2019年07月06日

半導体で韓国との対立激化の深層 (韓国にリーズンがあるのか?)


半導体で韓国との対立激化の深層

(韓国にリーズンがあるのか?)

韓国となぜ日本をこれほどせめてくるのか?国際法的には戦争のことは解決したとされるそういうこととは関係なく執拗に謝罪を要求して日本から賠償金を得ようとしている
何を目的でそうしているのか?金なのかとなる
日本は攻めやすいから攻めてくる、日本に謝罪させることで頭を下げさせて優越感にひたるためなのか?
戦争という力の争いの前にリーズンの言葉の争いがあると林秀彦を外国経験から言う
日本にはリーズンがない、リーズンを理屈を言う人が嫌われる

智(ち)に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈(きゅうくつ)

これが日本人である、何か対立をさける、狭い村とかの中で何千年とたきいして争いもなく暮らしてきた、世界史では民族と民族が争い根絶やしにされるか、奴隷にされる熾烈な歴史である、そこで言葉も武器でありリーズンにこだわる
物を買うのでもリーゾナブルだとして納得する、ただなぜ安いのか高いのかと問いつめないのである、外国人旅行者は白人は無駄な金を払わない、リーゾナブルでないと払わないのである

そして日本人はなぜなのか、リーズンを追求しない民族だ林秀彦は言う
question→quest→requestになる、questは追求するという意味である
欧米人はquestionからquest(追及する)ということが非常に強い民族である
だからこそ科学が進歩した、そこでは常になぜなのか?という問いがあり科学が進歩するからだ
日本人にはこのなぜなのかという問いがない、考えない民族だとしている
それは原発事故でもこれだけの大被害があったのになぜこんな大事故になったのか?
なぜなのかということを追求しない、私は追求してきた
ただ科学的なことがわからないから追求しにくかった

なぜ戦争になったのか?

なぜ敗北に至ったのか?

誰に責任があるのか?

なぜ原発事故は起きたのか?

誰に責任があるのか?

そういうことが原発でも明確にされていないのである、そして誰も戦争と同じように責任をとらないのである、なぜならなぜそうなったのかそれを追及しないからである
事の成り行きだともなる、自然に起こった、自然の災害だったとかなり誰も責任をとらないのである、それは人間の責任ではなく自然の責任だとしたら人間に責任はないとなるからだ、ただ原発事故は確実に人間の責任があった、でもそれも追求されないのである
結局戦争と同じくみんなに責任がありみんなに責任がないとなってしまっている
それはリーズンを追及しない民族だからと林秀彦は言っている

だから韓国がなぜ日本にそれほど請求するのか、謝罪を要求しつづけるのか
そこにリーゾナブルなものがあるのか?
ただ自分自身もそうしたリーゾナブルを追求できない、勉強していなからだ
でも韓国でも日本でもリーゾナブルを無視するようになり力の衝突になるとき危険になるまだリーズンでの争いなら死者は出ないからである
リーズンで解決しないとなると戦争になる、力のみが正義となってしまうからである

たいがいいくら戦争でも時効になっているともなる、戦争のことを言うときりがなくなるそれは日本自体も戦争の被害者にもなっているからだ、原爆がそうである
戦争はみんな被害者になる、日本が加害者というだけではない朝鮮戦争ではアメリカが加害者だとなる、でも韓国は中国とかアメリカには何も言わない、怖くて言えないのである日本だと弱体化したから言えるのである

韓国との関係で複雑なの在日である、この人たちは日本に属しているのか、日本人なのか韓国人なのか?それが明確でない、ただ日本の支配層に食い込んでいるからやっかいである、NHKでもマスコミでも在日の勢力があり支配されていると言われる
在日とは韓国の代弁者であり韓国なのか?でも韓国に還るのが筋だとしても韓国では在日を受け入れていないのである
だから在日とは何なのか戦後70年で明確化して清算が迫られているともなる

そして日本の危機はやはりまた朝鮮半島から起きてくるともなる
そこはアジアの火薬庫になっているからだ
中国がアメリカと対等となりその力もアメリカを上回るとどうなるのか?
中国は韓国と一体化して日本に迫ってくる
その時どうなるのか?モンゴルが攻めてきたとき同じような状態になる
その時アメリカもう弱体化して撤退している
その時日本はどうするのか?そういう危機が迫っている
日本は地政学的に孤立しやすいからである、海に囲まれて守られていた同時にそれが逆に孤立しやすい文明と文化を作ってきたからである
アメリカは離れすぎているから頼りにならない、また離れすぎていて相互の交流がなく戦争になった

中国と韓国はつかず離れずの距離でありむずかしい関係にあった
とにかくアメリカが日本から撤退する時どうなるのか?
北朝鮮と韓国はその時統一する、なぜなら中国がかかわりそうなる
アメリカが日本から撤退すれば必然的にそうなる
そして日本は孤立して共同する国もないのである
今度は中国の属国ともなる、つまり朝鮮半島の関係は必ず中国が背後にあって中国との関係ともなる
それは古代からそうだったのである、百済の興亡がそうだった
韓国は古代から統一されていない、分離した国だった、それは大陸につづいているからそれで統一が保てないのである、大陸から異民族が押し寄せて蹂躙されるからである

いづれにしろ韓国がやっかいなのは中国であれロシアであれアメリカでもかかわってきた大国の対立の場になっていたことである
朝鮮半島はそうした大国の圧力の中で引き裂かれた国になった
それが日本でも小国化すると大国によって中国とかロシアによって分断されることもありうる、戦争に負けたとき日本国土が分断される危機があったからである

だから国際政治で日本の危機がまた迫っているのかもしれない、日本には戦後平和を享受してそういう危機感は喪失した、日本人の一体感すらなくなった
ただあくことなく利を求める民族になった、猛烈な企業戦士となったのもそのためであるそれが戦争に負けたものとしてアメリカに対抗するものとしてそうなった
日本の国威高揚するものは経済でありそれしかなくなったのである
そうなった民族が戦前のように全国民一体となれるのか?
天皇でも戦後の天皇は平和の象徴でもあった

そして何か話題なる時、平成天皇なら美智子妃との恋愛とか結婚だったのである
テニスの天皇だったのである、天皇から日本の威厳など何も感じなくなったのである
それは戦争に負けた結果としてそうなったのである
でも天皇は日本の国の歴史と威厳をもつものでありそういう私的な身分ではない、公のものである、ただそもそも戦後は日本の公(おおやけ)は喪失した
ただ利を得ることしかない、官僚でも政治団体でも会社でもカルト宗教団体でもすべて利を求めて画策しているだけなのである

はたしてそういう国が独立して日本の威厳を示せるのか?
国民も金と享楽しか求めていない、惰弱の民となったのである
そんな国民がとても戦争に耐えられないだろう、戦う意志もなくなっている
だから「日本は奴隷になった」と林秀彦が痛烈に日本をこきおろしたのである

ただ今回は日本も具体的に抵抗の意志を韓国に示した、これは結構大きな決断だった
実際会社の経営にも影響するし国民にも影響するかもしれない
日本の尊厳を保つために韓国に日本の意志を示したから今までにないとを決断したとなる日本は戦後70年過ぎてようやく独立国家として再び立つときが来たとなる
でもそういう覚悟が惰弱化して日本国民にあるかとなるとない
今回の決断はそういう惰弱な日本から独立国家としての威厳を保つ方向に舵をとったともなる、でも国民にはそういう意志は覚悟はまだないのである 
だから一気に日本が他国に蹂躙されてしまうかもしれない、その発端になるのが朝鮮半島なのである


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2019年07月07日

日本の高齢化、世界の高齢化で戦争ができない (中国も韓国も高齢化になっている)


日本の高齢化、世界の高齢化で戦争ができない

(中国も韓国も高齢化になっている)

この高齢化は20歳代の隊員が大幅に減ったことが主因である。さりとて、わが国は社会全体で少子化である。若年層は産業界にとっても労働力として貴重であり、自衛隊員だけ若年層を増やすわけにもいかない


平均年齢は31.8歳から35.9歳に上がった。現在士の充足率は73.7%で、頭でっかちの年齢・階級構成になっているのだ。
このままいけば、前線兵士が少ないのに指揮官は多いといういびつな構造がさらに強まりそうだ


高齢化いうとき日本だけではない、中国の高齢化がより深刻になる、数が多いからだ
自衛隊の高齢化もある、若い人が入隊しない、日本も戦争の終わりころは戦地に送る兵隊がいなくなり40才くらいの人まで招集されたのである
それで相馬市の40歳の人が戦地で戦った
そこで子供がかわいそうだとして恵んだとかいうのはその人も子供をもつ親だったからである
一方で18歳くらいの人が志願兵にもなった、そこで人を殺すことを強いられたがそのことは言わなかった

戦争はどうしても過酷すぎるから若い人でしかとても勤まらない、最も体力が充実しているのは20代までである、30過ぎる相当に体力が失われる
戦争をできるのは20代までの人口が多いというときできる
日本ではこうみると戦争などできなくなっている
40でおっさんとか言われ体力がなくなって力仕事がきついという人がいるからだ
それは中国でも同じなのである

指揮官が多くて兵士が少ない

これも歪になる、若い兵士が多い方が戦争にはいいのである、それは日本の会社でも起きている
若い世代の社員が少なく役職をもった人たちが多いのである、その人たちは給料が高いからかえって負担になっている
JRでも50代以上が多いとかそれはどこでもそうなっている
それで若い外国人労働者が会社に入ってきたとき活気でてきたなとなるのはそのためである
これは世界的高齢化であり日本の高齢化が一番早いのである

今の時代はもう戦争はできなくなっているように思う
ただなぜ第二次世界大戦ということが起きたのか?
それは世界的なものとして発生した
その発端はドイツだった、ナチスが興隆してヨ−ロッパが争うようになりイギリスとドイツが争いそこにアメリカが加担してきた
そしてドイツを見て日本が同盟を結んでアメリカと戦った
その時ドイツは大きく見えたのである、アメリカが大きく見えなかったともなる
その時の時代感覚は今からではわからないからである
ドイツをみて同盟してアメリカと戦って失敗したとされる

白人が確かにアフリカ人を奴隷にした、アジアを植民地にした、南アフリカに強盗団のようなスペイン人が侵略してマヤとかインカはあっけなく滅びた
その前にアメリカのインディアンが白人に掃討されて多数が死んだ
つまり白人の世界への膨張がこうした悲劇を生んだ
その欧米の世界進出にアジアで抵抗したのは日本だったとはなる

ではこれから同じようにカルマとして世界大戦が起きるのか?
米中で戦争が起きるのか?
これは冷戦となって引き分けとなる、それがソビエトとアメリカの冷戦で証明された
ただ小国はベトナムのように犠牲になった
イラクでもそうである、その後中国が台頭してきたときまた冷戦になる
でも戦争にはならない、戦争ができない状態に世界はなっている?
ソビエトでも核兵器で対抗した、もし本当に核の戦争になったら共倒れであり人類滅亡にもなる
すると戦争は互いに威嚇しあう動物でも縄張り争いで威嚇しあう、でもそれが死ぬまでの争いには発展しない、できないのである

ともかく第二次世界大戦のような大規模な戦争は起こしにくい、明らかに第三次世界大戦になったら人類滅亡だということはわかっているからである
すると相互に牽制するようになる、直接の衝突はできるだけ避けるようになる
そこでなんとかバランスが保たれる
ただ大国の回りは中国の周辺国のチベットとかウィグル族とかは併合される
だから日本はそうした小国にならない、もちろん大国にはなれないがそれなりの規模の国として侵略されない国にになる必要があるとは言える

奇妙だけど高齢化が国際関係に影響してくる?
そういうことを考えなかった、でも一番これから高齢化になるのは中国なのである
そうなると戦争でもしにくくなる、高齢化が戦争の歯止になるのも奇妙だとなる
それはクルマ社会でも高齢化になると運転できないとかなり別な交通を望む人が増えてきてクルマが減退する社会になる

血の気の多い若い世代が多ければどうしても戦争でもイスラム国に参加するような日本人までいたようになる
高齢化した社会は国は戦争はしにくいのである
アメリカが日本から撤退しても中国が攻めてくるのか?脅威となるのか?
それが疑問になる、韓国でも日本より高齢化している
高齢化社会になると無茶なことはしにくいのである
高齢化が戦争のブレーキになるというのも奇妙だけどそれだけ高齢化というのは世界的な問題になっている
要するに人類はペストとか細菌で大量に死んだ、そこで人口が調節された
戦争でも死んで人口が調節されたということもある
でもそれがなくなるときと人口が増えるとまた様々な問題が生まれる

高齢化社会というとき深夜に外国人労働者が働いている現場で老人が働いているという
長生きするから先が心配で働いているという
そういう姿を若い外国人が見てどう思うのか?かわいそうだとなる
そういう若い人が激減している日本で戦争だって起こせるのか?
戦争になったら若い人が激減して働く人がいなくなるのである
それは原発事故の避難地域に起きている
若い世代が流出して働く人がいない、介護士もいないから青森に送られている
農業するにも復興するにも若い世代が流出したら復興もできないのである

少子高齢化は中国でも韓国でも日本でも深刻になってくるし日本ではすでになっている
老人大国で戦争はできない、世界でも高齢化するとき戦争できるだろうか?
何か戦争の時代は終わったのではないか?小規模の戦争はあっても第二次世界大戦のようなことが起きるだろうか?
むしろ人類は老人ばかりふえてエネルギーがなくな衰退してゆく
その結果として人口もこれからまだ増えるにしても減ってゆく
人口が産業革命で一世紀の間に爆発的に増えたからである
これは異常であり反動がありこれから人口が減らなければ地球が悲鳴をあげる
ただ人口が増えるという時高齢化で老人が増えるのである
高齢化というということはそれだけ様々に世界的にも影響するのである
人類は縄文時代なら30歳が寿命だったとか若くして死んでいた
それが世界的に寿命が延びることは今まで人類が経験していないことなのである

それで建築現場で働いてる40歳代の人が青森の施設に入れた親がいた、施設に入れたから終わりではなくその他にかかる費用があり困っているという
それに母親は70近くであり腰が悪いとかなんとか体がまともではない
それが介護になったらどうなるのか?
金もないし誰が世話するのか?生活保護も受けられない状態にある
高齢化で介護が大きな問題となる、もう老人は捨てられるかもしれない
それだけの人も金もないからである
団塊の世代が75歳以上になったとき危機がくる
もう世話できないと捨てられる、そんなときとても戦争はできない
ただナチスは戦争するために障害者を始末した
もし戦争になったら老人は邪魔だとかなり始末されるかもしれない
だから中国でも韓国でも高齢化であり戦争できるのかとなる

2019年07月08日

姓と名の由来(世界と日本の相違)


姓と名の由来(世界と日本の相違)


「姓(名字)」を表す英語はいくつかあります。

last name
surname
family name
maiden name:結婚する前の女性の「旧姓」のこと

私はパトリック・ハーランという名前ですが、ハーランというのは、「川の渡り」。だから、ぼくは「パトリック・オブ・ザ・渡り」なんです。ハーラン(川の渡り)に住んでいるパトリックということです

姓名というとき姓と名は相当に違うものである

姓というとき

血統

地域(村)

欧米では血統を重んじるから姓は地域とは関係ない、ジンギスハーンとなればその子孫ということで姓がつづく、日本でも姓は氏姓(屍ーかばね)でありそれは姓(かばね)は死者のことであり父親から姓を受け継ぐ一族に属するとなる

アラブ人に代表されるイスラム教徒は姓を持たず、「名+父の名+祖父の名…」のように父祖代々の名を繋げて名とします。 

スラブ民族の名前の多くは「名+ミドルネーム+姓」で構成され、ミドルネームは通常、父称です。ロシア語では、名をイーミャ(Имя;Imya)、父称をオーチェストヴァ(Отчество;Otchestvo)、姓をファミーリヤ(Фамилия;Familiya)と呼びます

欧米であれイスラムとなると姓はこのように血統である、父方の姓と母方の姓がまじることもある

姓は血統とするとき原始社会になればトーテムである、犬族とか猿族とかいろいろあり
眷属となる、そのトーテムに属するものとしてアイディンティティがあり属することになる
姓にはそういう帰属関係とか所属関係を示している
例えば現代なら会社名が先に名乗られる、大企業の場合は特にそうである
東芝だとか三菱とか日立とか名乗ればそれで一目を置かれる
つまり姓はもともと官位とも関係していたり特別なものとして上から地位あるものから授けられるものとしてあった、

秀吉の正式名は藤原朝臣(あそん)秀吉です関白になるには藤原氏でなくてはいけません

苗字帯刀でも殿様から姓が農民に与えられて武士の格に引き上げられる
だから姓は名前とは性格が違っている

ただでは中国の姓が先に姓が来るのはなぜなのか?

それは中国では家族がそこから派生した一族が強固の紐帯をもっている、今でも政府を信じないときそうである、一族意識が強いのである、するとその一族を現すものとして姓がありそれで団結する

つまり姓が先に来るとか名前があとにくるとかではなく姓と名は別なのである
姓が後ろにきても姓は姓である、名前とは違った性格のものである
だから名前を先にする、ファーストネームとしてもそれは名前である
後にしても名前である、その後先ではなく姓と名前は区別すべきである
ただ名前はその人個人の個性だとなる、姓はその人個人ではない、血統とか一族とかで繋がるものである
だから欧米だと中東でもイスラム系統だと同じ姓になりやすい、名前は違っても姓は少ない、それは宗教も関係してそうなっている
同じ宗教であり同じ宗派として姓を区別する、それは所属する団体がありそれを示しているのである
それで日本だったら現代なら会社名が姓になっても不思議ではないのである

日本ではなぜこんなに姓が多様で多いのかとなるともともと無数の村が姓の基だったからである、つまりわたしはどこどこの村の出身ですということが姓だったのである
だから日本の姓は必ず地名としてある、…村としてある
でも欧米とか中東ではそうした村から発しているのではない、中国でもそうである
だからそれほど姓は多くない、日本は地縁社会であり血統社会ではないのである
村を共同体としてアイディンティティとしていたのである
そして日本国時代が同一民族として血統を同じくしている
民族同士が熾烈に欧米のように戦った歴史がないのである、日本の姓は無数にあるとしても同じ日本人であり姓は日本なのである
欧米とか中東は多様な民族の熾烈な争いであり血統が違う、だから姓は日本とならないし地域名とはならないのである 

パトリック・ハーランという名前ですが、ハーランというのは、「川の渡り」。だから、ぼくは「パトリック・オブ・ザ・渡り」なんです。ハーラン(川の渡り)に住んでいるパトリックということです。

先に血統の姓がきて土地の名がくる、日本だと先に地名が来て後に姓が来るとなる
ハーラン(川の渡り)が姓となる、渡部とかは渡るから来ているからだ、何か輸送する人たちの姓だった

日本がこうして地縁社会であるとき地縁から脱っすることが困難になる
無数の村があってそれらを統一するには強力な指導者が必要になる
今でも無数の姓があるのはそうして地域の村が依然として日本には残っているともなる
でも村社会が希薄になるとき会社名がアイディンティティになり実質姓ともなる
何か姓を名乗っても聞いても現代ではぴんとこない、別に姓を名乗ってもその姓に所属するとは見えない、過去にあったというだけである
姓は形骸化しているのである、それはそういう社会が喪失したからだとなる
家の重みもなくなって核家族とかなったりすればむしろどこの会社に属しているかの方がアイディンティティとなるからだ 

姓では不思議なのはこの辺では岩松氏が鎌倉から移り相馬藩地域の最初の支配者になったところが鎌倉から従ってきた家臣に子供まで皆殺しにされたのである
そのことは今でも伝えられる、それで相馬藩領内に岩松という姓はないのである
それが歴史を語っているのである、ただ現代では外から入る人が多いから姓から何か歴史をたどることがむずかしいのである
なぜ相馬藩内に荒姓が多いのかそれを尋ねる人がいる
それはツノガノアラシトととうい製鉄関係の技術をもたらし渡来人に由来がある
ツノガノアラシトのアラが荒になったとなる
それは韓国の伽耶国から来た人たちでありその一族の系統だとなる

李氏朝鮮とは李氏一族の朝鮮であり相馬氏一族の相馬市とにているのである

1392年に高麗の武将李成桂太祖(女真族ともいわれる[1])が恭譲王を廃して、自ら高麗王に即位したことで成立した。李成桂は翌1393年中国から権知朝鮮国事(朝鮮王代理、実質的な朝鮮王の意味)に封ぜられた。朝鮮という国号は李成桂が明の皇帝朱元璋から下賜されたものであり、明から正式に朝鮮国王として冊封を受けたのは太宗の治世の1401年であった

李という姓があり一族がありそれに属したものがあり国とまでなっている
だから朝鮮は中国なのかともなってしまうのである

そして日本の天皇には姓がない!

それはなぜなのか?つまり姓とは何か一族に所属することである、李氏朝鮮がまさにそうである
天皇に姓があれば特定の氏族に所属することになる、そうなればある一族が日本の支配者だとなる
でも姓がなければどこの氏にも所属しないから日本の王だとなる
ただ姓がない王様は世界にはないだろう、必ずヨ−ロッパでも誰かが大きな一族が支配者となる
だから姓がないということありえないのだ

いづれにしろ何でも言葉でも常にその背景となるものが実質が失われると言葉も廃れる、戦前の言葉が国体とか天皇でも一体化していた言葉は失われた、通じないのである、それはその実体となるものが失われたからである
でも人間社会でも人間そのものの本質は変わりない、それで(無常)という言葉は今でも活きている、人間が老いて死ぬのも無常であり人間社会がこの辺でも津波だとか原発事故で急激に変化したように(無常)を身に染みて感じたのである
だから無常の世界は変わらないから言葉も活きつづけている
でも死語となる言葉が多いという時社会が変わってそれが通用しなくなってしまうからである

確かに会社名が現代にふさわしいとしても会社自体が盛衰があり現代はそれが激しい
銀行すらなくなるというときもそうである、そうすると会社名にしてもそれは永続しないともなる、それは何か無数の姓がその実体を失ったと同じになる
原発に屋号があり屋号は会社名だった、私の家は元は酒屋であり屋号があった、屋号は山村でもある
私の家は酒屋の暖簾分けした屋号だった、大きな会社から支社とも言える
そして姓より屋号でその家の人が呼ばれるのは生活の実態が屋号の方にあったからである
姓には生活の実態は消失しているのが多かったからである
とにかく権力とか権威とかも常に変わる、徳川といえば日本を支配するものとして300百年あったが今ではない、徳川というと何か珍しいともなるのも不思議である

とにかく名前は個人そのものである、だからファーストネームで話すときは姓のことが眼中にない、その個人を相手にしているとなる
でも姓を語ればそれは長い歴史を背景にしているとなる、それは必ず外国でも日本でも歴史なのである
姓は受け継がれるからである、ただ名前にしても相馬氏だと胤(たね)という字を必ず入れているから受け継がれている 
そして相馬氏というとき相馬氏一族によってし支配された国だとなる
それは明らかに歴史なのである

ただ日本だと最近は外国性とか名前とか混血したりしてでてきた
でもヨ−ロッパとかと違って単一民族であり姓が多いとしてもやはり日本人だとなる
なぜスリランカでフェルルナンドとい人がいるのか、そのフェルナンドはポルトガル人の王様の姓なのである、それは大航海時代にポルトガル人が一部支配してその姓となった
そういうことは外国では多い、人種が入り混じっているからである
だからフェルナンドの姓は多いのである、フェルナンドの王様の臣下ともなる

ポルトガル語よりもイタリア語のほうがスペイン語に近く、スペイン語ネイティブでなくても理解できやすいと思います
関西弁の人と秋田弁の人が会社の会議の話し合いや討論などはできますが、スペイン語とポルトガル語では無理です。
似てるとは言え、やはり違う言語です
メキシカンの友人とポルトガル人の友人がいますが、彼らはお互いが放す時には英語を使っています 


ポルトガル語はスペイン語やイタリア語などと同様、ローマのあったラティウム地方(Latium)で話されていたラテン語に由来する言語です。

ラテン語は、ご存知の通りローマ帝国の領土拡張に伴い、欧州全域に普及しました。現在のポルトガルとスペインがあるイベリア半島にラテン語が到達したのは、紀元前3〜2世紀のことでした

文法的には、ポルトガル語は古ラテン語を基礎としています。この点で、より新しいラテン語を基礎としたイタリアやガリア(現在のフランスとスペインのある地域)とは異なるのです。


ポルトガル語よりもイタリア語のほうがスペイン語に近く....とあるのはそのためである
ポルトガルはそれだけ古い土地だともなる、ラテン語の古語を基にしている、それは不思議に沖縄と青森に日本の古語が残っているのと似ている、辺境に古いものが残る

津軽弁に「てぎ」→「面倒」の意→「大儀」(漢語の転)

   沖縄の方言

ラテン語の古語がポルトガルに残っているということはこれとにている、何かヨ−ロッパの歴史でも日本の歴史と共通性があるとわかりやすくなるのである、ただ今はどこでもブラジルでも英語で話ししている、コミ二ケーションしているというときやはり底辺労働者でも英語を学べというときそういう人たちが英語を話しているからだとなる
ともかく名前一つからも地名一つからも歴史をたどると興味深いとなる
ただ外国で日本の姓を名乗っている人はいない!
それだけ日本は国際的に孤立していたとなる、国際性がそもそもない歴史だったのである









2019年07月09日

今を反映している一田舎の生活状態 (困窮者が増えて閉塞感が強くなる時代)


今を反映している一田舎の生活状態

(年金不足、介護、高齢化、外国人労働者 地銀の危機)

一人の困窮者がいる、その人の息子は40くらいで建築関係で働いている
独身である、非正規というのではなく会社に勤めているとはなる
その息子の父親は介護状態になり南相馬市では介護士不足で世話できず青森に送られた
その後も安いとしても金がかかり嘆いている
その母親はもともと困窮していた、だから余裕がない
そして腰が悪いとか体も悪く70近くになっている、でもどうして相馬市まで普通の自転車で行けたのか不思議である                   

草取りするとかがむので腰をいためることはある
その女性が畑をもっているがその前の人は腎臓悪くして死んだ
隣の畑は家の人に車で乗せられて這って畑仕事していたができなくなって荒地になった
隣と前は荒地になった、この辺は震災以後原発事故にもな耕作放棄地が増えた
多少は回復しても田畑を維持することをあきらめた人が多い、高齢化もある

何か不思議なのはネパールの女性が三人ほど福装で働いている
その人が良く土手の道を通る、ネパールの男性の人がホンダで修理工として働いていた
それげ日本に長いから奥さんを呼ぶと言っていた、4000メートル級の所に住んでいるから驚く
他にベトナムとかから来ている、仮設の食堂していた人は中国人の女性と結婚して店を切り盛りしていた
この辺は外国人が多いという時、まだ震災以後原発関係の仕事がある
それでベトナム人が知らずに除染関係の仕事をさせられて問題になった
中国人に連れられたきたベトナム人を駅でみかけた
中国人がそうした外国人労働者の手引きをしている

困窮している老いた女性がパンクした、そのパンク代が払えない、それで金をせびりにくる、今はつけで物は買えない、その人は昔のようにその日暮らしである
最底辺なのである、老人で年金をもらえずそういう人が増えている
その自転車屋にしても病気であり60越えていたから年だった
技術的には若い人が今に適応しているからいいという
でもどこでも年寄りが多くなっているのだ、そしてその人も跡継ぎがいない
娘はいても東京とかにいる、そういう人がまた田舎では多い、もう一人の人もそうだった跡継ぎは中小企業でもいなくなり農業でも漁業でもいなくなり続けられないとなっていた相当な中小企業が日本からなくなりGDPを引き下げるという

そうして同級生でも二人が脳卒中になった、一人は足が悪くなった
その人は一人暮らしである、弟が一週間に一回来ている
一人暮らしの人も増えている、自分自身がそうであり不安になる
団塊の世代は75以上になると病気になり介護する人が増大する、しかし世話する人手がたりない、いい施設があっても人手がないから青森に送られる

地銀がきたが地銀がすすめた投資信託はもうけることはできない、かえってリーマンショックのとき半分に減った株を元にもどして上がる時投資信託に銀行員が回して損した
銀行員はもう地域で用なくなってくる
投資先がないからそうして銀行では絶対損しない投資信託をすすめるのである
これは手数料が確実に入るおいしい商売なのである
また転売するとまた手数料が入ったり売ったり買ったりするとそこで額が大きいと手数料が入るのである、銀行はもうかつての銀行ではない、銀行員は大手もやめている
それは資本主義がゆきづまって終わりに来ている象徴でもあるのかとみる
大手のメガバンクの銀行員が仲間からやめる相談を多くの人から受けているという
銀行はもうその用がなくなりつつある
そうなると銀行自体が害になってくる、なんとかもうけを出そうとしてあこぎなこともしてくるから害になるのである
大企業でもリストラされる時代になっているからもう安心して終身雇用などなくなるのである

ともかくこの状態は現代の日本の状態を象徴して自分にも起きていることなのである
日本は閉塞感が強くなり外国に働きに出る人も増えているという
そして経済的には江戸時代にもどってくるのかもしれない
服のお直し屋さんがはやっているという、新しい服を買うのではなく直して使う
その技術も高いので直しても使えるという
それはリサイクルとか江戸時代にもどることである
そういう経済感覚が時代を変えてゆく、ミニマム生活とかもそうである
大量生産大量消費の時代は終わる

この情報をyoutubeで得たということが自体が情報環境でも変わったことなのである
もうテレビでも新聞でも雑誌でも情報の主流となる時代は終わったのである
youtubeでは個々人の経験を語っているからである
こうして自分自身が自分の状況を語っているのもそうである
そこに今の社会が如実に反映されている

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posted by 老鶯 at 08:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2019年07月10日

中国の脅威は世界史の逆行なのか―文明の衝突なのか? 〈古代中華帝国の再興に従えない世界)

中国の脅威は世界史の逆行なのかー文明の衝突なのか?

〈古代中華帝国の再興に従えない世界)


脆弱な内面があると同時に、中国は世界規模の大国になろうとした過去がありません。植民地を持とうとしたこともなければ、他国を支配しようとしたこともない。そしてまた、普遍的な文化を持とうとしたことすらないわけです。普遍的な大国にならずして、世界の超大国になることはできません。

中国に「世界の超大国」になる資質はない
"米中大衝突"が世界に与える悪影響

中国共産党がスローガンに掲げる「中華民族の偉大な復興」である。中国は偉大な過去の栄光を取り戻そうとしている。過去の栄光とは、東アジアに君臨して世界の超大国であった19世紀以前の中国である。中国共産党によれば、19世紀以降、帝国主義者たちは中国に対して侵略戦争を行い、広大な中国の領土を略奪した。習近平・中国国家主席が唱える「中国の夢」とは、偉大な中国を取り戻すことである。

アメリカが、中国と「文明の衝突」か「新冷戦」か「貿易戦争」、あるいは「戦略的競争」を進めている時代において、日本はあらためてアメリカに日米同盟の価値をアピールする機会を得ようとしている。


中国が脅威になる、テレビでも今日中国が太平洋のハワイまで拡大する戦略にあることを知りオーストリアとかが警戒しはじめて具体的に抵抗してきた
それは日本の太平洋戦争とにている
中国とアメリカで太平洋を二分する戦力を具体的にしている
南大平洋諸島に金をつぎこんで勢力下に置くことをしている

中国の台頭は何を意味しているのか?
これを考察する時人類の歴史をふりかえりそれが何を意味しているのかを問うことが必ず必要なのである
つまりこれは世界史の問題だからである
それで参考にしたのが「現代が受けている挑戦ートインビー」という本を参考にする
ここで語られているのは国家主義の歴史である
それは最古の文明の発祥地から楔形文字を発明した中東地域から始まっていた
ただここは複雑でめんどうなのでエジプト文明を見れば具体的にわかる
これも国家主義である、地方の神がありやがて一つの神に統一される
エジプトにも日本のように八百万の神があり地域地域は分裂して統一されていない
それがやがて一つの神にファラオに統一されてゆく
それはエジプト国家の形成になる

そうして一つの文明が大国家が帝国が形成されるときそこには必ず科学技術とかがかかわり神格化される、そこに理系的な技術者がいて神官となる
それはインカとかマヤ文明でも同じだったのである、例えばなぜヨ−ロッパの石の大聖堂を作った石工のギルドがフリーメーソンとかの結社となり世界の指導者がその信者だという時もそうである、そこは秘密結社となっている
それは神官であり力をもったのである、エジプトの神々の像であれピラミッドを作るのには相当な技術力が必要になっていたからである
つまり大国家を形成するには科学技術が不可欠なのである
それは現代でも引き継がれている、この辺で原発を作り従事した人たちはエリートであり神官だったのである、科学技術者は聖職者になったというときもともと治世に科学技術は不可欠だったのである、今でも医者だけは神のように尊敬されているから同じなのである

宗教というとき文明でも巨大な事業を灌漑とか神の像とか巨大建造物を神殿とかを作る技術が生まれたとき権威をもつようになった
そしてそこでは王は神格化される、ファラオとなるのである
それは現代でもその歴史は継続されているのである
エジプト王国がありペルシャ王国がありローマ帝国がありイスラムのオスマン帝国があり中華帝国がありと継続されているのである
アジアだと仏教もそういう働きをしてきた、それは華厳教などの政治思想がありそれが中国でも採用されたからである
日本だと大和王権が日本を統一するために奈良のルシャナ大仏が創建されたのである
その前に巨大な古墳もやはりその地域地域の統一するシンボルだったのである
つまり国家を形成するにはそうした巨大な建造物が不可欠なのである

だから人間はそういう歴史を継続してきて今日に至っている
中国でも同じである、最初は始皇帝が世界国家を形成した、西域で異民族を吸収して世界国家となったのが中国である、その時の大軍団が地下に埋もれていた兵馬俑なのである
それはエジプトともにているのである
地下まで大宮殿を作りその権力は壮大なものだったからである
そして王は神格化される、エジプトでも王が神格化される、偶像化される
国家を支配する者が神となるのである、人間はなんらか人格化したもの、人間を神とするとわかりやすいからである、無機質的なものを神にしにくいのである 

ただローマでは皇帝も神格化されるが統治としてローマ法を法の下の平等を一応追求したのである、それが西欧文明の骨格ともなっているから中国の国家主義とは異なるのである
一見今をみれば過去とは全く違ったものであるように見えて人間は世界史的にも同じことを繰り返している、「歴史は繰り返す」とかカルマだとなる
個々人でもカルマをくりかえし国家的にも世界史的にもそうである
国家主義がナショナリズムがなぜこれほど強力なものとしてありつづけるのか?
例えば共産主義でも結果的にはナショナリズムとなりその幹部はソビエト連邦時代に幹部は神格化されたのである
まるで死んだときファラオのようになって葬られたのである
そして中国でも同じである、共産主義があっても国家主義となりナショナリズムとなり
頂点にたつ共産党の指導者が神格化される、毛沢東はすでになっている

それは日本国内でも起きている、創価は仏教をイデオロギーにしているがナショナリズムにもなる、日蓮を見ればわかる、強烈な国粋主義者、ナショナリストだからである
それで日蓮主義が太平洋戦争の時イデオロギーとして訴えた人がいたのでもわかる
日蓮主義はそうなりやすいのである
そして池田大作が教祖が神格化される、それは政治化したときそうなる
エジプトでもそうだったが政教一致化してくる、ローマ帝国でもキリスト教と政教一致化してカトリックが権力をもったのとにている

共産主義は「万国の労働者よ、団結せよ」というときそれは国家を越えるものとして主張されたイデオロギーである、でも実際はナショナリズムとなり政治化して指導者が神格化して偶像化するのである、政治とは科学技術は人間の力を基にしている
科学技術でありまたは人間の数であり経済力であり物量であり軍事力になる
それらの総力が国家主義となり世界国家を目指すのである
中国でも科学技術力がアメリカをぬくとかなるとそうである、通信技術がそうである
ファウィがそうである、アメリカが世界の支配者になったのはそもそも科学技術力だったからである、世界国家になるには科学技術力が不可欠なのである
エジプトでもピラミッドのような巨大建造物を作り技術がありローマ帝国でも水道や道を作る公共技術を張りめぐらす技術力をもったからである

文明という時西欧文明が世界の普遍性スタンダードとして世界史が展開してきた
でも今度は中国が世界をリードする時どういう普遍性が中国にあるのか?
ただそこには有無を言わせない強大な古代と同じ中華帝国が世界を強圧的に支配する
それは西洋文明への歴史が世界史となっていたのを一挙に時代が古代に逆戻りする現象だともなる
文明とはcivilizationである、civilとは市民のことなのである
その市民というものが日本でもなかったし中国にもない、そしたら文明もない
ただ古代の中華帝国の再興であり世界史は古代に戻るのか?
エジプトのファラオ時代にもどるのか?何かそういうことを感じしてしまうのである
中華帝国の柵方体制になるのかとなる、それは歴史の逆行になる

要するに世界国家といい文明といいただ力だけで科学技術であれ経済力であれ軍事力であれそうした力だけで世界国家になれるのか?
中国に周辺国が反発するのはそのためである、西洋文明というときヨ−ロッパの長い歴史から形成されたものでありその西欧文明の挑戦をアジアで最初に受けたのが日本だったのである、それを受け入れるために苦闘したのが日本だった
結果的には世界大戦となり敗北して終わったのである
その時中国はヨ−ロッパやアメリカの植民地化していたのである
日本だけが西欧文明の挑戦を受けて独立を守ったがアメリカに戦争で敗れたのである

中国は最近急に経済力技術力軍事力が強大化した国である、文明という時それはcivilizationであり、civilとは市民のことなのである、パスポートにシテズンとか所属する市の名を書くことはヨ−ロッパ文明のアイディンティティだからである
ヨ−ロッパでは市長のは権威は日本だったら殿様と同じなのである、市の鍵をもっていて市を治める者の権威は強い
そういう市民社会が形成された歴史がありcivilizationがあった
だから西欧文明が世界化したユニバーサル化したとなる、では中国ではどうなるのか?
言論の自由もない、人権もない、ただ古代の始皇帝のような圧制がある、そういうことで周辺国家が従うのかとなる

そして日本はつくづく東西文明の橋渡し役としてあったというとき何か今そうなっている
米中の仲介役の立場になる、でも日本は確かに西欧文明を受け入れたとしても実際は科学技術とかは受け入れたけど西欧文明の真髄たるものを受け入れていなかったのである、西欧文明がキリスト教文明だというときそうである
科学技術だけが文明ではないのである、それは中国でも同じである、科学技術はいち早く受け入れたけど文明はそれだけではない
共産主義のイデオロギーでありそれはすでに通用しないことが証明されたからである
では資本主義がいいのかとなるとそれも行き詰まっている
だから新しい文明を創造しなければならないとなる、それがどこがするのか?それが実は日本だという人もいる
つまり東西文明の融合の使命を負っているのが日本だ内村鑑三は言っていたのである
でもアジアとは何なのか?アジアの文明とは何なのか?
それも明確化されていないのである

アジアでは自らの欲望から自由になることを望む一方で、西洋では欲望を実現するための自由を手に入れることきを望んだのである(ジャックアタリ)

仏教でもそうだが欲望を内面の修行で抑制して自由になる、西洋では欲望を外に向かって求めてアジアに進出したのである
そこに東西の文明の相違があったともなる、だから宗教というのもはもともとアジアから発した
イスラエルもアジアなのである、ヨ−ロッパは地中海を越えた地域だからである
だから最終的にはアジアに回帰するオリエントに回帰する、それが中国の台頭でまず科学技術経済力で欧米を凌駕してゆく
その後にアジアの真の文明の興隆となるのか?
中国が受け入れたのは共産主義のイデオロギーである、それが失敗したことはソ連で証明された
するとそうして古代国家へもどることは世界史の退歩であり逆行だともなる

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中国の地下宮殿の跡

2019年07月11日

かんぽ生命の不正契約問題 (被害者が郵便局員の押し売りの実態を語る)


かんぽ生命の不正契約問題 

(被害者が郵便局員の押し売りの実態を語る)

「私の姑も信頼していた郵便局員に騙され、一時は月に30万円以上もの保険料を、かんぽ生命に支払っていたことがありました。きっとほかにも被害者が大勢いるに違いないとは思っていたのですが、これほどの数とは……、ニュースを知って驚いています」と語るのは、東京都在住の40代主婦・A子さん。

その返戻金で、また新しい契約を結ばせることを繰り返していました。姑は保険の内容について十分な説明を受けていませんでしたが、『郵便局のXさんが“いい保険ですよ”と、おっしゃっているから』と信じ切っていました


これも地銀の投資信託とにていた

まず地銀を銀行を信用していた

高齢者がねらわれた

仕組みがわかりにくいから契約した


私の場合もこれとにた経験をした、まず利子がつかないからと投資信託を進められた
その人は証券会社で働いていた経験があるということで現場を知っているのかと思った
勧誘の手口は

銀行ではもう利子がつかない

では銀行は何でもうけるのか→投資信託がいい

なぜなら投資信託は絶対に銀行が損しない商品だからである
そして地銀などは株とか投資信託でも全くの素人と同じだったのである
まず売れば手数料が確実に入る、投資信託で客が損しようが全然関係ない
銀行は絶対に損しない商品でありリスクをとる必要がないのである
だから売ってはまた買わせたりする、転売するとその時点で手数料が入る

そして最初カナダが石油がとれるからとか国債を買った、後はアメリカの投資信託を買った、それから今度は為替差益で失敗したから日本のリートを買った
こうして売ったり買ったりしているとその都度手数料が入る
あとで定期的に手数料が入るのが投資信託なのである

つまり今は銀行にあづけたらこうして利子がとられる!

かんぽの保険でもそうである、なぜ高齢者がねらわれるのか?
それはこれまでの郵便局とか地銀でも信頼関係を結んできたからである
必ず今でもそうだが一軒一軒回って対面的に信頼を築いてきた
そういう時代は必ず利子がついていた時代だったのである

だから高齢者そうした時代の感覚をひきづっている
郵便局と銀行は信頼できるという感覚である
それは高度成長時代に築かれた感覚なのである
その高度成長時代が終わると郵便局でも地銀でも経営が苦しくなった
もうけることができなくなった

そして高齢者にはまだ金をもっている人が多い

金融資産は60代以上の人に集中している

ではこの人たちをターゲットにして金をとろう

こういうふうに時代が変わってしまったのである
銀行とかに金があっても投資先がないのである、もう資本主義自体がそこでゆぎづまっているのである
資本主義というのは常に投資先がありそこで投資してもうけて株主に分配する仕組みである、その構造自体が機能しなくなったのである
ではどうして収益を上げるのかとなるともう詐欺的商法しかないとなる
つまりオレオレ詐欺のような商売になってしまったのである
これはもう資本主義とかの根幹が崩壊してきているのだ

それはグロ−バル資本主義でもそうである、世界でもそういうことが起きている
経済は成長の限界にきたのである、もう投資して利益だすことができないのである
そういう社会になった時人々そういうことが理解されていないのである
私自身もそうである、まだもうけが得られると思っていたのである
確かに一部の優秀な人は専門家は株とか投資信託でももうけている
それはもう例外的な存在であり大方の人は関係ない世界だったのである
それで金融商品をもっている高齢者はカモにされるだけだとなる

ここ十年で自分が経験したこともそうだった、金に窮した人たちが襲って大きな被害を受けたからである

それで

ブルータスお前もか

地銀もお前もか

郵便局もお前もか

郵便局もそこに加えられたのである、誰も信用できない社会となっている、それだけ会社でも安定してもうけることができない社会になっている

社会は世間は時々刻々変わっている、その変わり方のスピードが速いのである
「無常迅速」なのである、すると老人はそうした変化についていけないのである
つまり郵便局とか地銀はこれまで地域で信頼を築いてきていた
だからまず郵便局とか地銀となると地域の人たちは特に年寄りになると親しみがあり信用してきた、そういう身近なところで信頼関係が崩壊してきている
そういう身近なところで大きな変化があるということは社会自体がこれから大きく変わってくる、大企業の終身雇用すらもなくなりこうした地域の一番信頼ところでも信用がなくなり地銀などは消えてゆくとされる

ただ高齢者は時代の恩恵を受けてきた、銀行にあづけて利子が7パーセントある時代があったからだ、それで資産を築いた人が多いのである
だからこそ地銀であれ郵便局であれ信用されてきたのである
それだけ恵まれた時代だった、今の時代の人は恵まれない
低成長と日本の貧困化社会の中で生きるほかなくなっている
そういうなかで淘汰されるものが増えてくる
それで若い世代は厳しい時代になる、その影響を老人も受けるようになったのである


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a train go through many abstract paintings


a train go through many abstract paintings

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summer river


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2019年07月12日

遊ぶとは神聖なことであり神の意にかなうこと? (利害得失から離れた世界が聖なるもの)


遊ぶとは神聖なことであり神の意にかなうこと?

(利害得失から離れた世界が聖なるもの)

チンパンジーは干ブドウがほしくて勉強しているのではないことを示している。干ブドウにつられて勉強しているのならば、やさしい問題が続いて出される場合が一番いいわけでキーボードを押しては干ブドウをどんどん手に入れることができるはずである。やはり、問題を解く楽しさが、チンパンジーを勉強に向かわせているということなのだ。』
 【河合雅雄著「子どもと自然」岩波新書より】


類人猿は描くことで「作品をつくる」という結果を求めているのではなく、「絵を描く過程」がおもしろく、遊びの延長で描いているのだと齋藤先生は言う。これは、お絵かき帳などに自由に線や点を描く人間の幼い子どもと同じだ。


何かチンパージ―に学習させるのにバナナとかを与えたらかえって学習しなくなった
チンパージ―学習するのはまたゲームをするのはそれ自体が面白いからである
ところがバナナとか与えるとバナナを得るためとなりそこに気をとられて学習もゲームでも遊びもやる気がなくなったという


人間の学習でも動機づけが大事になる、動物でも遊びがありそれは餌をえるためではないただ純粋に遊ぶことが楽しいとか興味があるからだ
じゃれるのでもそうである、でも動物に曲芸とかしこむ、サーカス団とかでそうする
それは強制されてしているのではない、人間は金のために猿を使う、猿にとっては苦痛なのである
遊びそのものもを楽しみ追求するのが動物でもそうであり人間もそうである

人間の特質としてこの遊びが大きな要素にある、ところが子供の頃から純粋に遊ぶということがなく学習がおしつけられるのである
それは大人の功利的なものがあり押し付けられる
大人が親がいい学校に入りいい会社に入りとか自分の子供を自慢したいとか大人の功利的都合で子供を操作するのである
それは動物に芸を覚えさせて見世物とするのとにているのである

「遊ぶ」という語は、「古事記」に天若日子の葬儀の時
「日八日夜八日をもちて遊びき」とあるように
死者の魂を呼びもどすための歌舞をすることである
( 谷川健一)

あそぶとあそばされるとかは死者と関係していた、人が死ぬと遊ぶ存在になる
あそぶとはこの世から遊離して神ともなる
遊離の遊もそういうことになる
遊ぶとはこの世の利害にとらわれない自由な存在になる
死者はこの世の利害とかしがらみとか様々なものから解き放たれて自由になる
あそばされる存在になる、それが遊ぶの意味だった
神はこの世の利害得失から遊離した純粋に遊ばされる存在なのである

この世は常に人間の利害得失のなかにありそこで悩み苦しむ、その利害得失から解き放されることがないのである、それで遊ぶとういことはそういう利害得失から解き放たれることである、死者はこの世の利害得失とは関係なくなる、あそばされる存在になる
だから死者と遊ぶということは死者とこの世の利害得失かは離れてともに遊ぶことだとなる
ただ遊部が葬送を司る集団だというのもわかりにくい、なぜなら遊ぶというとき陽気なものに感じるからである、葬送となると陰気なものになるから矛盾している
言葉は長い間に意外なものに変化していることを示している

ただ遊ぶというときそこは利害得失がない純粋な遊びの空間となるとき聖なるものとなる人間は宗教的に考察してもエデンの園ではただ遊んでいたのである
そこは聖なる空間であり利害得失がない、純粋に遊ぶ空間なのである
子供が利害得失を考慮しないで遊ぶように純粋に遊ぶ場でありその時そこは聖なる場所になる
この世は遊星だというときもそうである、遊ぶ星なのだが異常な勤労の星になっている
それを神は良しとしない、勤労は常に歴史的に奨励された、それはやはり勤労がなければ生きていけないので強いられていたからである、だからすべて勤労がいいとはならない、別に原始人でも祭りがあれほど多いということでもかえって遊ぶ時間が多かったのである、だから必ずしも働くことを人間は好んでいるとはならない
資本主義は時は金なりというときそうした働くことが神に奉仕することだということでそうなった
でも逆に遊ぶということが神聖なことだったというもある
この勤労が宗教までになったのは西洋的価値観なのである、キリスト教を西洋的な価値観で変えたということもある

野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。

しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。


働きもしない、紡ぎもしないとある、キリストが働くことを奨励することを言ってはいない、むしろ否定しているのである
人が働くことは呪われたことでもあった、人間は労働を罰として与えられたとしているからだ
そうししたら労働がない世界がパラダイスだとなる、あったとしてもそれが遊びとなればパラダイスなのである
でも人間社会にパラダイスには永遠にこない、何か矛盾してきて地獄化してゆくのである

この世はあまりにも利害得失で汚されたのである、インタ−ネットでも前は無料の遊ぶ空間的なものがあったが今は世間と同じである
アフィリエトで宣伝でいくらもうけたとか一億円のブロガーがいるとかyoutubeがいるとか話題になり、利益を追求する場になった
その時インタ−ネットでは何ら世間と変わりない場所になったのである
何か芸術でも学問でも遊ぶということがありそれが利害が関係してくるとそこなわれるのである
遊ぶことと金銭は離れるべきだけど密接に結び付く、すると金をもうけることが第一になり本来の遊びはなくなるのである

それでチンパージ―でも学習でも遊びとして夢中になっていたのがバナナをもらうとその方に気をとられて学習でも遊びとして興味をもっていたが興味を失ったとなる
現代社会はその矛盾が大きくなった、あらゆる場所に利害得失が入ってきている
だからベーシックインカムとかはそうして利害得失の入りこめないものとして純粋に遊びを追及するものとして機能するとすればそれは理想となる
結局自分自身の人生は旅に費やしたというとき一生が遊びだったのである
それが無駄がとなればそうでもない、むしろ高度成長時代に企業戦士と働き詰めの人たちが神から祝福されない人たちだったともなる

老人になって趣味もないとか遊べない人間になっていることでもわかる
老人が用がないというとき遊べないからそうなる
とにかく人間は利害得失の世界から離れられない、金から離れられない、金でしか人間と関係できない、遊ぶことができない存在になった
そもそも資本主義に遊ぶとかのは入りこむ余地はない
それで資本主義自体がもう投資先もなくなり行き詰まっているのである
何か最近おかしいのはベーシックインカムとかAIで人間は仕事がなくなるとかいいみんなアーティストになるとかいうのも不思議である
蟻よりキリギリスになれと奨励しているのである

働きづけの人間が評価されないというのも不思議である
働くということは至上命令でありそれからはずれた人は罪人にもなる
あいつは働いていないとか無職だとなると犯罪人と同じにみられるのである
私は20代をのぞいて働いていない、私の人生は遊びだったとなる
でもそれが無益な人生だったのか?
一方で働き詰めで会社人間として働いた人は今でも社畜だとか言っている
不本意に奴隷にされているということなのである
これからの社会が利害得失から離れた社会になるとは悪いことではない
資本主義がゆきづまったのも悪いことではない、新しい価値観が生まれることは悪いことではない、社会はそれで進歩しているともなる

 実力ある人のみ生き残る時代 (銀行員でも弁護士でも医者でも頼める優秀な人がいない・・)


  実力ある人のみ生き残る時代

(銀行員でも弁護士でも医者でも頼める優秀な人がいない・・)

何か頼むにしてもその頼む相手が問題になる、それか人間社会で日常的に起きてくる
大工でも修理を頼んだが直っていなかったが金ばかりとられた
一方で仙台から来たユニットバスを請け負った会社は百万で作ってくれた
それはいいものだったから得だった、ほとんど損した
小高の庭作りしてくれた大工さんは優秀だったから良かった

地銀に投資を頼んだがそれも損しただけだった、第一銀行自体証券会社でないから素人並みである、そんなところに頼んでももうけられはずがなかったのである
ただ適当に客のことなど考えないで投資しただけである
投資したら損しようが地銀では関係ない、地銀には手数料が確実に入るからだ
地銀は一切リスクはとらない、では本当にそうなのかとなるとそうでもない
銀行は信用を失ったしその後に影響してくる
銀行はそんなものだったのかとなり銀行にまかせたら金とられるだけだと警戒するようになる、これが高度成長時代だったら銀行も楽だったのである
銀行に貯金してもらえば利子がつきますよとなりみんなあずけたし銀行は地域では信頼された安定した職場だったのである

でももし銀行員の営業の人でも優秀だったら別である
証券のことを知っていれば儲けさせる確率が大きくなるからだ
でもそういう人は銀行にはいないのである
そうしたらもうけることなどできないのである
つまり証券に株式に通じている人はいないのである
そういう人に頼むことはできない
ただ金持ちはフィナンシャルプランナーとかを個別に雇い投資をまかせる
でもそのフィナンシャルプランナーにリスクがある
損したらもうけがないとかなる、もうけたら一割でも二割でもそのもうけたなから収入となる、だからそれは相当に投資にたけた人でないとできないのである
まず地銀クラスには一人もいない、そういう仕事が地銀の仕事ではないからである

地銀の仕事はyoutubeで今日見たようなことである

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これまで金融庁で中小企業をつぶれないように援助していた、でも限界に来た
そして地銀自体が収益が悪く倒産するということで援助しないとなった
これももう追い詰められているから大目に見ることができなくなったのである

このように中小企業が大倒産の時代になる、その数も多いのに驚く、こんな数の中小企業が倒産してゆくことは確かに地銀にとっても衝撃が大きく地銀自体が倒産してゆく時代だと言っている
それだけ今の地銀は厳しい経営状態にあり先がなくなっているのだ
そういうふうに追い詰められた個人でも団体でも会社でもかかわることは危険になる
もう生き残るために善悪もなにもなくなるからだ
銀行でもゆうちょでもブラック化してゆく、投資信託でも無理やり売りつける
そもそも素人の知識しかないのに売りつける、ゆうちょでも簡保でも不正をしていたというのがそうである
ノルマを果たすために行員に無理やり保険でも老人に売りつけていたのである
老人もゆうちょをもともと信用していたからである

今の経済は社会は身近なところ崩れてゆく、その時モラルもなにもなくなる
事業失敗した人がそうだった、追い詰められているからとても人のことなど考えていられないのだ、そういう人が自分が病気で介護の時来たから最悪だったとなる
銀行もまた同じだった、追い詰められて余裕がないから客のことなど全く考えられなくなっている
オレオレ詐欺のようになってしまう、堅い職業の銀行までがそうなっいることはやはり日本の経済は危機的状況にある、地域の経済でもそうである

交通事故でわからないから弁護士を頼んだ、でも最初に相談料として100万要求された何か事件を解決したわけでもない、裁判になったわけでもない、ただ相談料としてそれだけ要求されたのである
それは仙台の弁護士だったのである、それを頼んだのは親戚だったがこの人も全くあてにならない人だったのである
つまり頼んだ人があてにならない→その人が頼んだ弁護士もあてにならい、金を不法にとったともなる
こうして頼む先があてにならない、信用できないとかなると必ず損するのである

中小企業の大倒産時代にそれを引き受けてうまく倒産するというか事業を維持させることは相当に熟練した弁護士でないとできない、その計画を明確に提言できる人だという
そういう弁護士はまれだという、それだけその事業を倒産させるにもノウハウがあるが
それをできる弁護士は本当にまれだとなる
つまり弁護士の資格をもっていようが医者の資格をもっていようが本当にできる人はまれなのである
第一資格といってもそれは実際の社会で通用するわけではないのである
資格はとれても実際の社会で通用しないことが多いからどういう経験を積んだか履歴を会社でみるというのもわかる

いづれにしろ今や日本経済は厳しい状態に突入している
会社でも優秀でなくても年功序列で終身雇用で一旦会社に入れば安泰の時代は終わった
もう大企業でも不要な存在は容赦なく切り捨てられる、そうしなければ生き残れないのである、ただこういうときは本当に才能があり実力がある人はいい時代になる
高給で大企業でも若い人を待遇する、でも不用な45歳以上はリストラさせられる
会社にも余裕がなくなったのである
ただ銀行員でもフィナンシャルプランナーとかで個人的でもなれる人は生き残れるがそういう人はまれである、それだけのプロとなるとまれだとなるからだ
だから本当に実力社会になったら極少数の人しか生き残れない
特別優秀な人たちと多数の普通の人たちに分かれる、格差社会になる
そういう変わり目に時代は突入しているから厳しい時代になる
会社に入れば安泰だという時代は終わったのである
大卒だからだと学歴もあてにならなくなる、大学で評価されるのは理系の一流とかに準じる大学だけである、その他は文系だと評価されにくい、大学出ても実力社会では通用しない、学歴は通用しなくなる

こういう時代をどう生きるのか?
教育も見直される、暗記とか受験とかそうした勉強しても実力社会になると通用しない
資格をもっていてもそれでその人が優秀だともならない
医者でも弁護士ても選ばれる時代になるとそうなる
要するにでは選ばれる優秀な人になるのにはどうするのかということである
教育でも今までのやりかたでは通用しない、やはり何か創造力を鍛えるとか暗記ばかりではない、独自性を発揮させるものを追求することだとなる
既定路線にのって安泰な時代は終ったからである


posted by 老鶯 at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2019年07月13日

近江粟田郡の鉄生産地と陸奥行方郡真野郷の密接なつながり (直接鉄生産の工人が行き来していた)


近江粟田郡の鉄生産地と陸奥行方郡真野郷の密接なつながり

(直接鉄生産の工人が行き来していた)

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宇多郡行方郡と近江の鉄生産 

●鉄生産の技術習得のために近江の粟田郡まで直接陸奥行方郡などから人が行く

東北系土器の出土地点

滋賀県栗東市は、律令期の近江国栗太郡にあたり、かねてから武井・金沢製鉄遺跡群の技術
体系の故地とされる官営製鉄所=瀬田丘陵生産遺跡群を抱えたところ

高野・ 岩畑遺跡と下鉤東遺跡の位置は、この官営製鉄所の北東5〜7kmの範囲に広がる官衙関連遺  東北系土器の出土地点 − 45 − 跡群内にあり(図 14)、周囲には、8世紀中葉の鉄生産に関与した宇多郡官人の火葬墓に影響 を与えた終末期古墳(菅原 2010 a)が、分布している)。 また雨森智美氏によると、
高野・岩畑遺跡は、古墳時代から継続する伝統的な技術者集団の 居住域であり、中核となる高野神社の摂社(八重釜・敏釜神社)は、鉄生産に伴う神とも関連 付けられ(図 15)、8 世紀前半には瀬田丘陵生産遺跡群に人材を提供したという(雨森 2007)(註 10)。当然、その関係は、7世紀後半に遡る可能性を十分に有している。 こうした複数の状況証拠から、

3点の東北系土器は、宇多・行方郡から近江へ技術習得に派 遣された工人が、現地に残した痕跡とみるのが最も合理的な解釈と考えられる

古墳時代には、地方から畿内への上番という形(帰郷・帰郷指導型)が一般的に存在しそれが技術伝播の契機になった」のに対し、「律令期になると、基本的に伝達者が東国に来て教習活動(「玉突き」型、巡回・指導型)を行った」として、工人の動きが逆向きに変化したことを明快に述べた

周囲には、8世紀中葉の鉄生産に関与した宇多郡官人の火葬墓に影響を与えた終末期古墳(菅原 2010 a)が、分布してい
鹿島町真野寺内 20 号墳(図2−8)出土の金銅製双魚佩(図 17)は、6世紀前半に比定され、同年代の類例の分布が、いずれも近江出自の継体王朝と関係が深い墳に集中している(穴沢味光)

●金銅双魚佩の伝播径路

真野氏は近江国滋賀郡郡真野郷(滋賀郡堅田町真野)に本貫があった
継体政権と近江の豪族との関係については先に述べたが同じ滋賀郡内に和邇氏と密接な関係のある漢人渡来人氏族が集住しており、真野20号ににた正方形プランの横穴式石室が盛行した、真野20号の主体のモデルになった横穴式石室は、案外こんなルートで東北の一角に伝播したのではないだろうか

おそらく六朝の製品の(魚袋)と考えられる双魚佩の一つが武寧王陵の出土鏡と同はんの獣帯鏡に誘着していた、これらの双魚佩も獣帯鏡と同じように、南朝から百済を経て継体朝の日本に伝来し、継体朝の関係の深い豪族に分与されたのではないだろうか

この古墳は6世紀中ごろであると思う


金銅双魚佩出土例


(滋賀県野洲郡三上山古墳出土例)

この金銅双魚佩が付着していた唐草文薄肉刻七獣帯鏡が韓国公州の百済武寧王陵出土の鏡と群馬県観音山古墳出土の鏡と同型である
この獣帯鏡は中国の漢代の鏡を六朝時代に踏み返したもので、百済を経て日本にもたらされたものであると樋口隆康氏せ言う

やはり六朝時代のの踏み返し鋳造と思われる銅梁獣帯鏡の日本が出土の三面の同型品のうち二面は継体天皇陵と考えられ大阪府高槻市郡家の今城塚からあまり遠からぬ茨木阿部野土室石塚と豊中市桜塚古墳群から出土しているのでこの種の鏡は継体王朝と密接な関係が推定される

千葉県長須賀古墳出土例

長須賀古墳の所在する上総望田(陀)郡の国造は馬来田国造であるが記紀によると継体には馬来田皇女があり馬来田国造家の女が乳母になっていたためと思われる

日本後記延暦一六年(797年)陸奥行方郡人に大伴行方蓮の賜姓の記事があることから継体推戴運動の強力な担い手であった、大伴と真野の関係が十分に考えられる

六朝の製品(魚袋)と考えられる双魚佩の一つが武寧王陵の出土鏡と同はんの獣帯鏡に付着していたことはこれらの双魚佩も獣帯鏡と同じように、南朝から百済をへて継体朝の日本に伝来し直接間接に継体朝に関係の深い豪族の間に分与されたとか推定される
  
(金銅双魚佩考―真野古墳出土例にして―穴沢味光)
   
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 古墳時代における琵琶湖およびその周辺地域(細川修平)

粟田郡は古墳が多く琵琶湖の交通の要所になっていた、そこから大阪とか奈良に通じている交通の要所だったのである

●真野の草原(かやはら)の歌は日本の古代の歴史があり生まれた

古墳時代はかえって鉄生産の本拠地との交流があった、近江粟田郡が本拠地でありここの行方郡と宇多郡でも地元の人が直接鉄の技術を習いにおもむいたとなる
ここでは人の行き来が近江粟田郡と直接あった
地元の人もそこで鉄生産の技術を習っていたとなる
それでお土産としてなのか東北形土器が発見されている、つまり近江粟田郡にもたらされたとなる
ただ直接人が行き来したことは陸奥の真野の草原(かやはら)を伝えられたとなる
でも律令時代になると巡回型の技術の伝播になる
中央から直接技術者が巡回して鉄生産を伝えた
この意味するところは何か?中央の指導が強まったということである
中央の大和王権がかかわってきたとなる
それで真野古墳群の前方後円墳に金銅双魚佩が発見されたのである
それはいつの時代なのか?継体天皇の時代だとなる

直接行き来したのは時代が古いということは地元の工人が直接技術を習わないと習得できないということがあったかもしれなんい、今でも技能実習という名目でベトナム人であれ外国人が来ているからである
日本で技能を身に着けて本国に帰り伝える、それでネパールなのかそこには受け入れる工場がないとういことで日本人が工場を建てるようになったとかある
つまりそんな遠くとも技術を通じての交流が生じたとなる
ただ当時は近江と陸奥は相当に離れているのでどのようにして直接そこまで行ったのか?その疑問はあるにしても人が直接行き来していたことは重要である
それで陸奥の真野の草原は知られたということになるからだ
だから草原(かやはら)とは地名なのである、草原は鉄が生産される生産拠点であり萱原が茂っているなどと関係ないのである
鉄がとれる場所として真野の草原が近江に知られて中央の奈良の都に知られたのである

日本後記延暦一六年(797年)陸奥行方郡人に大伴行方蓮の賜姓の記事があることから継体推戴運動の強力な担い手であった、
大伴と真野の関係が十分に考えられる

大伴氏の一族がかかわり和邇氏の中の真野氏がかかわってここに真野という名を遺したのである、それで笠女朗は大伴家持を慕い歌に残したのである

みちのくの真野の草原(かやはら)遠ければ面影にして見ゆとういものを 笠女郎

大伴家持を慕った歌だが草原(かやはら)とはこうした背景がある場所であり何もない
草原(萱原)が茂っている場所ではなかったのである
つまりここに住んでいる人も近江に直接行きこの場所を伝えてそれが奈良の都に知られて笠女郎が大伴家持を慕い歌にしたのである、大伴家持が現実に陸奥に来たとして考証している学者もいる
実際は交流は人が直接行き来していたとなるとリアルになる、直接人の交わりから陸奥の真野の草原が奈良に知られて全国に知られたとなる

次は継体天皇と武寧王陵についてー金銅双魚佩の径路は中国まで通じていた

posted by 老鶯 at 16:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)