2019年07月30日

NHKの杉本八郎氏の逆転人生「認知症治療薬の開発秘話」を見る (認知症が直る薬が生まれるのかーその謎はあまりに深い?)


NHKの杉本八郎氏の逆転人生「認知症治療薬の開発秘話」を見る

(認知症が直る薬が生まれるのかーその謎はあまりに深い?)


認知症の薬のアセリプトを開発した人の人生である、最初高校卒で研究所に入るのかと思った、その後大学に入り研究者になれた
認知症にはじめて効く薬が発明された意義は大きい
認知症の治療とか介護に苦しんでいる人が多いからである
ただ杉本氏は母親がひどい認知症になってそれに心痛めて薬を開発することに熱心だったのである、そこに強い動機があったことで成功したのかとなる
動機は大事である
そもそも官僚になっている人は志がほとんどない、東大出たらいい暮らしができるとか
自分の利益しか考えないからだめなのだと東大出の人が言っているのだからそうなのかとなる

団塊の世代でも数が多いから熾烈な受験戦争であり志など皆無である
要するに他者を蹴落としてまでも点数をあげて得する立場になれということである
そこに動機としては自分のことしかない、自分か良ければ自分がいい暮らしできればあとは関係ないという世界である
だから東大に入ればそれで官僚になり財務省にでも入ればそこでいい暮らしができる
何か国のためにはか国民のためにかはないというときそれはそういう教育しか受けていないのが戦後の団塊の世代だったからである
その前の世代、例えば小学校でも戦争の時育った人たちは団塊の世代とは違っている
国民意識国家意識が強いのである、そういう教育を戦争とともに受けたからである
それは戦後否定されたにしても何かそれが全部必ずしも悪いとはなっていないのである
それで林秀彦の本を読んで日本語を見直すということで興味をもったのである

戦後の教育というそもそも教育がなくなっていたのである
何が教育なのかわからなくなってしまったのである
日教組が極端な左寄りとかなりそれも日本人としての教育ではない
左翼が風靡したとしてもそれは教育にならなかった
つまり何ら指標となる教育はなく、知識の詰め込みと受験戦争でいい大学に入りいい暮らしをするということしかなかったのである
ただ高度成長時代になりそれがかなえられたのである

教育というのは自分自身で一人で作りだされるものではない、社会自体に道徳とか規範とかあってできるものである、そういうものがなくなったとき誰も教育できなくなったのである、まねるものがなくなったのである、でも新しいものを造りだすこともできない
そこでただ民主主義とかマルクス主義とかそうした実のないうわべだけのものを言葉だけを取り入れたのが戦後だったのである
だからいかに伝統が大事だったかともなる、なぜならそもそもそうして歴史的伝統的に作られてきた民族の文化の骨格を否定する、でもそうなると新しいものを作る時なるとき作れないのである

だから宗教でもカルト宗教団体が戦後跋扈したのである、それも御利益宗教である高度成長時代にマッチしていかに得していい暮らしをするしかなかったのである
日本から教育がなくなった、道徳すらなくなった、宗教もカルトになった
そうしたら何を見本にするのか?
ただこういうことは文明自体の問題として世界中で共通していたということはある
宗教の力がなくなり物質的欲望を追求のことで共通していたからである

ともかくアセリプトを発明した人は強い動機があったことが成功へと導いたのかもしれない、それから各人に自由に開発させた、各人の能力を引き出すように指導したとかある
でも8年とかそれ以上時間がかかった、二回も挫折して研究は停止したとかある
それだけ一つの薬を発明するのに苦労したのだなと見た
そうなればその薬はありがたいなともなる
その薬が奇跡のように生まれたわけではなかったからである

ただ正直この薬にしても認知症は直すことはできない、ただ若干症状を遅らせるだけでありまた人によっては効かない、かえって副作用が出る
だからこれで認知症が直るというのではない、ただはじめて認知症に若干でも効く薬が発明された意義は大きい
認知症というのは謎である、だから別に医者でなくても対処療法があり心理的に対応する方法がある、それは医者でなくてもできる
それをこれまで私は書いてきたのである

認知症という病気を良く理解することである、それは化学的に体をみること脳をみることではない、だから別に医者のように知識もなくてもできるのである
ただ認知症がどういう症状がでてそれにどういうふうに対処するかがある
それも個々人で対処することがむずかしい病気なのである
だから認知症の介護できる人はずっと一緒に生活している人である
例え親子でも離れて暮らしていると自分の子供すらわからなくなるのだ
それで杉本氏の母親が自分の子供なのにわからなくなったというのはなぜか、そのことがわからなかった
一緒に生活していればそうはならないはずだからである、離れて暮らしているとそうなりやすいのである

まず認知症ほど謎めいた病気はない、なぜなら正気を失った、馬鹿になったとなるが必ず正気にもどる時がある、まず死ぬ前に一か月前とかに正気にもどる
これはなぜなのか?これも不思議だった、二人の認知症を介護したけど二人とも最後に正気にもどった瞬間があった、それで私は懸命に介護したので報われたともなる
だから生まれつきの知能の障害者とも違っていたなとふりかえる
要するに本当に謎が深い病気なのである、この病気は果たして化学的にとか薬で直るとかあるのか?
それが疑問なのである、だって脳となれば精神が影響しているだろう

では認知症は海馬が損傷してそうなったのか?脳の一部の障害なのか?
ただ人間であり人間として認められる、感情もある、喜んだり悲しんだりする
それで感情があれば人間なのか?何かそうしたことを考えさせられるものだった
だからこれは精神病とか心理学とか何かそうした人間の心の分野と関係もしてくるから
ただ化学的体だけからみただけでは解決しないのではないのか?

でも認知症を直す薬が生まれのだろうか?
それが生まれたらすごい、海馬が損傷するとしてそこを直せば全体も回復したりするのかとにかく認知症だけは謎が深い、それは直接介護してみないとわからない病気だったのである
医学でも科学でも何か今は限界がないとみられる
でも本当にそうなのか?
原発事故のように限界がある、ただ限界がないように常に発見があり発明があり科学が解決すると期待されるのである
でも医学でも科学で限界が生じる、それは人間の限界なのである
もし限界がないとしたら遂に人間自体が神となり解決しないものはないとなるからだ

とにかくその人をみるときその人の成したことをみるとき動機が何かを見ることは大事である、神は人の心を見ている時、その動機が良くなければいかに成功したとしても成功したとは言えないのである
そうして成功したとして金持ちなったとしても成功したといえるのか?
俺は優秀だからその優秀さをみせるために事業を起こした、それも田舎では金をもっている人がいないから都会の人を相手にする、何かこんな動機で事業を起こした人がいる

そもそも動機がそんなふうでは成功したとしてもますますその人は増長するだけであり
人を見下すようになるだけである
自分の親が認知症になりそれをなんとかしたいというのとはあまりにも違うからである
ただ成功と失敗もか一重なのかもしれない、もうそういうぎりぎりのせめぎ合いで偶然新人が入ってきてその人が実験して成功したともなる
そしてもし成功しなかったら時間の無駄になり金の無駄になり何にも得られないとなる
そうなることだってありえたしその方が確立が高かったとなる
それだけ薬の開発がいかに容易ではないかわかった番組だったのである


エーザイ新薬治験で健康男性死亡 極めてまれ、厚労省が調査

世界大手も尻込みする認知症新薬開発

エーザイのようにアルツハイマー型認知症新薬を開発する製薬企業に対する期待は否が応にも高くなる反面、開発が不調となれば、失望も極大化してしまう。師走のエーザイの株価急落は、まさにそのことを端的に示している。


厚生労働省は9日、免疫の仕組みを利用したがん治療薬「オプジーボ」を投与された患者11人が、副作用とみられる脳の機能障害を発症し、うち1人が死亡したとして、製造元の小野薬品工業(大阪市)に、薬の添付文書に重大な副作用として追記するよう指示した。 

薬は必ず副作用がある、アセリプトにもある、エーザイは杉本氏が勤めていた会社である
やはり一連のニュースとして注目するものがある
ニュースも自分用に編集する時代なのである
でもこれだと時間がかかるのである
だから仕事している人はやはり情報がいくらっても目を通すことはむずかしい
インタ−ネットは相当暇でないとできないのである
ただいつもアクセスするところを情報源とする
それでもインタ−ネットだと情報が多すぎるから編集するにしても時間がかかりすぎるのである

復興に関心がない人 (内部から自壊してゆく現実―国自体もそれで滅びる)


復興に関心がない人

(内部から自壊してゆく現実―国自体もそれで滅びる)

その人は前からフィリピンの女性に貢いでいたとか仮設に住んでいたときからあった
その後もその子供に車を買ってやったとか補償金をもらって金をつぎこんでいたのである仮設に住んでいたときもみんなパチンコとギャンブル通いとか風俗とかまで行っていた人がいた、その人は金持ちではない、後は生活保護だと言っていた
それで外から来たボランティアの人たちも怒っていた
結局復興と言ってもみんな外部の人たちがしたのであり内部の人は何もしていないのが多い、ただ補償金を要求するだけであり何も自らはしない
それで外から原発乞食とか揶揄されるのもそれを全部否定できないものだった
今でも外から来た若者がいて復興のために働いている人がいた
そこに住んでいる人なのである

だから何か小高の人たちを批判するとお前は傷口に塩ぬって楽しいかとか言われる
でも内部の人たちで何か復興のために働いているのかというとこういう人もいる
全部ではないにしろそういう人こそ批判されるべきだがしない
小高とかでは内部でも帰る人と帰らない人で分断されている
若い世代は流出して老人だけが取り残された、そこでも分断されている
ただ何か補償金をもらったとしても苦しくなっている人も増えている
何か贅沢するために遊びのために補償金を使ったという人達もいる

ともかくお前は何も言うな、お前は何をしているんだとなるがそれは小高の場合でも浪江の場合でも現実にかかわるからそうなる
浪江の人が現実に近くの復興住宅に住んでいる、その人たちは何をしているのかわからない、パチンコ通いなのかとも見るがわからない
別に何をしようがかかわらなくてもいいといえる
でもかかわらざるをえないのは一緒に住んでいるからそうなる
住んでいる場所には無関心ではいられないのである
小高だったら南相馬市であり同じ市民だとなるからだ
そこで税金の配分とか政策でも影響してくるからである
とにかくおそらく原町区でも鹿島区でも外部から入ってきた人たちが多い
新しい街が一つできた感じになる、だから外部から入ってきた人と会うのである
だから原発周辺はいわき市でも二万人移動したとかなりかかわらざるをえない、自分たちの問題としてかかわらざるをえないのである

ただそういうことを言うと角がたつだけであり何も言わないのが無難だともなる
何をしようが関係ないとしているのが無難である
ただその人たちが負うことであり関係ないとしてかかわらないのが一番無難である
でも近くに住んでいるのだからかかわらざるをえない、負担が生じる
それより原発でも無関心から起きたことでもあった、近くにあっても無関心でありそれが今日の状況を作りだしたともなる

何か復興というとき外部から来た人たちもみんないいものとして働いたわけではない
除染で莫大な金が使われた、三兆円は節約できたというがゼネコンとか地元の建設関係の下請けとかに大きな金が流れて無駄使いされたことが報道された
そうして外部からも地元の復興とは関係なく金だけが持ち去られたということもある
内部からも外部からも復興を阻害するものがあった
ただもう十年とかなると外部の関心は薄れた、ボランティアももう来ないだろう
今ここに住むようになった外部の人はそうはならない

それはずっとここで暮らすことは一時期に来て帰るわけにいかないからである
ここにかかわらざるをえないのである
その差が大きいのである、東電の人たちもここに住んでいたらずっと死ぬまで次の代まで放射能とかかわらざるをえないから原発のことを真剣に考えるようになる
離れていると真剣にはならないのである
そこに住むことは責任を課せられる、住むだけで課せられていたのである
なせなら原発事故でも起きれば住めなくなったからである
その責任はいろいろあっても住民の責任として住めなくなったから深刻だったのである

住むたには責任が課せられていて守るものがあり住むことだった
それが内部でも外部でも復興できない状況を作りだしていた
内部で争い外部から援助があってもまた反面復興できないものとしても働いたのである
内部と外部の両方にそういう問題があった
それは原発事故前からそうだったのである
東電にすれば内部の事情として東京には危険だから作れないとなり離れたフクシマに造った、そのこでフクシマが大損害になった
また福島でも内部事情があり金になるということで積極的に危険をかえりみず誘致したともなる

ただ東京に住んでいれば被害はなかった、でもそこに住んでいる人は住めなくなったのである、住んでいる人は被害から逃れることができない、責任をとらされたのである
今はもう外部がかかわらないで内部の問題が大きなものとなる
なぜなら外部からの援助は補償金でももうこれ以上出ないとなっているからだ
もうあと一年くらいで国からの援助もなくなる
そうなるとどうなるのか?
何でもここでも自治体の財政が苦しくなる、自治体によって福祉でも今でも相当に差がでているからだ、それだけのサービスができなくなる
へたすると夕張のようになるかもしれない、もう自治体で福祉でもサービスできなくなる今でも介護士とかがいないので青森の施設にこの辺では送られている
青森でも内部の事情として仕事がないとかで引き受けているのである

いづれにしろこれからは内部の問題が深刻になる、だから補償金をそうして遊びに費やしているということも問題になる、何か復興に役立つように使いとなる
ただその人は真面目に働いた人であり年金も多くもらっている
さらに補償金を多くもらったから復興とは関係ないフィリンピン女性に貢いだとなる
これも普通のときだったらあまり言わないだろう
大目に見ていた、パチンコでも別に普通だったら息抜きでいいとかなる
でもこういう状態だからこそ内部でも困るとなる
でも別にそういう人は内部でも批判されない、自由だとなる
そうはいってもでは内部の人にそういう人がいるとき復興や役立たないとかなる
ただ老人が多く残されたという時そのこと自体復興のさまたげとはなっている
そうして限界集落のようになってゆくかもしれない、小高で今3000人以上とか浪江では1000人とかしか帰っていない

若い人が少ないから今度は老人が介護とかなると病気でも負担になってくる
それは全国の問題だがここは極端なものになってゆく
福祉のサービスでも受けられないとなる、だから普通の状態ではないのだから内部でも結束しないと復興はできない、でもそういうこともない
それでもいづれ何か福祉のサービスでもできないとか現実化するとき自覚する
まだ何か人間はとにかく現実に苦しくならないなと関心がないのである
駅とか鉄道には関心がないのはなくてもいいと思う人が多いからである
鉄道がなくなる、福祉のサービスも現実に受けられないとなる時どうなるのか?
その時は時遅しとなっているかもしれない、もうここには住めないとかなるかもしれないそして老人すら住もうと思っても住めてくなるかもしれない、でも現実がそうならないと人間は関心がない自覚できないのである、それが原発事故でもそうだけど致命的なものとなったのである

人間社会は何かここだけではなく内の問題と外の問題がある
国自体でも内が弱体化して腐敗すると外から攻められると守れなくなる
世界史でも内に強ければ外の侵略にも対抗できる
その国の強さは別に軍事力だけではない、様々な要素があり国が腐敗していればそこに住む人間が道徳性とかが喪失していれば国は守れない、国自体が崩壊してゆく
そういうとき外からの一押しで崩壊してゆく
それはいろいろ帝国ででもローマ帝国でもすでに自堕落になり腐敗した時外から攻められた、異民族に攻められたとき、もろくも分裂して崩壊した

日本自体を考えても内から崩壊しているのではないか?
少子高齢化とか外国人労働者でも増大して日本人がその仲間に入れないとか日本語が通じなくなっているとかもそうである
つまりもう外国人を排斥するとかではない、ローマ帝国が異民族の侵入から守れなくなったと同じである、日本国内の結束とか力が弱体化しておのずからそうなっているのかもしれない、外国人はいらないというのはわかる、でもその内部で日本人が働く人がいないとなればそうなる、会社でも20代の外国人が増えて喜んでいるというのもそうである
若返ったというのもそうである、だから日本自体が内部で弱体化衰退化したときそうして外国人がそれもエネルギーのある外国人が入ってくるのは必然だともなる
外部の力に頼らざるをえなくなっているからだ
この辺でも一体老人ばかりでどうして復興できるのかとかなっている
他でも限界集落とかで外国人を呼んで維持しようとする所もでている
それは危険であっても日本が内部から弱体化しているからどうにもならなくなっている
いづれにしろこの辺はそういう問題が全国にもあるにしろ極端なものとなって先駆けて現実化した場所だともなっているのだ


posted by 老鶯 at 14:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連