東京に原発を(広瀬隆)を読む
(東京は原発と運命をともにすべき、そして地方はどうするのか?)
東京に原発を作れというとき何かそれがありえないものとして無関心だった
そもそも原発がある地元でも無関心だったのである
だから衝撃的でも関心がないし関心がないようにさせられていたのである
東電では科学者がいて専門家が13メートルの津波が来ると試算していた
でもそのニュースすら大々的に取り上げられない、福島県の報道機関は全くあてにならないものだったのである
福島民報は県の出資が50パーセントであり県の広報と変わりないのである
そんなところで報道の自主性は完全に奪われていたのである、民友でも自主性はない
それから雑誌でも東北政経とかふくしま財界とかあったとしてもあてにならないものだったのである
東北政経はなぜ渡辺恒三のことを伝えている、何か後ろ盾になっている
日刊現代でも小沢が後ろ盾になって資金援助しているとかなる
マスコミとか報道機関がなぜ自主性が独立性がないのか?
それはそもそも会社と企業の広告費でなりたっているからである
それは報道に新聞でもテレビでも雑誌だって一か月一回だして金になるのかと疑問になるからだ、そんなことで生活できるのかと疑問になるからだ
するとこうして報道機関はマスコミの資金は大企業とか中小の会社とか政治家とかの援助があって成り立っているとしたらもうそこには何かを真実を追求することは不可能であるだからただ官報のようになっていたのである
そしてマスコミの90パーセントというか百パーセントに近く原発には反対していないのである、広告費をもらっているから反対しないし追求しないのである
それで朝日新聞社の幹部まで東電から中国に招待されていたとき事故が起きたのも象徴的だった、電事連合から800億円が宣伝費広告費として支払われていたのである
その額に驚く、それでマスコミは何も言えなくなったのである
今自分でもインタ−ネットだから報道できる、そうでなければ金がかかりすぎてできないのである
新聞などは本当に紙に刷って配るだけで莫大な金と手間がかかるのである、そんなこと一個人ではできないからだ
でも新潟の巻町で原発反対で住民が拒否して建てさせなかった、それを新潟日報は応援したのである
笹口町長のもとで八月に住民投票を実施。東北電力の買収・供応、利益誘導、締め付けと、国も乗り出しての激しい切り崩しがおこなわれました。しかし、投票率が89%に及び、反対が61%(一万二千四百七十八人)を占め、賛成の39%(七千九百四人)を大きく上回りました。
これは日本では例外的なのである、だからどうしてできたのかとなる
なぜならこの辺では積極的に誘致して危険をかえりみないことでわかる、ただ金になればいいしかなかったからである
小高で東北電力の原発の工事がすでに開始されるところだったのである
そのことを自分も知らなかったが家に来た大工さんが「小高に原発が建つから景気良くなるよ」と言っていたがそうなのかとしか思っていなかった、危機感がなかったのである、何かこの辺では報道もされないし反対もしないのである
この辺はとにかく金、金、金であり貪欲なのかともなる
だからどうして巻町で反対するだけではない原発を建てさせなかったのか不思議だとなる
そして恐怖はこうして原発がまだまだ増えてゆくことだったのである、事故がなければ歯止がなく日本に原発が増えていた
するとどうなるのか重大事故がその中で起きれば日本が壊滅とまでなる、そういう恐怖も何もなかった
この本では日本が壊滅すると警告していたが福島原発ではそうはならなかったが事故がなければまだまだ増えていた
そういう危機感が日本全国でまるでなかったのである
第一報道するにも原発は政府で立ち入り禁止にしているから入れないのである
厳重に閉ざされた秘密の空間なのである、すぐ近くにあっても何をしているのかも皆目わからないのである
原発自体が専門家でしかわからないものなのだが何か核分裂させて熱をだしてタービンをまわすということでは原理としては石油でも石炭でもソーラーパネルでも風力でも同じなのである、だから必ずしもわからないということでなかったのである
熱をだしてエネルギーを電気を作り出すということは誰でもわかることだったのである
この本で本当にその危険性を鋭く指摘していた、それが原発事故前だったからやはりその功績が大きいとなった、その評価が大きくなった
この本が出たときはほとんど注目されていなかったかもしれない
ただ東海原発のことを中心に被害が東京に及ぶとか日本全体が汚染されるとか書いてあったが実際の範囲は東京まで福島原発でも影響がほとんどなかった
チェルノブイリの事故がありそれを例に誇大化されていたことは確かだが地震のことや津波のこともでもわずかだ書いてあった
パイプとかパルプでも1000とかあり津波の前に地震の揺れで壊れたとされる
そして日本の原発は老朽化しているから危険としている
東海原発は東京に近いということで危機感を感じていたのである
いづれにしろ
東京に原発を作り運命をともにしろ!
では福島とか地方は原発を拒否してなくなればどうなるのか?
それを考える人はまた少ない、そこにはやはり経済的に地方にも痛みがくる
電気はどうするんですかとか地方の財政はどうするんですかとか金の成る木の原発がなくなると地方はどうなるのですか?
何かそういうことが深刻な問題になる、なぜなら双葉とか大熊辺りは相馬地方だと都市部から離れていたからである、それで出稼ぎに行かないように地元で働き住みたいということで積極的に誘致したからである、その結果原発成金などが生まれたのも事実なのである
船主などは原発御殿を立ったとかり津浪で流されて罰あたったとか言う人が磯部とか海岸部に住んでいた人が言っていたのである
よほどその家を見てうらやましいからそうなった、今でも津波の後でも漁業関係者は特に船主は補償金が入るから豪邸を新しく建てたの知っている
ただ原発で働く人がこの辺では多いから経済的に相当な打撃になる
何も石炭でも石油でも今ならソーラーパネルでも風力でもいいじゃないかとなるが
それだって輸入すると金がかかる
太陽光とか風力は景観を壊すから自分自身は嫌なのである
ただではどうしたらいいのか?
それで家族一緒に暮らせるなら蝋燭でもいいやとか言った人がいた
つまりそういう極端な変化でもいいとかなったのは原発事故で家族が住めなくなったからである
とにかく原発とは一企業だけでできるものではない、国策として防衛としてやっている
原発からプルトニウムが生産されて核兵器に使用できるからである
そういう核の潜在力をもつことで韓国であれ中国であれロシアであれ威嚇できるということでそうしている、だからこんなに50基も日本に原発があるとなる
それは日本の防衛のためだからだとなる
そうなると日本の防衛をどうするのかという問題にもなる
核を持たないで国を防衛できるのかとか議論になる、そうなるからこそ原発は単に電気のためだけではないからこそやめられないとなる
電事連だって多くの人が働いているからこそ共産党でも原発自体には反対していない
ただ安全に稼働してくれということで追及していたのである
原発を日本からは石炭でも石油でも自然再生エネルギーでもいいとはならないのは日本の防衛問題があるから簡単ではないとなる
日本が回りは核兵器をもっているのに丸腰で守れるのかとなるからだ
だからさ右派は核兵器を持つべきだとなり原発をやめるなと言っているのである
いづれにしろ東京に原発を作れとういとき何か送電線問題だけではない、熱がでるからスチームとしても利用できるとか極めて効率的なのである
その場所がないというけどあると説明している
東京は一千万とかその周辺地域で神奈川県とかで3000万人とか住んでいればそこに原発があるのは極めて効率的なのである
そこが一番日本で電力を昼夜必要としているからである
では地方はどうするのか?それは地方の課題としてつきつけられている
経済が衰退しているのにこれ以上衰退していいのかとか地方の問題があるからだ
ただまず東京に原発を作れというのは正論でありその後に地方は地方で考えるとなる
その時地方にも痛みが生まれる、そうなると地方に住みたくないという人もでてくる
それはそれでやはり地方に住みたい人は住む、でも今までのような豊かな生活はできないともなる、ただそれでもいいという人は住むとなる
そして東京に住んで原発とともに運命を共にするのは嫌だという人もでてくるから何かそこで二つに分かれるかもしれない、何かそこで価値観が分かれる
そこで住み分けが生まれるかもしれない、何か映画で核兵器を原発を守り神のように信仰までになっているのを見た、それが東京になる
それが嫌だというとう人は地方に逃れるとかなるかもしれない、それもまた社会を変える日本を変えるものとなる、確かなことは東京に原発を作ってこそ原発は容認されるとういうことである、そうでなければ容認はできないのである
地方の守り神を原発にしてはならないのである
東京は原発と運命をともにする、でも重大事故になったら東京に住めなくなり今度は地方に移住するようになる
それも大量の移住でありそれでようやく東京一局集中が消失するのかともなる
その未来はわからないが原発を作りたいなら東京に作れというのが一番効率的であり合理的判断なのである
できなければ原発はやめろ、地方には作らせないとなる