処刑される引きこもり、ニート、無職!
(数が多いから社会の重荷となるため)
東京・練馬区の住宅街で元農水事務次官の熊澤英昭容疑者(76)が、同居する息子の熊澤英一郎さん(44・無職)を刺殺。川崎市・登戸の小学生児童ら連続殺傷事件を起こした岩崎隆一容疑者(51・死亡)が長期にわたって就労しない”引きこもり傾向”にあったことが改めて社会的に議論となる中、一報は飛び込んできた。
この引きこもりとかニートは相当数いる、田舎でもみかけるしそういう人と私は会い安いのである、それは都会だけではない全国的に平均的に存在している
だから特定の地域の問題でもない、場所に関係なく満遍なく存在している
もうそれは特殊なものではなく、普通にもなっているのだ
それだけ当たり前のことであり普通であり多いということである
ともかく社会の問題は数が多くなるとそれで騒ぐことになる、社会は数で見ている
少子高齢化でも子供の数がへると困るとか老人の数が増えて困るとかなる
歴史でも数からみる、縄文時代の人口はいくらだとか弥生時代になりいくらになったとか人口の増減で社会をみる、本当に明治以降なぜ日本がはこんなに人口が増えたのかとなるからだ
だから別に人口が減ってもいいじゃないか、それがもしかしたら自然の摂理というか社会の摂理なのかとなる
だって動物であれそれが増えすぎると生態系のバランスが崩れ問題になるからだ
地球自体人間増えすぎるとそれが自然破壊にもなる
だから世界人口が増えすぎているから減らした方がいいとするのもわかる
ともかく一連の事件が何を語っているのか?
それは引きこもりとかニートの数が多すぎるから社会問題化する
40前で50万とか40から60歳でも50万とかいるとてるとその数は社会を圧迫する
私が述べたアウトサイダーというときそれは世界で十数人の特殊な思想家とか芸術家のことなのである、それは今の引きこもりとかニートと似ていても全く違ったものである
第一団塊の世代は高度成長を築いた人たちでありその人たちは猛烈な企業戦士となった人たちでありその時引きこもりとかニートとか無職はほとんどいない
だからそんな人かいたのとなる、それは社会問題に何にもならないのである
そんな変人がいたのかとか誰も問題にしないからである
私は高度成長の時こそ、みんなが猛烈な企業戦士となり会社人間になっているときたこそ実は引きこもりでもニートでもそういう人がいた方が良かったのである
数としては1000人くらいでもその中から独創的な人間がかえって出たと今では思う
私自身がそういう人間として生きてきたからである
今の引きこもりとかニートはそういう問題ではない、百万人もいるときどうなるのか?
その数が社会を圧迫するのである、なぜならその人たちは仕事もしないからやかで生活保護になるというときその数の多さが社会の負担になるから騒ぐのである
それで51歳の引きこもりが無差別殺人になったとき社会がその引きこもりとかニートに恐怖する、それがどこでも実際は身近にいるからである
するとそういう人たちがあんな事件を起こすのかと見るからである
それは数の多さの故にそうなるのである
またそれだけ数が多いと別にみんな引きこもりでニートなのだからいいじゃないかとか
政府でなんとか対策しろとかなる、それは非正規だとそうなっている
非正規は働いているからまた違っている
ともかく社会は数でみる、人口で見ること統計から見る、それが社会を見る手法である
カルト教団があるとする、例えば創価でも票が7百万だとか8百万だとか政治的にはすべて数でみる、数は勢力となり政治的圧力となり権力となる
でも実際は創価の会員でも幽霊会員がただ一票を選挙の時入れてくれると思われる人が数百万とか膨大なのである、それを日々回っているのが幹部の仕事なのである
その幽霊会員をいかに一票に結びつけるか、座談会に出席させれば一票いれてくれるとなるとなり勧誘する
その目的ははっきりしている、ただエホバとかなるとなぜあんなにしつこく勧誘しているのか?それが疑問なのである
ただ数を増やそうとしていることは確かである
カルト教団は数を増やすことが目的でありその人がどんな人かなど関係ないのである
そんなこといちいち問うていたら数か集まらないからである
いづれにしろ数の多さでそれが社会に影響する、いい方面としてはそれだけの数がいるのだからなんとか対策しなければならないとなり政府でも援助するとかなる
そういう存在を認めて社会的に受け入れて社会に役立たせようとする
一方で常にネットでそんな役たたずは始末しろ、害になるだけだと攻撃しているそう思う人が多いのである
今回のような無差別殺人が起きるとそうなる傾向が強くなる
それで事務次官とかの高級官僚の引きこもりの息子が親に殺されたとなるのか?
迷惑かけるからと思ったのは事件がありまたそういう立場にあったからなのかとなる
つまりこれからの引きこもりニートは数が多いから社会の重荷となる
引きこもりニートは処刑しろ!
本当にこうなるかもしれない、親に処刑されたともなるからだ
それは引きこもりやニートにとっては恐怖となる
なぜそうなるのか?それは数が多いから社会の負担となるからである
数百人とかの単位だったら負担にはならないから無視できるのである
でも百万人とかなるともう無視できないのである
それから外国人労働者だって百万人以上になると無視できない、社会を変えてしまうのである、現実に田舎でもベトナムとネパールの人がかならずいるからである
つまり数が増えるということは確実に社会を変える、それで放置するわけにいかなくなるのである、それはいい面にも働くが悪い面にも働く、どっちかというと悪い面に働き処刑しろという世論が高まりそれを見越して親が処刑したのかとなる
民主主義とは数で決まる、多数決で決まる、数が多いということが権力をもつことであるだから非正規でも数が多いのだからそれを圧力とできるが政治的にそれを組織するものがないとか政治に反映する団体がないとかできないとしている
そこに民主主義の問題があるとなる
シルバー民主主義というのもそうである、老人が数が多いのだからどうしても老人に有利な政策がになるのである
だから数が多いということは現代社会では社会そのものを左右するのである
数の多さによって多数決ですべて決まるという民主主義もそこに限界が生じているのである