烏崎の漁港で魚をとるなと言われた
(海は誰の者かー漁業権をたてに暴利をむさぼる漁業組合)
一定の水域は「物権」とみなされており、土地に関する規定が準用されています。
漁業を営むものの団体が都道府県の許可を受けて設定された区域で、それは漁業法で定められています。
「そもそもみんなの海なのに漁業組合に入ってないと魚を採ってはいけないと言うのは理不尽」と言いますが「みんなの土地」と置き換えれば納得できませんか ?
少なくとも、法律は、海と土地は同じ考えで成り立っています。
判りやすい所は「淀川は漁業権が無い」でっせ!
判りやすく言うとやな
あんさんでも構わんのでっけど「淀川の漁業権」取得すると、左手団扇で
残りの人生安泰っちゅう事ですわ。
銭がガッポ!ガッポ!入って「もぉ〜銭要らんわ!」になりますわ。
釣り糸垂れとる輩から「釣り代一万円」取れる権利が国で保障してくれるっちゅう事でんねん。
一つ問題なんは「我が見回らんと銭にならん」だけでんな!
そもそもみんなの海なのに漁業組合に入ってないと魚を採ってはいけないと言うのは理不尽な話だと思いますがなぜ日本人は納得しているのでしょうか!?
乱獲防止、漁業資源確保のためと思えば理不尽じゃないと思いますが。バカが後先考えずに海を荒らしたらおしまいでしょう。
>乱獲や災害事故汚染を防ぐのは行政が線引きし、ルール作りをすればよいはなしでは無いでしょうか!?
だからそれを漁業権として制度化したんでしょ?何をいってるんだか。
水産庁HPにあるように工作物の設置等によりという部分は、恣意的に解釈される傾向にあり、漁協の「既得権」となっている部分が少なくない。国策に基づく政策であってもこの「漁業権」を盾に様々な理不尽とも思える要求を過去「漁協」がなされてきたのかなどをみるべきである。「杭一本」打つだけで、潮流が変わると言い様々な金銭を要求する所があったり、関空などでもみられたように、にわか漁師が発言し、工事を止め、その費用を増大させたことなど枚挙にいとまがないほどある。
漁業権のことでは追求してきた
その矛盾とか理不尽が原発事故で一番露骨に現れたのがこの辺だったからである
今日、老人がキノコとりとか魚とりで話した
魚を烏崎の漁港でとっていた人が話していた、魚をとって天ぷらにするとうまいとか言っていた、ただ鮭が上ってくるとき魚をとるなとか禁止されるとか禁止されることがあると言っていた
そもそもなぜ原発事故周辺で漁業権が問題になったのか?
それは漁業権が既得権とかなり海は漁業組合の許可なくて使用できない、魚もとってはならないとなっていたからである
そして原発ができるということで漁業組合では東電から多額の補償金を事故前でももらっていたのである、特に船主のもらう額は大きかった、それで原発御殿が建っていたといわれる
つまり漁業とは関係しないことで既得権化利権化された海になっていたのである
「漁業権」を盾に様々な理不尽とも思える要求を過去「漁協」がなされてきたのかなどをみるべきである。「杭一本」打つだけで、潮流が変わると言い様々な金銭を要求する所があったり、関空などでもみられたように、にわか漁師が発言し、工事を止め、その費用を増大させたことなど枚挙にいとまがないほどある。
海は公海なのだけどそうなっていない、漁業権があり漁業組合のものとして私有されている、だから趣味で魚とるにしても制限される
それが確かに本来の役割である資源保護とかそこで生活するための権利ならいいが実際は海を私有してそれを漁業と関係ないもので利権化して金をもらうとなっていた
だから原発事故でも海を汚すから補償しろとなり手厚い補償がされた
とにかく原発は巨額の原発マネーが湯水のように出てくる場所だった
それでまた電子力会社の幹部が自治体から一億8千万もらっていたとか報道があった
その金の額が常に大きいのは原発は金を産みだす装置になっていたからである
そうなると漁業組合でも単純に金をむしりとればいいとしかなくなっていたのである
自分たちの権利がなぜ与えられているのかなど考えないのである
それは関西の空港とか他でも起きている
洋上に風力発電とか設置すればまた起きるかもしれない。
世の中今や金になればいいしかなくなってしまった
そのことで原発事故以後問題になったのである
ただ海を私有化してそれを漁業のために資源保護とかのためではない、海は俺たちのものだ、俺たちの土地だとなりそれで金を要求するようになった
東電に補償を要求するにしても事故になる前から多額の補償金をもらうことはありえない事故が起きて海を汚して魚がとれなくなったりしたら要求できるとなる
それも事故前から多額の補償金が支払われていたのである
それで暴力団が勝手に魚をとって安く売っていたことで警察につかまったとかなる
そもそも暴力的に海を私有化していたのが漁業組合ではないか?
海の魚は俺たちのものであり他の物はとってはならないとなる
でもその海が自分たちの土地と同じであり何か空港でも何でも利用するとなると使用権を払えとなる、確かに魚をとることに影響することは言えるがそれは漁業組合だけではない自治体とか周りに住む人たちと協議すべき問題である
なぜなら空港でも現代社会では必要としている、むしろ社会全体からすると空港でも原発でも電気を供給するから必要としているからそうなった
それは社会全体の問題なのである、だから社会全体で協議するものであり漁業組合だけが海は俺たちのものだから許可なしでは使えない、金を払いというのはおかしいのである
もし魚をとることに影響するとしたら事故前だったら影響がないのだから放射能に汚染されないのだからそんな手厚い補償はいらないとなっていた
多少は公共事業とかに寄付はあっても個々人に漁業組合に多額の補償金を払うことが必要だったのかとなる
だから地元の人が魚をとっているときここは俺たちの海だから魚をとるなというのは今になるとおかしいのである
漁業組合が東電に漁業権を売り渡して金をもらった、それで放射能に汚染されて魚までとれなくなった、お前たちが魚をとれなくした張本人ではないか?
その自覚もないのかもしれない、汚染水を流すなというときそもそも漁業権を東電に売り渡したからそうなる、売り渡した対価はすでに得ていたのである
むしろ漁業組合は魚をとる権利もないともなる
なぜなら東電に漁業権を売り渡したのだからその時権利を放棄したとなるからだ
海は誰の者か?それは自治体のものであり国のものであり住民のものである
だからこそ漁業権を勝手に東電に売り渡したりできないものだった
それは土地にしてもそうである、ここは俺の土地だから東電に売り渡して原発建てさせていいとはならなかった、でもその土地を買い県の許可があれば原発は建てられるとなっていた、それはそこに住む住民で話し合うことが必須だったのである
そのために長年住んでいた場所に住めなくなったからである
そこにはただ私権だけを求め公共のものを求めない、プライベートというとき奪うとういことの意味でありただ私的権利として奪うとういことしか頭になくなったのが明治以降である、入会権でも公共のものしとて分かち合うということがあったが明治以降私的権利として無数に山は分割された、結果として山は放置されて管理できなくなったのである
何かを所有すること時代責任をもたされることだったのである
ここは俺が買った土地だからどういうふうに利用してもいいとはならないのである
すると都市計画の街作りでもできないからである
いづれにしろ漁業組合でも魚をとるなというとき理不尽である
お前たちが魚を放射能に汚染されてとれなくさせた責任もある
魚の安全を保つべきものが保てなかった
ただ海を私有化して利権化して東電に売り渡して補償金をもらったとなる
だから漁業組合のものでもないから魚をとるなとは言えない
もうあなたたちは魚を守れなかったのだからその役目はない、回りの者にわびるべきだともなる、でもそういうこともない、そして魚はとるなというのは何なのだろうとなる
だから暴力団でも魚を勝手にとって安く売っていてもそれはみんなためだとまでなる
漁業組合自体が暴力団と同じだったともなるからだ
だから法律にしてもどうして決められたのか?
そんなに法律に権利があるのか?それを考えるべきである
回りの人が誰も納得していないからである、そうして一方的に権利を団体でもなんでも要求することこそ今の社会では成り立たないとなる
民主主義社会というけどその悪い面があるゆるものが利権化することである
それはカルト宗教団体でもそうである、宗教を盾にして利権化する、団体は何でも悪い面になると利権団体だからである
民主主義だと数を集めれば利権団体化するからである
その正当性が問われるのだが数が多ければそれも許されるとなり遂にナチスのようになるのが民主主義大衆主義のポピュリズムの弊害なのである、やはり確かに漁業権を必要でもその正当性から大きくはずれた権利となっていたから見直すべきだとなったのである
ただこの正当性となると うどう判断するのか?
そこに法律問題がからんでくるしどうして合意のするか?
つまり正当性をrightの判断をどうするかで問題になる、ただそれが本来の民主主義だったとはなる
民主主義の論理は数でありそれ以外が無視されることである、それで数が多いシルバー民主主義になり若者は選挙に行かない
すると日本の将来も若者が担うのだからますます危機的状態になり老人にも日本国全体の問題になるのである