2019年09月07日

蝉の声に月 (故郷をめぐるー死者は家からなお離れず見ている)


蝉の声に月

(故郷をめぐるー死者は家からなお離れず見ている)


夏の星若人遠く行きにけり

朝蝉の鳴くやカンナの畑に映ゆ

故郷をそちこち回り蝉の鳴く

蝉の声昔神社に子供かな

夕べなお蝉鳴き昔の神社かな

夜に鳴く蝉の音聴くや謙虚かな



我が部屋を覗(のぞ)く月なれここにとどまり暮らしけるかな

我が家に久しく住みぬ思い出や月ののぞきて住みつづけるかも

我が家族時に面影浮かぶかな月ののぞきて跡継ぎ住みぬ


蝉という時夏の季語だけど今は9月でも夏である、一か月くらい季節がずれた
今日も暑かった、日ざしが強いと外に出れない、でもは今は夕方になると涼しくはなっている、でも秋なんだけど夏という感じになるのがこの頃である
ただ今宵は窓に今半月がでているから秋の月になる

何か昨日は中学校の校庭で野球していたので聞いた、その人は先生だった
それから駅であった人は岩手県立の大学生だったらしい
災害防災科となるとそこしかないからだ、それて自説を電車の待ち時間に語った
一時間待ち時間があったからだ、この待ち時間が何か話すのに有効なのである
それで意外といろんな人がいることを報告した
つまりあちこち近くを回っている、知人の畑もいつも回って通っているのである

近くにある神社では子供の時遊んだ、今は誰も遊んでいない、これも淋しいと思った
蝉が鳴いているがあの頃はどこでもわんさと子供が人だかりになっていた
それは全国的にそうだったのである、団塊の世代はとにかく子供が多い、人口爆発の時代だったのである
今は子供が遊んでいるのもぱらぱらとしてたまに見るだけである

とにかくちょっとでも話してみると何か通じ合うことがある
先生など話しないが一クラスが30人だというとき少なくなったと思う
それでも多いから減らしたいとしている
20人に位になるともうマンツ―マンの教育でもできるとなる

何か高校野球のU18で韓国に日本が負けた、野球部がある高校が日本だと3000以上あり韓国は70しかないというのは驚きである
それでも韓国に負けたし韓国は何度も優秀している、それだけの人材が出ている
とすると数とは関係なく優秀な人を育てている排出しているということができる
つまりこれから数ではない、少数精鋭主義になる、スポーツの分野でもそういうことが
可能だとなると知能分野では学術とか芸術とか知識分野では少数精鋭主義が適している
ヨ−ロッパでなぜ天才が多いのかというとそういう天才を醸成するものが10万以下の小都市が多くそこで育まれたとしている

いづれにしろ相馬藩内だけもこうして報道することは結構大変である
それはわからないことが多いからである、それで駅で聞いてみたりちょっと戸外であった人に聞いたりして見聞を広めているのである
まさに見聞である、実際に見て直接人から聞くことである
柳田国男はそうして人から聞き出すというか実地に現場に行って何か実感したものから民俗学を起こしたのである、それで口碑を重んじた
書類ではない文字ではない言い伝えられたものを重んじたのである
それはいくら本を読んでもわからないことがこの世に多いからである  

いづれにしろ本当に仙台にも今年は一回行ったのか行っていない
近間を回るだけであり自分の部屋にいる、でも老後は家が大事になる
安住するものとしての家が大事になる、貸家とかになると落ち着かないということがあるかもしれない、この家は家族と40年以上とかいっしょにいた
だから思い出がありただの家とは違っている、記憶の家なのである

それで不思議なのは時々死んだ人が自分をのぞいているように思う時がある
幽霊のようにその面影が窓に浮かんだりする、やはり死者は家から離れられずまだいるのかとなる
それだけ長く住んでいれば死者も家から簡単には消えないとなる
だから老人にとって家は重みがある場所なのである、思い出と記憶の場所なのである
後に残されたものもそうして思い出があり受け継いでいるのである
自分の場合は特別家族への思いが深くなったのはその歳月が長かったからなのである


2019年09月08日

老人は記憶に生きる(記憶の宮殿)


老人は記憶に生きる(記憶の宮殿)

palacememory1.jpg

頭脳の中でこの宮殿の中を自在に歩き回り、その小部屋の一つ一つを訪問するだけで過去のどんな記憶も呼び起こすことができるばかりでなく、過去の記憶の中で生きることさえもできるのです。その描写はとても荘厳で、こんな記憶力をもっていたらどんなに良いだろうとあこがれをかき立てるものでした。

老人は記憶に生きる、自分自身が今やそうである、老人の強みは人生で経験したことを見聞したことを本を読んだ知識などを記憶したことを活かせることである
こうして文章を延々と書けるのもそうである
つまり人生は老人になっていろいろなことを深く理解できるようになる
だからつくづく評論に向くようになる、評論とはただ他者のもの読むだけではない
その人なりの見解を他者のものを通じて示すことなのである
だからその人独自のものが評論を通じて示すことができる
でもそれだけ深く読み自分なりの独自の見解を示すことはかなり高度なものになるから若い人に無理なのである
それで自分自身が本を大量に買っていたけど読んでいなかったのである
文の重要な所に線をひいていても実際はその中身を理解していなかったのである
でも買った本はアマゾンもないから高いものだったのである
それで今読み直して評論文を書く

ここで大事なのが記憶なのである、人生は最後につくづく記憶になってしまう
それで私の姉がシンガポールの向かい側のジョホールバルの赤十字病院で4年間従軍看護婦として働いたことを認知症になっても語りつづけた
それは死ぬ直前まで語っていたのである、それだけその経験が忘れられないものだったのである
ただこれも他者に語る時何かもう一つ語り伝えられていなかった、千回も聞かされても同じことを語るから嫌になっていた
姉には文学的才能がなかったこととその記憶していることを明確に伝えることができなかったのである、例えば文章とかでも伝えることができないから聞く方にしても何かわからないものとなっていた

戦傷者を看護したのだからそれがいかに悲惨だったかそれも良く語られていない
ただ窓から自殺する人がいたとかと聞くとおそらく余りにも苦しいからそういうことになった、かなりの日本兵は自殺したのである
そうして敗戦の後にジャングルに逃げて食料がなくなりその時最も苦しい状態に追い込まれた、そのことはフィッリンピンでもありNHKのテレビで見た
タイプライターをしていた若い女性が戦地に送られて看護婦ではなかったが看護をさせられた、そして敗戦になりジャングルに逃げて悲惨なことになったのである
何か語るにしても語ることがうまいとか文章で書くのがうまいということがあり語る人によって違ってくる、姉は語ることはうまい、しゃべることはうまいが文章では伝えられなかった、やはり文章で伝えられると違っていたとなる
そういう記録が三陸会の雑誌として残されてはいる
大量に実際の戦争の記録は残されているのである、それでそうした記録があり番組が作られている

最後に人生は記憶になる、また記録とか記憶は違っている、例えば記録していてもその記録したことを忘れている、私は相当な詩を書いている、プログでもその詩を書いた
でも忘れているのである、ええ、こんな詩を書いていたのかと改めて読んでいるのが不思議なのである、それだけ数が多くなると自分の書いたものを他でも俳句でも短歌でも文章でも忘れているのである

人間は忘れる、だから何でも記録しておけ

こうなる、記録しておけばそれをまたよみがえらせることができる、何も記録していないともう蘇らせることはできない、おそらく姉の場合日記とかメモをしていればその時のことを思い出してより詳しく語り伝えられたかもしれないのである
ただ正直そういう戦争の悲惨なことはあまり語りにくいことがあったことは確かである
18歳の志願兵はどうも人を殺すことを命じられて殺したらしいが言わなかった
何か人間には思い出してたくないことがある、だからそれは語られないのである
姉の場合は従軍看護婦であり別に人を殺めたりしない、戦地でも殺し合いなどしていなかった、だから語ったのである

ともかく老人は記憶に生きる、でもその記憶をどう活かすかとなるとむずかしい
それで記憶の宮殿を作るということは面白い発想である、それはインタ−ネットに出ていたのである
インタ−ネット自体が一つの巨大な記憶の宮殿なのである  
様々な人生の経験がそこで語られているからである
老後を豊かに生きることは記憶の宮殿に生きることでもある

記憶の宮殿というとき家自体がそうなのである、家には死んだ人でも記憶された具体的な場所なのである、そのことを書いてきたのは死んだら記憶にしかその人はいなくなるからである
でも不思議なのは死んだ人の面影が家に浮かぶことがある
何かこちらをじっと見ているという感じになるのも不思議である
つまり私の場合家族と子供の時から60年とかいればその歳月が長いからそうして死んでもまだ家にいるという感覚になるのだろう
そして自分は特別家族に良くされたから愛されたから余計に家族のことが忘れられないのである                                          

老人の生は新しく何かをする経験することではもうない、経験したことを積み重ねたことを表現することである、でも表現するにしても記憶されていないとできないのである
これが最大の問題だった、それで記憶の宮殿をもっていないと表現できない
記憶の宮殿があってその宮殿の様々な部屋から記憶を呼び出して表現するようになるからだ
記憶の宮殿というとき旅したことでもその住んでいる場所でも故郷でも記憶の場なのである、故郷とは一番記憶された場所のことである
なぜなら子供の時から住んでいて熟知しているからである
そして記憶は旅しても一旦そこから離れてその場を踏まないと記憶が消えてゆくのである私は京都でも四回くらい行ったが今になるともう何十年も行っていないから記憶が消えている、それも記憶が人生の中で何か急激な変化とか苦難とかに見舞われる
するとそのことに身も心も奪われて過去を忘れてゆく、人生では次々に変化に見舞われるから過去が忘れられてゆく、津波とか原発事故とか介護とか自分自身の病気とか災難でもうここ十年追われて月日がたち過去の記憶も消失したとまでなる
それだけの激しい変化が過去のことを余計に記憶されたものを消失させたともなる

なぜ故郷が故郷なのか?

それは故郷とは最も記憶された場所だからである、常にその場を行き来しているから記憶から消えない、記憶が積み重ねられる、また新たにされる
でも旅したところの記憶はそさを新たにしないと消えてゆく、でもまたその場を踏めば記憶が甦るのである、北海道など十回も行ったからまた行けば記憶が甦る
でも今になるとなかなか行けない、それは外国とかなると余計にそうである
記憶から消えやすいのである、それは日本とはまた大きく変わっているからそうなりやすいのである
それだけ記憶とは大事なものだったのである、人生はだから最後に記憶になる
記憶したものが人生だとなるのである

いづれにしろ老人は記憶の宮殿を各自持つべきである
また構築すべきだとなる、そうすると豊かな老後がありうる、それには別に金はかからない、具体的な建物ではなく心の中に記憶の宮殿をもつことだからである
ただ家とかは具体的な記憶となったものであり家はだからそこに死者も依然として記憶の中に生きる場となる

記憶の宮殿

記憶の宮殿は黄金に輝いている
様々な記憶の部屋があり日々めぐる
その時記憶は再び蘇えり
その時生きていたことが甦る
それがとてもなつかしく思う
そして記憶は無数にあり
時に記憶の迷宮に入ってゆく
それだけすでに記憶は不可解なものともなる
ただそうして記憶したものは宝である
記憶の宮殿には宝が詰まっている
そして黄金に輝ている 
あなたの豊かな人生が記憶の宮殿を形成していた
ただそこにも暗い部屋もある
それは入りたくない記憶の部屋である
でも全体的には黄金に輝いている

記憶というとき思い出したくない記憶がある、青春時代は自分にとってはいいものはあまりなかった、何か悪いことをしたりした思い出は実際は消えないのである
青春の問題は何かそういうことがまた多い、必ず若気のいたりがある
それが実は記憶を暗くするのである、他に何か自分には学校とかは嫌だったしいい思い出がない、だから学校とかのことを思い出したくないのである
だからこそいい思い出を作ることが大事なのである
高校野球とか甲子園とかに出れるだけでそれは最高の思い出となっている
私は学校とかにいい思い出がないから思い出したくないのである
そして性の快感とかも実際は記憶になる、そうした快感は脳に記録されているのでは肉体ではない、快感の記憶は脳に記憶されている、それでその快感を再び味わいたいとなる
その快感を記憶しているのは脳だからそうなるのである

いづれにしろ思い出とか記憶とか最後にいかに大事かわかる、そのこと自体が人生だったとなるからである、要するに人間は二度と人生を経験できなくなるからそうなる
今では旅もしていないし何かする気力もなくなっているからだ

かりそめに通りすぎて
十分に愛さなかった かずかずの場所への郷愁よ
それらの場所へ 遠方から 何と私は与えたいことか
しわすれていた身振りを つぐないの行いをもう一度ー今度は独りでーあの旅を
静かにやり直したい
あの泉のところにもっと永くとどまっていたい
あの樹にさわりたい あのベンチを愛撫したい
(リルケ) 

何に時間を費やしたかが人生である (旅の時間も今行けなくなると貴重だった)

これも書いたの忘れている、そしてプログ内検索で呼び出した、自分で書いたものでも忘れている、それでプログとかで書いたものは一つの記憶の宮殿となっている
その記憶の小部屋からかいた記録を呼びたして記憶を蘇らすのである
甦るとなるとまさに生の更新なのである、常に記憶はまた更新されるて新たにもなる
それは歴史でも絶えず過去が固定しないでいろいろと解釈されるのと似ているのだ

60年、70年来もうこの世にはいない人々の姿と人々の顔が渡したの心に生きつづけ、私たちのものとなり、私たちの相手をし、生きた眼で私たちを見つめるのである
いつのまになくなってしまった、あるいはすっかり変わってしまった家や、庭や、町を
私たちは昔のままに完全な姿で見る
そして私たちが何十年前に旅の途上でみたはるかな山やまや海岸を、私たちは鮮やかに
色彩豊かに私たちの記憶の絵本の中に発見する
見ること観察すること瞑想することがしだいに習慣となり訓練となって気付かなうちに
観察者の気分と態度が私たちの行動全体に浸透してくる
(老齢について―ヘルマンヘッセ)

ただ旅したところは時間がたつと消えやすい、おぼろになり思い出せなくなる
つまり記憶するには絶えず記憶されるようにしていないと人間は忘れるのである
つくづく人間ほど忘れやすいものはない、だから歴史になると記録が大事になる
津波でもこの辺で400年前に700人溺死と記されていた史書があった
でも誰もそれに注目していなかったのである
結局記録していてもその記録すら忘れられていたのである
それは個々人でもそうである、私でも相当に詩とか書いて記録しているけど自分の書いたものを忘れているからだ、それでそうした書いたものをもう一度読むと何か新鮮なのである、こんなことを書いていたのかと改めて感心しているのも不思議なのである
それだけ人間は刻々時間がたち回りも変化忘れ安いのが人間の弱点だったのである

涼風ー月光る(木陰の道に故郷の畑を語る)


涼風ー月光る(木陰の道に故郷の畑を語る)


涼風や故郷に語る畑かな  

老年や山に傾き月光る

猫歩む路地裏の道月光る

月光る嵐の前の静けさに


いつも来ぬ木陰の道に故郷の畑を語りまた逢わんかな   


今日も私と同じ自転車でいつも走っている同級生にあった
その人が意外だったのはその土手の木陰のつづく道のすぐ近くで畑で野菜を作っていたことである
前から書いているように知っている女性が一人で小さな畑で野菜作りしている
そのすぐ裏側の土地だった
それは意外と広いのである、そこは5人で組んでやっているという
三人は原町の人だった、やはり同級生で専業農家の人がいてその人がトラクターとか道具をもっているので草刈機もあり草を刈ってくれる

今の農業はまず必ず機械がないとできないようになっている
すると道具がないと農業はできない、それで畑をうなってもらったりすると金がかかるのである、その知っている女性はそうして一人でしているから金がかかる
その負担を自分が払うようになるので困るのである
その広い畑で野菜を作っている同級生は五人で組になってやっている
一人3000円とか払って共同でしている
それでその同級生は一か月に一回しか畑で仕事はしないという

でも家の近くに畑がありそこでブルーベリーとか他に何か作っている
ブルーベリーはジュースにしているという、そこは家の裏側だからそこは良く行っているでも広い畑の方は一か月一回しか行かないというのも楽だと思った
なぜなら小さい畑をししている知人の女性はもう草むしりやキジに食われたとか道具が盗まれたとかなにかかにか問題があり騒いでいるからである
その割にはほとんど収穫がない、キュウリはとれた、それは売っているのは固いが柔らかくてうまかった
ともかく何のためにその人に金を出しているのか?
それはただ農業というものをどういうものか知るためだけだとなる
その苦労を聞いていると農業がいかに大変なものか実感としてわかるからである
田舎に住んでいても実際は農業のことはわからない

ただ不思議なのは原発事故以後田畑が荒地になり草ぼうぼうになって蛙が消えたということを三人くらいに語ったが反応しない、蛙の鳴き声を聞いて復興を感じたと私はそこで復興を感じた、なぜなら蛙が田んぼに住むようになると鷺も餌があり来る
鷺も一時消えたからである、そして鷺も戻ってきたのである
50羽くらい竹藪とかに巣を作ったからである
つまり田畑でもそれは自然の一部でありだからこそ蛙がいなくなることは自然が消失したと同じだったのである、鷺がいなくなることもそうである

いづれにしろ田舎に住んで農業のことをわからないことは基本的なところ、ベースとなるものを知らないということなのである
でも農業している人でも不思議なのは蛙がいなくなったということに注目していない
もともとあまり関心がなかったからかもしれない
何か赤とんぼが減ったり今は鮎も一匹もいなくなったり自然が消失していた
鮎は原発事故以後全く川に見ないのが淋しい、今までは小粒でも鮎がいたのである
ただこの鮎がいないということはここだけではない、全国的に鮎がいなくなっている
ただ鮎が川をきれいにして鮎が泳ぐようになったとか多摩川とかで写していた
でもなぜ鮎が全国的に減少したり全くいなくなっているのだろうか?
これも自然のなんらかの変化なのである、そういうことが人間に影響する場合がある
なぜなら人間も自然の一部だからそうなるのである

いづれにしろその同級生は話して面白いと思った、農業している知人の女性も畑のことを話するので興味をもった
その人はまた花も栽培している、ノボタンが好きなんですと言って語った
ノボタンは大きな花である、だからボタンとついた、それを確かにカンボジアの道で見た南国性の花である、ある人はクリスマスローズのことをしきり語った
原種も育てているとか言った、その人はクリスマスローズに詳しい人なのである
クリスマスローズ博士なのである、まず花でも育てるのがめんどうなのである
その知識も経験しないとわからないからである
ただその人はなぜそういうことができたかというと前に経験があったと言っていたからできたとなる

老人の趣味となると園芸とか畑での野菜作りとかが向いている
ただ畑となると結構労働がきつくなるから老人にとって辛くなる
知人の女性は腰が痛いとかいつも言っているからである
ともかくこの辺でも全国でも耕作放棄地が増えすぎたのである
後継いでやる人がいないのである
原発事故以後この辺は余計に荒地が増えた、無料で土地は借りられてもやる人がいないのである
それはわずかの畑でも草むしりでも労力がかかるからそうなる
でも荒地になっていると草ぼうぼうであり嫌になる、心まで荒れたようになる
それは原発避難区域の小高であれ浪江であれ飯館村であれ草ぼうぼうで荒れ果てているからである

そこを復興しないと復興できたと思えないのである
たとえ他で工場が店が復興しても復興したと私は思えないのである
だから田舎は田畑でも自然の一部であり田畑が死ぬと自然も死ぬとなる
もともと原始の自然だったらそのままでもいいが一旦人間が手を入れた土地は原野化すると荒れ果てた感じになるのである
だからこの荒地をなんとかしてもらいたいとなる、でも市とかでもそうした荒地を援助するということをしているのか?
NPOでも荒地を無くしてほしいとなる、ただその人が言うには五人は仲間としてうまくやっているからできると言っていた
つまり何か共同ですることが人間は本当に難しいからそうなる
でも農業は一人ではできないと思った、もともと村の共同作業があり農業が成り立っていたからである  

故郷という時一番愛着あるのは農業している人かもしれない、だから生業を返せと裁判を起こした
商業とか工業となるとその土地と密接に結びつかない、商業でも昔の店なら地元密着である
でも今の時代になるともう地元密着の店はなくなりシャ―ター通りになったからである
つまり今はその土地に根ざした生業とかがなくなり農業でも漁業でも林業でも衰退したから故郷に愛着がなくなり原発避難区域では
若い世代は帰らず出て行ったと書いたのである

晩方は涼しくなるから秋である、今日は台風の風が吹いて涼しかった
昼間は日ざしも暑かった、晩方に散歩したり自転車で走るのは気持ちいいのである  
今日は半月が傾き山の方に光っている、それで今その畑を見に行った
明日はこの辺は台風になる、本当に嵐の前の静けさである 
日本は天候がこうして静かに月が光っていても変わるのである
めまぐるしち変わるのである、そして災害も天災も多い国だったのである

とにかく自分が何か人と話すようになったのは家族がみんな死んでからである
話す相手もなくなったためである、それで一日誰かと話する
駅でもそのために行っていた、家だとがらんとして誰もいないからである
それが一人暮らしの問題だった、話し相手とか心配する人もいなくなることだった
外で話すると何か気持ちいいのである、話がはずむのである
それはそこに自然があり木陰とか涼しい風とか受けて気持ちいいからである
田舎はそういうところがいいのである、人ごみで話したりしたくないのである
車の騒音とかビルの谷間で話したりしても何か嫌なのである

幸せな老人よ、この土地はこれから君のものだ
それも広さも君に十分だ、たとえむきだしの石と
泥だらけの藺草の生えた沼が、牧場を一面に覆っていても
幸せな老人よ、君はこの慣れ親しんだ川や
聖なる泉の間に、涼しい木陰を求めるだろう
............ 
(農耕詩、牧歌ーウェルギリウス)

老人の幸せはここにある、でも農業は老人になると辛いのである
ただ自分のように花だけを見ていると楽なのである
だから自分は実地に耕作などしていない、草むしりもしていない
それをしていたらもう思索したり詩を書いたり観想することができなくなる
第一家事だけで相当な労力になっているからできないのである


2019年09月09日

無益な老人、無益なニートは数が多いから問題 (社会の負担となり圧迫するから問題)


無益な老人、無益なニートは数が多いから問題

(社会の負担となり圧迫するから問題)

無益な老人

その老人は何もしない
何もすることがない
体も悪いらしい
でもまだ体は普通に動いている
まだ70歳だ
何もすることがないのでパチンコ通い
病院にも通う
高齢化社会でただ病院に通うことだけの人が増える
そこで病人として認められて存在感をもつ
そして国の負担になる
その人は本一冊も読まない人
何か勉強もしない人
知的に存在感もない
毎日パチンコで勝った負けたと終わるのか
やるべきことがこの世に無数にある
でも何もしない、何もさせられない
そうしてただ飯くらいとだけになる
後は病人という特権になる
そういう老人を誰も良く見ない
そういう老人ばかり増える時
若い世代は老人に憎悪を抱く
その怖さを知るべきである
そういう老人は耕作放棄地となる
そこを耕すべきなのだが耕されない
無益に草ぼうぼうになっているだけ
社会をも荒廃させている


老人でも別に少数だったら何もしなくてもとがめたりしない
それはニートとか40くらいまででもいる、その人たちは無益な人たちとしてとがめられる、それは老人より厳しいものとなる
一応老人は体が弱っているからとか見られるからである
でもまだ若いとは何もしない無益な人であることは許されない
そして最大の問題は数が多いということなのである
ニートとか百万とかまた老人はさらに人数が多いから問題なのである

別に無職の人はいた、その人たちはアウトサイダーとかになり極わずかである
百万人に1人くらいになるとそういう人は社会にとって害でも無益でもないのである
そんな人いてもいなくても気づかないからだ
別に社会の圧力にもならない、むしろそういう人たちは何か社会の規範からはずれて独創的な人になるからいた方が良かったのである
それが高度成長時代の団塊の世代だった
みんな猛烈な企業戦士になっていた、そこから外れる人はほとんどいなかったからだ

今の問題は数が多いということで起きているのである
ロスジェネとかの数も多い、一千万単位でいる、するとそれが社会の圧力となる
老後になると生活保護になるとか国で心配する、負担が国民全体にかかるからだ
別にアウトサイダーなど数十人単位ならそんなこと社会問題にならないのである
そんな人いたのか、どうでもいいとなっているからだ

つまり膨大に増えた活用されない耕作放棄地が今のニートとかの問題なのである
こういう人は例えば農業するにも地主から土地を借りて農業するにしても信用されないという、それは農業をするという何か強い動機がないし明確な計画もない
ただ農業したいでは信用できない、また放棄されてしまう恐れがある
それは職につくにしろ信用されないから就職できないとなる
これが別に極わずかだったら全国で百人単位とかなれば関係ないのである
耕作放棄地でもこんなに増えなければ問題にならない
空家でもそうでありあまりもに増えすぎたから問題なのである

社会的に無益でも無用でも社会の求める価値とは別な価値を求める人はいる
それも価値なのである、でもそれが可能なのは極わずかなのである
そうなると無益な人とか無職の人とかは数が多いから社会問題化する
ともかく何らか農業でもいいから肥(こ)やしにでもなれとなるのだ
無用の用というとき障害者は戦争に行かなくてすんだとか反戦的思想とか政治的思想がありそういう思想が生まれた経緯があるからだ

この辺では原発事故で他より耕作放棄地が増えすぎたのである
だからそれをなんとかしなければならないとなるがここだけではない他でもできない
高齢化社会でできないのである
それでニートでもやればいいとなるがニートには農業すらできない、農地を借りるにしても信用がないからである
つまり新規に農業できる人はその人がそういう資質をもっているからできるとなる

そうして現代でニートであれ老人であれ人口の三分の一とかなる社会は異常である
それはもう国の衰退であり国力が減退して他国に攻められても戦いないとないとまでなるもうそういう国自体維持できるのかとまでなる
私が主張した無職のことは今のニートとかのかかえている問題とは違う
そこが混同されやすいのである、今のニートは数か多すぎる、そのことが社会の圧力となり社会を停滞させて衰退させるから問題なのである 
これだけ数が多いとやがて強制労働とかになるかもしれない、徴兵制とかにもなる
兵隊にされて国家の肥(こ)やしになれとまでなる
それが笑いごとではないのはそれだけ人数が多すぎるからなのである

新規就農に向けて農地を借りるときの交渉術

こういう人だったら農業できるとなるのかもしれない、農業だって誰でもできるわけではないのである




平家伝説殺人事件ー故郷とは何かを問う (人の話を直接聞くのと本とかで読んだり間接的に知ることの相違)


平家伝説殺人事件ー故郷とは何かを問う

(人の話を直接聞くのと本とかで読んだり間接的に知ることの相違)

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昨日の平家殺人事件のテレビドラマで故郷を離れた人がその恋人に延々と故郷のことを聞かされた、その人は訳あって故郷を捨てて帰らなくなった
平家落人の里でありそこで旧弊な村で閉ざされた環境にあり14歳とかで東京に憧れて出て来た、それは無理にしろそういう人がいることは確かである
何か故郷というのは閉ざされた世界でありそこから脱出したいという願望が大人になると芽生える、その人はよほど故郷を嫌っていたが後で故郷の思いが強くなり金を寄付したいとまでなった、その金は悪さをした保険金の金だったのである
ただそれほど故郷を嫌った人が逆に故郷を異常に思うようになった
そういうことが普通にある

啄木がそうだった、啄木は故郷を追われたという恨みがあった、それで故郷を脱出した
でも最後死ぬときに故郷への思いが異常につのったのである
啄木の不思議はなぜあのように若いのに自然への感性が豊かで表現できたのかとなる
何か小説家タイプだったように思える、小説も書いていた
小説というとどうしても普通の人でも興味をもつゴシップとかスキャンダルとか下世話なものにもなる、啄木の謎はなぜ芸者とか遊んでいても自然を歌っていたという不思議である
自然にふれるには心がやはり清くないとできないのである
天才であったから凡人には理解できないことがある
ただあれほどの故郷への思慕が起きたというのも簡単に移動できない時代だったからかもしれない、新幹線で二時間くらいで帰れない

1908年(明治41年)5月 1等・2等・食堂車・寝台車を連結した上野 - 青森間東北本線経由急行201・202列車を新設。

201列車:上野7時25分→浦和8時→宇都宮10時5分→福島14時50分→仙台17時15分→盛岡21時54分→青森翌3時40分

1886年(明治19年)2月20日 - 1912年(明治45年)

啄木の生きた時代である、上野から盛岡まで15時間くらいかかっている、一日かかりである、朝に出て盛岡で夜中になっている、盛岡からでも東京につくのは夜中なのである
この距離感が今とは全然違っている、その心に影響するものも相当に違っている
その汽車の様子も人々もみんな違っている、それをイメージすることはむずかしくなる
東京には簡単には行けない、一旦行ったら帰れないという感覚になっていた
今でも仙台までは近い、距離的には相当に近い感覚である
東京はやはり新幹線で早いとしても遠くなる

そういう距離感覚が時代が違うと感覚的に違ったものになる、その感覚はその時代を生きたものしかわからないのである
芭蕉でも奥の細道は世界の果てに行くような感覚だったからである
その遠さの感覚が「五月雨のふりのこしてや光堂」になった
つまりこの句はその当時の距離感覚を体験しないと鑑賞できないのである
みちのくの果てに残されていた唯一の形見の金色堂でありそれがふりしきる五月雨に朽ちもしないで残っていたということなのである
江戸から平泉の距離感覚は今とは違っていた、そして二度と平泉には来ることが芭蕉はできなかった、そして奥の細道を旅して近江でまもなく死んだとなる
今なら東京から平泉には新幹線で何度でも行ける、今の時代一期一会の出会いはなくなったのである、連絡する気ならいつでもできるからである
啄木の望郷の短歌はこうした明治という時代が生んだものなのである
遂に帰ることのない故郷だからこそ泣けとごとくになったのである

ただこの推理小説でも故郷の思いが平家落人の里の思いがその人にあった
その人は狭い故郷のシキタリとかいろいろ嫌っていたが都会に出でそういうものも必要だったのだと回顧するようになったのである
結局故郷に住んでいて嫌なものが消えていいものだけが見えるようになったのである

私自身も故郷ではないが直接語り聞かされることとただ文書を本を読むとかのと語られることが違っていると思った
その経験は南相馬市立病院に一か月入院していたことで起きたのである
その時同じ病室に大原の人がいた、そして大原のことを直接何度も聞かされた
窓から大原の方がいつも見えた、そうして閉ざされた空間で暇だったし大原のことを延々と聞かされた、すると不思議なのは何かそこの場所に引き込まれるようになった
別に大原はそれほど親しい場所というものでもないが閉ざされた空間で大原のことを直接語り聞かされることでそこに自分がいるような感覚になったのである
だから何か人間に影響するのはそうした病院でもその場所であり位置である
大原の方を病院から望まれたからである

平家落人伝説殺人のドラマでもその恋人に故郷をのことを延々と語りきかされた結果、その女性がその恋人が殺されてその故郷をたずねる、そしてその故郷で殺されて死んだのである、これも何か故郷にあれほど帰りたいと言っていた恋人の代わりに死んだとなる
何かこれはそういうこともありうると経験から思った
また私は姉が千回も従軍看護婦としてシンガポールの向かい側のジョホールバルの赤十字病院での苦難を語った、それで何か自分もそこに引き込まれる、そこを訪ねてみたいと思った、ただタイのバンコクに行って行こうとしたが行けなかった、今になると海外旅行する気力もないとなってしまった

ただここで私が言いたいのは語ることと文章とかで読むのと何か違ってる
それは語るでも場の作用がある、病院という閉鎖されたところで語られたことが違っていたのである、どうしてもそのことに集中するようになったからである
その閉ざされた空間から出れずに延々と大原のことを語り聞かされていたからである
それもそこは知っているし病院の窓からいつも見えたからである

病室に大原語り死ににけるその思い深く我に残さる

大原に跡継ぎなしも淋しかな留守に気遣う猫一匹あわれ

その家は今は空家になっている、その家を継ぐ人はいないし農地も継がれない
そういうのが全国的に多い、空家も膨大になる、その大原の人はまもなく死んだ
墓は太原にある、最後に自分に大原のことを語って死んだのである

何か語ることと文章を読むとかとは違っている、語ることは感情がこもるからだともなる文章を読んでもそこに感情が出てこない、泣いたということを書いてあっても泣くとういことはしない、ただ映像だとか泣いているのを見るとこちらも悲しくなったりドラマでも涙を流す人はいるのである、そこでは感情移入しているからそうなる
文章だと感情移入しないから泣いたりしないとなるし怒ったりもしない何か冷静になっている

柳田国男が全国を旅行して実地にその場に立って土地のヒトと直接話を聞いて民俗学を起こした、それは直接語られること話されることから何か独特のものとして文章に書くことになった、だからあのように語れる人は書ける人はいないのである
それは本を読んで書いているのではない、その場に立ってその場で直接口から語られる言葉を口碑として重んじたことによってそうなったのである


故郷とは何かとなると一概には言えない、ただ故郷は記憶が一番集積したところだということは間違いない、その場とか家族でもいてアイディンティティ化したところだから説明できないものとして故郷がある、何か場のもっている磁力みたいなものがある
旅をしてもそこに一時いるだけだからその場の磁場を感じなくなるのである
つまり場の力とは磁石のように強く吸いつけるものがある場だとなる
それは家族でも死んだりしてもその死んだ場所にいるという感覚がつづく
それは具体的に残った家に以前としている感覚とにている
故郷にはやはり先祖がいて死者も依然としているんだという感覚になりそれがお盆とかいろいろな行事に祭りになったともなる 

ただアイディンティティ化するといとき故郷でも自然と一体化することは時間がかかる、老人になるまでかかるとなる
自然の中で木や石のようになることは時間がかかる、深くその土地に根を張ることは時間がかる
だから若い時だけ故郷にいたとしてもそこで故郷と一体化したアイディンティティ化したとはならないのである
啄木はそうして故郷に根付いたものとはならなかったのである

ただ故郷は遠きにありて思うものというとき故郷を離れたときその存在が強烈にクローズアップされる、磁石の力を感じる、故郷に吸いつけられるのである
だから故郷から離れられない老人の気持ちがわかる、原発避難者が東京の高層ビルに住んでも心の安らぎがないのである、ただ現代は故郷喪失の時代である
みんな都会人になり移動することが容易でありどこにでも移住することもできる 
そこで故郷の思いも薄れて若い世代は故郷を出て行ったともなる
大規模に故郷を喪失者が生まれた場所だともなる


山口連続殺人事件は“平家落人伝説の地”で起こった!

一夜にして5人の命が奪われた山口連続殺人・放火事件から間もなく1か月。逮捕された保見光成容疑者(63)は周囲との軋轢があったことをほのめかしながらも、いまだ多くを語っていない

他にもこういうことが限界集落のような所であった、そういう場所は逃げ場がない
追い詰められるとこうした悲惨な事件になるものも田舎なのである

2019年09月10日

南相馬市の財政の不安(震災復興の援助が10年で切られる) (震災以後に県支出金が5パーセントから50パーセントになっていた)


南相馬市の財政の不安(震災復興の援助が10年で切られる)

(震災以後に県支出金が5パーセントから50パーセントになっていた)

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南相馬市の予算(震災前と震災後の比較)

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市税が34パーセントであり震災後は5パーセント

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県支出金が5パーセントから47パーセントに

 この支援のお金の出所はどこかというと、国や地方自治体です。日本は雇用維持という大義名分のもと、助け合いのシステムになっているため、国や地方自治体が助けているのです。現在、国や地方自治体からなんらかの支援を得ている職場で働いている人は、なんと全就業人口の約50%にも上っているそうです。

インターネホットでこの記事に注目した
日本はなぜ会社中心になるのか?それは今回台風でも電車がとまるといっても出勤していた、まさに社畜だとことを証明した
その原因をここの記事で書いている
地方自治体だけではない会社でも国に依存てしいる、国から会社に金が回ってきて成り立っているという、それは地方でも同じである
地方自治体でもそうだし農協とか地銀とかでもそうである、そこには国からの資金が回っていて成り立っていたのである

国の依存体質がありそこで今までは会社が安定していた、特に大企業となるとそうであるこの辺で除染の事業でも請け負ったのは大手のゼネコンでありそこに7兆円の資金がつぎ込まれたのだからその収入は大き大きかったのである
そしてゼネコンでは自民党への献金が多くなったという、政権党になればそうした利権を得ることになる、利権構造ができあがっているからその利権構造の中にゼネコンでも大企業でも入るから会社に社員は依存していれば安泰だと分析している
それが今国全体が経済的に衰退してゆくときそうした今までの構造が維持できなくなったと書いている 

南相馬市で今みんな心配しているのが10年後は復興支援の金が国から出なくなることである
継続して金を国から出されない
まず県に金は入ってこなくなる、地方自治体の金は国から県経由で入ってきている

予算の約半分が国から入る復興資金である
それで南相馬市の震災前の平成22年の予算と震災以後の予算を比べるとこれも一目瞭然である

県の支出金が5パーセントから50パーセントにもなっている

つまりそれは国からの資金なのである、10倍になっている
だからもしこの県支出金が減らされると相当な南相馬市の財政の負担になりそれが福祉とかにも影響してくる
それは私だけが言っているのではない、みんな心配しているのである
これまでは苦しくても復興資金が国から入ってきたから市の財政状態は良かったのである
それが打ち切られるとき南相馬市は危機的状態になるのかと心配するのである

南相馬市の市が税金をとってまかなっていたのは35パーセントであったが震災以後は5パーセントになったのである
それだけ国からの援助資金に頼るようになっからである
しかしあと一年くらいでその復興資金が入らなくなると相当に苦しくなるのがこの数字からも明瞭である
それは南相馬市全体に福祉関係でも影響する、なぜならこの辺は他より若い世代が流出して経済活動が衰退したからである
そして小高のように老人ばかりが取り残されてシルバータウンのようになったりしている
それを維持することが大変になる、金もかかるからだ
つまり復興そのものの資金が入らなくなる、補償金をもらったとしてもそれだけで経済をまかなうことはできなくなる
個々人でも補償金でもいづれは底をつく、だからこそ霞が関の官僚は津波被害地の三陸にはジジババしかいないと金をつぎ込んでも無駄だと言ったのであくる、これには批判があってもこの辺でも老人が若い世代が流出して取り残されているから同じなのである
介護ても働き手がいないから青森に送られているのである
立派な施設があっても働く人がいない、飯館村でも立派な学校でも施設を作ってもそこに通う生徒がいない、子供は村外から通っているし親が住んでいないのである

ともかく日本の会社でも実際は国への依存体質があり金が回ってきて成り立っていから会社に依存して社畜に甘んじていたのである
そういうことでも成り立っていた社会だったのである、それが日本全体の経済が衰退する時成りたたなくなってきたのである
だから地方で安定していた公務員とか農協と地銀とか他でも国からの支えがなくなた窮地にたたされる未来がある
自治体が破産するということを言う人がいるのもわかる
それは国への依存によって成り立っていたからである

インタ−ネットで調べた表では依存と自立を分けていたのでわかりやすかった
今やこうした情報はインタ−ネットで得られる、すると弱小ではあるが何か市民に知らせたり追求できる
一個人でもできるのである、今まではマスメデアを通じてしかできなかったのである
今は南相馬市であれ相馬市であれ他の都市でも市町村でもこうして個々人でも問題点を指摘して市政に参加するべきだとなる
もうマスメデアにまかせる時代は終わった、ただそうなるとやはり相当な知識が必要になるのである
それは一個人では無理になる、でも情報化社会とは政治も変えるということはありうる
まず情報自体得るのもむずかしかったしもうそれを追及するとなるとマスメデアしかなかったからである
もしこうして追求することをしていれば原発でも誰か一個人でも地元で危険を指摘して報告していたかもしれない
民主主義には報道の役割が大きいのである、それができなかったがある程度は個人でも今はできる
それは民主主義を発展させる強力なツールともなる

posted by 老鶯 at 12:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

福島県の文化財課の人が海老の高台を調査して古墳を二つ発見!


福島県の文化財課の人が海老の高台を調査して古墳を二つ発見! 

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沖に船が行く

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津浪のあとに残された松がまだある

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松が密生してかなり高く伸びていた

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ここは避難所に指定されたが30人ほど死んだ

うしろの森に逃げて助かった人がいた



海老に行ったら福島県の文化財課の人が調査していて古墳を二つ発見したという
そこは高台であり津波の避難地域として指定されていた場所である
でもそこに逃げた結果30人くらいが死んだ場所なのである
高台であり避難場所に指定されていたからである
これも大失敗だった、なぜならちょっと歩くだけで津波の被害をまねがれたからである
別に海老の通りの道をまっすぐ山の方にちょっと歩けば助かったからである

ただ海老村は高い場所であり昔から弥生時代から人が住んでいた
その住居跡も津波で人が住まなくなり発見されたからである
ただなぜそれより高い崖の上に古墳があったのか?
そんなところまで人が住んでいたというのが意外だった
確かに屋形から海老の山沿いに古墳がある、だからその延長として古墳があっても不思議ではない

それにしても高台の崖の上となるとそんなところに人が住んでいたのが意外だった
おそらく海老村には相当に人が昔から住んでいた場所なのである
それは高台であり海老の家が密集したところは港でもあり魚もとっていた
右田村は江戸時代から人が住み始めた地域だからである
その江戸時代からあったといわれる松原は津波で全部なくなったのが残念だった

海老村が古いというきと海老はエヒでありまた恵比寿(エビス)からも来ている
蝦夷(エゾ、エミシ)のことだからである
そういう名がつくほどにここは集中的に人が住んでいたのである
それで外来の人がここに来たとき衝突があったとなる
それはかなりの人々がここに住んでいたから衝突した場だからとなる
それで海老(エヒ、エビス)の名がついたのである、蝦夷が集中して住んでいる場所だったのである
だからこそあの高台に崖の上に古墳が二つも発見されたとなる
そういう歴史的背景があって発見されたのである
だから確かに意外だがそういうこともありえたともなる

ただ海側に古墳があるといそこに人が住んでいたのは貝と魚とかとれるからである
食料になるものがとれるからこそ海側に住んだとなる
それで日下石にも古墳があった、それは今回の津波が迫って来た場所だったのである
ただそこまでは津波は来なかったがそれなりに近くに津波が迫ってきていたのである
ただ慶長津波とかの何か証拠となる痕跡が発見されていない
それが一番の問題なのである
貞観津波のことは相馬市のボーリング調査で発見されている
松川浦のかなり奥まで津波で運ばれた砂が発見されたからである
慶長津波ではそうして何か証拠となるものが発見されないのである
だからどうしても謎になり証明できないということである

ただ海老の家が密集した地点から坂を上った崖の上に古墳が発見されたということは
あの辺一体に相当数の人が住んでいたのである、それは弥生時代からそうであり古墳がそれを示している
第一古墳が二もあるとしたら一つではないのだから倍の人数が住んでいたと推測できるからである

南相馬市の鹿島区は古墳の町!

寺内から小池にも古墳が本当に多い、それで金銅双魚佩が寺内の前方後円墳から発見されたことで有名になった、今回も海老村の高台から発見されたことは意外だった
海老千軒とか言った人がいたけどそれも嘘ともいえない、それだけの人が昔から住んでいたからそう伝えられたのかもしれない、ただ・・・千軒というきは各地にある
でもなんらかで津波とかでも消えてしまったとなることはありうる
それこは今回の大津波で実感したのである

海老村にはマルハシャリンバイがまた自生していた、それから松も繁茂していた
津波から8年半とか過ぎているからそうなるが松は成長が早いと思った
あそこの高台は南相馬市では景色のいい場所である
一時は八沢浦の方が入江になったときは本当に驚いた
今日も沖に船が見えて釣りする人がいた
あそこは悲劇の場所たけど眺めのいい場所なのには変わりがない
ただあそこを何に利用するのかわからない、ゲートボール場にするにも人が住んでいないそれをどうするかはわからないが整地していた


posted by 老鶯 at 16:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2019年09月11日

千葉県で台風による停電がつづく (災害に弱い便利な文明社会―大都会は壊滅的被害になる)


千葉県で台風による停電がつづく

(災害に弱い便利な文明社会―大都会は壊滅的被害になる)

千葉県で停電三日とかなり水道が出ないとか物が買えないとかクーラーが使えないとか被害か出ている、電気がないとガソリンすら車に入れらないという
つまりあらゆるものが機能させているのが電気になっいるからだ
電気が復旧しないと何もできない状態になる、食べ物すら冷蔵庫も使えず食べることもできなくなる、そういうことは東日本大震災で経験した
でも私の住む場所では電気が使えたし水道も使えた
近くでは電気も水道も使えなくなっていた、千葉県の房総市では街全体が真っ暗になった
文明は便利てのだけど電気水道とかの基本のインフラを破壊されるとその影響が大きい
何もずることもできなくなる、電気が使えないということはガソリンも供給できなくなることでもわかる、電気とはまさに今のライフラインなのである

そして文明社会は災害に弱いのである
なぜなら電気に頼っているから一旦電気が使えなくなるとあらゆるものが使えなくなる
携帯まで使えなくなっている、すると連絡すらできない状態になっている
一見便利なものでも電気が使えないとその便利なものが使えなくなる
真っ暗闇で暑くてもクーラー使えない、食べ物もない、連絡もできないとなる

都会は東京とかなると災害に特に弱くなる、電気が使えなくてったらこうなる
東日本震災で津波の被害地では電気も水もなくなっても裏山から清水をくんで木を切って薪で米を炊いてしのんだということがあった 電気がなくてもそういうことができたのである、都会ではできないのである
その時道路も寸断されたから助けようもなかったのである

そして今の時代あらゆるものを交通とか通信に頼っている
すると電気が使えなくなると使用できなくなる            
つまり文明生活は便利でも一旦こうした災害にあうと弱い
原発事故ではさらに空気から水から土から木から汚染されたから最悪だった
空気も水も飲めなくなる恐怖だったのである
それは今でも継続されているのである
原発は便利でも一旦事故になったりすると最悪になり住めなくなる 

こういうことが東京に大地震が来たらもっとひどい最悪のことが起きる
それももうなかなか復旧できない、その間に死ぬこともある
クーラーが使いないで老人が熱中症で死んだたからである
外からも助けることができない、電気が使えないと今回のようにあらゆるものが使えなくなるからだ
何か備蓄していても米を備蓄していても電気がないから炊くこともできないとなる
冷蔵庫も使えないから食料も得られるなくなる

何か東日本大震災とか神戸大地震とかで考え方が変わった
日本は本当に災害国であり周期的に大地震でも津波でも来る
それにいかに対処するかが日本国土に生きる者に要求されていた課題であった
日本の自然災害がいかに多かったかふりかえるべきである

次の大地震は津波は南海トラフで日本は壊滅的状態になる
それは科学的にも証明されている、そしたらとても東京のような大都会に住んでいられない、恐怖で住んでいられない、高層ビルが倒れるとかイメージしたら恐怖である
それは津波で壊滅した海岸線に良く住んでいたなと今になるとみんな言う
そんな危険なところに住んでいられたなと今になると見る
それと同じことが起きるのである

そうして日本がこれだけ災害が多いというとき災害に備えることが必要なのだがそれが真剣にしていない、日本人は忘れやすいのである
台風一過だとかしかたがないとか自然の猛威をただ通り過ぎるのを待っているだけであるでも今は災いは人間の手で作り出されているのだ
巨大な東京のような大都会がどれだけ危険なのか?
なぜその恐怖におびえて対策をしないのか?

正直外からでも東京が大災害にあったら助けることはできない、自滅してゆくだけになるそれが悪いのは回りでもない、事前に備えないなかったからだ自己責任になる
津浪でもなぜあんなに危険な海岸線に住んでいたのは自己責任だとも言う人がいたからである 

東京だけではなく都市でも田舎でも電気に頼っているから災害に弱い
でも地方だとなんとか水を裏山からでも飲めるとか木を切って燃料にするとかできる
都会ではそれができない、すると自滅する他なくなるのだ

だから津波であれだけ死んだとき、なぜそんな海岸線に住んでいたのか?
そんな危険な場所に住んでいる人が悪いと地元でも言う人がいたのである
それで東京でもそんな危険な場所になぜ住んでいたのか?
そんな所に住んでいた人が悪いとなってしまうのである
それで死んでしょうがなかったともなる
そういう場所に住む人が悪かったのだとなる

そして災害にあった時だけ助けてくれというのは虫のいい話だとなる
またそういうとき金は役に立たない、いくらでも金を出すと言われてもできない
現実に電気を復旧するにも時間がかかる、そういう時は金の問題ではない
丁度救急車を呼ぶのとにている、命にかかわるからだ
その時金のことを言っていられないのである

日本人は東日本大震災で気づいたことは常にどこでも自然災害があり備えていなければならない国だったのである
それでおたがいさまとかあるのは災害のとき助け合わないと生きていけないからそういう言葉が残されたとなる
日ごろは今は金さえあればとなる、金の力が大きなものとなる
でも災害の時は困った時は金だけでは解決しなくなる
そこで日ごろから協力関係がないと災害の時も助け合うことができないとなる
災害の時だけ助けてくれと言ってもできない、それは災害だけではない、日ごろの生活で病気だとかいろいろ困った時助けてくれないとなる
それは虫のいい話だとなるからだ

だからグロ−バル化した時代は日本はどこも危険だとして外国に脱出するのがいいと実行している人もいるしそうしようとしている人もいるのがわかる
第一東京とかなると故郷意識もない、どこでも便利に過ごせるなら安全なら住んだ方がいいとなる、そういうことは地方でも起きている
だからこそ原発避難区域では若い人は流出してゴーストタウンになったのである
東京とかでも一部巨大なゴーストとタウン化するかもしれない
もう危険だから住まないとなる

そして東京に住むのは危険だとわかっていたことだから覚悟して住め 

外から助けることはできない、金で解決はしない

その時金の力はなくなる、物がなくなったりするから戦後で農家に食料を交換するために高価な着物とかも売ることになる、つまり一挙に弱者化するのである
この世では強者が一挙に弱者化することがある
いくら金もっていてもそうである、金は万能ではないからである
本当はだから金を貯えていても大きな災害には役立たない
むしろ米を備蓄しているとか物があることが大事になる
それでこの辺では古米を配られたとき助かったのである

東日本震災で経験したことは大きなカタストロフィー、全面的崩壊現象だった
それは文明の崩壊のようになったから恐怖だった
原発にたより空気も水も土も放射性物質に汚染されたら住めなくなるからだ
東日本が住めなくなるという恐怖だったのである
東京のような大都会は人口が密集しているからそこでカタストロフィー起きる
地方だと田舎だとそういう大きい崩壊は起きない、分散しているから一部が破壊されてもまだ分散していれば生き残る
でも都会は集中的に住んでいるから壊滅的被害になる、それは神戸地震で証明された
ただ原発事故は地方でも田舎でも全面的崩壊に直面した
空気も水も汚染されたからである、土も汚染され森も汚染されて住めなくなったからである、それだけ原発は怖いものだったのである
それでもそうした危機意識がなかったのである

災害に強いか弱いかというとき原発事故でないかぎり地震でも津波でも接続社会として維持してきた
三陸とか漁業でも成り立っていた
明治の津波でも一万人死んでも漁師は海岸沿いに住んで魚をとっていた
船をだして魚をとって生活を維持していたのである
つまり津波だったら別に魚がいなくてるわけでもないし食料がなければ生きていけないからそうなった、つまり住民が大量に死んでもやはりまた魚をとれることで人口が回復したのである、自然に依存して生活していれば確かに被害も大きいのだが貧乏でもなんとか生きることはできて持続社会になっていたのである

東京とか巨大都市になるとそうした接続社会とならない、維持できない、一挙に大崩壊がきて再生できないしゴーストタウン化する、外国から食料でも入り助けてくれるというが外国は本当にそういう時助けてくれるのか?
その時日本の円は暴落するから物を食料でも買うこともできなくなる
緊急の際は外国は役に立たない、運ぶのが容易でないからである
今回の停電でも電気が使えなくなっただけで外部との交通もたたれ連絡すらできない状態になったからである
グロ−バル化経済とかは意外と災害とかには機能しなくなる 

外国だから別に助け合うということで成り立っているわけではないからだ
それで韓国では日本が災害にあったとき喜んでいた
今でも放射能に汚染された魚とか食料のことで攻めて来る
そんな国と付き合えるのか?
むしろ災害に会い日本が弱体化したとき攻めてくるのが外国なのである
だからグロ−バル経済というのは一面大きな危険がひそんでいる
それは別に助け合いの経済でも何でもないからである
それより資本主義の非情な弱肉強食の経済なのである
それは外国だけではない日本国内にもありうる 

田舎と都会の問題にもある、日ごろ助け合わないものが災害とか緊急事態に助けない
それは親族でもそうである、離れて暮らしていると何か緊急事態になり困っても助けられない、その人は自分にも問題があるにしろ金の関係でしかない
祖母でも死んだとき財産をもらえとしか思っていなかった
それはそういう事情があるにしろ遠くになるとそうなりやすい、何かあったからとすぐに駆けつけることもできないからである
それぞれの生活があったからである
その人は介護関係で働いていたが自分の家が介護で四苦八苦しているとき何もしない
他人の介護の仕事で精一杯だったのである
だから遠くの親戚より近くの他人となったのである
つまり災害には緊急事態には近くでないと役立たないのである

posted by 老鶯 at 10:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

敦賀の原発でも漁業権を売ったことと同じことが起きていた (ワカメが放射能に汚染された方がいい、補償金がもらえるからとなった)


敦賀の原発でも漁業権を売ったことと同じことが起きていた

(ワカメが放射能に汚染された方がいい、補償金がもらえるからとなった)

敦賀の原発が放射能漏れ事故を起こした
それで養殖しているワカメから放射能が検出されて出荷停止になった
すまと原電から補償金が入る、そうなると働かずにお金がもらえる
そこで〈敦賀の漁民たちはこういうことが年に一回くらいあればいいのにとみんな思っていると」言っているのです
(属国民主主義論ー白井 内田樹の対談)

この対談は面白かった、そこにこういうことを内田樹が言っていた
この人は原発避難者を前から批判していたのである
津波被害者と分けて批判していたのである

このことは漁業権を東電に売り渡した漁業組合のことを指摘してきた
ここが何か一番の原発事故を起こしたことの地元の矛盾が現れていたからである
そして最近放射性物質に汚染された汚染水を海に流すということを政府で決めたことに反対している
そうして反対すると補償金が水増しされたりする、海を汚して魚がとれない、売っても売れない、放射性物質に汚染されているのだから売れないからもんと補償金をよこせとなる
それは原発事故前からそうだったのである、船主は特に権利があり東電に漁業権を売り渡した、それで原発御殿を建てていて回りからうらやましがられていたのである
それは海を利権化した暴力団と変わりないと他の人たちも言っているのである
そもそも漁業権は資源保護のために与えられている
東電に漁業権を売った時点で資源保護は保証されなくなっていたのである

だからこの敦賀の原発でも同じことが起きていた
ワカメの養殖が金が入るより事故になって汚染されて補償金を出る方が金になるからそう正直に言っている
そもそも漁業でも金にならないとか跡継ぎがいないとかずっと不満を言っていた
それで原発ができることで実際は金になるということで地元では歓迎されていたのである反対運動もしていないし原町の隣の20キロ圏内に東北電力の原発が工事がはじまるときでも小高の大工さんが景気良くなるよと喜んでいたのである
でも事故になったら今度は原町まで住めなくなった、それも恐ろしいことだと思った

この対談では明治維新になったのも江戸幕府が腐敗してみんないやいやしていたから明治維新になって日本人は変わることができた
その体制そのものに嫌気をさして変わる方がいいとみんな心の中で思っていたからそうなったと言っている、戦争も実はやめたかった、でもしぶしぶ仕方なくしていたから戦争に負けたときかえってそうした不満が解消されたとか解放されたとか言っている
何かそういうことがあったことは確かである

生業を返せーという裁判があったとしても生業とは何なの、生業とは漁業であり農業であり林業である、こういうものはみんな金にならないと不満が大きかった
もう全体の一割くらいしか従事していないのである
そして農業している親に子供が農業だけはやるなと殴られたと言った子供は原発とか建築現場で働いたのである

生業を返せ、補償しろ、金を出せ

となるけど第一生業そのものを嫌いそれに価値を見出していない、金に価値を見出しているだけだったのである
今になってそういうことを主張するのが矛盾なのである
だから外から見ると金が欲しいからそういうことを理由にして訴える、金が欲しいだけだとなる

つまりもし生業そのものに本当に価値があるものとしてこれまであれば批判はしないのである、そういう人はいないのである
そうなると山尾三省のようにパンは贅沢だとかなりパンすら食べられない生活であり
まるで生業に捧げる殉教者のようになる
山尾三省はそうして生業そのものの価値に生きて早死にしたとなる
この辺でそんな人は一人もいないのである、生業を捨てて金をもらい楽して贅沢したいしかなかったのである

でも人間の価値とは何なのか?そうして生業を捨てて補償金をもらっていい車を買いギャンブルに興じる、それは仮設暮らしとか原発避難者がそうなったのである
その時むしろ生業の価値を知るべきだったとなる
生業に従事することこそ人間の価値だったとなる
別に金をもらえばそれも辛いから金だけもらって贅沢してギャンブルしていればいいとなる、でも外部の人からそうしていて顰蹙を買ったのである

つまり人間の価値とは何なのか?

漁業であれ農業であれ林業であれ・・生業に従事していることこそ価値だったのである
ただ補償金をもらって贅沢して消費者になりギャンブルしていることが人間の価値になるのか?
そういうことが問われたのだがそのことを深く考える人はいない
要するに金の社会になれば金さえあればいいんだ、金を持っている人が価値があり何しようが関係ないとなったのである
そのことは上級国民下級国民でも別に金さえあれば上級国民になれると言っている
それが例えば株でももうけようが何しようが金がある者が一挙に上級国民になる社会なのが資本主義の原理だとしている
人間の価値は金だけで計られる、それで年収とかが階級化して目安となる
金意外に何か価値づけるものがない
もともと生業とかは金にならないとなっていた、だから価値がないとなっていたからこういうことが起きているのである

ワカメを作っているより魚をとるより米や野菜を作るより原発から補償金もらった方がいいとなっていたのである
だから原発は莫大な金を生み出すからそうなったのである
事故後でも除染費用が7兆円とかになり飯館村でも一億円もらった方がいいとか言われたしそれなりにもらった人がいた
前の土地が田んぼから住宅地になった農家の人は新しい豪華な家を新築していた
その人も原発事故を喜んでいた一人だともなる
飯館村は山菜をとれるとしても貧乏だったからである
それが外部からみれば素朴ないい村だとなるが内部ではそうではない
やはり今の時代は金がものいうから巨額の補償金が入ることで村は分断されてしまったのである

要するに生業を返せといっても山尾三省のような田舎の本来の生活に価値をもともと否定していたのである、そうなると田舎の殉教者のようになるからである
そんなことができるのはよほどの変人だとなってしまったのである
車もない、パンも食べられない、囲炉裏で生活している、そういう生活が田舎だったのである、その貧乏から脱するために経済成長時代が築かれたのである
そこから原発か積極的に誘致されて事故になり住めなくなったのである

ただ不思議なのは山尾三省のような生活は特別なものではなくみんな田舎ではそういう生活をしていたのである
その時は変人でも奇人でもない、常人であった
それが時代が変わって変人、奇人にされるようになった
テレビ番組ではそうした貧乏の極限を生きる人が変わっているから放送して視聴率をとる
もしそれがみんながそういう生活していた時代にそんなことを放送しても話題にもならない
何にも変わったところがないからである、当たり前のありふれた人だから話題にもならない
だから時代が変わるとこれだけ価値とか物の見方が変わってしまうのである

posted by 老鶯 at 18:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2019年09月12日

夏から秋の変化の短歌十首(海老の浜)


夏から秋の変化の短歌十首(海老の浜)

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クリック拡大(沖に船が見える)

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クリック拡大ー白い花が何なのか、

浜木綿(はまゆう)とにている
でも違っているみたいだ
こういう花をここでは見たことがなかった
津浪の後の変化なのかもしれない、津波で生物でも植物で死んだり再生したりしているからだ

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津浪にも残った松ーその下に松が茂っている


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めずらしい虫、葉は何か、海老浜はマルハシャリンバイの南限の地として有名
つまり南国性の植物が生える場所だとなる



朝の蝉六号線を急ぐかな

夏の日に釣りする人や波しぶき

雷鳴りて後にすずやか月光る


大平洋波打ちしぶき沖に船揚羽のここに舞い去りにけり

珍しき虫の一つや海老の浜八年過ぎし津波の後かな

津波にもなおも残れる松ありて新しく育つ松も頼もし 

津浪より8年過ぎて育つ松繁げるや海老に秋の海見ゆ

鴎群れ大海原の波にゆれ沖に船行く秋の海老浜

ふるさとの小径にここに分かれけりいづくに行かむ秋の日暮れる

水無しの河原に露草あまた咲き今日清らかに水の流れぬ

(南朝語る)

只野氏の南朝語りしきり鳴く蝉の声かな故郷の暮る

南朝を語りし友や秋の蝉ひびきてあわれともに老いゆく

ひぐらしの森の奥よりひびきけり影なす道の行く人もなし

(月)

今日もまた月の窓のぞき我を母の見つつありなむいともは静かに

母もいて姉もありなむ争わず我が家にむつみあうなれ月の光りぬ

別れてもまた会う人や故郷の木陰の道や今日も行きにき

月満ちて明るさ増しておとろえぬ我が老ゆとも智は冴えにけり

山の端に月の傾き光るかな故郷に住み老いゆく我かな 




この三日くらいは天候が次々に変わった、日本の天候は本当に変わりやすい
最初は雨がふって夕べ虹がでた、それから台風がきて昨日は雷が鳴った
その雷もやんだと思ったからまた鳴った、秋の雷となるが昨日は暑かった

この天候の変化の中で海老の浜に行ったりした
そこで古墳が発見されたとか松が意外と高く茂っていたとか変化があった
あそこは風力発電の風車がないからいい、家もなくなったので見晴らしが良くなった
右田の松原はなくなったので鹿島区では海を見る場所としてはあそこが一番いいとなる
つまりビューポイントなのである

雄大な大海原(おおうなばら)に鴎の群れが波にゆれている、何かきもちいい
しかしふりかえると海は怖いものだったなとつくづく思う
その海が見える後ろでは避難して30人が死んだ
そこは高台だから津波の避難所として指定されていたからだ
これも悲劇だった、でもあそこは海を見るにはいい場所として残った

ふるさとで出会うのは同級生の人でありその人は本当に霊山を落ち延びた南朝の末裔の只野氏だったのである、とにかくこの辺は只野氏がやたら多いのである
只野氏一族の町だともなる
ただ南北朝の争いは日本全国にその傷痕を残した、どこでもその争いが伝えられているからだ、それは小さな村でもそうである
それだけこの南北朝の争いは日本の歴史にどれだけ影響したかわかる
天皇が二人になったときどれだけその影響が日本では大きいことを示した歴史だったのである

月は秋の季語である、月がだんだん満ちて明るく輝く、でも今は夏から秋になる時期である、そして夏と秋がある、最近は暑いから余計にそうなっている
何か何度も言っているが不思議なのは今になって知性が冴えている
本でも一か月に10冊とかアマゾンの古本で買っている
だから書評を私はできる、この本が何を言おうとしているから一読してわかるからだ
ただ残念だったのはこんなに本があっても知らなかったし読めなかったのである
本というのは自分の知的関心から買うものだからインタ−ネットのキーワードで関心あることを調べそこで深く知りたいとき本を調べ買う
また誰かの文を読んで紹介されて買うとういことが多くなった
そういう買い方が良かったのである、それが今まではできなかった

そこで田舎ではまず本を買うことができなかったのである
仙台まで行って買うにしてもそこでも本が少なかったのである
すると肝心の本が買えないから知の分野では本当に不利だった
今はインタ−ネットで学者の論文でも読めるから素人でも学者ともなれるとなる
なぜなら文献とか論文とか本を読まない限りプロにはなれないからである

老人は体力は衰えても知性はかえって冴えてくる、人間は死をまじかにすると精神でも相当に鋭敏になってゆく、末期の目で見るようになるからだ
だから老人は知的な世界では充実してくる、私がこれだけてプログで書いていることでもわかる,書くことがいくらでもある、その内容も深く濃いのである

月数(よ)めばいまだ冬なりしかすがに霞たなびく春立ちぬとか  万葉集4492

こういう感覚は万葉時代にもあった、明確に月を数えてもよんでも辺りの景色は冬と思っても春となっているし秋と思っても夏となっているとかある
今は季節が一か月くらいずれている
今日は秋なのかでもまだ日ざしは強い、ただ今日あたりからは秋らしくなってゆくようだ