない、それで忘れてしまうのである
台風一過台風一禍)の青空になる
もう400年前の津波となると記録すらなく全く忘れてしまったのである
そこでこの辺では津波は来ないという確信にまでなっていたのである
それで老人は逃げずに多数死んだのである

ただ台風に関してはしょっちゅう来ているから備えることもできる
過去の台風でもまだ記憶にある、経験した人が多いのである
ただ狩野川台風とか伊勢湾台風は相当前だからわからなくなる
5000人くらい死んだとなるとその規模が違っていた
ただその後はそうした大きな死者の出る台風被害はないのである
そこが台風に備えができたということになる
ただ東京のような所に来たとき予測し得ないことが起きる
台風に弱いところがでてきて被害になるかもしれない、でもいくら風が強くてもトタン屋根の家とかはないのだから掘っ建て子屋のようなものは今はない
すると風で飛ばされる飛ばされることはないだろう
一部はあるにしても全体的にはない、それで千葉では屋根の瓦があれだけ飛ばされたからそういう被害があるのかもしれない。

ただ気象庁の警告は大げさに感じたというのはわかる
ただもしそういうふうに警告しないと被害が大きくなると責められるから大き目に警告しているのかもしれない、それは津波で経験しているからである
最初に3メートルの津波だと言っていたのに次にすぐに10メートルの津波だというときもうその大きな津波が街を襲っていたのである
最初から10メートルと言っていれば驚いた早く逃げた人がいたかもしれないからだ

とにかく千人も死ぬとかの台風は狩野川台風とか伊勢湾台風以来起きていない
そのときは日本が相当に貧乏な時であり家自体が掘っ建て小屋のようなものが多かったからである、そして江戸時代のように火事が多い時は長屋住まいであり物を家にはない
だかち身一つで逃げることが備えだったのである
だからこれもその当時の災害に対する備えだったのである
津波などでももう何ももっていいけない、身一つで逃げるほかなかったのである
そして身一つ逃げて助かったと避難所に来た人がいた
命が助かって良かったとしている、これもショックだが津波も防ぎようがないものだったのである
家に今はいろんなものがあるとそれに執着するから早く逃げられないすると死んでしまうとなる

まず日本は災害の国だったことを本当に津波で自覚させられた
ただ津波は400年に一回に巨大なものが来るとして備えることができなかったのである台風はしょちゅうきているから備えることができるししてきた
その予測でもそれほどはずれないのである
でも狩野川台風並が来て死者が千人以上出るようなことはない
でも警戒することにはこしたことがないとはなる
でもあまりにも警戒過ぎるのも問題という指摘はやはり当たっていると思う 

台風被害があっても狩野川台風並みであり死者が千人出るのかとなると恐怖になるからだそういう報道の仕方に科学者の立場から批判するのはわかる
武田邦彦氏の強みは科学者であることなのだ
テレビ放送局は科学の専門家がいないのである
ただyoutubeとなるとすぐに緊急の時放送てきないことがある
個人的には放送するにも動画だとしにくい、それで早いのはテレビだとなる
でもテキストだったらプログでもこのように放送できるのである
ただこういうときテキストとかはあまり読まない、そこにyoutubeの動画がテレビ放送になっている強みがある、だから視聴率をとるにはyoutubeだとなる

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死者8000人

こんなに危険なのか? これを見たら恐怖になる…結果は・・・・
こういう記事を警報をだしていいのか?

はずれたらどうするのか? やはり大きく見積もった方がいいからなのか?





posted by 老鶯 at 18:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月12日

人間は自分の住んでいる場所の危険の自覚がない (文明化してかえって危険に対する直感力が欠如していた)


人間は自分の住んでいる場所の危険の自覚がない

(文明化してかえって危険に対する直感力が欠如していた)

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家がなんでこんなに密集しているのか?
何か不自然だ、こんなに家が密集していいのか?

そういうふうにここを通った時感じた、それは人間の直感力だった
それは人間だったら誰でももっているものだったのだろう
そこの津波の被害が一番大きかった、死んだ人も石巻では一番多かった
ただそこに住んでいる人自体がそうした危険とかの直感力がなくなっていたのだと思う
三陸では津波が明治にあって一万人死んだとかあるが
ここではやはりなかったからである


千葉県がなぜ台風に連続して襲われ被害があるのか?
それは地形をみると太平洋に半島のように突き出していて風が強く当たる感じになる
だから館山に来たとき風が強かった
それは一回だけ行っても記憶に残っている
館山だとさらに半島の突端だからである

そして意外と東京は湾が深く入っていて津波でも弱められるから大きな津浪の被害が過去にもなかったようである
津浪が危険がなのは湾とかがなく直接海に面した所なのである
そこは前にさえぎるものがないから危険だったのである

地の利というのはどこでもある、だから私は旅をして地理に興味をもったのである
災害でも歴史でも地理から離れて人間は考えられないからである
ただ地理とか風土は本当にわかりにくい、地図を見ただけでもわからない
土地の高低とかいろいろ複雑に構成されているからわからないのである

原発でもなぜ福島原発でも最初にすでに地震で配管などが壊れて原子炉も傷ついたとか言われる、つまり地震ですでに破壊されて次に津波で致命的結果となったのである
そういう日本の風土に合わないものをなぜ作ったのか?
それが一番の問題だったのである
ただ東京湾は津波に強いから原発は東京に作るべきだったのは本当である
これだったら東京の人は反対しても国民は納得した
つまり東京に作るくらいだから安全だとなるからだ
安全対策は万全だと見るからだ、福島は離れているから東京の人は事故になっても影響がないとなるからだ

人間は日本の歴史が長いとしても依然としてどこが危険なのかその地元に住んでいる人がわからないのである
南相馬市の鹿島区の海老村の崖の上の高台は直接海に面しているのにそこが避難所に指定されていて30人くらい死んだ
これも全く津波のことがわからないからそうなっていたのである
なぜなら海老だったら別にちょっと50メートルでも歩けば助かる地域だったからであるそれも車の渋滞などもない、村なのだからない、それなのにわざわざ一番危険地帯が避難所とされてそこに逃げて死んだのである
津浪に関してはこの辺では何も知らないからそうなったのである
400年前に津波で被害があってもそんなこと学者すら知らなかったのである
だからこの辺は津波が来ないと確信して老人でも多数死んだのである

今回の台風では高潮のことが言われる、海老村でも八沢浦の方で津波の前に高潮の被害があった、海岸では高潮の被害が常に起きている、それで磯部では400年以上前にその土地の支配者が館を移していたのである
それは慶長津波の前だった、人間はこのように危険な場所には住まないのがいい
でも日本は狭い土地だから危険な場所に海で山でも住んでいる
海側の場合は魚をとるから港が海岸にあった方がいいとなり明治の三陸の津波で一万人死んでも海の近くに住んでいたのである
そういう危険な所に住み続けていてまた津波で大きな被害になったのである

とにかく日本は災害の国である、災害から逃れられないのである
地震、津波、台風、・・・から逃れられない、最近では家は地震で壊れないように作られている、でもかえって今度は台風に弱いとかなっていた
でも河川改修しているから洪水は起こりにくくなっている
私の家は二回水害に見舞われたからである
河川改修してから起きていないのである

日本人が自分の住んでいる場所のことがわからない、地理のことがわからない
一番今になって感じたことは石巻の海岸の所で日和山の下の所に家が密集していたのである
そこが津波で根こそぎ破壊されたことはショックだった
そこを通った時なぜこんなに家が密集しているのかと見た
何か直観的に危険なものを感じた
でも津波のことなどそこでも考えることもイメージすることもなかったのである
その土地からイメージする力が弱まっているのかもしれない
肝心の自分の住んでいる土地のことがわからなくなっているからだ
それはメデアの影響もある、なんでも危険でもメデアが知らされてくれると思うようになったからである
自分の住んでいる場所すら何か無頓着になっている 

その点縄文人の方が自然に対して直観的に敏感であり備えていたかもしれない
つまり科学が発達しなくても自然と密着して暮らしていたから敏感になる
現代文明人はあらゆることを科学とか技術とかメデアの情報に頼る
すると自分自身の住んでいる場所もそういうものに頼る
そして直感力が働かなくなったのである
大阪の方で東日本震災で地震があったとき震度いくらとかメデアでマスコミで報道した
でも実際はそれ以上に大きく感じたからその人間の直感力の方が正しかったのである

直感力が欠けた現代文明人に危険がある

海老村でも崖の上の危険な場所に行ったのは自治体で指定されたからである
それも危険だったのである、むしろ瞬間的に直感力が働けば助かったとなる
海に面している所を危険だという直感力が欠如していたのである
だから第六感とかいうのも大事になる
瞬時に判断しなければならないから直感力に頼ることが安全に通じる
それは動物の本能と同じである、動物は危険を本能的に察して逃げるからである
人間にもそういうものが備わっているのだけどそれがあまりにも科学技術とかが発達して機械に頼り道具に頼りまた今度は政治的には自治体とかに頼りすぎた結果だともなる

自治体の判断に頼り専門家に頼り機械に頼りメデアにマスコミに頼り・・・

結局すべて他人まかせであり自分自身で何でも判断できなくなってしまっている
そこに自分の住んでいる場所でも知らないから判断できないとなった
とにかく日本は自然災害が多い国である、だからその備えをするべきなのだが文明化するとかえってできなくなる、そして停電でわかるように電気に頼っていると電気が止まるとなにもできなくなる、米もたけなくなるのである
それで三陸とかで津波被害にあった所では裏山の清水を飲み米を木を切って燃やしてしのいで助かったのである、交通路が遮断されたからそうして生き残ったとなる
それがもう東京とか大都会ではできないから大惨事になる
文明というのはかえって自然災害に脆弱化していたのである

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2019年10月13日

台風19号の南相馬市の真野川の増水写真 (コンクリート用水路の影響もあるのか?意外と水が出て危険だった)


台風19号の南相馬市の真野川の増水写真

(コンクリート用水路の影響もあるのか?意外と水が出て危険だった)

真野川の増水
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夜は危険な水位になっていた
やはりこういうときは夜も警戒する必要があった
二階で寝ていたら下が雨漏りで水浸しになり風がふきこんで物が散乱していた
これも失敗だった、下に寝ていたらかたづけたからである
河川改修前だったら洪水になっていたかもしれない
だから意外と水が急速に増水していたのである


丸森町の阿武隈川は氾濫した

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結構水出ていた、最高位は危険な状態にもなった
朝は退いていたからだ
山の方が相当に降った

ただ最近なぜ増水するのか、洪水になりやすいのか?
これはわからないにしても支流がコンクリートの堀になっているから急速に本流に水が集まるのかもしれない
これは河川を研究している人が言っているかもしれない
コンクリートの堀は急速に水が集まり流れやすいそれが本流に集まる
何かこの辺も洪水になり安くなっているかもしれない
あらゆるところがコンクリートの堀になっている
もし前のように土の小川のようになっていれば田んぼの方に水があふれたりしてして
そこが貯水池になったりする、すると本流にはそんなに水が集まらないとなる
ただこれは素人の見方であるから本当のことはわからない
これを研究している学者はいるだろう 

側溝や排水路は、上流で発生した大雨で一瞬にして牙をむきます。上流の水が水路に集中していっきに流れ下ってきます。それがコンクリートで覆われている人工の水路の怖さです。

これは子供などがこういう急激な増水で流されやすい、死んだりする
良くニュースでも大人でも老人でも流されて死んだりしている

田んぼダム

周辺の土地が森林から宅地に開発されたりして、地面に雨がしみ込みにくくなると、降った雨のほとんどが短時間に川に集中することになり、洪水が起こりやすくなることがわかっています。


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新潟県は湿地帯であり潟にできた県、新潟はその名の通りだった

豪雨水害ー水はこうしてあふれる(NHK)


これは新潟県の土地の高低の図である、新潟県は潟(かた)の県だったのである
低い土地が多いことでわかる、つまり潟を開拓して田んぼにした県だとなる
その土地の由来が今も同じなのである、土地自体は変わらないからである
ただ森に水の貯水機能がありとか田んぼにありとか何かそうした機能が失われると増水しやすくなる
河川改修で洪水が起こりにくくなってもそうしてまた別なことでかえって便利にした結果自然を改造するとまたそれが自然災害になる

真野川は二回目の水害の被害があってから河川改修した、それから30年以上はたっている
それで自分の家は街で一番低い場所にあるから二回も床上浸水にあった
今回は原町の方で新田川があふれて浸水したという
あそこも街と川岸の高低差が大きいのである
川の側でいいように見えても悪い場所だった
川岸は相当に低い場所になっているからだ
だからあそこに家を建てることは危険だった
そうなるとあのような土地は土地の値段が安くなっていもいいとなる

川というのは川幅とか曲がりが関係して洪水になる
川幅が広くまっすぐだと水が流れやすくなるからだ
また曲がると水が勢いよくぶつかり圧力で決壊しやすくなるかもしれない

本流から支流へ逆流して洪水になる

ともかく日本は災害の国である、だから災害がどこで起きるかわからない
それで日頃から災害について備えしたり知らねばならなかったのである
この辺は津浪の被害で思い知らされたのである
でも今回は8000人死ぬとかニュースでインタ−ネットで報道していたようにはならなかった、確かに数十人(30名内)くらいは死者がでるかもしれない
でも8000人はありえなかったのである

そういう報道するのも無責任だった、何か報道するメデアはマスコミでも無責任なのである
なぜならその報道したことについて賠償請求とか責任が追及されないからである
他だと建物たてる人などは実際に賠償請求されるから簡単にそんなこと言えないのである責任がないと真剣にもならないかち適当にフェクニュースでもマスコミは流すし今はインタ−ネットでも個人でも流すのである
第一8000人死ぬとか簡単に言えないのである
被害があるとしてもそういうことはフェクニュースになるのである
ただ現実に思った以上に雨がふったことは確かである

この辺では阿武隈川が丸森町であふれた、原町の新田川でもあふれて浸水したらしい
だから意外に身近なの所で被害があったことは確かである

南相馬市でも死者

福島県南相馬市によると、13日午前0時40分頃、同市小高区の県道交差点で、台風への対応を終えて車で帰宅していた市職員の男性(25)から「車が道路の冠水地帯に水没した。車からは脱出した」と職場に電話があった。しかし、男性は帰宅せず、県警南相馬署や消防などで捜索したところ、同日午前5時35分頃、付近で男性とみられる遺体が見つかった。同署で身元確認を進めている。

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