2019年06月25日

中間層の没落は国家を維持できなくなさせる (国家へ忠誠心がなくなり国も守れくなる)


中間層の没落は国家を維持できなくなさせる

(国家へ忠誠心がなくなり国も守れくなる)


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日本の中間層の没落の方が深刻!

日本は高齢化の度合いがアメリカより大きいのでより深刻
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アメリカでも高齢者の貧困があり65歳以上でも働いている人が増加している
アメリカと日本はにている




1997年をピークに、年収で55万6千円も減少した。給与所得者数を所得階層別にみると、増加しているのは年収2000万円以上のごく一部の高額所得者と、年収500万円以下の層であり、年収500万円〜1000万円の層は減少している。


働きながら生活保護水準以下の収入しかないワーキングプア世帯は、就業者世帯の4・2%から9・7%と2倍にもなった。「貯蓄ゼロ世帯」(2人以上世帯)は30・9%、1997年から2015年の間に3倍に急増した。


アメリカ人の中間層、850万人が退職年齢時に貧困レベルへ?

世界の歴史を振り返った時、空前の繁栄を享受した帝国がほどなく崩壊した背景には、必ずといっていいほど共通した出来事があった。中間層の没落である。古代ギリシャの民主政、ローマ帝国、唐王朝等々、いずれも中間層を没落させたことが衰退、そして滅亡の引き金になった



中間層の没落が国家自体を衰退させる、それがアメリカでも日本でも起きている
中国では経済が上り調子で日本の高度成長時代と同じになった
でも格差が拡大化して同じ問題が起きてくる
分厚い中間層が形成されるとき国は安泰である
それを成したのが高度成長時代の日本だった 
その中間層が没落した時アメリカではトランプ大統領が生まれたのである
日本はなんでもアメリカに追随する、アメリカに起きることは遅れて日本に起きる

中間層の没落はギリシャのポリスでそうだったようにポリスへの忠誠心をなくして貧富の差が増大して傭兵を雇ったりして弱体化する、国家でもそうである

ブドウやオリーブを栽培する農民は、内陸部との貿易で莫大な利益を得られるようになりました。内陸部からギリシャへ穀物や金銭が大量に流入し、それに比例するようにギリシャの各々の都市国家(ポリス)の人口は増えていき、その後の繁栄の基礎を築いていったというわけです



ギリシャは貿易国家であり日本とにていた、高度成長時代は電機製品を輸出することで分厚い中間層が形成されたからである、その中間層がバブルの崩壊で没落して下降する経済になり現在がある
格差社会は国家への忠誠心を喪失させる、それはアメリカでも日本でも同じである
日本は明治維新で侍をなくした、国民国家とした、それで西南戦争は国民国家とするための戦いであり侍階級は廃止された、それは中間層が増大して国民意識が芽生え国家への忠誠心が醸成された

でも戦前の国家意識は国家への忠誠心は経済的要因より対外的な要因から起きた
欧米列強に植民地にされるのを拒否するために起きたのであり経済的要因だけでは語られないだろう、すべてを経済的原因では語られない、なぜなら植民地にされたくないという動機は日本のプライドであり心の問題だからである
アジアの他の国はすべて植民地にされたからである
だから歴史でもすべて経済的なものに原因を求めることはできないのである
個人でもプライドがあり国家にもある、プライドをかけて人間は戦うという歴史観も納得する、そうなると経済的には損失になる、それでもプライドをかけて戦うのが人間だとなる、だからすべて経済的側面からだけで歴史を観ることはできないのである

ただ中間層の没落とか弱体化はポリスでも弱体化したしまた国家でも弱体化する要因になったことは間違いない、一パーセントの富裕層がいてもいくらその人たちが金をもっていても国は守れない、なぜなら南米をみると一パーセントの富裕層がいてもその他は経済が崩壊してホンジュラスとかでは国を捨ててアメリカに移民するために流出しているからである、一パーセントの富裕層がいても国は守れない崩壊するのである

だから現代はグロ−バル化経済になったときその構造は共通して起きる
極端な格差社会になり国家自体が維持できなくなる、国民は国家に忠誠心をもたない
むしろ多国籍企業とかになると国家自体が邪魔になる、もうけるためには国家の障壁をとりはらうことがいいのである、それはただ経済的動機だけで動くことになる社会だからである
国家とは民族のアイディンティティを無視して経済合理性だけを利益だけを追求すればいいとなる、人間はただ経済的ユニットになる、そこに文化とか何か精神的アイディンティティは喪失させる、でも人間はそういうことで生きる価値があるのかともなる
人間はすべて経済的なものだけで生きているわけではないからだ
その矛盾がグロ−バル経済で大きくなっているのだ

いづれにしろ間違いなく中間層が没落するとポリスでもそうだったように国家でも一体感がなくなる
中間層が分厚く存在している時はポリスでも国家でも忠誠心がますが極端な格差社会は国家自体への忠誠心が喪失して他国が攻めてきても誰も国を守ろうともしないだろう
それは何か南米とかの大金持ちが私兵を雇って城塞化しているとにている
そういう私兵は金でやとわれているだけであり傭兵と同じであり金だけの動機しかないからとても守りきれないとなる
最後は主人を裏切って金を奪いばいいとしかなくなる
つまり忠誠心は得られないのである、それは個々人でも金持ちの家で働く召使とかでも起きてくる、どうして忠誠心を得られのか?
現代だったらもう金の関係でしかないというとき、かつては侍でもその家臣でも忠誠心をもっていた、それはそういう社会があったからそうなりえたとなる
何か精神的紐帯があったからありえたとなる

ともかく中間層の没落は国家自体の危機なのである、でもそういうふうにアメリカでも日本でも危機を上層部は感じていないのである
やがて中間層が没落して下層と上層に二分されるとき国家の一体感は喪失してどうなるのか?
そういうときフランス革命とか中国でも革命が起きる、反乱が起きる
そうして少数者の上層階級は襲われて危険な状態になる
そういう革命は歴史でロシアでも起きたしどこでも起きているからである
分厚い中間層が存在すればいくら下層がいても少ないから抑えられるのである
でも下層が増大して格差社会になり階級社会になると国家でも社会でも不安定になり
反乱や革命が起きて国の一体感はなくなり他国から攻められても国を守る意志もなくなるつまり中間層が没落することは国防にとっても危機なのである
ただグロ−バル経済では世界的に起きていることである

世界的な格差社会階級社会が形成されている、グロ−バル経済の中で国家の中でも格差が生じている、グロ−バル経済になるとある所に金融関係でも操作して莫大な富が集中するためである、でもその富が中間層に回らない時、国家自体が弱体化して富裕層も上層部もその富も守れなくなる、なぜなら国家と民族は最後の紐帯であり精神的アイディンティティを持つものだからそれを否定できないからだ
そういうせめぎ合いが世界で起きる
アメリカでもアメリカファーストというときそれは数パーセントの金持ちのためなのか?それを否定して没落する中間層にトランプが訴えたのである
それは国家というのは一パーセントのものが50パーセントの富を得ているとなるともう国家は存在しない、国家とはやはり多数のものでありそんな極一部のもののものではないからである、そんな国家は成り立たないのである
だからこそ中間層の没落はアメリカでも日本でも中国でも危機なのである
それを無視していると国家自体が崩壊してゆくのである


posted by 老鶯 at 12:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

中国人がベトナム人の人材派遣を請け負う (日本の底辺と外国人労働者が競う時代に・・)


中国人がベトナム人の人材派遣を請け負う

(日本の底辺と外国人労働者が競う時代に・・)

ベトナムでは外資系企業が人材派遣会社を経営することはできないが、中国の送り出し機関の関係者が裏で関わる形で日本への送り出しビジネスが始まったという。

中国の送り出し機関が持ち込んだのは、日本の受け入れ機関とのネットワークや単純な人材派遣のノウハウだけではない。

「中国で行われていた日本の受け入れ機関へのキックバックや過剰な接待がベトナムにも引き継がれています。技能実習生の増加とともにベトナムの送り出し機関が乱立して競争も激しくなり、営業攻勢が強くなっています」(同前)

駅で見たのはベトナム人を引率する中国人だった、なぜ中国人なのか?
その解答がここにあった、中国人が斡旋していたのである
中国人が仲介業になっていたのである

カンボジアでも中国人が百万人いるというときもうそこはカンボジアなのか?
いかに中国人がいたるところに増殖するかわかる
カンボジアはもう中国人がビジネスでも支配する国になっている
やがて国自体を中国人が牛耳るようになる
そうなっている国もある、それだけ中国の影響が拡大して増大したのである

確かにこれまでは欧米中心のグロ−バル化だった、今でもそういうことは継続されているしかしそうしたことも米中の貿易戦争となり中国の存在がこれから増してくる
ヨ−ロッパでもイタリアが中国の一帯一路の中に組み入れられるとかになる
それだけどこにも中国人が世界中を跋扈する、もともと中国人は数が多いのだからそういうことがあった、でも今はそうした底辺労働者ではない、ベトナム人を日本で労働者として斡旋しているのは中国人だというときもそうである

それで底辺労働者のLove & Freedomのyoutubeでも深夜の労働現場はもう外国人だらけであり日本人が入り込めない、コミ二ケーションがとれないと訴えている
日本語が通じない世界になっている、そこで日本人は排除される
だから英語を使ってコミ二ケーションをとるほかないとしている
それはさしせまったことであり英語を実用化することなのである
その英語もあくまでも高度なものでなくて簡単な支持を英語でできるレベルだという

これは実体験の報告でありリアルである、youtubeにはそうした実体験から語るから
リアルなものとなりマスコミの報道とは違っている
第一マスコミの人は学者でもそういう実体験から語っているのではない、論議もしないからである、上からの目線で語り論議するだけだからである
だから切実な訴えとはならないのである
また一つ明らかにyoutubeで報道の変化が起きている
ただこれもなかなか最初は理解しにくいものだった
ただ今やマスコミとyoutubeが対比して見られるということで大きな変化になった
youtubeはテキストよりわかりやすいから見る人も多いのである

結局マスコミは媒介するもメデアである、でも発言する人自体がメデアをもったのがインタ−ネットであゃyoutubeとかである、媒介するものはいらなくなったのである
そこに生々しい真実が暴露されることがある、直接医者が裏側を語る人もいる
それはマスコミで語られないものである
それで実態が赤裸々に明るみ出さされる、つまりどこで仕事していてもそこで仕事している人が一番詳しいのである、だからその現場をそのまま伝えれば驚きとなる

この辺では最初は福装(裁縫)に中国人が来ていて今も継続して来ている
そして今はベトナム人とネパール人が来ている
とにかくベトナム人とネパール人は増えた、ここはまだ貧しいからである
ネパールは最底辺国である、山ばかりなのだからそこで何を食べているのかわからなかった、ベトナムだったら二毛作で米をとれているから食料に困るとは見えない
平地も多い、ネパールは平地がない、山ばかりだとしたらどうしても耕地でも奴の斜面とかになる、だから山ばかりで土地を活かせないのである
ただそうはいってもペルーのインカでも山ばかりでも高地でも高度な文明を作った
ただネパールの不思議は熱帯のジャングルがあり象がいてサイがいてトラまでいる
ワニもいた、これもここがいかに原始的な状態がまだあるかということである
だから裸足て山岳地帯を歩く人がいたのである

いづれにしろそうして外国人が来るときその国自体に興味をもつ、その国の自然とか文化でも興味をもつ、だから外国人そのものがヒトが入って生活するとなるとモノが入るだけのグロ−バリゼーションとは違ったものになるのである
人と人の交流になりそこに軋轢も生れるし相互理解も生れる
ただ底辺労働者が入る単純労働者はそうした文化的交流とは別なのかもしれない
中国だったら奈良時代に唐まで行ったのはあくまでも文化交流である
そこで学んで漢字を取り入れたことが最大の交流だったのである
だから今の外国人労働者が入ってくるのとは違っていたのである
ヒトが他国に大量に入れる時は奴隷である、戦争に負けたら奴隷にされる
それでスラブとは奴隷の意味である、その後も黒人が奴隷とされた
まずそうした人たちに同等の権利を与えることはなかったのである

だからこれだけの人間が自由に国に関係なく移民化する時代はなかった
日本でも歴史でも経験していないのである
だから外国人労働者を奴隷として扱うこともできない、欧米のような奴隷化する歴史もないからである
日本人は召使でも平等に扱う家族のように扱うとかなり使うことができないとなっているからだ、そういう文化がないからである
つまり外国人をどうあつかうか?その経験も歴史的にもないからとまどうのである
それはモノが入ってくるのとは全く違ったものになるからである
それでつくづくネパールで外国人をカースト化するのもわかる
日本人もカースト化されているのだ

日本だと中国が外国人ではアジア人では一番上のカーストになっている、欧米人はもともと一番上のクラスだった、アジア人では韓国在日ー中国人ー台湾人ーベトナム人ーネパール人とかなる、人種が混交するとそういうふうになりやすいのである
ただ日本が貧困化するとそのカーストの順位が下がりやがて外国人の奴隷にもなる
なぜなら日本人はもう外国に出稼ぎに行く時が来ると言っている人がいるからだ
そういうことが外国人労働者の底辺に起きている報告がLove & Freedomのyoutubeで成されている、日本語が通じないという、日本人は外国人グループから排除される
つまり外国人労働者の下位に置かれるとまでなりつつある、そうした競争が強いられるのがグロ−バル化した世界だとなるのである

種子島の鉄砲伝来でも中国人がポルトガル人の通訳に

100人ほどの南蛮(ポルトガル)商人の乗った一隻の船が強風により漂着した。代官より報せを受けた島主の種子島時堯(ときたか)はこれを赤尾木湊に曳航させ船主と会ったところ、乗組員の中にいた商人が見慣れぬ鉄の棒(鉄炮)を持っているのを見つけた。
 言葉は通じなかったが、これが欲しくなった時堯は乗組員の中に五峰という中国人がいたことから彼を通訳として筆談で話を進め、高価にもかかわらず二挺の鉄砲を購入したという。ともあれ、こうして二挺の鉄砲が種子島時堯の手に入り、彼はこれを「稀世の珍宝」として家宝にしたという。これが鉄炮伝来の瞬間であった。

ここでも日本人は中国人と筆談していた、漢字を使えるからそうなったのである
今でも中国に行くと筆談である、皆目発音はわからなかったからだ



posted by 老鶯 at 19:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2019年06月26日

グローバル化の波が押し寄せている「日本社会の現状」と「英語の必要性」について


グローバル化の波が押し寄せている「日本社会の現状」と「英語の必要性」について


Love & Freedomからの疑問

外国人スタッフが言う
日本人は何もどうせ何も買わない、たいしたものは買わない、接客する必要がない
ツアー客の外国人が次から次と買うのを見る

外国人が底辺労働者を見ている、腰が曲がっている老人でも働いている
日本の現状を外国人は知っている

外国人労働者が地方でも増えてくる

多文化共生が好きである、刺激的である

日本人が日本語がなくなり日本の歴史も文化も消失してゆく

英語が共通語にてってゆく、日本語を学んでも意味がない
日本語を学んでも役にたたない

日本が委縮していることを知っている、日本語を勉強しても他の国で働けない

外国人は日本にずっといるわけではない、今円が強いからいるだけ・・

外国人が集まって蚊帳の外に出されるないように英語を勉強する

日本政府は団塊ジュニアを救わない、日本は老人が増えるだけ



ここで疑問なのはそんなに英語をベトナム人とか中国人とか話しているのか?
ネバール人のガイドは英語を使っている、でもネパール人全部が英語を話せけるわけではない
ただ東南アジアはイギリスの植民地になったので英語を話す人が多い
だからネパールでガイドが英語を話せるから商売になる
英語が話せるということは英語を使う国が多いのだから役立つ
日本語覚えてもそこでは役にたたないのである
ただ翻訳アプリなどではめんどうくさくて通じにくいと言っている
確かにスマホの翻訳アプリを駅の高校生の見守り役が中国人に説明していた
でもなかなかめんどうになることは確かである

自分の失敗はもっと早く外国に行って実際に英語で話ししてみるべきだった
英語の勉強の仕方も悪かった、今ならインタ−ネットとかあるから勉強しやすい
それで外国旅行したときは英語をしゃべったこともないのに結構しゃべった
それで英語が通じたということは役に立ったという経験をしたのである
でなければほとんど英語を使わないから英語を勉強する気がなくなる
今は海外旅行にも国内旅行もここ十年は介護でしていない
そうなると駅でフランス人が来たのだが英語で案内しようとしたが英語が出てこないのである

ただ正直この人がなぜこれほど英語にこだわるのかということがわからない
みんなそんなに英語を使っているのか?
第一底辺労働者自体が肉体労働派が多いだろう
ただフィリンピンから来た肉体労働者は大学卒だったとかあり仕事がないので出稼ぎに来ている人はいるが一般的に知的な仕事をしている人たちではないだろう
だからそんなに英語が必要なのかともなる
かたことの日本語でもしゃべって建築現場などでは通じているというからだ

多文化共生というとき自分自身も何か外国に興味があり文化的交流ならしたいとなる
でも底辺労働者はそういう人達ではない、日本で日本円が欲しいというだけである
日本の文化とか歴史に別に興味あるからきているのではない
フランス人の小学校の教師は日本の歴史と文化に興味があってきていた
多から野馬追いとか平泉まで行こうとしていたのである
ただそこでわずかな時間でありコミ二ケーションはできなかった

とにかく多文化共生というとき外国に観光旅行する人にはありえる、観光ならありえる
自分自身も特にヨ−ロッパに興味をもっていた、そこの歴史に興味をもっていた
それで帰ってからも勉強して詩にしたりしている
でも日本に来る底辺労働者の目的は円が欲しいというだけであり文化的なことに興味がないのである、またそんなことても得にならないから英語を使った方が世界で通用するとなるから英語を使う

ここでの問題はそういう人たちは日本人になる気はない、一時的に滞在して円をかせぎたいというだけである、そういう人達である
ただ近くのホンダで働くネパールの人は長く日本にいるから妻を日本に呼び永住権があるから日本人になるのかとなる

●つまり日本人になるというときやはり英語より日本語を覚える、それは強制される

●一方で円を欲しくて帰る人は日本語などむずかしいから覚える必要がないとなる

永住して日本人になる人と一時的に滞在する人と分けることが必要なのかとなる

一時的に滞在する人は日本の円が強いから働く、でも日本が衰退することを知っているから永住する気はないとしている

でも日本人なら衰退してもここで生きてゆくほかないのである
ただ日本人もそうなると外国に出稼ぎに行き日本に来た外国人と同じ待遇になるのであるそれもカルマだとなる、つまりいつまでもどこの国でも優位に立つことはできないのである
アメリカだって今やもう中国と対等であり中国に負ける
そして日本からも撤退するとしている、そういう力関係も変わるからである
中国があれほど強気になれるのはやはりアメリカがどういう状態にあるか知っているからだろう
結局国々でもせめぎ合い興亡があり変わるのである
いつまでも栄える国もないのである、だからアメリカが衰退する、日本も一時興隆して衰退するというのも宿命だともなる
ただ日本が良かったのは高度成長時代の二十年くらいだったとなる
それも短い時間でありはかなかったともなる



外国人労働者の増加で職場・生活はどう変わる?】第19回:国際競争力をつけるには、
日本語を話せるグローバル人材より英語を話せる日本人を育てるべき

英語についてはいろいろ意見があるけど日本人が英語が苦手なのはもともと英語を使う相手がいないからである、しゃべる機会がほとんどないからである
英語をしゃべる機会がふえればまた必要性があれば庶民でも覚える
それで印象的だったのは長野県の宿のおばさんが外国人とだきあってまた来てくれと言っていたことである
それは嫌なことでも日本が貧乏になるとそうなるのである
奴隷化にもされるのがグロ−バル化なのである
食べるために英語だって覚えるし嫌なことでも外国人にこびることでもする
でも普通は英語は使わないから使わないと忘れてしまうのである

学問的にとか文化的にとか芸術的にとか英語とか語学を追求しているのはまた別だからである
グロ−バル化とは一部のそうした知的エリートとかのものではなん庶民まで及んでくるのがグロ−バル化なのである

posted by 老鶯 at 09:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

日本が孤立する理由は地理だった (中国は近くアメリカは遠すぎた―中国の脅威が増してくる)


日本が孤立する理由は地理だった

(中国は近くアメリカは遠すぎた―中国の脅威が増してくる)

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国際関係でも地理的要因が大きい、アジアは日本にとって近い存在である
韓国は古代から一番近い存在であり交流があった
日本の天皇が伽耶からでたというのもそうである 

対馬から韓国・釜山直轄市までの距離は49.5km

最狭部はケント州フォーランド―パ=ド=カレー県カレーで、34km。

この大陸との差が日本を作ったのである、近いのでもない遠いのでもない、第一対馬から50キロとしても津島からさらに福岡は島伝いで147キロある
合計200キロもある
だからとても近いとは言えないのである
イギリスとヨ−ロッパ大陸は本当に近い、陸続きとはならなくてもそれに近いから大陸の一部だともなるしそういう歴史が形成されたことが地理からわかる
歴史と政治でも地政学がベースとなる

なぜ日本は中国に進出してアメリカと戦争となったのか?

これも地理的要因が大きい、地理だけではないにしろ基本的には地理が要因となった
なぜなら中国大陸は韓半島経由で近いがアメリカは大平洋を挟んで離れすぎているからだするとアメリカのことを実感として日本では知り得ないのである
だから韓国から中国に進出して満州で戦争が起きるとアメリカのことは考慮しないで戦線を拡大していった、それも西安(シーアン)まで日本兵が行っていたことに驚いた
なぜそうなったのか?そんなに戦線を拡大したのか?
それはその時代中国が欧米の植民地化して弱体化していたから日本をつけ入る余地があった

それよりアメリカが遠すぎたからアメリカのことを考慮しなかったのである
最初の敵はイギリスとオランダとかヨ−ロッパが植民地化した所だったのである
その時最初に攻撃したのがシンガポールでありマレーシアでありその最先端のジョホールバルに姉が従軍看護婦として地獄の苦しみを受けた
その戦争でイギリス軍はアジアから追放されたのである
フランスはベトナムでありここでも日本軍がベトナムの独立軍と戦ったとかある
日本はヨ−ロッパとの戦いでは勝っていたし勝った
でもアメリカが参戦することで負けたのである

つまりなぜかというとアメリカが遠いからアメリカの驚異を感じられないことがあった
韓国中国は常に日本にとって身近な存在である
でもアメリカは歴史的に明治維新の時にペリーが来たというくらいだったのである
強大なアメリカを見ていなかったし見れなかったともなる
それはあまりにも離れていたからである
この地理的要因が日本の運命を決めていたのである
陸続きだと常に驚異を感じる、それは理屈無しでそうである
真珠湾攻撃でもアメリカ本土とは遠いからという計算が働いたかもしれない
その頃交通は主にに船だったからである、一か月もアメリカまでかかったとしたらアメリカは軍事的にも遠い存在だったのである
その時中国は弱体化しているから進出を容易とみたのである
最大の敵はイギリスを主体としたアジアの国を植民地化した国だったのである

結局この地理がその国の運命を決める、これから逃れられない、地理は変えることができていカルマとなっている、だから同じことが起きる
今や中国が強大になり日本がのっとられるというときもそうである
中国は近いからそうなる、その脅威から逃れることはできないのである
だから沖縄でのアメリカ軍の基地騒動でも結局左翼が反対してもではそのあとアメリカ軍が撤退するとどうなるのか?
沖縄は中国に支配される、それを沖縄県民も望んでいるから当然そうなる
それがどういうことになるのかは沖縄県民も考慮していないのである
中国に属したいとなればそうなる
沖縄では絶えず日本軍に対する恨みを言っているからである
では中国に沖縄が支配されたときやがて日本は中国に支配されることが現実化する

つまりその時アメリカは中国と戦わない、日本を捨てるというときアメリカは別に日本は遠いし中国も遠いからかかわらなくても何の不利益もないからである
そうしてまた日本は第二次世界大戦の時のように孤立するのである
中国ともロシアとも対立するようになり孤立無援になるのである
そういう地理的カルマを背負っているからだとなる
日本はもう日本だけで防衛しなければならないというときまさにそうである
日本は離れ島のように孤立して援助がないのである
アメリカに頼っても遠すぎるからあてにならない
もし陸続きだったら近かったら即アメリカの脅威になるから事態は変わっていたのである
中国人が凶暴化している動画をを見た

謎の中国人市場


そこでも韓国人と同じことを言っている、戦争で日本人に殺された中国人のことを思い、謝罪しろとか堂々と言っているのには驚いた
それは不正に道路で商売していて周りの人に毒ついていたのである
この光景を見たとき怖いと思った
中国人は日本人に根強い恨みをもっていていつかそれを晴らすとしている
それで強国化したとき日本は危険な状態になる
これはベトナムとかネパールとかの外国人労働者問題とは別である
日本侵略の先兵として日本へ送り込まれている
また中国の人口増加対策として人減らし政策として送られている
中国の人口が最盛期でも4億くらいしかなかったのは驚きである

今中国の人口圧力が増大して日本が移民先として狙われている
日本のいろいろなものが買われるという恐怖を言うのもわかる
だから中国人の労働者は規制すべきだとなる、その背後に中国国家があるから危険になるいづれにしろ中国の強大化はアジア全体世界全体の問題になっている
それはアメリカと中国だけの問題ではないのである
最も身近なのが日本なのである、それは地理でそうなっているのである

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これをキンドルで読んだ、400円で安かった
キンドルPCだと画面が大きいので読みやすい
でも持ち歩きのキンドルは画面が小さいので読みにくい
スマホでも読みにくい、そこが一番の問題なのである
パソコンは操作しやすいから老人にも適しているのである

posted by 老鶯 at 14:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年06月27日

一千万人が消費者金融を利用(見えない現代の貧困) 一千万人が消費者金融を利用(見えない現代の貧困)


一千万人が消費者金融を利用(見えない現代の貧困)   




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これも衝撃である、一千万人が消費者金融を利用している?
貯金ない人がこんなにいる
でもなかなか日本人が貧乏だとは見えない?

要するには今の貧乏と昔の貧乏は違っている
昔の貧乏は貧乏に見えるしみんな貧乏だった
今の貧乏はレベルが高い暮らしを維持するための貧乏になった

クーラーを設置するからなんやかにやと金がたりないとなる
全部福祉でもしてくれないからだ
最近暑くてクーラーがないと死ぬこともあるから必要になる
でも昔はクーラーなどなかった
トイレも外のトイレで農家の人が汲み取りにきて無料でもっていってくれた
水道はなく水は近くの井戸あるところからもらっていた
家には飯台一つしかなく裸電球一つだったとかなる
自転車は一台でそれを修理して新しいものを買うことはなかった
こういうことをあげればきりがなくなる
乞食もいたから貧乏が見えていたのである、今でも後進国ではそういう生活をしている

現代の貧乏はまず電気代水道代携帯代、スマホ大、車代、クーラー代とかそういう基本料金にかかる、そこからして貧乏になると家計に負担になってくる
教育費でもかかる、つまりそもそもレベルの高い生活をしているから貧乏になると一段と苦しくなる
そして回りでもみんなそういう生活しているからまわりに合わせる必要がある
でも現実貧乏になればクーラーがある生活すら携帯をもつことすらできないのである

すると結局どうなるのか?

消費者金融から借りることになる、そしてその利子が馬鹿高いからさらに追い詰められるとなる
確かに福祉から借りられるにしても手続きがめんどうだからあまり利用しないとなる

何かおかしいのは事業を失敗して経済的に苦しいのにそれを隠している
車もいい車に乗って夫婦で一台づつ車を持っている
その人は別に事業に失敗したとは見られていない
平均より上の暮らしをつづけていたのである
それで自分が病気とか介護になった時借金を要求しやすいからしてきた

その人が本当に昔のように貧乏で食うものがないというものではない
だから今日食べるものがないから助けてくれとは言わないしそんな貧乏とは違うのである依然としてハイレベルの生活をするために借金を要求してくるのである
それも事業に失敗したからその額は大きくなる
でもその人が外から見たら成功した人として見られているのである

そんな人とつきあったらどうなるのか?
多額の借金を成功した人としての生活を維持させるために要求されるのである
その人は別に最低限の生活には困らないのである
ただ事業に成功した人としての外分を保つために金が必要だとうして借金している
また借金でもギャンブルして借金している人も多いと思ったがここの報告では意外と少ない
となると現実に日本は本当は貧困化している
でも依然としてこれまでのレベルの文化的生活するためにそうなっているのである

自分自身の生活費でも他者に援助しなければ13万あれば間に合う
そして計算して不思議たったのは一か月の生活費を例えば月20万として

それを5日のばすと5×12=60日になる

一日の生活費は200000÷30=6666

二か月延ばすと60日になる

6666×60=199980

一年で約20万節約となる、この額が大きいのである

20万を10日のばすとその倍になるから40万一年で節約になる

この計算が何かピントこないのである
でも間違っていると思えないのである
時間の長さで金が節約されているとなるしまた時間の関係で利子でもそれが積もり積もれば高くなるということがある
ただ人間は一年間隔で金の計算でもなんでもしていないのである
人間は長い時間で計算することができない

それで人間は時間を一番無駄にしている!

つまり人間の時間は限られている、何をするにもそうである、何かスキルを身につけるにも必ず時間がかかる、そして時間は平等に与えられている
天才でも金持ちでも時間は平等である
ただ時間を活かせないのである
天才でも膨大な知識がありすべてに精通することなどできないのである
だから凡人でも知識でも何でも積み重ねれば最後にその道の達人になったり専門家になれるのである

金の問題でも長い時間で計ることができない、ただ金というのは人生でも何か計算が必ずはずれる、常に人生でもリスクがあり計算が狂うのである
ただ時間で積み重ねることで最後に実りがあることは確かである
ギャンブルのように大金が入ることはまれである
特に何か知識とか趣味とか心を豊かにするものは日ごろの積み重ねで実りとなる
ただ語学でも何か学び方が悪いとモノにならない
時間を有効に使う方法がありただ時間だけかけても上達しないのである

いづれにしろこれだけ貯金がないとか消費者金融に金を借りている日本は本当に貧困化している、その無理がいつか表面に出てくる、その時どうなるのか?
氷河期世代とかが非正規の人たちが大量に生活保護になるとか団塊の世代が75歳になり病気や介護になるとか負担が増えてどうなるのか?
現実にその人は氷河期世代で非正規であり青森の施設に親を入れているが何かと必要なものがあり金を請求されて困っているというのもそうである
親は貧乏であり福祉となると頼る者もいないから苦しいとなる
それがさらに全国的に極端化するのが氷河期とか非正規が60歳になる頃である
年金ももらえない人があふれる、今でも国民年金だと4,5万しかもらえない人が結構いるのである
今になり年金が大事だったとつくづく思う、なぜなら年金は死ぬまでもらえることが強みなのである、それで死ぬまで保証されるからである

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駅に七夕の飾り(南相馬市(原町)ICにバスセンター)


駅に七夕の飾り(南相馬市(原町)ICにバスセンター)

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駅に幼稚園なのか保育所なのか七夕の飾り
アイスクリーム屋になりたいといのが短冊に三つあった
アイスクリームが食べておいしいから印象に残りそうなった
消防士になりたいとかもあった

ただ駅に電車を見に来る人がいた、孫を連れて来る人がいた
ただホームに入ると人がいなくても監視カメラが見ていて注意される
それがうるさいのだ、今は誰も見ていてないようで見ている
まず駅はつくづくうるさい場所なのである
だから今はかかわらない、昼間に高校生の見守り役がいないとき客と話ししたりするだけである

東北アクセスのバスセンターが常磐高速の入り口にできていた
そこにはコンビニがあり喫茶室がある
そこが休憩所になっている、それでコンビニでコーヒーを買ってそこでお菓子でも買って食べて休めるからいいと思った
でもあそこからバスに乗る人がいるのか?街からずっと離れているからである
原町の百円ショップでもコーヒーが飲めて百円の菓子を買って食べることができるのが便利である
喫茶店だとそうしして気軽には入れないからである

バスも双葉大熊間がバスで行くほかないからいわき市までバスで行くと便利である
またさくらバスは東京まで行く、予約制である
5000円とかで安いが時間的に疲れる、大きなバスではないからだ

なんか私は介護とかで疲れて遠くに行く気力がなくなった
だから介護になってからほとんど遠くに行っていない
仙台までも今年になって一回行ったのかそれもわからない
たいがい一か月に一回は行っていたけど行かないのである

老人になると遠くに行くのが億劫になる、人ごみとか乗り物でも疲れるのである
だから60まで海外でも行っていたのが良かった
もしそうしなかったら介護になって海外に行くことができなかったから大損失であり
知識でも発言することでも幼稚なものになって笑われていた
そして意外と人生は短い、またたくまに過ぎる
二度と旅もできなくなる、退職してから自由に旅しようとしてもそこに思いがけないことが起きてできなくなるときがある
人間には意外とそんなにチャンスが与えられていないし時間も限られているのだ

無人駅化の問題の情報を集める (鉄道に関する法律があり駅には個人でもかかわれる?)


無人駅化の問題の情報を集める 

(鉄道に関する法律があり駅には個人でもかかわれる?)  

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ここの番組が無人駅化の問題を動画で要約している、これを見れば具体的に問題がわかる


始発から午前6時半まで駅員が対応せず、インターホンで対応する駅が広がっています。もしも転落や落下物などがあった場合、発見した乗客がインターホンで近くの駅に連絡をとり、駅員がいない場合は、そこから人が駆け付けるということになります。
埼玉県は、このインターホン対応駅名を把握していませんでした。私たちは独自に調査をし、JR武蔵野線、JR宇都宮線、高崎線の大宮以北、川越線など、相当数にインターホン対応の駅が広がっていることを確認しました。早朝無人化と言えるインターホン対応は中止し、駅員を配置すべきです。また、JRは更にインターホン対応駅を広げていく計画ですが、待ったをかけるべきです

JRは更にインターホン対応駅を広げていく計画ですが、待ったをかけるべきです。企画財政部長の見解を求めます。交通政策基本法は「交通に関する施策の推進は、国、地方公共団体、交通関連事業者、交通施設の管理を行う者、住民その他の関係者が連携し、及び協働しつつ、行われなければならない」としております。法に基づき、鉄道を利用する住民が県やJRと協議のできる場を設置すべきです。企画財政部長の答弁を求めます。


 JR九州が3月のダイヤ改定に合わせて実施予定だった大分市内8駅の無人化について、日豊線の牧駅を除く7駅で先送りされることが15日、分かった。障害者や高齢者を中心に利用者からの反対意見が強く、このまま導入しても理解が得られないと判断したとみられる。    

 駅無人化は法に逆行


 首都圏の駅にもじわりと広がりを見せている。今年3月からは東船橋駅のほか、同じく総武線の下総中山駅や幕張本郷駅にも、早朝時間帯の完全無人化が導入された。無人化の決定に一律の基準はないようだが、これら3駅の1日の平均乗車人員は、下総中山と東船橋で各2万人程度、幕張本郷で約3万人(いずれも2017年度)の規模になる。

改札の部分的な無人化については、2013年度から23区内の駅にも導入されてきた。これらの駅では「駅遠隔操作システム」を活用。近隣の駅から券売機類を監視・操作し、客対応はインターホンを通じて行う仕組みだ。


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 2018年時点で約5万4000人と5年前と比べて4000人減少した
 そして大量退職を迎える55歳以上が4分の一をしめる 

 自動改札機というのは意外と高価で複雑で大掛かりなメカなので、どこにでもポンポン設置するというわけにはいかない。切符が詰まる等のトラブルが起きたときにどうするか、という問題もある。


1日の乗客が100人程度の駅にすら駅員を置けと?
たった100人のためですら1ヶ月15万円以上もの人件費を掛けろと?
この設定なら乗客一人あたり1500円以上の収入がないと見合わないね。 

これだけの情報があった

交通に関する施策の推進は、国、地方公共団体、交通関連事業者、交通施設の管理を行う者、住民その他の関係者が連携し
及び協働しつつ、行われなければならない

住民その他の関係者が連携し・・・ということはその自治体の住民がかかわることができる
何かJRが決めるものではなかった、住民であれば誰でもかかわれるのか?  
個人はだめなのか?そこには規定していない、こういう法律があるということも意外である

JRでは退職者が増えるとかしても補充しない、5万人から4万人になってもそれで間に合わせる、そのために自動化をすすめている
それは鉄道を利用する人が減っているからだ、地方の田舎の無人駅はそうであるからやむをえないのかとなる
でも都会の駅でも無人駅化しているのはなぜだろうとなる
それはJR全体で人を減らすことにして自動化を進めているからである、人手がたりなくなるしコストでもそうである
田舎だけの問題としてとらえていないのである

ただ無人化してインターホンで連絡しても隣の駅の人がかけつけてくることは鹿島駅ではない、水戸駅で一括管理するようになったからである、ただ水戸駅から連絡があれば原町駅でかけつけることはありうる
盲人の人が一人通勤していて原町駅の駅員が危険だからと呼び出されたことがあるからだ
今は駅の高校生の見守り役が案内していると思う、私がその人に盲人が来たとき教えたからである

ただインタホーンではわかりにくいことがあった、第一初めての人はどこにあるのかわからない
また会話するにもわかりにくいことがある、それで私が仲介して話して支持したのである
無人駅の問題は初めて利用する人がいるとき慣れていないから問題になる

無人駅を見ていて感じたことは何でも機械化自動化AI化とかの時代になるけどそれですべていいのか?

その問題を提起している、でもコストを抑えねばならない、働き手も少なくなるときどうして維持するのか?
それはJRだけの問題ではない利用者の問題でもある
JRでそれだけのサービスを要求するならもっと鉄道を利用してくれとか電車賃をあげるとかするとなる
特に国鉄から民営化したとサービスはコストでするとなったからである
誰がそのコストを負担するのかが問題になるからだ
ただ機械化自動化でもコストがかかっている、券売機を改札を自動化してスイカで無人でできるにしても故障したりすると業者にたのむ、定期的に点検しているしそこで金がかかる、つまり自動化機械化でも必ず保守点検に金がかかるのである
だからそうしたコストはいくら人を減らしてもかかるとなる

とにかく高齢化社会になると自動化しているとめんどうになりわからない、インタ−ネットを設置していてもわかりにくいとかなる
それはテレビで報道していた、それを駅で案内して自分も感じたからである
老人は人の案内がないとわからないのである、機械とかに弱いからである
つまり自動化機械化社会は高齢化社会に向かないのである、高齢者は障害者ともにている、障害者は人がいなくなると困るというときそうである、でも障害者のために社会があるのではない、そのコストを払う方になると大変になる
障害者とか福祉には限度がある、それだけの余裕がもう日本にはないのだから要求もできないとなる

法に基づき、鉄道を利用する住民が県やJRと協議のできる場を設置すべきです

こういっても個人では通用しない、無視される、商工会とかの団体で交渉しないと通用しないのである
せいぜい邪魔になるとかで排除されるだけになる
ただ南相馬市とJRで交渉して駅に高校生の見守り役を置いたのである
ただそれも駅の業務はしないという契約で置いた、それも理解できなかったがやはりコスト削減のためだったのだろう
商工会にゴミの処理を頼んでいる、そのためには金を払っているからである
また委託すればその分金を払うようになるから頼まないとなる
駅の高校生の見守り役は南相馬市の方でNPOに払っているからだ、JRはそのNPOには金は払っていないからである
  


2019年06月28日

crests of venice(ベニスの紋章) abstract paintaing in venice


crests of venice(ベニスの紋章)

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ヨ−ロッパは芸術的に刺激される場所である、ベニスのような都市は他ではありえない
それが国家でありイスラム圏にトルコまで力をもっていた
ヨ−ロッパには都市国家がありそれが歴史的魅力を作っている

Europe is an artistically inspiring place, a city like Venice can not be the other
It was a nation, and it had power to Turkey in the Islamic area
Europe has a city state that makes it a historical attraction




情報社会とは何なのか? (モノより情報自体に価値がある社会)


情報社会とは何なのか?

(モノより情報自体に価値がある社会)


情報社会というときこれも何なのかわからなかった、情報社会はインタ−ネットが社会で一般化したときからはじまっていた
そしてスマホになりそれは世界で一般化した、ベトナム人でもネパール人でもスマホをもっているからである、スマホを通じて世界が情報化したともなる
つまりインタ−ネットとスマホで世界の情報化のインフラができあがったとなる

でも情報化というときそれは社会にとって世界にとって何を意味しているのか?
それが良くわからないのである、これがわかるのは情報を発信しなかぎりわからない
受け身で情報を受け取るだけだとわからない
情報化社会とは情報を誰でも個人でも発信できることにあったからだ
それが一番の変化だった

なぜならインタ−ネットがない社会の世界の情報はすべてマスコミに握られていた
一個人などかかわることができない、マスコミで発言できなかったら情報を伝えようもないからだ
それでどれだけマスコミの力が大きく第3の権力になったのである
テレビに何を発言するかではない、テレビに出れば顔が売れる、それだけで議員でもなんでも力をもつことができた、何百万人の人にテレビに出れば知られるからである

でもテレビで発言できたものはテレビ局から選ばれたものでありテレビ局の指示通りに発言する人である、テレビ局の意に沿わない人はテレビには出れないのである
そして何も発言できないしテレビ局の言う通りになる
だから原発の危険性とか原発を反対する放送はほとんど見かけなかった
それは福島県のマスコミでもテレビでも雑誌でも新聞でもそうである
なぜならテレビ局は新聞社が経営しているから同じになるのである
それで原発事故が起きたとき朝日新聞社の幹部まで東電に中国に招待されていた
その歓待されていたとき事故が起きたことでも象徴している
電事連からは800億という宣伝費が東電に流れていた驚きである
電事連というときそこは労働組合も入っていたのだから野党も関係していたのである

ではなぜマスコミがこれほどまでに力をもっていたかというとテレビ放送できる権限は六局しかない、するとそこに情報のすべてが集中することになる
そしてその影響は何百万人が必ず見ているのだから大きいのである
世界でもイラク戦争の時がそうだった、海鳥がイラクによる戦争で油まみれになったという映像が世界に衝撃をもたらした、それはやらせだったのである
それだけ映像の力は大きかったのである

いづれにしろ情報社会とは何なのか?
情報がマスコミだけのものではない、庶民へ一般人のものになったのが情報化社会である情報は今までマスコミを通じてしか伝達されなかったからである
それで私が無人駅で案内してそのことで具体的に鉄道のことに興味をもってプログで放送した、無人駅から鉄道全般の問題に波及して社会を知ることになったのである
それはただ無人駅になったので昼間買い物帰りにちょっとよって様子を見ていたことか偶然にそうなったのである
誰もいないから偶然に案内してそうなったのである

第一そんなところに伝えるものがこれだけあったということは意外だったのである
ということは本当はどこでもささいな仕事の場でも伝えることがあると思った
それができるのがインタ−ネットだとなる
そういう個々の目立たない仕事の場では伝えることがないと思ったからである
放送という時、目立ったもの事件が主になるからだ
ありふれたことは放送されないから知ることができなかったのである

情報社会とは何か?それは農業だったら確かに作物に関心がありそのことに一番関心がある、しかし農業自体にどうしてその作物ができるのかということに興味をもち知りたいということもある
私自身がそうだった、田舎にいるからみんな農業を知るとは限らない
ただ田畑に囲まれているのだから何もしなくても都会とは違う
でも実際に農業にたずさわる人は田舎でも少ないのである
だから農業のことを実体験として知っている人は少ないのである

それで小さな畑で野菜を作る人と知り合い実体験としての農業の話を聞いて興味をもった冬にかえって野菜は育つというのも意外だがそういうことは知識で知っていた
冬(ふゆ)は増えるから来た言葉であり農業の実体験から生まれていたのである
その人はしきりに冬は作物が育ちやすいと言っていたからである、これも意外なことなのである
そういう情報をじかに聞くことでその人に作物は何ももらえなくても資金の援助をした
結局作物は何ももらっていない、ただ話を聞いただけだとなる
でもふりかえるとそこでの実体験の情報をじかに聞くといことで情報に価値を見出して金を払っていたとなる

こういうことができた金額は実際大きいものだった、その人はいつも金に困っている人だったからである      
このように今の社会は作物自体に価値があることは言うまでもない、でもそれにまつわる情報にも価値が出る社会である、それはある程度余裕ができたからとはなる
そうでなければそんな情報だけに金を払うなどありえないからである
つまり情報社会とはモノだけではない、そのモノにまつわるものに価値が生まれる社会である
実際その人は別に家に来ても何もしない、畑の話をするだけである
二三枚皿を洗ったが今はしない、家事は全部自分がしているからである
つまりその情報に金を払っている、他でもモノだけではない、情報に金を払うべき時代なのである
情報は無料だとはならないのである

例えば喫茶店でもレストランでも見晴らしのいい所にあると安らぎ覚える
それは食べるだけの価値ではないのである
ただたいがい街の中にあり見晴らしとか景色を楽しみコーヒーを飲んだり食事する所はまれなのである
そういう付加価値を今は求めている、外食産業が落ち目になっているのは必ず同じもので飽きるからである、でも景色とか飽きないのである
季節感があり飽きないのである、だから景観の価値は消失することがないのである
食事は必ず飽きる、だから価値が永続できないのである

それで相馬市の日立木の柏崎のカフェドマニは景色もいいし薔薇の庭があったからそこで価値を生み出している、海老のニコニコ堂も納屋を改造して作り隠れた所にあり庭もあるから価値を作り出している、庭を散策するということで価値を生み出している
つまり食事だけではもう価値を生みだせない時代になったのである
こういうふうに時代によって価値が変わってしまうのである
ただ食事だけを出してもうける時代は終わっているから外食産業は別な付加価値のあるものを提供しなければ衰退すると説く人がいたのもわかる

観光というとき情報社会と密接に関係している、もちろんその土地のうまいものを食べたいという欲求は変わらない、それと同時にその土地のことを歴史文化でも知りたいとういことがある、その歴史と文化を知って食事を味わうと楽しさが増すのである
それを外国旅行ではバックパッカーで金がないからできなかったのが残念だったとはなる日本ですら郷土料理自体食べられない、どこでも同じである
郷土量料理を食べるとしたら相当に高くつくからである
ただ料理も文化なのだからただ食べるだけが人間ではないからその料理の成り立つ由来を知ることでその土地の歴史や文化を知ることになる
それで面白かったのがリヨンのブションという料理の由来である

メニューは豚、牛、羊の頭や足、胃袋、心臓など、内臓系料理が多いのが特徴。 貧富の差が激しかった当時、メール・リヨネーズたちが安価な臓物を美味しく調理し、労働者に提供していた事からこのような料理が生まれました。

こういう由来を聞くとヨ−ロッパの階級社会を実感する、料理は韓国でも中国でも宮廷料理があり一般の庶民に普及した
日本で殿様料理がない、それは侍も庶民も同じようなものを食べていたともなる
ただ城下鰈というのがあり侍しか食べられないものがあったから日本でも侍料理があったとはなる
まず外国ではそうして何か歴史と文化を知るのは容易ではない、だから自分は旅ししてもほとんどそういうことは知ることはできなかったのである

経済学者は絵画の販売量を経済学の科学的な研究では考慮の外に置くことにしているのである、その絵画のもっている本来の(essential)その作品そのものの価値をなんらかの質として認識していない、経済学者は量を計算して質を知ることがてきない
富のなんたるかを知り得ないのである(ラスキン)

文化経済学とかでも言うようにまさに情報の価値とはこういうことでもある
ただ絵画とか音楽でも鑑賞すること自体がむずかしい、詩ももっとも鑑賞しにくいから
その価値が認められないのである、すると量として計れば価値がないものとなってしまうのである
ただ成熟する社会では経済だけの価値だけですべてを計ることができない
金だけですべてを計ることはできない、人々は文化的な価値を求めてゆくのである
それが情報化社会でもある


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カフェドマニ(相馬市日立木柏崎)

2019年06月29日

林秀彦のおテレビ様を読む


林秀彦のおテレビ様を読む


マスコミとかテレビ局のことを今盛んに批判する、その影響力が大きすぎたから批判するようになったのである
マスコミはやらせであり嘘つきでありただエキストラを使ってインタービューをしてテレビ局のシナリオ通りに発言させるだけだとyoutubeで指摘していた
テレビ局はみんなやらせだ、信用していないから見ないとしている

そもそも報道とは何を追求しているのだろうか?                        

あなたは報道局にマスコミにテレビ局に入り何を目的として働くのですか?

それは働いてみないとわかりません、でも何かこうしたいとか抱負があるでしょう

私は真実を追求したいです、国民に真実を知らせて国民を間違った方向に行かないようにしたい

そうです、真実を知らせて真実を追求する、それが報道の目的です

こういう会話があったとしてもではその真実が報道されるかというと現実はやらせでありマスコミは真実を報道しない、何かテレビ局の意向がありそれで報道はまげられる
インタービューでも役のない芸能人を使ったりエキストラに金をやってしゃべらせたりしている、テレビにはマスコミでも真実は追求していないのである
一番追求しているのは視聴率である、それで起業から宣伝費をもらうからである

マスコミ批判は今はインタ−ネットで常にありもうテレビは見ないという若い世代も増えている、NHKでもやらせ番組を作っている、NHKもやり玉に常にあげられている
もうテレビ自体を酷評した劇作家がいた

金儲けする最善の道はその取引相手が馬鹿であることだ、そんなこと誰だってわかる
あらゆる(勧誘はだましのテクニックだ)

テレビは企業の宣伝媒体でありテレビを支配しているのは金をだしている企業だとなる
その目的ははっきりしているそのテレビを支配する金をだす企業の利潤追求のためにテレビがありマスコミがある(おテレビ様と日本人ー林秀彦)

林秀彦は10年前に死んでいた、都築詠一氏もネットだけで発言して死んだ
何か共通点のある辛辣な批評家だった、林秀彦の本は最近読み始めたので遅かったとはなる、でも本を残しているから検討できる
やはり外国暮らしが長い人は日本のことが良く見える

そもそも報道の問題は金がかかりすぎてその金を得るために大企業と結びつく
病院でも高価な設備をそろえると馬鹿高い金がかかる
それを回収するために脳の写真でも一日10人診ないと回収できないとか言っている
それはマスコミでも同じである、設備と人件費にかかるからそうなる
そういうふうに無理すると不正もするようになる、必要のない薬も宣伝して売るとかなるつまり何かこの世の中は莫大な無駄なものに金を使っているのだ、浪費されているのだ
それがまわりまわって国民の税金となって徴収されているのである

林秀彦は日本自体嫌悪するようになり外国に暮らすことになった
日本を賛美する右がいるけど日本をこれほど辛辣にこきおろした人もいないと思った
それが説得力がある、それよりもうテレビとかスマホでもそういう機械が人間の間に入るとそれによって人間はゆがめられ心が通じなくなるとしている

機械が介在すると人間は非人間化する、車に乗ると人が変わる
まったく自分の意識と無関係に人格が機械化する
機械が人間の一部に決してならず、人間が機械の一部になる
テレビと対面している人間、インタ−ネットと対面している人間は顔が変化する
高貴さが失われ下卑る、アホ面になる
それまでその人が蓄積した人間性が一挙に消え去る
テレビに出る側、製作に関与する側にも同じ現象が起きている、スタッフも全員ロボット化している、無意識に

こういうことは別に古代からあった、ソクラテスは文にすることを嫌い語ることしかしなかった、文にすると言いたいことがまげられるとしてただ直接語ることしかしなかったのである
文にすること自体すでに人間にとって別な次元の体験になるからである
肉声でしか話さないともなる、もしスピーカーでもそれが媒介とするときメデアとするときまともに言いたいことが伝わらないともなる
本当の声が声でなくなるということはありうるからだ
面と向かって話すときは言葉だけではな表情とか感情がかならず加わるからである
そういうものが省かれてしまうからである
別にそういうことが機械文明なのだから人間は機械に酷使されて疲弊していると批判する人はいくらでもいる、人間は最後はロボットに使われる奴隷にさえなる
林秀彦がテレビをこれほど痛烈に批判したのは自分自身が劇作家でありテレビ側の人だったからである、そこに深くかかわり嫌悪するようになったのである

正直日本人だげてはない、文明人はもうまともなものがいない、そういうメデアでも機械でも人間の本来持っている人間性をゆがめる、まるでテレビが身近にあり何でも教える師範のようになっていること自体異常だとなる
テレビがお茶の間の中心になったこと自体が異常なことだったともなる
なぜならテレビは俗悪でありまた見る人もそもそも俗悪であり一切そこに人間を高貴にするものがないとしている、テレビとはそういうものだとしている
大衆が生んだ俗悪なものの象徴だったとしている
パンとサーカスでありニュースでも他人の苦しみも見学するショーとなる
現実に野獣と人間を戦わせるのを見ていて楽しんでいたからテレビでも常に形は変わってもそういうことをしている、戦争でもショーとなる、見ているだけなら面白いとなるだけだからである、イラク戦争でも日本で関係なければそうなる

つまり真実を追求するということが報道の使命というときそんなものは一切ない
大企業の宣伝媒体でありそこに人格を向上させるとか真実を知る知識を得るとかは一切ないとしている、テレビを見ているだけで馬鹿になるとしている
本当に一番認知症になりやすいのは嫁にばあちゃんはなにもしなくてもいいですよ、テレビを見ていてくださいと言われた人なのである
つまり人間を痴呆にするのがテレビなのだということになる
ただここまでテレビをこきおろせることには感心した、やはりテレビ側の人だっから余計に嫌悪するようになったのである

つまりこういうふうに嫌悪すること汚いものを嫌悪することができるのは正常な冴えた認識をもっている人なのである
カルト教団に入ってそこがまともだとして活動している人はありえない、創価のように毎日幽霊会員を一票入れてくれと回ることをしていてもそこに疑問を感じない
何かそういう人は麻痺している、それはテレビでも同じなのである                  
テレビを支配しているのは創価の民音であり芸能人は創価関係者が多いという時まさにテレビもそうういものだとなる、芸能人と暴力団は昔から必ずかかわっているからこれも人間の業(カルマ)として変わらないとなる
人間のしていることは今だけではない、ただ手を変え品を変えて継続されているのである

それだけではない、この世の中に憤りを感じない人間はもう悪に染まっても何も感じないのだ、この世がいいところだととかなっていたらその人はこの世にどっぷりとつかっている人である、そして悪もこの世の汚さも感じなくなっているのだ
この世に何か怒りを感じるのが普通である、この世に不正に怒りを感じなくなったらどうなるのか?この世に何か悪いことがありますか?
こうなったらもうこの人はこの世の悪にどっぷりとつかっているのである
テレビにはそうしてこの世の悪になんにも感じないのであるただ大衆の俗悪さをいいことにそれに便乗して金儲けするだけだとなる、そこで一番問題になるのは視聴率だとなっているのである

いづれにしろ正直もう人間に接してもまともな人間はいない、みんな俗悪なテレビ人間の類しかいない、そもそもこの文明から何かまともなものが発信されることも追求されることもないのである
それを人間社会に人間に求めることはもう不可能なのである
ではどこにも求めるのか?

何か自分自身奇妙だけど社会から引きこもり60歳まで過ごした
引きこもって禅僧のように自然そのものと山と木とか石と向かい合い真実を求めて来た
人間には求めない、山や木や石や岩と向かい合えばそこに神の真実が見える
神の真実と向き合うことになる、そこから人間に満ちている嘘偽りは全くないのである
人間は嘘偽りしかないからである、第一職業自体みんなそうなのである
弁護士が正義を追求すると思えば法律を盾にして金を追求している
銀行でも老人から投資信託とかすすめて手数料商売になる、損しても銀行は絶対に損しない、客が損するだけの商品なのである
地銀など投資信託のことなど全然知らないのにすすめていたからである

いづれにしろこの世の中マスコミであれどこにも真実はない、職業では宅建というか住宅関係くらいがまともだとなる、そこでは嘘はつけないからである 
住宅が壊れたりしたら責任が問われるからである、ごまかしにくいからである
後はなにかしら嘘つくことが多いのである
だからこの世にまともな人間はいない、するとどこに真実を追求できるのか?
それはこの社会から離れて禅僧のように引きこもり自然の真(まこと)に接することである、そこに嘘偽りのない神が創造したままの世界が今もあるからだ
つまり極力テレビは見ない、雑音に接しないで沈黙の行をすることだともなる
そうなると社会では異常化するから禅寺にこもりそれを認めてもらうほかないともなる
なぜなら社会ではそうしたことをしにくい、どうしても社会に合わせなければ生活できないからである

テレビの「ヤラセ」の実態を暴いた証拠画像がこちら!