2019年07月24日

利益と金を求めるこの世はサタンが支配する (ボランティアは意味と価値を求める、宗教心があってできる)


利益と金を求めるこの世はサタンが支配する

(ボランティアは意味と価値を求める、宗教心があってできる?)

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。
  そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」
   マタイによる福音書     
   
「価値と意味をまず求めなさい、そうすればこれらのものはみな加えられる」

「まず利益と金を求めなさい、そうすれば食べ物でもも着るものでも住まいも与えられるだろう」ーサタン{悪魔}の言葉

人間の矛盾は社会の矛盾は一番ここに現れている、これで悩むのである
それは社会全般でどこでも起きている、別にブラック会社だけのもではない
社会はまず利益と金を求めなさい、そうすれば評価されて価値があるとされる

だからそれは医療とかなると医者は精神的に今では一番価値あるものとして尊敬される
価値あるものとされる、でも医者でも薬でもなんでも必要のない薬を飲ませてすすめてもうけるとかしている、何か必要のないことを金になることをする
手術をしたいというときそれが金になるとしたときしなくてもいいのにしたりする
それが怖いことなのである

つまりこういうことはどこの現場でも起きている、銀行になると何かその悪が生々しいとなる
投資するにしてもサラ金きか闇金融とかにも金をだしている
それは自らはしないにしろ裏でしているとなる
それから大きな銀行だと武器会社とか環境破壊企業とかにも金になるということで投資している、ただ投資はわかりにくいから見えないから批判しにくいのである
この世の暗黒はここに一番現れている、そこに働く者の矛盾が一番現れている
会社でも働く人は不本意でも利益を優先しなければならないからだ

それで不思議なのがボランティアなのである

そもそもボランティアは何を求めているのか?

利益を求めていないとしたら金を求めていないとしたら何を求めているのか

何を求めて働くのか?

それが問題になる、みんな利益を出すために必死になっているからだ
でも退職したとかして金に余裕ができた、でも何もしないではつまらないとか生きがいもないとかなる

ボランティアが求めているのはまさに意味あるもの価値あるもの生きがいとかを求めている、だって利益を出さなくてもいいとしたら当然そうなるのである
そして感謝なども求めている、利益にならなくても感謝されたとか社会とか地域のためになったとかなるからである
でも実際はそういうことには必ずしもならない、何ら価値を認められないとか意味を認められないとか感謝もされない、お前は何しているのだと邪魔者にされてできなくなった。別に利益も金を求めたわけではないが何ら認められるものがなかった
ただ外から来た人は案内したときありがとうとか感謝されただけである 
ボランティアとは何か変だけど宗教的善意の行為なのである、だから宗教にかかわる仕事ともなる
ある宗教団体がトイレを掃除させてくださいとか実行した、それは宗教の行為として無償でしたのとにている

そういう楽なものではない戦場に医者が傷ついたものを治療するとかなると命がけになるからだ
そういうことができるのか?そこには意味と価値があっても簡単にはできないのである、まさに犠牲心がないとできない
すると何か軽く考えるボランティとはそれはまた違っているのである
ボランティアはいうとき何か誰からも認められて善人としてほめたたえられるという感覚になる
でも本当のボランティアはこのように犠牲心が要求されると、そしたら誰も簡単にできるものではない
つまりボランティアの問題はまた簡単に周囲から善人としていいものとして認められるからする
そうされると思ってする、そこにまた問題がある、自分なんかも駅でたまたま案内なとしたけどそうだった
でも結局なんら認知されなかった、ただそれは戦場で治療する命がけのものではないから当然だとなる

社会で働くという時働いたら必ず報酬がある、それは金をもらえるということである
だからともかく金をもらうために働く、不満でも働く、それでで社畜だとか言うようになる
一方で金をもらっても不満がある、この仕事には生きがいがないとか常に嘆いている
ただ一番不満なのは給料が安いということなのである
ただその仕事の価値とか意味とか感謝されたいとかはある
それで不満な人も多い、派遣で働ている人は確かに給料が安いから不満になる
でも働くこと自体にも意味と価値を感じられないのである
そこで二重に不満になる、もし給料が安くても働き甲斐がある、意味と価値が仕事にあるとしたらそうはならない、不満にしても何かそこで耐えられるものがある
でも給料は安い、働き甲斐もない、そこに価値と意味が感じられないとなればただ不満だけだとなる

いづれにしろ社会のこの矛盾は変えられないのではないか?

社会とはそういう所でありこの暗黒は消すことはできない、それがこの世に生きるということである
天国だったら神の国だったらそれが成り立つ、この世ではそれが成り立たないからこの世なのである、それは有史以来そうだったのである
この世はサタンに支配されるのであり神の国には決してならないからである
だからこそ神はこの世を滅ぼすというがこの世を天国に変えるとは言っていないのである
要するにこの世で必ずしも価値あること意味あることに労力が費やされるわけではないのである、それを求めてもサタンが支配しているからそうはならない
この世とはそういう場所でありそれが変わることはないとなる
いくら努力してもそうである、それがこの世だからである 
そうした理想が成るのは神の国でありこの世ではないからだ
それは人間にはできないからこそ神の国なのである、神が備えるのが天国なのである
この世ではそうした矛盾のなかで罪の中で生きるほかないとなっている

天国はどこにあるのか、人の心にあるというときもそうである  
「神の国は汝らの 中 ( うち ) に在るなり」内とはその人の心であり社会ではないのである、個々人の心に神が宿るとなるからだ
社会自体が変革して天国は成ることはない、それが共産主義が信じられない地獄になったことでもわかる、社会全体を変えて天国にすることができない証明だったのである
政教分離というとき宗教と一体化したとき社会が神によって理想の社会になるということだがそれはならない、かえって政教一致になるとカトリックのように権力をもって堕落したとなるからだ、宗教と政治が一体化することは政教一致は結局堕落して腐敗して終わるそれは歴史が証明している、なぜそうなるのか?

それは人間が変わらないからである、人間の心は変わらないからである 
政治化するのはこの世の欲望を政治で達成しようとする試みである
御利益をいくら言ってもそれが現実化しないと支持もなくなる、それで政治で御利益を配分しようとする、政治化するのである
そしてなぜ社会が変えられないのか?それはそもそも人間の欲望が消えることがないからである、それでこの世は欲で滅びるとしている、人間から欲が消えないのだから共産主義でも結果は同じだったとなる

いづれにしろボランティアがかえってむずかしいのはなぜなのか?

それは神の国を求めているからかもしれない、利益を求めない、意味と価値だけを求めるとしてもではそれを与えられるのかとなると与えられない
むしろ利益を求めることこそこの世では第一にされるからである
つまりいくらボランティアしようとしても善意でもそれは実らない
なぜならこの世は利益をあげる金にならないものは無駄だとしているからだ
金によってすべての価値が図られているのがこの世だからである 

「この金貨は神のものか、それともカエサル(ローマ皇帝を指す語)のものとして納めるべきか」と問われた時のエピソードは有名である。当時のユダヤ人はローマに支配されていたので、単純に「神のもの」と答えた場合は権力に歯向かうものとして問題が生じる。逆に「カエサルのもの」と答えた場合でも権力に阿って信仰を曲げたとして宗教的指導者としての沽券が傷つく、つまり非常に答えにくい質問であった。これに対してイエスは、金貨の銘がローマ皇帝であったため「神のものは神のものに、カエサルのものはカエサルに返せ」と答えたとされる。

カエサルのものというときそれはこの世のもののことである、神のものというときこの世に属するものではない
意味とか価値を求める時、それは神のものであり神の国を求めることである、神の義を求めることである
義とか価値とか意味なのである、カエサルものというときそこで得られるものは今の世で得られるものである
それは利益であり金で得られるものになる、金で得られないものがまたある、愛とか意味とか価値とかは金だけで得られないのである根本的にこういう矛盾があるときこの世では解決しえないものだとなる
だからこういう矛盾にみんな苦しむことになるのがこの世だとなる

常に人間は矛盾してくるのは例えば宗教を求めて宗教者になったとしてもではどうして暮らすのか?それも布施にたよるとなるとそこに欲が生まれる
それでカトリックでは免罪符を出して金儲けした、それと同じことはカルトでも仏教でも行われている
それで天からの贈り物としての食料でもマナが必要だとなる
それは神から与えられたものだからである、人の手によって与えられたものではないからそれによってけがされないのである
この世では必ず与えられるとしても汚されるからである
結局この世に生きるかぎりこうした矛盾の中に生きることになる
そういうことを人間は繰り返してきたのである
でも結果的にその矛盾は解決されなかった、それは人間の欲望を消すことができなかったからである



2019年07月25日

ボランティアは偽善であるの議論


 ボランティアは偽善であるの議論


被災地に住んでます ボランティアを見るとイライラします。 
理由→遠くからこんなにたくさんの人が来てるのに地元のあなたはなぜ何もしないの? と怒られました。毎日がれきの中を通学してます 時間も経費も前よりかかってます。津波で流れたアルバイト 新しいところを探しました。勉強も必死にしてます。まだ足りないですか? ボランティアが来てから私はふるさとのために何もしない冷たい人になってしまいました

ボランティア活動というのは「受ける方は深く心から感謝する」そし
てする方は私心がなしでこのような受け手に心から感謝してもらうことで自分自身も喜び
を感じるというお互いが心から喜びあえるところにその本質がある


相手にとって全く役に立たず、かえって手間や害になってしまうことを一方的にやってしまうことかもしれません。

本人は良かれと思ってやっていたとしても、相手にとって必要なことでなければ、お互いが無駄な労力や気遣いをして終わってしまうことになります。



ボランティアは偽善である―キワードで検索したら結構深い議論をしている
それは大学生とかでもそうである、大学生は今だとボランティアをしているからそうなるのだろう

ボランティアに対してなぜ一面こうした偽善だとか批判が大きいのだろうか?
この辺は津波や原発の被害でボランティアがひっきりなしにきていた
原発で避難した仮設に一番来ていた、そこには原発の被害者も津波の被害者もいた
その差も大きいものだった、ただ外から来ると原発避難者と津波の被害者は一緒に見ていたとなる、同じ仮設に入っていたからである

そこにはいろんな人達が来た、宗教団体は多かったろう、それは宣伝のためである
売名行為の芸能人も来ていた、それを批判する人もいる
意外とネットではボランティアを嫌がっていると悪だと断定する人までいるのは意外だった、何か善意の押しつけでありうざいということなのかもしれない
そして何かボランティアは善人でありいいことをしていると見せつける
そして感謝とかでも何か強要する、それを見て嫌な感じになる
いくら無償でも嫌がる人がいる

相手にとって全く役に立たず、かえって手間や害になってしまうことを一方的にやってしまうことかもしれません。

これは確かにある、駅のボランティアでそういうことを経験したからである
別に教えなくてもいいとなる、無人駅でもいいという人がかえって多かったのである
若い人には多い、でも老人はわからないとき教えると素直に感謝している
それは無人駅になってわからないことがあるからだ
若い人はうざいとなる傾向がある
つまり老人は弱者でありそれで教えられると素直にありがたいとなるのである
若い人は弱者ではないからそんなことしてもらわなくてもいいよとなる
つまり若い人には老人とかの弱者の気持ちがわからないのである
それは老人とか弱者にならないとわからないからである

ボランティアで確かにこの辺ではボランティアが働いて肝心の被害者は特に原発避難者は毎日補償金もらってパチンコなどギャンブルに興じていたのである
だから何で働かないのだと怒っていたのである
でも津波の被害者はかえって迷惑にしていたというのも意外だった
震災でも事情が違っていた、まず津波の被害者と原発の避難者は相当に差があった
津波の被害者は家をなくしたり家族が死んだり悲惨だった
でも原発避難者は別に家は損害がないとか家族も死んだりしなかったのである

ただ故郷に住めなくなったということはあった
ただその被害の度合いが相当に違っていたのである
その区別が外から来た人にはできなかったのである
つまりなぜ外から来たボランティアが嫌がられることがあるのかとなるとこうした事情がすぐに呑み込めないからである
するとボランティアでも反感をもつ人がいる
それは自分自身もそうだった、なぜ原発避難者だけが優遇されているのか?
私の住んでいる同じ南相馬市でも避難区域になったところとならない所では補償に差がありすぎたのである、今でも医療費は原町と小高では無料なのである
でも鹿島区だと6か月くらいで打ち切られたのである、この差は大きかったのである
30キロで区切られたこともあるが南相馬市で対策はしなかったこともある
こういう事情は外から来た人にはわからないのである 

何かボランティアというとき善意がうまく合わないことがある
ボランティアが善意でしたことでもそれがそれをされた人には迷惑でさえあるのだ
それは駅で盲人の人の手を引いて電車に乗せたときだった
その人は杖で別に電車の前まで行ける、手をとることを嫌っていたのである
だから電車のドアをあけるボタンをおせばいい、手をとる必要などなかったのである
そういうことは押しつけになっていた、その盲人は自分で行けたからそうなっていたのである
何かボランティアにはそういうことがある、無理やりおしつけて善意をおしつけていい人ぶる、そして強制的に感謝しろとかなる
そういうことを嫌がある人がいるのはわかる、迷惑な場合があるのだ
むしろちゃんと金をもらい働いている人こそほめられるべきだということもある
その人たちは金で報酬を受けていると感謝しないことがある
金が報酬だからである、でもボランティアの報酬は感謝とか善人としてほめられることを望んでいるのである、それが嫌がられるのである
金で払えばいちいち感謝など要求されないからである

だからただより高いものがないというときそれは決まった報酬がないからである
親戚の人が自分が介護で苦しんでいる時そうだった
荷物一つもつのも嫌がっていた、そしてその荷物一つをもったからと無料でしたとなると現実に途方もない金を要求されたようになったからである
その人は金に困っているから暗黙の裡に途方もない金を要求される
普通だったら荷物を運んでもらったからと決まった金をはらってしてくれる方が安心なのである、いくらとられるかわからないとなるからだ
ボランティアなら感謝だけでいいとなればそれは悪いとはならない
でもしてもらう方は決まった金を払ってそれですました方が精神的に楽だとなる
だからこそ現実社会ではすべて金の額で感謝を還元しているのである
その方が楽だからである、つまり無償で無料で何かをしてもらうことはしてもらう方がかなりの負担になるからそうなったのである

ただ道を教えたりするのは別にそういうことはないしそれで何か要求したりしない、
それでもありがとうと言われたときうれしいとなるだけだった
ただ今はスマホを見ているから煩がる人が多い、そこが問題になる
つまり人によって何かを無償ですることを選ぶ必要があったのだ
老人とか障害者とかは弱者であり教えられることを望む、助けられることを望む
でも若い人はそういうことが少ないのである
つまり若い人は傲慢なのである、助けられる必要はないですよとなっている
でも老人とか障害者とか老人は助けてもらいたい人たちなのである

ともかく何か現代はボランティアの時代でもある、だからボランティアは何なのだとなるただ善しあしは経験しないとわからないことがある
人間は何であれ経験しないとわからないのである
私自身がささいなことでも経験したから書いているのである

私と同じことを若い人でも言っているのは感心する

ボランティアは宗教の行為だ

そう書いているプログがあったからである
無償とかなるとそれは宗教の分野だからである、ただ宗教自体がまたほとんど偽善なのである、宗教が一番偽善なのである、なぜならそんな無償の行為ができないからである
それで実際は金儲けだったりするのが普通なのである
そもそもボランティアが宗教だというときもうそんなこと実行できる人はいないとなる
だからいろいろあってもボランティアを容認する心も必要だとなる
ただ嫌がられるということもボランティアで意識する必要がある

だから本当にボランティアはむずかしいと経験から思ったのである
駅では若い人はそういうふうに嫌がっていた、それは助けられなくてもいいとなっているからだ、強者だからである、でも老人とか障害者などはそうではなかった
何か落ち着いて話しもできたのである
だから老人は若者にとって嫌がられるが若者にも嫌な面がある
若いというだけですべて肯定的に見れないと思った
若者は横暴で傲慢なものだからである、そこに深い思慮もないのである 
「俺は助けられなくていい、俺は教えられなくてもいい」とかなると傲慢なのである  

この世はカルマが必ずある

老人をいじめるものはまた老人になりいじめられる

なぜなら若い人でも老人になるからである
つまり因果応報は必ずある、継母で虐待していた老人が死ぬとき悪かったなと悔いた、そしていじめた子供に頼り死んだからである
老人を別に手厚くする必要がないがいじめたりすると必ず今度は老人になったときいじめられる
すぐに誰でも年とる、若いということはほんのわずかの時間でありすぐに過ぎ去るからである
だから若者が無謀になり若きの至りでも必ずそれかあとで後悔する、でも悔いてももうどうにもならない
その時は帰ってこないしその罪は消えないともなるからだ、そしてその報いは必ず受ける
老人になって同じ目にあうカルマとなるのである

ともかくボランティアは無償の無料の行為である

でもただより高いものはない!

無料であり無償だからこそ報酬は実は馬鹿高いものとなる、きりないものとなる
もしそれに見合った金を払えばそれで終わりである、でも無償だということ無料だということは無限に要求されることでもある
だからかえってその仕事に見合った金を払った方が楽だという結論にもなる
つまり人間には無償の行為をすることは一番むずかしいとなる
神は無償で様々なものを与えている、それができるが人間にはできない、人間はそもそも与えることができないものなのかもしれないすべて実際は神に与えられたもので生きているからである
それで何かを無償で与えるということで傲慢になる、実際は人間は与えることはできない存在である
与えたとしてもわずかである、日々生活する中で何か与えているものがあるのか?
食料でも何でも買うとしてもそれは誰かが作ったものであり与えられたものだからである
人間一人で与えるものはほとんどない、そういう謙虚さが必要だとなる
でも何かボランティアは無料で無償で与えているということが全面に出すぎるのである

右の手のしていることを左の手に知られないように
| マタイの福音書

こうはならないから嫌がられるとなる、ただそこまで高尚なものをボランティアに要求することは無理である、聖人にでもなることが要求される
そん要求したら誰もできくなるからだ、ただボランティアのむずかしさは自覚するべきである
俺はボランティアだとして何かおしつけるのは嫌がられるのである、その兼ね合いがむずかしいのである
でもボランティアをこうして否定することは良くない、ただボランティアというだけですべて是認されないことを自覚すべきである
だからボランティアというのは何かむずかしい立場にある、そんなら一層やらない方がいいとかなる、自分自身もして感じた、善意でしてもそれをみんなが受け入れるとは限らないし、それが実際に効果がないときもあるからだ

結論は奇妙だけどボランティアでも金で報酬を与えるべきだともなる、そうすればかえって割り切ってやれるともなる、そうなるとボランティアでなくなるともなるから何か人間のすることは何でもめんどうなのである
そしてどんなことをしても必ず批判がある、ただ批判する人よりボランティアしている人の方がいろいろあっても評価できるともなってしまうのである
ただ現代はボランティアをしたい人が多い、それは高齢化で地域でも生きがいをなくしている人が多いからである
それで正論おじさんとか問題になった、あの人も何か地域に役立ちたいということがあったがかえって迷惑になっていた
その人は司法関係の人でその法律の知識を活かしたいと思ったのだろう、でもそれは迷惑行為だったのである
そういうことがボランティアにはありうる、ただ地域に役に立ちたいという人は多い
でもそれがむずかしいのである


野馬追いの旗立つ(軍配の旗の由来)

                        
野馬追いの旗立つ(軍配の旗の由来)

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真ん中に軍配の旗印
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金沢村に軍配の旗印は旗帳にのっていなかった
でも下高平とか鹿島区の大内村とか右田村にはあった
金沢村は江戸時代に開拓された場所である、それほど広い土地でもなかった
だから旗帳には二つくらいしかのっていない
軍配の旗印はのっていないのである


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原町区金沢村に立った旗印

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この旗印は深野村長野村とかにある


雲晴れて旗立つ家や夏の山

山百合に鬼百合も咲き野馬追いの明後日かな期待高まる  

野馬追いは野馬追に出る家に旗が立つときから始まる、金沢で二軒に旗が立っていた
一軒には三種類の旗が立っていたのはなぜか?
何かここに集結したためか?
ただ旗帳の金沢村には 記されていない、下高平村とかの旗にでている
そこから移動したのでその旗になったのか?。
なんらか家でも移動していることがあるからだ

深野から大原の方へ回ったら一軒だけ旗が立っていた、これは大原村の旗としてある
とにかく野馬追いというとき多くても500騎出るとしても実際は範囲が広いのである
浪江までありそこでの所帯数は何万とかなる、そしたら500所帯は少ないから野馬追いの出る家は特定できない、わからないとなる

鹿島区だと56軒出るのを知っているがそれでも少ないからわからない
鹿島区の特徴は南北朝の争いの時代に霊山から落ち延びた子孫がいる
その家の旗は天皇の菊印なのである、只野姓はその中心にある
その人は街内に住んでいる同級生だった
他に街内に住んでいて菊印の旗がたつ、それは天皇の紋である

只野姓の人の旗印は杉である、只野姓は本当に鹿島区に30人以上とかいるから多いのである、ここの由来はわかっている、その他はまずどこの家に旗が立つか場所がわからない
野馬追いは旗祭りだというとき旗印の意味がわかるといいのだがわからない
そもそもなぜあんなに旗印の数が多いのかとなる、それも不明なのである

軍配(ぐんばい)とは、かつて武将が戦の指揮に用いたうちわ形の道具。現在では相撲の行司が力士の立合いや勝負の判定を指示するのに用いる道具として知られている。

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軍配団扇(ぐんばいうちわ)の略であり、本来「軍配」とは、所謂「軍配術」「軍配兵法」とも呼ばれる、戦に際して方角・日時を見極め、天文を読んで軍陣を適切に配置する法のことである。「軍敗」とも表記される。軍配術を行う者を軍配者という

 団扇紋は、武蔵七党の一つで、その中心勢力であった児玉党の家紋として知られているそして、家紋のなかでももっとも古い紋の一つともされている。
 児玉氏は藤原姓有道氏流で、『源平盛衰記』にも「児玉の党、団扇の印をかかげて」とみえるなど、平安末期には児玉党が旗印として用いていたことが知られる。とはいえ、当時は団扇そのものを印として用いていたようで、それが、やがて家紋として図案化されたものと思われる。

 これは深野とか長野村にあるし大内村とか右田村にもある、その系統が伝播したことがわかる

平安時代からあるのだから旗印は古い由来がある、それは武蔵とかに伝播されて相馬氏の侍の旗印となったのである、このように旗印の由来は古いのでありその起源は関西の方であり奈良とか京都の方だともなる、只野氏の杉紋は三輪山の杉に由来していて万葉集にその歌が残っている


あと三日で28日で野馬追いになるが今日は晴れてきたから晴れるようだ
野馬追いはやはり梅雨明けにはじまり本格的な夏に入ることを告げる祭りなのである
東北では一番先に夏の祭りとしてはじまる 

ちょうど藪甘草が咲き今日は山百合が咲き鬼百合も咲き始めた
野馬追いがはじまるとき咲きはじめるのである

                                                          

posted by 老鶯 at 19:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2019年07月26日

abstract painting

abstract painting

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Japanese house

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資本主義が終わりー国々の文化力の再発見開発の時代へ


資本主義が終わりー国々の文化力の再発見開発の時代へ

資本主義では金を増やすことを望む、金を増やすためにはどうするのか?
投資する、投資するとはそこでもうけて利益を増やして金を得ることである
その金を運用するのが銀行であり資本主義の中核としてあった
銀行が金を生み出していたからである
銀行はゼロから貸し付けてその借用書が紙幣になったというとき何もないのに金を増やすことができる
でもその金が増えすぎると使われないと経済は停滞する
でもなぜ今銀行がつぶれるとかいうのだろうか?
銀行には金はある、金が余っている、その金の使い道がない
投資先がないのである

それは世界的に起きていることである、世界で金が余っている、でももう世界経済が成長しないというとき金余りでありその金が活かされない、投資先がないからである

日本の海外債務が主にアメリカにありドルとして

対外純資産残高は328兆4470億円と3年連続で減少したが、27年連続で「世界最大の対外債権国」という座を維持した。

対外純資産がたくさんあるという事実は、見方を変えれば「日本国内に投資機会がない結果、外に出るしかなかった」ことの裏返しでもあるため、日本を語る上で憂うべき論点も多く含んでいるだろう

民間に米ドル相当の資産が150兆円以上あることも大変な強みだ。国の外貨準備高を合わせて300兆を優に越える。これらは一気に換金するとドルを始めとした通貨が暴落するし日本の信頼性の問題が問われるから実行する事はないものの、いざというときには換金出来る。言うまでもなく米国は世界最強の国家で、ここより安全で安心できる投資先はない。

アメリカの強みは軍事費が世界で突出している、軍事国家なのである
日本は経済国家である、アメリカの信用は軍事国家であることでドルが基軸通貨になっていることである
でもドルが紙屑になるというときそのドルの裏付けのアメリカ経済が弱体化しているからである
つまり金は資本主義での金は常に増大することを望む、金が金を生むことを望むのが資本主義なのである

でも世界経済の成長は頭打ちとなりもう成長しない、とすると金の行き先投資する先がない、だから銀行に預けても利益を生まない、利子が払われないのである

つまり銀行の用がなくなる→銀行はいらない→銀行員の大リストラ

こうなったときもう資本主義は機能しない、投資先がない、それで資本主義が終わりだとされる
その行き詰まりを打開するのに軍事力で突出した軍事産業の占める割合が多いアメリカは戦争を起こす、するとそこで戦争が投資となりアメリカ製の武器が売れる
景気回復するとか怖いことになり実際そういうことが行われてきたとされる
そこで人命も失われたのである

経済が行き詰まる→戦争になりやすい

それはドイツのナチスでも失業者が増えたとかなり戦争に突入した
失業者を戦争が吸収したとなる、日本でもアメリカの経済制裁で追い詰められて戦争に突入したとされる
経済的に追い詰められた国は人間でもわずかの金でも奪うし強盗でもするし人を殺す
借金していると借金を返すために犯罪を起こす、借金が犯罪の動機になっていることが多いのである
そういうことをこれまで嫌とういほど自分自身が経験したので恐怖となった
経済的に追い詰められた人たちが介護とか病気になったとき弱者化したとき襲ってきたからである

今やどこも経済不況とか停滞に陥り危険だとされる
アメリカもそうだし中国も韓国も日本もそうなのである
世界同時不況、世界恐慌前夜のような様相を呈している
つまり資本主義自体が機能しなくなり崩壊しつつある
世界的に経済成長は見込めないのである
それで資本主義の終わりだとみんなが言うようになる

つまり経済成長がない資本主義はありえないのである
だから資本主義は終わりだとなる
では次に来るのは何なのか、経済成長がない投資先がない社会である
だからこういう時代は文化の時代にもなる、文化の価値は物を増やすとか生産するとかとも違う、例えば日本でインパウンドで外国旅行者が増えたというとき旅行は文化的な価値を求めるのでありそれは何か物を生産するとか技術を開発するとかとは違っているのである、その国の文化を見るのが観光だからである

国を見る時確かにGDPとかでみる、でもその中身は技術力でありもう一つは歴史文化力がある、歴史ある国はヨ−ロッパでも中国でもインドでも文化力がある
オーストラリアなどは歴史がないから文化力がない、アメリカでもそうである
資源があり国が広大であり経済力技術力があったとしても文化力に欠けているのである
おそらくこれからの時代は世界で経済成長が望めないとしたら文化力の時代になる

だから一方でこれからますますグロ−バル化するから英語は不可欠だとしている
でも文化力にシフトするとき英語のように商業語だけでいいのか?
そこには文化力がない、確かにそれで経済力を高めることはできる、でも文化力は英語にはない、日本語あって日本の歴史と文化がありその価値が高まる時代になる
明治維新からは開国の時代であり富国強兵とか経済力の時代だった
それは太平洋戦争までつづきその後も経済成長の時代でありそれがバブルで日本は崩壊した
経済成長はあるところで限界にきてとまる、それが今は中国でそうなっている
そして世界的にももう経済成長はできないのである
そして資本主義が機能しなくなる、銀行が不用なることがまさに資本主義の終わりを象徴しているのである

何かだからこれから中世の時代のように内面化する、宗教とか哲学とか芸術の時代になる経済成長は世界的にもうできないからである、するとその国々に住んで文化力を高める時代になる、文化力はその国の風土と歴史から作られる
ただ文化というとき幅広いから必ずしも芸術とは限らないのである
農業に回帰するというとき農業は文化の側面がある
なぜならcultureはcultivate(耕す)から出た言葉だからである

なぜそうなっているのか?
つまり農業はその土地土地の地味に作用されたり風土と密接に結びついているからであるワインでもその土地土地の名がついていたり日本の米でもそうである
味が違ってくるからである、日本酒が世界で売れるという時もそれは日本の風土と歴史で培われたものであり文化力なのである、単なる物の販売ではないのである
とにかく文化とは幅広いものでありそれを風土に根ざして再開発再発見してゆく時代なのである

posted by 老鶯 at 10:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

夕風涼し(松川浦で釣りする人)

                
夕風涼し(松川浦で釣りする人)


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キャンピングカーで4人くらいの家族がいた、そんなに寝る所があるのか?
寝るのはホテルにするのか?そうかもしれない、でもキャンピングカーの旅もいいかもしれない
ある場所に家が移動する感じになるからだ、家のようにどこでもくつろげるとなるからだ
ただ自分とは関係ないものである
釣りするにはいいものだということはわかった


老鶯の朝に鳴く声広間に聞く

鴎飛び夕風涼し釣りの人

遠くから夕風涼し釣りの人



暑いから松川浦の方に行ってきた
釣りをしている人がいた、でも魚とれないとみんな言っていた
キリンピングカーで家族連れで袖が浦から来ている人がいた
あれは釣りするには便利である、釣りは時間がかかる、でもキャンピングカーが家のようになんていて休めばいいからである
魚がつれればそこでオカズにもなる、でも釣れていない、海流の関係なのかどうかわからない、春にはホシカレイを釣った人がいた、あれはめずらしいものだった
時期にもよるのか今は魚はとれない、魚を知ることは相当にむずかしい

もう一人伊達市から来た人だった、伊達市は暑いからここはいいと言っていた

伊達町、梁川町、保原町、霊山町、月舘町が合併して伊達市になった

この辺はみんな行っている、月舘町だとわかりにくいがここも自転車で行っている
領域としては地図で見ると飯館村くらいである
とすると飯館村がいかに広いかわかる

なんでも霊山にさえぎられて伊達市は放射能は高くならなかったとか言っていた
あの山は山脈ではないしそういうことがあったのか?
その前は高かったことは確かである
第一飯館村の佐須を越えると霊山になるから高いことがわかる
なぜなら飯館村の佐須にホットスポットがあり20マイクロシーベルトあった
これには驚いた、あと草むらは5マイクロシーベルとかあった
だからあの辺は高いのである、すぐ近くの霊山だと高いことがわかる
伊達市では補償金10数万もらった、相馬市では6万くらいだったから不満である

私は自然と接することで釣りしている人とは良く話する
海流がどうだとか魚のことを話すことは自然に通じることだからである
だから釣りは自然と関係するから他の趣味とは違っているのである
それで釣りを趣味する人が自然を語り哲学者にもなっているというのもわかる
釣りすることは自然に通じることなのである

今日は朝目覚めたら老鶯が鳴いていた、二階から聞こえた、二階の寝る場所は広いから気持ちいいのである、でも夏になるとクーラーがないし隣の家の屋根が熱くなり二三度暑くなる、もうっとした空気が充満していた
下の部屋にクーラーがある、そこで仕事している

とにかく暑いと外に出たくなる、前は近くの右田浜の松原の日影で休んでいた
それもその松原が全部なくなったことはショックである
そこに風力発電の大きな風車が4基作られた
その前の高台に松などを植えたがこれは前の松原の回復にはならない
風車の風は自然の風ではないから木に影響すると武田邦彦氏が言っている
科学者の言っていることは違うなと思った
風力発電でも自然のようで必ず自然からエネルギーを奪うものだから自然に影響するのだという
だからあそこに松など植えたのは無駄だった、離れた海老辺りは風車がないからいいとなる

今日は風が吹いていてそれほど日ざしも強くなかった、これから日ざしが強くなると紫外線とか危険になる、それで熱中症になりやすくなったから怖くなったのである
ただどうしても私は外に出たくなる、暑いとクーラーも好きでないからだ
かえって動いた方が涼しくなるからだ
相馬市では一軒も野馬追いの旗が立っている家を見つけられなかった
どうしてなのか、相馬市もまた広いからわからないのか?
とにかく日曜日は野馬追いなのである

2019年07月27日

野馬追いの見所(野馬追いは歴史の忠実な再現)


野馬追いの見所(野馬追いは歴史の忠実な再現)

野馬追いは他の祭りとは違っている感じがする、それは歴史の忠実な再現だということである、それで宇多郷(相馬市)と北郷(鹿島区)が合流する、それが儀式となっているのはそういう歴史があるからである
その忠実な再現を見たいと来ていた人は相当に歴史そのものに興味がある人だとなる
祭にはもともと古い謂れがあれその再現だからそういうことはあった
だから祭りとして残っていてもそれが何を意味しているのかもわからないのがある
書類とか言い伝いでわからなくなっても祭りとして残されているのがあるからだ

歴史という時、北郷というときこれは相馬氏がまず小高に入り小高に城を築いたからその小高から見て北になるから北郷になった
だから合併して南相馬市になったとき今度は相馬市に城ができてそこが江戸時代中心になったからその南ということで南相馬市になった
つまり城があるところが中心として意識して方角地名がある
それは歴史的継続だとなる、方角地名は必ず中心があって東西南北が決められるからである

野馬追いの見所はそうした歴史の忠実な再現なのである
なぜどこの家から野馬追いが出るのか、野馬追いに出る家に旗が立つというときそこに注目したのはその旗立つ家は野馬追いに出る家であり古い家だからである
侍の家だったのであり郷士の家だったからその土地で古い家として認識できるからである歴史を知ろうとしたときそこでリアルに感じるからである
でも地元でもどこの家から野馬追いに出るのかわかりにくい、結局十軒くらいしか自分自身はわかっていない、人口が相馬藩内で10万ちかくあってその中で野馬追いに出るのは500騎としても少ないからわからないのである

野馬追いが歴史の忠実な再現だとして野馬追いがあれだけの旗印がある、それは何なのだろうとなる、でもその旗印の由来を知ることができない、その由来は平安時代とかからも始まっているからわからない、由来をたどれば関西の方にまでたずねることになるからだなぜなら関西から関東地方に平家とか源氏でも移住してきたからである
東北は関東の武士団が移住してきて作られた地域である
それは鎌倉時代でありその人たちが先祖になっている
相馬氏もそうである、相馬氏は騎馬軍団で強いからこの地の支配者になったし強大な伊達市と対抗できたとなる

だから野馬追いのもう一つの意義は馬を知ることである
ただこの馬のことがわからなくなっている、馬は今は競馬でしかわからないのだ
それで皐月賞をとった馬がいるとういことでわざわざ見に来た人がいたのである
その人は相当に馬に興味がある、しげしげと馬を見ていたからである
実際にこの辺ではそうした引退した競馬馬を使って野馬追いに出る
また野馬追いに出るために馬を飼っている人もいるからそうなると金がかかるのである

いづれにしろ馬というのが身近な存在ではなくなったとき馬のことがわからないのである実際馬を知るにはモンゴルのような所に行かないと馬の存在感はないだろう
何もない平原地帯でこそ馬が疾走すれば活きた馬を見れるからである
モンゴルの馬にのったときこれが小型なのである
足がつくくらいだった、こんな小型の馬で良くモンゴルが世界を制覇したと思った
ただ山岳地帯とか行くにはいいのだろう、万里の長城のあるところは山岳地帯だからである、結構険しい山岳地帯だすると小型の馬の方が上るにはいいとなるからだ

日本の馬は大型である、だから落馬で相当死んでいた、高いから落ちたら大けがするからだ、馬はとにかくなじみがなくなった、馬が活きる場所は競馬だけになったからである
ただこの辺では馬に親しむ場所として残されている
だから競馬と深く関係しているのである
馬が今現実に活きているのは競馬だからである、そこで馬体を見て馬の良しあしを判断したりしているから馬が活きている場所なのである
その他は馬とほとんど関係していないのである

ただなぜ地元でも野馬追いが盛り上がらないのか?、外から来た人も一回見れば終わりだとなっているのか?。
それはもともと歴史の忠実な再現であり変えられない、現代的に変えればいいじゃないかと言っても変えられないのである
自由に旗印を作って野馬追い行列に参加すればいいじゃないかと言ってもできないのである、野馬追い祭りに参加できるのは10万人いたとして500騎しか参加できない
相馬藩内では極わずかの人たちしか参加できないとなっている
だから何か地元でもただ見るだけであり毎年見ているとあきる
それで地元自体が盛り上がらないとなっている、他の人たちはただ見ているだけだからである、ただ野馬追いに出る人は侍になった気分になるから気分いいとなる
それで野馬追いに金がかかっても出たいなっている

だからこの辺は馬と関係あるのだから馬に親しむ地帯にするということはある
それでこれも問題だが小高とか浪江では田んぼが草ぼうぼうとなって放置されている
すると何に利用するのかとなると牧場にして馬を飼うのがいいかと想像したりする
これもまたありえないとなるがただ歴史的にはそういう場だったから想像する
何か馬を活かす方法があってもいいとなるからだ

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野馬追行列が鹿島区(北郷)を行く


野馬追行列が鹿島区(北郷)を行く

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先駆けて馬二頭走る青田風

蔵に映え騎馬武者行くや藪甘草

母衣(ほろ)赤く青田に映えて鷺白し

いななきぬ馬の活きにし野馬追に


宇多郷(相馬市)と北郷(鹿島区)が合流するのが海老原氏の家である
そこから本陣の農協の方の広場に集結する
そこで儀式が行われる

だから本陣と海老原氏の間は先駆けて馬が行ったり来たりする
その時馬が走るから青田に映える、だから知っている人はあそこが撮影ポイントなのである
野馬追いは年に一回でありすると写真をとる機会が一回しかないのである
だからいくら来年見れるとしても一回だから写真がうまくとれないのである

今日は昨日松川浦に行って疲れた、やっと行ってきて写真をとった
騎馬武者でも自然の中で映える、街中だとごちゃごちゃするから映えない
時代劇のロケ地のようにあそこが撮影ポイントなのである

今回は蔵がありそれを背景にして騎馬武者が行く、蔵には紋があるふさわしいともなる
古い農家は蔵を必ずある、だから古い家かどうかは蔵があるかで判断する

いづれにしろすぐに行列は終る、それでいい写真がとりにくいのである
今回は山を背景にして撮ろうとしたが自動車会社とか映ってこれもうまくいかなかった
赤い母衣(ほろ)は大将である


posted by 老鶯 at 14:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

真野川の河原で野馬追いの旗取り (野馬追いに参加した数の出身地の分析と津波のこと)


真野川の河原で野馬追いの旗取り

(野馬追いに参加した数の出身地の分析と津波のこと)

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近くにも但野(ただの)氏がいた
とにかく鹿島区では只野、但野・・・が多いのである

真野川の河原での旗取り

御家は小高から移った人の旗印ーこれは新しく作ったのか?
あとは只野氏の杉の紋と天皇の菊の紋は由来がわかっている


今日は真野川の河原で旗取タをしていた、ここに集まるのは鹿島区(北郷)である
でも(御家)とある旗は小高の人なのである
原発事故があり避難して鹿島区に移ってきた、ただ旗帳には見かけない
すると新しく作った旗なのかとなる  


江戸時代に入ると、特定の大名の家臣団あるいは大名を加えた藩全体を「家中」と呼ぶようになった。むしろ、江戸時代の儒学者が中国の封建制度に倣って用い、明治政府の成立後に公式の用語となった土地統治に由来する「藩」よりも、人的結合に由来する「家中」の方がより広く用いられていた。例えば、伊達家によって治められ仙台城を中心とした地域を統治していた藩や藩士のことは、「仙台藩」「仙台藩士」ではなく、主家の名により「伊達家御家中」という表現が用いられ、また国持大名であった伊達家は徳川将軍家から「松平姓」を与えられていたため、「松平陸奥守様御家中」とも称された。ここでいう「松平姓」も、幕藩体制を本来松平氏の惣領でもあった徳川将軍家を惣領とする擬制的な家組織とする観念から与えられたものである。

給人とは、藩主から知行・俸禄を支給された武士を指します。相馬中村藩の給人は2区分され、城下にあって直接藩の用を勤めている府下給人(御家中・麓給人)と、通常百姓をし、戦時に兵役にあたる在郷給人とがあります

藩というときこれは明治以降に用いられた、江戸時代までは御家中である
藩は地理的区分としての藩を意識するが御家中という時は人的結合を意味している
つまり家が発展して城となった、城は家なのである
相馬藩だと今の相馬市の中村村に城を作ったから中村御家中となっていた
だからおそらくこの(御家)は鹿島区に小高から移り住んで侍出の人が新しく作った旗だとなる、なぜなら旗帳に出ていないからである
由緒ある家なので御家という旗を鹿島区に移り住み作ったのかとなる

他は只野氏の杉紋とか前にも書いた、とにかくこの辺では只野の姓が多い
その由来は書いた、南北朝の争いの時霊山城が落城したとき落ち延びてきた末裔が只野の姓なのである
その元は郡山の近くにある多田野村だったのである
それから桑折氏とか菊池氏とかもそうである、その紋は天皇の菊の紋である
南北朝の争いの時二人の天皇をたてて争ったからである
だから鹿島区(北郷)の旗印でこのことはわかっている
そして山王神社とか日吉神社は南北朝の争いで落ち延びてきた侍が護持したものである
鹿島区の江垂(えたり)の小高い山に中館を構えて住んだ
玉野村で鹿島の真野と相馬市に方に行った人が分かれた
それで山上には山王神社があることでわかる
そして野馬追いに参加している地区ごとの人数をみるとわかることがある
                               
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なぜ北郷(鹿島区)と中郷(原町区)がほぼ同数なのだろうか?
それは北郷はもともと相馬氏が入って来る前に在地の勢力としてあった
相馬氏進出の径路で書いたように相馬氏はまず小高から入り城を築いた
その時は行ったのは八重米であり太田神社のある地区であり小高区に入った
原町の場合は海側に泉氏とか在地の勢力が存在しては入れなかった
牛越城の位置は海から遠いからである
そして深野(ふこうの)にも在地の勢力がいては入れなかった
なぜならそこに館とつく地名が二つもあるからだ
館とか盾とつく地名は中世の地名であり城の役割を果たしていた
それで鹿島区(北郷)でも相馬氏は小池から進出して中村(今の相馬市)に進出したのである
海側には入れなかったのである   

そこでなぜ相馬藩で400年前の津波のことが400人溺死としか記されなかったのか
その原因がその時こうして相馬藩が進出するときであり支配下に入っていなかった
まず相馬氏が完全に支配できていなかったのである
その時中村に今の相馬市に城を築いたのである、そこは伊達氏の領域であり海側は在地の勢力圏内だったのである
それで津波のことは詳しく記されなかったのである
そして学者の研究で400年前の慶長三陸津波の前後で米のとれた石高が三分の一くらいに減っていたのである、それが大きな証拠となる
海側に在地の勢力があり海を通して交通もあった、でも津波でその海側の勢力がそがれて相馬氏の進出に有利に働いたのである、つまり津波は相馬氏の支配にとって都合いいものだったのである
他にも津波の影響でそうなった地域があった、戦国時代とかなる敵の不利になることがつけ入ることになっていた    

その後善次病死して棺を出す。時に大原村の森の方より黒雲持ち上がり棺をつかんで
雲中に入る。宝蔵寺の僧これを聞き走り来りり七重の袈裟を雲中に投ず。
声ありて曰く、「おいか」と。

棺おく雲散じ空晴れてこれを葬るという。是の世に希有のことなり。  
知らず「おいか」とは何の言なるか。    

なぜここで大原なのか、海老村と大原は遠い、でも相馬氏が進出したのは八重米坂から太田神社から小高の方である
原町となると海側ではない、大原は相馬市が深野をさけて進出した 
そこから小池を回って中村へ(相馬市)へ進出した、そして柚木が八沢浦と接して宇多郷になっている
その辺に津波の伝説が残っていることが不思議なのである
そしてなぜ海老の大工の善次が

その後善次病死して棺を出す。時に大原村の森の方より黒雲持ち上がり棺をつかんで雲中に入る

大原の方というとき相馬氏が進出した場所だった、何かその時中村に相馬氏が牛越城から移転して城を築くというとき天守を造るというとき大工の善次は相馬氏から要請された、そこで在地の勢力下にあった善次は拒否もできずに苦しんだ
その時津波の被害が海老にあったからだったのかともなる、その怪異は津波の被害を語っているかとも推察した
海老には寺の関係とかで二つの館があった、今でも屋形という地名は残っている、そこは海老ではないにしろ在地の勢力があった地区である

相馬氏より先に岩松氏が鎌倉からきて北郷とか相馬藩内を支配していたからである,相馬氏より岩松氏が先住者として支配していたからである、その岩松氏は鹿島区(北郷)を根拠地としていたから相馬氏と対立していたのである
ただ岩松氏は一家が四天王という家臣に子供まで惨殺されたのは有名である
だから野馬追いに出る人の数が原町と北郷で変わらないという時北郷が大きな力をもった地区だったとなる、小高の倍もあったからだ原町は広い範囲だから今から考えると雲雀が原があり何か力関係では侍の数でも同じだったとは思えないからだ
でも雲雀が原辺りに原町村とありそこから野馬追いに一騎しか出ていないのである、あの辺は広大な野馬追いのための牧であり野馬土手で囲まれていた、人家はほとんどなかった、この野馬追いに出る騎馬の数はそういうことを物語っていたのである
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なぜかわからないけど相馬市の松川浦から諏訪神社が相馬市内に移動しているし磯部の豪族の佐藤氏も鬼越城に移動している
それは慶長津波の前のことである、これも謎なのである、そして相馬市の諏訪神社に津波で舟が流されてきたという伝説が残っていたのである、小泉川を津波がのぼってきたのか?ただボーリングの調査では相馬市の奥まで津波がおしよせた痕跡が砂が発見された
しかしそれは貞観津波のものだったというから津波の唯一の証拠はその前と後で三分の一も石高が激減したことである
それは海側が津波で被害が甚大だったことをの証拠なのである、海側もかなり開拓されて田んぼになっていた
それが根こそぎ今回の津波の被害で大打撃を受けた、ただ田んぼだけではない、それより海上交通がありそれで財を成したともされる

小高には蔵院とかありかなり大規模に海上交通で商業がありそれで財をなして力をもっていたからである
それが津波でそがれてしまったとも推察できる
海側は意外と昔は魚でもまた海上貿易があると栄える素地をもっている、その延長としてこの辺は原発がたち一時は栄えたとなるからだ、海側にはそういうものが作り安い、松川浦とかでも今はガスの輸入の基地となっていることでもわかる
これからの発電はガスだというとき新地はそれで仕事ができて発展が望まれるというのもそのためである  

posted by 老鶯 at 18:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2019年07月28日

野馬追い(雲雀か原へ―写真)


 野馬追い(雲雀か原へ―写真)



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首のところにも飾りがある
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この菊の紋の旗は小高である
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こんな旗印があるのか?
勝手に旗印は作れないのだからこういうものもあったのか?
それにしても変だと見る

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これは大きな角である


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この二つの丸の旗は深野(ふこうの)で見た

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軍配の旗がある、これは金沢で見た
でも下高平として出ていた



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雲雀が原に入る

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未来の騎馬武者

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集まりて馬もいななきいきりたつ人馬一体に打ち進むかな

雲雀が原到着の声高らかに打ちつづきける旗の波かな

相馬武士旗に誇りや気合入れ雲雀が原に集結するかな

真日さして旗あざやかに入りまじり雲雀が原に参りけるかな


今日は暑かった、前の原高があったところに馬が集まり雲雀が原まで行列になる
そして行列の一番最高潮になるのが雲雀が原に入る時である
この時騎馬武者が興奮して気合を入れて口上する
これは見ていても興奮する場所である

今回注目した旗は金沢で見た軍配の旗だった、それから小高から出た菊の紋の旗だった
三種類の菊の紋の旗があった、私の持っている旗帳では色がついていないのでわからなかった、青と黄色と赤があった、赤があるのははじめて見た
これは南北朝のとき天皇が二人になり争った、それで鹿島区の真野に落ち延びた侍の子孫なのである
ただなぜ小高かからこの旗が出ているのか?
それはその後その子孫が移動してそうなった
そういうことは江戸時代300百年もあるのだからあった

村ごとに騎馬武者が出たとしても中ノ郷(原町)は太田神社になっていた
でも石神から出たとか大甕の騎馬隊とか説明があった
私が今回見た金沢の軍配の旗印は下高平として説明されていた
金沢にはそもそもなかったものなのだろう

雲雀が原での旗取りは見なかった、暑いから嫌なのである
ただ今回は外から太鼓を演じる人を呼んだ、そうなると雲雀が原に太鼓の音がひびきわたる、野馬追いと一体となってひびきわたる
だから神旗争奪戦を見た方が良かったとも思った
やはり野馬追いだけではいつも同じであり盛り上がらないから今回は太鼓演奏のプロを呼んだのは良かったとなる
ただ演奏を聞いていないので残念だったなる

ともかくインタ−ネット時代になるとみんな記者になる
それで常に何かを見て写真をとり報告する、その時どういうふうに報告するのかが問題になる
どうしてもいい写真をとるとか何か話題になるものを探すとかなる
一目にひくものを探すのである
今回は太鼓演奏が人目をひいたかもしれない、それを見なかったので報告できなかった
記者になることはただ受動的に見ているのとは違う、積極的にかかわることなのである
そこで一億総記者になったのである

posted by 老鶯 at 17:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)