2019年08月18日

高校野球に求めるのは勝敗だけではない (でも地域性は失われ技を競うだけになった時代)


高校野球に求めるのは勝敗だけではない

(でも地域性は失われ技を競うだけになった時代)

内地から教えを請うのではなく、自分の生まれ育った土地で育み、学び、研鑽し、そのままの姿で勝負して結果を出すこと。それこそが、真のウチナーンチュのあるべき姿なんだと。

甲子園で活躍する強豪チームは他府県の出身者だらけ! 是か非か?

沖縄でも野球留学が盛んになり優秀な選手が流出している
そして沖縄というとざされた島では腕をみがけない、試合も沖縄内に限られる
すると多様なチームと戦いないから相手から学ぶことができない
それで沖縄の優秀な選手は本土に野球留学するという
でもそうなると沖縄の高校が弱体化するので問題になっている

これも高校野球が地元だけでは勝てないとかその出身地で見ることができなくなっているテレビで明石から千葉県に嫁いだ女性が明石商業が活躍しているので応援している
故郷の思いがあるからそうなっている
でも何か今は地元志向がない、野球だったら野球という技を競うのでありその土地とは関係なくなっている
だからこそ

自分の生まれ育った土地で育み、学び、研鑽し、そのままの姿で勝負して結果を出すこと
これはスポーツには適応できない、スポーツはある土地と関係しているとはならないからだ、ただ世界的にグロ−バル化するとオリンピックでも国技としての柔道が普及したようにその国の文化と関係してくる
でもグロ−バル化すると勝敗だけが問題になり本来の柔道は道を究めるという日本独特の精神が消失する、ただわずかの差で勝敗が決められるから本来の趣旨とは違ったものになる、そこにスポーツでも文化が反映しているからそうなる

ただ正直スポーツではこういうことはありえない、その土地と関係して野球が上達することはないのである
ただ文化的な面なら必ずある、その土地土地でもともと風土とか地理とかが違うからそこで育まれる精神も違ってアイディンティティ化されるからである

ただ未だに不思議なのは高校野球をその土地土地の代表だと見ている
それが変わったのにそう見ている、そこに問題がある
もう地域代表ではない、野球という技を競うのに地域は関係なくなっている
だから高校野球自体が社会んの変化とともに変わらざるを得ないのである

それでもなぜ地域にこだわるのか?
それは人間は地域地域で生きていることには変わりない、それで全国から地域代表として甲子園に集まるとき盛り上がるのである
全国の地域が一堂に会すということで盛り上がる
例えば野馬追いでも浪江地区(標葉ーしめは)と原町(中ノ郷)と鹿島区(北郷)と相馬市(宇多郷)が雲雀が原に集結して一体化するとき最高潮に盛り上がるのとにている
そして戦争の時でも日本軍が外国で戦う時、日本全国の兵士が集結して一体化する
その時日本軍が外国軍と戦うということで命をかけて戦うから盛り上がる
戦争は否定されるにしても戦争の時人は命をかけるのだから一番高揚するとなる
つまり外国で日本の兵士として戦う時一番日本を意識して愛国心に燃え上がるのである
オリンピックは世界中の人がその国を背負って戦うから盛り上がるとなる


でもスポーツが地域とか国とか文化とみんなかかわるとかなるとそうはならない
いくら国を代表しているとしてもそこからその土地をイメージして文化的なものを感じないからである、むしろ技と体力の競争なのである
とするとやはり高校野球のようにもう地域性とか国は関係ないともなる
だから高校野球で地域の代表と見ることはもうできないのである
ただ百年もの歴史があるから今もそのように見ているがもう違ったものになっているのだ
多様な地域があって多様な地域が文化を育む、料理にしてもそうでありその土地土地に培うものがある、そういうものがなくなるどこに行ってもハンバーグだとチェーン店の料理だとかなるとそこに豊かさはないのである
要するに高校野球には何かそういう地域性とかを求めている
プロ野球だったら地域性はない、ただ広島だと広島の地域性はある
てもプロ野球は技そのものを競うものであり地域は関係ないのである

でもなぜ高校野球には地域性を求めるのか?
それはみんな地域地域で別れて暮らしているからである
それでも東京だとか大阪になるともともと地域性は希薄である
そういうことで池田高校とかが優勝したときは地域性が特別発揮されたから盛り上がったのである、つまり東京とか大阪の代表に地方の少人数の部員の野球部が勝ったということで盛り上がったのである
今はもうそういうことはない、全国の優秀な選手が地方に散らばり甲子園に来るからである

とにかく校歌でも必ずその土地のことが歌われる、土地に根ざして育まれるものをとりこむ詩になる
でもでは江戸時代の藩校のようなものだったらその土地は深く関係して精神でも育てられたとなる、会津などは山国でそうなっていた
それが明治維新後そうした地域性とか土着的なものが失われるようになった
標準語でもそうである、方言は禁止されて土着性が失われた
それで八戸光星では大阪の選手が野球留学で多い、一人だけ青森県出身者が活躍した
それでその人は大阪弁がしゃべれないので通じるのかと心配した、津軽弁ではないからである、方言は国の訛りであり文化でもあるからそうなる、つまりすでにそこは大阪軍団になっていたのである
地域性はそうして国の訛りがありその国を偲ぶとなるからだ

いづれにしろ現代はグロ−バル化してさらに世界でも地域性が喪失して一様化されやすいのである、日本だって英語にしろとかなるのもそうである
英語にすると世界で言葉でも通じやすいからそうなる
でもその時日本で縄文時代から育まれた言葉は失われて文化が喪失する
すると日本という国すらただ世界の経済の政治の一単位のようになる
グロ−バル経済は何か経済を金で結びつける、あらゆるものが金で計る
でも文化的なものは金で計れないし人間の価値として金で計れないものが多いのである

日本人が高校野球に求めるのがありそれが変わったのだがやはり何か地域と愛郷心とかを求めている、それが現実は変わっているのに郷愁のようにして高校野球を見ているのである、高校野球はそれだけ100年もの歴史がある時一つの文化的なもの精神的なものとなっているからそういうふうに見る、でも現実社会は変わり適合できなくなっている
ただ高校野球に求めるものは普通のスポーツとは違うから日本人は熱狂するのである
プロ野球のようになっていたら熱狂しない、ただ勝敗を覚めてみるだけだとなってしまうのである


posted by 老鶯 at 12:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層