統合失調症と引きこもりとアウトサイダー
(文明そのものが病理的現象であり異常である)
統合失調症には、10代後半から発症するタイプがあり、ひきこもりをそれと誤ってとらえられてしまうケースがあります。
統合失調症の発生頻度は、あらゆる時代と国を通じて、ほぼ0.5〜1.0%を前後する一定の値を示し、それほどの変動はないとされています。
しかし、統合失調症はその定義や診断基準が極めてあいまいで、単一の疾患単位であるかどうかすら疑われている「精神病」です。
中井久夫によれば、統合失調症だけに見られる特有な症状は存在しないといいます。
あるハンガリーの研究者によれば、ブロイラーが分裂病(当時)という名称を提案した前年にあたる1910年、首都ブタベストの分裂病者たちは、その半世紀後に比べて、より多彩な症状を呈していました。
しかも、当時支配的であった見解とは対照的に、ほとんどの分裂病は、いわゆる分裂病性の荒廃を残さず、比較的良好な経過をたどったとされています。
このことは、たいへん暗示的です。この1910年という時代は、西欧の周縁の地ブダベストには、いまだ、人格荒廃へといたる不治の病としての分裂病という物語が、さほど浸透していなかったことを示しています。
あるいは、現代文明から疎隔された台湾の原住民には、分裂病の有病率が台湾在住の中国人に比べてはるかに少ない、と報告されています。
しかも、彼らの精神病の特徴は、急性に発病し、その病相期は短く、再発や重篤な荒廃に陥る例はまれです。分裂病には再発例がまったくなかった、といいます。
精神分裂病は社会病理としての病気でありそもそもそういう病気がなかったという
文明化されない地域ではブタペストとか台湾ではない、一時的にそういう症状が出ても回復している、その理由は社会に仲間内で回復させるものがあったとなる
つまり社会病理なのであり個人の先天的な病気でないとしている
ともかく社会に適応できないものはすべて病気としてレッテルが貼られる
引きこもりとかニートは働かないからそれでこれは病気なのだとレッテルがはられる
会社に行けない者も鬱病だからとなり病気にされる
本当は鬱病は仮病だとする人もいる、何か社会に適応できないものは病気だとされるのである
ところが社会自体が文明自体がそういう病理現象を生むのでありもともとの人間にはなかったとなるのがこれでもわかる
マクロ的に見れば文明とは病理的現象でありそこで当然異常化しているとなる
そもそもその異常化した文明に適合している人間こそ正常ではないともなる
そこからニーチェとかヘンリーミラーとか
上野霄里
氏などがアウトサイダーが生まれた現代文明とは病理的現象であり文明自体が病気なのである
その異常化した文明に適合している人間こそ異常だということにもなる
天才的な人間はとてもそんな文明に適合できない、だから全人間として生きようとする
それはアウトサイダーになるのだ、天才的芸術家はアウトサイダーである
ゴッホでもまたタヒチに逃れたゴーギャンでもそうである、タヒチの原住民の中に安らぎを見出したのである
それは現代文明の否定であれ逃れた結果生まれた芸術だったとなる
つまりここで言いたいのは文明の中で適合できる人間は異常でありむしろ適合できない人が正常だともなる
なぜなら統合失調症に現代文明化されている遅れた地域はかえってならない、なっても一時的で回復しているからである
だから現代文明に学校や会社に適合できない人間は病気のレッテルが貼られる
でも逆に現代文明に適合している人間は異常である
それは現代文明がナチスを生んだというピカートの思想でもそれを指摘していた
その全体主義の異常性はそもそも現代文明が社会的病理現象としてあり遂にはナチスのような怪物となり社会は踏みにじられたともなる
これは原発事故でも「安全神話」が作られそれ異を唱える者は異常とまでされるのともにている、なぜそうなったかというとそれは政府と東電とマスコミが一体化して作り上げられたからである、つまり「安全神話」を作った者たちこそ異常であったのだ
現代文明自体が異常な病理現象として現れたものであり社会自体が狂気と化す危険性を備えていたとなる
その病理現象としての文明から当然統合失調症とか適合できない者にレッテルをはる
引きこもりとかニートは病気であり治療が必要だともなる
ところが全人間として生きようとするエネルギーにあふれた天才になるとアウトサイダーになる、それはまた引きこもりとは違う何か似た所がある
現代文明に適合できない、不適応者として存在するからそうなる
その人は病気であり治療が必要だとなる、そうして文明人は安心するのかもしれない
文明に適合している人はあたかも優れていて正常でありと自認する
私の場合はアウトサイダーだったとなるがそうなるとどうなるのか?
不思議なのは仕事するということはみんなパーツ化することである
現代文明はどんな仕事でもみんな無数のパーツの一部になるだけである
そこで全人間を発揮することなどありえないのである
会社に属さない決まった仕事をしないということは全人間としてあり生き自然でも全体として追求するようになる
だからニーチェとかのように超人的志向とか単独者にもなる、そこに危険性があるのだが文明を否定してしか全人間になりえないからである
だからそこでニーチェのように狂気にいたる人もでてくるのである
でも個人も狂っているが集団も狂っているというとき現代文明も狂っているのである
その文明から生まれるカルト宗教団体もまさに狂っている、それは病理的現象なのであるだから宗教団体には精神病者が多いという時そうなりやすいのである
なぜならそこは現代文明の病理現象として現れたものだからである
本来の宗教とは何の関係もないのである、つまりそれを放っておくとどうなるのか?
オームのようになったりナチスとなって全世界が踏みにじられるのである
いづれにしろ現代文明こそ異常な病理現象なのである、そうだからこそ統合失調になってもおかしくないのである、統合できない病気ということでそれを如実に示している
そして文明に適応できない、学校でも会社でも適応できない者は病気というレッテルを張り治療せねばならないとなる
でも文明そのものが異常な時、文明人は治療の対象にならないのである
むしろ正常であり認められる、それはカルト宗教でもそうである
それは社会で数が多いからと認められると同じである、そしてやがて文明自体の異常性がそういう病的な団体により席巻される、それかナチスだったともなる
文明とは無数のパーツにされた調和がない世界である、そういう世界に正常な人は適合できないとなって不思議ではないのである
適合できている人間こそ異常だとなる、アウトサイダーから見ればそうなるのである
だから自分自身が追求してきたのは自然の全体でありそこに調和があり真の存在の連関性がありそこに神の国があるともなる
文明にはそういうものはない、それは病的現象なのである、だから真善美とかもないのである、またそういうものも追求していないのである
ただ経済的なものしか追求していない、経済力、金がすべてだとなってしまったのであるそれはカルト宗教団体でもそうてある、それは文明の病理現象の中から生まれたものであり病気になったと人たちだともなる、しかし文明では数が多いから正常だと認められているのである
調和の力
本当にこの世で強いものは何か
調和の力である
調和のひびきである
樹々は列して並ぶ
神殿の列柱のように
花と花はどれも調和する
それぞれの色に映える
濃い紫色と白の菊
それはともに長くも映えて咲いている
そこに調和があり乱れない
我々の力は調和から来る
決して争いからは来ない
神の意向するものはと調和である
力強い調和の讃歌である
我々は調和の中で強く不可分に結び合う
稠密に堅固に結び合う
調和の中で歓喜の歌を歌う
調和の中で神を讃える
調和の中に神はいましぬ
それは不壊なるものである
武装しても国土は守れぬ
平和の調和の力が国土を守る
人が乱れれば国土は守れない
国土の調和こそ堅固な守りとなる
争いをやめるには
神の調和の世界を知ること
力強い調和こそ自然の営み
それを知る時人に本当の力が与えられる
平和は叫ぶことではない
平和は大地から湧きあがり天から下る
実りとなり祝福として与えられる
神の業こそ平和を成さしめる
調和の神殿は決して崩れることはない
それは神によって建てられたものだから
その礎は盤石にして支えるから・・・
What is really strong in this world
It is the power of harmony
It is a sound of harmony
Trees line up in a row
Like a temple column
Flowers and flowers are in harmony
Shine in each color
Dark purple and white chrysanthemum
Both are shining long and blooming
There is harmony there is no disorder
Our power comes from harmony
Never comes from conflict
What God wants is harmony with
It is an ode to strong harmony
We are inextricably bound in harmony
Closely and firmly connected
Sing songs of joy in harmony
God-fearing in harmony
God is in harmony
It is a crush
Even if armed, the land can not be protected
The power of peace harmony protects the land
If people are disturbed, the land can not be protected
Harmonization of the country is a strong defense
To stop the fight
To know the world of harmony of God
Strong harmony is the work of nature
When you know it, people are given real power
Peace is not to shout
Peace is rising from the earth and rising from the sky
Be fruitful and blessed
God's Work Can Make Peace
The temple of harmony never fails
Because it was built by God
Because the foundation is supported by rock stone ...
調和があるのは自然である、人間の社会に調和はない、絶えず争いと分離なのである
文明自体が無数のパーツであり調和はない、むしろ何かエジプト文明にはピラミッドでも調和があった、それは宗教的建造物であり王の墓ではなかったからである
一つの自然と調和を図った文明だとなる、今の文明にはそういうものがないのである
ただ無数の部分にパーツになったカオス文明である
そこに真善美も追及されていないのである、そこに荘厳なものが美が生まれないことでもわかる、醜悪な大都会が東京などがそれを証明しているのである
そして科学技術文明だが科学を信仰のようにしても原発事故になり森につつまれた飯館村が放射能汚染で住めなくなったように自然を破壊したのである
イスタンブールのソフィア大聖堂でもオスマン帝国でも破壊できなかったのはそこに美があったらだとされている、その建物には威厳があったからだとなる
東京のような大都会だとビルが林立してもそこには破壊衝動が生まれる
それでゴジラによって踏みつぶされるようなものが好まれるのである
もしそこに威厳ある美なる建物があればそうはならない、破壊できないものがあるからだ
中尊寺
宮沢賢治
七重(じゅう)の舎利の小塔(こたう)に
蓋(がい)なすや緑(りょく)の燐光
大盗は銀のかたびら
おろがむとまづ膝だてば
赭(しゃ)のまなこたゞつぶらにて
もろの肱映(は)えかゞやけり
手触(たふ)れ得ね舎利の宝塔
大盗は礼(らい)して没(き)ゆる
つまり大盗でも盗まれないものが光輝がありまぶしく去ったとなる
そういうものが今の文明にあるかとなったらない、そういう文明は自滅するのではないか自らの醜悪さに耐えらずに自滅するということもある
一方で自然は威厳のある荘厳な調和の神殿なのである、そこから病的なものは生まれないのである、調和の尽きない美がある、それを発見するのは文明から離れて観るアウトサイダーだとなってしまう、引きこもりはまた違ったものでも文明に適応できないことが病気とされるが文明人こそ異常なのである、病的現象としての文明に誇ることがそもそもできるのかとなる、それはただ経済的てもの物質的なものだけになる
そこに誇るべき文化が生まれているのか?美が生まれているのか?
生れていないからそこは不毛の世界であり病気世界でしかないとなる
そこに病的人間を作り出すだけだともなってしまうのである