2019年05月29日

川崎登戸殺人事件の犯人は51才引きこもり? (不遇な生い立ちと謎の空白ー「小人閑居して不善をなす」)


川崎登戸殺人事件の犯人は51才引きこもり?

(不遇な生い立ちと謎の空白ー「小人閑居して不善をなす」)


なぜこの人に私が興味をもったのか?それは自分自身が引きこもりとにたような状態で社会からはずれて暮らしていたからである
結婚もしないし20代では底辺で働いたが30以降は一切働いていないからだ
ニートとか引きこもりににていたのである
そういう人はどうなるのか?
それが一つのテーマとしてある、団塊の世代ではニートとか引きこもりとかそんなものはいない、本当にまれでありみんな企業戦士となっていたからだ
その頃みんな必死に働いていたのである
だからふりかえるとなぜ自分だけが働かないでいられたのか不思議になる
それは特殊な家族環境でそうなっていたのである
一時はもめてもその後働かなくても何も言われないのである
旅に行くというとかえってすすめられたし帰ると喜んで迎えてくれたのである
食事は常に用意されているしまるで殿様のようにして暮らしていたのである
こんなことは普通の家庭ではありえない、それは説明しにくいけど特殊な家庭環境でそうなったのである

この無差別殺人の犯人の生い立ちは家庭環境はまた過酷だったらしい
親の愛情にも恵まれず叔父夫婦の元で育てられたが愛情はなかったとか
その姉がカリタス学園に通っていたとか何かの因果関係があった
全く関係ない無差別殺人でなかった
ただ不思議なのは20代とかすぎて何か50まで何をしていたのかわからない
そこが謎なのである、空白期間が長いとなる
ところが自分自身も社会とかかわらず30年とか長いのである
そういう人は今ニートとか引きこもりで普通にいるからめずらしくない

そういう人はどうなるのか?

社会から認識されなくなる、いるのかいないのかわからなくなる
そして突然に事件が起きて認識されたのである
そんな人いたんだとなるのである
確かにもともと隣近所で問題起こしていたとかある、でもニートとか引きこもりとかは存在自体が社会から消えるのが多い、いるのかいないのかもわからなくなるのだ
そうして突然事件となり注目されてなにやかにやと問われ言われのである
つまり社会が逆に異常なほどかかわるのである
それまでは全く無視しているが逆に今度は異常なほどかかわりなにやかにやというのである
そういうふうに社会がかかわらないその存在すら抹殺されていたということで犯罪を犯してそれも凶悪な犯罪をおかして自分の存在を知らせる、そういうことが動機にもなったのかと書いた 

万引きで老人が軽犯罪を犯して刑務所に入ってかまってもらえる、食事も与えられるし介護までしてくれる、でも世間に出たら誰もかまってくれないし生活すらできないとなると軽犯罪でも犯して刑務所に入りたいとなるのもそうである
そういう人は頼るべき家族もいないからである 
奇妙なのは私の家族の一人は公務員で50代で退職した、そしたら後はなにもしない、家事もしない、趣味のようなものをしていてもそれは才能がなかった、そしたらどうなったのか?
社会から忘れられた存在になっていたのである、働いている時はみんなその人を認めていたが退職して何もしなくなってから社会から消えたのである、そして認知症になったとき社会でかかわったのである、迷惑なものとしてかかわったのである
それは軽犯罪で刑務所の人がかかわるのちとにていたのである

いづれにしろ結婚しないとか家族をもたないとか何かニートとか引きこもりは社会的に異常化しやすいのである
実際はそういうふうに社会から外れた人はアウトサイダーとなっていた
それは歴史上に残る人になる、芸術家とか思想家がでもそうである
ニーチェとか何か芸術家でもそういうアウトサイダーになっている
そういう人たちは天才であり平凡な社会生活や家庭生活を送れないのである
それだけの異常なエネルギーがあるからそうなった
でも社会性がなくなり常識からもはずれてゆき遂には狂気にもなった
そうした社会からはずれた人は狂気になりやすいともなる
それは優れた天才の芸術家のことである、ニートとか引きこもりはかえってエネルギーが消失している人たちであるからまた違っている
ただ社会性がなくなり遂には最後に突飛な異常行動になるということにもなる

ただ結婚している人がみんな正常なのか?
私は結婚して公務員で子供いる人の異常性には驚いた
これはなんなのだと思った、これがまともな人間なのか?夫婦なのか?
それは何とも言えない、異常化した夫婦だった
夫婦であれ家庭をもっていてもみんな正常なのか?
それもまた違っている、だから結婚した人がみんなまともだとはならない
それは一般的な話であり確率の話だとなる

ただ一般的には結婚して家庭をもち暮らしている人は社会性がありまともだとみる
結婚しないで50にもなってい一人暮らしは異常だと見られる
でも現代は40でも50でも結婚しない一人暮らしが増えているのである
非正規が増えているのである、だからその人たちがみんな異常だとはならないのである

私が社会からはずれて長く生活して見て感じたことは

「小人閑居して不善をなす」

これである、自分自身でもそうだった、自分自身は天才でもなんでもなかったからであるどうしてもこうなりやすいのである、社会で働いている人は一応社会で機能してそうはなりにくいのである、そこで社会性が育まれるからである
そうなるのは社会から離れて生活していると社会のことが関係なくなる
するとどうなるのか?自然とかに没入するにはいいのである
禅僧のように座禅組んで沈黙の訓練をするとかなる、自分自身が性格もあるが石のように沈黙してい一人こもっていたからである
すると無駄な口もきかないから身と口を収めて心身を修養できるとなったからである
私はそうして石と木とか山とかアイディンティティ化する詩を書いてきたからである
でもそういうことがあった反面どうしても不善を成すということがあった
つまりかえってニートとか引きこもりで身を治めることはむずかしいのである
むしろ社会の中で心身を鍛えた方がいいとなる

とにかくこれだけの事件を犯すというのもやはり限界が来たのだろう
金がないというだけではないらしい、精神的限界が来たのかもしれない
いくら生い立ちが不幸でも50になってそれをひきづり親を責めるのはどうかとも思うからだ、家庭環境は確かに致命的に人間を左右する
でも家庭環境だけがすべてとはならない、家庭環境があまりにも恵まれて放蕩息子になっている人も多くいるからだ
だから結局個々人に差がありわからないとなる

ここでこうしたニートとか引きこもりが膨大なになり何かまた同じような事件が起きるかもしれないということである、50歳になり限界になり「小人閑居して不善をなす」ということが起きやすいのである
なぜならニートとか引きこもりは普通の凡人だからである
天才とかなると別だからである
ただ狂気と正常は紙一重だということもある、結婚していようが普通の家庭で暮らしていようが狂気というのが人間にはある

そしてナチスやカルト教団がこれだけ興隆しているのは人間社会自体が狂気になり安い社会だからである、文明社会自体が実は狂気的なのである
だから狂気的な事件でも社会全体がその狂気にまきこまれるということがある
それがナチスでありカルト教団が社会を支配することである
「個人も狂っているが集団はもっと狂っている」こういってニーチェ狂っては死んだからである、集団が狂っている時は社会ではそれを正常とみているからである
そこに集団化して大衆化群衆化した人たちの恐怖がある
その人たちが狂っているといえばそういう人たちが襲ってくることにもなるからだ
だから人間社会は誰が狂っているのかわからない
ただ「小人閑居して不善をなす」とはアウトサイダーであれニートであれ引きこもりであれ言えるのである
この事件をどうみるかとなるといろいろでありやはり謎にはなる

posted by 老鶯 at 20:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

借金してでも使えの疑問、借金する人は犯罪者と同類 (日本人が貧乏する理由(武田邦彦)


借金してでも使えの疑問、借金する人は犯罪者と同類

(日本人が貧乏する理由(武田邦彦)




武田氏はとにかく見識が広いから参考にして見ている、人間はなかなか正確にわからないし批評はできない、だからコメントするのでも一行二行とかしていてはわからない
こいつは馬鹿かとかなんとか言ってそれで平等化する
それでも何か批判して俺の方がわかっているんだともなるからだ
だから私は一行二行のコメントを歓迎しないし私のプログにはコメントはない
やはりプログでその人なりのものをもっていて批判しないと相手にしたくないのである
ただプログだとどこに書いてあるかわからないから問題なのである

武田邦彦氏は人気がありあれだけ広い見識があるから参考になる
それは直接現代のエリート層とも通じているし外国生活も長いからその経験で違っている第一私は底辺層としかつきあったことがないからである
すると社会のことを底辺からしか見れないのである
そうしたら社会のことはわからないとなる

ただ人間はつくづくその人の生い立ちから住む場所から個性でも違っている、だから人はみんな違っているのである、その人自身の個性を作る条件がみんな違っているからである毎日海を見える場所にいる人と山に囲まれて山ばかりみている人でも何か人間も違ってくる、風土によって違ってくるから世界中てこれだけ文化も違ったものとなるのである

だから人間は自分の経験からいろいろなものを見るのが基本になる
経験しないものはわからないのである、それは本を読んでもわからない
実感がないからわからないのである、例えば戦争でもこれだけは実感することが不可能である、隣にいる人がばたばた死んでゆく、戦友が死んでゆくことなどとても経験しないかぎりわからないのである、だから戦争がどうのこうのというときそういう経験した人こそ戦争を語れるとなるがしない人はわからないから戦争はいいものだとさえなる、恰好いいともなってしまうのである

武田氏は超エリートである、でも貧乏のことを語る時何かずれているなとも見た
なぜなら借金してでも金を使うのが資本主義社会である
そういうことが理解できない、もちろんそこに深い意味があるかもしれないから表面的なことで軽々しくは批判できない
youtubeの欠点は言うことが短いし何か感情的になりふすい、それで非正規の苦しさを訴える人に同情した、声とかが出ると何か感情がでてくるんだなと思った
テレビというメデアは声とか表情が見る人に影響する、それで人の感情をあおる
あいつが悪い奴だとなるとみんなが感情が刺激されてリンチ的になるのである
つまりテレビとかは深く考えさせるメデアではなのである
ただyoutubeを見ていてわかったことはテレビとも違う何か学習機能がある
常にスタディしている、だからテレビのような大衆相手にエンターテインメントになっているのはも違う、とにかくテレビは視聴率がとれればいいのである
youtubeも視聴率が問題になるが百万とかまでは見る人はいない
そして個々の経験に基づいたことを発言しているのである
そこはテレビというマスメデアとの大きな相違だったのである

youtubeでもまだ深くは考えられないメデアである

それを感じた、だから借金してでも使いというとき誤解が生じる
そこだけをきりとって反論すると誤解が生じる、またそこには深い裏付けがないからである
なぜなら武田邦彦氏は果たして借金の意味を深く考えているのか?
まず自分自身が借金をしたことがあるのか?借金で苦しんだことがあるのか?
また他人の借金で苦しんだことがあるのか?
それがあれだけのエリートだとない、そこに借金とは何かわからなくなっているのだ

自分自身も親の介護とか自分の病気とかで苦労しなければ人はみんないい人だとのんきに思っていたのである、社会ともかかわらずに60まで生きていたことが異常だったとなる
だから社会は人はみんないい人だと思っていた
人間とは結局自分の経験から社会でも見る
一旦人から裏切られた人は深刻な人間不信になる、もう人間は信じられなくなるのであるそういう経験を私は介護になってからずっとしてきてそのことプログに書いてきた

人間とはこんな恐ろしいものだとか実感した、誰一人として自分が苦しんでいるとき同情もしない、むしろ相手が弱ったからチャンスだとなり大金は盗まれるわ何かと責められるとか苦しんだ、一切そこに同情すらなかった
それも自分自身がこれまであまりにも楽していた結果でありカルマだったことを知った
だかちそのことで他者をうらまない、でもそれ以来人間観が変わってしまったのである
人間がこんな恐ろしいものだと思わなかったからである
人間は自分が苦しんでいれば相手が死ぬと何であれ何の関係もないのである
だから最底辺で苦しんで老いた人が言う
あそこの土手の道で倒れても誰も助けないというときそのことに共感したのである
その人もこれまでひどい目にあった連続だったからそう思うようになったのである

そして借金してでも使えということがどういう意味なのか?
そんなこと軽々しく言えるのか?
借金した人が私が介護して病気になって来た時どれほどの恐怖を与えたか?
そのことを書いてきた、事業に失敗してかなりの額の借金をした人がきて助けると言うがもう助けるどころではない、その人の頭には借金のことしかない
それも額が多いのである、だからもうその人にとって頭は借金のことしかない
すると自分が苦しんでいてもそんなこと関係ないのである
こいつからなんとか借金しようとしかないのである、だから脅迫もされたのである
その時自分が病気であり介護していてどうにもならなくなっているからそういうふうに借金でも要求しやすくなっていたからだ
その人はなんとか自分の財産を得ようとしていたのである

その人は別に会社にいたときはいい人だったのである
誰もとれない資格をもっていた技術者だったからである
ただ事業をはじめて失敗して借金したのである
その人はまず事業などできない、商売できない人だったと思う
経営者にはなれない人だったと思う、技術をもっていても経営とか商売は違っているからだ、その人はまず私が病気のとき物を持つことさえ嫌がっていた
入院するとき物をもつことさえ嫌がっていた
つまり私のためには何もしたくなかったのである
それはその家族にも言えた、ただ金が欲しいしかなかったのである
そういう人がどうして会社を経営できるのか?
他者になにもしたくない、ただ金をもらいたいというだけなのである
そんな人に仕事でも頼むだろうか?その家族もまたそうだったのである

そして借金している人は怖い、借金しているだけで犯罪者予備軍であり犯罪の動機をみると借金を返すためだとかの動機が本当に多い
だからまずこの人が借金しているかどうかでその人を見るのが常である

だから借金している人は犯罪者である

ここまでなってしまうのである、それほど借金は人間を変えてしまうのである
借金している人はもう人を助けるなど全くできない
また追い詰められている余裕のない人間は人のことなど考えない
会社でもそうだし今の銀行が追い詰められているもう顧客のことなど考える余裕もないのである、会社がもうけをだすためには詐欺的な投資信託でも売りつけるほかないのであるつまり余裕がない人は人を助けるとか考えることすらできないのである

だから借金してまで使いということほどあまりにも浅薄な意見はない
ただ資本主義社会では借金は奨励されるというとき会社とかで事業する人はそうかもしれない、でもその人は事業していたのである
そして多額の借金となり我が家が苦しい時借金を返すために脅迫までするようになったのである
だから借金は人を根本的に変える、善人も借金で簡単に悪人になる
もう借金した時点で悪人となっているのである

だから武田氏の見識の広さには学んでいたがこれはどうかなと反発した
ただその背後には深い意味があるがそれが語られないのかもしれない
でもこれは危険なことである、借金してでも使い、そうなのか?
そんなことで同調して借金して使う人がいたら危険だとなる
結局は人間はその人の限られた経験からしか語られないのである
あらゆることを知り経験することはできない、そこにかたよって見方が生まれる
底辺で生きている者は社会のエリートとして生きている人のことを理解できないのであるまたエリートは底辺の人を理解できないのである

だから格差社会になるとたがいに社会で理解し得なくなり分断されて社会が維持できなくなる、その認識は共通していとなるが借金については個々人ではすべきではない
借金の恐ろしさについて鈍感でありその恐ろしを知らない
借金によって人間のモラルは消失する、ただ借金を返すために借金のために殺人まで普通にするからである、そういう事件はいくらでもあるからだ
ただ正直youtubeでもネットではなかなか深い議論にはならないのが問題なのである


あとかぎ

借金しても使えというとき貯金だけしてもだめだということはある、金をいかに有効に使うか、それが資本主義だということもある
だからそういう意味とかありそれはくみとれる、でも借金しても使えというのは誤解を与えやすい
国単位とかだとそうなのかもしれない、でも個人単位では別だと思う




posted by 老鶯 at 09:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題