2019年06月27日

無人駅化の問題の情報を集める (鉄道に関する法律があり駅には個人でもかかわれる?)


無人駅化の問題の情報を集める 

(鉄道に関する法律があり駅には個人でもかかわれる?)  

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ここの番組が無人駅化の問題を動画で要約している、これを見れば具体的に問題がわかる


始発から午前6時半まで駅員が対応せず、インターホンで対応する駅が広がっています。もしも転落や落下物などがあった場合、発見した乗客がインターホンで近くの駅に連絡をとり、駅員がいない場合は、そこから人が駆け付けるということになります。
埼玉県は、このインターホン対応駅名を把握していませんでした。私たちは独自に調査をし、JR武蔵野線、JR宇都宮線、高崎線の大宮以北、川越線など、相当数にインターホン対応の駅が広がっていることを確認しました。早朝無人化と言えるインターホン対応は中止し、駅員を配置すべきです。また、JRは更にインターホン対応駅を広げていく計画ですが、待ったをかけるべきです

JRは更にインターホン対応駅を広げていく計画ですが、待ったをかけるべきです。企画財政部長の見解を求めます。交通政策基本法は「交通に関する施策の推進は、国、地方公共団体、交通関連事業者、交通施設の管理を行う者、住民その他の関係者が連携し、及び協働しつつ、行われなければならない」としております。法に基づき、鉄道を利用する住民が県やJRと協議のできる場を設置すべきです。企画財政部長の答弁を求めます。


 JR九州が3月のダイヤ改定に合わせて実施予定だった大分市内8駅の無人化について、日豊線の牧駅を除く7駅で先送りされることが15日、分かった。障害者や高齢者を中心に利用者からの反対意見が強く、このまま導入しても理解が得られないと判断したとみられる。    

 駅無人化は法に逆行


 首都圏の駅にもじわりと広がりを見せている。今年3月からは東船橋駅のほか、同じく総武線の下総中山駅や幕張本郷駅にも、早朝時間帯の完全無人化が導入された。無人化の決定に一律の基準はないようだが、これら3駅の1日の平均乗車人員は、下総中山と東船橋で各2万人程度、幕張本郷で約3万人(いずれも2017年度)の規模になる。

改札の部分的な無人化については、2013年度から23区内の駅にも導入されてきた。これらの駅では「駅遠隔操作システム」を活用。近隣の駅から券売機類を監視・操作し、客対応はインターホンを通じて行う仕組みだ。


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 2018年時点で約5万4000人と5年前と比べて4000人減少した
 そして大量退職を迎える55歳以上が4分の一をしめる 

 自動改札機というのは意外と高価で複雑で大掛かりなメカなので、どこにでもポンポン設置するというわけにはいかない。切符が詰まる等のトラブルが起きたときにどうするか、という問題もある。


1日の乗客が100人程度の駅にすら駅員を置けと?
たった100人のためですら1ヶ月15万円以上もの人件費を掛けろと?
この設定なら乗客一人あたり1500円以上の収入がないと見合わないね。 

これだけの情報があった

交通に関する施策の推進は、国、地方公共団体、交通関連事業者、交通施設の管理を行う者、住民その他の関係者が連携し
及び協働しつつ、行われなければならない

住民その他の関係者が連携し・・・ということはその自治体の住民がかかわることができる
何かJRが決めるものではなかった、住民であれば誰でもかかわれるのか?  
個人はだめなのか?そこには規定していない、こういう法律があるということも意外である

JRでは退職者が増えるとかしても補充しない、5万人から4万人になってもそれで間に合わせる、そのために自動化をすすめている
それは鉄道を利用する人が減っているからだ、地方の田舎の無人駅はそうであるからやむをえないのかとなる
でも都会の駅でも無人駅化しているのはなぜだろうとなる
それはJR全体で人を減らすことにして自動化を進めているからである、人手がたりなくなるしコストでもそうである
田舎だけの問題としてとらえていないのである

ただ無人化してインターホンで連絡しても隣の駅の人がかけつけてくることは鹿島駅ではない、水戸駅で一括管理するようになったからである、ただ水戸駅から連絡があれば原町駅でかけつけることはありうる
盲人の人が一人通勤していて原町駅の駅員が危険だからと呼び出されたことがあるからだ
今は駅の高校生の見守り役が案内していると思う、私がその人に盲人が来たとき教えたからである

ただインタホーンではわかりにくいことがあった、第一初めての人はどこにあるのかわからない
また会話するにもわかりにくいことがある、それで私が仲介して話して支持したのである
無人駅の問題は初めて利用する人がいるとき慣れていないから問題になる

無人駅を見ていて感じたことは何でも機械化自動化AI化とかの時代になるけどそれですべていいのか?

その問題を提起している、でもコストを抑えねばならない、働き手も少なくなるときどうして維持するのか?
それはJRだけの問題ではない利用者の問題でもある
JRでそれだけのサービスを要求するならもっと鉄道を利用してくれとか電車賃をあげるとかするとなる
特に国鉄から民営化したとサービスはコストでするとなったからである
誰がそのコストを負担するのかが問題になるからだ
ただ機械化自動化でもコストがかかっている、券売機を改札を自動化してスイカで無人でできるにしても故障したりすると業者にたのむ、定期的に点検しているしそこで金がかかる、つまり自動化機械化でも必ず保守点検に金がかかるのである
だからそうしたコストはいくら人を減らしてもかかるとなる

とにかく高齢化社会になると自動化しているとめんどうになりわからない、インタ−ネットを設置していてもわかりにくいとかなる
それはテレビで報道していた、それを駅で案内して自分も感じたからである
老人は人の案内がないとわからないのである、機械とかに弱いからである
つまり自動化機械化社会は高齢化社会に向かないのである、高齢者は障害者ともにている、障害者は人がいなくなると困るというときそうである、でも障害者のために社会があるのではない、そのコストを払う方になると大変になる
障害者とか福祉には限度がある、それだけの余裕がもう日本にはないのだから要求もできないとなる

法に基づき、鉄道を利用する住民が県やJRと協議のできる場を設置すべきです

こういっても個人では通用しない、無視される、商工会とかの団体で交渉しないと通用しないのである
せいぜい邪魔になるとかで排除されるだけになる
ただ南相馬市とJRで交渉して駅に高校生の見守り役を置いたのである
ただそれも駅の業務はしないという契約で置いた、それも理解できなかったがやはりコスト削減のためだったのだろう
商工会にゴミの処理を頼んでいる、そのためには金を払っているからである
また委託すればその分金を払うようになるから頼まないとなる
駅の高校生の見守り役は南相馬市の方でNPOに払っているからだ、JRはそのNPOには金は払っていないからである
  


駅に七夕の飾り(南相馬市(原町)ICにバスセンター)


駅に七夕の飾り(南相馬市(原町)ICにバスセンター)

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駅に幼稚園なのか保育所なのか七夕の飾り
アイスクリーム屋になりたいといのが短冊に三つあった
アイスクリームが食べておいしいから印象に残りそうなった
消防士になりたいとかもあった

ただ駅に電車を見に来る人がいた、孫を連れて来る人がいた
ただホームに入ると人がいなくても監視カメラが見ていて注意される
それがうるさいのだ、今は誰も見ていてないようで見ている
まず駅はつくづくうるさい場所なのである
だから今はかかわらない、昼間に高校生の見守り役がいないとき客と話ししたりするだけである

東北アクセスのバスセンターが常磐高速の入り口にできていた
そこにはコンビニがあり喫茶室がある
そこが休憩所になっている、それでコンビニでコーヒーを買ってそこでお菓子でも買って食べて休めるからいいと思った
でもあそこからバスに乗る人がいるのか?街からずっと離れているからである
原町の百円ショップでもコーヒーが飲めて百円の菓子を買って食べることができるのが便利である
喫茶店だとそうしして気軽には入れないからである

バスも双葉大熊間がバスで行くほかないからいわき市までバスで行くと便利である
またさくらバスは東京まで行く、予約制である
5000円とかで安いが時間的に疲れる、大きなバスではないからだ

なんか私は介護とかで疲れて遠くに行く気力がなくなった
だから介護になってからほとんど遠くに行っていない
仙台までも今年になって一回行ったのかそれもわからない
たいがい一か月に一回は行っていたけど行かないのである

老人になると遠くに行くのが億劫になる、人ごみとか乗り物でも疲れるのである
だから60まで海外でも行っていたのが良かった
もしそうしなかったら介護になって海外に行くことができなかったから大損失であり
知識でも発言することでも幼稚なものになって笑われていた
そして意外と人生は短い、またたくまに過ぎる
二度と旅もできなくなる、退職してから自由に旅しようとしてもそこに思いがけないことが起きてできなくなるときがある
人間には意外とそんなにチャンスが与えられていないし時間も限られているのだ

一千万人が消費者金融を利用(見えない現代の貧困) 一千万人が消費者金融を利用(見えない現代の貧困)


一千万人が消費者金融を利用(見えない現代の貧困)   




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これも衝撃である、一千万人が消費者金融を利用している?
貯金ない人がこんなにいる
でもなかなか日本人が貧乏だとは見えない?

要するには今の貧乏と昔の貧乏は違っている
昔の貧乏は貧乏に見えるしみんな貧乏だった
今の貧乏はレベルが高い暮らしを維持するための貧乏になった

クーラーを設置するからなんやかにやと金がたりないとなる
全部福祉でもしてくれないからだ
最近暑くてクーラーがないと死ぬこともあるから必要になる
でも昔はクーラーなどなかった
トイレも外のトイレで農家の人が汲み取りにきて無料でもっていってくれた
水道はなく水は近くの井戸あるところからもらっていた
家には飯台一つしかなく裸電球一つだったとかなる
自転車は一台でそれを修理して新しいものを買うことはなかった
こういうことをあげればきりがなくなる
乞食もいたから貧乏が見えていたのである、今でも後進国ではそういう生活をしている

現代の貧乏はまず電気代水道代携帯代、スマホ大、車代、クーラー代とかそういう基本料金にかかる、そこからして貧乏になると家計に負担になってくる
教育費でもかかる、つまりそもそもレベルの高い生活をしているから貧乏になると一段と苦しくなる
そして回りでもみんなそういう生活しているからまわりに合わせる必要がある
でも現実貧乏になればクーラーがある生活すら携帯をもつことすらできないのである

すると結局どうなるのか?

消費者金融から借りることになる、そしてその利子が馬鹿高いからさらに追い詰められるとなる
確かに福祉から借りられるにしても手続きがめんどうだからあまり利用しないとなる

何かおかしいのは事業を失敗して経済的に苦しいのにそれを隠している
車もいい車に乗って夫婦で一台づつ車を持っている
その人は別に事業に失敗したとは見られていない
平均より上の暮らしをつづけていたのである
それで自分が病気とか介護になった時借金を要求しやすいからしてきた

その人が本当に昔のように貧乏で食うものがないというものではない
だから今日食べるものがないから助けてくれとは言わないしそんな貧乏とは違うのである依然としてハイレベルの生活をするために借金を要求してくるのである
それも事業に失敗したからその額は大きくなる
でもその人が外から見たら成功した人として見られているのである

そんな人とつきあったらどうなるのか?
多額の借金を成功した人としての生活を維持させるために要求されるのである
その人は別に最低限の生活には困らないのである
ただ事業に成功した人としての外分を保つために金が必要だとうして借金している
また借金でもギャンブルして借金している人も多いと思ったがここの報告では意外と少ない
となると現実に日本は本当は貧困化している
でも依然としてこれまでのレベルの文化的生活するためにそうなっているのである

自分自身の生活費でも他者に援助しなければ13万あれば間に合う
そして計算して不思議たったのは一か月の生活費を例えば月20万として

それを5日のばすと5×12=60日になる

一日の生活費は200000÷30=6666

二か月延ばすと60日になる

6666×60=199980

一年で約20万節約となる、この額が大きいのである

20万を10日のばすとその倍になるから40万一年で節約になる

この計算が何かピントこないのである
でも間違っていると思えないのである
時間の長さで金が節約されているとなるしまた時間の関係で利子でもそれが積もり積もれば高くなるということがある
ただ人間は一年間隔で金の計算でもなんでもしていないのである
人間は長い時間で計算することができない

それで人間は時間を一番無駄にしている!

つまり人間の時間は限られている、何をするにもそうである、何かスキルを身につけるにも必ず時間がかかる、そして時間は平等に与えられている
天才でも金持ちでも時間は平等である
ただ時間を活かせないのである
天才でも膨大な知識がありすべてに精通することなどできないのである
だから凡人でも知識でも何でも積み重ねれば最後にその道の達人になったり専門家になれるのである

金の問題でも長い時間で計ることができない、ただ金というのは人生でも何か計算が必ずはずれる、常に人生でもリスクがあり計算が狂うのである
ただ時間で積み重ねることで最後に実りがあることは確かである
ギャンブルのように大金が入ることはまれである
特に何か知識とか趣味とか心を豊かにするものは日ごろの積み重ねで実りとなる
ただ語学でも何か学び方が悪いとモノにならない
時間を有効に使う方法がありただ時間だけかけても上達しないのである

いづれにしろこれだけ貯金がないとか消費者金融に金を借りている日本は本当に貧困化している、その無理がいつか表面に出てくる、その時どうなるのか?
氷河期世代とかが非正規の人たちが大量に生活保護になるとか団塊の世代が75歳になり病気や介護になるとか負担が増えてどうなるのか?
現実にその人は氷河期世代で非正規であり青森の施設に親を入れているが何かと必要なものがあり金を請求されて困っているというのもそうである
親は貧乏であり福祉となると頼る者もいないから苦しいとなる
それがさらに全国的に極端化するのが氷河期とか非正規が60歳になる頃である
年金ももらえない人があふれる、今でも国民年金だと4,5万しかもらえない人が結構いるのである
今になり年金が大事だったとつくづく思う、なぜなら年金は死ぬまでもらえることが強みなのである、それで死ぬまで保証されるからである

posted by 天華 at 10:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題