2019年06月23日

カンボジアで日本人2人をタクシー強盗殺人の疑いで逮捕 カンボジアのビル崩壊、死者18人に 中国人所有者ら4人拘束


カンボジアで日本人2人をタクシー強盗殺人の疑いで逮捕

カンボジアのビル崩壊、死者18人に 中国人所有者ら4人拘束


朝日新聞によると、世界遺産アンコールワットで知られるカンボジア中部のシェムリアプで2019年3月17日、タクシー運転手を殺害した疑いで、カンボジア警察は日本人の男2人を逮捕しました。

逮捕されたのは、福島県出身の中茎竜二(なかくきりゅうじ)容疑者(23)と、千葉県出身の元自衛官・石田礼門(いしだれいもん)容疑者(23)。2人は3月17日に、シェムリアプで乗車したタクシーの運転手を殺害し、車外へ捨て、逃走しているところを捕まったとのこと。2人は現金目当てだったと供述しているそうです。

その後のフジテレビの報道によると、2人は日本円で約400万円の借金があり、奪った車で移動しながら強盗を繰り返そうと思ったと供述しているとのこと。

これも何なのだろうか?
アンコールワットには私も滞在していた、そこには日本人がたむろしている
中高年の人もいた、何をしているのかわからない、長くいる
ヨ−ロッパから売春しに来る人もいた
なんか女性が5ドルで買えるとか貧乏な国だった
最底辺の国はカンボジアとネパールである
カンボジアは内戦で200百万人死んだとか疲弊した国だがここもアンコールワットがあり観光に力を入れている、貧乏な国では観光でかせぎ売春で稼ぐ
日本が戦争に負けたときのように傷病兵がいて物乞いしていたし他でもベトナムのハノイでも一軒一軒まわって物乞いしていた、それはベトコンだった人だろう

そしてバイクを交通手段でありバイクはホンダでもそのバイクを貸しているのは中国人の経営者である、バイクを十台でもあればそれを貸して商売になる
東南アジアでは中国人がそうして入ってきて金儲けしている
アンコールワットには中国人の兵隊が描かれている、つまりその時アンコールワットが栄えて中国人も来て兵隊になっていた時代があったとなる
そういうふうにカンボジアが栄えていたときがありあのアンコールワットが残った
何かそれでビジネスとかに関係ない自分ですら資本があればバイクを買って貸せば商売になると思った、でも地の利で中国人が商売しているのである
それも十数年前だから今は中国人が相当に進出して中国人に支配される

カンボジアのビル崩壊、死者18人に 中国人所有者ら4人拘束

これもずさんな工事だったのだろう、中国人が所有しているのもバイクを貸して商売していたのが中国人だからわかる

そもそもなぜ日本人がカンボジアのような貧乏国に言って強盗しなければならなかったのか?それもイメージすらできない
日本人が襲われるならわかるけど日本人がタクシーを襲ってそれも残酷に殺してどれだけの金が入るというのだ
400万の借金あるとしてそんな金をカンボジアで手に入るのか?
麻薬の密売ならわかるが何か理由がわからない、でもなぜこんな凶悪な犯罪をしたのか?終身刑にもなるという、これも若気の至りなのか?
何か若い時こうして無謀なことをして過ちを犯しやすいからだ
そういう経験をみんなしているからだ、それにしてもあまりにも凶暴である
ただ借金に追い詰められた人は怖い、自分もそういう経験しているからわかる
もう見境いなくなるからだ、人殺しでもなんでもするとなる
でもカンボジアでしてどうなるのか?そんな金を持っている人がいない
当面の金がなくなってそうしたのか?              

それにしても最底辺の貧乏国でそんなことするのか?

それだけ日本が貧乏になっているのか?そうかもしれない、一人は福島県出身の元自衛官である、何か自衛隊でそういう訓練を受けていたのか?
やはり日本は今や貧困国家になっている、もう日本人の若い人は逆に外国に出稼ぎに行く時代になるというからそういうことでこういう事件が起きたのか?
日本がの貧困化が深刻化しつつありそれが若者に波及しているのか?
十数年でこんなに変わるとは驚きである

自分自身も経験したことは金がないということで地方で苦しんでいる人がいて自分も相当な被害にあった、だから日本国内でも貧困化すると治安が悪くなる
追い詰められた人間が増えると犯罪は確実に増える
だから金をもっている人でもそれがわずかでも狙われるということがこれから起きてくる格差社会とは金持ちにとっても安閑としてはいられない危険に満ちた社会になるのである貧困が他人事にならない、南米ではいつ子供が誘拐されるかわからないとか安心して暮らせなくなっているからだ

ともかく新たな犯罪が起きてくる、犯罪はなくなることはない、そこに絶望しかないとなる、カルマは消えることなくつづく、暗黒の世界はなくなることはない
日本が貧困化するとき若い世代に負担がかかってくる、だから今の時代は若い人にとって負担が大きくなるから生きにくいとはなる、でも氷河期世代よりはいいのかともなる
世代間によって差が生まれる
そして世代間で理解しあえなくなる、それは人間社会で常にあった
とにかく今はグロ−バル化して交通が発達しているから急速に変化するのである
中国があんなふうになるとは思いもよらなかったからである
新幹線が走る、ITではアメリカをぬくとか十数年前に考えられないことだった
第一鉄道でも車両に人間が家畜のように都会に仕事を求めてくる人を詰め込んでいたからである世界の変化が激しいのである、
それは交通が発達しているからそうなる
それがグロ−バル化を推し進めるのである
そして日本が時代に取り残されているということになった
日本がは後進国になり貧困化してそんな事件が起きたのかとなるとそこまで日本も落ちたのかと信じられないともなる

posted by 老鶯 at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

馬の俳句の紹介(野馬追いがあり馬と親しむ地域)


馬の俳句の紹介(野馬追いがあり馬と親しむ地域)

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ここでかたつむりをテーマにして下の方で馬をテーマにしている
テレビの俳句の番組だったのか?

ここで騎乗して・・・・とあり梅雨晴れとかあり馬をなでるとかあり何か野馬追いで馬とかかわるから紹介した

人間は見ているだけではわからない、騎乗してというふうに馬に乗ったとき見える景色が違ってくる

また馬上とかの漢詩もある

桃花馬上(無題) 夏目漱石

桃花馬上少年時 桃花馬上 少年の時、
笑拠銀鞍払柳枝 笑うて銀鞍(ぎんあん)に拠って 柳枝を払う。
緑水至今迢遞去 緑水今に至って 迢逓(註1)として去り、
月明来照鬢如糸 月明(げつめい)来(きた)り照らす 鬢(びん)糸の如きを

(註1)迢遞(ちょうてい) はるかに遠い。

桃の花の咲く頃馬上に居た少年の日の私、
銀の鞍を置いて柳を払い、得意になっていたものだ。
時は水の流れとともに移り、はるかに遠くへだたった、
今は月の明かりが白いものがまじった鬢を照らしている。

野馬追にもこういう風景がある、馬上に凛々しい姿があったが老いる
白いものが交じった鬢を月の明かりが照らすというふうになる
何か人間は老いるのが早い、白髪になるのが本当に40とかでもなる人が結構いる
第一40でおっさんだとかもう先がないというのも早いとなる
それだけ人間は老いるのが早い、時間が過ぎるのが早いのである
それは若い時はわからない、その若さはたちまちすぎて老人になっているのである

老いてなお殿を守らむしりへにも行列つづく武者なりしかな

野馬追いでも結構年取った人が参加している、野馬追いだってどうしても若い人は少なくなり年の人が多くなる傾向があるだろう
ただ旗取などは若い人でないと無理だろう、
野馬追いは戦国時代の侍の時代の再現である、だから侍の時代で中心になるのは殿様である、それで未だに相馬藩で殿様が活きているとなる
そういうことはもう日本にないのだがここで殿様として迎えているのである

野馬追いがあるというとき相馬では馬がテーマになっているのだ
だから今馬が活きているのは競馬なのである
実際に馬が活きているのは競馬しかないからである
それで競馬ファンが賞をとった馬を見に来ていたのである

ただこの辺では馬を飼っている人がいて馬と親しむことがある
でも馬というのは本当は乗ってみないと騎乗してみないとわからない
だからここのプログで騎乗して見える景色や感じを出していたのである
自転車でも自転車に乗って見える感じるものが違うからである

確かに馬に乗った時侍になる、偉くなった感じになるのがわかる
馬に乗る高さが関係している、人は下になるからどうしても見下す感じになる
そして行列の前を横切るなと前は二階から見るなとかなっていた
つまり侍になった気分になりそれで金がかかるけど出たいともなる
そういう気分は今は味わえないからである
侍とは馬に乗った人なのである、なぜなら徒歩(かち)とかになると徒歩(かち)町とか足軽町とかなり馬に乗る人と区別されていたからである

いづれにしろこの辺では今頃になると馬を見かけるのである、ほら貝の音も聞こえたりするのである

posted by 老鶯 at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

「クルマを捨ててこそ地方は甦る」藤井聡を読む


「クルマを捨ててこそ地方は甦る」藤井聡を読む

この本は私が日ごろ指摘したことだった、そのことをプログに書いてきた
クルマを持っている人は地域に愛着をもたない度合いが大きくなる

鳥や虫の鳴き声を聞くこと
道端に咲く花にふれること
地域の人々とあいさつすること
地域の人々と会話すること

こういう機会がクルマではなくなる、クルマと自然でも人でも交流を遮断するからである一つの閉鎖された空間なのである
それで何度も自転車のことでそのことを言ってきた
最近買った電動自転車で行くのは舗装されていない道である
それも隠された細い丘の間の道だったりする
それで俳句や短歌を作ったりする

ふるさとの小径やあわれスミレかな

ふるさとは小径なのである、そういう道がある所か故郷である
またマウテンバイクだと悪路でも行ける

悪路行くマウテンバイクや夏あざみ

これも自転車で行くから自然と一体化するのである、クルマだったらそういう自然にふれることができないのである
だからクルマはキレル乗り物なのである
自然との親和性もないし人間との親和性もない、キレル乗り物なのである
突然猛スピードで走ってきて去ってゆくキレルの売り物である
自転車は目障りとなり歩行者も目障りであり無視される
「危ない、馬鹿野郎」と言って猛スピード走りさるキレル乗り物である
それが人格まで変えてしまったからあまりにも影響が大きくなりすぎたのである
そして自転車とか歩行者は隅に追いやられて邪魔者にされるようになったのである

地域愛着の薄い人は地域を良くしていこうとする「まちづくり」に無関心となり地域全体に役立つ取り組みが全然すすめられなくなる
「シラケ」気分が蔓延して地域ぐるみの掃除とかまちおこしとか祭りや運動会などの自治体活動必然的に停滞してゆく

クルマ社会は一番身近なものに関心がなくなるのである
駅で案内のボランティアしてそのことがわかった、駅には関心がほとんどない、乗り方もわからなくなっている、でも駅は人々が集う会話したりする広場の役割があった
年齢に関係なくそういう機能があった、それがクルマとは違っていたのである

地域の人は今地域に関心がなくなるというときどうなるのか?
それを原発避難者を例にしてその極端な現象を説明した
もちろん放射能汚染とか政府から強制されたこともある
でもなぜ突然ゴーストタウンになって故郷が捨てられたのだろうかということが疑問だった、人間は代々住んだ場所を簡単に捨てられるものだろうか?
そこに何かしらの葛藤があり何か議論があってもいいはずだった
強制されたことはあるにしてもそんな簡単に街全部が故郷全部から一瞬にして人がいなくなったことの驚きである

それはクルマ社会と多分に関係していた、マイカーマイホームの社会である
ここにマイタウンとかマイシティという視点がないのである
マイカー=マイホームではその他ないのである
するとどうなるのか、マイタウンがないのだからそのままマイカーで外に出ても何の違和感もないとなる、日ごろからそういう生活をしていたからそうなる
もともと田舎でも故郷に長年住んだ所に愛着がなくなっていたのである
そして若い世代はかえって田舎に住むことを不便だとか嫌がっていたからこれ幸いと脱出したとなる、補償金を多額にもらったことでチャンスだともなったのかとなる

ただ田舎に住んでいる人はみんな「脱出願望」をもっている、田舎の人間関係は拘束された窮屈なものだからである、だからどこでも知っている人に出会うから男の場合スーパーに買い物もしないし人に会うことを避けるようになる
そういう脱出願望が田舎では強いのである、自分自身もこういうことを言っても田舎が嫌だから脱出願望があったから旅ばかりしていたとなるその脱出願望をかなえるのに最も適していたものがクルマなのである
一瞬にしてあっというまに外に出れる、それも遠くに出れる乗り物だからであ
だから必ずしもクルマのせいにすべてすることはできないところはある

ただクルマというのは社会自体を人間自体を人格まで変えたから深刻なのである

クルマ社会の中で(家族をふくめたあらゆる)コミニュティを共同体が希薄化して
家族同士、住民同士の「助け合い」様々なレベルのコミニュティが担っていた
老人ケアや保育サービスなどを行政が肩代わりせざるをえない
行政サービスが肥大化せざるをえない

私が前にも指摘したように高齢化で免許を返納が増えると老人が今度は取り残される
それもクルマ社会のカルマだと思った、現代はまさにクルマ社会を生きてきたからであるそれが老人になって裏目になりマイナスとなる、何か人間は必ずいい面と悪い面を技術的なものでももたらすのである、それは原発事故でもそうだった
便利でいいなと思っていてもそれがマイナスに働くようになる
技術は災い(技わい)になる、そういうカルマをもっているのである

そしてクルマ社会は将来にも禍根を残す、子供たちが健全に育たないのである

クルマばかり使って移動している子供はうつ性、不安性、攻撃性が強くなっている

そして恐怖はクルマが健康にも相当影響していた
クルマを利用するのと徒歩自転車の人では病気になる割合が違っていたのである
つまり徒歩とか自転車だと健康度合いが高かったのである
とにかくクルマというのはあらゆる面に影響したのでありそれが技術の怖さだったのである、技術はそれだけ社会を一変させてしまったのである

だから技術は文化を簡単に破壊する怖さをもっていたのである
それが原発事故でもわかった、自然が汚染されてもう人が住めなくなって町自体が住めないようになったからである
だから人間はなんでも便利だから社会に取り入れることは危険だったのである
技術の影響力を考えなかったのである
社会にとってクルマがどう影響するかなど全く考えなかったのである
そういうことは科学技術には常にあるけどなんでも開発される
遂にはロボットにITに人間が支配されてしまうとかもある
科学技術はいいものであり無制限になるときどうなるのか?
それが恐怖なのである、それによって人類も滅びるとういこともある

いづれにしろこの本は自分自身を言いたいことを明確にした本である
ただここでテーマにしているのはこの著者は京都でありまた富山市でも大きな都市でありこの辺の五、六万の都市とは違う、規模が違うからみんなあてはまらない
むしろ五、六万の都市では路面電車とかは作れないから事情が違う
むしろこういう小規模都市はクルマ社会から脱出できないともなる
それに代わる交通網が整備できないからである
それをどうするかとなるとまた別な課題としてある
この著者はクルマ社会をすべて否定しているのではない、高速道路は必要だとしている
まずクルマをすべて否定することは不可能だからである
ただあまりにもクルマ社会になりすぎたことで提案しているのである

経済的にもそうである、クルマを捨ててこそ地方がよみがえるというもの逆説だからである、経済的効果がかえって車なしで生まれという発想はしないからだ
地方の問題がいろいろ言われる、地方を活性化するにはどうすべきかいろいろ言われる
ただクルマを捨ててこそ地方が活性化するというのは斬新だった
そういう発想を普通はしない、でもそれを可能にしているのはかえって東京とか富山市でもある程度の十万万以上の人口があるところだともなる
富山市でも42万の人口があるからできたことなのである
かえって5万くらいだともうどうにもならない、クルマ依存がかえって強くなっているのだ
そして鉄道に関心がないようにこういうことに賛同するのは一パーセントもいるのかとなる、それだけクルマ社会にどっぷりとつかっているからこれを変えることは容易ではないただ高齢化になって老人が困るという時、かえってそれで多少変える機運が出てくるかもしれない、そういう点で高齢化がすべて悪いものとして働くともならないのである
 
 あとがき

市電とか路面電車がこの本で見直されて実際に実現した、何か市電とか路面電車はクルマとちがって人間的なのである
クルマというのは非人間的なものなのである、だからこそ昔からあったコミニュティでも破壊したのである

市電は過去の記憶を刻む
乗り場は駅でありその名に親しむ
老若男女が日々乗り合わせる
我は旅人なれば気楽なり
市電はゴトゴトコト街中を走る
その線路は刻まれた記憶の道
古い喫茶店が十字街にある
私はかつて函館の住人のようにあった
私は長く気ままにそこに滞在した
青函連絡船もその時あった
函館と本州は船で結ばれていた  
・・・・・・・・・・・・

過去の記憶の街ー函館(詩)

まさにこのようにクルマ社会にはないものが市電には路面電車にありそういうことがクルマ社会が変わる時蘇えるのである
posted by 老鶯 at 09:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題