2019年08月26日

津波や原発事故以後仙台市に移り住んだ人が多い


津波や原発事故以後仙台市に移り住んだ人が多い

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若い世代がこれだけ流出している

総務省が28日まとめた2012年の住民基本台帳人口移動報告で、仙台市の人口集中が鮮明になった。東日本大震災の避難者らが流入している仙台市の転入超過は9284人となり、東京23区に次いで全国で2番目に多かった。


福島県は人口流出が縮小したが、転出超過が多かった全国の上位20位に郡山、福島、いわき、南相馬の各市が入った。宮城県と東京都に各2000人以上が転出した。 


昨日シシドスーパーの前で話した人は小高の人であり家族が多い、7人とかいたと言っていた、それで小高の家を30坪くらいのが売れたと喜んでいた
30坪では狭すぎる、でも何か田舎に住みたいという人に売ったという
ただそんな狭い家で7人もいたのか?
土地持ちとか農家ではない、財産をもっているという人ではない
ただ7人とかなると一人でいくらと補償金をもらえるからかなしりもらったとみる
10人もいた人は一か月百万以上もらったと言っていたからである
まだそうして田舎では大家族で暮らしている人が多いのがいるからそうなる

その人は今は相馬市に住んでいる、家族は仙台に住んでいる
この辺では人口が相当に移動した、その移動先が仙台市が多いのである
ある人は名取に移り住んだときいた
そこで小高に残っている親に部屋も用意したから住んでくれと言われているがいかない
名取というときすでに仙台市のつづきなのである

とにかく人口が移動しているというとき南相馬市でも小高の人がかなり住んでいる
知っている人が帰ったのかと思ったら小高に住んでいたのである
南相馬市では小高意外の原町、鹿島に移り住む人が多い、また相馬市でもそうである
新地でも山元町にも移動している
山元町に土地を買って農業をはじめた人もいる、山元町の被害が大きかったからである

とにかく仙台市に人が集中する、他県から東北でも移る人が多い
青森の津軽鉄道の終点の中里でタクシーに乗ったらその人の息子は仙台に住んでいるという、仙台市となると図のように山形の人口が減り仙台市に移住する人も増える
そして私の家のユニットバスを百万で作った人の家は面白山とかの手前に住んでいた
そこでは春だったが雪が残っていると言っていた

もともとここは仙台は鉄道でも近い、仙台中心になりふすい地域だったのである
福島市はクルマでしか行けないから不便なのである
それず病院でも仙台へ行く人が多かったのである、今でもそうである
震災以後今度はさらに仙台へ人口が移動した

現代は広域社会であり人が移動しやすい、仙台だと遠く感じない、日帰りでも普通に行き来できる距離なのである、東京になると遠いから行き来できなくなる
それで仙台だと故郷から遠く離れた感じがなくなる、移動しやすいのである

ただなぜ福島市とかいわき市で転出が多いのか?
転入が多いはずだが転出が多いのか?この理由がわからない
いわき市には双葉とか大熊辺りから二万人移動して家を建てたとかあった
そこで軋轢がありもめた、ここでも小高の原発避難者と津波の被害者は口もきかなかったというのはわかる、津波の被害者は補償金はもらえなかったからである
一時は転入者が多かったが逆に転出者が増えている
南相馬市では老人は南相馬市内と相馬市とかに移住している
そして若い世代は仙台に移住している
老人はやはり故郷の近くにいたとなりそうなっていることはわかる
つまり小高の人は原町とか鹿島でも相馬市でも移住して住んでいる
それも老人が多いのである

いづれにしろ広域社会になるとその住む範囲が広くなり移動もする
仙台市となるともう仙台圏になり南相馬市でもそういう圏内に入る
だから仙台とゆ行き来は盛んであり移住も多いとなる
常磐高速ができた結果、ユニットバスの会社も工事をしにきていたとなる
仙台市のような大きな都市は拡張し肥大化してゆく、その周辺をまきこんでそうなる
そして周辺地域は山形のように人口が減り吸収されてゆくのが現代なのである




posted by 天華 at 08:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

芙蓉が似合う飯館村 (新涼に訪ねるー人が住まないと建物も自然も活かされない)


芙蓉が似合う飯館村

(新涼に訪ねるー人が住まないと建物も自然も活かされない)

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ここは栃窪でありこの石碑は明治時代が多い

ところが上の方に行くと金毘羅の碑が多く江戸時代の碑なのである

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山津見神社

綿津見神社も飯館にあり対になってこの辺では本当に多い

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文化という時代である、この石碑は倒れていた
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大倉村の主要部分はダムに沈んだ
ダムになる前に行ったことがある、そこはまさに秘境だったのである

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芙蓉がいたる所に咲いていたーここは新しくできたふれ愛館である

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石がその土地に根付いて離れない

そんな感じの大きな石



蔵に映ゆ木槿や農家ここに古る

栃窪に古碑の並ぶや実りかな
                                                        

草深くフジクロセンノウ咲きにけり飯館に我がたずねきたるも

大倉の墓地またたずね人気なき秋の蝉の声ひびき静まる

大倉に我は休みぬ秋の蝉ここに鳴きにつ誰か住みなむ

夏草にうもれし碑かな大黒天その碑倒るも直す人なし

ひぐらしの森の奥よりひびきけり大倉暮れて我が帰るかな

ゆったりと赤と白との芙蓉咲き客を迎えむ飯館村かな

この石の土地に根づきて離れざり虫の音聴きて夕暮るるかな




芙蓉が似合う飯館村

峠越えて新涼の山の村
悠長なる時の流れて
赤と白との芙蓉咲き
二つの花の愛のそそがる
至福なる日の我にあり
ここに心安らかに客を迎えむ
広々とした所に
一軒一軒森に包まれた家
その花の大らかにふくよかに
山間の空を仰ぎ咲く
ここを訪ねし者よ
疲れし者よ、癒されむ
去りてもそが心に深く
その花の写し残さむ 




今日は涼しい感じだから飯館村まで行った、途中大倉により墓地とか古い碑を見た
江戸時代のものがあった、大倉は古い村なのである
葉山(羽山)祭りというのが残されていてそれは古いものなのである
この辺では葉山信仰が盛んなのである
ただ墓地にあったのは山津見神社である
これは栃窪村にもある、その本山が佐須にある山津見神社であり飯館村には綿津見神社もある、これは二つがセットになった神なのである
安曇族のもたらした神だとされている、とにくかこの神社は相馬地方に本当に多いのである、それはなぜなのかとなる

大倉村には人が住んでいる、少ないにしろ住んでいる、だから蝉の声を聴くときやはり人が住んいるのと住んでいないのでは大きな差がある
またそこに暮らしがあるとないのでも大きな差がある
人が住んでいれば蝉の声でも人をイメージする、秋の蝉の声がひびけばやはりその村自体が山村に住む人たちの秋を感じるのである
つまりそこに村があり人の暮らしがあるのとないのとはまるで違ったものに感じる
人が住んでいてければ原始的な森になる、そこから人をイメージできなくなる
そこに人が住んで暮らしがあれば季節の移り変わりがあり人のことを思うのである

飯館村にはなぜ秋の蝉が鳴くころ行っているのかとなるとやはり暑いと自転車では行きにくいからである、特に最近日ざしに弱くなり熱中症になったから怖くなる
今日は新涼であり気持ち良かった
だから楽に飯館村まで行けた
途中会ったのが新幹線で郡山まできて三春からこっちの方に自転車で来た東京の人だった新幹線は輪行できた、これはいい方法である、景色のいいところを回れるからである
そして二三日だとそれほど疲れないからである
東京から自転車できたら大変だからである
いい景色の所を回るには途中下車で輪行するのがいい
飯館村のキコリの宿は泊まれるようになった
ただ食事は出ないからそこは気をつけた方がいい、コンビニがあり弁当は買える

飯館村はいたる所に芙蓉が咲いていた、道の辻でもまでい館でもまた新しい交流館でも
芙蓉が咲いていた
飯館の花はひまわりの里としているが芙蓉の里である
ひまわりは他でもあり飯館村は芙蓉があっている
花というのもその土地にあったものがある
相馬市だと神社に古い藤の木があり藤の花である
鹿島だと草深く咲く月見草とかなり原町だとひまわりがにあっている
何かにあう花がある、飯館村は前から草深く森深く花が映える
フジクロセンノウというのも草深く咲いていた、これも飯館村にあっている
飯館村の不思議は花が他より純粋に美しく見えるのである
高山植物のようにも見えるのである

ただ正直そこが放射線物質のフレコンバッグが積まれていたり荒地になっているので荒涼とする、ただ花を植えたりはしている、でも荒れ果てたという感じになる
それは小高でもそうである、田んぼが草ぼうぼうになり荒地になっているのだ
それが嫌なのである、田んぼというのは自分も気づかなかったが田んぼが荒地になり草ぼうぼうになったとき蛙が消えてその鳴き声を聞こえなくなり鷺も消えたのである
だから田んぼというのは米を作るだけではない、生態系を維持するものとしてもあった
景観を維持するものとしてもあった、それに気づかなかった
その効用に気づかなかったのである、だから農業をただ食料をとれるだけのものとして見ることは間違っている、自然を生態系を維持するための機能があった
それは金にならないにしても自然と一体化してあった
蛙の鳴き声が聞こえず鷺でも見れないとしたら淋しいとなるからだ 

景観(自然)と生業と暮らしが宝だった!

飯館村というときまさにこれがあったとき宝だった、それが全体として価値を作っていたのである
ただそこは貧乏にしても外から来た時でもなんともいえぬ味わいを出していたのである
そもそもそういう価値は全体が作り出すのでありそれが破壊されたとき失われたのである
それが原発事故の罪深さでありそれが飯館村に一番象徴的に現れたのである
多額の補償金をもらって外の便利な街に移り住んで良かったという人も現実にいる
外からただその暮らしの現実を見ないで理想化するのは問題だということもある
畑を趣味でしいてもそれがいかに苦しいものか理解している
畑仕事はブヨにくわれた、キジに野菜が食われた、ネズミに食われた、盗まれた、種が高い、肥料が高い・・・
様々な問題があり外から見ているだけなのとは現実は違っているからだ
ただ旅人のように訪れる時そうした苦労も人間の嫌な面も見ないですむからいいのである
それでツキデウスの人間の暮らしを神が隠したというとき自然の中に隠されるように人間の暮らしがあるときそこは桃源郷のようにいいものとなったのである、でもこの世に桃源郷などないのである、それはありえないから桃源郷なのである

までい館でアスパラガスと大きなトマトを買った
それは飯館村で作ったものである
そこでは放射線量を計っている人がいた
放射線量は量に作用される、多く食べれば体に蓄積される、少なければそうではない
それも確かである、相当の量を食べないと蓄積されないだろう
飯館村に住んでいた老人が山菜をキノコでも食べていた、その人は70以上とか80とかなっているから放射線は関係ないとして食べていたのである
その人は外から派遣された人ではなかった、飯館村の人だったのである
真野川の水質検査している人は中央から派遣されている人である
この前は農水省の人とあった、まだそういう人がこの辺には派遣されている
トラックが放射性物質を運んでいるのだろう
道路が狭いから危険なところがあった

までい館の前は住宅地化して家が建つ、その前の古い農家ではその土地を売って補償金でも多くもらったから新しい家になっていた
何か飯館村では補償金の額が大きかったから外に出る人も多く残る人と残らない人でもめたとかあった
現実に交流館とか他に学校でも建物は立派なのである
でもそこに住む人がいないことが致命的なのである
子供すら外から通っているのであり住んでいないからである
村長の孫とかでも通っているのである、それもは矛盾である
なぜなら村長自体が住まないのだからその他の人も住まないとなるからだ
帰ったのは二割弱というから少ない、そのことで人が住まない牛を飼うことなどの暮らしがないということで前に来たような感覚になれないのである

やはり人間は建物でもそこに人が住んでいないければ活きてこない
施設を立派にしても活かされないのである
それで立派な施設が南相馬市にあってもそこで働く介護士などいないから青森にこの辺では介護者が移されているのである
つまり立派な施設が建物がなくても人がいれば活きるということがある
人がまずいなければ建物でもなんでも活かされないのである
前に着たときも芙蓉が咲いているのが印象に残っていた
でも何か前の印象とは違うのである、それが残念なのである 

ともかくようやく涼しくなり自転車で遠くに出かけられた、暑い時はぐったりと疲れて寝ることが多かった、秋になれば遠出ができる

posted by 天華 at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2019年08月27日

地方(大倉村)の小さな碑が語る歴史の重い事実 (神社は国家神道となり戦勝を祈る場となった)


地方(大倉村)の小さな碑が語る歴史の重い事実

(神社は国家神道となり戦勝を祈る場となった)
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大倉の山津見神社


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他の稲荷神社

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アマテラスやコトシロヌシといった人格神から始まったわけではない。「場所」の特定が最初だった。神社は、そこに神籬(ひもろぎ)や榊(境木)や標縄(しめなわ)などを示し、「ヤシロ」(屋代)という神のエージェントともいうべき「代」を設定することから発生した。
 やがてこの「場所」をめぐって自然信仰や穀霊信仰や祖霊信仰などが加わり、さらに部族や豪族の思い出や出自をめぐる信仰がかぶさって、しだいに神社としての様態をあらわしていったのだと思われる。

 神仏集合


神社の起源は複雑で多様でわかりにくい、例えばなぜ相馬地方に綿津見神社と山津見神社がこれほど多いのか?
それは松川浦に山津見という地名があり山津見だから山と関係しているとはならない
綿津見神社と山津見神社は対になって伝えられた
それは海から移住してきた安曇族の神だったとしている
安曇族が大和国家形成の前に日本を移動して子孫を増やした
それで長野県の安曇にその名を残してそこでは船の祭りをしている
船と関係しているのは船を操作するのにたけていた海洋民族だったからである

その安曇族が相馬地方では海からやってきて飯館村の山津見神社を祀らせた
つまり安曇族の子孫の神である、ただわからないのは安曇族というのは何かはっきりしない、その痕跡も残っていないが綿津見神社と山津見神社がこれだけ多いのはその子孫がここに定着して住んだからだとなる
そして古事記でも国造りでもそうしした海洋民族が作った神話として理解される
国産み神話では海洋民族の特色が色濃いからである
そして死までも佐渡島まで国産み神話で生まれたという時そこまで安曇族などの海洋民族が移動したことを示しているのである

とにかく神社とは何か?それはこの解説のように場所と深く関係して生まれたのである
それで自分自身が場のことをアイディンティティ化して詩にしているのと通じている
人間の生はその場と一体として文化も作られてきた、だから世界でも文化はcutivate-cultureなのである
何かその土地で神聖な場所に社を建てたとなる
その感覚は今でも人間として生きる限り変わらないのである
人間はその土地と一体化してゆく、その土地とアイディンティティ化して一体化してゆくそのことで私は詩を作って来た、その土地の山であり石であり岩であれ樹であれアイディンティティ化して一体化してゆく
それは外国でもそうである、ギリシャにあれだけ神々がるあるのともにているのだ
それはその土地と不可分に結びついている
ゼウスが住んだというオリンポス山は春に行ったみたら雪に覆われて本当に神々しいものだったのである、ギリシャは海と山が迫り島が多く日本の地形とにていたのである
だから自然の中に八百万の神が宿る日本とにていたのである

私は常に墓とか古い碑に関心をもっていた、江戸時代の碑があるとそこに注目してしげしげと見る、ただ明治以降になるとあまり関心がないのである
例えば身近でも意外と古いものがある、近くの神社に天明の碑があったり鹿島神社の脇に暗唱せよという小さな碑があったりしてこれは寺子屋があった証拠である
そして鹿島神社は建御雷(たけみかづち)の神を祀るものである
これは武の神なのである、その脇に墓地がありそこは元は鹿島神社の領域でありそこに寺が作られた、神仏習合の寺であり神宮寺とあればそれである
だからこういう小さな忘れられた碑が歴史を語っているのだ

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これは僧侶の名だろう、ここに暗唱せよというのが記されている


不詩(文)朗謡-朗詠

朗謡-朗詠・・・暗唱
詩に文にせず暗唱せよ
謡(うた)いなさい

自分の家の墓地に江戸時代の碑

佐須村より多いのは真野ダムの前には戸数も人口も多かったからである
村の中心部がダムに沈んだためである、また官林の面積が広くそこで山林事業で財をなした山持ちがいたためである

それで今回発見したのが大倉の墓地がある所に忘れられたように石段も崩れてある山津見神社の入り口の狛犬の台に
国威宣揚、武運長久とか記されていた
これは太平洋戦争時代に記されたものである
この時こうした村の小社まで国家神道化して戦勝祈願していた
つまり大倉村など本当に小さな村なのだ、所帯数にしてもわずかである
そこには平地がない、でも山持ちで金持ちがいて相馬市の前は中村市の女学校に通っていたというばあちゃんがいたのである
相馬の女学校に通っていたとなるとこの辺ではエリートであり相当な金持ちしか行けなかったのである
私の姉は頭が良かったけど女学校に行けなかったと悔しかったと言っていたからだ

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そしてなぜこんなと小さな村の小社にまで戦争の痕跡があったことに驚いた
ここでもこうして戦争に狩りだされて戦争に参加した人がいた
それは全国でもそうである、そして今なお戦死者名を記している原町区の馬場の綿津見神社神社にあった、神社と戦争は不可分な関係にあり「忠魂碑」未だにどこの神社でもある、それは天皇が現人神(あらひはかみ)となり戦争に兵士として小さな村からも満遍なく集められたからである
それで映画があり戦争が終わって村に英霊となり帰ってくる幽霊を写していた
村に英霊となり亡霊となり村の社に帰ってくるのである

ある日、清作さんは、村の子供たちをつれて、帰ったら、かならずいこうと思おもっていた、源吉さんのお墓へお詣まいりをしました。そこは小高い山やまでありました。
「さあ、これが話をした源吉さんのお墓だ。お国のためにつくした村の勇士しだ。みんなよくお礼れいをいって拝おがみなさい。」
 子供こどもたちは、お墓はかの前まえにならんで、手てを合あわせて頭あたまを下さげました。

 村へ帰った傷兵 小川未明

この時日本全国が戦争一色になっていた、だからこんな小さな村にもそうした痕跡が残されていた、第一この狛犬の台座にこうした言葉を記すというのも違和感を感じる
それは戦勝祈願だからである
もちろん戦争には今でもいろいろな見方がある、それを全部を否定できない
でも戦争というとアジアからアメリカイギリスもかかわり世界的になる
でもこの一部落がこんな小社が戦争に関係づけられたということの事実である
その当時はこの小社でも戦勝祈願の社となっていたのである
国家神道化されていたのである
戦争という時、姉が従軍看護婦としてシンガポールの向かい側のジョホールバルの赤十字病院で地獄の苦しみのなかで働いたことを延々と聞かされた
遂に認知症になってもそのことを千回も聞かされた、だから戦争は身近にもなる

ただ70年も過ぎると忘れられてゆく、そしてこのように当時のことも忘れられていたがその狛犬の台座に当時のことが生々しく記されていたのだ
歴史とはこうして忘れられるのである、そして残された碑でも忘れられてゆく
注目もしなくなるのである
ただ自分にとってこれは衝撃だった、こんな忘れられような小さな部落に戦争を伝えるものが残っていたということがショックだったとなる
ここから当時をふりかえることになる
戦争という時戦後でも相馬地方で山に開墾に入った人たちが多い、15パーセントくらいいるとなるとその数は多いのである  

私は小池に引揚者で入った人がいることを知っている
そこに玉子買いにやらされていたからである
それから飯館村でも大倉から坂を上って木戸木には十軒くらいの開墾部落があった
そこは本当に辺鄙な場所なのである、そんなところでどういう生活をしていたのか不思議だとなる
浪江の山の方へ放射線被害が大きかた津島の方だとそこも多かった
それで苦労して開墾して住んだから強い絆があるというのもわかる
それがそこには住めなくなったのである
つまり戦争から戦後となるとすでに戦後でもその時は子供時代でも団塊の世代は戦争とかかわる時代だったのである

とにかく人間は常に時代が変わり忘れられてゆくのが早いのである
だからこの狛犬の台座に記されている字で戦争がここにも色濃く反映して影響して会ったことを知ったのである、歴史というのはこうして忘れられてわずかのものから回想することになる、それが大きな事実でも忘れられて小さな碑のわずかな文字が昔を語るだけだとなる、戦争も70年過ぎるとそうなってゆくのである




夢 (映画)黒沢明
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トンネル


敗戦後、ひとり復員した陸軍将校が部下達の遺族を訪ねるべく、人気のない山道を歩いてトンネルに差し掛かると、中から奇妙な犬が走り出てきて威嚇してきた。

追われるように駆け込んだトンネルの暗闇で私は、戦死させてしまった小隊の亡霊と向き合うことになる。自らの覚悟を語り、彷徨うことの詮無さを説いて部下達を見送った私はトンネルを出るが、またあの犬が現れ、吠えかかってきた。

私はただ、戸惑うしか無かった

戦死者が亡霊となって故郷へ帰ってくる、トンネルを出てくる
それを返すのだがそれが何か生々しいのである
戦死者の亡霊は小さな村の社から出征して帰ってくるがそれが亡霊となっていたのである未だに戦死者の亡霊は実際は日本中で彷徨っている
posted by 天華 at 14:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2019年08月28日

海は誰の者かー漁業権を東電に売り渡した組合 (生態系が原発で破壊されて住めなくなったことが最悪)


海は誰の者かー漁業権を東電に売り渡した組合

(生態系が原発で破壊されて住めなくなったことが最悪)

 高級魚を密漁したとして、長崎県警が指定暴力団山口組系組長の男(51)(長崎市)や組員ら6人を漁業法違反などの疑いで逮捕し、長崎区検は26日、組長らを同法違反などで長崎簡裁に略式起訴した。密漁した魚は組長の親族が実質的に経営する飲食店でワンコインの海鮮丼などとして提供。年間約3000万円を売り上げていたという。

 県警幹部によると、組長らは数年前からオオモンハタやスジアラなどの密漁を繰り返していたとみられ、海鮮丼を売りにするJR長崎駅前の飲食店で提供。500円の海鮮丼もあり、周辺の相場の半額ほどの安さで、観光客や地元のサラリーマンらに人気だった。

そもそも国民共通の財産である海岸をなぜ特定の漁師だけが独占してるの? 
むかしからエラい疑問。 
稚魚を放流してるから密漁されたら損害だとか、そんなん知らねーよ 
勝手に公共の海に放流してるおめーらの都合だろうがと。 

なぜこんな意味不明な制度になってんのか、まったく理解できん。 
海の家もそうだけど、既得権すぎるだろ。

外国とか協会なり団体が漁業権持ってて、それを各人に振り分けてる感じ 
日本は個々人が持ってる 
団体が持つと、個人個人で取り分巡って殺し合いがあったから 
漁師=ヤクザだから 
個人から漁業権取り上げて現代風にしたほうがいい

密漁ってことは他の漁師が割食うわけだからよくないことだけど 
実はこの値段で出せるのにボロ儲けしてるやつがいるのを日の目に出したのはよかった

個人の釣りでも逮捕されねーよw 
釣った魚は個人で販売もできる 
漁業権ってのは養殖とか網漁ができたり、指定の魚介類(たことか貝とかエビとか)の漁が解禁されるやつ 
要は>>1のように漁業を生業にするレベルで獲る人以外には漁業権なんてほぼ無関係なんだよ

人手不足で困ってるのになぜ漁業権をもっとオープンにしないのか? 

跡継ぎがいない漁師が漁業権を譲りたいと知り合いに話を持ち掛け、知り合いもその気になって手続き勧めてたら 
そこの漁師組合ほぼ全員(正確な数字は忘れた)の承諾がいると言われ、初めに挨拶に行った漁師に反対され 
譲ってもらう話が即終了した話思い出したわ 

閉鎖的すぎるんだよ

魚の消費量が落ちているから漁師増やして儲け減らしたくないってのもある 

漁業権って事故や災害や(港湾)工事の漁業保証で利権発生するから(派閥)対立等も絡めて面倒臭いぞ 
*北九州では利権で工藤会が2〜3年前に発砲事件起こした 

漁業権欲しいなら手離す人見付けて買い取るか養子が早い 
*暴力団組員とかは買い取っても無効


日本の農業政策は、国(農水省)が経営者で、農協が中間管理職、農家は労働者だとの位置づけで、“上に従え”という論理です。本来ならば、市場メカニズムで新陳代謝が進むべきところを   

農政利権の歪んだ視点

これは農業でも同じだった、日本の農業は競争力があるが政府とか農協とかによって牛耳られて利権化している、つまり漁業組合とか農協は利権団体化する
それだけではない民主主義といっても団体民主主義であり団体が組合が組織がなければ政治は動かない、そもそも人間は利を追求しているのであり利権化するのをとめられない
選挙でも一票など何の価値もない、そこに数を集めなければならない、すると必ず利権団体が組織化するしそこに政治化は頼り優遇することになる
それで票が得られて政治家になれるからである 

それはあらゆるものが利権団体化する、宗教でも創価の利権団体化して票を集めて力をもつ、そこにまとまった票があるから政治家が頼る
前は自民党は農家の票を頼っていたのである、それは農協が利権化して農家を牛耳り票を集めることで成り立つからである
ここではそうした政府ー農協によって自由な競争がばばまれ利権化してかえって利益が個々人の農家にまわらない、そこで収益が吸い上げられていることを指摘している
つまり中間搾取されている、それが政府がかかわってくると強力になるから政治を変えないと変わらない、それで民主党時代に個々人の農家に直接に補助金を配ったことをここでは評価している

漁業権のことを私はプログで追及してきた、それは原発と深く関係していたことが原発事故で判明したからである
海が資源保護とかではない利権化して海を東電に売り渡したからだ
資源保護などということは無関係に海自体が利権化して東電に漁業権を売り渡した
そこで船主などは原発御殿を建てたとか回りでうらやましがっていた
事故後も補償金が確実に入るから裕福なのである、だから真っ先に立派な家を建てたのは船主だったのである
第一海が放射せ物質で汚染されたからと漁業組合が交渉してもっと補償金を出せというのも変であり矛盾である
漁業権を東電に売り渡したのだからそんなことを言えないのである
あなたたちから私たちは{東電)は海を買ったのです、それで海を汚しても文句言えますかとせなる
そもそも海は誰の者なのか?漁業権は漁師たちだけの漁業組合のものなのかとういときそうではなかった
あくまでも資源の保護とかのもののために漁業権は与えられているのであり東電に売り渡すために与えられていなかったのである

暴力団が密漁したときそれは漁業組合を無視してとって安く売ったからだとなる
つまり漁業組合が実は暴力団でもあった
俺たちの許可なしで魚をとってはならない、海は俺たちのものだから勝手にとることは許されないとなっていた
それは資源保護の名のものとにそうなっていたのである
でも現実はこの辺では海は利権化して漁業組合のものになっていた

それで魚は消費者のものだという漁師がいた、海の魚は海は漁師だけのものではない
そこを利権化して漁業組合のものだとするとき矛盾が生まれた
それは自然自体が実は農業者のものでも林業者のものでも漁業者のものでもない
土地でも山でも海でもまず自然の景観として成り立っているし生態系として成り立っている、またそこをそうした人たちの利権化したものとして所有すると山でも山林が荒れるとか農業でも土地を勝手に宅地とかソーラーパネルとかにされると困ることがあり管理されている
海とか山とか土地でもそれは神によってというか漁師に農民にキコリとかに委託されたものであり所有して勝手にできるものではなかった
だから山林でも入会権がなくなり無数に私的所有が明治以降認められたとき山を管理できなくなった、そこで山は荒れて宅地造成が勝手にされて大雨で被害を受けたことが広島であった、海と大地とか山は生態系に属していて誰が私的に所有することはできない
その生態系が破壊されると今回のように原発事故で住めなくなるからである
そこに住んでいる人たちが海でも大地でも山林でも関係している

ただ都会の人は東京とかではそうした海とか大地とか山とか関係ないように生活している生態系から隔離されたようにしして生活している
でもその水源の山でも放射性物質で汚染されたら水も飲めなくなったのである
食料でも日本から得られなくなることもあった
だから人間は生態系から離れて生きられない、何か文明が発達しすぎて生態系のことがわからなくなっている、実感できなくなっている
電気が太陽替わりにでもなるように錯覚される、そういうことはありえないのだけであまりに文明が発達してそう錯覚するようになる
そこに文明の危険性が落とし穴があった、それが原発事故で証明されたのである

原発事故で田畑が荒地になったとき蛙が消えた、蛙の鳴き声が聞こえなくなった
そしてそれと同時に鷺も消えた
でも田畑が特に田んぼが回復したとき蛙がもどってきて鳴いた
その蛙の鳴く声を聞いたときなごんだのである
田畑は自然と一体化したものであり生態系の一部だったことを知った
ただ無惨だったのは松原が根こそぎ津波で消失したことである
それもまた自然だともなる、それで八沢浦が元の美しい入江にもどったと報告した時顰蹙をかった、そこでは人が死んで幼児でも泥から掘り出されていたからである

でも現実は本当にあそこが入江にもどったとき波がきらきらと太陽の光で光っているとき奇跡のうように思えたのである
その後でも湿地帯になり釧路湿原のようになったのである
津波も自然の作用だったのである、それはあまりにも大きいからどう理解していいかわからないものだった、でも津波は明らかに一つの自然の作用である
地震でもそうである、だから天を恨んでもどうにもならないということである
それで縄文時代だったらそうした危険な場所には住んでいないから津波の被害には会わなかったと思った

とにかく文明人はここでは生態系より原発を神のように崇めていた、科学者を神官として崇めていたのである
なぜなら常に漁業でも農業でも林業でも生態系に依存するものが金にならないと否定されてきたからである、原発は金のなる木でありそれに市町村が依存するようになったのである、結果的に原発事故になりその土地に住むことさえできなくなった
住むことがてきないということは最悪だったのである
たとえ貧乏でも生態系に依存して生活していれば一応なんとか住むことはできた
それが住むことさえできない悲劇になった

津波や原発事故が問うたものは何なのか?
それを追求してきた、それは津波とかなぜこんな災いを人間をにもたらしたのか?
それが不可解だともなるが原発事故だとこれは人間がもたらしたものであることは確かである、自然がもたらしたものではない災いだったのである
だからそれはとめることはできた、津波は自然の作用だからとめることはできない、地震でもそうである、ただ耐震建築とか何か防ぐ手段を備えることはできる
だからいくら自然の作用でも人間は無力とはならない

原発がなくても人間は死なないその土地に住めないことはない、それで山尾三省が言っているように最低限のもの、水とか土とか空気があれば生きられるということもできる
その最低限のものが原発事故で失われたから住めなくなったのである
もちろん電気もなにもない原始時代に還れというのは飛躍である
別に原発無しでも人は生きられる、その被害が余りにも大きかったからそういう反省になったのである
ただ東京とかなるとまず生態系とか意識されない、そういう文明が果たして維持できるのか?何か大きな災害がきてもう東京でも住めなくなるのではないか?
それがどういうふうにして来るのは予想できない、大都会となるとどうしても生態系から遊離しているから何か大災害があるともうそこも住めなくなる
そういう恐怖が常にのしかかっているのが東京のような大都会なのである
その東京に電気を供給するために地方がフクシマが犠牲になったともいえる
その巨大な大都会を維持するためにそうなったともなるからだ

posted by 天華 at 10:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2019年08月29日

抽象画の不思議 (the wonder about abstract painting)


 抽象画の不思議 (the wonder about abstract painting)

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NORTH FOREST

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GREAT RUIN

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TRAIN GO UNDER THE SEA
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この山は私がソフトで変化させても不思議だった
何か私の作っているものはただ変化させていてコピーしたように見られるかもしれない
しかし不思議なのはこの山は変化させたオリジナルのものとは違ったものでありコピーではないのだ
だから著作権違反にならない、別なものになっているしこんなふうになるとはその写真であれ撮った人でも想像もつかないからだ
ただ著作権違反として微妙なものがあることは確かである
でも私が作っている抽象画が全部著作権違反とはならないと思う
やはりそこには創造的なものがあり創作品として見せられるものがある


This mountain was strange even if I changed it softly
Something I'm making may just seem to change and copy
But what's strange is that this mountain is different from the original, changed, not a copy.
That's why it doesn't violate copyright, it's a different thing, and it's because you can't even imagine the person who took the photo.
There is no doubt that there is a subtle breach of copyright.
But I don't think all the abstract paintings I make are violating copyright
After all there is something creative that can be shown as a creative work

人間何のために働くのか? (金を払う方でもなぜ金を払うのかと考える)


人間何のために働くのか?

(金を払う方でもなぜ金を払うのかと考える)

youtubeのlove abd freedomの40くらいの人がなぜ自分が働いているのかわからないという
ただ毎日とにかく食べるために働いている
それも日銭稼ぎでありただ日々生きているだけだとなりなぜ生きているのかもわからないとなる
もし家族があったら家族のために働くとなりそこに生きがいもできるから結婚したいとなる
働く理由はまず最低限の衣食住の確保のために働くことが強いられている
でももし最低限の衣食住が保証されていたら働かなくなる人が多くなることは確かであるなぜなら労働自体に今生きがいを見出している人はいないからだ
文明社会は複雑化して無数のパーツになっている 

だからどういうふうに関連して働くことに意義が見出されるのかとなるとわからなくなるみんな巨大な文明社会の部品に過ぎないのである
それはどんな優秀な人でもそうなる、
何か発明でも科学者でも昔のようにニュートンとか天才が出ないというときもそねうなのだろう、何か一人ではもう複雑化した科学でもそこで傑出したものとはなりえなくなったノーベル賞でも何か昔の天才のように傑出したものではないという
確かにそれは地道な基礎研究であり何か世界観まで変えるような発明はないと科学に弱くても見る

働くという時、それは例えば雇う人がいる、働かせる上司がいる、幹部がいて資本家がいる、金を出す方がいてもらう方がいる
給料を出す方でもなぜこの人に金を出すのか?そういうふうに考える
それ相応に見合ったものが得られから給料を払うのである
それで別に効率化するには人間でなくてもいい、AI化したロボットがいいとなり無人化した店になり鉄道だと無人駅が増えてくる
それは雇う人が給料を払いたくないからコストでそうなっているのである

ところが別に人を雇う方でもその働く意義とか理由を与えない、ただ雇われる人は金が欲しいだけだとしか考えない、だから雇う方も金のことしか考えない
働く理由とか意義などは考えないのである
そもそも何か理由とか意義とか意味を考えるのは人間だけである
一体地球が何で存在しているのか?宇宙が何で存在しているのか?
そんなことを問うのは人間だけである
動物なら毎日今日の食べ物しか頭にない、植物でもなぜ自分があるのかなど考えない
木がなぜここに立っているのかなど考えないのである
つまり人間が自然でもその存在意義を考え価値を与えているのである
人間こそが宇宙であれ地球であれ自然の木であれ石であれ花であれ意味を与えるのであるすでに名前をつけること自体なにかしらの意味を与えている

なぜ現代は働くことに意味を感じないのか?ただ金の量だけで計られるのか?
そして金を使う方に重点があり金を使うことが生きがいになるのか?
それで原発避難者が補償金をもらってかえって仮設に住んでいたのに威張っていたのである、「私たちはここで消費して助けているのよね」と言っていた
これが現代人なのである、金のある者が王様であり金をもって消費する方が王様になっている、としたら働く方に価値がないとなってしまうのである
こう言った人が変わった人でもなんでもない、そういう社会に住んでいるからそう言ったしそれが常態化しているからそう言ったに過ぎないのである
つまりいくら労働しても感謝されるということは医者くらいでありほとんどないのである医者だけは命にかかわるから過剰にその労働が評価されて感謝されているのである

今私が金を払う立場にある、別に働いていもらっているからではない

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親(介護されるひと)−息子(施設に一部金を払う)−母親(私か金を払う)

青森の施設に入れても他にいろいろな介護に使うものがあり金を払っている
息子は建築現場で働いている、親は自力で生活できない、年でもある
でもなぜ私がこの人たちに金を払わねばならないのか?
でも払っているから母親のために息子のためにその親のために払うとなるとなぜその人たちに払う必要があるのか意味が価値があるのか?
それを問うことにもなる、それは金は誰しも無償で払いたくないからそうなる
なぜ金を払わねばならないのか?逆になぜ働かねばならいのかということもあるが何もしてもらわないのになぜこの人たちに金を払う意味と価値があるのかとなる

家族だったら自分の場合は特別良くしてもらったのだから介護することも当然であり意味と価値があった、今になると介護して世話して良かったとつくづく思った
恩返しができたとなり何か良心的に救われたのである
もし何もしなかったら後悔していた、なぜならそれだけ自分の場合は60まで世話してくれたからである、その特殊な事情で少しでも恩返したことで死んでから死者と話したり通じることができる、もしそれがなかったら死者とも通じ合えなくなることがあったと思うあなたは何もしてくれなかったとなると良心がいたむからである

でも赤の他人の介護のためになぜ金を払うのか、直接払っていなくても払っているとなるそれは福祉で世話になるとかでもそういうことが起きている
直接払っていなくても間接的に税金を払っているからである
その人に払う価値があるのかとなることはぬきに強制的に介護保険とかで払っているのである、でもその介護される人が介護される価値と意味があるのかとなるとわからないのである、そういうことは問わないが私的に間接的でも金を払うとなるとその価値とか意味を問うことになる

いづれにしろ何で働くのかということもあるが何で金を払うのかということも必ずある
何かしら価値と意味を見出すから金を払っている
みんな簡単に金を払わないからである、特に情報関係では日本人は金を払わない
情報は無料だと思っているからだ、でも情報提供する方でも苦労があり手間がある
するとなんらかその情報に対して金がは払われるべきだともなる
たたインタ−ネットだとプログだと発信するにしても手間がかかってもほとんど無料だということでしているのである

人間はパンのために生きるにあらずというとき何か必ずその意味と価値とかを追求しているのである、現代では働く意味も価値を見出せないという時資本主義とかの危機となる
モラルの崩壊でありそこで資本主義も崩壊してゆく
なぜなら資本主義がキリスト教の奉仕するということで修道院から始まったというウェーバーの説がある、その時は消費することではない働くこと自体に意味と価値を宗教的なものとして追求していたからである
それがなくなったときすでに資本主義のモラルが崩壊して金融資本主義とかギャンブル資本主義のようになりもう意味も価値もない、強欲資本主義となりモラルもなにもなくなるただ金を得て消費だけすればいい、消費する者が王様だとなってしまう

それでこの辺では何かそういうことで露骨なもの極端なものとして現象化したのである
いわき市では二万人が避難して多額の補償金をもらい飲み屋で札びらを切ったとか家を次々に建てた、この辺でも新しい街が二つくらいできたように次々に家が建ったのである
それも立派な家も多いのである
それで地元の人と軋轢が生まれたこともわかる
つまり消費者が王様であり金をもっているものが上になる、周りの事情など関係ないとなる、金が横暴に力をふるったからそうなったのである
第一家は地元の大工さんなど関係ないからである
ハウス会社が二週間くらいで組み立てるだけの家だからである
地元だ自分の家でも三か月以上建てるのにかかっていたが今は即席に建てられるし地元の大工とは関係ない、外から来た人が即席に建てるからである

そして社会がグロ−バル化して広域化すると金の力がますます強くなる
広域社会でありどこにでも金があれば住める、もし金がなければ慣れ親しんだ所でも住めない、だから避難区域に若い世代は帰らないのである
一億円やるからどこに住んでもいいよとなればみんな故郷でも出ていくのが現代である
そしてどこでも金がある人が威張ることができる、消費者は王様ごとなるからである
そういうことでこの辺では人々の絆は切れた
和合できなくなった、まだ補償金をいくらもらったとかでもめていてその後遺症がありうまくいかないのである
外との絆があってもいづれもう今はない、すると残されたのは昔から住んだ人たちでありその人たちで絆を作っていかねばならないとしてもできない
後遺症があり簡単にできないのである 

そして新しく入ってきて住んでいる人たちが金をもっているから威張っているということが依然として起きているのである
そういうことはグロ−バル化広域化社会で起きたことなのである
それで復興を考えるには広域化して考えねばならないという時そうなる
現実は今や原発事故で避難した人たちが仙台辺りまで広域化して住んでいるからである
残された老人にしても南相馬市とか相馬市とかに新地でも住んでいて若い世代は仙台の方に住んでいるからである
それで老人はかえって避難区域に住まわせるより原町とかに集めた方がいいともなる
分散すると世話しにくいからである
コンパクトシティ化するということである、広域化社会だからかえって人を集中させて維持させるとなる





posted by 天華 at 16:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

今日午後から虹が出る(約束の虹に実り)


今日午後から虹が出る(約束の虹に実り)

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約束の地に実りや虹かかる

「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、 代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。 13すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。 これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。 14わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、 15わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべての肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。 水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。 16雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべての肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」  17神はノアに言われた。
 「これが、わたしと地上のすべての肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」(創世記9章12節‐17節)

約束ではなく契約の虹だった、契約というのが日本だとなじめない、約束と訳すとなじめる
そこに言葉の問題がある


今日午後から虹が出た、大きな虹ではない、半分くらいの虹だった
でもはっきりとした虹だった、この頃あまり虹は出ていなかったからめずらしかった
それを見たのはいつも行っている畑の道だった 
虹は夏の季語だけど今日は暑いから夏だともなる、秋の虹だったら秋の虹としなければならないからだ、まだ残暑であり夏だとなる

そこにはいろいろな問題がありそれを語れどきりがない、実りがあるとしても余りにも
様々な問題がありすぎたのである
ただキュウリだけは太いのがとれた、それは柔らかく売っているのよりうまいのである
でもそのキュウリは売れない、もらう人さえいないのである

ただ自分はそこで畑で野菜を作る人の話を聞くことで金を払っているとなる
農業をじかにしるために金を払っている
何かそれが情報社会なのかもしれない、農業を知ることはなかなか田舎でも直接かかわらないものはわからないからである
田舎だと確かに農業は田畑があり身近だけど実際に農業している人としない人の差はこれも大きいのである
そして今では農家でも農業しているわけではない、たいがい農地を貸しているだけだとなる、だから農家の人でも会社員であり農業をしていないのである

虹は聖書では約束を示している、契約の虹なのである
その天国には本当の実りがある、ただこの世ではその実りは本当の実りとならない
ともかくそこで野菜を作る人の苦労を考えると嫌になるからだ
田舎の嫌な面が延々と出てくるのである

つまり畑でもそれは孤立してはできない、隣がありその隣もまたうるさいのである
だからいつも隣の畑の人が嫌だと言って最近死んだが喜んでいたのである
そして近くに団地がありその四階からいつも見て何やかやいう人がいると嫌がるのである田舎では見ていないようでも誰かが見ていて監視しているのである

田舎の問題はこうして人なのである、この人にうんざりしているのである
それは自分だけではない、みんなそうなのである
そうはいっても田舎で人と関わらないでぱ生きていけないのである
私は家族がいたとき田舎に住んでも人と関わらずに生きていたのである
それも不思議だったとなる、家族がみんな死んだ結果田舎の人とかかわって生きざるを得なくなったのである
そこで田舎の人のまた今の人間の金しか求めない醜悪さに直接触れるようになったのである

ともかく自分の生活は普通ではありえない生活だった、そこで変な方向にも行って失敗したのである、こんなふうになったのもいいにしろ悪いにしろ家族がそうさせたともなる
ともかくどんなにしてもこの世に本当の実りは実現しない
この辺が津波や原発事故でがたがたになって混乱したようにもう原発事故で放射能汚染で住めなくなったように本当に地獄化したのである
結局この世は災いの地だったのである、この世が天国になることは絶対にない
この世は滅ぶべき場所であることは間違いない
ただ約束の虹があるよう本当の実りはこの世にはなく天国にある
神の備えし天国にある、それが希望なのであ

2019年08月30日

地方の自然破壊は高度成長時代から始まっていた (飯館村の自然破壊の歴史から未来を見る―真野ダムができる前の大倉の映像)


地方の自然破壊は高度成長時代から始まっていた

(飯館村の自然破壊の歴史から未来を見る―真野ダムができる前の大倉の映像)


大倉村はダムができる前は本当に秘境だった、真野川の上流にあり家が固まってあった
それがダムに沈んだとき家が高台のみになり失われた
葉山祭りという古い祭りも失われた、ダムというのも自然を破壊して村を破壊していた
ただダムとなるとこれに反対する人はあまりいなかった
やはり効用があるからそうなった、それで大倉ダムがダムの底に沈んだときこの時多額の補償金が出たのだ、それで立派な家を街の方に建てた人が結構いて話題になったのであるそれで山でぱダムができれば金になるということで期待する人が全国でいたのである

それはもう50年前とかであり日本がという国は高度成長時代になり大規模な自然破壊が始まっていたのである、その最初がダムだったのである
これによってなんらか川の流れなども自然の状態ではなくなった
ただダムについては危険視する人は騒ぐ人はいなかった
ただダムも自然破壊だったことは確かである

そして気づいていないかもしれないが飯館村の木戸木から新しい道ができたけど七曲りの坂ではない道ができたけどあそこに道がないときは細い流れがあり森につつまれていた
そこは人が入らない神秘的な道だった、歩いていたのは10軒くらいあった開拓部落の人たちだけだった、その流れは長く清流であり森につつまれていた
一つの秘境だったのである
自分はそこに良く行っていたのである
でもそれもなくなったのが残念だった、でもそのことで誰も騒がない、むしろ道路を作ることが進められた、車社会だからそうなったのである
七曲りの道は車だと危険にもなるからだ
新しくできた道でも本当に必要だったかどうかわからない、なぜならそこを通る車はまれだからである

要するにここだけではない戦後は自然破壊が全国的に大規模に行われたのである
道路を作ることも地方では公共事業として進めれた、だからダムでも道路でも過剰に作られた、農道まで舗装されたとかまた水路でもコンクリートの水路になり自然の小川もなくなりメダカとかどじょうだとか生息できなくなったのである

文明が発達するということは必然的に自然が確実に破壊される、それは止めようがないのである、ただエジプト文明とかなるとこれは古いとするが自然と調和する文明だったのである、そこでは動物が崇拝された、アニミズム信仰ともなるがそれだけ動物が崇拝されることは自然と調和していたということなのである
そういう文明がピラミッドを作る大規模公共事業を成したということも不思議である
現代のような技術力があった、でも自然と調和した文明だったのである
普通だったら科学技術はどうしても自然を破壊する
それも科学技術の力が大きくなると大規模な破壊が生じる
人間の技術の力が弱小な時は自然破壊は大規模にはできないからだ 

現代は科学技術の力によって自然は地球が大規模に破壊された時代だとなる
アマゾンが大火事になって消失するとか問題になる
それも原因は何なのかわからないにしても何か大規模に自然が消失してゆく
それが現代文明社会の最大の特徴でありそういうことが起きたのかとなる
そして地球が大規模に汚染されてゆく
原発がまさにそういうものだった、この辺のように人が住めなくなるのだ

要するにやがて地球に人が住めなくなる

このことを暗示したのが今回の原発事故だったともなる、空気であれ水と土でも汚染された住めなくなる、そういうことが地球規模で起きてくる
中国などは広いにしてもそういうことが大規模に起きている
原発の数も多いし増やしているからだ、そういうことでいつかこの辺のように大規模な汚染が生まれて人が住めなくなる
文明によって人は地球に住めなくなる、これを暗示している
そして人間の文明そのものが滅亡してゆく、自滅してゆく
それは人間自身の技が発達して災い(わざわい)となり自滅自壊してゆく

それはあくまでも人間側の問題であり神の知恵で創造したものとは違うからである
生態系は神が創ったものだが科学技術は人間の知恵と技で作り出したものだからである
それによってまた人間が滅びるのもカルマだとなり自滅自壊がすでに定められていたとなる
それで火を盗んだプロメテウスが神から厳しい罰を与えられたことでそのことはすでに神話で暗示されていた、それが20世紀になり科学技術の発達で現実化してきたのである
何か現代はグロ−バル経済でも資本主義システムでも限界にきている
それは結局強欲資本主義でありあくなき人間の欲望を是認するものだからである
それで今の若いものは欲がない、欲をもてというのも変なのである
断捨離とかミニマム経済とかになるのはやはり時代なのである
拡大成長一辺倒の経済は地球規模で限界に来たからそうなっているのだ

ともかく一地域を見ても本当に自然破壊の歴史だったことをふりかえる
今度は飯館村に風力発電ができるという、これもまた自然破壊だったのである
ソーラーパネルも草野にしきつめられたが今度は肝心の森につつまれた飯館村が風力発電でその本来の自然が破壊される
一見ソーラーパネルとか風力発電は自然を利用した自然を破壊しないものとして作られたしかし実際は違っている、やはり何かしら人間の作り出す技は自然を破壊するように宿命づけられている
確実に風力発電でも森を破壊する、人口の風を起こすことでそうなる、また景観も乱す
つまりソーラーパネルでも風力発電も自然のエネルギーを奪う行為でありそれはプロメテウスが火を盗んだのと同じなのである
風力発電でも自然の風ではない、自然の風を奪う行為だからそこに必ず自然破壊が生じて森が破壊される
それで科学者の武田邦彦氏がそのことを指摘している

そして未来とは何なんだったのか?それは山尾三省とかが言うには未来とは新しい科学技術のことである
今でもそうである、AIとか自動運転が世界を変えるとか核融合のエネルギーができるとか寿命はまだまだ長くなるとか科学技術が未来なのである
でもそれが未来だとして本当に人間の未来なのか?

科学技術への過信は危険

むしろ生態系の維持とか接続可能社会とかが最近話題になるのもそのためである
私は極端にしろこうして自然が破壊されることに耐えられない
もうそういう社会には生きたくないともなる、クルマ社会でもいいものとは必ずしも言えない、だから自転車にのっているともなる
車も自然を破壊するものなのである、クルマ社会だからこそ飯館村の神秘的な小川が喪失したのである、ただそれに注目した人は一人もいない、飯館村の人でもいない
自分一人だったとなる、つまり別に飯館村に住んでいるからとして自分のように自然を見ている人はいない、そういうふうに強いられたからそういう生活をしていたのである
それで多額の補償金が入った結果として飯館村を出ていく人が多いことでもわかる
金の力がそれだけ強くなったからそうなるのである
実際外から見ていれば自然がありそういう村がいいと言えるのはそこで暮らしていないからである
でも未来は何なのか?未来に残すべきは何なのか?

未来に残すべきは自然だった!

これから生きる未来に生きる子供たちに残すべきは何だったったのか?
それは自然だったのである、その自然が破壊されたとき暗黒になる
もう人も住めなくなったのである
住むべき自然が残されなかったのである
その責任は今の世代にあり文明自体を作った人たちにもあった
ただそれはここだけではなく世界全体グロ−バルに起きたことなのである
ただ未来とは確実にすべて科学技術こそ未来を作るということで一致していることは世界で共通しているのである
でもそれがここではそうではないことを現実に示したのである
放射能の被害は何代もつづき人は住めなくなった、これこそ最悪だったのである
貧乏でも住めるならいい、住めないということは最悪だったのである

自分たちの世代はもう消えてゆく、でもではこれから生きる子供たちとか世代はどうなるのか?それをう考える時自然が破壊されて残されていないとなるとそこに幸福がありうるのか?まず次の世代まで考えて生きている人はほとんどいない
今が良ければいいとしかない、そのことによって次の世代が苦しむ
カルマとなって次の世代にのしかかる、そもそも幸福とは何かというときそのこと自体の価値観の過ちがこういう結果を生んだともなる
限りない欲望の拡大しかないのである、もう金のためなら何でもする
自然破壊もそのためにはやむをえないとなるとか無関心となる

そもそも人間は景観を見て感動するより飯の種にならなかったらそういうものは美はいらないとなっているからだ、それが人間の醜悪さとしてある
だからこそ東京のような怪物都市とかニュヨークでもそこに美がなくても生きていられるのである、その人間こそが異常なのである
そういう異常性に気づいていないのである、ただ経済だけを見ている
美を価値として見ていないのである
だから東京に住んでいた山尾三省があれほど田舎に執着してまるで田舎に命を捧げるほどになったのは逆説だったとなる 

第一田舎の人こそ東京の人と変わりないしむしろ東京の人より価値観では同じであり強いともなる、いい家が欲しい、いい食べ物を食べたい、いい車が欲しいとかもうきりないのである、借金してもそうしているのが現実なのである
田舎があって自然があってその価値観に生きている人はいないのである
だからこそ原発は積極的に誘致されたのである、原発は金の成る木だったからである
だからなんらかそうした都会の価値観とか文明の価値観を否定しないかぎりそもそもまた同じことが起きて住めなくなる、その価値観を変えなければならないのだがそれがもう簡単にはできない、それがみんな望むことでありそれを一人が反対してもどうにもならない

その一つがクルマ社会が変えられないのはみんなが車がなくては暮らしていけないと思っているからだ、だからわずかでも減らすこともできないのである
そして自転車を邪魔扱いしている、そういうこと自体いかにもう変えることが不可能かわかる
自然などどうでもいい、美などどうでもいい、それより便利さでありあくなき欲望の充足である、山なんかはげ山になってもいいとか森がなくなってもいいとかそれより電気だとか贅沢な暮らしだとなる、そういう価値観を変えられないのだから根本的には変えることはできず同じことが起きる、その未来も同じだとなる
そこに最終的に人類文明の崩壊が起きるという暗いものになる
それより人間の文明が神によって滅ぼされるともなる未来が見えてくるのである  

ただではどうするのか、炭焼きの時代にもどるのか?森が活用されなくなったとき木材が外材となり利用されなくなったとき森が無用のものとなり人の手がは入れらずに荒廃した、つまり炭焼きでも入会の共同の山でも森でも利用していたとき自然も活きていたのである、いくら景観をどうのこうのといっても現実の実利として自然と結びつかないと自然も維持できないのである
だからどうしても自然保護だけとなえているときれいごとだけになり結局自然は維持できなくなる
でも本当にこの辺は原発事故でどういう生活があるべきなのか?山尾三省は極端にしてもそれほどまでに自然との合一した生活を修行者として自然への殉教者のように実践して早めに死んだといことは何だったのだろうと問うのである

実際は全く田舎であれ地方であれむしろ都会人より欲望は深く都会人志向であった
だからこそ原発は積極的にむしろ地域で豊かになるために奪い合うようにして誘致していたのである
この辺では反対した人は一人もいない、それがこの辺の特徴だったと思う
そして残すべき自然は破壊された、未来に生きるものは放射性物質と遺伝子の恐怖に延々とおびえるというより住めなくなったのである、子供たちでも飯館村には住んでいない、将来も住まないのである
それは飯館村の責任でもない、原発によって自然は奪われて住むことができなくなったのである   



真野ダムができる前の大倉村の真野川の映像

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大倉がダムになる前のビデオ映像が残っていた
ただこれも30年前であり画質が相当に悪い、でも真野川が大倉を流れていた
急流ともなって岩を打ち流れていた、その真野川にそって家が結構あった、一部落を形成していた
ダムに沈んだとき高台の方の家は今に残っている
これは貴重な映像である、他にも30年前のビデオの映像が残っているのでそれを記録してプログに出す予定である




posted by 天華 at 16:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2019年08月31日

「震災バブルの怪物たち」を読んで 補償金で原発避難区域はモラルが崩壊した


「震災バブルの怪物たち」を読んで

補償金で原発避難区域はモラルが崩壊した

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この本は今までプログで自分が書いてきたとダブル、8割が自分自身が言ってきたことだった
ただ場所がいわき市ということでそこに2万人近くの人が避難して家を建てたことが違っていた、それで地元の人と軋轢がひどくなり嫌がらせとか事件になった
補償金の額が多すぎた結果としてもらえる人ともらえない人の差が大きすぎたのである
いわき市の津波の被害者は何ももらえない、でも原発避難者は特に双葉とか大熊地域は一億円とか普通にもらっている
浪江町でも財産がある人はもらっている、仮設住宅とかに入ってもいわき市と近くに住んでもその差が大きするぎのでうまくいかなかった
それは南相馬市だと原町区までは30キロ圏内でそれなりにもらった
小高は避難区域になったのだから多くもらった
それで仮設住宅に隣り合わせになったが付き合わなかったと小高の人が言っていたのも当然である
今でも補償金の後遺症があり復興と言っても南相馬市では協力しにくいのである

いわき市の人たちの間では一部の原発避難者の生活を見て「レクサス、焼き肉、スシ、ソープ」揶揄されたこともある
高級車に乗ってうまいものを食い、女を抱くという意味である

この本に書いてあるがそういう小高の人を知っている、もちろん全部ではない、今日聞いた話でもそうである

小高の人だから金をもっているとおもったがもうない

フィリピン女につぎこんで仙台に店を出させたかということでなくなったというから頭に来る、ほかでもそういう人が小高にもいたのである
そして腹ただしかったのは仮設には毎日のようにボランティアが来て援助していた
だからかわいそうな被害者として来ているから補償金もらうことも援助されることも当然でありなぜ鹿島の人は不満なのだと協力できなくなったのである

そしてNHKでもマスコミも原発避難者側について放送した
NHKでは相馬市のトマト農家が飯館村の人を雇わずに津波被害者を雇ったということで暗にこの農家を批判していた
冷たい農家だと批判していた、でも実際はそれは極人間として当然のことだったのである飯館村の人は被害者であることはまちがいない、でも現実に飯館村の補償金も他より多い一億とかもらったとなれば人間どうなるのか?
何かここに外からも誤解があり内部でも補償金で分断されたのである
それがいわき市だと極端なものとして現れたからそれにじかに接した不動産の仕事をしている人が報告したのである
ただこういうことは私がプログで報告してきたことであった

そして小高の若い人が自分のことを「傷口に塩ぬって楽しいか」と攻撃してきた
この小高の人はおそらく補償金をもらい何もしていない、補償金暮らしになっていたのだろう
この本でもあまりにも多額の補償金をもらい若者も働かなくなってあそびほうけていると報告しているからだ
他からはニートは得したなとかとも言われた

何が荒廃したのか?補償金はもらえる、かわいそうだと全国から思われて援助される
そうなると原発避難者様という意識になり何かそれに文句言うとお前は同情もしないのか?それで人間なのかとまで言われる、それを後押ししたのがNHKとかマスコミとかボランティアは悪くないにしろそういうことに加担したとなる

この辺で複雑なのは原発避難者と津波被害者は根本的に違っていた
その差があまりに大きすぎたのである、でも同一に扱われた
現実は隣の仮設では一億円もらっていても津波被害者ほぼゼロだったとなる
そうしたらもう隣同士口をきかないとなるのは当然である
そしてそうして原発避難者は周りの人に気配りをしない、なぜなら俺たち被害者であり原発避難者様とされたからである
それを批判すればNHKをはじめとしてマスコミで許さない、NHKでマスコミでこう言っているのになぜお前は原発避難者様を批判するのだとなっていたのである
だからマスコミの力が今までは強すぎた結果としてこういう問題がここでも起きた
報道するとなるマスコミになるからである
ただインタ−ネットができて別な見方もあるのだと知った人はいる
ただ仮説を去るにあたって周りに餅を配ったというとき何かしら配慮があった、そういうものを最後に感じたとなる

そして今になって遊び女につぎこんで金がなくなった助けてくれとかなればふざけんなよとなる、そんな奴らとつきあえるのか?
そして復興のことを考えても無駄だともなる、その人は一部にしてもそういう人こそ糾弾すべきなのに私のように復興を考える人はなんで原発避難者を批判するのだとなる
だからこの辺は原発事故前から補償金がもらえていた
特に双葉とか大熊地域はそうである、飯館村などは違っていた
でもその後の補償金で経済感覚が狂ってしまってモラルが崩壊したのである
もう頭には補償金のことしかなくなったのである
何か地域を元に復興しようとかなくなった、もちろん放射能汚染とかあるがその前に心が復興するということがなくなったのである
また協力するという絆も消失したのである 

そこに元から住んでいる人はもう金しかないのである、金の亡者となり補償金をいくら東電からふんだくるしかない、それを見ている若者でも補償金でも遊び暮らしていればいいとしかならなくなる
そして何か相手を批判することには被害者だとしてたけてくる
それは沖縄と韓国と一面共通しているのである、常に被害者だということで賠償を要求してくるからである
そして現実はその金で遊び何にも復興のことなど考えないししないのである
補償金で仙台で大きな家を建ててアパートの経営までした人がいたしそういう外に出て復興した人がまた多いのである
つまり故郷のことより家族が復興すればいいのである
それは場所を選ばない、それだけ今は広域社会であり金さえあれば優遇される社会だからである
だからこの辺でも外部から入った人たちが本当に多い、その人たちは立派な家を建てた
それはいわき市と規模が違っていても同じだった

こうしてそもそも復興とは何なのか?
それすらわからなくなった、復興とは補償金をもらい各自自由に移動しても生活することだとなる、あとはさらに東電であれ補償金を積み増しさせるかとかである
浪江町でも一か月35万を東電に要求した、それは実際は20万くらいになればいいとしている、一人一か月20万であり5人家族だと百万になる
この辺では小高の人が家族か多いので一か月150万になっていた人も現実にいたのである、だから億の金をもらった人は普通にいるのである

とにかく鹿島の貧乏人は本当に避難区域に住んでいたらと思っているだろう
その人は明日食うものもないからである、避難区域になったらそこに住むことなど関係ないのである、それで普通の生活ができるとなったからである
別に避難区域に住む必要はない、南相馬市内でも相馬市でも仙台でも住めるとなるからである、老人でも別に南相馬市だったらどこに住んでいいからである 

結局補償金で復興も協力もなくなった、絆もなくなったというとき水俣病でも補償金でだめになったという、ここでも補償金闘争になりだめになった
ここも同じだったのである、モラルは多額な補償金で崩壊したし協力して復興することもなくなったのである
その一番の荒廃が補償金を外国人の女にとかシニアとかがつぎこんで遊んでいたということである、そういう所に最大の暗黒が現れたのである
その人にとって故郷は何だったのか?そんなことなんの関係もないのである
金さえもらえればどこに住んでもかまわない、補償金もらって遊べるから良かったとしかなかったのである
それで一方で外部から来て復興に尽くす人がいるのだからそういう人は外に出るべきである、そんな人いたって何もならないからである、かえって邪魔になるだけなのである
真面目に復興に尽くしている人にとってはまた外部からでもそんな人に援助する気になるだろうか?

要するに補償金でモラルが崩壊して復興できなくなった

これは水俣病で補償金でだめなになったと同じだったのである
だからつくづく人間とはわからないものだと思った

例えは浪江町の津島とかでは戦後開墾に入った人たちがいて苦労した、この辺では特にそういう人たちの割合が多い、でもそうして苦労したから結束が強いというのもわかる
その時何もない貧乏な時だったからである
でも今回のように多額の金が入ったときみんなそれで良かったのか?
協力したのかとなるとかえって反目しいがみあいまた多額の補償金でかえって故郷を出てその補償金で200坪の家を仙台に建ててアパート経営までしたというやり手の人もいたのである
その人にとっても故郷の復興など関係ないのである

つまりこの人だけではないそういう人の方が多かったのである
だから復興はもう不可能だとなる、逆に浪江でも小高でも飯館村だって自分は賛成できないが放置する他ないとまでなる、それで飯館村では一億円以上もらって外に住むべきだという人と菅野村長は残るべきだ住むべきだと二つに分かれて争うことになった
村長が村に住むべきだとしているのはそこで村長の職を維持して金にするためだともなるからだ
現実にはもう故郷を放棄してそれぞれが補償金でどこでもいいから自立した方がいいとなる、自分自身はむしろ昔のように飯館村に人が住んでもらいたい

でも現実は補償金のためにできなくなっいる
多額の補償金でそういう気持ちにさせたのであり補償金でだめになったという水俣病被害と同じになったのである 
つくづく金は恐ろしい、そうういことを自分の家で起きたので延々と書いてきた
もう借金している人から金のない人から盗まれるだけならいい殺される目にあったからである
最近の事件で塗装会社の経営者が従業員を養子にして保険金をかけて殺された
その社長も私的なものに女とかに金をつぎ込んでいたとかが動機だった
原発避難者でも思わぬ金が入って金銭感覚が狂った、レクサスとか一番この辺では売れた、いわき市では特にそれが目立った
これとは違っても金に狂った異様な世界がこの辺でも現実化したのである  

いづれにしろ何かモラルが喪失してこの辺は荒廃した、金の恐ろしさがこの辺ではまざまざと悪いものとして現実化した
もちろん補償金は必要である、ただ額が多すぎたしいくらでもまた要求するという欲が生まれた
それは株とかと同じである、自分自身が株とか投資信託が人間の欲を刺激するのである
結果的には地銀にすすめられて損した、何かそれで株とか投資信託も怖いなと経験で知った
この辺でも補償金でも交渉すればもっともらえるとかなる、欲を刺激されるのである
そしてもう復興とか地道なことはしたくなくなる、働きたくなくなる
後はギャンブルたと女で遊んでいればいいとなった、全部ではないにしろそういう暗黒が生まれた
それは一部だとしてもそういう人を知ったら復興に協力するのも馬鹿らしいとなってしまうのである  


1次産業と工場が支えだったのが、漁業は壊滅、農業は落ち目、工場の雇用は細々。貧しくても助け合ってきた村はなくなった。水俣病のせいで村が潰れたわけじゃない。補償金で潰れたんです。

 命や健康は返らない。補償金を取るしかない。でも今度はカネで村が破滅する。公害は起こしたらおしまいということです。 
 これが人間の性(さが)なのだと思います。

 埋め立てなどで漁業権を売り渡して多額の補償金をもらった漁民でも同じことが起きたようです

こういうことがここでも起きたのである、だから人間のことは地域に関係なく時代に関係なく同じようなことが起きるのである
漁業権については何度も私のプログで書いてきたことだったからである 


posted by 天華 at 12:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連