2019年09月26日

専門家集団社会が起こした原発事故 (住民が何も知らされないし参加できない秘密に閉ざされていた)


専門家集団社会が起こした原発事故

(住民が何も知らされないし参加できない秘密に閉ざされていた)

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専門家による人間の不能化は、幻想の権力を通じて完成される
宗教は結局のところ、国家によってあるいは信仰の衰退によってその地位を追われたのではなく、専門家エスタブリッシュメントにと、それを信じる顧客によって追われたのである
専門家の本拠となっているビル群は、これられの保険、健康、教育、福祉の新たな大寺院となった建物へ巡礼するために右往左往つづける群衆を見下ろしている
イリイチー専門家の時代)

原発事故でもそうだけど原発そのものが専門家集団の大寺院だったのである
そこの住民は何の力もない、その大寺院にお参りして御利益を得るだけである
ただ原発は秘密のベールにつつまれていてそこに住んでいる住民すら入れない
その内部は固く閉ざされていた
そして現代の専門家集団によってその原発の大寺院は作られていた
それは専門家集団である
政治家が権力をもっていても原子力のことがわからない、すると専門家集団にまかすほかない、それが東電であり東電の御用学者とか科学者とか技術者になる

その東電は絶対的な権力を持っていた
そこに下請けの人たちが1000人とかいても東電の命令に逆らうことはできない
逆らうと仕事がもらえないからだ、東電の権力は電気であり電気文明になっているからこそ電気なしで何もできなくる、だかち千葉で停電したとき麻痺状態になる
つまり電気に頼るが故にそうして東電とか専門家集団に牛耳られる
もし炭をエネルギーとしていればそういうことはなかったのである
でもそれはもうできないことである

そもそも一番肝心な生死にかかわる原発周辺の住民も原発内に入れないしそこで何が行われているのかわからないのである

そして結局、政府+官僚+原発専門家(科学者、技術者)+自治体+マスコミとか一体化してその大寺院を形成していたのである
2000億円もの金がマスコミにも流れていたからである

報道でも報道できるのはマスコミが報道の専門家しかできなかったのである
新聞であれテレビであれ雑誌でも報道の専門家なのである
それには金がかかるから東電から出る莫大な金が宣伝費としてもらえるから何も危険なことも知らされなかったのである

例えば東電という専門家集団が優秀でなかったのではない、優秀だったのである

10数メートルの津波が来ると警告していた

そのことで東電に過失があるとされたのである

でもそのことを地元に住んでいて知っている人がいただろうか?

住民側は注意していないということもある、自分自身にもある
でもそういうことを自分は聞いていないし関心がなかった
ただやたらプルサーマルのことは前の佐藤 栄佐久知事のとき言っていたのである

でももし住民が一番関心があるべきであり住民が今回のように住めなくなるような被害にあうのだから住民もそうした内部のことを知るべきなのである
でもマスコミが知らせないなら知らないとなる
そして何か知りたい聞きたいとしても東電では政府でも教えてくれない

お前らは原子力のことがわかるのか?

この一言で何も言えないし参加できない
そこに住む住民ですら参加できない

でも原子力のことがわからないにしても

十数メートルの津波が来る

それは本当ですか?、そうしたしらこの辺はどうなるのですか?
この辺ではチリ地震津波しか知らないです、だから津波は来ない地域だと確信している人がほとんどです、実際400年間相馬地域には津波は来ていなかった
だからこのことを言った科学者に驚いたろう
それは伝説でもなんでもない、科学者は専門家の言うことは信じるからである
科学的根拠があることは今の時代は信じるからである
つまり原子力の安全性に関していろいろあるにしてもそんな高い津波が来るということに驚く

するとどうなるのか?

みんな科学者の言うことだから信じる→それで津波が来るというときこのことを思い出す→そしていち早く逃げる→命が助かった

こうなったかもしれないのである、あまりにも津波に対しての警戒感ない、ほとんどゼロだったからである
もしそうなっていたら原発事故は悲惨だったけど東電の科学者が津波を警告したことで

警戒していたから命が助かった→東電はありがたい

ここまでなっていたのである、そうなると津波で命を助かった人は今回いろいろ被害を訴えたが逆に感謝するということまで起きていたかもしれないのである

だから情報を公開することがすべて政府とか東電に不利になるとはなっていないのであるそれが民主主義だとなる、住民が主人公であり政府とか東電ではない
なぜなら住民が死んだりするしその被害を受けるのは住民だからである
いくら原子力のことを知らないとしてもその肝心の住民をないがしにろして原発はありえないものだったのである

そして素人住民は専門家集団から排除されるだけだった、ただ御利益だけを与えられた
また逆に住民はその後利益に目がくらんでいたから住民にも責任がある
ただ住民は否応なしに責任をとらされたのである
その責任をとらされる住民が知ることさえできないのが専門家集団が牛耳る社会なのである

それは病院でも学校でも専門家集団によって人間は無力化される、それはイリイチが指摘したことである

お前は病気のことがわかるのか?お前は法律のことがわかるのか?
お前は金融のことがわかるのか?

こうして高血圧のいらない薬を飲まされたりする、法律家に相談したら相談するだけで百万とられた、これも詐欺だったのである
法律を知らなかったら裁判も何もできないよとなっているからだ
相談するだけだったら数万ですむはずである
これは明らかな詐欺だったのである
それかち地銀で投資信託を売りつけたのもそうだし郵貯でも保険を売りつけたのもそうである

あなたは株や投資について何かわからないでしょう、だからプロにまかせてください

こういったからまかせた、でもこれは地銀がただ手数料をもらうだけのものであり地銀は確実に手数料をとれるからすすめているだけである
実際に支店長が株のことはかりませんと言っていたからである
素人と同じだったのである
リーマンショックの時半分になった株が上がって来たもうかるというといそれを投資信託にまわして損したのである
つまり専門家といってもすべてを知っているわけではないのである
まず株式のことなど投資信託のことがなとその仕組みなどわかりえようがないからこそだまされるのである

それは原発でも同じだったのである、本当に原発のことを専門家集団が知っていたかというと今になると穴だらけであり何の安全対策もしていないずさんなものだったのである
そして地震ですでに内部の配管などが壊れていて津の前に炉心がやられていた
それを内部の人が東電をやめて報告していたのである
震度4くらいでも内部の配管は壊れると言っている
それほど脆弱なものだったのである、それで「安全神話」作っていたのだからこれも詐欺と同じだった

お前らは素人だから何も知らない
専門家集団にまかせろ
金はくれてやるから何も言うな
言う権利もないことを知れ!

これがイリイチの言う専門家集団社会の現実なのである
確かに素人には原子力のこと核のことはわからない
でもそれだけではない、津波ことなど他にもいろいろなことがかかわっていた
今になると理解できるのだから全部理解できないとはならないのである
津浪を警戒してたのか高台に原発を作っていたのにわざわざ削って低くして地下に電源を置いたことで水で冷やすことができず爆発した
そういうことは素人でも説明される今ではわかる
でも原子力の核のことなどはわからなから煙にまかれる
私は文系だから法律のことだったら何とか対処できたかもしれない
正直文系は理系的なことに弱いから余計に追求できないのである

いづれにしろ原発事故もやはり現代の社会とも関係してなった、複合的要因で事故が起きた、とすると科学だけではない、社会も関係してくるから総合的なものとして見るべきものだったのである、そこには郷土史も関係していた
なぜなら相馬藩政期で700人生波(津波)で溺死と記録されていたからである
それが二行にしろ貴重な記録だったか忘れられていたのである

人間は今トータルに考えること観察することができない、郷土史はトータルな学問なのである、理系的な地質学などでも自分にはできないにしろ関係している
そういうふうに総合的な学問がなくなっていることが現代の危険になる
自然災害でもそれは総合的に対処が迫られているからである



posted by 老鶯 at 16:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2019年09月27日

綿津見神社がなぜ相馬地域に多いのか (時代を知る、新旧を知ることが歴史)

                                              
綿津見神社がなぜ相馬地域に多いのか

(時代を知る、新旧を知ることが歴史)


●縄文時代

●綿津見神社−山津見神社(古事記、神話の世界)

●ツノガノアラシト系神社ー津(つの)神社、ツノミツ神社・・・・

●桜井古墳→鹿島区の古墳群

地域の歴史でもいかに新旧が大事かである、時代を知ることが大事かである
歴史を調べると江戸時代ですら年号があるけど新旧がわからなくなる
これが大事なのは例えば年号でも明治ー大正ー昭和とあるけど明治ー昭和ー大正とはならない、でも江戸時代になるとこうして年号の新旧を見るにしてもこういうことが起きる
どうして時代を知るのか?これができなくなる
江戸時代は300年は変化がないから余計にほかりにくくなる

だから歴史は事跡で何かその時代に重大な事が起きたのかでみるのも必要である
例えば戦争の前と後で全然違ったものになる
だから昭和という時代は一つにできないのである、戦前と戦後の昭和はまるで違っていたからである

このことはさらに時代をさかのぼるとわからなくなる
最近気づいたことは相馬地域には本当に綿津見神社が多い、それと対になった山津見神社が多い、でもこれはいつの時代のものなのか?
何かこれを新しいものとして見ている人も普通にいるだろう
この神社がどれだけ古いものなのか?それがわからないのである
でも古代史を調べると時代を見ることがいかに大事かわかる

綿津見神社があり山津見神社があるとしてまたツノガノアラシト系神社がある
それではこの神社はどっちが古いのか新しいのか?
それが問題になる、つまり先にこの地に移住した人たちはどっちなのかとなる
なぜならすでに綿津見神社を祀った人たちが先に来ていたのか?
それともその後にツノガノアラシト系の人たちが来たのか?
それを知ることが大事になるからだ
どうもツノガノアラシト系は後であり綿津見神社系が先のようにである
なぜなら安曇系の綿津見神社はすでに古事記の国造り神話に出ているからである
それだけ古い時代から安曇系は日本に欠かせない国造りにかかわった人たちだったとなっているからだ
ただその勢力は安曇氏というのはこの辺で出てこない、ただ綿津見神社と山津見神社が多いからそれがその跡を示しているとなる、安曇氏の痕跡がなくてもその神を奉じるものが神社を残したとなる
最初は安曇氏でもその綿津見神社というのは一つの信仰となり広がった 

次に生まれた六柱の神は、いずれも海の神です。

海の底で身体を洗われた時に生まれたソコツワタツミノカミ(底津綿津見神)
海中で身体を洗われた時に生まれたナカツワタツミノカミ(中津綿津見神)
海面で身体を洗われた時に生まれたウエツワタツミノカミ(上津綿津見神)

以上のうち三柱のワタツミノカミ(綿津見神)は、安曇氏(あずみうじ)たちの祖先の神です。
また、ソコツツ、ナカツツ、ウエツツの三柱の神は、住吉神社に祭られている神です

海を三つに分けている、それは潜水行で魚や貝をとっていた一団だっからである
海人の一団でありそれは安曇系の江南系の移民だったとなる
底と中と上に分けることは潜水行している民でないとこうはならないからだ
そして国産み神話でも島を中心にしていることは島ではそうした海にくぐり魚や貝をとることを生業としていたからである、また島伝いに渡ってきた人たちだということである
海彦と山彦の神話もまた日本独特のものである
ただインドネシアでもクジラをとる民と山の民がいて山の民にクジラの肉をもってゆき豊漁を祈る、そこで山の民と海の民が和合する祭りが行われていた
つまり経済とはもともとそうした異なる地域に民族が和合するものとして貿易でも行われていた、現代のような金だけを紙幣だけを唯一の交換の手段として用いることはなかった貿易は交易にはまず民の融合が和合を計ることが先である
現実にグローバル化しても必ず国と国は対立してうまくいかなくなるからである   

その生業を、雨降らず、日の重なれば、植ゑし田も、蒔きし畑も、朝ごとに、しぼみ枯れゆく、
そを見れば、心を痛(いた)み みどり子の、乳(ち)乞(こ)ふがごとく、天(あま)つ水、仰(あふ)ぎてぞ待(ま)つ、あしひきの、山のたをりに、この見ゆる、天の白雲、海神(わたつみ)の、沖つ宮辺に、立ちわたり、との曇(ぐも)りあひて、雨も賜(たま)はね  

この歌は雨乞いの歌である、でもその範囲は山から平地から海にまで及んでいる
普通は海にまで雨乞いすることはないだろう、やはり海洋民が海と深く関係していたからだともなる

ともかく相馬地域の古代とかその前の縄文時代とかなると九州の福岡とかの歴史をみる必要があるし大和の歴史をみる必要もある
つまり日本の歴史とか中国や韓国の歴史と不可分に結びついていたからである
中国でも江南から大量に海を渡り移住してきたというときそれが綿津見神社を残した安曇系だとか宗像系だとかなる
それが古事記の神話の世界を構成した、海の民によって作られたということが重大なことなのである
ただその前に日本の原住民の縄文人がいた、でもそれが歴史として未だに謎である
言葉でも解き明かせない謎となっている

漁業にしてもこれは船を造るとか操るとかなると技術が必要になる
縄文人には丸木舟のようなものを作っても魚をとる技術には欠けていたろう
ただ湾のようなところでは魚をとっていた、縄文海進で入江が多かったからである
ただこの辺で新地の手の長い神がその手を伸ばして貝を食べて貝を捨てたところが貝塚になったという伝説は貝を中心とした食料とした生活だったとなる
だから海洋民とは違った局地的な海の生活だったのである

とにかく歴史は時系列でみるのが本当にむずかしい
何が先で何が後なのかが見分けるのが何でもむずかしい
だから江戸時代だと年号が記されていればわかりやすいのである
その前になると年号が記されていないからわかりにくくなる
つまり歴史はそうした記録がないと時代もわからないとなる
ただ石器を使っていて次に鉄器を使ったというとか稲の栽培が始まったとかの技術の進歩で時代を見たりするのである

この辺の地理的空間的古代史は述べた、でも時系列になるとわかりにくいのである
大和王朝の前に物部王朝があり出雲王朝があったとするのもそうである
神武天皇が初代の大和朝廷の天皇だとしているがその前に物部王朝があり出雲王朝がありそれをひきづっているしその跡も残って継続されているからである
だから一体綿津見神社と山津見神社はいつの時代になるのか?
古事記にまで記されている海洋民は安曇系などはいつこの地に来てこれだけの神社を残したのかとなる
ツノガノアラシトになると浪江の
苕野(くさの)神社
は715年だとしている

起源・創立年代は不明だが、社伝によれば第12代天皇である景行天皇の御世に勧請され、元正天皇(715年)の御代には社殿を創建したという。桓武天皇の時代、坂上田村麻呂が東夷征伐の勅命をうけて進軍してきた際、苕野神社にて戦勝を祈願し、無事近隣の山を支配下に置く賊徒を平定した後に、神恩への報賽として神殿を建てたという。

その頃にツノガノアラシト系の鉄生産の技術者が韓半島の伽耶から来た、ツノガノアラシトとは伽耶の王子のことだからである
それが津(つの)神社として跡を残した
700年に来たとするとどうしても綿津見神社が古いとなる
なぜなら鉄生産ではその後大和朝廷の官人とかがかかわってきたからである
それは近江の粟田郡にその鉄生産の基地があり直接行き来していたからである
そういうふうに行き来していたことで真野の草原の歌が残ったとなるからだ
それは石巻でもやはり真野氏系統の鉄生産技術者がかかわっていたから同じである

ヤマトタケルの伝説があるとしてもその前に物部氏がこの地に来て支配した
どこでも物部王朝と出雲王朝の跡を残しているからだ
不思議なのは原町区の多珂神社の脇に綿津見神社がある、その近くにスダシイ神社があるすると綿津見神社と多珂神社はどちらが古いのかとなる
多珂神社は大きく格式が高い立派な神社である
綿津見神社は小さいのである、スダシイ神社はこの辺が照葉樹林帯にあることを示している、安曇系の海洋民が中国の江南だとされるがそういう一帯が照葉樹林文化であり焼畑なども行われていたのである
山津見神社があるとき山で焼畑が行われていたからそれもセットになっていたのである

縄文時代→綿津見神社(山津見神社)→物部氏(物部王朝+出雲王朝)→大和王朝

こういう順序になるのだが何か綿津見神社とか山津見神社が新しいと見る人がいるだろう私自身がそうだった、それだけ時系列で歴史を観るのが難しいのである

確かなことは桜井古墳は鹿島区の寺内小池の古墳群より古い、だからすでに原町区一帯は物部氏とかの支配権として確立していた
鹿島区の寺内とか小池とかはその後に支配されようになった
つまり物部氏が原町区一帯を支配して巨大な桜井古墳を作った
次に鹿島区に進出したのである、そこで争いがあり建御雷(タケミカズチ)の神が鹿島に祭られた、この神は物部氏系だともされているからである
ヤマトタケルがエゾを征服するという前に物部氏が支配していた
その前に安曇氏系の綿津見神社を奉じる人たちがすでにこの地に入って漁業や焼畑などをしていたとなる
ただこの時系列の私の見解は間違っていることがある
自分自身が綿津見神社のことが全部わかっていないからである
最近なぜこんなに綿津見神社がこの辺に多いのかということが疑問になったからである

mapaamutu1.jpg
山野河海の列島(森浩一)

この図をみるとこれも海岸線に海洋民が綿津見神社を残した安曇系が入ってきた領域と重なる、いわきの方にも猪苗代の岸の方にも入ってきていたからである
そこにも綿津見神社があるとなるからだ
これは大和王朝になってからのものだがこの辺は海洋民が入ってきた場所と重なるのである
道嶋氏とは石巻でありそこに真野とかの地名が残っていて真野の萱原という地名が残っているからここが江戸時代までは真野の
草原だとしていた、この地図の意味するのはわからないにしても綿津見神社系統が入った所と重なるのである


参考にした年表(福岡中心)

BC320 水稲耕作、北部九州に確立 弥生時代の始まり。江南起源倭人多数渡来
 BC221 (中国)秦始皇帝、中国を統一
 BC209 始皇帝、徐福に命じ、東方に不死の薬を求めさす。
 徐福、有明海から筑紫平野に上陸(三千人)、一団が吉野ヶ里・奴国・葛
 城邑・早良邑などを作る。
この頃日本全体の人口はわずか60万人で九州は特に希薄。
 BC202 (中国)劉邦、帝位につき漢王朝始まる。
 BC200 北部九州で小国の成立、末露国など
 BC100-0 玄界灘に面した九州北岸に古代朝鮮より多数のツングース系渡来人、その
中に天孫族も含まれ物部族を引き連れ上陸
BC100-0 「奴国」がいち早く頭角を現し、北九州の覇を唱える。(須玖遺跡)
 この頃、倭国は既に「百余国」に分かれていた。
BC37 朝鮮半島では高句麗建国
紀元前後 百余国のうち,一部は前漢の楽浪郡に朝貢していた。
  25 (中国)光武帝即位、後漢王朝始まる
57 中元二年春正月、東夷の倭奴国王、使いを遣わして奉献す。(奴国)
 (光武帝紀・後漢書)光武賜に印綬を以てす。(東夷列伝)
 「漢委奴国王」印(志賀島出土)
210 卑弥呼を倭国女王に共立し、「倭国乱」終わる。物部族が主導権を握る
 夜須「邪馬台国」の成立
215 出雲の国譲り神話(遠賀川物部が大国主と国譲りを交渉)
216 (中国)曹操魏王となる。
 葛城氏などの徐福集団は、邪馬台国連合のー員とはなるが、主導権は奪われ
 る。葛城氏は邪馬台国の先遣隊として奈良へ移動させられる。秦氏はその移
 動に豊前まで同行し、そこに前線基地を設ける(中津・宇佐)。
 234 (中国)公孫淵、魏より楽浪公に封じられる。崇神誕生、台与もこの頃。
238 (中国)魏、公孫淵を殺し公孫氏滅亡、楽浪帯方の二郡接収
239 邪馬台国の女王卑弥呼,魏へ朝貢し,明帝より親魏倭王の金印下賜さる
 245 九州邪馬台国、魏から軍旗を授かる。孝霊帝(葛城氏)大和中央に都を遷す
247 魏の軍使一行の来朝
248 女王卑弥呼の死





posted by 老鶯 at 14:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2019年09月28日

経済を民俗学から考える (自由な市場とか交換は共同体の和解の祭りとして始まった)


経済を民俗学から考える

(自由な市場とか交換は共同体の和解の祭りとして始まった)

経済とは何かというときこれは総合的なものであり社会全体のことであり人間全体のことである
だから経済学となれば一つの分野のことではなくなる
科学技術でも深く関係している、産業革命とかなれば科学技術が発達して生まれたからである
だから経済を語っても世界でも社会でも一部分しか語れないのである

経済と民俗学が関係しているのか?

これも深く関係していた、文化人類学が関係していた

インドネシアでもクジラをとる民と山の民がいて山の民にクジラの肉をもってゆき豊漁を祈る、そこで山の民と海の民が和合する祭りが行われていた
つまり経済とはもともとそうした異なる地域に民族が和合するものとして貿易でも行われていた、現代のような金だけを紙幣だけを唯一の交換の手段として用いることはなかった貿易は交易にはまず民の融合が和合を計ることが先である
現実にグローバル化しても必ず国と国は対立してうまくいかなくなるからである 

これはおそらくクジラという食料がある前に物がある前に何か共同体がある
クジラをとることを生業とする海の共同体があり山で暮らす共同体がある
その違った生業の共同体が和解するために祭りがありクジラが媒介となっていた
ここで重要なのはクジラは共同体を結ぶものであってもその前に共同体がありその共同体同士が和解するために山の共同体がクジラをとれるように祈りクジラの肉も分けてもらうとなっていたのである

海彦と山彦の物語もそうである、ここにも綿津見(わたつみ)の神がかかわってきている海彦と山彦は暮らしが違うので対立しやすいことをここで語っている
その和解のために何かクジラでも同じように和解の祭りが必要になる

顔が醜いオコゼを山の神に供える習慣もある。なお、山岳神がなぜ海産魚のオコゼとむすびつくのかは不明で、「やまおこぜ」といって、魚類のほかに貝類などをさす場合もある。マタギは古来より「やまおこぜ」の干物をお守りとして携帯したり、家に祀るなどしてきた。「Y」のような三又の樹木には神が宿っているとして伐採を禁じ、その木を御神体として祭る風習もある。三又の木が女性の下半身を連想させるからともいわれるが、三又の木はそもそもバランスが悪いために伐採時には事故を起こすことが多く、注意を喚起するためともいわれている。

日本神話では大山祇(大山津見)などが山の神として登場する。また、比叡山・松尾山の大山咋神、白山の白山比盗_など、特定の山に結びついた山の神もある。

だからなぜ綿津見神社と山津見神社が対になっているのか、相馬地方だと飯館村まで綿津見神社があり山津見神社があり一番古いのである
それは海と山で暮らすものたちが実は一体だったからである
海彦山彦の国が日本がだったからである
おこぜがなぜ山の神に供えられているのか?
それは一種の海で暮らすものと山で暮らすものの和解のための儀礼と化したものである
第一山に海でとれた魚を献げることはありえないからである

これは今なら物を交換することであり海で暮らすものと山で暮らすものが和合することで祭りとなったのである
共同体と共同体が交わる時、そこで魚であれ何か物を媒介となる、それは互いの有効の印として交換されたのである
古墳から発見される三角神獣鏡でもこれは大和王権に服属したから与えられたというのではない説がある、それはただ友好の標として土地の有力者に与えられた
この辺の古墳でも金銅双魚佩が古墳から発見されたけどこれもそういうものなのだろう

つまり貨幣がない時代は物と物を直接交換する、その物は友好の印であり今の経済とは違っていた、中国と朝貢となるがそれとにていた、国と国が友好のために物があった
それが貿易の始まりであった
商業、貿易の始まりはそういうものだった
だから第一不思議なのは村で市が許されたのは神社内でありそこを無縁の場所として許されたのである、よそ者が商売することはそうした村の共同体から特別許可された無縁の場所でしかできなかったのである
つまり有縁なものは村の共同体の一員であり外から来る商売に来る人たちは無縁だから
神社の境内とかで商売をさせていたのである
これも矛盾しているが神社とは縁を結ぶものとしてあるがまたそこが無縁の場所にもされたとなる

現代の経済がグロ−バル経済とか広域社会でもこうしてもともとあった共同体を破壊する無縁化することがあった、また海彦となるとこれは海に通じているから広い世界と通じることがあった、貿易も漁民が船でしやすいからである
ただ商売とか貿易の始まりには祭りが必要だった
物があるからとしてそれを自由に売買はできないのである
共同体の許可なくしてはできない、それが人間社会なのである

それでなぜ人間社会がグロ−バル経済が人間をアトム化してばらばらにしてしまった
なぜならそこにある貨幣を通じて金を通じての交換にはもう祭りもなにもない
共同体が和解するものとして始まった交換の儀式がない
そういうややこしいものを全部省くことによって成り立つのが現代の経済だからである
つまり人間は個々人がアトム化して経済的一単位としてみる、そして商品を自由に流通させる、世界市場とすることがグロ−バル経済であり広域経済である
そうすると無縁化して神社の中だけでよそものを受け付けていたことが逆に村でも共同体でも無縁化されるのである、それで無縁化社会になったともなる

ここで人間とはなにかというとき人間は経済の一単位ではない、何かしら別な価値観が働く、もともと海でも山でも共同の暮らしがありそこで培ったものは違っている
それず海彦と山彦が共同するためにはまず祭りが必要である
そこで互いに和解して共同することである

でも現代はそういうものを全く無視してこそグロ−バル経済でもありえる
世界市場の原理だけがある、そして交換するときも金だけがすべてとなる
そして金が万能となり金を極一部のものが数パーセントの者が独占してしまう社会になるだから不思議なのは前近代的と思えるものが実はそこに人間の存在がそもそもどういうものかをふりかえるものとなる
人間が何か物を交換することはまず共同体がありそこで共同体と共同体が交わる儀式が祭りが必要になっていた

結局今でもグロ−バル経済がうまくいかない、うまくいかないと貿易も韓国とのように途絶える、そして戦争になりかねない、国々でも自由に貿易して交換することが行われたが逆にそれがうまくいかないと貿易も途絶えて戦争にもなる
つまり経済合理性というのはそもそもが人間社会では成り立たないのである
世界市場化することが一見理想のようでもそうならない
それは人間の存在がそういうものではないからである
経済だけで利益になるからだけで成り立たないからそうなっていたのである
そのことは世界の歴史が証明している、経済でも相手を武力で屈服させて支配して植民地支配のように欧米が人を奴隷化したりする
貿易でも経済でも強者だけが莫大な利益をあげる仕組みである
アジアの富を吸い上げたのはヨ−ロッパ列強だとなっていたからである

グロ−バル経済でも一旦競争に負けるとその国は貧困化する、それが今の日本である
グロ−バル経済とは新たな国々の戦争でもある
負けたものは貧困化する、別に昔の共同体と共同体の和解を目的として経済が貿易があるのではないからである、そこが根本的に違っているからである
経済とは共同体と共同体が和解する和合するものでもない、物は友好の印でもない
交換するための世界市場がありそこで金が万能化する社会である
それはマルクスが言ったことだが人間社会をふりかえるとそれはいいようでも人間がどういうものか人間存在とはどういうものかを問うとき経済でもその存立基盤を無視するから無縁化社会となり人は属する共同体もなくなる

共同体というとき国家自体がそうである、国家も無視されて経済的一単位化するのである日本が嫌なら外国に住めばいいと金持ちならなるしまた移民問題でもそうである
金をえるために外国で働けばいいとなるのである
でも外国人も人間だから国内に入ってくると機械でも物でもないから問題になる
文化的軋轢とかいろいろ生まれてくるのである
だからいくらグロ−バル経済でも人間を自国に入れることがいろいろな問題が生まれかわかる、うまくいかないことがわかる、それは人間の存在がもともと経済的利益だけで存在していた訳ではないからである
何かこの辺で原発事故で一挙に大勢の人たちが避難してゴーストタウンになったけどそれも今なら人は共同体に属していない、金さえあればどこでも暮らしていいとなっている
すると多額の補償金をもらったからとみんな町から流出して人がいなくなったのである
もちろん放射能汚染のためだともなるが何かそれだけではない現代社会の反映だったのかとも見たのである、そこには強固な共同体の絆は昔のようになくなっていたからだとなる

posted by 老鶯 at 10:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

烏崎の漁港で魚をとるなと言われた (海は誰の者かー漁業権をたてに暴利をむさぼる漁業組合)


烏崎の漁港で魚をとるなと言われた

(海は誰の者かー漁業権をたてに暴利をむさぼる漁業組合)



一定の水域は「物権」とみなされており、土地に関する規定が準用されています。
漁業を営むものの団体が都道府県の許可を受けて設定された区域で、それは漁業法で定められています。
「そもそもみんなの海なのに漁業組合に入ってないと魚を採ってはいけないと言うのは理不尽」と言いますが「みんなの土地」と置き換えれば納得できませんか ?
少なくとも、法律は、海と土地は同じ考えで成り立っています。

判りやすい所は「淀川は漁業権が無い」でっせ!
判りやすく言うとやな
あんさんでも構わんのでっけど「淀川の漁業権」取得すると、左手団扇で
残りの人生安泰っちゅう事ですわ。
銭がガッポ!ガッポ!入って「もぉ〜銭要らんわ!」になりますわ。
釣り糸垂れとる輩から「釣り代一万円」取れる権利が国で保障してくれるっちゅう事でんねん。
一つ問題なんは「我が見回らんと銭にならん」だけでんな!

 そもそもみんなの海なのに漁業組合に入ってないと魚を採ってはいけないと言うのは理不尽な話だと思いますがなぜ日本人は納得しているのでしょうか!?
乱獲防止、漁業資源確保のためと思えば理不尽じゃないと思いますが。バカが後先考えずに海を荒らしたらおしまいでしょう。

>乱獲や災害事故汚染を防ぐのは行政が線引きし、ルール作りをすればよいはなしでは無いでしょうか!?
だからそれを漁業権として制度化したんでしょ?何をいってるんだか。


水産庁HPにあるように工作物の設置等によりという部分は、恣意的に解釈される傾向にあり、漁協の「既得権」となっている部分が少なくない。国策に基づく政策であってもこの「漁業権」を盾に様々な理不尽とも思える要求を過去「漁協」がなされてきたのかなどをみるべきである。「杭一本」打つだけで、潮流が変わると言い様々な金銭を要求する所があったり、関空などでもみられたように、にわか漁師が発言し、工事を止め、その費用を増大させたことなど枚挙にいとまがないほどある。



漁業権のことでは追求してきた
その矛盾とか理不尽が原発事故で一番露骨に現れたのがこの辺だったからである
今日、老人がキノコとりとか魚とりで話した
魚を烏崎の漁港でとっていた人が話していた、魚をとって天ぷらにするとうまいとか言っていた、ただ鮭が上ってくるとき魚をとるなとか禁止されるとか禁止されることがあると言っていた

そもそもなぜ原発事故周辺で漁業権が問題になったのか?
それは漁業権が既得権とかなり海は漁業組合の許可なくて使用できない、魚もとってはならないとなっていたからである
そして原発ができるということで漁業組合では東電から多額の補償金を事故前でももらっていたのである、特に船主のもらう額は大きかった、それで原発御殿が建っていたといわれる
つまり漁業とは関係しないことで既得権化利権化された海になっていたのである 

「漁業権」を盾に様々な理不尽とも思える要求を過去「漁協」がなされてきたのかなどをみるべきである。「杭一本」打つだけで、潮流が変わると言い様々な金銭を要求する所があったり、関空などでもみられたように、にわか漁師が発言し、工事を止め、その費用を増大させたことなど枚挙にいとまがないほどある。

海は公海なのだけどそうなっていない、漁業権があり漁業組合のものとして私有されている、だから趣味で魚とるにしても制限される
それが確かに本来の役割である資源保護とかそこで生活するための権利ならいいが実際は海を私有してそれを漁業と関係ないもので利権化して金をもらうとなっていた

だから原発事故でも海を汚すから補償しろとなり手厚い補償がされた
とにかく原発は巨額の原発マネーが湯水のように出てくる場所だった
それでまた電子力会社の幹部が自治体から一億8千万もらっていたとか報道があった
その金の額が常に大きいのは原発は金を産みだす装置になっていたからである

そうなると漁業組合でも単純に金をむしりとればいいとしかなくなっていたのである
自分たちの権利がなぜ与えられているのかなど考えないのである
それは関西の空港とか他でも起きている
洋上に風力発電とか設置すればまた起きるかもしれない。
世の中今や金になればいいしかなくなってしまった
そのことで原発事故以後問題になったのである

ただ海を私有化してそれを漁業のために資源保護とかのためではない、海は俺たちのものだ、俺たちの土地だとなりそれで金を要求するようになった
東電に補償を要求するにしても事故になる前から多額の補償金をもらうことはありえない事故が起きて海を汚して魚がとれなくなったりしたら要求できるとなる
それも事故前から多額の補償金が支払われていたのである

それで暴力団が勝手に魚をとって安く売っていたことで警察につかまったとかなる
そもそも暴力的に海を私有化していたのが漁業組合ではないか?
海の魚は俺たちのものであり他の物はとってはならないとなる
でもその海が自分たちの土地と同じであり何か空港でも何でも利用するとなると使用権を払えとなる、確かに魚をとることに影響することは言えるがそれは漁業組合だけではない自治体とか周りに住む人たちと協議すべき問題である
なぜなら空港でも現代社会では必要としている、むしろ社会全体からすると空港でも原発でも電気を供給するから必要としているからそうなった
それは社会全体の問題なのである、だから社会全体で協議するものであり漁業組合だけが海は俺たちのものだから許可なしでは使えない、金を払いというのはおかしいのである

もし魚をとることに影響するとしたら事故前だったら影響がないのだから放射能に汚染されないのだからそんな手厚い補償はいらないとなっていた
多少は公共事業とかに寄付はあっても個々人に漁業組合に多額の補償金を払うことが必要だったのかとなる

だから地元の人が魚をとっているときここは俺たちの海だから魚をとるなというのは今になるとおかしいのである
漁業組合が東電に漁業権を売り渡して金をもらった、それで放射能に汚染されて魚までとれなくなった、お前たちが魚をとれなくした張本人ではないか?
その自覚もないのかもしれない、汚染水を流すなというときそもそも漁業権を東電に売り渡したからそうなる、売り渡した対価はすでに得ていたのである

むしろ漁業組合は魚をとる権利もないともなる
なぜなら東電に漁業権を売り渡したのだからその時権利を放棄したとなるからだ
海は誰の者か?それは自治体のものであり国のものであり住民のものである
だからこそ漁業権を勝手に東電に売り渡したりできないものだった
それは土地にしてもそうである、ここは俺の土地だから東電に売り渡して原発建てさせていいとはならなかった、でもその土地を買い県の許可があれば原発は建てられるとなっていた、それはそこに住む住民で話し合うことが必須だったのである
そのために長年住んでいた場所に住めなくなったからである

そこにはただ私権だけを求め公共のものを求めない、プライベートというとき奪うとういことの意味でありただ私的権利として奪うとういことしか頭になくなったのが明治以降である、入会権でも公共のものしとて分かち合うということがあったが明治以降私的権利として無数に山は分割された、結果として山は放置されて管理できなくなったのである
何かを所有すること時代責任をもたされることだったのである
ここは俺が買った土地だからどういうふうに利用してもいいとはならないのである
すると都市計画の街作りでもできないからである

いづれにしろ漁業組合でも魚をとるなというとき理不尽である
お前たちが魚を放射能に汚染されてとれなくさせた責任もある
魚の安全を保つべきものが保てなかった
ただ海を私有化して利権化して東電に売り渡して補償金をもらったとなる
だから漁業組合のものでもないから魚をとるなとは言えない
もうあなたたちは魚を守れなかったのだからその役目はない、回りの者にわびるべきだともなる、でもそういうこともない、そして魚はとるなというのは何なのだろうとなる
だから暴力団でも魚を勝手にとって安く売っていてもそれはみんなためだとまでなる
漁業組合自体が暴力団と同じだったともなるからだ
だから法律にしてもどうして決められたのか?
そんなに法律に権利があるのか?それを考えるべきである
回りの人が誰も納得していないからである、そうして一方的に権利を団体でもなんでも要求することこそ今の社会では成り立たないとなる 

民主主義社会というけどその悪い面があるゆるものが利権化することである
それはカルト宗教団体でもそうである、宗教を盾にして利権化する、団体は何でも悪い面になると利権団体だからである
民主主義だと数を集めれば利権団体化するからである
その正当性が問われるのだが数が多ければそれも許されるとなり遂にナチスのようになるのが民主主義大衆主義のポピュリズムの弊害なのである、やはり確かに漁業権を必要でもその正当性から大きくはずれた権利となっていたから見直すべきだとなったのである
ただこの正当性となると うどう判断するのか?
そこに法律問題がからんでくるしどうして合意のするか?
つまり正当性をrightの判断をどうするかで問題になる、ただそれが本来の民主主義だったとはなる
民主主義の論理は数でありそれ以外が無視されることである、それで数が多いシルバー民主主義になり若者は選挙に行かない
すると日本の将来も若者が担うのだからますます危機的状態になり老人にも日本国全体の問題になるのである



posted by 老鶯 at 15:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2019年09月29日

原町のキクチスーパーで話す (原町火力発電所と原発で働いていた人)


原町のキクチスーパーで話す

(原町火力発電所と原発で働いていた人)

キクチスーパーの前のベンチに座り話した人は東北電力と原発で働いていたという
今は仕事がないので探している、ダンプとかの運転免許がないので採用されないとかも言っていた、年なので免許とるのもめんどうだとも言っていた
見た感じはそんなに年とったように見えない、50くらいなのか?
まだ十分に働けると見えるが何か肉体労働がきつくなっている

東北電力をやめたのは階段の上りおりがきつくなったからだという
確かに東北電力の火力発電所は外から見ても高いのである
あそこの内部に入って上り下りしたら相当な肉体労働かもしれない
登山のようになっているかもしれない

とにかくこの辺では東北電力の火発とか原発で働いていた人が多いのである
それだけ経済的効果が大きいのが原発と火力とか電気関係なのである
その人は15万でぱ生活できないとかいって職を探している
でもそうした職は見つかりにくい、ダンプとかトラック運転手だった人には良く会う
その仕事は金になるから田舎でも多いのである
田舎で金になる仕事が限られているからそうした仕事につく

その人が年だだというとき肉体労働はきつくなる
それでそこでも若い外国人労働者が歩いている、その人たちはかえってそうした40、50とかの人より20代の若い人がいいとなっている
それでしきり40くらいでおっさんだおっさんだとyoutubeでそのみじめさを訴えている人がいる、それは底辺で働いているからそうなっているのだ

とにかく火力発電所であれ原発であれ周りに及ぼす経済的効果が大きいのである
するとみんな原発でも火力でも頼るようにな
それで原発は危険なものとなったのである
ただこうして経済的効果大きすぎるからもうそれをやめるということもできなくなる
どうして生活すればいいのだ、15万くらいではやっていけないとなれば原発でも働くとなるのである、そこの仕事は意外と楽なのである
放射能物質に汚染されるから三分ごとに交代するとか長くいられないからである
後は寝ていたというから楽だとなる
かえって建築現場とかはきついのである

確かに今は人手不足だけど給料がいい職場となると地方では少ない
そこが問題なのである
でもfree   で東京の労働環境を言うので参考にしている
東京では家賃とか高いし給料も安いからかえって田舎で帰って暮らした方がいいとなり帰っているという、それは非正規とかで働いても金にならない、東京生活の方が金がかかるからそうなる、東京で生活するメリットがなくなってきているからだ
どうせ貧乏なら田舎の方がいいとなる

地方経済も私のプログの一つのテーマである
労働問題もテーマである、だからこうして時々話するとわかることがある
東北電力の火力発電所で働いていた人か階段の上り下りがきつくて年だからやめたというとき実感なのである
そうした実感の話がひびくのである

それでyoutubeで経営の話をしている人が酔っ払いの便掃除するのがひどかったというのも実感である、そういう仕事をしていたのである
でも経営で成功したのはそういう下積みとがあったからだともなる
そういう仕事をしたくないとして経営者になったとなる
まず経営者になって成功するには俺は優秀で資格をもっているから成功するとか簡単なものではなかった、何かそうして下積みしていたりすると上昇志向が強くなる
外国人がそうなのである
ネパールの人がバス停まで何時間かかりそれからま何時間かかりとかバスを見たこともない人がいたとかなる
そういう人は豊かになりたいという上昇志向が強くなる
それは団塊の世代が高度成長したときそうだったのである
豊かになりたいということで一審になって働いたからである

いづれにしろyoutubeは何かそうした個々人の体験が語られるときためになる
何かしら人間は経験を積めば語るものがあるからだ
だから良く私は家族を亡くしてからちょっとでも話してみるとそこでこの辺の事情がわかったりするのである

なんか新田川の河口でマラソンしている人をみかけた
それが元の市長の桜井市長だった、あの人はマラソンすることで有名だったからだ
あの辺に家があるのかとなる、体力は相当にあった人だとなる
でもわずかの票の差で選挙に負けたのである
そういう人とも狭いとなれば会っても不思議ではない
私は南相馬市の全体について関心をもぷろぐて書いている
ただ原町は広いからなかなかわからないのである

posted by 老鶯 at 18:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2019年09月30日

実り(旧街道は歩くか自転車がいい)


実り(旧街道は歩くか自転車がいい)

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柿なりて代々の畑耕しぬ

朝露の稲穂に光り野良仕事

秋の蝉朝に聞き入りいつもの道

遠くへと来たり舞いけり揚羽かな

相馬藩街道に実り今日の宿

松による旧街道や秋の風   

街道の昔やあわれ秋柳 
       

ここでは陸前浜街道がある、六号線は旅の道とはなりにくい、街道は何か人間的なのである
「奥の細道」のように道が細いと人間的になる、道の辺の花にも目をそぞくことがある
六号線は車の行く道である、荷物を運ぶ道である
街道はだからなるべく車が通らないのがいいのである
それは人間回復の道でもある、だから仙台から来た人たちが昔の街道を歩いたのはいいことである

陸前浜街道で一番いい所は城跡まで行く松並木である、そこではすでに城を意識するからである
現代はまず旧街道を知るにしてもとぎれとぎれにしか知ることはできない
すべてが車の道となっているからだ
旧街道は人間的な道なのである、観光という時、そういう旧街道とか見逃されている
一続きのものとしてではなく、ただ遠くに行く、旅の目的地までゆく途中が省かれているから旅にならないのである
道とは連続したものでありそれで風景でも連続したものである

とにかく不思議なのは歩くとなるそれが新鮮な体験となるのだ
自転車でもそうだが歩くことは本当に確かに大地を道をふみしめて過去に帰ることである江戸時代の感覚すら体で体験できることなのである
人間は必ず過去が失われてゆく、すると過去を懐古するようになる

要するに現代はもの凄く変化のスピードが早すぎたのである
それで何かもう精神的にも消耗したのである
正直自分はバイクさえ嫌いである、それは突然ぶっ飛ばしてきて乱すのである
車とかバイクでもそれは何か非人間的なのである

最近老人と会うと自転車に乗る人と話する、85歳の人も自転車に乗るようになってかえって医者から調子良くなっていると言われたという、それは自転車に乗っているからだとその人は言った、自転車に乗る人は仲間になりやすいのである
バイクに乗る人が仲間になりやすいのとにているのである

いづれにしろ私は旅ばかりしていたから感覚的に家にいてもいつも旅している感覚になってしまった、常時旅している感覚になってしまったのである
それで相馬藩内でも街道を自転車で行けばそれも旅なのである
そして家すら一時的に滞在する宿のような感覚になってしまっている
ふりかえればそれだけ旅したためだとなる

現代は旅人はいないし旅人になれない時代である、それは皮肉にも交通が発達しすぎたからである
新幹線で二時間くらいで平泉に来たらもう旅はないのである
便利になりすぎて失われるものも相当にあったとふりかえる
だからそうしたものが見直されてゆく時代になる
経済学と民俗学が関係あるのかとなるとやはりそこにも現代のグロ−バル経済がどれだけ人間的なものを喪失させたかを比較するとわかるからである

相馬藩内の実りがありまた相馬藩を出れば他藩の実りがある
この実りというとき米の実りではあるがまた様々な実りがある、文化の実りもある
そういう季節である、だから実りがない小高とか浪江は荒涼としているのである
八沢浦は一部でも実りが回復したから違っていた
そこに蔵王を望んだとき豊かさを感じたのである

今年は10月になるに暑い、だから秋にしては気候的におかしい、秋涼という感覚がない一時はあったが最近今日でも暑いのである
「秋暑し」という季語があってもそれとも違う、何か夏なのである
それで揚羽が飛んでいて夏だとも感じたのである
揚羽は夏の季語だからである