2019年09月19日

縄文の抽象画(abstract JYOMON culture)


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Jomon period

 縄文抽象画(abstract JYOMON culture)                 
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a road in the forest

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JYOMON CREST

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A JYOMON FLOWER   
                     

Japan is a forest country, 70% still covered with forest
The population of the Jomon period was 200000 people and the Jomon people lived in the forest
There was a dark world, there were people who lived on the beach, but lived mainly in the forest
What was nurtured there?
Since it was a dark world and asked for light, the eyes of the clay figure became larger
The Jomon period lasted 10,000 years in Japan
Even if the Jomon people are original Japanese, the substance is not clear

里に隠る月(秋風吹き貧困化する日本)


里に隠る月(秋風吹き貧困化する日本) 

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今日は来ぬ女や雲に隠る月

里の月今日は隠れて人逢わず

盗るなかれ月は見ている畑かな

里の秋病に留守や三か月

昔なれ里の実りや松による

書のあまた灯火親しむ家古りぬ

蛙鳴く家や秋なれ家親し

月隠る家を離れじや母の霊

姉死して8年過ぎぬ秋彼岸

今年また遠くに行かじ秋燕

秋風や街の淋しく蝶一つ

明日食べる米なき女(ひと)や虫の声

秋風や貧になりゆく日本かな




月は最近雲に入ったり出たりして輝いている、昨日は満月だった
その女性は毎日来ていた、だいいち年金が4万とかであり最低なのである
10パーセントが5万以下であり10万以下が半分以上なのである
まず貯金がない人多いのに本当に驚く、老後に2000万用意しろというけど
それでもたりない、金の価値が下がったからである
高度成長時代はみんな貯金していた、それは利子が高かったからだ
今は銀行にあづけると利子をとられる、投資信託などをすすめられて大損だった

それだけ日本経済は低迷していてぬけだせない
というよりもうポルトガルとかスペインのように400年日本は衰退の道を歩んでいるという学者もいる
日本はもともとみんな貧乏だった、高度成長時代というのは短い期間でありそこは特別な時代だったことをふりかえる
日本は資源もない土地も狭いしとても豊かになれる国ではなかった

つまり高度成長時代というのは特別幸運がそうしたのである
日本の技術が優れているとかなかったのである、なぜなら今は韓国でも中国でも日本と同じ技術レベルになり中国だと日本より進んでいる時代となったからである
日本の高度成長時代は幸運だっただけなのである

老後は近くが大事になる、雲に隠れて見えなくなってもまた月が現れる
何か三か月も入院して留守にしている人がいると気がかりになる
親しいというわげてもないが近くだからそうなる
なぜそう思ったのか?
その人は妻を亡くしてもう10年くらい大きな家で一人暮らししていたからである
妻がいればその人を思わない、一人だから家に誰もいないから思ったというのも不思議である

何か独り身とか独り身を思うようになる、夫婦でいれば別である
老後は近くが大事になる、病気になっても近くにもし親しいかかりつけの医者がいれば安心だとか何でも近くが大事になる
遠くの親戚はあてにならないのである

とにかく一身上でもここ十年は変化しすぎた
家族みんな死んで姉が死んでから8年も過ぎた、それもあわただしいからあっというまだったのである
右田の松原も津波でなくなりそこに実りがあった、松と実りがあっていた
それもなくなった、凄まじい変化があった
まず人生では必ずこうした大きな変化にみまわれる
70年くらいで大きな変化が来る

今日は西風なのか秋風が吹いた、ようやく秋らしいとなる
youtubeで老後で失敗した人のことを言っていた
その人が住んだのは辺鄙な田舎だった、そこで新参者を受け付けない所だったのである
それで妻が鬱病になったとか病院に通うにも遠いとか畑で野菜を作ってもハクビシンとかなんかに食べられたかと言っていた
田舎は人間関係が本当にめんどうなのである
特に小さな村ではそうなる、でも田舎が住みにくいかと言えばそうして仲間がいれば何か安心するのである、住みやすいのである
それがないと住みにくくなり問題が起きる

なぜ老後に誤算が多いのか、失敗するのか?
それは時代が変わるからである、貯金して利子はつかない、何か事業してもうまくいかない、田舎に住んでもうまくいかない、要するに老人は適応力がないからそうなる 海外旅行でも若いうちにしていないと苦しむ
それも適応力がないからだったのである


2019年09月20日

秋風、実り、秋の蝉(相馬の城まで俳句十句)


秋風、実り、秋の蝉(相馬の城まで俳句十句)

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八沢浦はほとんど荒地のままである

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五本松の二本は枯れたが三本は枯れていない
一時枯れたのがあったが枯れていない




白壁の蔵に芙蓉や庭の畑

虫の音に耳傾けむ謙虚かな

蝉の声昔遊びし神社かな

(八沢浦)

朝の風八沢浦にも実りかな

八沢浦蔵王望み実りかな

山鳩や八沢浦に実りかな

朝日さし鶏頭に実り松による

(五本松)

五本松三本松残り秋の風

なお残る三本松や実りかな

新築の家に落ち着く秋の雲


(相馬市)

ひさびさや街道の松秋の蝉

街道をゆく人あれや秋薊

大手門入りて松かな秋の風

黒橋を上り城跡秋の蝉

城跡や松にひびける秋の蝉 

相馬藩歴代の殿実りかな

有田焼の茶碗を買うや秋なりき

石にさす秋日やここに店構ゆ      


近くの神社では子供の時遊んだ、その時は子供が多いからにぎやかだった
今は一人も遊んでいない、何か神社自体が廃墟のように見える
子供が遊んでいたとき神社は生きていたのである

今日は涼しいので相馬に行った、一か月より以上相馬に行かなかった
暑いのと日ざしに弱くなっているからだ、現実に家にいても熱中症のような症状がでる
最近も暑くぐったりとしていたからだ

今日は八沢浦の方を回ったら蔵王が見えて実りがあった、でもそれは極一部だった
全体的には草ぼうぼうである、ただ実りがあることで生活があり活きる
右田浜でも松原があり実りがあった、あの光景はいいものだったが二度帰ってこないし見ることはできないのである
松原は自然のように感じていた、でも人工林だったから消失したのである

昔の街道は細いしまがりくねっている、そこに情緒がある、でもそこを人が歩いていないから人間的にならない
車だともう人間は邪魔になるし道端の花など見ていないからである
道路でも本当は街道だったら人間が歩いていて活きていたのである
六号線だと車になるのもしかたがない、街道なら歩いている人がいる、歩く道路だったらかえって人間的なものが生き返る
秋となるとやはり旅にはいいとなる、ただ旅でも車では旅にはならないのである
現代の道はただの通り道になる、運搬道路になっている
何か秋になりまた旅したくなった

松並木の街道を行き相馬六万石の城跡につく、大手門があるけど小さいのである
門を入ると松がある、何か城には松があっている、松は人間に見える
一番人間に親しい木なのである、松は忠臣のように城の中に立っている
黒橋を上る、あそこは急である
相馬藩が国替えがなくつづいた、それで歴史に一貫性があるとかなる
それが明治以降も今でも殿様が活きている唯一の藩かもしれない
それは野馬追いがつづいているからそうなる
野馬追いは歴史の継承であり侍が現実に活きる場になるからである
だから相馬地方では侍に出る人は依然として侍であり格が上になるということがある
それは京都辺りでも僧侶が依然として力をもっているのとにている 

イオンでは有田焼の焼き物を売っていた、何か秋らしい、でも安いのを買っただけである陶芸とか骨董とかにこるときりがないのである
何か趣味でも金がかかりきりがなくなる、だからやめたのである
ただ安物は安物の価値しかないのである
私は窯元をずいぶん訪ねた、浪江の大堀焼の窯元がなくなったことは痛手ある
なぜならあそこは高瀬川があり水墨画のような風景があったからである
そういう観光の場所を失ったことは痛手である
窯元はやはりある程度まとまっていないと価値がないのである

秋風や模様のちがふ皿二つ    原 石鼎

秋はそういう感じになる、芸術の秋である

相馬市ではパン屋が六号線沿いにあり焼きたてのパンを買った
パン屋は原町にもあるし普通はある、第一新地にもあったからだ
だから鹿島にはないというのがわからないのである
原町までたと近い相馬市になるとちょっと遠くなる
とにかく暑いということで行けなかった
日ざひは夕方になっても暑くなっていた
何か夏が一か月くらい伸びている
店の前に石がありやはり店を持つという店を持つことはステータスになる

今日帰りは暗い道で転んだ、今度のライトは電池が切れやすいのである
自転車も危険である、慣れた道でも暗くなると危険なのである
それほどの怪我でないから助かった





2019年09月21日

浜通りの秋(詩) (阿武隈高地は古い)


浜通りの秋(詩)

(阿武隈高地は古い)

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中村城跡から見る阿武隈山脈


浜通りの秋

黄金の稲穂の実り
鶏頭の真紅の映え
常盤木の松の翠や
阿武隈の山脈にそ
棚引きぬ白銀の雲
紺碧の海に浜通り

白銀(しろがね)



福島県は、地震や台風による水害などの災害が少ないことで知られており、企業のリスクマネジメント上において国内屈指の環境と高い評価を受けています。

今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率は極めて低いとされ、特に阿武隈高地の地盤は堅固で活断層も少なく、地震に対する安全性が極めて高いと言われています。

阿武隈山脈は大陸から分離した、もともと大陸が元になっているから大陸は古いから古いとなる、不思議なのは朝鮮半島には地震がまれである、ニュースでも地震のことが報道されない、台風の通り道にはなっているから台風はある
でも地震の報道がない、それでけ地震がないから地盤が安定しているとなる

阿武隈山脈が浸食されてなだらなかだというのもそれだけ長い年月の間に形成された結果だとなる
とすると逆に吾妻山と磐梯山とか中通りとか会津になると高い山がある
それも2000メートル級の高い山がある
それは新しい造山運動のためだったとなる
つまり新しい山は高く険しくなるということなのか?

ともかく阿武隈高地が地盤的に安定していることは間違いない
それが今回私が作った漢詩もどき詩となになか関係あるのか?
詩も科学と関係している、阿武隈高地は山脈は安定しているというとき
詩にも反映される、浜通りの特徴が反映される

浜通りは海と山の景観があるからだ、それてアンモナイトとかの化石も発見された
海側だから津浪の被害も大きかった、私の家から海は近いから身近である
海をいつも見ているからだ

それで青が海であり鶏頭は赤であり黄色は実りであり緑は松なのである
右田の松原は古いしいい松だったが津波で消失したのがショックだった
浜通りでは相馬市の城跡に行く街道の松並木が有名だからである
歴史は六号線を行くとわからないのである
昔の道の街道が歴史の道なのである
だから日立木から相馬市の城跡までは歩いた方がいいのである

ともかく意外と地元のことがわからない、でも阿武隈山脈が古いというときそこに白銀(しらがね)の雲が棚引く、それがあっているとなる
宮沢賢治のように地質学から化学からあれだけ万能だったと人はめずらしい
現実にそういう天才は今の時代にも出ていないことでもわかる
これだけ科学的にも情報的に進歩してもあれだけ博学な人は出てこないのである

福島県は広いからその土地土地のことを知ることは容易ではない
全体として知ることはなかなかできない
浜通りというとき今回津浪に襲われた地域を一つのつながりとして地域を見るということにもなった
会津とかは山国であり別な地域となる、それで文化の形成でも違ったものとなる

2019年09月22日

観光と旅の相違 (今は旅人も旅も喪失した観光の時代−地元の観光をどうする)


観光と旅の相違

(今は旅人も旅も喪失した観光の時代−地元の観光をどうする)

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観光資源の活用は、既存のものの掘り起こしと新しいものの創造によって、観光のあり方を激変させる可能性がある

現代は観光の時代である、世界的にそうである、交通の発達で旅もグロ−バル化した
観光が一大産業にもなる、ギリシャなどでは観光が主な収入源でありヨ−ロッパの保養地となっていた、だからのんびりと暮らしていたがギリシャ危機でそうもいかなくなった
観光だけに頼ることも危険である、なぜなら観光も浮き沈みがあるからだ
ある時はある場所が人気になりある時は別な場所になる
今は日本が人気になっているのは日本は旅しにくい場所だったからである
物価が高いとかでしにくくかった、でも今になると中国をはじめ豊かになるとやはり外国を知りたいとなり日本が貧しくなったので観光立国とかまでなった
京都辺りでは観光公害にまでなっている
日本人が日本をゆっくり旅できないというのも異常である

観光という時、旅とは違う、現代では旧来の旅とか旅人はいない、江戸時代辺りなら普通の人でも街道を歩くほかないのだから旅人になり旅をしていたのである
今は交通機関が発達したから旅はなくなった
旅と旅人だと宿場があり必ずそこによる、今は別に途中の宿場による必要はないのである新幹線で一気に目的地に来る、その目的地で温泉とかにひたるとか御馳走を食べるとかが目的となる、途中がないから旅ではないのである
つまり歩いて感じる感覚とはかけ離れたものとなる

街道を行く人あれや秋薊

日立木から松並木があり相馬市の城跡までは昔の街道である
でもそこは細い道だから車が行き来する、そこで情緒がなくなる
自転車だとなんとか歩いたものに近くなる、でも車だと道の辺の花など見ないのである
車はひたすらスピードを出して目的地に向かう乗り物なのである
それは電車にも言える、途中がないのである
それで旅の情緒がなくなったのである
だから旅人はもういない、西行ー芭蕉ー山頭火まで旅人であったが今はいない
旅人になりかない環境になったのである
六号線とか国道を歩いていてもそこは車の通り道であり歩く道とはならないのである
草臥れて宿かるころや藤の花 芭蕉」こういう感覚はないのである 
自転車で亘理から相馬市の方へ来たときそこは街道であったから旅になっていた
そのことをプログで俳句にしたりして書いた
そこには古い歴史があった、歴史の道としてあったがどうしても六号線を通るから昔の街道がどこかもわからなかったのである

東海道五十三の浮世絵を見るとそこは歩く人しか描かれていない、みんな歩いていたのである、一日30キロとか歩いていたのである、それだけ歩く時代だったのである
それで朝早く旅立ったというのもわかる、朝早くなければそれだけ歩けないからである

私も自転車で旅したが自転車は歩くよりやはりかなり早くなる、それでも一日私の場合体力がないから50キロから60キロくらいしか行けない、疲れて行かなかった
だから30キロ歩いたら相当に疲れる旅だとなる
いづれにしろこれだけ交通が発達すると旅自体ができないのである
歩いている人がいても必ず電車を利用したりしているからである
ずっと歩きとおすことはできないのである

現代は観光の時代である、観光というときそれは一つの目的地まで電車なり車なり飛行機なりを利用して目的地に早く着きそこでその場を観光するということになる
でもこの観光というのは初めての場所を知るということは意外とむずかしい
それは老人になっても地元のことがわからないとういことがあるからだ
それだけある土地について知るには時間がかかるのである
とすると一日来てその土地のことを知るのはほとんど不可能である
ただ何回も来ているうちにその土地のことを知るということがある

観光資源の活用は、既存のものの掘り起こしと新しいものの創造によって、観光のあり方を激変させる可能性がある。

そしてその土地に住んでいる人が地元のことがわからないのである
この辺だと日立木から相馬市の城跡までは旧街道であり歴史の道である
そこはわかり安くても他はわかりにくいのである
松川浦もわかりやすい、でも実は田舎の魅力は地元の人が当たり前と思っている何気ない場所にあった、そういう場所は土地の人もわからないのである

●歴史の道(相馬市の城跡までの旧街道)
●田舎の小径
●田舎の秘境

この辺だと城跡までの街道はわかりやすい、でも故郷の小径となるとわかりにくい
なぜなそらその小径を最近私が発見したからである、そこは隠されたようにあったからわからなかったのである、自転車で毎日行っていて発見したのである
それはすぐ近くだったのである、つまりありふれた場所が実は魅力ある場所として発見されていないのである
そういう場所があるのだが発見されていないのである
田舎の秘境というのもそうである、それは橲原の奥の水無河川の上流だった
そこには道もない、道を整備しようとしたができていない
だからそこに行くことは難儀する、でもそこは秘境となっていたのである
田舎自体そうした秘境を知らないのである

飯館村の木戸木には森におおわれた清流があったが道ができて失われた
あそこは本当に秘境だった、ただそういう場所は田舎だと必ずある
でも地元の人すらわからない、注目していないのである
でも観光の問題は観光だと秘境が秘境でなくなる
人が入らない所だから秘境になっている、それががやがや観光客が入ってくると秘境でなくなるのである
ダムができる前の大倉の集落も秘境だったのである

相馬地域でも野馬追いだけではない、自然でも観光資源はある、身近な所にある
ただそこが地元の人すらわからないということである
観光はだからその地域をしるというときどうしても案内人が必要になる
それが金がなくてできないから外国のことがわからなかったのである
ただ外国に行けばいいというだけであったから自分の場合はせっかく外国まで行ったのにわからずしまいになったともなる
それは日本国内でも言えるのである、誰か案内人がいなと始めてくる場所のことはわからないのである

ただある地域を知ることはこのように地元に老人になってもわからないというときはじめて来る人は余計にわからない、少なくても三日くらい滞在しないとわからない
その時間が日本にはない、移動するにも便利でも時間がかかる、金もかかる
ではまた滞在するのでも三日となれば時間がとれないとか観光でも時間がかかる
旅だったらそれ以上に時間がかかる
そして地域の魅力は四季にある、四季の変化で魅力が変わる
だからある地域を知るには四季に行くといいとなる、でもその時間がないのである
それでヨ−ロッパではバカンスがあり一か月くらい自由に旅する保養するというのが文化になったのである

人間は何するにも時間がかかる、そしてその時間がないのである
まず勤め人になればもう一か月とか旅はできない、一か月も旅できる人間は異常なアウトサイダーだとなってしまうのである
正規のルートからはずれた人間になってしまうのである
結局旅の問題は金もあるにしても時間の問題が大きいのである
私は別に金があったわけではないか十分に時間だけがあったので旅できたのである
一番困ったのは泊まる宿だったのである、日本の宿は高いのである
ヨ−ロッパでは安宿が多いから旅しやすいのである

観光をどうするかというとき日立木の松並木から相馬市までの旧街道を歩行者天国にするそこは歩くから自転車にする、あそこは曲がりくねって細い道であり歩くと昔の道になるからだ、後は自転車とかで小径の散策である
秘境となるとそこは道を整備しなければならない、でもこれだけ観光するだけで相当に疲れる、三日は十分にかかるのである
そういう案内が自分はできるがその労力も相当なものになる
自分一人ではできない、私は他にやることがありできない
毎日こうしてプログを書いているだけでまた家事にも追われているからできないのであるただ観光のヒントを与えることはできるとなる



posted by 老鶯 at 10:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅の記録

2019年09月23日

東電の幹部の無罪判決の理不尽 (原発マネーでマスコミも政治家も地元も暴力団まで操作された)


東電の幹部の無罪判決の理不尽

(原発マネーでマスコミも政治家も地元も暴力団まで操作された)



朝日「腑に落ちない」産経「冷静な判断」 東電旧経営陣「無罪」各紙はこう論じた

 読売は、これまでの経緯や判決内容に触れつつ、6段落目で「刑事裁判の基本に沿った司法判断と言えよう」と評した。


 会見で、石田省三郎弁護士は「国の原子力行政をそんたくした判決だといわざるをえない。原子力発電所というもし事故が起きれば取り返しがつかない施設を管理・運営している会社の最高経営者層の義務とはこの程度でいいのか。原発には絶対的な安全性までは求められていないという今回の裁判所の判断はありえないと思う」と述べました。

 福島第一原子力発電所事故が発生した2011年、東京電力から連合会宛に年会費として18億円が支払われていた事が判明した(同時期には公的資金での財政支援が行なわれている)が、納入された会費の具体的使途を連合会は開示していない


 「これまでメディアを通じて原子力発電は安全だとPRするCMや広告を目にしたことがあると思います。電力会社の名前でなく、電気事業連合会(以下、電事連)というクレジットを目にした人も多いでしょう。

原子力ロビー「電気事業連合会」の力と実態

 この電事連こそ、露骨に原発推進を訴えにくい電力会社に成り代わって、豊富な資金量と政界へのパイプを駆使し、原発はなくてはならない≠ニいう世論を形成して 

 「文化人をはじめ各界に影響のある人物を広告に起用するなどして、原子力政策に理解あるサイドに立ってほしいという意味です。その人物がはっきりと原発賛成を叫ばなくても構わないんです。原発推進の立場の電事連のCMに名のある人が登場する。

福島が地元の渡部恒三(民主党最高顧問)が『農業の時代じゃない。これからは環境だ』と言い出したのは、まさにこの頃で、同じ田中派の小沢の動きを見て、CO2排出の少ない原発推進で電力業界との距離を縮めようとしたのだ」



 別冊宝島の最近刊『誰も書けなかった日本のタブー』の巻頭、川端幹人「金と権力で隠される東電の闇/マスコミ支配の実態と御用メディア&文化人の大罪」がまとめているところでは、東京電力の年間の広告費は約244億円、販売促進費は約239億円、その他に普及啓発費200億円弱で、計約680億円の多くがメディアに流れている

 関西電力の広告費は199億円、販促費は59億円、九州電力は同じく80億円、112億円など。他にも、電力10社が構成する電気事業連合会(電事連)も独自の広報予算を持っていて(非公開ながら)年間300億円以上と言われているし、さらには経済産業省・資源エネルギー庁や文部科学省の原子力関連の広報費もあって、それらすべてを合算すると「原子力界・電力業界がメディアに流している金は年間2000億円に迫る。現在、広告出稿量第1位のパナソニックが771億円、強大な広告圧力でメデイアから恐れられているトヨタが507億円だから、この金額がいかに大きいものであるかがよくわかるだろう」(川端)。

 マスコミだけではない。政治家には政治献金、官僚には天下り先、学者には研究費、地元代議士や地方政治家や暴力団には利権配分、自治体と周辺住民には電源3法に基づく手厚い交付金......と、あらゆる関係者に莫大なカネをバラ撒いて「原発は安全」という虚構を塗り固めてきたのである。



なぜ東電の幹部が無罪になったのか?
それは私のプログで追求してきた
原子力村というけどそれはもう村などというものではない、一つの別な強力な国家と同じだったのである、その利権が金が支配した結果そうなったのである
それでわかるのはなぜ東電の幹部に責任をとれとか右が右翼が街宣車とか出さないのか?このサイトでは暴力団にも金が流れていた、暴力団とかは右翼と関係して街宣車を出す
原発事故ではそういうこともない、なぜなら右翼はもともと原発の推進派だからである
それは核武装是認派だからである
ただ昭和天皇をあれほど批判していて最近死んだ都築詠一氏も原発推進派であり核武装派であった、右翼にもいろいろいるが全部原発には反対していない
また空手道場の師範でありそこには東電の人たちも来ていた、となると批判しにくいとなる、ただ文学の批評家としては私は評価していた

ただ原発に関しては左でも朝日新聞にも金が回っていた、ほとんどあらゆる報道関係に金が回っていた、その額が大きいのである
要するに金によってマスコミも操作されていたから原発の危険を言う人はいなかったのである、言えなかったのである、それは地元でも同じである
みんな原発から金が欲しいとなり現実もらっていた
漁業組合でも事故前にも補償金がもらって原発御殿が建っていたとか聞いた
それで漁業権を東電に売り渡したとなる
それは別に漁業組合だけではない、莫大な金が地元に与えられていたのである
そのことが実感したのは事故後に何兆円という補償金が出たり7兆円で除染だとかその金の額は天文学的なものであり驚いた
そんな金があるということ自体驚きだった、国家規模になるとその金をもう計算できないのである 

そして創価の聖教新聞でも潮でも原発推進をしていたのである、それは第三文明とかでしていた聖教新聞とか第三文明とかで最初に仕事するのは宣伝費を稼ぐことである
それは他でも同じである宣伝費を稼ぐことが第一の仕事なのである
新聞だってテレビでも放送すること自体に莫大な金がかかる、そしたらその金はどこから出るのか?テレビだったら視聴者からはでない、NHKは視聴者から強制的に徴収しているから特別なのである
福島県の民報でも半分出資しているのが県なのである、だから県の広報機関と同じであるまた聖教新聞も刷っている、そこが収入源になっている
創価は権力をとる総体革命を目指しているからその手法は同じなのである
どうして権力を抑えるか常に画策している団体だからである
それは東電にも通じていたのである、マスコミは宣伝費で金で抑える
つまり今の世の中金で操作されるということである

結局金が毒饅頭だったのである、みんな金が欲しいというのには変わりないからである
金になると目の色が変わる、でも金の怖さは具体的に金でもってカルマをつむということである、金というのはわかりやすいのである
それでドラマでヤクザが金をもらったからと義理を果たすために殺人までしたのである
金というのにはそれだけ具体的なカルマとなる
そのカルマを返さざるをえなくなるのである
そこに金の怖さがある、金をつかませられてマスコミでも何にも言えなくなったことでもわかる
それを象徴していたのが朝日新聞までは事故が起きたとき中国に呼ばれて歓待されていたのである、その時マスコミ全員がそこに参加していたのである

読売は、これまでの経緯や判決内容に触れつつ、6段落目で「刑事裁判の基本に沿った司法判断と言えよう」と評した

読売新聞がこういうのはなぜなのか?
そもそも読売新聞は正力松太郎がアメリカから原発を誘致させた最初の人だったのであるアメリカのスパイになりその代りに原発を誘致して日本テレビ局を作った創始者だったのである、だからこんなことを言っているのである
つまりマスコミはこうして権力側につくものであり民衆の味方ではないのである
それはマスコミは報道するにも金がかかりすぎるからそうなるのである
テレビで放送するにしても新聞でも雑誌だってそうである
それは視聴者とか購読者が払ってくれればいいがそれができない、だからスポンサーに頼るほかないのである、そして東電はとかはもう国家並みの権力をもっているから金も湯水のように出すとなるともう何も言えない
そしてたいがい文化人と言われた人たちが東電側につき原発を擁護していたのである

なぜ今回も東電の幹部は無罪になったのか?

それは検察自体が原子力村の一員だったからだともなる
検察でも官僚でも東電に天下りしているからである
最近交通事故を起こした元官僚の人を上級国民で批判できないとか騒いだ
検察でもそうして上級国民には忖度するとなる
そして結局誰も責任をとらないのである

本当は事故を起こしたら切腹するとか死刑にする

こういう責任を課せば誰も原発などにかかわらないのである
なんだ無罪かとなれば責任などないとなりまた原発を軽くみることになる
そうはいっても必ず誰かかが責任をとらされる
今回は住めなくなった住民が責任をとらされたのである

でも責任をカルマを逃れることはできない、東電の幹部にもいつかそのカルマが現れる
それはいつになるのか?必ずカルマとなって苦しみとなって現れる
それは国家的犯罪だから検察でも罰せられないけどそのままでなにもなく終わるとはありえないのである
一人でも死刑になるとかなり犠牲者になればその人に過失を押し付けることができたかもしれない、堂々と幹部は無罪だとして社会にのさばることが許されないのである
もう被害者でもがっかりする、善も悪もないと絶望してしまうからだ
国自体が信頼できないとまでなる

こういうときもうテロが起きてもおかしくない、でも右翼が東電の幹部にテロにならないのは暴力団にも東電の金が回っていたからだとなる
それでヤクザでも義理がありカルマをもつから殺しを請け負ったように何もできないのである
それは地元でもそうだが金の力がいかに強力なものか、カルマとなるか示しているのである、地元でも東電で金になっているから反対しずらいと言っている人がいたからである
金に社会がいかに曲げられているかわかる、金から犯罪を見えてくる
借金している人は犯罪者になりやすいからである
ただ金でもそれが悪い方に働くとカルマとなりそのカルマが苦しみとなって現れるのである、やはり不正な金で会社がつぶれたりもする
そこに金の怖さがあったのである 

要するに原発は国家的犯罪だった、でもこれも戦争と同じように裁くことができない
国家の犯罪となれば誰が裁くのか?そんな権力をもっているものはいないからだ
アメリカが悪いとしてもそれも裁くことはできない、そんなことができるのは神だけだとなる、原発事故もこうして国家的犯罪だから裁くことができないのである
ただ歴史の中で百年後とかにその犯罪が明らかにされるかもしれない、国家的犯罪になると戦争でもそれだけ時間がかかるとなる
今になって読売新聞の正力松太郎が悪人にようにされいたりするからである
その時は優れた実業者だと見られていたからである

福島が地元の渡部恒三(民主党最高顧問)が『農業の時代じゃない。これからは環境だ』と言い出したのは

これにしてもそうである、いかに農業とか漁業でも金にならないと後継ぎもいないとかなり政治家がこういえばとびついたのである、実際は農業はやるなと親に言われて殴られた息子がいたのである
(農業の時代じゃない)というときそこに福島県とか地方の見方に問題があった
今になると農業が成長産業だとしている、なぜなら日本では輸出産業が衰退しているからである
日本の農業は技術的にハイレベルだとかそういっている、だから時代により価値は変わる
農業を軽視することは危険だったのである
原発の推進派の理由として原発は石炭のようにCO2を出さないかから環境にいいということがあった
これからは環境だと言ってももその環境が放射能で汚染されて住めなくなったのである
第一この人も利権で動いていたのである、息子はアメリカのGEにつとめていたのもそうである

今報道はインタ−ネットでyoutubeとかで百家争鳴になっている
それはyoutubeなどでも手間がかっても金がかからない、ほとんど個人でできるからそうなったのである、そういうものがあれば原発の危険性を指摘されたかもしれないのであるだから民主主義には報道の自由がないと真実は隠されて今回のようにもう取り返しのつかないものになる
そして報道は反権力でないとだめなのである、権力側は金がありまた数の多さも民主主義では力となる、だからカルト教団ではとにかく頭数を集めて票に結びつける
数が多いことが権力に結びつくからである

つまり権力とは危険なものなのである、権力をもつものはナチスのように暴走したり危険なものでも危険でないとしたりできる
だからこの権力をどうして抑制するのか?それが課題なのである
それに報道の自由が必要なのだけどそれが権力によって操作されたから原発事故が起きたのである、だから反権力が報道の基本的な姿勢としてなければならない
福島民報のように出資が県の50パーセントだったら何も言えない
そういう報道機関は必要もない、だからインタ−ネットがそれを打ち破るものとはなる
ただ問題は百家争鳴で混乱する、何が正しいのか真実なのか見極めるのがむずかしくなってくる、でもそれが民主主義の有り方なのである

posted by 老鶯 at 14:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2019年09月24日

南相馬市の古代の歴史ー鹿島区の新旧 (新旧と場所を知ることが歴史を知る基本)


南相馬市の古代の歴史ー鹿島区の新旧

(新旧と場所を知ることが歴史を知る基本)

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歴史をみるとき大事なのは新旧をみることである、村でも新しいのか古いのかが問題になる、だから村でもこの家は古いのか新しいのか問題になる
田舎でも飯館村とかでも古い家と新しい家がある
戦後は開墾に入った人たちが多い、20パーセントくらいいたとかなり相馬地方では特に多かったという、小池にまで開墾に入った人がいた
戦後の引揚者だったのである、あんなところに土地があったのかとなる
その人はかなりの貧乏だったのである

飯館村の大倉から坂を越えた木戸木となると閉鎖された土地である
草野に行くのにも七曲の坂を上らねばならない、あんな不便な土地だから開墾に入った
でも一見するとここは古い部落なのかとも思うのである
つまり村でも新旧を見ることが大事なのである

例えば鹿島区だと烏ア村とか海老村は古い、でも右田村は江戸時代にあったとしても海老村とか烏崎村からすれば新しいのである
そこは後から開拓された土地だったからである
海老村は最近その突端に古墳が発見されたから古いことがわかる
それだけ古い時代から人が住んでいたのである
そうなるとそこで大きな津波を経験していたかもしれない、でもそれはわからない
弥生時代の住居跡も発見されている

古墳があるということはそこが古い場所である目印になる
それで韓半島に前方後円墳が発見されている、それが最近の研究では日本より古いから韓国から日本に前方後円墳が伝わったという、何でも韓国起源にするのが韓国である
でもその古墳が日本より新しいものだったのである
ここでもいかに新旧が大事になるか証明している
それが古いのか新しいのかが決め手になっているからだ

それで鹿島区だと塩崎の船着近くに前方後円墳があった、鹿島区で前方後円墳があるのは金銅双魚佩の発見された寺内と二つだけである
それで問題になるのがどっち古いのか新しいのかなのである
なぜならそれが鹿島区の歴史をみるとき重要になるからだ

塩崎には船着と市庭という地名があり古い、船が通っていたことは書いた
それも今の火力発電所があるところから鉄などを運んでいた
そして大内には800年に奉納された薬師堂が残っていた、それは坂上田村麻呂が奉納したものとされる、大内村はそれだけ古いということである
でも古墳時代になるとさらに古いのである
でもいつそこに前方後円墳が作られたのか?
それが問題になる、なぜならそれがわからないと鹿島区の歴史を解き明かせないからである

私の見解では塩崎の前方後円墳が古いのだろと思う
それは鹿島区の歴史の形成がどうして行われたか?
古代になるとまず東北電力の火力発電所がある場所で大規模に鉄の生産が行われた
その時この地が奈良の朝廷に知られるようになった
鉄の生産のために韓(から)から特に伽耶から技術者が入ってきた
それが津神社でありツノガノアラシトである、、浪江の苕野(くさの)神社もそうである
津神社とはツノ神社でありまぎらわしい、ツ神社とはいわない
ツノ神社である、松川浦の津浪をまねがれたツノミツ神社もそうである
感じは当て字であるから注意する必要がある
ツノガノアラシトのツノがつく神社や地名があるから注意すべきである

ではこの辺にある神社でも新旧が大事になる、綿津見神社は相馬地域とか浜通りでは多いツノガノアラシト系は点であり韓半島の技術者が入ってきた
綿津見神社は安曇系の海洋民が大勢移民として入ってきた
それを物語っているのは飯館村まで綿津見神社と山祇(山津見)神社が多い
それも面としての広がりがある、飯館村の山津見神社を終点としてその前に栃窪村にも山津見神社がある、他に相馬の松川浦にも海岸に山津見と和田という地名があり和田は綿津見のことである
そこから川をさかのぼってゆくと途中に隠されたように山津見神社がある
このことは綿津見神社と山津見神社を神として奉じる人たちが移動した跡なのである
ではこの人たちはいつここに来たのか?
これが大きな問題になるのである
古墳にしてもそれが一体古いのか新しいのか問題になる

ツノガノアラシト系とかの鉄の生産技術者は点としてその後神社とか地名に残した
綿津見神社系はこの地に大勢来て面として移民として住んだのである
ではこの人たちはその鉄の生産の技術者より古いのか新しいのか?
これが大きな問題になるのである

これがツノガノアラシト系より古いとなると最初にこの地に来た人たちは綿津見(山津見)系だとなるからである
その後に鉄の生産技術者が韓半島から来た、そこに大和王権系が指導権をにぎってゆくことになる
真野の草原はそういう事情で大和王権系がかかわり奈良に知られたとなる
そしてでは原町の桜井古墳が鹿島区の古墳と比べて古いのか新しいのかが問題になる
あれだけ大きいのだから古いとみる
そこにすでに統一された大きな勢力がある集団が存在したとなる
それは物部氏系とされる

位置関係を見ればたどれば鹿島区の歴史はわかりやすい
蝦夷が存在したという時、それは物部系とかツノガノアラシトとかが関係していた
そこに大和王権系がかかわり真野郷として中央の大和王権から認定されたとなる
それで小池の前方後円墳が作られ金銅双魚佩とともに埋葬された地元の有力者がいたとなる、それは中央政権の大和王権からもたらされたものだとなる

そして桜田山に古代の城がありそこの丘を越える所で先住民と争いがあった
そこから石の武器が数多く発見されたとあるからだ
そこで先住民と大和王権側が衝突して桜田山下の大六天の祠のあるところで争いがあったそこからは縄文人が生活していた跡が発見されている
魚とか鹿の骨が発見されている、つまりそこで蝦夷と戦った人たちがいた
そこで蝦夷は大和王権側に殺されたともみる
そこから大和王権側が進撃して鹿島神社に至ったのである
そこに鹿島神社が今でもある、その祭神はタケミカヅチの神である
これは武の神であり出雲でもこの神が現れて征服している

つまり神社は場所が大事なのである、なぜその場所にあるかが歴史を語っているのであるそれから右田の御刀神社がありなせそこにあるのかが問題になる
それは海老というのはエヒであり蝦夷のことだったのである
そこはもともと古墳が発見されたように古い場所だったのである
右田に御刀神社があるのは刀はまさにこれも武の神であることがわかる
刀を使って蝦夷を切ったり殺したり征服した場所になるからだ
古代では御刀神社の前は海だった、それは津波で証明された

歴史で大事なのはこうして新旧を知ることと場所を知ることなのである
この二つから歴史をみることが大事になる、つまり何でも空間軸と時間軸で見ることなのである、空間軸はその場が今でも残っているからわかりやすいが時間軸はわかりにくいのである、江戸時代でも年号があったとしてもその新旧がわからないのである
時代をみるときどうして見るのか?
例えば戦前だと戦争があったとか、戦後だと高度成長時代があったとかなる
そして戦後十年くらいは街中の生活でも水道がないし燃料は炭だったということを知ることが大事である、それは江戸時代の続きだったからである

基本的にそういう生活を知らないければ過去を知り得ないのである
それは石器時代から鉄器時代へ移行したときそれが歴史の大きな転換点だったということでも同じである、戦後の電気の生活変革もそうである
その延長として原発事故があったからである




posted by 老鶯 at 09:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2019年09月25日

人間は出会う人が大事(出会いが決める運命と損得)


人間は出会う人が大事(出会いが決める運命と損得)

人間はつくづく出会いが決める、大学でカルト教団に自分が入ったのもたまたまゼミにいた人がその教団に入っていたからだった
それが最大の理由だったのである
その人と出会わなければ入ることもなかった、ただそれがすべて悪いとはなっていない
なぜなら大学は遊びの場所でありそこでただ遊ぶだけで終っていたかもしれないからだ

最近の自分の苦難を書いてきた、それも出会いが悪かったからだ
前から付き合っていた人が悪かった、事業に失敗して借金していたとかで余裕がなく借金に追われていた、そういう人は自分のことで精一杯であり他者を助ける余裕がない
自分から金をとることしか考えないようになっていた

後に家の手伝いに一時来ていた人は泥棒だった、そこで大金を失った
これもそもそもそういう人と出会ったことでそうなったのである

他に地銀の人が来たがこれもリーマンショックのとき半額になった株が元にもどり上がり調子のとき別な投資信託に株を売ってまわした
結果的に損した、その地銀の人は全く株のことを知らないのに知っている言っていた
私もプロだと思いまかせた
そして自分には株でも何でもそういう投資のことがわからないし時間もないからまかせたのである
地銀の営業の人の頭にあるのはノルマを果たすことだけであり地銀自体が今や余裕がないから客をもうけさせることなどできない、今は客から金をいかにして巻き上げるしかないのである、それはゆうちょでも同じだったのである
時代が変わってそうなっていたのである

なぜ人間はこうして出会いが運命まで決めてしまうのか?
そもそも犯罪に逢うということはそうした犯罪者と出会うからそうなる
犯罪者がそんなに多い訳ではない、でもそこでたまたま出会うことが最悪だったなるのである

大工さんに修理を頼んだが実際は直っていなかった、でも金ばかりとられたというのもそうである、出会いが悪いとなんでも悪い結果になる
病気でもいい医者と悪い医者がいる、いい医者に出会いは病気も直るが下手な医者にかかると病気は悪くなり早く死ぬこにもなるからどういう医者と出会うかが問題になる
でも田舎では医者は限られているから選ぶことはなかなかできないから損になる
それは教育でもそうである、いい先生に出会えばいいが悪い先生に出会いえば影響が大きいのである 

そもそも人間の運命はどんな母親から生まれてどういう家族で育つのか決められている
それも出会いであり出会いは運命だともなる
結婚だって出会う人によって決まる、どういう人と出会い結婚するかで運命が決まる
そして人間は出会うという時、意外と出会う人は限られている
そしてその限られた人の出会いで運命も決まる

良かったのは仙台から来た優創建というユニットバスの会社だった
百万で作ってくれた、地元だとガス会社では200百万かかると言われたからだ
知っている人に頼むとその人はプロではないから300万かかったのである
その会社は良心的であり仙台から来たとしてもそれだけ安くできたのである

人間の運命を決めるのはいろいろある、でも出会う人に左右されるというのも確かである住んでいる場所でもそうである、どうしてもこの辺だと医者自体が少ないのだから都会のように医者を選ぶことができないからいい医者と会えないのである
そういうハンディキャップが田舎にはある
金融機関でも都会のようにいろいろないか相談もできないのである

とにかく人間はどういう人と出会うかが大事になる
出会う人によって運命が決まってしまうことがある
人間の運命を決める要素はいろいろある

●住んでいる場所(故郷)

●生きる時代

●出会う人

この三つが運命を決める、住んでいる生まれた場所の影響が本当に大きい、田舎と東京に生れ育つ人では環境が違い過ぎる、そこにはいい面と悪い面がある
ただ自分は田舎向きであり老人になったら今では人ごみが嫌になり仙台にすら一年に一回とかしか行っていない、老人になるとどうしても田舎がいいとなる、それはその人の性向にもよる

また出会いというというときどんな本に出会い読むかということも大事である
本も人との出会いとにているからである
でも田舎だと本自体が売っていなかった、この差が大きかったのである
仙台まで行かないと専門書も売っていない、売っているのは売れる本だった
「冠婚葬祭」とかの本が百万部売れていた時代である
ベストセラーになった時代である、それはそういう本しか田舎には置いていなかったのである、でも本というのは莫大な量があったのである
それが読めなかったことは相当なハンディキャップを背負わされていたのである
今は古本が安いので集めている、すると知見が拡大してゆくのである
インタ−ネットでも論文が読めるとかなり知識が田舎でも得られるのである

なぜ出会いが大事かというとどこでもそうだろう、会社でもいい上司に逢うのとそうでないとなると苦痛になりやめたりする、でもいい上司に逢えば仕事もはかどるとなる
つまり秀吉でも信長に出会わなければ出世はできなかった
信長が優秀だったから秀吉も才能を活かせたとなる
才能だってそうなのである、それを認める人がいないと伸びないのである

今になっても自分がこんなに俳句とか短歌を作っているけど30過ぎてもいいものが作れなかったし才能がないとされていたからだ
だから才能でもそれを認め伸ばしてくれる人がないなと活かされないのである
それも人の出会いによることが多いともなる

第一出会いが大事だという時そもそも親と出会うということが運命を決めているのである親が悪いとどうしても初めから相当なハンディキャップ負うことになるからだ
私の場合は親が良かったからこうして自由に生きられたとなるからだ
才能も伸ばせたとなるからだ

だから出会いというとき良縁と悪縁がある、それは結婚でもそうである、その縁がいかに影響するか、良縁になればいいが悪縁になると悲惨になる
そして人間の不思議は良縁があっても悪縁を選ぶことが普通にある
良縁があってもそれを切るのが人間なのである

例えば天国があるとする、悪人はそこにはいられなくなり自ら進んで地獄に行くのであるそういう天国にはいられないのである、悪のある場所が住みやすいからそうなっている
だからこの世は悪人にとっては住みやすい場所なのである
天国となるととても住めない、自らこの世に帰りたいとかなる
良縁を切ると悪縁が入ってくるというのもそうである
むしろ悪縁をその人自ら選んでいるのである

結局最後は結果論でありもういろいろ言っても過去は返ってこない、こうすればよかったとかあうすれば良かったとかいってもどうにもならない、すべて結果は老人になれば出てしまったからである、後は死ぬだけだとなってしまったからである
ただこれからの人はこうして生きた人のことを参考すにすべきだとなる
40才になったら何もできない、人生も終わりだと嘆く人もいる
それだけ時間は過ぎるのが早いし出会う人も極限られている、後は「さよならだけが人生だ」となってしまうのである

「若き日に神を覚えよ」というとき若い時を神を知らなければ出会わなければ後は出会うことができないともなる、これも厳粛なことだと思った
若い時はいろいろなことに目を奪われるがそうしているとたちまち青春は過ぎるのであるそして浦島太郎のように白髪の老人になって時は戻ってこないのである
後は死があるだけだとなってしまうのである
玉手箱を開けたら夢のように煙となってすべては消えたとなる
そしてただ茫然としているだけになる、人間はみんなそういう繰り返しだったのである
そういう人間の本質は技術がいかに変わっても変わらないのである
だから諺を今でも活きている、「金の切れ目は縁の切れ目」というのも過去にもあり今はこれが極端になっていることでもわかる
そういうことは時代が変わっても変わらないのである
それは人間の欲とかがなくなるわけではない、いかに人工頭脳が優秀になっても変わらないのである、人間の欲がなくなることはないからである
それで諺が依然として通用していることでもわかるのである




桜井古墳(秋)―街道の松 秋の蝉(俳句十句)


桜井古墳(秋)―街道の松 秋の蝉(俳句十句)

 
ふるさとや旧友と会い秋の蝉

ふるさとや同じ場所に秋の蝉

ふるさとにともに老いゆく秋の蝉

塵つかず石の黙して秋薔薇

蠅も来ず宝石ともなる秋薔薇 



過ぎ行きぬコスモスゆらし朝の風

街道や秋風に松坂越えぬ

街道の松や古りにき秋の風

街道に秋風吹くや碑の古りぬ


秋日さし桜井古墳に我が寄りぬ

山鳩や桜井古墳に実りかな

みちのくの実りここや大古墳

新田川鮭の上るや大古墳

千歳経ぬ桜井古墳や秋の雲

秋の蝶紋鮮やかに大古墳

秋の海桜井古墳や千歳経る

秋の蝉一つひびきて隣の市



いつもの土手で休む場がありそこに休む、そこで会ったのは同級生だった、その人も脳出血で死ぬところだった
その人と時々自転車であって話する、郷土史のことで話ができる
他では直接そうした話はできないししていない
だからただ一人プログに書いているだけだとなる
つくづく今や同じ場所に行き同じ場所で休む、そういう繰り返しである
老人になると同じ場所にいてあまり新しい場を求めないともなる
だから家とか周りの環境が大事になる
そこに秋の蝉が鳴いてひびくのが似合っている

今日は原町に行ってきた、街道はやはりいい、人間的になる、高松辺りの松は太くいい松である
松は街道にふさわしい、だから今でも陸前浜街道を行くと昔を偲び旅人になれる、六号線は旅人になりにくい
原町ででも旅人の気分が味わえるのである
とにかく松は一番人間に近い木なのである

次に桜井古墳によった、この古墳は本当に大きい、なぜあそこにあるのか?
その場所がやはり新田川の側であり海に近いということで原町では最適の場所だったのである
古墳はどこにあるのか、場所が大事である
仁徳天皇の大古墳は海に近かった、そこに意味がある、ただ奈良の盆地の古墳も大きい
それが山の辺の道の山側に沿ってあるからその場所に意味がある

新田川にも鮭が上ることで有名だったし鮭料理をだす食堂があった
でも今年は真野川でも鮭が数匹しか上ったのを見ていない
去年は相当数上っていた、もしかしたら震災から8年過ぎて何か影響したのか
鮎は一匹もいなくなった、鮎は全国的にいなくなっている
その理由が何なのか?これも何か影響している
鮎が見かけないのは淋しいとなる、それは食べないにしろ川に鮎がいて川もは活きるからである

街道を行くといんう旅は今はしにくい、この辺だと街道を旅することは浪江まではできる
でも六号線は双葉には自転車ではいまだに入れないのである
そこで通行止めになるから行けないのである、山の方を行くと遠回りになる

ただ自転車でゆっくりと街道を行くのはいい、秋は季節的にもいい、それでまた行きたくなったとなる

2019年09月26日

many abstract flowers and stars


many abstract flowers  and stars


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Sakura

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New star flower

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the Imperial chrysanthemum crest



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 a faint star flower in the deep space


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my secret star