2019年06月07日

風力・太陽光発電の無駄―原発が一番効率的 (ならば東京に原発を作るべき)


風力・太陽光発電の無駄―原発が一番効率的

(ならば東京に原発を作るべき)

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日独大失策か!?増えすぎた太陽光・風力発電がもたらす未来予測[H30/2/19]

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津浪の時に原町火力発電所が火事になる


ヨーロッパは一年中台風でもないのに 
平均的に風吹いてくれるけど 

日本は台風ですごく強すぎたり全く無風だったり 
極端すぎる  

本当は地熱なんだけど温泉利権屋がうるさい

電気ってのは必要な時に必要なだけ発電しなきゃならんからな 
風力発電だったら、大きなバッテリーをもれなく付けないと役に立たん 
夜中にブンブン回っても無駄だから、それを溜めて日中に出力しないとね


桜チャンネルでの専門家の説明はわかりやすかった
いつも風力発電を見ているし浜通りは電力の供給地である
だから関心がある、松川浦に火力発電所があり原町にありすぐ近くで見れるからである
こうして見える範囲にあれば理系でなくてもじかに脅威を感じる
毎日見ているからである
原町の火力発電所は一時津波で火事になったのである、その煙を出たのを見た
もしあそこにも原発があったら大変なことになった
でもすでに小高に東北電力で原発を建てて工事はじまるときだったのである
でもそれすら知らなかったし誰もそのことを危険だとも言わない
マスコミも騒がなかったのである

そして小高の大工さんが「原発できるから景気良くなるよ」と言っていたがそうなのかとしか思わなかった
その大工さんは金のことしか考えていない、そもそも金になればいいということしかないそれは小高でも浪江でも原発立地地域でもそうだったのである
頭の中が金、金、金になっているときそこに原発が来れば飛びついたのである
おかしなのは浪江の人が街中に住んでいたけどもその人も原発で働いていたけど
老後の資金をもらったからみんな良かったとか言っていたことである
あんな人もいない街に住んでいいものだろうか?

あの人は町全体のことを考えていないのだろう、そんな極端な過疎化した地域に電気とか水道とかインフラを整備するだけで莫大な費用がかかる
それで葛尾村とかでは介護費用が倍になったとかある、一万とかになったとかある
介護費用は65歳の人口が多ければどこでも高くなるし自治体で差があるのだ
南相馬市などは老人が多いから高くなる
ただまだ葛尾村の用地なはなっていないがこれかはなってゆく

あの人の言っていることは何なのだろうと思った
何にも悪いことがないとしているのも全く理解できなかった
回りを見たら田畑でも草ぼうぼうでありそんな所に住んで金をもらったからとしてもいいものだろうか?それだけ金さえあれば後はどうでもいいという社会になっているからだともなる

このyoutubeの番組では太陽光とか風力発電はかえってコストがかかるということをわかりたやすく説明している、ドイツの例をとって説明している
ドイツが再生エネルギーの先進国だからである
でもそこにもいろいろ問題があることを指摘している
南相馬市の右田に風力発電が4基作られた、その時駅で会ったのはドイツ人であり技術者だったのだろう、風力発電でも先進国だったからである
原町の火力発電所にもドイツ人が来ていたから電力関係ではドイツが進んでいるのかもしれない、だからドイツを例にしてこの番組でも説明していた
つまり太陽光発電とか風力発電は効率的ではない、またそれで電力料金に付加金が課せられていて実際は高くついているだけである
蓄電できないので一時的に風が強く吹いたりしてもそれを利用できないのである
ドイツではそうして余剰化した電力を他国に金を払って売っているという
電力が余ると放出しなければならないからそうなっている

風力発電というときドイツとかヨ−ロッパでは一定の風が吹いているという、日本は台風とか何か風が極端に強く吹いたりする、でもその電力は過剰になり利用できない
何か風力発電とか太陽光発電は砂漠のような所に平原のような所に向いているのかもしれない、ただ砂漠だとは砂嵐とかあるから太陽光でも影響を受ける
そもそも風車というのは中東から生まれたのである、そこはやはり風が一定して吹くからいいとなる
技術でも必ずその土地の風土と関係して生まれているのである
日本でトンネル技術が発達するのはこれだけ山が多ければ当然だとなるからだ

送電線の問題でもこの番組で指摘していた、ドイツでもその距離が長くなるから莫大な費用がかかるとかドイツにはもともと森がありそれで環境に影響するかと反対する人達がいるとかある
再生エネルギー自体これも本当に環境破壊だった、丸森のところのメガソーラーでもそうである、第一日本では平坦な土地がないからあのように山の斜面とか利用するから環境破壊になる、中国とかアメリカとか大陸だったらどこまでも平坦な土地があるからいいのである
それで日本では北海道と秋田とか日本海が風が吹きやすいのでそこがいいとなっているが問題はそこは人工的過疎地域だから需要がない
需要があるのは東京だから東京まで送電線を作る必要がある、その費用が一兆円以上になるのである、そのコストも馬鹿高くなる
この番組では

原発は一番安上りなんだよ

このことを暗に言いたいことがわかる
右は未だに原発賛成なのである

それはそれでいいとしてそうなら

原発は東京に作れ!

それが一番効率的でありコストもかからなかったのである
送電線をわざわざ福島まで300キロありそれを作るだけで馬鹿高いコストになったからである
原発は安上がりだなどといいたいのである、その後始末に20兆円とかかかるのである
一旦事故になったらこの辺のように住めなくなるのである
この辺の惨状を見たら原発は何が何でもいらないとなるのが普通である
それでこの辺で田畑が回復して田んぼに蛙が鳴き鷺が帰ってきたとき復興したと感じた、田毎に満月が皓々と輝き映った時元に戻った感じたのである
田は自然の一部であり生態系を形成していたのである
だからその蛙の声を聞いた時人も動物も植物でも復興したと感じた

風力発電にしろ原発を作っても東北と北海道では需要がない、東京にはある、でも送電線のコストが高くつくという
そうなら東京に原発を作れとなるのだ
でも危険だから誰も賛成しないから作らないとなるのがずるいのである
そして事故になって福島の原発立地地域は住めなくなったのである
故郷を消失したのである、生態系を破壊されたのである
これは東京一極集中の弊害がエネルギー分野でも生まれていたのである
一千万も住んでいるからである
ただ東京という地域は意外と土地としては狭い、その隣の神奈川県は広いのである
すると神奈川県でもいいではないかともなるが東京に隣接しているから原発は作れてなかったのである

とにかくエネルギー問題は日本だと地熱発電いいとしても温泉で観光で生計をたてる所で反対がある、岩手山の麓あたりで地熱発電の工事なのか調査している人にあったことがある、地熱発電は日本の風土にあっているのだがこれも問題がある
ではお前はなにかエネルギーの将来像を提示できるのか?
それはできないとなる、ただ日本を東京中心に考える、東京中心の経済が歪みをもたらしているのである、だから長い送電線を作るのでもコストがかかる

では原発が結局いいんだというとき

原発は東京に作れ!

これが最も合理的判断なのである、それができなければ別に考えるべきだとなる
そこに右の原発をまだつづけるべきだという矛盾がある
そのリスクを引き受けるのは東京であるべきだしコストとして東京に作るのが一番効率的なのである
それができないならやめろとなるのである

そういうことを指摘していたジャーナリストもいたがこれも無関心だった
原発は「安全神話」てすりこまれて地元でも危機感を感じていなかったのである
ただ求めていたのは金だけだとなっていたのである
今でも結局補償金をいくらもらうしか頭にないのである
そういう人たちは容易に金さえばらまけばなんでもできると政府でも東電も見てしまうということである
だから地元では原発反対を言える立場にあってもできないというのもわかる
あいつら原発乞食であり金が欲しいだけなんだよとなる
一緒に反対運動もできないよ、原発乞食にまた補償金を追加させるだけなんだよとなってしまうからである

ヒロシマの原爆被害者は原爆反対を言える立場にある、それによって多額の補償金をもらったともならない、それよりその犠牲が20万死んだとかあまりに大きかったからである
なぜ原発が対外的にそんなに被害がないと見られないのか?
それは原発事故で誰も死んでいないとか見られているからである
でも故郷の自然が生態系が破壊されたことは大きな被害だったのである
そんなもの都会に住んでいる人は関係ないともなる
そういうことでその被害が見えないのである
でも田舎だと田畑があって田舎でありその景観が安らぎを与えていたのである

とにかくエネルギーは必要でも原発しか効率的に作れないというのは危険である
コストがかからないというが莫大な国を傾けるほどの税金を使っているのである
そしてまた東京から来た人たちゼネコンに除染で何兆円も使われて地元にはその金が回らなかった、復興費用に回らなかったのである
結局日本は東京一極集中で地方は収奪されてきたのである
人でも若い人が中卒で金の卵で送られたようにその後も東京に地方から出稼ぎとかで人が送られてきた
そしてまたオリンピックとかで東京中心に経済がまわる
復興には回らなくなっていたのである、つまり東京中心になんでも日本はなっているから歪(いびつ)なのである
そして東京には何か文化が起こらない、ただ貪欲な胃袋となっている
一千万の怪物都市となっているだけでありそこに安らぎもなにもないのである
何かそういう点地方中心に江戸時代が国土を利用するのには良かった
新潟県で百万といて東京も百万とかだったのである、それは大正時代とかでそうだった
もし東京が百万の規模だったらこんな問題は起きなかったのである





posted by 老鶯 at 19:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2019年06月08日

「貧乏生活ほどお金がかかる」 (地方の貧困はますます厳しくなる)


「貧乏生活ほどお金がかかる」

(地方の貧困はますます厳しくなる)

●車代の出費が大きい

お金がないと、この「移動手段」には隠れたコストが2つあることに気がつきます。1つ目は、車には高額な修理費が避けられないこと。私はブレーキパッドの交換時期を無視していたせいで、キーキー音が鳴るようになりました。その音は嫌でしたが、お金が出ていくことはもっと嫌でした。そこで、音楽を大音量でかけてごまかしていたのです。

車にもよりますが、ブレーキパッドの交換には平均145ドルがかかります。それは、1カ月分の食費に相当します

破産経験者の私が語る「貧乏生活ほどお金がかかる」という現実

●通信費の出費(老人も携帯は必需品)

iPhoneだって、日本全国どこに行こうがiPhone XSは10万円するわけで、物価の安い田舎に行ったからと言って3万円に値下がりするものではありません。

●医療介護費用が大きい

これも節約できないので負担が大きい 

●水道、電気代などが大きい

これを止められれば生活できな


その家族はまず一人の非正規の労働に頼っている、その人は建築関係であり常に移動しているから車が欠かせない、でも車は結構金がかかる代物なのである
もし車を使わないと30年くらいで一千万くらい節約できるかもしれない
私は車は使っていないからその分節約していたとなる
私は仕事もしなかったけど金も使っていない、旅行したとしても最低の金しか使っていないからである、それで海外旅行では意外とバックパッカーで安くついたので金が残ったので高いヤマハの最新の電動自転車を買った 
介護を二人したがそれもそれほど金を使わずにすんだので助かった

その人は親が青森の介護施設に送られた、安いのとこの辺では人手がなくて受け入れる施設がない、ではそれで何もしなくてもいいかというと何かと金が要求される
つまり施設ではあくまでも基本料金だけではすまない、その他にかかるので要求される
その負担もあるから苦しい

そしてその女性は70近くであり絶えず体の不調を訴えている、それもこの辺では治療できないからと東京に行ったり仙台に行ったりしている
この辺ではめんどうな病気は仙台に行かないと治療できない
この負担が老後になると大きいのである
月三万で病院通いしている老人がいたとか病気になっている人が多いからである
一旦家族でも自分自身でも病気になると金だけでも解決できなくなり破産するようにもなる

通信費というのも老人でも携帯は必需品であり欠かせないとなるとそれも負担になる
それは都会と田舎に差がないのである、田舎だから安くつくものが現代では少ないのである
そして現代では水道、電気代が大きい、それで金が底をつくと必ず水道や電気をとめられ生活できないと泣きついてくる
結局現代は貧乏でも金がかかる時代なのである
これらの費用が欠かせないからである

戦後十年では電気は裸電球一つであり飯台一つでありエネルギーは炭だった
水は近くの井戸水をもらっていたから無料であり糞尿は近くの農家の人がもって行った
それも無料である、紙は新聞紙でありトイレットペーパーがなかった
もちろん車がない、自転車があったがそれも一台を修理してみがいて長く使っていた
新しいものを買うというのはほとどなかった
風呂は外風呂であり鉄砲風呂であり私は子供の頃風呂焚きが仕事だった
その燃料は近くの木材店でバタを買ってなのかもらったのかそれが燃料だった

その時は本当に金を使っていない、また使いようがない時代だった
現代はこうした金の使わない生活がそもそもできないからさらに苦しくなっているのだ
これらのものが最低限必要でありそれだけで昔のような貧乏生活ができないのである
だからなぜその人が東京までわざわざ医者に診てもらうために行ったのかと何か贅沢に思える、ただ江戸時代でも医者に診てもらうためには遠くに行かざるをえなかった
特に目が悪い人が多く、そのために遠くに行って医者に診てもらわないと直らなかったからだ

結局現代の生活が貧乏といってもその基本料金自体を省くことができない、するとどうしても節約もできないのである
それらは現代生活の必需品だからである、それで最後は水道と電気をとめられるのであるそれでその人が貧乏だということを知るのである
そうでないと貧乏が見えないのである

自分自身はある程度は余裕があってもそういう人とつきあっていると自分自身にも影響する、そしてそういう人が家に入り込んできて大金を盗まれたとか事業に失敗した人に苦しい時に借金を頼まれたかと地銀に投資信託を買わされて大損したとかなる
なぜなら地銀自体が追い詰められているからもう地方で投資する先がない
金を貸す先がないとか苦しいから詐欺的な投資信託を売りつける
第一地銀の支店長自体が株のことを知らないとか投資信託をのことを知らないと言っていたのである
素人並みでありそんな人がなぜ売ってもうけさせてくれるのか?
金融のプロでもなんでもない、素人なのである、ただ手数料をとればいいとしかないのである

こうして地方でも金がかかるから原発は金になるということでとびついたのである
積極的に誘致したのである、そこに誤算があった
でもこの辺で成金になっているのは原発にかかわった人たちが多い
この辺で有名な建築土木会社の創始者は原発の工事がありそれで資本ができて大会社にした、それから船主は原発事故前も多額の補償金で原発御殿が建っていたとか事故後もそうだった、補償金は継続的にもらえるから金には困らないのである
烏アは漁港であり原町火力発電所が作られたとき補償金がかなり入った
その人の親は漁師でありそういう人は金を相当にもらった
でも海で死んだのである、その時近くの呉服屋が着物を売ってもうかったのである
その人が40年前とにかヨ−ロッパに海外旅行に行っていたのには驚いた
この辺でそんな人がいたのかと知らなかった、なぜなら飛行機代が50万とかになっていたからである、だからその時自分は海外旅行はできないと思っていた
それが何か尾をひいて海外旅行するのが遅れたのである
1ドルが240円くらいの時代だったからである

ではその他はどうかとなると田舎ではいろいろあっても貧乏な人が多いとなる
ただ何か現代の貧乏は見えにくいのである、外から見てていもわかりにくいのである
昔だったら乞食がいたからそれなら見えるからである
生活保護などがあるから最低は維持できるから見えにくいとなる
ただこの生活保護も医療費は無料だとかその他はもらえないという人もいる
地方では生活保護は都会のようにもらえない、最低が保証されない

現代の生活は貧乏でもさらに金がかかるというときもしこれらのものにかからない昔のような生活だったら楽なのである、それができないから追い詰められる
水がないとなくなればその時生活すら生きることもできなくなる
水は昔は無料でもらっていたからである、水だけでも無料でもらえたとなるからだ
電気もないから裸電球一つだから電気代もかからない、もちろん車もないからかからないトイレも無料で使用する、ただ医療とか介護になると医者代はかかる
でも60くらいで死んでいれば介護というのはそれほどなかった
また医者にはかからないのが多かったろう、そんな金がないからである
でも脳卒中になって藁で便をとってふいていたということも聞いた
紙が貴重な時代でありそれもなかったからだ、それだけ昔の生活からすると贅沢しているからである
そういう生活を子供の時小学校の時していたからその経験は貴重だった

「貧乏生活ほどお金がかかる」というとき現代ではそれだけ基本的にかかる金が大きいのである
もしそれが昔のようにゼロだったらこうはならないからである

現場の近くには、広範囲に渡って「ネマガリダケ」というタケノコが繁殖している。犠牲者4人は全員、ネマガリダケの採取に訪れていた。このタケノコを採りに来る人の中には車で3時間以上かかる秋田市内からやって来る人もいるというが、労をいとわず遠方からも訪れる理由は、それを売るためである

ツキノワグマ「山林の人喰い現場」を決死ルポ!(1)事件の深層にある地方の窮状

秋田となるとここも過疎化が東北では一番厳しい地帯である
人口減少で働く場所もない県となっている、青森でもそうである、青森とか長崎から原発に働きに来ていた人がいたし北海道の室蘭かも来ていた
そういう地域から来る人の事情は察せられる

山の生活では山菜が食料になるということがあった、それで飢饉になると山に逃げたとかあったのはそのためなのか?でも山菜だけでは腹の足しになるとも思えない
飯館村では山菜は料理の定番になっているのもそのためである
タケノコだと腹の足しになるからそれが貴重だというのはわかる

いづれにしろ現代の便利な生活は金がかかる、最低限でもかかる、すると貧乏だとしても昔の貧乏とは大違いだとなる、昔の貧乏は金がなくてもなんとかあるもので暮らせるということになるが今の貧乏は金がなければどうにもならないという貧乏なのである
そこが大きく違っているのである、農業でもハウス栽培になれば石油を買う金が必要だとかなる、電気が必要だとかなる、エチゴ栽培ではそうである

ともかく地方の窮状はこれからもっとひどくなる
地銀がもうなくなるというのもそうである、何か地方には成長産業がないからだ
何か昔のようにかえって自給自足していた農家が裕福だったということがない
その時裕福だったと感じたのはその時代の感覚である
農家でも今は老人でも軽トラがないと農業もできない、トラクターがないとできないとかなっているから金がかかる割に収入が少ないとなっている
昔は機械がない代わりに村全体で田植えしたり稲刈りしていたのである
そういうこともなくなるとまた機械に金がかかるのである
だからこそ原発に頼るということが起きてきて事故になり故郷に住めなくなった
そして農業とか一次産業が衰退して軽視されるようになったのである
それで地方をこれからどうするのか?それが大きなテーマとなる
なんらか今までの生活を見直さないともう生活自体成り立たなくなるかもしれないからだ






posted by 老鶯 at 11:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

初夏から梅雨へ短歌五首(我が家に籠る日々)


初夏から梅雨へ短歌五首(我が家に籠る日々)
   

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夏菊や真昼の光受けて映ゆ                      

黄菖蒲や草むらいでてキジの鳴く

街道を歩む人あり松に藤


夏菊に夕日のさしぬ田の面かな浜風吹いて海の近しも

影と添い石は黙(もだ)して我が庭に舞い去り消えぬ黒揚羽かな

死す人のなお面影にその家に残るやあわれ春は逝きにき

雨のあと濡れにし薔薇に夕日さし我が籠りし家なりしかも

我が一人籠りし家そなおここに齢(よわい)重ねむ薔薇雨にぬる  


老人になると家が大事になる、それで子供がいなくなって広い家だけど家賃が10万かかるけど他に移れないという人がいた、愛着があるから移れないという
その家は借りているでもそうなる、思いがそこにあるからだ
家には死んだ人も六〇年も住んだとなれば思いが残っている
その家から離れたくないとなる、最後は施設に入っても家に帰りたいというのもわかる
ただこの世の無常は家さえ実際はなくなっているのだ
家族はそういう人も死んでいるからだ、ただ昔一緒に過ごした家族のもとに帰りたいということなのである

何か私の母は目立たない女性でありだから影のように添うともなる
それは自分もその性格は受け継いでいるのである
何か引きこもりというかそれは批判されるけどそういう性格の人はいるのである
そういう性格はそれにあった生活がするのがいいのだが何かそれが社会ではできないのである
だから陰性の人は内向的な人は損なのである、どうしても外向的な人が好まれるからだ
自分にしてもいつもにこにこしている四〇くらいの女性はいいなとか思うからである
でも人には生来の性格がありそれを変えようがないしそれを批判してもしょうがないのである

暑かったが寒くなり梅雨入りになった、街道を歩む人は絵になる
何か歩いている姿が絵になる、歩いている姿に感動するというのも変なのである
車が道路を突っ走っているからそうなる、道路は歩く場所でなくなっているからだ
だから歩いている姿に感動するというのも本当に変な社会なのである
ただそれを異常だとは誰も車社会だから思わないだけである

草臥れて宿かるころや藤の花(芭蕉)

この句は歩いているからこそできた、歩いている人を見ていると藤の花の季節には自ずとそうなる、

旅の宿奥の小部屋や藤の花

こんなふうにもなる、旅するということも現代は失われているのである
電車の旅でも旅人にはなれない、やはり歩くと旅になり絵になるのである
そして今は旅人は歓迎されない、金持ちの保養する人が歓迎されているのが旅館でありホテルなのである、ホテルとなるとまた旅情がないのである
旅に明け暮れたがここ十年は介護とかでしていない、何か疲れたとなる
遂に旅する気がなくなったともなる
ただ今度の新しい自転車は楽なので遠くに行けるがその気力がなくなっている
旅も遂にはできなくなる、人生も何しても短いなと誰でも最後には思う

花吹雪過ぎく時の早しかな

本当に過ぎゆく時は早い、この句も誰か作っているようにも思う
ただ感じ方が違ってくる、人生の華やかな時は花吹雪のように知ってしまうとういことである



2019年06月09日

「天安門事件」から30年の経過 (中国の目覚ましい経済発展で恐怖政治の共産党が問われる)


「天安門事件」から30年の経過

(中国の目覚ましい経済発展で恐怖政治の共産党が問われる)

人間は過去を忘れやすい、自分自身書いたものすら忘れている、それでホームページとかプログは人に読まれる前に記録することで有効だとなる
第一これは自叙伝みたくなっていてあまり人が読まないからである
ただ人間は意外と記録することが大事だともみる
旅したことでもこんなところに行ったのかと全く忘れている
それでその時写した写真が残っていて辛うじて思い出しているのである
人間は常に忘れらさてゆく存在なのである
人間は一旦死んだら急激に忘却されて伝説の人にもなってしまう
その人について身内でもあいまいになってしまうのである
なぜならこの世に生きていれば次々に人でもなんでも変化するからそうなる
すると常に今に追われて過去は忘れられるのである

それで「天安門事件」が30年過ぎたのか?
その時どうだったのかということが思い出せなくなる
ただ現代でわかったことはテレビの映像は頭に焼き付けられるということである
戦車の前に立った青年のことは誰でも思い出している、何か学生が軍隊に抵抗して兵士も殺している、戦争状態になっている
人間が焼かれて吊らされたとかそこは地獄絵だったのである
ただそれから30年も過ぎたとなるとあれは一体何だったとなる
それより自分自身の30年前は何していたのか?
それすらわからなくなる、結局自分はどこかに旅していた、どこかに泊まっていいた
そんなことは記憶している

その後10年過ぎて中国に旅したのである、中国には三回旅している
何か中国は日本の親だと思うから行きたかったのである
それもはじめての旅で中国を旅することは間違っていた、それも何も知らないで行ったのである
中国の20年前は今とは全然違っている、鉄道の旅になったが一般庶民が乗るのと観光客が乗る車両は全く違っている、一般庶民が乗る車両はすしずめでありそこには乗れない
死んでしまうかもしれない、家畜のように庶民が詰め込まれていたのだ
車掌が実際に鞭で打っていたから家畜と同じだったのである
大陸では中国でも人民を家畜と扱うこと奴隷と扱うことが歴史だった
なぜなら民族同士の激しい争いの歴史であり負ければ奴隷にされる

それは大陸全般の歴史である、なぜ奴隷がいるのか?
そしてなぜカースト制があるのか?
これが大陸の歴史から生まれたものであり階級制もそうである
それは民族同士の熾烈な争いの結果そうなったのである
負けた者たちは奴隷にされるのが大陸国家だからである
それは中国でも同じだしインドのカースト制もそうである
共産党の国家でも幹部は兆もの金をかせぐ特権階級になって階級制を作る
第一中国とは多民族国家でありそういう国家はみんな階級制になる
始皇帝の最初中国の統一国家でも長安(西安)は国際都市だったのである
だから兵馬俑には外国人が混じっていたのである
中国自体が多様な民族であり漢民族が中心にあっても常に多民族が進攻して
王朝を建てたから多民族国家である

中国にはペルシャ人が何十万人もいた地域があると伝えている。シルクロードを介してペルシャやギリシャの人々や文化が入って来ても不思議ではない。
その流入の地であった秦の国に最先端技術(優れた製鉄技術、牛耕技術)を持った渡来人(西アジアの人々、イスラエル移民と想定)が大量に流入し、新しい文化を持った国を造り上げたとしても不思議ではない。
現に、秦の始皇帝の実の父は荘襄王ではなく“呂不韋(ロフィー)”と言われている。この名前は中国人ではなく外国人の名前を中国語で表記したと思えるのです。

大陸国家の特徴は多民族国家である、多民族をどうして治めるかということで歴史があるローマ帝国でもそうである、多様な異民族を支配する政治があり法律が生まれた
それで今でもローマ法が成立する、ただそこでも奴隷が容認されていた
異民族がいてそれと戦争して負けたら奴隷にされるから常に奴隷がいて階級制が生まれるオスマン帝国外伝のドラマでもそうだった、イスタンブールのハーレムには外国人の戦争に負けた国から女性が連れてこられていたのである
そこには宦官がいたのも中国と同じである、つまりこういうことで大陸国家は共通しているのである

なぜ奴隷がいるのか?

それは大陸国家の共通した歴史から生まれていた、だから黒人を奴隷としてアメリカに連れていったのもそうである、それが大陸国家の歴史なのである
なぜそうなるのかというと現実に日本でも外国人労働者が多くなった
先日も7,8人女性がいた、それはベトナム人だった、ネパール人も三人知っている
何か増えてきた、この辺はまだ原発事故処理の仕事があるからともいえる
それで黒い顔の人がいるから最初はスリランカ人かとも思った、前に来ていたからであるネパール人が最近増えてきたのである
そしてネパール人で面白いと思ったのもここにも階級制がある、カースト制がある
人種が混交しているから人種色分けしてカースト制が生まれる
日本人も色分けしてある人種と同等とされてカースト制に組み入れられていることも奇妙だと思った
それだけ人種が混交しているから色分けされるのは大陸国家なのである
日本がだってこんなに外国人が増えてくるとそうなりやすいのである
白人は優遇されるというのは歴史的にそうである
ではネパールとかベトナム人は一段劣ったものとしてみる
それは経済的なもので低いとみる、現実に出稼ぎに来ているから一種の奴隷なのである
つまり民族が混交すると階級制とか奴隷制とかカースト制が必然的に生まれるのであるそれが大陸国家の歴史なのである

日本は島国でありそういう歴史がないのは特殊だったのである
それで中国人が敵味方塚として敵まで墓を作り供養していることはしりえないとなったのである、中国人は敵だったら墓をあばいてでも罰するからである
日本はそれだけ世界にない特殊な国なのである、それは島国で2000年前とかにすでに民族が一つになっていたためである、そういう国は大陸にはない
日本には奴隷の歴史がない、だから外国人でも奴隷として扱えないのである
外国で召使を使うこともできないのである、それはそういう歴史がないからである
第一まず普通の人が家で人を使うことはむずかしい、古い旧家だったらそういうことになれているからできる、でも普通はそういう家はまれだからできないのである

いづれにしろ天安門事件がなぜ起きたのか?
それは中国の歴史がありそういう歴史の延長として事件も起きる
共産党は平等を目指してもやはり権力を握ったら共産党王朝になったともなる
中国は独裁政治がいい、良く言えば君主制にあっているとなる
あれだけの人民をどうして治めるのかとなると強権しかないともなるからだ
20年前でも人民が貨車に家畜のように鞭で打たれて詰め込まれ移動する
その数が膨大でありそれが流民のように都会に出稼ぎに来ていた時代だったしそれは継続している
中国では飢饉などあると膨大な数が食料を求めて流民化する、その時戦争にもなるのである、だから中国では経済がうまくいっていればいいが習政権でも経済がうまく回らないと危険になるというのはそのためである
中国の歴史はどうしたら膨大な数の人民を食べさせるかが最優先の課題なのである

結局天安門事件がなぜ起きたのか?
それは中国ではまだそうした民主化運動は時期が早かったとなる
経済の復興の方が最優先課題だったのであり人民をそのデモを支持したともならない、
学生主体だから日本の全学連の学生運動とも共通していた
誰も庶民は学生運動など支持していなかったからである、インテリを支持していなかったからである、むしろ警官は反発していた
なぜならその時大学に入っていた人たちは恵まれた人たちだったからである
中卒で金の卵で働いていた人たちが相当数いたからである
だから国民に共感されていなかったのである

いづれにしろ「天安門事件」から30年過ぎたというのも早いと思う
その間に中国がどれだけ変わったか?それも信じられないとなる
日本がよりもう中国が技術でも優れているし経済力ではもうかなわない
それが20年くらいでそうなったのである
日本の高度成長を20年で成し遂げたと同じである
それだけ今はグロ−バル化しているから追いつくの早いとなる
ただあれだけの巨大な国だからその潜在力があったとなる

そして中国が世界のリーダーになれるのか?

こんなことまで言われる世界になった、それで天安門事件が取りざたされる
中国が世界を支配すればどうなるのか?他民族はあのように殺されたりする
ウイグルとかもそうである、共産党一党独裁で反対は許されないとなる
ただ中国自体が世界のリーダーになるということを自覚していない
経済が猛烈に発展してそういう立場にあることを世界が見るようになったが政治はそうなっていない、その前に経済発展が急速に進んだということである
経済と政治はまた別問題なのである

いづれにしろ共産主義とかは世界共通のイデオロギーにはなれないことは証明されているそれは一党独裁を生みかえって階級制を生んだともなるからだ
では中国の民主化が可能かとなるとあれだけの人口と国土を一つにまとめるには強権しかないともなっている 
中華思想しか中国にはない、でもそれが現代の世界に通用しないのである
でも世界のリーダー国になるとしたらそういう恐怖政治の国にはついていけないともなるだから世界からの目が厳しくなっているのである
ただそういう自覚は中国にはない、共産党一党支配で甘い汁を吸いばいいとしかないのである、もちろんアメリカもまた強引な世界へのイデオロギーの押しつけだったのである
民主主義でもイデオロギーでありそれが世界にすべて適応できるともいえない
アメリカだけが善だということはなかったのである、それを強引に押し付けたのがアメリカだったのである
中国が経済的に軍事的にも科学技術的にも一等国になり世界を支配するとなったらそれに従うのか?
ヨ−ロッパでも周辺国でもやはりそうした恐怖政治に従わない
その歴史の実例として天安門事件が共産党一党独裁の強権政治の汚点として見られるのである、そしてその後は天安門事件が無かったようにされ監視が強化されて忘れられる
しかし30年過ぎてその亡霊に共産党は悩まされているのである
やはり死者の怨念が怖いとなる、それを消すことが簡単にできないということである

posted by 老鶯 at 11:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

以前として解き明かされない津波の謎 (柏崎と日下石により話を聞くー死体処理した人がショックで津波の後に死んだという)


以前として解き明かされない津波の謎

(柏崎と日下石により話を聞くー死体処理した人がショックで津波の後に死んだという)

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地の内古墳

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日下石まで海になった





●小城の小高城では領地支配に心もとなく、義胤はより堅固な場所に本拠を移そうとする まず、小高城の東、太平洋に面した独立丘に目をつけ、慶長元年(1596)村上城を 築くが、火災で資材を焼失し、不吉として移転を断念。

●築城年代は定かではないが永禄6年(1563年)頃に佐藤伊勢好信によって築かれたと云わ れる。佐藤氏は源義経の家臣佐藤忠信・継信兄弟の後裔を称し、好信ははじめ岩城氏の 家臣であったが、後に相馬顕胤・盛胤に仕えて軍奉行を務めた。天文11年(1542年)伊達 輝宗との合戦の功により磯部・日下石など宇多郡の内六ヶ村を領しはじめ磯部館(佐藤 伊勢館)に居を構えた。しかし、海水による浸食が激しく鬼越館を築いて居を移したと いう。

●相馬市黒木の諏訪神社の社頭の松は「桃井の松」と呼ばれる。諏訪神社は、もと宇多郡 尾浜村(相馬市の松川浦北部)にあり、天文七年(1538)に西方の黒木に遷座になった といひ、当時の歌が伝はる。桃井とは神官の名前らしい。(諏訪神社由緒)

 1611年12月2日(慶長16年10月28日)、慶長三陸津波

 なぜ慶長津波の前に館とか神社が移ったのか?
それも謎なのである、特に相馬市の諏訪神社が慶長津波の前に移転したのは謎である
なぜなら諏訪神社がそこまで舟が流れ着いたという伝説があるからだ
実際相当奥であるが小泉川をさかのぼって津波がおしよせてそうなったのかもしれない
仙台でも砂押川が小さいとみてもまず津浪は川から押し寄せるからである
それじ自分の住んでいる所が川の側なので川が大変なことになっているというとき見に行かなかったが真野川を津波がさかのぼりおしよせた恐怖である、川下では津波は土手を越えたからである
だから諏訪神社に残された伝説は全く作り話とも言えないのである

仙台の多賀城の末の松山の歌 

わが袖は名に立つ末の松山か空より波の越えぬ日はなし(後撰集、恋二、土佐)

契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは(後拾遺集、恋四、清原元輔 百人一首)

これは貞観津波のことであり慶長津波ではない、貞観津波は多賀城に都の人が赴任してきたからいろいろ伝えられたのである   

でも不思議なのはなぜ慶長津波の前にこうして不吉だとか高潮だとかまた松川浦にあった諏訪神社も移転している
それはみな海側の神社なのである、村上城は1596年に不吉だとして移転している、これも慶長津波の10年前くらいなのである
ささに何らか津浪に関する謎が移転したことである

それから今回地の内という所の墓地でこの辺に住むばあちゃんと話しした
そこに五輪塔の立派な墓があった、その墓があまりに立派だったので話ししたらそれは嫁いだ人が故郷を出て成功して財を築き建てたという、もう一つも立派な墓である、それも兄弟だとか言っていた
何か事業に成功した人で先祖の地にあのような立派な墓を建てたとなる、他の墓は普通の墓だからである
それはまるで殿様のような大きな墓なのである

そのばあちゃんが言うにはここまでは津波は来なかった、でもぎりぎりだった、磯部から死体が流れてきてそれを積み重ねて処理したそのショックで津波の後すぐに死んだという、私もあの辺で死体が流れてきた聞いた
とにかく磯部の被害は大きかった、人家が多いから大きかった
死体でも相当に流れてきて処理していたのである、その時一番活躍したのは自衛隊だった、そして過労で自衛隊員が三人死んだのである

ただ地の内とかに古墳がありあれこんなところにあったのかと発見だった、相馬市にはあまり古墳がないからだ
そしてそこに古墳があるということはそこまでは津波は来ないのである
近くまで来ていても来なかった、でもなぜあんなところに古墳があるのか不思議だった
それから諏訪神社がありあそこにも津波は来ていない、でも磯部の近くの神社には津波が来ていた
神社だからだとすべて津波が来ないとういわけではなかったのである

いづれにしろ津波の謎は解けていない、今回でも柏崎から磯部を見たとき柏崎は高台だから被害がなかった
そしてあそこは畑しかない、そしてそこに住んでいた人が津波を来るのを見ていた
あそこなら見晴らしいいから見える、そして柏崎には田んぼがないのである
だからそもそもそこでどうして暮らしていたのか?田んぼになったところはもともとは湿地帯であり埋め立てて田にしたのである
ただ田にすることによって高台に住んでも米を食料として住むことができるようになった
それでもなんらかあれだけ海が近いのだから磯部の方でも魚をとりに行ったかもしれない
縄文時代に住んでいたかどうかわからないけど今田んぼになっている所は海だからなんらか漁をして魚をとって食料としていたことも考えられる

でも湿地帯の所に古墳があったということはそこに古墳時代に人が住んでいたのである
南相馬市の鹿島区の横手古墳でもそうである、海から遠いにしても海が見えるような地域でもあるからだ
ただあそこは海に結構近いのであく、津波が来た地点に近いのである
そして日下石という地名はニッケシであり二シのことである、説はあるにしてもそのニッケシがなぜ西になるのか?
それは海洋民は海から渡ってきて名付けたからだと推測した、なぜなら津波で海になったとき太陽がその海になった岸の方に沈んでゆくのを見たからである、これは海から見ない限り知り得ないことである、またありえないことなのだ

その裏付けとしてとにかくこの辺には綿津見神社が多いのである、山津見神社も対になってある、それは安曇族などが渡ってきたためだとなる、海洋民だと海からの視点になるからニッケシが西であり海から見たときその岸は西になるのである
そして実際にあの辺一帯が海になったときは驚いたのである、ニッケシだけはあの辺で変わった地名なのである
アイヌ語説もあるがやはり安曇族などが渡ってきてつけられた地名なのかともなる  

とにかく磯部の被害は大きすぎた

相馬市磯部地区では約2000人の住民のうち、251人が大津波の犠牲になった。市全体の死者・行方不明者458人の半数を超える。

村は全部壊滅して消滅した、250人の死体が流されたのである、それがちょうど今回ばあちゃんから聞いた墓地の地点辺りだった
相当数の死体が流れてそれを積み重ねて処理した、それでそのショックで津波の後に死んだという
それだけ磯部は悲惨だった、自衛隊は泥の中から死体を掘り出していたのである、その中には子供の死体もあったのである
そして自衛隊員も三人過労で死んだのである
津浪の記憶もだんだん忘れつつあるがまだまだ簡単には忘れられない記憶である、被害が大きすぎたからである
そして慶長津波のことが溺死者700人とか記録されていないのでその実態が解明されていないのである





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2019年06月10日

相馬藩の慶長津波の証拠 (津波の前と後で石高が大きく変化したーその詳細の検討)


相馬藩の慶長津波の証拠

(津波の前と後で石高が大きく変化したーその詳細の検討)  

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  慶長奥州地震と相馬中村藩の復興( 岡田清一)
(グーグルで検索)

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慶長16年 1611年(11月13日)慶長三陸津波 相馬藩700人溺死、伊達藩5000人死亡とも
慶長 1611 12月 中村城に移転
慶長18年 財政困窮 給人、寺社方、職人にいたるまで役金を義務

慶長19年 大阪陣に参加 


中村城普請、江戸屋敷の普請の費用、参勤交代による費用などがあり在郷給人にその他寺社方、職人などに至るまで百石につき山両一分の割りで慶長18年から元和二年までの間、役金をおうせつけられた。
さらに財政が苦しく二分増しの三両三分とされた。
給人はこれまでも困窮していたためにその収入で上納もできかね、重代の大刀、刀、武具、家財まで売り払い下男下女まで売り払って役金を収めた。
これでは苦しいと役金の免除を申し出た。
でも殿は参勤交代の金も工面できないと許さなかった。
その後役金が免除されないなら知行地を返上したと再三訴えた。
このために他藩に行く者もあった。 

慶長津波の7年後に役金を課している、それは津波の被害が影響して財政的に苦しんだためか?その頃外部から他藩からの援助はないから相馬藩だけでまかなうことは苦しい
だから無理しても役金を課したとなる
戦国時代でありまず軍事費が優先されたのである、それは日本の戦争のときもそうだった戦争になればまず軍事費に予算がとられるからである 

相馬藩では700人溺死という記録しか津波ではない
その証拠となるものはない、でも岡田清氏が津浪の前後の石高を計算した
これは有力な証拠となる、目に見えて明らかなのである
津浪の前後で極端に石高が変化している
そしてその後に寛永16(1639)に津浪から28年後に倍増している
その変化を見ればやはり慶長津波がこの辺にありその時石高が極端に減少した
米がとれなくなったのである、それで財政が逼迫して津波の後なのに役金を課した
今ならそういう大きな災害の時は政府が援助するし外部の人が援助する
でも戦国時代であり援助はされない、だから苦しくても相馬藩内でなんとかしようとして役金を課したのである

これだけ苦しいのに役金を課せられたから過酷だった、それで相馬藩では伊達領に開拓のため移住した藩士がいた、それは伊達藩でも津波の被害があり人手を要したからである
そこにこういう相馬藩の事情があった、役金に税のとりたてに苦しんでいたためなことがわかる、郷士などは給人などは下級武士であり税のとりたてに耐えられなくなり伊達藩に移住したのである

でもなぜその後20年後には石高が倍増した、それはなぜなのか?

ここも謎なのだが当時は農業しか仕事がない、農業で食べていくほかない時代である
そういう時代が長かった、だから戦後の引揚者でも荒地を開墾して農業をはじめたのである、津波の被害があっても開拓して田を広げていった
そして1688年(元禄)に津波から77年後になると開拓は進んで日本が繁栄した次代なる、元禄文化が華咲いた時代であり、その時芭蕉が生まれたのである
それは江戸だけではない、地方でも開拓が進んで豊かになったのである

それで日下石の新田には元禄の碑があった、新田だから新しく開拓された場所だった
そこまでも津波が来ていたのである、だから慶長津波でも被害があった地域かもしれないが開拓されて元禄になると津波の被害からは完全に立ち直り石高倍増したのである

ただ石高の変化の図をみてもそれぞれに差がある
なぜ宇多郷(相馬市)では10分の一以上も石高が減ったのか?
つまり相馬市地域は一番被害が大きかったとなる
今回の津波でも被害が一番大きかったのは相馬市である、だからこれも共通しているのか?
なぜか北郷(鹿島)は被害が少ないしその後に石高が倍増している
まずその時八沢浦は開拓されていない、入江であり港があった、だから港という地域には人は住んでいない、明治以降開拓されて住んだ人が多いからである
また右田地域はおそらく津波の後に開拓された地域である
だからそこの被害も少ない、海老とか烏アは被害があっても田んぼはないから石高に影響しなかったのか?
何か慶長津波の被害が北郷は少ないのである

中ノ郷(原町)の被害も大きかった、これはなぜなのか?
今回も萱浜などが大きな被害になった、でもその頃萱浜は田んぼになっていたのか?
萱浜は越中などの移民が入ってきて開拓された土地でもあるからだ、ただ北泉辺りが被害があったのか?金沢地域でもここも開拓された地域である
相馬市(宇多郷)地域が被害が大きいことがわかるが中ノ郷(原町)が被害が多いことが良くわからない、そして小高郷も被害が大きかった 

小高の特徴は寛永になっても石高が減っている

これは何なのか?なんの理由なのか?
津浪の被害で石高が減ってその後になぜ回復しなかったのか?
小高は鎌倉時代以降港の機能があり蔵院とかまであった
船運が盛んにあった地域である、それでそこに多数の船があった、それでおんふねと相馬藩政期に多数記されているのである
その船も全部津波で流されたのかもしれない、なぜなら小高の海の方の駅前まで津波が来ていたからである、津浪で港の機能は失われたとなる
そしてなぜ小高だけが寛永時代になっても石高が増えないのである
他では増えているのに増えない、減っているのだ
これも理由がわからないが港の機能を失ったことと関係しているのかもしれない
海側に開拓できない事情があったのかもしれない、浜通りでは海側を開拓して田んぼを広げてきたからである、それができなければ石高は増えないからである
事実に大正時代にも井田川は開拓されていたからである
ともかく小高は石高が寛永時代にも回復しなかったのである

まず津波の後に中村に城を移転するにしても費用がかかる
大阪陣に参陣とかもつづきとても津波の被害に金を回すことなどできない
それより役金をう課してもう給人でも耐えられなくなっていたのである

重代の大刀、刀、武具、家財まで売り払い下男下女まで売り払って役金を収めた。

ここまでなっているということはどれだけ窮迫していたか察せられる
とにかく慶長津波で何があったかその時代を再現してみないとわからない
そして何かそうした歴史でも必ずカルマがある
カルマとは繰り返すことなのである、また一旦カルマが生じるとそれが消えることはないのである、天安門事件でも一旦そうしたカルマが生じると消えることはない
そこで無惨に死んだ人たちの怨念を消すことができないのである
だからまたそのことで政権が危うくなる、呪われるのである
歴史的カルマもある、それが津波だったのである
そこで省みられることもなく死んだ犠牲になった人たちは語られず忘れられていたけどまた津波が来てこうしてその時あったことを死んだ人たちをのことをふりかえることになったのである  
     

 
ビスカイノの報告

ビスカイノのことです。相馬藩に到着した翌日にラシャや衣類を貢ぎ物として相馬利胤に面会しました。この目的は相馬藩と友好関係を築いて海難事故の時に支援を要請し、キリスト教への改宗も考えていたようです。
彼は、其城内に於て快く司令官を迎へ、城は破損し、再築中なるを以て城内に迎へさ゛るを謝し、同市も海水の漲溢に依り、海岸の村落に及ほ゛したる被害の影響を受けたりと言ひ、其通行の際竝にイスハ゜ニヤの船又は国民同所に来る時は、全領内に於て喜んて゛十分なる給与をなすへ゛しと述へ゛たり。而して翌月曜日我等か゛行きて海岸及ひ゛余り用をなささ゛る二つの入江を測量する為め、同市に滞在せし時に其約を果したり。
相馬利胤はヴィスカイノを歓迎し、城が破損して再建中のため城外で面会したことを謝ったと記されています。この城とは同年に小高城から本拠を移転したばかりの相馬中村城と思われます。面会した場所は「城塞の入り口」(a la puerta de su fortaleza)と記されており、大手門周辺であったのではないと思われます。         

相馬市宇多郷地域は確かに津波が来ていた、これも証拠である、だから慶長津波がないとはありえないとなる
ただそれが伝えられない、民間でも伝えられないことの謎である
それは記録するものがその時戦国時代であり津波の被害を重視していなかったからだともなる
そして庶民は文字を書けるものがなくできなかった、伝説が残ったにしてもそれも忘れられた
ただ伝説といっても鹿島の八沢浦にだけ残っているのである
相馬市の諏訪神社の船が流れ着いたというのはいつのことがはっきりしていない、松川浦から1500年以降移転したとなるとやはり慶長津波のものかとはなる、ただそれも証拠とはなりにくいのである

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2019年06月11日

海老村の大工の善次が経験した怪異はやはり津波のことだったのか? (津浪で死体を処理した日下石のばあちゃんもショックで後で死んだ)


海老村の大工の善次が経験した怪異はやはり津波のことだったのか?

(津浪で死体を処理した日下石のばあちゃんもショックで後で死んだ)






円光塚よりいず。転々として大いなること茶銚のごとし

また垣の如きもの路に横たわる。善次中刀をぬきこれを切って
通行す、・・・・

転々として大いなること茶銚のごとし

これは津浪で流される様を表現したものではないか
津浪によって転々と大きなものでも日用品でも流されたからである

垣の如きもの路に横たわる

これは垣とは壁だとか垣根であり津浪で流されて道をさえぎった様を言っている。
これも津浪の被害をその様子を知っていて記されたのかもしれない
ただ本当に津浪の被害のことは資料がないから知りえようがないのである。
これも謎である

日下石で聞いた話ではばあちゃんが磯部から流れ着いた死体を積み重ねて処理した
でもそこで心労も大きくまもなく死んだという話である
磯部は2000人住んでいて250人死んだとか悲惨だった
完全に村は壊滅して跡形もない、その後はソーラーパネルが敷き詰められた
あそこで農家の人にここに死体が流れ着いたんですよと聞いた
墓地で語ったばあちゃんはぎりぎりで助かりそのことを語った


その後善次病死して棺を出す。時に大原村の森の方より黒雲持ち上がり棺をつかんで
雲中に入る。宝蔵寺の僧これを聞き走り来りり七重の袈裟を雲中に投ず。
声ありて曰く、「おいか」と。

棺おく雲散じ空晴れてこれを葬るという。是の世に希有のことなり。
知らず「おいか」とは何の言なるか。
ある人いふう葬礼の諸品を海水に洗えばすなわちこの怪異ありと。

大工の善次がなぜ死んだのか?これも謎である
つまり怪異ありとは磯部のばあちゃんが死体を処理してそれで死んだのと状況が似ている何か異様な状況がそこにあり死んだ、それが津波で死んだ死体を見たのかもしれない

ある人いふう葬礼の諸品を海水に洗えばすなわちこの怪異ありと。

これは津波で死んだ人のことだったのか?

大原が関係しているのはその時、相馬氏は大原から小池の方に進出した
海側はまだ中世時代の館があり入り込めなかったのである
八沢浦の柚木は相馬市になっているけどあそこが鹿島(北郷)の境だったのである

「おいか」これが何を意味しているのか?

これがわかれば何かヒントなり謎が解けるかもしれない
ともかくあれだけの被害と人間が死んだのだからそれで祟って死んだということも信じられないことではない、死体の山になったのだからショックだったのである

それが、生まれ故郷だしここで頑張ると言っていた人たちが、一人欠け、二人欠けしていく。

 出る、のだと言う。

 夜、寝ていると足元から津波で亡くなった隣人たちが這いすがってくるのだと。

 とてもじゃないが、こんな幽霊が出るところで暮らしてはいけないと、集落には誰もいなくなった。

 ともかくあれだけ人が死ぬと何かしら怪異があっても不思議ではない
それを簡単に迷信だとかなんとか片付けられないのである
死者の霊が海辺に被害の地に漂っているという感覚になるからだ
ただ今はソーラーパネルとかになって磯部でも全く昔の面影は何一つ残っていないのである


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東京に原発を(広瀬隆)を読む (東京は原発と運命をともにすべき、そして地方はどうするのか?)

東京に原発を(広瀬隆)を読む

(東京は原発と運命をともにすべき、そして地方はどうするのか?)


東京に原発を作れというとき何かそれがありえないものとして無関心だった
そもそも原発がある地元でも無関心だったのである
だから衝撃的でも関心がないし関心がないようにさせられていたのである

東電では科学者がいて専門家が13メートルの津波が来ると試算していた

でもそのニュースすら大々的に取り上げられない、福島県の報道機関は全くあてにならないものだったのである
福島民報は県の出資が50パーセントであり県の広報と変わりないのである
そんなところで報道の自主性は完全に奪われていたのである、民友でも自主性はない
それから雑誌でも東北政経とかふくしま財界とかあったとしてもあてにならないものだったのである
東北政経はなぜ渡辺恒三のことを伝えている、何か後ろ盾になっている
日刊現代でも小沢が後ろ盾になって資金援助しているとかなる

マスコミとか報道機関がなぜ自主性が独立性がないのか?

それはそもそも会社と企業の広告費でなりたっているからである
それは報道に新聞でもテレビでも雑誌だって一か月一回だして金になるのかと疑問になるからだ、そんなことで生活できるのかと疑問になるからだ
するとこうして報道機関はマスコミの資金は大企業とか中小の会社とか政治家とかの援助があって成り立っているとしたらもうそこには何かを真実を追求することは不可能であるだからただ官報のようになっていたのである

そしてマスコミの90パーセントというか百パーセントに近く原発には反対していないのである、広告費をもらっているから反対しないし追求しないのである
それで朝日新聞社の幹部まで東電から中国に招待されていたとき事故が起きたのも象徴的だった、電事連合から800億円が宣伝費広告費として支払われていたのである
その額に驚く、それでマスコミは何も言えなくなったのである
今自分でもインタ−ネットだから報道できる、そうでなければ金がかかりすぎてできないのである
新聞などは本当に紙に刷って配るだけで莫大な金と手間がかかるのである、そんなこと一個人ではできないからだ
      
でも新潟の巻町で原発反対で住民が拒否して建てさせなかった、それを新潟日報は応援したのである

笹口町長のもとで八月に住民投票を実施。東北電力の買収・供応、利益誘導、締め付けと、国も乗り出しての激しい切り崩しがおこなわれました。しかし、投票率が89%に及び、反対が61%(一万二千四百七十八人)を占め、賛成の39%(七千九百四人)を大きく上回りました。

これは日本では例外的なのである、だからどうしてできたのかとなる
なぜならこの辺では積極的に誘致して危険をかえりみないことでわかる、ただ金になればいいしかなかったからである
小高で東北電力の原発の工事がすでに開始されるところだったのである
そのことを自分も知らなかったが家に来た大工さんが「小高に原発が建つから景気良くなるよ」と言っていたがそうなのかとしか思っていなかった、危機感がなかったのである、何かこの辺では報道もされないし反対もしないのである
この辺はとにかく金、金、金であり貪欲なのかともなる
だからどうして巻町で反対するだけではない原発を建てさせなかったのか不思議だとなる 
そして恐怖はこうして原発がまだまだ増えてゆくことだったのである、事故がなければ歯止がなく日本に原発が増えていた
するとどうなるのか重大事故がその中で起きれば日本が壊滅とまでなる、そういう恐怖も何もなかった
この本では日本が壊滅すると警告していたが福島原発ではそうはならなかったが事故がなければまだまだ増えていた
そういう危機感が日本全国でまるでなかったのである

第一報道するにも原発は政府で立ち入り禁止にしているから入れないのである
厳重に閉ざされた秘密の空間なのである、すぐ近くにあっても何をしているのかも皆目わからないのである
原発自体が専門家でしかわからないものなのだが何か核分裂させて熱をだしてタービンをまわすということでは原理としては石油でも石炭でもソーラーパネルでも風力でも同じなのである、だから必ずしもわからないということでなかったのである
熱をだしてエネルギーを電気を作り出すということは誰でもわかることだったのである

この本で本当にその危険性を鋭く指摘していた、それが原発事故前だったからやはりその功績が大きいとなった、その評価が大きくなった
この本が出たときはほとんど注目されていなかったかもしれない
ただ東海原発のことを中心に被害が東京に及ぶとか日本全体が汚染されるとか書いてあったが実際の範囲は東京まで福島原発でも影響がほとんどなかった
チェルノブイリの事故がありそれを例に誇大化されていたことは確かだが地震のことや津波のこともでもわずかだ書いてあった
パイプとかパルプでも1000とかあり津波の前に地震の揺れで壊れたとされる
そして日本の原発は老朽化しているから危険としている
東海原発は東京に近いということで危機感を感じていたのである

いづれにしろ

東京に原発を作り運命をともにしろ!

では福島とか地方は原発を拒否してなくなればどうなるのか?
それを考える人はまた少ない、そこにはやはり経済的に地方にも痛みがくる
電気はどうするんですかとか地方の財政はどうするんですかとか金の成る木の原発がなくなると地方はどうなるのですか?
何かそういうことが深刻な問題になる、なぜなら双葉とか大熊辺りは相馬地方だと都市部から離れていたからである、それで出稼ぎに行かないように地元で働き住みたいということで積極的に誘致したからである、その結果原発成金などが生まれたのも事実なのである
船主などは原発御殿を立ったとかり津浪で流されて罰あたったとか言う人が磯部とか海岸部に住んでいた人が言っていたのである
よほどその家を見てうらやましいからそうなった、今でも津波の後でも漁業関係者は特に船主は補償金が入るから豪邸を新しく建てたの知っている

ただ原発で働く人がこの辺では多いから経済的に相当な打撃になる
何も石炭でも石油でも今ならソーラーパネルでも風力でもいいじゃないかとなるが
それだって輸入すると金がかかる
太陽光とか風力は景観を壊すから自分自身は嫌なのである
ただではどうしたらいいのか?
それで家族一緒に暮らせるなら蝋燭でもいいやとか言った人がいた
つまりそういう極端な変化でもいいとかなったのは原発事故で家族が住めなくなったからである

とにかく原発とは一企業だけでできるものではない、国策として防衛としてやっている
原発からプルトニウムが生産されて核兵器に使用できるからである
そういう核の潜在力をもつことで韓国であれ中国であれロシアであれ威嚇できるということでそうしている、だからこんなに50基も日本に原発があるとなる
それは日本の防衛のためだからだとなる
そうなると日本の防衛をどうするのかという問題にもなる
核を持たないで国を防衛できるのかとか議論になる、そうなるからこそ原発は単に電気のためだけではないからこそやめられないとなる
電事連だって多くの人が働いているからこそ共産党でも原発自体には反対していない
ただ安全に稼働してくれということで追及していたのである
原発を日本からは石炭でも石油でも自然再生エネルギーでもいいとはならないのは日本の防衛問題があるから簡単ではないとなる
日本が回りは核兵器をもっているのに丸腰で守れるのかとなるからだ
だからさ右派は核兵器を持つべきだとなり原発をやめるなと言っているのである

いづれにしろ東京に原発を作れとういとき何か送電線問題だけではない、熱がでるからスチームとしても利用できるとか極めて効率的なのである
その場所がないというけどあると説明している
東京は一千万とかその周辺地域で神奈川県とかで3000万人とか住んでいればそこに原発があるのは極めて効率的なのである
そこが一番日本で電力を昼夜必要としているからである

では地方はどうするのか?それは地方の課題としてつきつけられている
経済が衰退しているのにこれ以上衰退していいのかとか地方の問題があるからだ
ただまず東京に原発を作れというのは正論でありその後に地方は地方で考えるとなる
その時地方にも痛みが生まれる、そうなると地方に住みたくないという人もでてくる
それはそれでやはり地方に住みたい人は住む、でも今までのような豊かな生活はできないともなる、ただそれでもいいという人は住むとなる
そして東京に住んで原発とともに運命を共にするのは嫌だという人もでてくるから何かそこで二つに分かれるかもしれない、何かそこで価値観が分かれる

そこで住み分けが生まれるかもしれない、何か映画で核兵器を原発を守り神のように信仰までになっているのを見た、それが東京になる
それが嫌だというとう人は地方に逃れるとかなるかもしれない、それもまた社会を変える日本を変えるものとなる、確かなことは東京に原発を作ってこそ原発は容認されるとういうことである、そうでなければ容認はできないのである 
地方の守り神を原発にしてはならないのである
東京は原発と運命をともにする、でも重大事故になったら東京に住めなくなり今度は地方に移住するようになる
それも大量の移住でありそれでようやく東京一局集中が消失するのかともなる
その未来はわからないが原発を作りたいなら東京に作れというのが一番効率的であり合理的判断なのである
できなければ原発はやめろ、地方には作らせないとなる

posted by 老鶯 at 20:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2019年06月12日

松坂市の正論おじさん”看板撤去は「お年寄りのため」 (高齢化社会で生きがいが喪失する問題も深刻)


松坂市の正論おじさん”看板撤去は「お年寄りのため」

(高齢化社会で生きがいが喪失する問題も深刻)

一切妥協せず三重・松阪市の商店街ののぼりを撤去していく89歳の男性、男性は旧満州生まれの89歳、貧しい中、戦後の復興を支えた自負があるという。

我々の時代は高齢者を尊重する心を持っているが、高齢者を尊重する心がないと話す


これも看板撤去だけの問題ではない老人問題なのだろう
この人は法務省に勤めていて法律の仕事をしていたこととも関係していた
それで今までしていた法律の仕事を役立てようとした

それはなぜか?

家にこもっているだけで法律の仕事も何もない、役立てることができない
それで法律を盾にして商店街にケチつけるようになった
つまり老人が尊敬されないというとき老人の用がない、居場所がないことなのである
でもこの人は夫婦で暮らしているから一人暮らしとは違う
一人暮らしだとさらにいろいろな問題が起きてくる
とにかく老人が増えてくるからこのような問題は増えるばかりだとなる

要するに私は法律に詳しいんだということを仕事してきたから言いたいのかとなる
それも迷惑なのだけどこれは社会全般で老人が増えすぎて用亡き者となっているからである、89歳となったら用もなにもないと思うがそれだけ長生きの時代だからこれからこういうこともありうるのである
それだけ老後の時間が長く暇をもてあます老人が増えるのである
だから金の問題もあるけどそれだけ長い老後をどうすごすのかも問題なのである

そして怖いのは仕事がない社会に用がない、家族でも夫婦でも夫が退職する邪魔者扱いにされる、でも今の社会は一旦退職するとまず今までの仕事を活かすことができない
駅が無人駅になったので私はボランティアで案内とかしたけどJRの駅長からにらまれて排除されることしかなかった
お前はそこで何しているんだとかなり警察が駆けつけて職務質問したりされたし誰も認めないから案内はやめた、ただ時々駅にきて話したりしてはいる
つまりボランティアというのは他でも正規に仕事している人たちにとって邪魔者扱いされているのである
たまたま無人駅になったから私は案内をするようになったが受け入れられない
今は高校生の見守り役が朝と2時半からいるからやめた

とにかく高齢化社会で老人ばかり増える、そこで様々な問題が生じる
老人だけではない、不満な人は執拗なクレーマーにもなる
その女性は田舎の最底辺だから執拗にスーパーとか他でもクレーマーになっている
それは店に行ってももともと貧乏だからまともに相手にもされないことにもある
田舎では何か底辺だと目立つなのである、田舎ではかえって資産とかないと暮らしにくいのである、そしてその人のことを知っているから地位とか資産とか何か役割がある人は暮らしやすいとなる、序列化されやすいからである
田舎でわかるのは市営住宅に住んでいる人たちは底辺なのである
そこには生活保護者が多いのでわかる

高齢化社会の問題は社会で無用化された人が膨大にいるという社会なのである
それで怖いのはそうして家族でも社会でも用なくなった人がぼけっとしていると認知症になり安いのである、そこで生きがいもなにもなくなるからだ
私の家族の一人は公務員だったけど早い時期にやめてから何もしていない、家事もなにもしない、やる人がいたから何もしない、そのうち認知症になったのである
認知症になった原因が後からわかったが何も用がなくなったことが大きな要因だったことは間違いないのである
そして認知症が800万人もなるというときこれは恐怖である
その介護のために社会自体疲弊して国力まで減退するとまでなるからだ

老人が尊敬されるべきだと言ってもこれだけ多ければ価値がないのである
そして法務所に勤めていたからとしてその仕事を継続して活かす場がないのである
昔の村の長老のような人なら村の掟(おきて)守る人として尊重されたかもしれないが
会社というか国家公務員でも一旦退職すると用なくされるのが現代社会なのである

だから私自身も駅のボランティアで経験したのでこのことが理解できる
おそらくこの老人は善意でしているつもりなのである
そして家では夫婦でいても妻に疎んじられる、何の用もないとなる
例えば仕事でも法律の仕事しても社会で活かされることはない
街に出ても何か尊敬されるわけでもない、ただの用なきありふれた老人であり無用の人にすぎないのである
でも客になればそれなりに受け入れられる、ただそういうこともなかったのか?
商店街を利用していなかったのかもしれない、今は商店街を利用しない
それでそんなところで店が潰れたという時、もともと客が少ないからそうなったと言う人もネットにいた

そして車社会になったことが商店街をさびれさせたのである
商店街にきてケチつける老人がいるということで商店街が目立ったが普通は目立たない
シャッター通りになっているのが多い
それも時代である、老人が運転することで交通事故が話題になっているのもそうである
高齢化社会はこれだけ老人が増えると当然様々な問題が起きてくるのである
現代社会は老人には合わない社会なのである
膨大な老人が無用となるだけではない邪魔者扱いされる社会である
だから若い人は老人は始末しろとまでなる、社会の害悪だとなってしまう
ただ東京の商店街でも老人が集まる食堂で繁盛したりと老人相手の商売も生れるのも高齢化社会である
でも商品でも老人用のものが作られていない、商品化されないのである

私は老人になってかえっていい面がでてきた、何かいろいろなことを深く理解できるのである、本でも今までただ買って積読だったが読み返してみるそれを自分なり解釈できるのである、これは何か不思議である、人間は老人にならないと理解できないことが相当あると思った、これは老人の強みとしてある
本でも一読して要旨がわかり評論もできる、それでアマゾンで1000円以下の本を買い集めているのである、それは読むだけではない、評論してアウトプットするためである
それがインタ−ネットでありプログになっているのだ
何か文章を書くということは理解を深めることである
文章にすることによってそれが何か形あるものとして現れるという感じになる
私は何か書くことは文章にすることは得意である、しゃべることはだめである
それでこうしてプログで書きつづけているのである
それも無料だからまた即座に反応できるから書いているのである

2019年06月13日

駅の短歌(常磐高速のSAと鉄道の駅(日立木駅)の相違


駅の短歌(常磐高速のSAと鉄道の駅(日立木駅)の相違
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日立木駅

ここにも引き込み線があって荷物を運んでいた



駅前につつじの咲くや今日もまたここに来たりて電車行き来す

藤の花たれてあわれや日立木駅なかなかに来ぬ電車待つかな

日立木の駅前の畑耕しぬ女(ひと)のありしも電車来ぬかな 


何か駅には人間的なものを感じる、今は常磐高速のSAにも行く、そことの人の出入りは百倍なのか千倍なのかそれだけの差がある
それでトイレだけ掃除するのには女性が二人働いているとか掃除専用の人でも働いている20人くらい働いているのか?

そこの経営者と親しい人がいて老人だけど4時間くらい働いている
いつもは何に水やりしている、花だけでも多いから水やるのが大変なのである
駅でも花を置いてあるが商工会とか前の自転車屋で水やりしていた

私は駅での案内はやめた、とにかくJRとか駅長でも目障りにされてうるさいのである
もしかしたら警察に通報したのは駅長かもしれないとまで思う
あいつをなんとか排除したいと見ている

それで自分で刷った時刻表を置いた時、ルールが置けないと断られた
でもばあちゃんが自分の刷った時刻表をもっていた、駅には小さな字が見えないような時刻表は措いてるが大きな文字の時刻表は置いてないからである
それを大事そうにもっていたのである
でも時刻表は配られていたのである、自分自身それをもっているからである
ただそれをわからなかったという人もいた
最近新聞をとってないから折込みの広告見ていないから問題だとは思った
新聞は新聞より折込みの広告などが重要な場合があるからだ

まず常磐高速では鹿島の街に来る人はほとんどいないだろう
それで観光のために真野ダムの方にサイクリングするとかの用意をするとかあった
でもまだしていない
ただ休憩のためにあそこは人は必ずよるのである、ここで休憩をとらないと四ツ倉の方になり遠いからである

私は鉄道の旅が長いから愛着がある、日立木駅は本当の無人駅である、一日の乗降客が何十人になるのか?駅には防犯カメラもない、本当に無人駅なのである
駅前には何もない、それで駅が壊されたのである
ほとんど人が出入りしないからそうなったのである
まず駅の中まで壊されることはありえないからだ、それだけ人の出入りがない無人駅なのである

そこで電車を来るの待っていた、藤の花たれてなかなか電車は来ない
畑を耕す婦人が見える、何かこういう無人駅でも鉄道マニア来たりするかもしれない
いつでもあそこで乗ったり降りたりするのは一人か二人なのである
それでも駅には何か人間的なものを感じるのである
それだけ鉄道の歴史が長いことにもある、百年以上とかあるからだ
そこで人間の生活が積み重ねられてきたからである

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